異世界人こと俺氏の憂鬱   作:魚乃眼

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第八十七話

 

……余計なお世話だったのさ。

彼は、覚悟している眼だった。

既に決断を済ませて、後はそれに賭けている眼だった。

心を決めなければならない。

古泉は「これで本当の終わりですよ」と前置きしてから。

 

 

「――行きましょう。彼は大丈夫ですよ」

 

きっと、俺の知らない世界の話になる。

だけどこの時の古泉がようやく見せたもの。

……わかったよ朝倉さん、こいつの、そういう所だけは見習ってやるよ。

そうさ、正真正銘の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週明け。

何事も無かったかのように、世界は平穏を取り戻していた。

 

 

「……いいや、何も無かったんだ」

 

長門さんだって任務とは何だったのかといった様子で今日は学校に出て来ている。

朝倉さんの家の帰りついでに彼女が住む708号室も見舞ったのだが、その必要は無かったらしい。

閉鎖空間に来てくれた時点でわかりきっていたけどさ。

だけど、何事もその行為は無意味と化さない。

結果だけが全てじゃあ、ないんだから。……俺たちは。

 

 

「わたしは感謝しなければならない」

 

「いいって。オレが持ち込んだ迷惑もあったんだから、ウィンウィンで」

 

「それでもわたしにはそうする責務がある」

 

「長門さん」

 

俺はこたつ越しの長門さんに対して言う。

言わなければ、ならないんだ。

 

 

「人間とは往々にして道理で動かない事がある」

 

「……」

 

「言うまでもなく、実際にそんな事が出来る人間は少数派だ。世界は単純じゃあないし、理不尽不条理無理難題を日頃ふっかけて来る」

 

「……」

 

「だけどね、道理で動かない人に対する抑止力も、それを突破しようとする力も……その両方が感情なんだよ」

 

"感謝する"と心の中で思ったのなら。

その時既に感謝は終了している。

だからさ。

 

 

「"感謝した"を使いなよ。ましてや"しなければならない"なんて、長門さんがやりたい事は長門さんが決めるべきだ」

 

「わたしはあなたや朝倉涼子のような存在ではない」

 

長門さんは無表情だった。

しかし、俺には最早彼女のそれが機械的なものには見えなくなっていた。

感謝する必要が無いように心配する必要も無いさ。

彼女も掴みかけているんだ、自分なりの解答を。

こんな広い世界で生きていくための、ちっぽけな解法を。

 

 

「当り前だ。君は君、オンリーでロンリーな存在なんだから。そして何より"ユニーク"なんだ」

 

「……」

 

「長門さんがそれを理解する日は近いよ。今日じゃあないだけさ」

 

「……」

 

そして彼女は一言だけ。

ありがとう、と言ってくれた。

先週金曜日。

夜十九時ごろの出来事だった。

 

 

 

――土曜日か?

ああ、知らない方がいいよ。

俺が聞かされたら一日中壁にラッシュを叩き込みたくなるような内容だ。

ただただ、朝倉さんと彼女の家でいちゃいちゃしてたさ。

ここで弁明しておきたいのは、俺は最初とうていそんな気分にはなれなかった。

当り前じゃあないか。

俺は彼女を殺しそうになったんだ。

β世界とかα世界とか、もしかしたらSG世界線とかあるかもしれないけど、関係ない。

自分が護ると決めた人を自分が危険な目に遭わせる。

 

 

「オレの名字について……こんな話を知っているかな……」

 

朝のいい時間から、ソファにただ座すだけの俺に対して朝倉さんは肩を寄せてきている。

この瞬間だけは唯一無二のダウナー。

俺の精神テンションは"臆病者"時代に戻っていた。

俺氏が朝倉さんと惰性で付き合っていて、全てに流されていたあの当時にだ。

倦怠、怠惰、その俺が独り言をしている形になる。

 

 

「悪に地面で"悪地"が語源なんだけどね」

 

「荒れ地の事でしょ?」

 

「そうさ……ちょうど、オレの荒んだ心の全体像みたいな」

 

情けない。

朝倉さんに息でも吹きかけられた際にはそのまま壁までドヒュウと飛ばされそうだ。

"軽い男"って、物理的に言うものではないはずだ。

その割に空気を重くしていたのはやはり俺なのだから、男らしさがない。

甘える気にすらなれなかった。

 

 

「でも、やっぱりオレの名字からすると一番連想されるのはあいつさ。日本一有名な逆賊、"裏切り者"、浅野と同じだわな」

 

"大道心源に徹す"とはよくぞ言ったものだ。

彼の世辞の句の一部なんだけど、まさに今の俺にうってつけの疑問文。

人間が守らなければならない正義とは何なのか……そんな感じの意味になるよ。

ほら、ぴったりだろ?

