さて、問題だ。
どうすれば涼宮さんと俺は無事に助かるか?
制限時間は実時間にして数秒です。
用意、始め。
何やら走馬灯が駆け巡り本日二回目のスローモーションの真っ只中。
人間のこういう作用は脳内麻薬による活性化か?
いや、そんな事はどうでもいい。
とにかく解決策が必要だ。
このまま落ちても前面からの飛び込み姿勢だ、即死は無いと思いたい。
しかしあの硬くて冷たい石畳の上にうつ伏せで叩き付けられるのはタダじゃあ済まない。
骨にヒビが入るだろうし、呼吸さえまともに出来ずにのた打ち回る事も出来ない。
意識を失ったらそのまま終了コースだ。
佐乃が"もう一発"を俺と彼女に浴びせるだろう。
ジ・エンド。
人生はゲームではないので"ぼうけんのしょ"なんて存在しない。
お気の毒だが亡き者とされてしまう。
――三択、一つ選べ。
その一、優しい眼つきの俺氏は突如新たな能力に覚醒する。
その二、仲間が助けに来てくれる。
その三、助からない。世界は理不尽である。
所謂"ポルナレフ状態"って奴か……?
多分違うがまあいいだろ。
こういう場合は焦らず、冷静に、消去法で行こう。
――その一の場合。
まず俺の現在出来る事ではこの状況で二人無事とは行かない。
涼宮さんに飛び込んだ時には既に"ブレイド"を手放して霧散させている。
再度具現化する事は容易いし、秒刻みより速くそれは完了するだろう。
俺一人が助かるだけなら"思念化"してしまえば衝突のダメージは受けずに済む。
しかしその場合眠れるプリンセス様は王子様ではなく地面と熱烈なキスを交わす事になってしまう。
つまり涼宮さんだけが助からない。
……ふっ。
そんな事させるかよ。
二人で助かりたいんだ、俺は。
俺じゃなくてアナザーワンなら情報操作とか何とかでぱぱっと解決だろうよ。
出来ないし、覚醒する要素がありません。
却下で。
――その二。
理想的だがその一よりまだ期待出来るケースだ。
仮にも閉鎖空間なんだから古泉辺りが異変を察知して。
「むっ! 今、涼宮さんの気配がしましたね。ちょうどここの屋上におられるみたいですよ。このままだと危険だ、涼宮さんは今にも地上へ落ちかねない危険な位置に立っています。彼女には自我もありません。それに、僕の元同志もこの空間に」
「お前の頭は正気なのか古泉。やれやれだぜ」
「――天蓋領域の……方も―――涼宮ハルヒの侵入を確認した……」
「ふん。どうせあの異世界人どもの仕業だろう。異世界屋の戯言にまんまと乗せられた結果がこれだ! ……僕は、あなたを失いたくないんだ……姉さん…」
「わたしには弟は居ません」
「んんっ、もうっ! 涼宮さんが死んだら、この世の終わりです!」
「現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるのよ。だったらもう現場の独断で私たちが行動しちゃってもいいわよね?」
と朝倉さんが困窮する場を男らしく纏め上げてくれるに違いない。
他の連中はいざ知らず朝倉さんなら俺のピンチに駆けつけてくれるはずだよ。
「そう、私と一緒に死んでくれる……でしょ?」
きっと俺と涼宮さんが落下するその瞬間に屋上に一歩遅れて到着したんだ。
それで宇宙人二人の情報操作で落下制御。
『機関』の裏切り者の佐乃をみんなでフクロにすれば万々歳だ。
もしくは原作通り神人が助けに来てくれるか……?
ご期待通りに現れてくれるのか?
でもキョンじゃない、俺だぜ。
涼宮さんだけが助かるパターンだって考えられるじゃないか。
俺は切り捨てられるために存在してるんだろ?
そもそも古泉と周防による謎センサーはアテに出来るのか。
あったと仮定しても検知から対処まで時間かかりすぎじゃありませんこと?
