セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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28 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編⑤

 

 

「あの……何かすいません、鷺森さん」

「何を謝る必要があるの?」

 

 隣を歩く灼からは、にべもない言葉が返ってくる。小さな肩を怒らせていた。感情を持て余しているのは、京太郎にも解った。

 

 だからこそ謝ろうとしている訳だが、確かに灼の言う通り謝る理由はない。平等な条件で勝負をした。そこで誰も不正はしていないし、勝負は両者の合意の下に行われた。

負けたからと言って、勝負が終わった後にがたがた言うのは恥ずかしい上に格好悪い行為である。

 

 灼も、勝負の結果に納得はしているのだろう。

 

 しかし、理屈と感情は別である。負けたという事実をすんなりと受け入れることは、とても難しい。その競技を愛しているなら尚更だ。麻雀に置き換えて見れば、灼の悔しさとやり場のない感情は京太郎にも良く解った。ここで灼に謝っても意味はない。それも解っているのだが、やはり謝らずにはいられなかったのだ

 

 不機嫌な灼の横顔に、京太郎の口からまた謝罪の言葉が出そうになるが、それは寸前で飲み込んだ。直接言われた訳ではないが、言うなと言われたに等しい。相手が言って欲しいのでなければ、いくら真摯に謝罪の言葉を口にしても意味がないどころか、火に油を注ぐ結果になってしまう。

 

 だから京太郎はこっそりと、溜息を吐いた。

 

 先程のボウリングは、灼の敗北という形で幕を閉じた。

 

 都合2ゲーム。まず最初の1ゲームは、灼がありえないくらいに不調だった。逆に京太郎は絶好調。最高スコアを更新する結果を出し、六人の中でトップに立った。その時点で灼の目に炎が灯り、辛うじて残っていた遊びの雰囲気は消滅した。

 

 全力で行くという灼に京太郎は、今度は自身の絶好調が去ることを切に願った。珍しく天に願いが通じたのか、京太郎は普通の調子を取り戻し、平凡なスコアを積み上げていくことになった。これで安心、と気を抜いたのもつかの間、京太郎の元を去ったボウリングの神は、今度は穏乃へと舞い降りたのである。

 

 元々運動が得意な穏乃だ。そこに絶好調の波が押し寄せたら、もう怖いものはない。調子を取り戻した灼も健闘したが、最後は僅差で穏乃に敗れてしまった。経験者がそうでない人間に敗れたのである。これほどショックなことはない。

 

「君は良く、気を回しすぎだって言われるんじゃない?」

「たまに。いや、アレはできすぎたマグレだったと俺も思うんですが」

「これは負け惜しみじゃなく、私もそう思う。君が勝ったのはたまたま。現に2ゲーム目は、私が勝った訳だし」

 

 穏乃には負けたけど……と悔しそうに口にする。今度は灼が息を吐く番だった。身体の熱を追い出すように、深く深く息を吐く。

 

「大人気ない態度をした。ごめんね。初めて会った人にする態度じゃなかった」

「気にしてませんよ。俺も、麻雀で負けた時は嫌な気分になりますから」

「須賀京太郎のことは穏乃から聞いたよ。麻雀が大好きで、負けても負けてもずっと麻雀をやってたとか」

「それしか取り柄がありませんので」

 

 ははは、と笑う京太郎に、灼は微笑みを返した。

 

「熱を上げられるものがあるのは、良いことだと思う。悔しいと思えるのは、それだけ麻雀が好きな証拠」

「単に負けることが嫌いなだけかもしれませんよ?」

「そうは思わない。そういう人は、心の狭さが顔に出る。お客さんの中にもそういう人は結構いるから、良く解るよ。君は負けをきちんと受け入れられる人。その感性は、大事にした方が良い」

「ありがとうございます」

「……ちょっと良いこと言ったかも。これでさっきまでのことは忘れてくれる?」

「忘れなきゃいけないようなこと、ありましたっけ?」

「灼で良いよ。よろしく須賀くん」

「なら京太郎と呼んでください。こちらこそ、今日はよろしくお願いします」

 

 借りている部屋の前に立つと、京太郎はマットを一度床に置いた。倉庫に保管されていた麻雀用のマットである。部屋にもテーブルはあるが、流石に裏返すと緑のラシャがあるおなじみのアレではない。麻雀をするには牌とマットがどうしても必要だった。

 