 

 

「オレは、オレは……」

 

「明智君」

 

その一言だけで、涙が出てもおかしくなかった。

不思議なんかじゃなかった。

ほんの少し、驚きが勝っただけに過ぎない。

耳にするのも申し訳なくなってしまうほどの"慈愛"に満ちていた。

こんな俺を。

 

 

「……許してくれるのか」

 

「最後には助けに来てくれた。私を護ってくれた」

 

「自作自演だ。全部、浅野が仕組んだ事だ」

 

「彼はあなたに負けたのよ」

 

「だとしたら、オレは自分に負けたんだ」

 

他人を打ち負かした勝利の美酒など、安酒にもほどがある。

極上の銘酒が飲める折とは過去の自分を乗り越えた末の栄光にある。

もっとも難しい事だ。

 

 

「いいじゃない」

 

俺がどこか否定的になる度に、朝倉さんは俺を受け入れてくれる。

肯定的でいてくれる。

 

 

「私はあなたと出逢えた全てに感謝したのよ。お願いだから、このままでいさせて」

 

「……朝倉さん」

 

「ふふっ。少しは元気が出た、かしら?」

 

元気どころじゃありませんことよ。

このまま君への想いを叫び続けながら町内を走り回ってやってもいい。

見えたぞ、俺にも見えて来たんだ、詩織。

"勝利"の感覚が見えて来た。

 

 

「元気ついでに、いいかな」

 

「……また甘えたいの?」

 

「充電」

 

「有機生命体の何処に電力を必要とする要素があるのよ」

 

「朝倉さん成分が枯渇しつつある」

 

「私は直ぐ横に居るけど」

 

「駄目なのか?」

 

駄目じゃなかった。

しかし、こういうのは黙ってするのが流儀だった。

抱き合ったり、キスしたりなんてのは一つの形でしかない。

いや、そんな事言っておいてしたけど……。

と、とにかく愛ってのは奥が深いのか深く考える必要がないのか。

どうなのか。

 

 

『どうもこうもないのね、浅野君』

 

そうさ。彼女の、言う通りなのさ。

俺は朝倉さんと一緒に居られればもう満足なんだ。

よく魔法にかけられてしまうのはお姫様の方だろ?

でもな、例えば魔王(ボス)とお姫様(ヒロイン)を兼業したりだとか……。

敵と恋に落ちるなんてパターンというのは燃える展開だろ。

困難なのが目に見えているんだ。

ともすれば、その恋は叶わないかもしれない。

運命があったならそれに敵わないかもしない。

ハッピーエンド法則に適わないかもしれない。

 

――知らないよ。知るかって。

そんな常識、誰々が何時何処で決めたんだ。

証明して見せたいならまず原稿用紙50枚以上の論文形式にして俺に提出してくれ。

無駄に書き上げて来たな、と思いつつ一枚目の名前だけ拝見したら後は全部焼却処分してやるから。

本当、いつの頃からか捻くれた考えばかりが横行するようになってしまったな。

スプーンを捻った末に、ねじ切れたような捻くれ具合の俺が言うんだ。

『お前が言うな』だけどついつい憂いでしまうよ。

"憂鬱"さ。

 

 

「ねえ。朝倉さん」

 

「なあに?」

 

お昼はボロネーゼだった。

どこで買って来たのか麺はタリアテッレ。

本格的で、イタリア料理店ぐらいなら簡単に朝倉さんに負けてしまう。

幸せすぎるのか、不幸なのか、それすらもわからなくなりかけていた。

俺の大切な親友の一人。

佐藤詩織の事を思い出すまでは。

 

 

「もし、そう遠くない未来にタイムマシンが完成してさ……数年後の朝倉さんがここにやって来たとして、何を言ってくれるかな」

 

