俺が考えるに、動きたくないのならそう思わなければいいだけの話だ。
つまり動かなければいい。動く必要性を排除すればいい。
やはり期待などしていなかったのだ。
この期に及んでそうだった。
俺はこんな能力さえ持たずに本当に徹頭徹尾普通の世界に生きていればよかったのだ。
それを許してくれない要素……"運命"だとかはどこにあるんだ?
これは、そんな"真相"にちょっぴりだけ近づいた男の話。
俺が今日までやって来た事などほんの僅かな事だけだ。
自分のために周囲を利用する。
他人のために能力を活用しない。
誰が悪かではない、自分が正義かが重要なのさ。
君はそう思わないかね。
「何の話だ」
「さあな。お前さんには一生関係ない世界の話さ」
「そうかい」
20006年12月17日。
地球にネイルガンを打ち込んだら、ヒビ割れてしまうんじゃなかろうかと思えるぐらいに空気が凍てつく朝であった。
現在は登校中なのだが、俺が何故こんなサイコパス集団の一員と話をしているのか。
勘違いしないでほしいのだが俺はSOS団などとはほぼほぼ無縁だ。
それと気付かれないように、彼を利用できる程度の親しい関係を築いただけ。
谷口、国木田という男子生徒と同じポジションだ。
俺の能力を知る者はごく僅か。
キョンという鹿野郎の彼も知り得ない事実だ。
朝倉涼子も一から十は知らない。
全貌を知るのはそれこそ学園の連中で俺を知っている人ぐらい。
だから安眠出来るという訳だ。
そんな俺の穏やかな心を正真正銘の馬鹿が奪い去ろうとした。
「ようお前ら。珍しい取り合わせだな?」
馬鹿の谷口。
頭の出来の悪さはキョンと同じくクラスでも最高峰。
だのに笑顔が絶えないのだから正真正銘の馬鹿なのだ。
「谷口君。オレだって好きで彼と一緒に登校していたとは言えない。しかし顔を見かけた手前あいさつぐらいはすると言うものだろ? 君だってそうしたんだからね」
「へっ。違いねえ」
谷口が馬鹿に違いないのは確かだ。
セーターもカーディガンも、まして手袋もマフラーもせずにブレザーだけの姿。
この外気を感じる身体の機能が御釈迦になっているのだろう。
「体育の授業はもっと削っていいんじゃないか? 俺たちは毎日こうして登山を強いられている訳だ。負担だ。配慮が足りない。岡部先生をはじめとする教師陣は車なのによ」
「いい運動だ、何より身体が温まるだろ。俺は見ての通りの格好だからよ」
この二人の話題が事欠かないのはいいが建設的な話題が出来ないから馬鹿なのだろう。
俺は違うとまで言ってこいつらを否定するのは馬鹿よりもう少しだけ上の奴のする事だ。
口は災いの元で、災いとは即ち平穏を乱す要素。
事件、事故、闘争。
どれも俺が求める世界には不要だ。
だからこそ俺は自分の存在を隠している。
災いを避けるためだけに能力を使っていると言ってもいい。
涼宮ハルヒも馬鹿だった。
あっさりと、何回続いたのかも知らないループとやらも終えるように無意識を操れた。
ここまで言えば俺の言いたい事がご理解頂けたであろう。
"争い"とは同じ次元の者同士でしか起こり得ない。
俺がわざわざ変人どもにレベルを合わせてやる必要さえないのさ。
呆れた顔で谷口は。
「しっかし。お前らはこのシーズンにホットな話題も提供できないのか?」
「お前は暖房設備のある高校が羨ましいのか」
「それとこれとは別だな。ちょうど一週間……もう一週間後なんだぜ」
「終業式か。冬休みは心行くまで家で暖をとれるな」
「な訳あるか! 日付で考えろっつの」
ほら。
建設的でも何でもない話題じゃあないか。
まして生産的とさえ思えない。
思い起こせばキョンとやらは比較的マシな部類でも何でもない。
俺が彼の立場なら間違いなく逃避する。
涼宮ハルヒの能力怖さに屈服しているわけではないのが彼の馬鹿な所だ。
策があれば二人とも排除したいところだよ。
いや、SOS団とやら全体を。
――俺がする必要のない心配であった。
彼女の心底では虎視眈々とチャンスを窺っていたのだ。
ある意味では朝倉涼子と俺の望んでいたものは同じだった。
『――やあ。私の予想より三回早く応じてくれたなっ!』
昨日、月曜日。
まるで監視でもしていたのではないかと思えるようなタイミングで家に帰るなり宮野先輩から電話がかかって来た。
それを無視した。
一旦切れる。
机に座って一度読んだ本を読もうとする。
再び着信が来るも無視すると三度目の着信。
何てサイクルの六回目ぐらいで俺が折れる形での応答となった。
俺が話したい事なんてありませんよ。
『そう言うでない。約四ヶ月ぶりの会話ではないか』
「先輩はまだ学園に居るんですか?」
『残された時間はそう多くないが、私がそれに辿り着く日もそう遠くない。……黎くん。時にキミは相撲が好きかね?』
「嫌いでも好きでもありません。でも、土俵際の駆け引きは好きですよ。手に汗握りますから」
『私もやがてそのような状況に陥るだろう。彼奴が勝つか私が勝つか。そのどちらにしても楽勝とはいかないのだよ』
どういう理由で発現するのかもわからない超能力もどき。
それがEMP能力だ。
しかも、どういう理由かこの能力はある日突然消えてしまう。
そもそも発現するのは日本の学生だけ。
大人の能力者なんていない。
その頃には既に能力を喪失しているのだから。
……俺もやがて解放されるのだろうか?
