これから僕が語りたいのは単なる思い出話だ。
――否、事実。
本来であれば覚えている全てを語りたいのだが、僕の記憶の一部は欠落している。
しかしながら、一番忘れたい記憶だけは忘れられなかった。
いつだってそうだ。世界は不条理でしかない。
白か、黒だ。
……手初めに少し昔の話をしたい。
所謂僕の幼馴染だった友人の女性についてだ。
いつから彼女が僕に付きまとっていたかは覚えていない。
気が付いたら既にそこに居たのだ、残念な事に迷惑でしかなかったが。
僕にとって、世界はつまらないものでしかなかった。
何故ならば何も無いからだ、宇宙人も未来人も異世界人も、超能力者さえも否定されていた。
ともすれば自分がとてもちっぽけな存在にしか思えなかったのだ。
だからこそ僕は自分でお話を考える事にした。
世界がつまらないのなら世界を創ればいい。
最初は絵本の方がマシな次元の出来栄えだった。
世の中にはありとあらゆる本が存在する。そんな事は知っている。
だがそれは、僕の世界ではない。他人の世界だ。知りたくもなかった。
そんな僕の創作活動を邪魔するのは友人だった。
「ねえ、あなたはいつも机に睨めっこしているか黙っているかじゃない」
「……」
「何を考えているの?」
「……」
「ちょっと!」
頭を思い切り殴られた。
グーだ。
「――いっ! な、何をするんだ!」
たまらず椅子から立ち上がり睨み付ける。
しかし彼女は全く物怖じしなかった。
「わたしの質問に答えるのが先じゃないの」
「いつどこで君と僕がそんな優先順位をつけたんだ。黙秘権以前の問題だ。話したくないだけだ」
「何ですって?」
もう一度グーが飛んできても可笑しくはなかった。
僕は基本的に女性を殴ろうだとか非紳士的な行為が嫌いだ。
だからこそ折れるのも基本的にこっちだった。
「わかったわかりましたよ。落ち着くんだ。……で、何について質問したんだ?」
「あなたはいつも何考えてるのって話」
漠然としすぎだ。
何を考えているのかなんてのはケースバイケースだろうに。
それでもこれだけは確かだ。
「君の事――」
「え、ええっ!?」
「――では当然ない。時間の無駄だからな」
「……何よ」
と言いながら殴りかかって来るが、視界内の攻撃をわざわざ受けてやるわけがない。
半身になって回避する。
すると何故か彼女は涙目になっていた。
僕に真面目に答えてほしいらしい。
「この世界がいかに下らないかって事さ」
もし僕たちの関係が友人や幼馴染以外にあったとしたら……。
僕が話を考える方の担当ならば、彼女は話を知る方の担当だったと言える。
アニメ小説映画漫画、"お話"と定義できる文化作品に対する貪欲さは異常であった。
僕にはそれが理解出来なかった。
そして、その理解のチャンスすら永遠に失われたのだ。
――何てことはない。
彼女が死んだだけだ。だたのそれだけ。
誕生日である11月11日の2日後、11月13日に。
まるで僕も一緒に死んだような気分だった。
己の半身が……いや、全身が失われたような感覚。
気が付けば創作活動をしなくなっていた。
ある人が言うには、僕が彼女の誕生日に一緒に居てやらなかった。
そのせいで拗ねてしまい、呆然と歩いている所を車に撥ねられたのだと言う。
脳挫傷だった。
僕が悪いのかどうかなんて事はわからない。
彼女の口癖だけを、何故か僕は思い出せなかった。
とにかく、これで明らかになったのだ。
世界は二元論で支配されている。
過程は虚構でしかない、幻想でしかない。
白か黒の二色でしか構成されていなかった。
ならば僕が人間世界を捨て、情報の世界を知れば、機械を知れば何かが変わると思った。
