とある科学の滅びの獣(バンダースナッチ)   作:路地裏の作者

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081 散華―グロリアスデス―

 

 見渡す限りの悪意が蠢く。一つとして同じ姿のいない異形どもが、悪意の王からの命を受けて這い寄る。それは、さながら死者の軍勢。あらゆる生ある者を恨み、憎み、永遠に嫌悪する怪異そのもの。生命ある者たちにとって致命的であるはずの軍勢は――。

 

『愚かな! ついにヒトの意志すら失くした者どもよ! お前たちでは決して敵わぬということすら忘れたか!』

 

 鎧袖一触。たった一体の騎士に、紙屑のように弾き飛ばされた。その様は精強、その槍は無双。たったひと振りで近づいてくる異形を全て弾き飛ばした≪騎士(ナイト)≫は、己が魂そのものとも言える槍に、火を灯す。内に秘めた焔が、光が、眩しい程に迸る。やがて、包んでいた殻すらも割り砕いて、彼の魂の槍――『ミストルテインの槍』がその真なる姿、双頭の光の槍へと変貌する。

 

『忘れたとあらば、思い出させてやる――意志と共にお前たちが捨ててしまった、本当の”力”というものを!!』

 

 今や光そのものと言える神の槍を振るい、≪騎士(ナイト)≫は蠢く闇へと斬り込んでいった。

 

 そして、彼らの上空を、高速で飛び交う者たちがいた。翼や翅の生えた異形。かつてモデュレイテッドであった時に、それらの器官を新たに獲得することに成功した者たち。彼らは己の特性を生かし、空から目標点へと攻撃を仕掛けるつもりだった。

 

 しかし、さっきから一向に進むことが出来ない。≪女王(クイーン・オブ・ハート)≫によるものでは無い。先程から無限のように沸き続け進行し続ける軍勢が、ある地点の先で謎の崩壊を遂げているのだ。既にヒトですら無くなった異形には、その原因を推察することすら出来ない。

 

『……とうとう、考えることすら出来なくなったか』

 

 不意に背後から響いた声に、反射的に異形達が振り向く。意志を失くした彼らにとって、それは思考ではなく、ただの反射。心を失くした彼らにとって、その声に含まれる悲嘆を感じることは永遠にない。

 

『ARMSの意志どころか、移植者の意志すら失くしてしまったお前たちでは、決して我らには勝てん……』

 

 その瞳に、その声に、意志あるが故の悲しみを、哀れみを、嘆きを乗せて、≪白兎(ホワイトラビット)≫は語る。既にその言葉は届かないと、理解っていて、なお。

 

『言ったはずだ! ”意志”こそが、無限の可能性だと!!』

 

 巴武士の意志と、≪白兎(ホワイトラビット)≫の意志。その二つの意志によって生み出された無窮の光を纏い、音速を超えた≪白兎(ホワイトラビット)≫は、一筋の閃光となって駆け抜けた。

 

 雲霞の如く押し寄せる異形の群れ。天を≪白兎(ホワイトラビット)≫、地を≪騎士(ナイト)≫が押し戻す中、砲戦に特化したモデュレイテッドたちが執拗に攻撃を加える箇所があった。炎が、雷が、あらゆる破壊が一点に集中して放たれていく。まるで、その煙の向こうを見ないように。その先にいる存在を、必死に否定するかのように、最も多くの力が集約していた。

 

 そんな破壊の爆心地に、魔獣の咆哮が響き渡る。

 

『オォオオオオオオオオオオオアァアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――!!!』

 

 炎が、煙が吹き飛ばされる。奥から出てきた敵に、破損は一切ない。それがどれほど絶望的な事実なのか、考えることすら出来ない異形たちは、ただ機械的に自分たちの砲塔を向けた。

 

 ≪魔獣(ジャバウォック)≫がその掌に宿した、”破壊”の光を理解しないまま。

 

『何度も言わせるな……!』

 

 炎を喰らい、雷を喰らい、膨れ上がる真の”破壊”そのものは――

 

『ARMSの何たるかも理解せず、”力”のみを求めてきたお前たちでは…………我らには勝てん!!』

 