 灼にドアを開けてもらって、中に入る。

 

 中には残りの四人が揃っていた。穏乃は興味深そうに部屋を見回しており、憧は腕を組み考えこんでいる。

 

「何を難しい顔してんだ?」

「京太郎、こんなに良い部屋に泊まってたの?」

「松実さんの好意でな。充実した阿知賀ライフを過ごさせてもらったよ」

「でしょうねぇ……」

 

 憧は含みを持たせた物言いで、松実姉妹を見た。憧の視線に、二人は視線を逸らす。何か疚しいことがある、というようなことが顔に書いてあったが、憧も二人も何も口にしなかった。お互いがお互いの言いたいことを理解したのだろう。緊張は一瞬。それでどちらも、視線を外した。

 

「それで誰が入るかだけど、どうする?」

「私やりたい!」

 

 真っ先に手を上げたのは穏乃だった。他には誰も挙手していない。穏乃のあまりの勢いに出鼻を挫かれた形である。ともかくこれで一人は確定。残りは三人……

 

「京太郎くんはお客様だし、全部入ってても良いんじゃないかな?」

 

 提案したのは宥である。京太郎としては願ったり叶ったりの提案であるが、それで良いのか、と周囲を見回す。五人以上のメンバーで集まって麻雀をやる時、大体はローテーションを組んでメンバーを変える。二位抜け、三位抜け、ルールによって誰が抜けるか様々であるが、成績に関わらず一人がずっと入り続けるというのはそうあることではない。嬉しいことは嬉しいが、それは相手に悪い。

 

 助けを求める意味で視線を送ると、憧は力強く頷いた。以心伝心。何も言わずとも自分の意思を汲み取ってくれた幼馴染に、京太郎は心の中で感謝した。

 

「それじゃ、宥ねえの意見に賛成の人ー」

 

 憧の問いに、京太郎を除いた全員が手を上げた。その中には当然、憧も入っている。おいおい、という言葉が思わず口を突いて出たが、憧は得意そうに微笑むばかりである。

 

「麻雀できるって言うのに、あまり嬉しそうじゃないわね?」

「だって、皆に悪いだろう。こういう時は交代でやるのが普通だろ?」

「これは私達のためでもあるのよ。普段長野にいる京太郎と打つ機会なんて、そうある訳じゃないんだから」

「だから私達を助けると思って、ね?」

 

 玄からはお願いのポーズ。女性からのお願いに、男は弱いものである。それが美少女からのものなら尚更だ。元より、麻雀を数多く打てるのならば、京太郎に異論はない。まだまだ心苦しい思いはあったが、京太郎はこれを受け入れることにした。

 

「じゃ、後はジャンケンでもして決めましょうか。勝ち二人が入って、負け二人が抜けるってことで。いくわよ? じゃーんけーん」

 

 ぽん。

 

 少女四人の手は、一回のジャンケンで綺麗に二つに分かれた。宥と灼がパー、玄と憧がグーである。つまり、宥と灼が勝ちだ。

 

「宥ねえと灼さんが入るってことで。交代は、京太郎以外の下位二人ってことでよろしくね」

 

 てきぱきと場を仕切る憧に、京太郎は感嘆の溜息を漏らす。前からしっかりした奴ではあったが、ここまでデキる奴だったろうか。顔を見ていなかったのはお互い様だが、少し見ない間に随分大人になった気がする。一緒の小学校に通っていた時は、かわいいなりに少年のようなところもあったのに、今は随分と女の子していた。少し短めのスカートから伸びる真っ白な足が、屋内でも眩しい。

 

 自分の鼻の下が伸びそうなことを自覚した京太郎は、視線を穏乃に向けた。畳の上に正座してわくわくしているジャージ姿の幼馴染は、昔よりも小さいように見えた。自分の身体が大きくなったことを加味すると、全く成長していないようにすら見えた。天真爛漫。それでも穏乃が美少女には違いない。昔抱いていたかわいいな、という思いは今も全く薄れていなかったが、全く変わっていないというのは予想外だった。改めて眺めてみると、本当にそう思う。

 

 じっと見つめられていることに気づいたのか、穏乃は小さく首を傾げた。意識せずにそういう仕草ができるのが、穏乃の穏乃たる所以だろう。他の人間がやるとわざとらしいと思える仕草も、穏乃がやると随分自然だ。確かに美少女なのだ。それだけに、今も小学生しているのがとても惜しい。