俺は宮野先輩みたいに頂点を目指してはいない。
だが、自分が楽に死ねない事だけは自覚していた。
「それで……? オレはこれから読書をしたいんですよ」
『世間話をしながらでも本は読めるはずだぞ』
「だめだめだめだめだめだめ。まるで、わかっていませんね。本を読む時は、誰にも邪魔されず、自由で、何と言うか救われていないとだめなんです」
『ならば私との会話を優先するのだな。他でもない師匠の頼みであろう』
「越権行為ですらありませんよ。師弟関係に権利も義務も発生しませんから」
ここが自分の部屋でなければ携帯電話をへし折っていたかもしれない。
機械に対して能力が使えたらいいのにと思ってしまう。
学園の連中はそれこそ何でもありな能力者ばかりだ。
宮野先輩だってそうだ。
何だよ。どういう原理なんだよ。
触手出したり、変な魔法陣を書いて動きを封じたり、鎖とか道具も出したり。
本当に魔術師としか呼べない事しかしない。
それでいて本来の能力は攻撃とかとは全く関係ない能力らしい。
俺も修行すれば何でもありな能力者になれるのか。
『私が今回話題のタネにしたいのは、この時期についてなのだよ』
「……はい?」
『きたるジハード。約束された聖戦の日に向けた話に決まっておろう」
「いつからあなたは脳足りんになったんですかね。まるでオレと使っている言語が違うらしい」
『余計なお世話と切り捨てるのは構わんが、キミの所には居候がおるのだろう?』
「もしかしなくてもそれは24日について話しているみたいですね」
『正解だ。いや、四ヶ月もあれば進展の"ん"の字までは行っているはずなのだからな』
不正解な事に"し"の字もない期間だ。
朝倉涼子が居る事そのものには俺はもう何とも思っていない。
いつ出て行ってくれても構わないのだから。
余計なお世話も何も、余計な感傷があっては困る。
平行線と言うものは変化しないからこそ平行線を辿っていると言えるんだよ。
そして。
「オレについてどうこう言うよりも、先輩の方こそどうなんですか? 何なら俺がそこまで出向いてあなたを操ってあげてもいいですよ。自分が愉快な光景を見るためにやるんでルールは破ってないですよね」
『私はいずれ過去の人間と化す。彼奴らとの決着がついた時、そこが約束された最後の時なのだ』
「……それ、本気で言ってるんですか」
『いつでも真剣そのものだが』
いくらしょぼいとは言え、こんな能力を操る俺でもわかる事がある。
絶対に覆せないものは確かにあるんだ。
過去とか未来とか、今から考えるんじゃねえ。
今だけ考えやがれ無能師匠。
残される人の気持ちは考えないのか?
俺ではない。
俺なんかあんたが消えようとダメージはない。
「先輩がした約束ってのは別れの約束だったと? 違うはずだ」
『私を困らせないでほしいものだな』
「ならオレとの通話を今すぐ中断する事をお勧めしますよ。オレを操れるのはオレだけってのが人生哲学なんで」
『自分の夢くらいを自分で叶えようとして何が悪いと言えよう。私はキミの操り人形ではないぞ。私もキミと同じ哲学の道を往く人間なのだよ』
「先輩は自分が正しい人間だと言えるのでしょうか?」
『私とてキミが思うほど特別な人間などではない。偶然、機会の方が私に多く訪れるだけでな。それに何より、保護者のスネはいつまでもかじってはならないのだ。茉衣子くんにはひとり立ちしてもらう必要がある」
独善者もここまで来ると偉大な人間に見えてしまうのか。
俺の考えは間違っていない。
宮野秀策は信頼出来ないのさ。
しかし、と彼は言葉を続けて。
『どうなってしまうかなど、私にもわからぬ。わからないからこそ知りたくなるのだ。その時の事などその時の私しか決断権を持たない』
「どうかしてますよ。先輩は信頼できませんが信用を裏切ってはほしくありません」
『お互いに余計なお世話は無しと行こうでないか』
「今更ですね」
手厳しい発言をした覚え何てない。
先輩と茉衣子さんがどんな結末を迎えようとも、互いに納得の行く形であってほしい。
余計なお世話だけど、本当にそう思ってしまうのさ。
何ならありがたく思ってほしいもんだよ。
『案外、別れの時は近いのかもしれん』
「そうなんですか?」
『そうじゃないかもしれない。が、そうかもしれない』
「だったら後悔しないように生きて下さい。後輩からのアドバイスです」
これ以上話す事なんてなかった。
しかし、最後に彼は。
『黎くん』
「何です」
『気をつけたまえ』
と、言い残して通話を一方的に切り上げた。
はた迷惑な先輩だ――。
――そうだ。
ちょうど今の谷口とキョンのようだ。
建設的でも生産的でもない。将来性は皆無。
お前達の知らない世界が確かにこの世にあるんだ。
取るに足らない箱庭でしかないが。
「ほーん。クリスマスパーティか……お祭り女こと涼宮ハルヒが好きそうな事だな」
今のはキョンの説明を聞いた谷口の反応である。
何でもSOS団は24日に不法占拠している文芸部室で鍋大会を催すとかどうとか。
馬鹿丸出しだ。
「なんなら二人とも来るか?」
俺が行くわけないだろう。
一方的にしか接触したことがないんだから。
そして谷口も彼の誘いを断った。
「わりぃがその日、俺にはしょぼい鍋をつつくよりもよっぽど有意義な事をする必要があるんでな」
「何だ、その気持ち悪い笑みは」
「残念なことに俺はクリスマスイブに慰め合う連中とは別の世界に到達したんだぜ」
まさかとは思うけど、こいつにも春が来たのか?
