「間もなく到着されます」
「フン……」
オーリス・ゲイズは不機嫌さを隠さない父レジアスには見えないように、こっそりとため息をついた。
以前から予定されていたことでも、本局の若造───それもオーリスよりもまだ若い10代で、将官への昇進が決定している───がこの地上本部へと挨拶にやってくるというのなら、これも仕方のないことか。
「失礼します。
マイバッハ一佐をご案内いたしました」
「……」
「入室を許可します」
黙り込んだレジアスに代わってオーリスが返事をすると、総務課の後輩に連れられた背の高い青年が現れた。本局の士官服に身を包んでいるが、どことなく飄々とした態度に多少警戒感を強める。
アーベル・マイバッハ一佐は現在18歳、本局技術本部に在籍しており、本来は純粋な技術屋だという。
本局では、彼のような若手の高級士官は珍しくない。局員経歴データで見た写真よりもかなり年かさに見えるが、そこはまあ、どうでもいいだろう。執務官上がりの若い提督など、そこら中に転がっている。
但し、地上に降りてくるとなると話は別だ。
ここしばらくの活躍もあって、昨年二佐で入局───過日世間を騒がせた『闇の書』事件に於いて多大な功績があったそうだ───したはずが、新たに作られる研究所の所長に推挙されて来月には本局総監部のごり押しで准将昇進となれば、胡散臭いなど通り越して真っ黒としか言い様がない。
「先日振りであります、少将閣下。
お時間を取らせて申し訳ありません」
「うむ。
……掛けたまえ」
「ありがとうございます」
父と若者が敬礼を交わす間に、オーリスは壁際の内線を操作して、控え室にインスタントコーヒーを用意させた。業者数社に相見積もりを取らせた上で納入させた『本物の』特売品だが、同時に地上本部の認可した正規品でもある。父は元から嗜好品には拘らないし、嫌味に取るなら取ればいい。……いい物が飲みたければ構わないと私物の持ち込みは許可されていたし、予算に余裕がないのは本当だった。
オーリスは自らの仕事を終えると、後はレジアスの後ろに控えて若者の一挙一動を観察しはじめた。後から意見を聞かれることは目に見えていたし、彼女自身もマイバッハ一佐には注意を払うべきと考えている。
彼は先日、技術本部の上司と一緒にこちらを訪れたそうだが、本部内では特に目立った言動はなかったと聞いていた。
「研究所の方はどうか?
駐屯地を用意しただけのこちらはともかく、本局や教会騎士団からの要求が二転三転して調整が間に合わず、未だ予定が立たぬと連絡を受けておるが……進展はあったか?」
「はい。
確定した発足予定日にほぼ全ての準備が間に合わないことは、先日の会議で皆様に承認していただいた通りですが……」
ミッドチルダへの着任予定者からの挨拶という名目で時間を取ったレジアスだが、実質は先日の会議の延長戦に等しい。
地上本部としてもレジアス個人としても、見極めがつかなかったのだ。
ただ、オーリスの見るところ、マイバッハ一佐はエリート思想に凝り固まった魔導師ランク至上主義者でも、趣味と仕事の区別が付かない技術馬鹿と言われる人種でもないようだった。入局以前は店舗に勤務をしていたとあって、人当たりも悪くない。
大体、ミッドチルダ地上本部の総参謀長という肩書きはともかく、内も外も強面として有名な父を前に自然体でいられるだけでも大したものだ。本局から来た大抵の『若造』は、父の前に萎縮してしまうか、逆に虚勢を張っていらぬ手間を呼び込むか……そのあたりが相場なのだが、一佐は多少の緊張こそ見えるがそれだけだった。
「それから、新設の研究所と言うことで随分気を使っていただいた様子で、ありがとうございました」
「うむ……?」
「騎士団の派遣に必要な輸送隊や内勤部隊の提供ももちろん助かりましたが……最寄りの陸士部隊になる陸士108の部隊長にゲンヤ・ナカジマ三佐を配置して下さったのは、ゲイズ少将のご指示ですよね?」
「いや待て、儂は知らんぞ!?」
「えっ!?」
「オーリス!」
「はっ!」
「人事部のチャールストン部長に確認を取れ」
「直ちに」
……どうも、雲行きが怪しくなってきた。
人事部に連絡を入れつつ、父と一佐の会話に耳を傾ける。
「ミッドの地上では、ナカジマ三佐か、行方不明になられた騎士ゼスト……グランガイツ一尉ぐらいしか、頼れそうな人物が思い浮かばなかったもので……」
「……貴官はゼストと仲が良かったのか?」
「直接お会いしたのは先日の会合の後の一度きりですが、あの時、騎士ゼストは私に稽古を付けて下さいました」
「ほう?」
マイバッハ一佐がグランガイツ一尉を貶めたりしなかったことに、オーリスは小さく安堵した。
同じベルカの出身で教会の息が掛かっているから、というだけではないらしい。それどころか心底落ち込んだ様子を見せた一佐に、父の方が戸惑っている。