 

「場決めだよー」

 

 宥が選んだ四枚の牌を参加する全員が手に取り、一斉に捲る。結果、出親は宥で、そこから時計回りに灼、京太郎、穏乃となる。

 

 牌を摘み、西家の席に腰を下ろす。宮永家にも衣ハウスにも龍門渕の屋敷にも全自動の卓があり、家ではもっぱらネット麻雀である。手で牌をかき混ぜる感触も音も、随分と久しぶりだった。

 

 かちゃかちゃと牌を積みながら思うのは、一の鮮やかな手並みだった。誰にも内緒だよ、と念を押された上で披露された一の技の数々は、京太郎には衝撃だった。適当に積んだようにしか見えない山はきっちり元禄に積まれており、サイコロはどんな風に振っても1のゾロ目が出る。極めつきはツバメ返し。近くで見ていたのに自然すぎて、摩り替えたタイミングが解らなかった。

 

 全自動卓が一般にも流通し始めたのはバブル華やかなりし九十年代、その前半。それまでは全ての麻雀は手積みで行われていた。無論、その時代からオカルトの使い手はいたらしいが、そういう驚異的な運を持つ人間を相手に対抗する一つの手段として、こういったイカサマは使われていたと聞く。今ではやっていることがバレれば一発で出禁ものであるが、一部のイカサマは技術芸術と持て囃されていた、そういう時代だったのだ。

 

 それで勝って嬉しいのかと、当時の麻雀打ちに問いたかったが、場所が変わればルールも変わる。クイタンがありなのと同じくらいの感覚で、一部のイカサマがアリだったのだろうと思えば、腹も立たなかった。それに、一の小さな手が芸術的な積み込みやすり替えをしている様は、見ていて面白かった。すごい、かっこいい、と手放しで褒めると一は嬉しそうに笑ってくれた。

 

 その笑顔を思いながら配牌を捲ると、相対弱運が発動した。周囲に拡散する運は、なるほど、かつて麻雀教室で感じた時よりも大きくなっている。年齢を重ねたことで、宥も穏乃も運が太くなったのだろう。興奮を伴う虚脱感に京太郎は笑みを深くする。あぁ、これこそが麻雀だ。

 

 配牌を捲る。さてどれほど悪い手がと思えば……実はそうでもなかった。これには京太郎も、その手の悪さを知っている憧と玄も少し驚いた。京太郎の手牌はこうである。

 

 2223448東南西白白發 ドラ三

 

 混一色が見える、というよりも索子の混一色しか見えない勝負手だった。東一局からこの手が来たのなら、今日は良い日になるかもと良い気分になれること請け合いであるが、須賀京太郎が麻雀をする時に限って、そんなことはありえない。相対弱運は問題なく発動している。にもかかわらずこのような勝負手が入ってきたということは、他人にはこれと同等か、あるいはそれ以上の手が入っているということに他ならない。

 

 ちらと、宥に視線を送る。ドラゴンロードたる玄ほどではないが、宥も特殊な牌の寄り方をする。彼女があったかい色と認識している赤を含んだ牌が寄り易くなるというものだ。易くなるだけでそれしか引かない訳ではないので、玄ほど解りやすい脅威とはなりえないが、京太郎の手牌はその寄り方がいつもより極端になっていることを想像させるには十分だった。何しろあったかい牌が一つもないのである。

 

 教室にいた憧たち程ではないが、宥とも麻雀を打ったことはある。面子を変えて何度も打ったが、ここまで極端な減少は起こらなかった。彼女一人の能力が強化されているだけでは、説明がつかない現象だ。

 

 次いで、京太郎は穏乃を見た。やるぞー、と顔に書いてあるかわいいお猿さんな幼馴染の能力は……実のところあまり良く解っていない。少なくとも、穏乃と打った時に何か特別な影響を受けていると感じたことは一度もなかった。一年一緒に打ったが、解ったことは何某かの能力があるということだけだった。

 

 今この瞬間も、穏乃から何か影響を受けているという気はしない。それに穏乃と宥と一緒に麻雀を打ったことは何度かある。この現象に穏乃も絡んでいないとは言えないが、一番の原因とまではいかないだろう。

 