資格があったところで自分の視覚には何ら影響しない。
その内この世界すらも、0と1、結局白と黒でしかない事に気付くのはそう遅くはなかった。
――だからこそ、僕は世界に復讐した。
"サイバーテロ"なんて生易しいものではなかった。
僕が実行したのは"ファイアーセール"。
国の、世界のありとあらゆるインフラを破壊する、サイバーテロの最上位。
そのための組織を集めた。顔も名前も知らない連中だった。
末端を考えると何人なのかは知らない。僕がリーダーだっただけだ。
だが、結果として確かにそれは完了した。
僕は社会を、世界を滅ぼしたのだ。
――その時、ようやく気付いた。
僕がやっているのは人殺しに他ならない。
情報社会の崩壊に伴い、間接的にだが多くの命を奪った。
当たり前だ、ある日突然世界が変わる。
常人はそれに耐えられない。進化は出来ても退化は出来ない。
文明の繁栄は不可逆だ。
そして最初に殺したのは彼女だったのだと。
当分は見られないアニメ番組を回想しながらベッドに崩れ落ちた。
多分、心臓麻痺か何かだ。動けない。
それが最後の記憶。
……ではなかった。
「――で、僕は誰なんだ?」
ふと気が付くとベッドの中で朝だった。
それどころではない、知らない部屋だ。
いや、知っている。
僕は知らないが知識として知っている。
どういう理屈かはわからないが、僕は他人の身体に憑依してしまっている。
死んでしまった幽霊って訳か。
この身体の持ち主は小学校六年生にして身長160cmを越えていた。
しかしながら死んだ可能性が高い僕が小学生に憑依するより、恐ろしい出来事があった。
――突然流れ込んできた情報。
とある能力、使い方、誰の仕業か。
それは。
「……涼宮ハルヒ、だと?」
彼女を知らない訳がなかった。
【涼宮ハルヒの憂鬱】に登場するメインヒロイン。
友人である彼女に付き合わされて、アニメを見させられた。
彼女の死後、原作も全て読んだ。
最後に刊行された"驚愕"は随分とお待たせしてくれたが、それなりに面白かった。
もっとも今まで読んだ巻の大部分の内容は記憶として欠落している。
はっきり内容に関して思い出せるのはそれこそ"驚愕"だけだった。
それでも解ることがある。
「どうやら僕は超能力者らしい」
やがて何をするでもなく、苦痛でしかない小学校生活における救いの一つ。
いわゆる夏休みが始まった。
そして彼も突然僕の前に現れた。
ある日、アテもなく散歩をしていた時だ。
「――初めまして。あなたも、僕と同類でしょう? 僕にはわかるのですよ。あなたにもわかるはずです」
僕とそう変わらない年代の男の子。
身長だって同じくらいだ。
だが、小中学生がするにしては大人しいファッション。
何より顔が、どことなく似ていた。
あの作品の登場人物。
その少年は僕に笑顔を絶やさず話を続ける。
「得た能力を使って、世界の終わりを阻止しなければならない。僕たちにはその使命があるのですよ」
「わかっているさ。涼宮ハルヒ、だろ」
「はい。既に理解しているかと思いますが、僕たちのような人間は他にもたくさん居ます」
「で、僕に巨人狩りの協力をしろって訳か」
「流石に話が早いですね。そして何より落ち着いていらっしゃる。僕の調べた所だとあなたは、『何の変哲もない年相応の小学六年生』となっていましたが」
「君だって僕とそう変わらないように見えるけど?」
彼はどうやら一個上らしい。
中学一年生。
やはり大して変わらない。
それどころか僕は精神年齢26歳だ。
言わせてもらうとどうやって僕について調べたんだ?