 ――≪魔獣(ジャバウォック)≫の叫びと共にその掌から解き放たれ、周囲の異形を焼き尽くした。

 

 ……その一連の光景を見ていたキース・グレイは。かつて胸に抱いていた炎が、再び灯るのを感じていた。そうだ。これだ。何者にも阻むことが出来ない、ヒトの心。プログラムなどに左右されず、最後にはそれすら食い破った確固たる”意志”。彼らオリジナルのことを知った時、彼がどうしようもなく惹かれ、尊敬の念を抱いたのは、彼らの剛く堅いその意志によるものだった。

 

 ――父の作った、試験管のようなプログラムすらも打ち砕ける”意志”だった。

 

(どうして……!)

 

 自分はどこで、間違えてしまったのか。どうして彼らの傍らで、父と戦う道を選ばなかったのか。一握の灰となって崩れていく中で、心に抱いていたのは、ただその後悔だけだった。

 

 そんな彼にとって、その声は、福音だったのかもしれない。

 

『――――グレイ。顔を、上げるんだ』

 

 自分の声に、どこか似通ったハスキーな声。その声に驚いて、思わず俯けていた顔を上げた。そこにいたのは、自分とよく似た顔立ちの、ベリーショートの金髪を持つ妙齢の女性。かつて知られていた鋭い面差しは、どこか柔らかさを持った物へと変化していたが、その美貌は忘れない。

 

「バイオ、レット…………?」

 

 ≪ハンプティ・ダンプティ≫の中にあった記憶でしか知らない存在。自分と同じ染色体を持ちながら、唯一の女性体クローンとして生まれたキースシリーズ。決して会うことは無いと思っていた――――自分の、『姉』。

 

彼ら(オリジナル)と共に、私の所にもお前たちのテレパシーは届いていた。この世界の事情も、こちらでお前が起こした事件についても把握している』

 

 そう告げたバイオレットは、グレイの傍らへと膝を突き、その身体を抱き上げた。ごく近い距離で、双子のように似通った視線が交錯する。叱責を覚悟し、ぎゅっと力を籠めて瞳を閉じたグレイを……バイオレットは、その優し気な手つきで撫でた。

 

『……お前は、悪くない』

 

 その言葉に、グレイの頑なだった心の奥底に、罅が入った。

 

『私たちキースシリーズは、皆作られた存在として、自分自身の基盤を求めるようになる。ブラック兄さんも、シルバー兄さんも、グリーンも……私だって、そうだ』

 

 愛おし気に、優し気に撫でられるたび、グレイの鎧がはげ落ちていく。キース・グレイとして、『王』を求めた者としての矜持が、根こそぎ融けていく。

 

『私たち兄弟の中には、自らの存在を確固たるものとするため、狂気に奔る者すらいた。無暗に生命を奪い、それによってしか自分を保てない者すらいたんだ』

 

 やめてくれ。これ以上、僕を弱くしないで。

 

『けれど、お前はそんな殺戮に走らなかった。あくまで計画ありきではあったが、助けられる者は助け、助けようとする努力を惜しまなかった。それは、父の干渉を受けている中でも、決して変わらなかった。……だから、な』

 

 これ以上、弱くなったら――――。

 

『お前は、私たちキースシリーズ(きょうだい)の、”誇り”だ』

 

 ”涙”を、堪えることが出来ないから。

 

「姉、さん、ね、えさ……! う、ぁ、あ、あぁああああああああああああああああああ!!!」

 

 キースシリーズの末弟としてではなく、冷酷非道な計画の主導者としてではなく、今ようやく一人の十歳の少年に戻って、グレイは泣いた。進んで、迷って、足を止めて。全てのしがらみを取り去って、やっと一人の少年に戻れて、グレイは泣いた。

 

 バイオレットは、ただ黙って弟を抱き締めていた。その涙が止まるまで。その慟哭が治まるまで。彼の身体に微細な罅が入っていくのを目にしながら、その罅が少しでも遅くなるようにと願いながら、力の限り抱き締めていた。

 