 ならば、残りの原因は灼である。索子と字牌が京太郎の手に寄っているということは、灼の手には筒子が寄っているのだろう。赤い牌までゲットできているかは解らないが、元より他人にツモらせない度合いについて、宥の能力は玄に及ばない。相対弱運がなくても、自分の運が細いことは京太郎は良く理解している。灼くらいに太い運があれば、宥の優先を抜けて赤い牌を持ってきていても可笑しくはない。

 

 そうなると、この三人の中で最も危険なのは灼だ。赤い牌は主に萬子に偏っているが、筒子にも索子にも存在している。傾向として、より赤い牌の方が手に入り易いようであるが、能力の対象となる牌が多いということはそれだけ、力が分散することを意味する。何もない人間から見ると遥かに有用でも、能力の力強さを比較する場合において、宥の能力は今一つ心細い。

 

 反面、筒子が寄りやすいらしい灼の能力は、強力な運に支えられた時、相当な攻撃力を持つことになる。全て筒子であれば、鳴いても満貫。ドラや他の役が絡めば、軽く倍満を狙えるようになるだろう。玄がドラで行っている手順を、清一色という役で補っている訳である。一色で作れば良い手だ。これから引く牌にも偏りがあれば、手も速く進むだろう。高くて速い。麻雀における究極形である。

 

 遅くとも12順以内には勝負が着く。問題はその着き方だ。

 

 二人のツモり方に偏りがあり、自分に有利な牌を引き続ける傾向にあるならば、不利な牌――相手の当たり牌を掴む可能性も低い。すなわち、誰かがアガる時はツモアガりになる可能性が高い。出親は宥だ。もし東パツで大きな手をアガられることになれば、ここで勝負の流れが決することになるかもしれない。

 

 出来れば最初は、さっくり安めの手でアガってほしい。そう念じつつ、京太郎は最初から絞り気味に打ち回していく。

 

 3順目。それまで三連続で字牌では、手が進むはずもない。他の三人は全て手出し。手が進んでいる証拠だ。宥の河は、切られている牌も全て萬子以外のあったかい牌になっている。彼女の手は萬子の染め手と見て良いだろう。

 

 5順目。灼の一番右側から北が出る。その代わりにそこに入った牌の向きを、灼は変えなかった。理牌こそしているが、上下の向きを揃える動作は驚くほどに少ない。実はきちんと上下が決まっていると聞くが、一目で上下の解る萬子と比べて、筒子と索子はそうではない。この順目まで手の中に字牌を残しておいた理由は不明だが、そろそろ手が一色に染まっていても可笑しくない頃合だ。

 

 対面の宥も決して安くはないだろう。自分の手は高目は見えるが進まず、二人には追いつけそうもない。頼みの綱は穏乃であるが、彼女は決して折れない強い心を持っている割に、考えていること、思っていることが顔に出やすい。例え河やそれ以外の情報が全くなくとも、手がどの程度進んでいるかは顔を見れば解った。

 

 その観察眼で穏乃を見る。イーシャンテン。どんなに悪くてもリャンシャンテンだろう。わくわくしたその顔からは、それなりの手の高さがうかがえる。大興奮という様子ではないから、良くてもマンガン止まりに違いない。顔でここまで情報が読める人間というのも珍しいが、今回ばかりは頼りになる。

 

 安手と確信が持てるならば差し込むのも吝かではないが、まだそこまでは読めなかった。

 

 既に運量の差に開きがある。それが逆転することは決してないが、差を詰める努力は必要である。麻雀は運の転換点が多いゲームだ。一つのミスから不調になることはあるし、また逆もある。ツイている時こそ、その度合いは顕著なのだ。

 

 そして、6順目である。

 

「リーチ!」

 

 元気な掛け声と共に、穏乃がリーチ棒を出す。自分の優勢を疑っていなかったらしい残りの二人の顔に、僅かに緊張が走った。東一局で先制のリーチ。棒を出した人間は幸先の良さを感じているだろうが、発声を聞く人間はその逆だ。陰鬱な気分になる者、闘志を漲らせる者、反応は様々で、そこには性格が出る。

 

 京太郎はそこで一歩足を止め、様子を見るタイプだ。無理に押したりはせず、打ちまわしていくのがスタイルである。過去に打った限りでは、宥もその傾向がある。良い意味で慎重というのが、京太郎の印象だ。特定の牌が寄り易いという非常にアガりに有利な特性を持っている割りに、場も良く見ている。今もじっと穏乃の河を見つめ、何が当たりか絞り込んでいるところだ。

 