「僕の言動に関しましては家庭の事情ですよ。あなたの調査もその関係が多少あります」
「そうかよ。……で、どういう集まりなんだ? それ」
「僕の同類に関してはあなたで丁度10人目。僕を含めると11人になります。能力者の他にも外部の協力者や、人材に関しては数十人ではききません。そこまで含めますと、僕でも正確な人数はわかりかねます」
「ちょっとした中小企業みたいだ」
ええ、と彼は肯定した。
間違いない。
彼も確かに"超能力者"だ。
「一つだけ教えてくれないか」
「何でしょうか」
「君たちの集まりは、何て名称なんだ?」
すると彼は突然微妙な表情になった。
やがて、口を開いたかと思えば。
「……実の所、まだ名前と言える名前はありません。決めようとすら考えていませんでしたので」
「それじゃあ困るでしょ」
「僕たちの集まりはあくまで涼宮ハルヒが主体です。"彼女を護る会"という自覚があれば充分ですよ」
「はぁ……」
ならば、言ってみるだけの価値はあるさ。
僕の意見が採用されるかは不明だけども。
なんだか面白くなって来た。
間違いなくここは【涼宮ハルヒの憂鬱】の世界だ。
あの二元論に支配された世界ではない。
「じゃあ僕が考えた名前なんだけど」
「何かあるのですか? 相応しいのであれば検討しますが」
「ズバリ、『機関』ってのはどうだ」
「『機関』ですか。……なるほど、確かに僕たちにはこの程度の、単純な名前が相応しい。僕たち個人には意味がないのですから」
ともすれば、黒塗りのタクシーがやって来て僕と彼の横で停車する。
彼はドアが開いたタクシーを眺めながら。
「これから少々お時間をいただけませんか? 夕方には帰しますので」
「誘拐犯みたいじゃあないか、それ」
メンバ構成は不明だけど、女子が居ないとは限らない。
勘違いでも声はかけれないな。
「……僕は毎回それと似たような言葉を聞いていますよ」
なら誘い文句を考えるべきだ。
どうもこの少年は内気にも見えた。
それも"家庭の事情"なのだろうか?
僕には関係ないが。
「話は早い方がいいとも聞くよ。それと」
「まだ何かありますか?」
おいおい、重要な事さ。
「僕は君の名前を聞いていない」
「これは失礼――」
僕の方へ直ると、彼は一言だけ、はっきりと自己紹介した。
見ただけでわかる。間違いなく彼がリーダーだった。
「――古泉一樹と申します」
「よろしく。僕の名前は――」
とにかく、この時の僕は勘違いをしていた。
僕は【涼宮ハルヒの憂鬱】という世界を、舐めていた。
超能力者は、何故か閉鎖空間の発生を知覚出来る。
僕も例外ではない。
神人狩りも体力勝負ではあった。
しかし人間は順応する。超能力者も普段は一般人。
僕が順応できなかったのは、あの世界だけだった。
「……また、か」
涼宮ハルヒの精神は、それはそれは不安定だった。
連日連夜の閉鎖空間も稀ではない。
これでは順応と言えど限界がある。
多少のローテーションは組んでいるが、控えとしては出動する必要がある。
一苦労どころでは済まないと感じていたこの日の閉鎖空間はやや大きかった。
急いで夜中に家を出ようとした。
その時。
「――ねえ。アンタってさ、能力者なんだよね? それも、涼宮ハルヒのための」
見た事もない女性が、そこに立っていた。
どこか見覚えがあるセーラー服。
いや、あれはあの高校のものじゃあないか。
街灯の下、彼女は語る。
「アタシはアンタたちと同じ有機生命体ではない。アタシを知ってるか知らないかはさておき、アンタたちの邪魔をしに来た」
何を言っている?
邪魔、だって?
こんな事をするのは橘京子……あの集まりか。
しかし彼女も神人を捨て置くとどうなるかわからないわけではない。
「待ってくれ。君が何者かも知らずに勝手に話をしないでくれないか。仕事の邪魔だ」
「だから、その邪魔が狙いなのさ」
「僕一人を相手に邪魔だって? 他に仲間がどれだけ居るんだよ」
「アタシだけさ。単独犯。でも、能力者と言っても通常空間では何も出来ない。一人ずつ始末すればいい」
「何を言って――」
その瞬間、急に辺りが明るくなった。
まるで昼のようだ。
「ここら一帯はアタシの情報制御下。邪魔を邪魔されたくない」
「君は、何者だ……?」
彼女は僕に向かってゆっくりと歩く。
赤のロングヘア。
鋭い眼。
獣のような、獰猛さが感じられた。
「情報統合思念体――とは縁を切ったけど――の急進派。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」
「……"宇宙人"、か」
「何それ? 意味がわかんない。有機生命体は何かに例えたがるのか」
「僕をどうしようって?」
「だから、アンタたち能力者の始末。一人ずつ消してけば閉鎖空間もいずれ手が回らなくなるでしょう。アタシは現状に飽き飽きしてんの。こんな世界は終わってもいい」
……狂っている。
これでは原作も何もない。
大筋など知らないが、間違いなく古泉一樹は現在中学一年生。
驚愕の時点では高校二年生だろ?