 やがて、しゃくり上げながらも、グレイは泣き止み、未だ涙の跡が残る顔を上げた。

 

「……まだ、僕たちにも出来ることはあるよね」

 

 その瞳には既に決意が満ちていた。バイオレットが何か伝えたわけではない。けれど聡明な弟は、伝える前から全てを悟っていた。……その結果、どうなるかも。すべて。

 

『……今現在、戦況は四体のオリジナルによって維持されているが、彼らは所詮散布されたナノマシンで形作られた仮初の存在だ。元凶たるキース・ホワイトを打破するには、こちらの世界の者たちの協力と、バンダースナッチの適合者、佐天涙子の覚醒が必要だ』

「うん、わかってる」

『佐天涙子の覚醒には、既に”彼女ら”が取り組んでいる。だから後は、こちらの世界の者たちの協力と、彼らの強化が必要になるわけだが……』

「……やっぱり。そう、なんだね」

『…………』

 

 語らずとも、伝わった。伝わってしまった。

 

僕の中の(・・・・)すべての(・・・・)()”、それを僕の身体と共に(・・・・・・・)、周囲一帯に分け与えればいいんだね」

 

 現在戦力外となっているこの街の住人達を強めるには、それしかない。幻想御手(レベルアッパー)を取り込み、アザゼルさえ取り込んだ原初にして無限の可能性。何にでもなれるグレイが、この街で今も戦っている彼らに、最適な”力”を届けるしかない。

 

 その言葉を告げた時、今度はバイオレットが泣きそうな顔になっていた。ミストルテインの槍で斬られたグレイは、助からない。そんなことは分かっているはずなのに、涙を必死にこらえていた。グレイはそんな彼女の顔が、少しだけ可笑しくて、和らげるように笑みを浮かべた。

 

「…………大丈夫。悲しくないよ」

 

 この街に来て数年。思えば生まれてからほとんどの時間を、この街で過ごしてきた。眩しい位明るいこともあれば、唾棄すべき闇もまた隠れている。どうしようもない街だけど、それでも。

 

「ずっと過ごした、この街で死ぬんだったら、そんなに悪くない、から、ね…………」

 

 キース・グレイだったものたちが、”灰”となって砕けていく。大地に積もり、風に舞い、空へと舞い上がっていく。バイオレットは彼の最期を看取り、その頬を涙で濡らしていく。

 

 そんな彼女を見ながら、グレイの意識は、空にあった。

 

『……お前もまた、”生”を解き放ったのだな』

 

 彼のすぐ後ろで、そんな声が響いた。振り向くと、漆黒のスーツを纏った長髪の男性が佇んでいた。

 

『セロよ……ならば、俺達もまた、この自慢の弟の行動に力を貸そうか』

 

 その脇に、また新たな男性が現れた。今度の男性は短髪、ワイシャツにネクタイを締めた姿。

 

『”力”が足りぬとあらば、俺達の”力”も渡すと良い』

 

 また新たに、軍服の男性。

 

『そうだね、兄さん。カツミの”力”を受け継いだ少女と、その友人の為だからね』

 

 新たに、年若いスーツの青年。

 

『プログラムに抗い、自らを取り戻す為だというのなら――オレも力を貸そう』

 

 最後に、少しだけデザインの違う軍服に身を包んだ男性。

 

 グレイの周囲を、いつしか多くの人々が囲んでいた。それはかつて去って行ってしまった人たち。決して会えぬはずだった『きょうだい』たち。

 

「ああ…………ここが、僕の”居場所(いえ)”だったんだ」

 

 その言葉を最後に残し、グレイの意識は空に溶けていった。

 




グレイの、最期……!唯一残ったキースであるバイオレットと、去って逝った『きょうだい』に看取ってもらいました。最後の最後に、彼は十歳の少年に戻ることが出来ました。

周辺一帯への”力”の譲渡。とある勢をこの頂上決戦に参加させるために思いついた苦肉の策。これをやるためには、グレイの犠牲が必要になるという……。

最後に出てきた歴代キース。彼らの”力”は、近くにいる佐天の友人たちへと受け継がれます。誰が何を受け継ぐかは……次回!

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