 そんな宥を気にもせず、灼は手出しで牌を切った。三索である。リーチ者の現物がないことも良くある順目であるが、それでも無スジの油っこい牌を切るには勇気がいった。慎重な宥と比べて、灼はいくらか豪胆である。勝負手が入っているのだから、押す。どちらが正しいということはない。運が悪ければ慎重でも振るし、運が良ければ豪胆でも当たらない。麻雀とはそういうものだ。

 

 7順目。

 

 穏乃がぺしりと残念そうに牌を切る。一発はなかったが、相対弱運で運が強化されているこの状況ならば、遠からずツモるだろう。傍観者の京太郎としては、リーチ合戦になってくれるのが一番ありがたい。出来れば灼当たりが牌を曲げてくれると良いのだが――

 

「リーチ!」

 

 その祈りが天に通じたのか、灼は満を持してリーチを宣言した。宣言牌はまたも穏乃に危険な牌であるが、ロンの声は聞こえない。二軒のリーチを受けて、宥が小さく溜息を吐いたのが見えた。そうして、右三番目から中を切り出す。宥は一番右に字牌を集めるタイプで、白發中と順番通りに揃える。三番目から出てきたのなら、中は暗刻のはずだ。宥は降りた。これで灼と穏乃の一騎打ちだ。

 

 状況は拮抗しているように見えるが、勢いは二度も危険牌を通した灼にあるように見える。そも、灼の手は筒子の一色手である可能性が非常に高い。これは一発もあるか――内心でひやひやしている京太郎の視線を受けながら穏乃は牌をツモり、

 

「うぇー……」

「ロン」

 

 灼が手を倒す。

 

 

 ①②②③③⑥⑥⑥⑦⑦⑧⑧⑨ ロン④ ドラ三

 

 

「リーチ、一発、チンイツ、平和……ウラウラ。三倍満。24000」

 

 おー、とギャラリーをしていた玄と憧から歓声が挙がる。

 

「でも、数え役満じゃなくて良かった。0点ならまだ続行できるし……」

「ごめんね、穏乃ちゃん」

 

 ろん、と宥は静かに手を倒した。

 

 

 一二三四五六七八九赤⑤⑥中中 ロン④ ドラ三

 

 

「イッツー、赤ドラ。8000だね」

 

 ぱたり、と穏乃は力なく卓に突っ伏した。

 

「暗刻の中を切って降りたんだと思ってました」

「京太郎くんなら、私を見てくれてると思ったからちょっと残念そうな顔をしてみたんだ。成功してたみたいだね」

 

 嬉しそうに、宥は笑う。逆に京太郎は苦笑を浮かべた。観察していたことを逆手に取られるのは、初めてのことだった。

 

 倒された宥の手を観察する。手牌から見て、それまでは赤五筒の単騎で待っていたのだろう。イッツー、中、赤1でマンガン。値段は変わらないが、一手で混一色に変わる。ここでリーチをかける人間はいない。

 

 残りは綺麗に萬子なのに、赤五筒だけ孤立している。配牌、もしくはもっと速い段階から手に入っていたなら、宥ならば赤五筒をさっさと切り出していたはずだ。穏乃のリーチを受けて二連続で危険な牌を引いたとか、そんなところだろう。狙ってやった訳では決してないだろうが、灼に危険な牌を手に抱えて回し、かつマンガンを上がったというのは、とにかくかっこいい。

 

 豪快な灼のアガリと、華麗な宥のアガリにギャラリーの二人からもぱちぱちと拍手が送られる。

 

「で、これはなに」

 

 そんな中、納得がいかないといった顔をしているのが灼だった。東パツで三倍満と満貫のダブロンでトビ終了。何ともあっけない幕切れであるが、麻雀にはそういうこともある。負けた側が不満を漏らすならば解るが、あがった勝者が不満を言い出したら卓が立ち行かなくなる。勝つ上に文句を言う人間と、誰が一緒に打ちたいと思うだろうか。余計なトラブルをさけるためにも、勝ったら大人しくするというのが仲良く麻雀を続けるコツである。

 

 だが、それは何の疑問もなく麻雀が進行すればの話。灼くらいに素の運が太ければ、相対弱運による恩恵を実感することが出来ただろう。運を吸われる京太郎には虚脱感が伴うが、運を与えられる側は高揚感を得るらしい。咏などは負ける気がしなくなるというが、灼はどうだったのだろうか。