『機関』が崩壊すればどうなるんだ。
古泉も、殺されるのか。この赤髪宇宙人に――。
『――待ちたまえ』
「……何よ?」
その人物は、宇宙人の背後から突然現れた。
声と言う声が、まるで聞き取れなかった。
『私が何かと訊ねられればどう返答するべきか』
「アンタ、どうやって入って来たの?」
『ふむ。気になるかね』
「インターフェース……ではないか」
『私は私だ。ただの死人だよ。この空間に侵入したのはちょっとした能力の応用でね』
黒のロングコート、皮手袋、ブーツ。
顔には"ガイ・フォークス"の仮面とシルクハット。
『いい機会だ。二人とも、退屈しているのだろう?』
「……何言ってるのよ」
『ふむ。君は"進化"を求めているね。情報統合思念体と同じだ』
しかし、これは本当に何となくだ。
僕はこの人物と、どこかで出会った事がある。
『私が君たちに望むものを与えよう。その、プランもある』
「……アンタがどれだけ利用できるって?」
『私は知っている。これから先に起こるのは間違いなく変革だ! ……だが、今日ではない』
「いつかわからない話を理解しろ。私がただの人形だからって、それは合理的ではない」
僕は違う。
この人物の発言を"信用"していた。
"信頼"ではない。
『気に入らなかったら私を殺せばいい。多分、無駄だがね』
「……じゃ、遠慮なく」
宇宙人女の手元が発光した。
次の瞬間にはその仮面の人物が貫かれていた。
女の右手は、鋭い先端の触手になっていたのだ。
「な、馬鹿な……」
「あっけない。次は、アンタでいい? 順番の前後は気にしないでね」
女はそう言って触手を仮面の人物の胴体から抜き去る。
しかし、血の一滴も流れていない。
それどころか服に傷がついていない。
風穴が空いていないのだ。
『予想通り。私を殺せなかったようだ』
宇宙人女も、僕も、動けなかった。
この仮面の人物は"アノニマス"のそれよりも、不気味であった。
でなければ幽霊だ。
『もう一度言おう。私が、君たちに望むものを与えよう』
僕の望みは、彼女との再会だった。
あの日に戻ることだ。
――そして。
2007年4月の現在。
某高校の一角。
「……この作戦、本当に上手く行くのか?」
「フフ……怖気づいたの」
まさか。
君が居れば僕は無敵だ。
「そう言ってくれるのはありがたいけど、わかってるのかしら。あなたのリミットを」
「今年の11月13日、だろ」
「ええ。時が来れば間違いなくあなたは死ぬ。元の世界のあなたも」
無茶な話だよな。
何より可笑しいじゃあないか。
「どうして僕だけなんだ? 元が同じ人間で、あっちは死なないってのが不公平だぜ」
「同じこと。このままだとやがて破滅する」
「……君に振り回されるのも懐かしいな。あっちは君を覚えていないんだろ」
「それも、運命」
その通りだな。
運命、因果、宿命。
最高じゃあないか。
「行きましょう」
「了解。顔見せだけ……とは行かないだろうさ」
「明智黎は真実を知りたがっている」
「僕が行く必要あるのか?」
余計に混乱するだけじゃあないのか。
僕ならきっとそうなるね。
そんな僕の独白を聞いた彼女は。
「昔の浅野君なら違ったわよね。偉そうな事ばかり」
「反省も後悔もしたさ。だからこそ僕は死ぬわけにはいかない」
――明智黎。
僕はお前とは違う。僕は彼女を覚えている。
お前を殺してでも、僕は生きてやる。
だが、今日じゃあない。
「先輩たちが待ってるわよ」
「……歓迎されに行くとしようか」
文芸部員希望の、新入生として。