第十五話
あなたにとって、夏と冬ではどちらが好きですか?
こう訊ねられれば、俺は「間違いなく夏だけはないだろ」と断言できる自信がある。
つい一ヶ月近く前のいつぞやは、なし崩し的にぽかぽか日和の中、草野球をさせられた。
しかしながら何もわざわざ暑い中で身体を動かすことに俺は生き甲斐を感じてなどいない。
そしてスポーツといえど涼宮ハルヒが関係する以上、危険係数がカウンターストップしてしまうのが一番の問題だろう。
まあ。早朝ランニングに関しても、確かに効率面での理由がある。
けれど朝はまだ涼しかったりするので夏に運動するにしても朝はまだマシなのだ。
そんな事をしている割に思考は開放的ではないのである。
つまり、何がいいたいのかといえば。
六月の日々で苦しんでいた俺にとって、ここからが本当の地獄なのである。
しかも。季節的にも涼宮ハルヒ関係の事件が多発するようになるはずだ。
俺のどこでもドアもどきの技術力で何かが出来るとも思えない。
"奥の手"にしても精々人間相手をするのが限界だ。
いつもながら大人しく長門さんと朝倉さんの2人に解決してもらおう。
そのような事を考えていた今日は七月の中ごろ。
この日で期末試験が終わり、夏休みまでの間、束の間の平穏が訪れていた。
北高に限らず、テスト期間中というものは例外なく部活動は休止されるものである。
だというのにSOS団はテスト期間中も活動をしていた。いや、ただ集まっていただけに過ぎないが。
しかし、高校生の、それも1年生時のテストなど、俺が前世の記憶がなかったとしても、真面目に授業を受けていればまあそこそこの点数に終わるはずだ。
だが原作でキョンはあそこまで口が達者にも拘らず、何故勉強が苦手な設定なのだろう。
それはこの世界でも同じようで、期間中に四苦八苦しているのが見受けられた。
朝倉さんに関しては言うまでもなく優等生なのでテスト対策について心配の必要などなかった。
で、テストが三時限目に終わりさっさと帰宅できるにも関わらず、文芸部部室に居るというわけだ。
古泉と朝比奈さんはまだ来ておらず、キョンは何やら涼宮さんとPC前でギャーギャー騒いでいる。
長門さんはいつも通りの読書。今日は何やらどこの国の言葉かもわからない本を読んでいた。
「ジャックのスリーカードだ」
「あら残念。私の負けね」
朝倉さんはそう言って札を表にする。2とQによるツーペアだった。
俺はボードゲームが苦手ではないのだが、朝倉さん相手には将棋、チェスもオセロも歯が立たなかった。
唯一勝ち越せたのは軍人将棋くらいなのだが、最近では俺の配置パターンを研究していて押され気味である。
よって今日はトランプに興じていた。ポーカーだ。賭けるものなどないのだが。
「おい明智。こっちに来てくれ」
何やらPCのディスプレイを団長席に座りながら睨んでいるキョンが俺を呼んだ。
既に札を配り終わっていたが、ポーカーを中断してキョンの所へ行く。
「何だ」
「こいつを見てみろ」
ディスプレイにはよくわからないヘビみたいなニョロニョロが大きく表示されており、何やらよくわからないサイトのようである。
「お前が作ったホームページなんだがな、様子がおかしい。アクセスカウンタは吹っ飛んでいるし、お前が書いたよくわからんミステリ紹介のページも、リンクを押しても表示されん」
「どうしたらこんな画面になるんだ? HTMLを弄ったにしちゃ出来栄えが悪すぎる。背景まで白じゃないか」
「それが分からんから呼んだんだ。ファイルのクラッシュかと思って上書きしたんだが、効果がない」
「俺は何でも屋じゃないんだ。何か心当たりはないのか?」
「さてな。これを最後に弄ったのはテスト期間中、ハルヒに頼まれてあいつが書いたSOS団のエンブレムとやらをアップした時だ」
間違いなくそれが原因である。
まあ。こうなってしまった以上、現状ではそのエンブレムを削除しようにもどうもこうもないのだが。
「俺には何も出来ん。サーバー管理者に問い合わせて、駄目みたいなら諦めて別のサイトを立ち上げるしかないぞ」
「こんなサイトに何の意味があるのかね……」
それは作った俺でもわからん。
涼宮さんが「これはサイバーテロよ!」とか騒いでいるがキョンは相手にすらしていない。
俺はサーバーに侵入しようと思えばできるのだが、原因がわかっている以上は無駄な抵抗をしないのが吉だ。
万が一にバレれば大変な事になるし。
朝倉さんとポーカーの続きでもするかと思い、長机に戻ると部室のドアがノックされた。