 

「あー、俺にもそういうオカルトがありまして、何というか、相対的に運が弱くなる力とでも言うんでしょうか。つまり、強い人間はより強くなり、弱い人間はそれなりに強くなるっていうものらしいです」

「……強いっていうのは、運が強いってこと? 技術的にってことじゃなくて?」

「調べてくれた人たちが言うには、そういうことらしいです」

 

 能力については、霧島に通っていた時に大体そういうものだという結論が出ていた。始めた時は漠然とそういうものだと思っていただけのこの力も、春たちの協力もあって、大分理解が深まった。使いこなしているとはお世辞にも言えないが、どういう相手に何が起こるのか。ハンデを背負って戦うのだ。理解できているのといないのとでは、メンタルに大きな違いが出る。

 

「……それで良く麻雀続けられるね」

「好きですからね。灼さんも、面白い牌の寄り方をするみたいですね。寄り易いのは筒子ですか?」

「そんなことまで……や、これを見たら解るか」

 

 灼の視線は、倒した手牌に向いた。手牌は筒子一色である。何かオカルトがあるならば、そういう能力と考えるのは自然だろう。

 

「正確には、集まり易い上に、変則待ちになることが多いんだけど、今日のこれは凄い素直だった。これも京太郎のおかげかな。三倍満だし」

「運が良くなるが、どういう作用するかは人それぞれみたいなんですよね。寄り具合が強化されたのは間違いないと思うんですが……あと、三倍満は普通に偶然だと思います。いくら寄り易いと言っても、毎回そうなることは多分ないです」

「だよね。流石に話が上手いと思った」

「それじゃ、メンバー入れ替えてやりましょうか。京太郎以外の下位二人が抜けるってことで、宥ねえとシズが交代ね」

「りょーかい」

 

 卓から出た二人は、当たり前のように、それまで玄と憧がいた場所に腰を下ろす。つまり、京太郎の両隣だ。ギャラリーがいることに別に抵抗はないが、見られていると思うと背筋がぞくぞくする。穏乃の距離が近いのはいつものことだが、今回は宥の距離まで近い気がした。平熱の高い宥の、熱っぽい呼吸の音が聞こえる程である。

 

「普通に座っちゃったけど、場所はこのままでも良い? OKの人!」

 

 三人全員が、一斉に手をあげる。

 

「OK。それじゃあこのままね」

 

 憧が座ったのは、京太郎の上家だった。共に強敵に対抗するのに、憧ほど頼もしいパートナーはいない。その能力を存分に発揮してもらうのならば、上家よりも下家が良かったのだが、座ってしまったものは仕方がない。こちらの意図を察してくれるだけで、同卓する憧は実に頼もしい。

 

 その頼もしい憧が、視線を向けてくる。麻雀をする時、憧はいつも真剣な表情をしていたが、今この時の表情はその種類が違っているように見えた。

 

 真剣ではあるが、方向性が違う。何か別に、気になることがあるのだろう。不意に二人きりになった時、何度か見たことのある顔だった。

 

「ところで京太郎。聞いた話じゃ、当代の神代の姫様は美人だって話だけど、どうなの?」

 

 憧の問いに、小蒔の顔を思い浮かべる。一つ年上で、きちんとお姉さんのできる人ではあるが、男である京太郎の目には神代小蒔というのは『かわいい』人だった。決して美人という感じではない。

 

「俺の一つ年上だけど、何と言うかかわいい人だよ。面倒見は良いし、俺も大分お世話になった。でもちょっと天然入ってて、ドジなところはあるな。後、良く寝る」

「写真とかある?」

 

 憧の問いに、緊張の色が少し混じった。思わず顔を見ると、憧はふい、と視線を逸らす。その仕草で京太郎は、憧の目的が最初からこれだったのだと理解した。小さく苦笑を浮かべながら携帯電話を操作して、保存してあった写真を呼び出す。

 

 京太郎と小蒔、それから六女仙の八人で撮った集合写真である。引越す引っ越さないという話をしていた時期だから、まだ愛媛に住んでいた頃だったと思う。中央には京太郎と、その隣に小蒔。その逆側に霞が立ち、後は中央から序列の高い順に並んでいく。旧家である神代の一族はこういう立ち位置を気にするものらしく、六女仙の中では序列の低い明星や湧はいつも外の方に立っている。

 