どれも現実味を帯びていない。
これも却下なのか。
そしてそれは、一瞬の内の出来事であった――。
――どすんっ。
「いっ!?」
地面に落下したにしてはやけに軽い衝撃。
確かに今の俺はうつ伏せの状態で身体を打ち付けた。
だが、何かがおかしい。
それもその筈だ。
眼に入るのはモノクロとセピアの光影が入り乱れていた閉鎖空間の明るさではない。
薄ら暗いが、現実世界なのは確かだ。
俺が這いつくばっている地面も石畳ではない。
ブラックとグレーのチェック柄のシックな絨毯の上だ。
床で、部屋、らしい。
北高なわけがない。
「……ここは何処なんだ……?」
うつ伏せのまま顔を少し上げて周囲を見る。
俺の直ぐ左横にはベッドが置いてある。
さっきの衝撃はここから落ちた、とでも言うのだろうか。
起き上がり、数歩先にある窓にかかっている遮光カーテンを開ける。
外の光景を見ても場所に心当たり何て無い。
近くには家が複数と、やや遠くには青々しい木が見受けられる。
窓から見える外界視野の高さからして恐らくここは二階ぐらい。
この家の一階じゃあない。
――家?
まあ、ここは家だよな。
しかし俺の自宅じゃない。
部屋に置いてあるものも、間取りも、全部知らない。
始めて見た。
「何だ何だ。俺は"驚愕"を読んだ事実と内容を多少思い出したけど、こんな展開があったのか?」
気持ちがよくなるくらいにいい朝の陽射しではないか。
ともすればここは死後の世界とやらか?
俺の恰好はさっきのままだ。
北高の制服であり、靴だって履いたまま。
「天の居城に土足なんて、バチが当たりそうだよ」
天国かまでは怪しいが。
この状況をどう判断すべきなのか。
なんて考えていると、こつんこつんと音がした。
窓の方から後ろを振り向く。
一般的な室内用の木製ドアがそこにあった。
何やらドアの外側から音がしているらしく誰か、あるいは何かが居るようだ。
「トラップか……?」
佐乃の仕業にしては変化球すぎる。
幻覚が使えるのなら最初からそうするべきだ。
最大限の警戒をして、そっとドアを内側へ開くと――。
「――パパー!」
そんな声と同時に、俺の脚にこれまた軽い衝突感。
勢いよく飛び出してきたそいつは。
「……子ども……?」
「おはよーっ」
小学生かどうかも怪しいちびっ子。
どう見立てようと十歳以下。
子供用のピンク色パジャマ――クマさんが無数に描かれている――を着た女の子。
いや、誰だよ。
その子は俺の方を見上げると。
「う? ……パパ、なんかへん!」
と言い出して直ぐに部屋から出て行った。
何だったんだ。
あの青い髪の少女は……。
「……誰かの家に飛ばされたのか」
それも見知らぬ誰かだ。
少なくとも女の子一人とその父親一人が家族構成として発覚した。
【よつばと!】のような家庭の事情じゃない限りは母親だって住んでいるはずだ。
とにかく、ここを後にしなければ。
迷惑どころか通報されてしまう。
少女の言葉から日本であることは間違いないらしく、"異次元マンション"の有効射程距離を検証するいい機会だ。
俺がさっさと床に"入口"を設置しようとしゃがみ込んだその時。
まずい、と思うよりも先に家の住人がこの部屋に舞い戻って来た。
「ほら! 見て見て!」
「どうしたのよ。まったく……」
さっきの少女と、その横には。
「朝倉、さ…ん……?」
下はデニムレギンスに、上は白のブラウス。
どう見ても私服姿なわけだが彼女はいつぞやと同じポニーテール。
かつて出会った未来の彼女とほぼ同じだが、どこかまだあどけなさも感じさせる。
朝倉さん(?)は俺の方に気付くと。
「あなた、どうしたのその恰好。昔に戻りたくなっちゃった?」
「ママ! 顔もちがう。パパじゃないー」
「何言ってるのよ……えっ……?」
彼女がそう言って驚いた瞬間、俺の視界はぼやけ始めた。
おいおい、説明しろよ。
これは何なんだ!?