現在行方不明中のゼスト・グランガイツ一尉は父の親友で、正真正銘、地上部隊の切り札だった。オーリスも小さな頃から知っているし、人柄も、局員としてのありかたも含め、尊敬すべき人物と心に刻んでいる。
だが……先日ここを訪れた本局武装隊の将官は、部隊の全滅と行方不明の報を聞き、Sランクの魔導師と言えども地上本部の所属では所詮その程度などと、さんざんに腐していったのだ。……それも、父の耳には直接入らぬようにしていたのだから尚更始末が悪い。
そのような子供じみた嫌味も、こちらは唇を噛んでやり過ごさねばならなかった。
何故なら嫌味と言う名の餌には大きな釣り針が仕掛けられており、引っかかって激昂した者を手繰るための糸もついているのだ。
『はい、人事部総務です』
「こちら参謀総長執務室、オーリス・ゲイズ二尉であります」
人事部長からはすぐに返答が来た。
ナカジマ三佐の名は、マイバッハ一佐の交友関係を洗った時に出たらしい。軋轢が酷い場合には潤滑油にもなるだろうと、チャールストン部長が自ら推挙したようである。
簡単に聞き取ったが元から新部隊長人事の候補に挙がっていたそうで、多少の迷走はあったものの、人事権を歪めるほどの無茶な配置転換ではなかったと言う。
「本当に分からないことだらけなんですよ。
先日も公用車に四輪駆動車を選ぼうとして、ナカジマ三佐には呆れられました」
「……であろうな。
将官用とあれば、車種も規定で限られる」
「併設の演習場が広いので、四駆の方がいいと思ったんですが……。
今、陸士108の車両整備隊の力を借りて、廃車から再生品を作って貰っているんです」
「再生品だと!?」
「はい。
……あの、何かまずかったですか?」
会話の合間を見計らって報告しようとしていたオーリスも、これには呆れた。
普通はやれ新車を用意しろだの、特注の内装に仕上げろだの、ミッドに幾つか存在する本局所属部隊の高官共は口うるさい注文ばかりを並べ立てるのだが……。
無論、こちらも抵抗はしたいが、『各地の地上本部は、管区内に駐留する本局所属部隊の円滑な行動を支援すべし』という管理局の内規が枷になっていた。
これを盾にやりたい放題をする彼らは、侮蔑を込めて寄生虫と呼ばれている。
「うむ、あー……いや、まずくはないが……。
何故わざわざ廃車を再生したのだ?」
「と言われましても、予算の都合が……」
「貴官は本局の息の掛かった一佐、それも転属後は将官なのだぞ!?
地上本部に命じれば、公用車など運用費付きで用意出来ると言うのに……」
「えっ!?」
「知らなかったのか!?」
父に問われるままマイバッハ准将が語ったところに因れば、技術本部から研究所開設および初年度の予算として提示された額は、聖王教会からの援助も含めてかなり奮発して貰った事も間違いないが、残念なことに研究どころか部隊運営に支障が出かねない金額だったらしい。
「……『型遅れでも完動品は割に渋い顔をされるが、ジャンク品なら施設部や装備部も大抵の申請を通す』と教えて貰ったので、ナカジマ三佐や本局勤務の友人に助けて貰いながら、なんとか必要な機材をかき集めているところです。
幸い技術系の伝なら沢山ありますし、小物なら自前でなんとかなりそうなので……」
ミッドチルダに本局技術本部隷下の本格的な研究施設が開設されるのは技本406が初めて───最高評議会直属の秘密研究所などは除く───でその様な方面での指導もなく、知り合いの将官の大半が次元航行部隊では地上に駐屯部隊や施設など持つはずもないので、やはり慣例や内規の申し送りはされなかったそうである。
父も驚いていたが、同じ本局でも、いわゆる本局の本流たる次元航行部隊や武装隊と、その外れに位置する技術本部では大きな落差があるようだ。
地上本部に対しては、本局所属の部隊に対する優遇措置など知らなかったこともあるが、デバイスの試験にも使える大きな演習場付きの駐屯地を丸々一つ用意して貰えたし、技術本部が本局と同一視されている現状では後ろ盾も含めた何処に対しても言い出しにくかったと、一佐は頭を掻いた。
そのあたりまでを聞いて、父も態度を飾っていたのが馬鹿らしくなったらしい。彼を真似るようにして頭を掻いて唸り、椅子に深く座り込んで渋面を作った。
▽▽▽
「……オーリス」
「はい」
時間になってマイバッハ一佐が退出すると、レジアスは冷たくなったコーヒーを飲み干してから、大きく自分の頬を叩いた。
「彼をどう見る?」
正直に言えば、ますます分からなくなったというところだが、返答をしない訳にもいかない。
得た情報から類推と分析を進めつつ、父の求めに応じる。
「一佐ご自身は、悪しき慣例どころか、未だ管理局にも染まり切れていないと見受けられます。
垣間見られた内面も、腹芸の出来ない……失礼、普通の若者と申し上げていいでしょう」