 それを不憫に思わないでもないが、入学式などの慶事には中央に立つこともあるし、そもそも中央に立ちたいのならば序列が上の人間を入れずに撮れば良いのだ。そんな訳でそれぞれ個別に撮った写真などもあるにはあるが、表示したのは集合写真である。どういう写真を見せろとまでリクエストされた訳ではないから、見せる必要はないだろう。

 

 それぞれが写真を覗きこむ。まず絶句したのは玄だった。

 

「京太郎くん、この、すごいおもちの人は?」

「石戸霞さんです。このグループのお姉さんみたいな人で、実際に一番年上ですよ。宥さんと同級生です」

「ほほう……」

「玄ちゃん、ちょっとそっちに座っててもらえるかな」

 

 ぐいぐいと身を乗り出してくる玄を、宥がやんわりと制する。押し問答をしている姉妹を他所に、憧は静かに写真を観察していた。

 

「どうかしたか?」

 

 その静かさが気になった京太郎は、憧に問うた。自分の今後にとってあまりよろしくないことになりそうな気がしたからだが、そういう悪い予感は得てして当たるものである。しばらくして、意を決したらしい憧はポーチからデジタルカメラを取り出して、言った。

 

「私達も、こういう写真を撮ろうか」

「……今からか?」

「これで私達が最新版でしょ? 阿知賀が一歩リード!」

 

 どういう勝負なのか解らなかった。しかし、写真を撮ろうという憧の案は速やかに可決され、迅速に準備がされていった。卓は隅に移動され、玄はひとっ走りしてデジカメ用の三脚を取ってくる。

 

「私も参加するの?」

「よろしく、灼さん。人数は多い方が破壊力高いから。京太郎は真ん中、私はこっちで、宥ねえはそっち。できるだけやらしー感じで引っ付いてて? 玄は……どうしよう、背中から抱きついてみる?」

「それはちょっと……」

 

 結局、京太郎が中央に立ち、右手に憧、左手に宥。背の小さい穏乃と灼が前に座り、玄は宥の更に隣に立つことになった。玄の微妙な距離感が気になる構図であるが、しっかりと腕を取ってくる憧と宥に、京太郎の内心はそれどころではなかった。

 

 だらだらと背中に汗をかいているのを感じる。正直に言えば興奮していた。美少女二人がこんなに近くにいるのだから当たり前だが、憧も宥も平静ではないらしい。特に宥は倒れるんじゃないかというくらい顔が真っ赤になっていたが、決して腕を放そうとはしなかった。その柔らかくも力強い感触に、不退転の決意を感じる。

 

 自分の意見を差し挟む余地はなさそうだった。タイマーの設定を憧が行い、そのスイッチは一番すばしっこい穏乃が押すことになった。ダッシュで戻るという役割に、穏乃は既に大興奮である。

 

「で、この最新版の写真を俺はどうしたら良いんだ?」

「さっきの写真に写ってたおっぱいの人が必ず、前の一週間は何処にいたのかって質問をするはずだから、その時にこの写真を見せてやりなさい」

「俺の身の安全は考えてないんだな……」

 

 良家の子女のたしなみということで合気道をかじっている霞は、関節技をしかけることに何も躊躇いがない。責められる理由は何一つないが、すぐに来てほしかったところを一週間先延ばしにした理由がこの写真だということになったら、確かに良い顔はしないだろう。向こうから切り出されなかったら、身の安全のためにも自分からは絶対にこの写真の存在を公表したりはしない。

 

 しかし、憧は必ずと言っている。滞在するのは大体同じ一週間。その間色々と会話はするだろうから、先週何してた? という話題も出るだろう。そう問われたら、京太郎に嘘を吐くという選択肢はない。腕を極められると解っていても、真実を話して写真を見せることになるだろう。役得も色々あるが、痛いのだ。Mの気のない京太郎には別に、進んで関節技をかけられる趣味はない。

 

「撮るよー」

 

 穏乃が、掛け声と共にダッシュしてくる。臨戦態勢に入ったカメラを前に、全員に緊張が走った。腕にこめる力を強くする憧と宥に、京太郎はせめて笑顔くらいは浮かべようと、笑みを作った。

 

 連続して女性と予定を詰めるとこういうことになるんだな、と悟った中二の夏だった。

 

 




これで阿知賀編は一応の最終回となります。
次回から永水編。迎えに来るのは誰になるのか。

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