お前の仕業なのかよ、アナザーワン。
やがて、急速に意識だけがその場から遠のいていくような感覚の中。
――ふふっ。昔の私とお幸せに。……じゃあね。
何度も聞いた彼女の声。
俺は彼女から似たような台詞を、アニメで聴いた覚えがある。
この世界では言う事がなかったはずの台詞だ――。
「――ん、うおっ!」
気がつけば次の瞬間、数センチ前の俺の視界の一面には石畳。
さっきまで居た部屋ではない。
いや、この光の感じは閉鎖空間。
どう考えても地面に激突寸前なのだがいつまでもそれは実行されない。
俺と意識を失っている涼宮さんは、宙に浮いているような形だった。
右腕で抱いているこの感触を意識するな俺。浮気にはならん。不可抗力だ。
後少しでも遅れていれば俺と彼女は叩き付けられていた。
俺は体勢からしてお腹から。
……そしてやれやれ。
「やっぱりオレは信じてたぜ、お前等」
"その二"で正解だったようだ。
すんでの所で俺と涼宮さんは助かったというわけだ。
いいや、助けられたのさ。
「――」
「オレだけ先に降ろしてよ。このままだと涼宮さんが地面にぶつかっちゃうから」
「――」
すると周防はこっちにてくてくと歩いて来て、俺の左腕を掴むとひょいっと片手で持ち上げられた。
彼女の細身にどんなパワーが秘められているのか?
今更だったが、とにかく俺は地面に立たされる事になった。
少しバランスが乱れたが体勢を整える。
「ありがとよ」
「――礼なら不要よ……」
「もっと笑えって」
気付けば周防の後ろには藤原と橘京子が。
呆れた様子で未来人は。
「君一人に任せたのが失敗だった……せめて朝倉涼子ぐらいは連れて行けばいいものを」
「藤原さん、そんな事言わないで下さいよ。異世界人同士の語らいに水をさしてはいけませんって」
「ふん。所詮イレギュラーの小競り合いだ。だが、涼宮ハルヒは未来に必要な存在。姉さんと僕とでは考え方が異なるだけだ」
「はあ、素直じゃないんですね……」
ふと周防を見ると涼宮さんをいつの間にか寝かしつけていた。
彼女はこちらを見ると。
「――わたしの転移は"現象"により阻害されている……この空間から脱出させる事は不可能」
「いいって。オレの方にアテはあるから」
「明智黎の能力……ここで正常に作用出来る……?」
さあな。
宇宙人の技術で無理だとしても大丈夫でしょ。
超能力者だって居るんだから。
古泉と橘が協力すれば……みんなで協力すれば大丈夫さ。
ま、差し当たっての問題は――。
「――な、何ぃいいいいっ!?」
あそこの勘違い野郎をとっちめる方が先だ。
数十メートル先に立つその男。
直ぐに俺はブレイドを具現化し、攻撃に備える。
この距離だ。障壁の展開なんて余裕で間に合う。
「さあ! 超能力とオレの能力、どっちが堅いか勝負と行こうじゃあないか!」
そんな挑発に返事するよりも速く佐乃は再び光球をこちらに投げつけようとする。
だが、それは決して叶わなかった。
「……」
「う、腕が……身体も……動かない…!」
佐乃の振りかぶった左腕は肩より後ろにある状態で停止している。
彼の意思で攻撃を停止している訳ではない。
裏切り者の超能力しゃのその後ろ。
そこに立つ佐藤の更に後ろから、そいつらはゆっくり歩いて来る。
未来人、超能力者、鍵、そして"二人"の宇宙人。
涼宮さんは周防たち三人に任せて、俺もそっちへ近づいて行く。
つまり"挟み撃ちの形"になった。
佐乃越しに俺は語りかける。
「長門さん」
「……遅れた」
無表情ながら、眼鏡の彼女はどこか申し訳なさそうにそう言った。
こちらの世界はβ寄りなはずだ。
わざわざ制服に着替えて家からここまで飛んで来たのか。
でも、どうやってこの空間へ入ったんだ?
そもそもみんなはどうやって俺と涼宮さんのピンチを?