「……そうね」

 

意外にも素直かつ真面目に考えてくれている。

これで何か勘繰られていたらどう俺は返したものだったろうか。

朝倉さん(大)の来訪や、昨日の不思議体験で俺は気になってしょうがなかったのさ。

未来を信頼していいのか。

俺だけの独り善がりになっていないかどうか。

何度でも確認したかったさ。

俺は"弱い"、人間だからね。

 

 

「数年後なら、もしかしたら私と明智君は大学生かしらね」

 

朝倉さんに手を出そうとする命知らずが何人いるかだけが楽しみだ。

俺は手加減して放つベアリング弾で痛めつけてやる程度で済ませてやるさ。

眉間に風穴ブチ空けないだけ、慈悲深いでしょ。

 

 

「でも、何も変わってないって今の私が逆に言っちゃうかな。未来の私に対して」

 

なるほど。確かにその通りだった。

朝倉さんは俺が見た範囲の未来では相変わらずに……いや、今以上にえらい美人と化していた。

こうなってくると今度は未来の俺を俺が見てみたいな。

あんな美人の奥さんを貰って、男に磨きの一つでもかかっていないなんて恥でしかない。

『人は"恥"のために死ぬ』とか物騒な事を言っているテロリスト神父だって居るんだ。

俺が俺を嗤う事が無い事を願うね。

 

――だけど、彼女が言いたいのはそんな事ではなかった。

ずっともっと単純な話だ。

人は見た目が九割とよく言われるが、彼女たちは違う。

宇宙人を見た目で判断してみろよ、十中八九死ぬ事になるから。

長門さんくらいじゃないか? 平和的に済みそうなのは。

喜緑さんの不気味さは底が知れない。

どの宇宙人とも違う、確かな二面性が彼女にはあった。

 

 

「だって、私は数年やそこらで私の気持ちが変わっちゃうだなんてとても思えないもの」

 

「気持ちだって?」

 

「私があなたの事に興味が湧いた。あなたを知りたいと思った。あなたの事を好きになった……あなたが私を、人類と認めてくれた……。忘れないわよ、絶対」

 

ああっ……。

橘京子じゃあないけど「んんっ、もうっ!」て気持ちだよ。

どうして朝倉さんはそんなに俺を困らせるんだ。

"可愛いは正義"だなんて嘘だよ。

少なくともこの俺は朝倉さんの可愛さにやられてしまってるんだ。

仕草一つとってもドキッとする事なんて度々あるけど、その上からゴリゴリ削って来る。

終いには今みたいなガード不能攻撃でダウンを奪われて起き攻め小パンチ連打。

俺がKOされるのは既定事項らしい。

たまらず俺は再びソファに座っている彼女の腰に抱きつく。

お腹に俺の顔が来るような形である。

埋もれたような声で俺は。

 

 

「朝倉さん、本当にごめんよ。済まなかった。二度と君を裏切りたくない」

 

「こう、何度も謝られると……真摯さに欠けちゃうんじゃないかしら?」

 

「ごめんなさい。それしか言えそうにないんだ」

 

「悪い気はしないけど、あなた今年で何歳なの?」

 

ついには彼女に頭をよしよしと撫でられてしまっている。

ゆくゆくは俺も十七歳になってしまうよ。

そう言えば、朝倉さんの誕生日っていつなんだ……?

俺はそういうのを祝おうだとかって気持ちの一切が無かった人間だ。

その結果、詩織を守ってやれなかったんだ。

縁起でもないからせめて他人だけでも、朝倉さんだけでも祝ってあげたい。

俺の精神衛生上の問題さ。

 

 

「気にした事なかったわね」

 

本当に気にしていなかったのだろう。

地球にやって来たのが少なくとも涼宮さんが中学一年生の時のいつか。

七月七日より前、か。

すると彼女は溜息を吐いてから。

 

 

「敢えて言うなら、私の誕生日は十二月十七日よ」

 

「……それは」

 

「ええ。私があなたを好きになった……。人間の"好意"を理解出来るようになった日よ」

 