「おや。皆さんお揃いかと思いきや、朝比奈さんはまだですか?」
古泉一樹であった。二年生の朝比奈さんは俺たち一年生よりテストの終わりが一時限ほど遅いのである。
キョンは一旦ホームページについて考えるのをやめたようで、古泉とダイヤモンドゲームを始めた。
ちなみに朝倉さんとポーカーを再開したその第一戦は、スペードのロイヤルストレートフラッシュを叩きつけられた。
絶対何かしたとしか思えない。
なぜなら俺の手札はブタだった。
そして一時間と少しが経過した。
キョンが再び涼宮さんによくわからない注文をされており――どうやらホームページ不調の原因はキョンの方にあると判断しているらしい――古泉は詰将棋の本を読みながら盤面を睨んでいる。
やがて俺と朝倉さんはページワンに遊びを切りかえ、暫くしてからのことである。再び部室の扉が叩かれる。
涼宮さんの「どうぞ」という声に反応して登場したのは朝比奈さんだった。
「遅れちゃってごめんなさい。四限までテストだったんです」
申し訳なさそうな表情でそう説明する朝比奈さんだが、部室には入ろうとしてこない。
やがてしどろもどろになり朝比奈さんに視線が集まる。長門さんすら見ていた。
「ええと、その……。お客さんを、連れてきました」
お客さんとはどういう事だろうと思えば、何やらキョンが独断で部室棟の掲示板にSOS団のポスターを張っていたらしい。
それは生徒会にSOS団について認可させるためであり、内容についてはかつて俺とキョンがでっちあげた架空の内容。
まあ、要約すると「相談ごと受け付けます」ということである。
つまり、そのお客さんは我々に相談があるということらしく、早い話が俺には正気と思えなかった。
「するとあなたは……我がSOS団に、行方不明中の彼氏を探して欲しいと言うわけね?」
「はい」
「ふむむ……」
そういった我らが団長涼宮ハルヒは手に持っていたペンをくるくる回し、唇の上に乗せて唸りはじめた。
本人的には何やら考えているのだろうが、個人的には彼女が団長でいいのだろうかとさえ思える不真面目な態度である。
俺の中での団長と言えば、黒のオールバックの盗賊集団なのだ。
朝比奈さんが連れてきた来客は、喜緑江美里さんといい、朝比奈さんと同じく二年生だ。
薄緑色のウェーブがかった髪の毛。あの長さはミディアムと言うのだろうか?
そして何より清楚感があって落ち着いている。
俺もああいう人と仲良くしたいもんだと思っているのだが――
「?!」
隣から物凄い殺気を感じたその瞬間、俺の机の下にある左足爪先が踵によって踏みつけられた。
思わずうめき声を上げそうになったがどうにか堪える。
「どうしたの? 明智君」
「いや、しゃっくりが出そうになってね……」
実行犯である朝倉さんが白々しくそう訊ねてきた。
ちくしょう。俺に何の恨みがあるんだ。
そんなこちらのやりとりを気にせず、喜緑さんは涼宮さんへの相談を続けた。
「彼が何日も学校に来ていません。めったに休まない人なのに……」
彼女がそう思うのも当然で、何せ今の今までテスト期間中だったのだ。
確かにこれはいくらなんでもおかしい。
それに追い打ちをかけるかの如く、テストを受けていないことによって彼氏君は再試が確定してしまっている。
哀れ也。
「電話はしたの?」
「はい。携帯にも家にもかけましたが出ません。家まで行ってみたんですけど、鍵がかかっていて反応もありませんでした」
「ほうほう~」
涼宮さんはいい暇つぶしを見つけたと思い、喜緑さんの悲痛な打ち明けに対しても嬉しそうに聞いている。
事件性という認識が彼女にあるかどうか怪しい。
「家族は?」
「彼は一人暮らしなんです。ご両親は外国にいらっしゃるらしく、私は連絡先を知りません」
「へぇ。それってどこかわかる?」
「確かホンジュラスだったと思います」
「なるほど、ホンジュラスねぇ~」
テストの点数が良くない割に、何故か原作でキョンはホンジュラスがメキシコの下くらいにある事は知っていた。
そして果たして涼宮さんはホンジュラスについて知っているのだろうか。
彼女は頭がいいから場所ぐらいは知ってそうだが、頷けるほどに国についての知識があるのか。
かく言う俺もギジェルモ・アンダーソンくらいしか知らないが。
「夜中に訪ねても真っ暗で、部屋にいないみたいで……。わたし、心配なんです!」
「まあ気持ちはわからなくもないわ。でも、我がSOS団を訊ねてきたのは何故かしら?」
「彼がよく話題にしてたんです。名前は覚えていました。それで貼ってあったポスターを見てここに来ました」