古泉は笑顔で悪びれもせず。
「あなたの制服の内側をご覧下さい。そう、内ポケットです」
言われるがままに覗き込んでみる。
すると、今まで違和感を感じていなかったのが不思議だったぐらいだ。
買った覚えのない万年筆が一本入っていた。
……まさか。
「盗聴してたってわけか? いつの間に」
「さて、いつでしょう。ご安心下さい。仕込んだのは昨日の夜ですよ」
「そういう問題かよ」
「話はだいたい聞かせて頂きました。何せ、涼宮さんがこの場に登場するなどといった異常事態を看過することは出来ませんので」
やっぱり超能力者特有のシックスセンスがあったのか。
古泉の同志なら長門さんも閉鎖空間へ送れるだろう。
今、この空間の何処かにその同志さんは居るのかもしれない。
でも、それを知っているのなら同じ超能力者の佐乃は何故こんな手段に出たんだ。
先に古泉たちを処理するべきだったはずだろ。
古泉は途端に無表情になり、静かな怒りを感じさせながら。
「佐乃さん……いいえ、浅野さんと呼ぶべきでしょうか。あなたは涼宮さんを裏切った。そのあなたが、涼宮さんに見捨てられるのは当然の帰結。最早超能力者ではない。あなたが振るう力は、ただの暴力だ」
「古泉……一樹……!」
「お察しの通り、僕は超能力者で、『機関』の一員です。僕を"リーダー"と呼ぶのはあなたの勝手です。自分では指導者として務めているつもりはありませんので」
その瞬間の古泉は味方の俺でさえブルっと来るぐらいに恐ろしい笑顔だった。
とん、と彼が佐乃の手首に手刀を当てると宙に顕在していた光球は消えてしまう。
今のどうやったんだ?
「事態を把握した後、直ぐに実働隊へ連絡しましたよ。宇宙人の技術をもってしてもこの空間内での情報操作は困難だそうです。朝倉さんにとってあなたの相手は荷が重い役目だ……とは思いませんでしたが、"念には念を"。長門さんを呼びつけて、二人がかりであなたの動きを拘束させてもらいましたよ」
「……」
「これで限界なんだから、情けなくなっちゃうわね」
「それだけこの空間内における超能力者の優位性は高いという事ですよ。あなたがたと戦えば、負けるのは僕たちの方ですが」
「命を奪うだけなら他にもやりようはあるもの」
笑顔で物騒なのは朝倉さんもなのか。
キョンと朝比奈さん(大)も苦笑している。
俺だってしている。
キョンは「やれやれ」と呟いてから。
「ハルヒを巻き込みやがって。その身体の持ち主がお前じゃなかったら思い切りぶん殴ってたところだ」
佐乃秋という本来の人格に罪はない。
彼は時が止まっているのだ。
四年前の小学校六年生から今まで。
涼宮さんだけの責任ではない、俺の、責任だ。
もう一人の俺の眼は死んでいなかった。
自分が死んででも俺たち全員を殺さんとする意思がある。
それさえも、今は叶わないが。
「直ぐにでも動きたかったのよ?」
朝倉さんはどこか苛々した口調でそう言った。
そして佐乃とすれ違い様に「無駄な努力、ご苦労様ね」と一言。
俺の左横までやって来た。
「驚いた一瞬の隙を突く必要があったから……。明智君の危険を知ってて動けなかった、私が悔しい」
「その気持ちだけでお釣りが来るよ。後は朝倉さんが笑ってくれればそれでいいさ」
「攻性情報を殆ど使い果たしちゃった。彼の無害化のためだけに」
「オレのわがままだ」
「気にしなくていいわよ。今更」
少し離れた場所で、佐藤は何も言えない表情で俺たちの光景を見つめていた。
こう言っては何だがご都合的すぎる展開だった。
まるで俺が、物語の登場人物にでもなったかのような感覚。
佐藤と佐乃を除く、俺たち全員が主人公のようだった。
「終わった」
長門さんはぽつりと言う。
確かにそうさ。これ以上の山場は無い。
敗者は勝者に従うのみ。
――さっき見たあの光景は何だったのか。
もしかすると、あれは未来だったのかも知れない。
俺を『パパ』と呼んだ少女。
青い髪で、どこか朝倉さんに似ていたような気がする。
眼つきの悪さなんて彼女にはなかったけど。
彼女は俺の娘なのだろうか?
俺と朝倉さんの。
「……なんて、ね」
「どうしたの?」
いいや。
どうもこうもないさ。
未来がどうあれやるべき事は決まっている。
これから。
「学校を出よう!」
この閉鎖された精神世界から出よう。
誰一人欠けることなく――。
「――みんなで」
その答えは、"イエス"なのさ。