わかったよ。

じゃあ、それでいいさ。

記念日としては十二月十八日と言えるけど誤差の範囲内でしょ。

間違いなくその日は朝倉さんが俺たち人類に歩み寄れた日、なんだから。

俺がようやく後悔し始めた日なんだから。

死んでいた俺の心は、彼女と一緒に再生出来たんだ。

自分の事ばかり考えていた人間が、ようやく価値ある何かを理解出来たんだ。

朝倉さんだけじゃないさ。

こんなに素晴らしい奇跡は、俺の方にもやって来てくれたんだ。

 

 

「いつかまた、今回みたいな大騒動は起きるかもしれない」

 

俺は確信していた。

そして何より、俺自身と彼女のためにも決着をつける必要があった。

棄てられた彼の復讐を果たす必要があった。

原作の長門さんとこの世界の長門さんの無念さ。

キョンと古泉の憤り。

涼宮さんを利用しようという考え。

俺たちが彼女に望むのは協力だ。

だけど、あいつらは違う。

俺はあいつらに勝ちたい。

最後の敵、無能な神になろうとする存在。

 

 

「だから、願っておこう」

 

こうしてまた、君と何気ない他愛もない話が出来る事を。

こうしてまた、二人で一緒に居られる事を。

君もそう想ってくれるのなら、きっと帰って来られる。

どんな事件、難題、困難、逆境からもこの部屋に。

 

 

「信用した上で、信頼すればいいのさ」

 

「最初からこうしておけばよかった」

 

「オレは後悔していないさ」

 

ありがたい事に彼女もそうだった。

言ったはずさ。土曜日についてなんてこの程度の話しかない。

もうとっくに話は一段落しているんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むしろ事後報告としての部分はここからがメインとなる。

本当に長かった、全てが終わった金曜日から二日後。

翌週の日曜日の話をさせていただこう。

 

 

「朝も早々にお前さんもご苦労様だよ」

 

「それはお互い様でしょう。その上、明智さんは"両手に花"と来ましたか」

 

「あら、そうなの?」

 

「……」

 

無茶言うなよ。

日曜日の朝、駅前に俺と古泉と宇宙人二人が集合した。

これからキョンの家へ出向いて小会議という訳だ。

金曜日はロクに長話をする時間なんてなかったからさ。

そこら辺の話も交えながら――長門さんはいつの間にか一人で帰宅していたし――日曜日の会議について語ろう。

 

 

「本来であれば未来人にもご足労頂きたかったところではあります。しかしながら現代に住む朝比奈さんは蚊帳の外、藤原さんに関しましても、彼が我々の呼びかけに応じてくれるとはとうてい思えませんでしたので」

 

「何よりキョンが嫌がるよ」

 

「はい。……困ったものです」

 

キョンの家を目指し闊歩していく俺たち

古泉は笑顔で、まるで困っている感じなどさせない。

宇宙人二人だってそうさ。

俺も、朝倉さんも長門さんも、困る要素はないのだから。

講義の時間が始まるだけなのだ。

 

――さてさて。

色々と語りたいことはあるんだけど、まず、重要な事実からお伝えしなければならない。

他のみんなは知らないけど、少なくとも俺一人にとってはとても重要な事なんだ。

それに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

 

『ボクはこれから暫く居なくなる。仕方ないよね。必要な事なんだから』

 

ようやく知り合えた俺の同居人。

そいつは、"アナザーワン"は俺の返事さえ聞かずに。

 

 

『明智黎はこれからボクが帰って来るまでの間、"切る"事しか出来なくなっちゃうけど……無茶しないでね?』

 

とだけ言い残して、俺の精神から消えてしまった。

つまりどういう事かと言えばだな。

 

――俺は満足に"操る"事が出来なくなった。

エネルギーを運用する事は出来る、身体強化も何とか俺一人で出来た。

だけど"ブレイド"の具現化は不可能で、それにともなって"思念化"と身体全体の強化も不可能に。

"異次元マンション"の新規出入口の設置――既にある部屋への転送は可能だが、マスターキーも具現化出来ないので部屋同士の移動は無理だ――も出来なくなった。

え? "次元干渉"は言うまでも無いでしょ?

だから。

 

 

「オレはただの、よく切れるナイフを扱えるだけの人間になっちまったのさ」

 

驚天動地だろ。

この事実は今の所、俺と朝倉さんだけが知っている。

 

 


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