「へぇ? 私たちを知ってる人なの? 誰かしら」
知ってるも何もSOS団は悪名高いのだ。この部室でその自覚がないのは長門さんと涼宮氏ぐらいだ。
「SOS団とはいいお付き合いをさせてもらっていると聞きました」
「そんな事あったかしら?」
「彼はコンピュータ研究部の部長を務めているんです。とくに明智さんという方に対して、感謝の気持ちがいつも伝わりました」
なるほど。あの時俺がどうにか場を丸く収めた事についてだろう。
結果としては最新型のパソコンを頂いたこちら側がむしろ感謝すべきなのだが。
しかもまだ痴漢の証拠となるインスタントカメラは処分されていない。
はたしていつ気づくのだろうか。
「いいわ。あたしたちが何とかしてあげる!」
根拠のない自信こそが大成しない大きな原因なのだ。
そんな意識を一切持たない涼宮ハルヒは快く、捜索依頼を引き受けた。
その後、喜緑さんにコンピ研部長の住所があるメモ書きをもらい、SOS団は調査を開始することになった。
メモにある住所に従って到着した場所は、三階建てで半地下一階のワンルームマンションだった。
この一室に彼は住んでいるらしい。
可もなく不可もなく、新しいとも古いとも言えない微妙な作りだが、俺がかつて自立したての時に借りたアパートはこれより酷かった。
先導して階段を上がっていく涼宮さんを俺たちも追いかける。7人では十分に大所帯である。
「よし、ここね」
そういうと涼宮さんは早速ドアノブを捻るが、当然の如くロックされている。開かない。
インターホンをいくら押しても反応はなかった。
「裏からまわってみるのはどう? ガラスを叩き割れば中に入れるんじゃない?」
と物騒なことを言い出した。ここは三階だ。
そんな涼宮さんを見ていつも以上に不安になったキョンは小声で俺に声をかけた。
「なあ明智。お前の能力とやらでこの部屋に入れないのか?」
「残念だけどそれは無理だ。……オレが空間を出入りするためには"入口"もしくは"出口"をそこへ設置する必要がある。つまり、一度行った場所でなければ使う事が出来ないんだ」
「そうかい」
涼宮さんはこれ以上の抵抗を諦めたらしく素直に管理人に鍵を借りようとした。
すると。ドアの方からカチャリと音がした。
長門がドアノブを握っている。おそらくインチキでもして開けたのだろう。
こちらを無言で見て、ドアを開いた。
「……」
「あら、開いてたの? まあいいわ、さっさと探しましょ」
俺には不法侵入の何がいいのかわからなかったが、他の六人に続くことにした。
結論から言わせてもらうと、部長氏の姿は影も形もなかった。
トイレ、ベッドの下、机の下、果てには冷蔵庫や洗濯機まで漁ったのだが見つからない。
涼宮さんは冷蔵庫にあったコンビニで売っているワラビ餅を勝手に拝借、朝比奈さんに毒見させていた。
「明智君。気づいたかしら」
朝倉さんが何やら俺に話しかけてきた。何が原因かは知っているのだが、俺はそれを察知できるような人種ではない。
しだいに朝比奈さんと涼宮さんを除く他の団員が近くに集まった。
古泉は小声で説明する。
「この部屋には奇妙な違和感を感じます。これに近い感覚を僕は知っているのです、あるいは別のナニカかも知れませんが」
「何に近いって?」
「閉鎖空間ですよ」
俺には違和感なぞわからないのでその辺の調査は古泉と宇宙人に任せよう。
朝倉さんにその旨を伝えると驚かれた。
「あなたの能力は空間に作用しているはずよ? これくらいの異常はわかると思っていたわ」
「過大評価してもらってるようで何よりだよ。それに、前にも言ったと思うけど、オレのは技術だ。種も仕掛けもあるのさ」
もっとも、この世界では解明されない技術だろう。
いずれにしてもこれ以上この場に居るのは危険だ。
キョンが涼宮さんを説得してマンションから撤退する事になった。
涼宮さんも成果が得られない上に飽きていて、「お腹が空いたから今日は解散よ!」と言い出した。
依頼を引き受けておいて無責任ではあるものの、事件はそのうちなんとかなると思っているらしい。
それから十分後、団長の涼宮ハルヒを除くSOS団団員、現在六名が再びマンション前に集合した。
人間を糧とする巨大化け物アリが相手という訳ではないが、討伐隊が今ここに結成された。
今回も出番なしで大丈夫だろ、とにかく自衛を心がけよう。
そんな俺の。まるでチョコラテのような甘さ。
これがまさにアマチュアレベルの思考停止だと思い知らされるのはここから約十数分後の話だった。