半年以上は遅れている。
ともすれば冬まっしぐらだな。
「いやー悪いねー。マジ、ほんと、本気で悪いと思う。俺のスケジュール帳の24日が埋まっててよー。鍋パ行きたかったぜ」
「嘘だろ」
俺も嘘とは思いたいが、谷口はキョンより青春ごっこをしている。
この二人は何処で差がついたのか。慢心、環境の違い。
人の不幸も人の幸も俺にとっては蜜の味などしない。
「キョン、ざまあないね」
「そういう明智はどうなんだよ。さっきから黙ってたが、アテでもあるのか」
「興味ないね」
結局の所は消える存在。
それが俺なのか朝倉涼子なのか、どちらが先かは不明だがそうなるのは確かだ。
俺が望む平穏ってのは今の所遠くに感じられる。
何の本を読んだところで『正解など存在しない』の逃げ道だけが例外なく書かれている。
俺はそんな常套句が有り触れている事が一番気に食わない。
兄貴と同じくらいに、気に食わないのさ。
俺の投げやりな様子を見た谷口は。
「やっぱりお前は枯れてる木のような奴だな」
「オレに文句が言いたいのか?」
「事実を言っただけだぜ」
好きにすればいいさ。
期待しちゃいないんだからな。
君たちにも、世界にも。
――だが、それは現実のものとなった。
何事もなく一日を消化し、帰路を辿っていく。
冬の寒さに屈したわけではないがここの所本屋へ寄らずさっさと家に帰るようになっていた。
別に毎日毎日通ってもいなかった。
期間を空けた方がいいのも事実なんだからさ。
「……ふっ」
どうせならさっさと消えてなくなってしまえ。
世界は滅亡した方が良かったのかもしれないな。
そんな事を考えてしまうぐらいには俺は正気を辛うじて保っていた。
今のこの世界を認めるなんて、拷問だね。
やがて、家に着き、晩御飯を食べて、この日も終わっていくかと思われた。
これの何処に問題があるのか?
俺の予想を裏切ったのはそろそろ寝るかという時間に部屋のドアがノックされた事である。
ドアを開けると、朝倉涼子が突っ立っていた。
俺は寝巻きだったが彼女はそうではない。
「何の用かな?」
「一言だけ、言っておこうと思ったのよ」
随分と改まった態度だった。
妙な事をしでかすつもりだろうか。
一応は心の中で身構える。
「私がこの世界に飛ばされたのはちょうど今日の深夜……いいえ、実際の日付は明日だった」
「へえ。思い出しても俺は君を倒した相手じゃあないから復讐は勘弁願うよ」
「ううん。お礼を言っておかなくちゃ。私をここに置いてくれるなんて、よく信用する気になったわね」
「……家庭の事情さ」
忌々しい。
あんな兄貴が居なけりゃ朝倉涼子の分の部屋だってなかっただろうさ。
彼女に罪はない。
事実を述べたまでだ。
「そう……わかったわ。お休みなさい」
そう言った去り際の彼女が何を考えていたのか。
俺はついぞ知る事はない。
訊く事がなかったからだ。
――本当に、あっさりと俺の望みは叶ったんだ。
俺の望むものは完全な平穏。
期待する必要がないまでに世界に満足出来る事。
朝倉涼子の望みは完全な自由であり、進化。
期待する事が出来るように、世界へ復讐する事。
結局のところはやり直す必要があったらしい。
「……お休み」
なあ、俺の望みは間違っているのか?
一人で悩んでも答えが出せない不完全な世界なんだよ。
そうさ、こう言う時は寝ちまう手に限る。
ベッドにただただ横になって目を閉じるだけなんだ。
起きてても悪夢を見るのであれば、眠って見る夢はいい夢になるだろうよ。
そうじゃないと収支があわないでしょ。
これから俺が見る世界はいい夢だった。
俺が動きたくない、と思えるくらいにはね。