一佐がミッドに着任するきっかけとなったユニゾン・デバイス製造技術───現在は最高評議会より秘匿指定を受けて開発計画が凍結されている───は立案から実行まで全てが一佐の主導によるもので、技術者として一流であることは疑いない。
また先ほど父は、グランガイツ一尉が行方不明となった強制捜査が戦闘機人事件に関連するものだったと鎌をかけ、一佐の反応を見た。
どうやら『知っている』様子から、戦闘機人技術についてある程度の情報を開示されている立場らしいとわかる。ただ、機密の中でも表にされている面───彼の第六特機は保護された戦闘機人素体のメンテナンスを行っていた───しか彼は『知らない』ようだった。
無論、こちらに抱き込めるとは思えないが、改めて調査する必要があるだろう。
背景の派閥色は確かに強いが、闇の書事件での活躍、古代ベルカ式デバイスの復活と、上から言われるままに与えられた仕事を成功に導き、今の状況を作り上げてきたと言えなくもなかった。
そこに本局総監部などという横槍が入っているから複雑化して見えるが、技術者としては優秀でも士官としてはまだまだ未熟……個人の評価としてはそのあたりだろう。
「ですが……一佐の背景たるハラオウン閥、技術本部、聖王教会も、それを望んでいるのではないでしょうか?」
「ふむ……?」
技術本部や聖王教会が、揃って勢力の躍進を望んでいることは間違いない。騎士団と学校、目立つ二枚看板はそれぞれの勢力が強力に後押ししており、校舎や隊舎の新築も決まっていた。
ではその成果にして象徴と見える技本406の役割とは、一体何か?
解りよいのが、本局主流派とは距離を取っているハラオウン閥の対応だ。
一佐も含め、第六特機の中核人事に関しては、こちらがほぼ握っていた。
「確かに成果は求められているでしょう。
ですがハラオウン閥にしてみれば、欺瞞や虚勢、裏工作などは必要がない、あるいは害悪になると推察できます。
あちらも今後の試金石と知っていて……それも教会が絡んでいるとなれば、下手な小細工は出来ません。自分で自分の首を絞めることになります」
「つまりはお題目通りの成果を上げることこそが、真の目的となるか」
「はい。
我々……ミッドの地上本部が一枚噛んだ影響も大きいかと思われます。
裏に何かあるにしても、一佐と技本406は見せ札であろうかと」
「ふむ……」
技本406そのものは、今のところ裏が見えない。
健全な運営で大変結構なのだが、それこそが不気味とも言える。
もっとも、本当に裏などありはしなかった。
教会幹部になることが生まれたときから決まっていたカリムや、小さな頃から執務官を目指し法務だけでなく人間心理や派閥構造にも詳しいクロノ、査閲部所属の査察官としてそれこそ裏仕事が本業のヴェロッサとは違い、そちら方面でまともな訓練も指導も受けていないアーベルに対しては、派閥の都合や政治的な意味を含めた秘密の仕事など、間違っても『任せられない』のである。
技本406が表看板に掲げた通りの業績を上げるなら、それでよかった。
後は後ろ盾がそれぞれに成果を引き取って、交渉の種にするなり何なりすればいい。
アーベルは資質的に陰謀向きとは言えないし、彼の持てる力を最大の効率で活かそうとするなら、ハラオウン閥だけでなく、技術本部や教会にも今の型式が最も都合がよかったのである。
渋面を作ったゲイズ少将は、大きくため息をついた。
「……では、最高評議会の意を汲んだ本局総監部の動きはどう見る?
先日の通達を見る限り、一佐の准将昇進はほぼ奴らの独断であったようだが……」
「そうですね……。
まだ取り込まれていないようには見受けられましたが───」
本局総監部は、尻尾のない悪魔にも思えた。
いま父を悩ませている戦闘機人についても、あれらの息が掛かっている。話を持ってきた総監部の将官自身がそう話したのだから、間違いない。
……正しいことと、間違っていること。
子供向けのヒーロー番組ならばそれはとても分かり易い善悪の象徴なのだが、社会は───いや、時空管理局が、そのような図式を許しはしない。
例えば、デバイス。
ミッドチルダ式ストレージ・デバイスは、性能の差こそあれ、管理局員だけでなく犯罪者までもがよく使う一般的な道具であり、技術である。
魔力のないオーリスには使えないが、世間一般に慣れ親しまれているし、ありふれていた。
では両者に等しく使われるデバイスは、管理局が使えば正しくて、犯罪者が使えば間違いなのか?
模範的な解答ならば、『その通りである』『使う者によって異なる』などとなるだろう。ナイフや車でも、同じ様な答えが返ってくるかもしれない。道具や技術に善悪はなく、使う者の意志が反映される。あるいは人の手によって定められた都合───法により、合法あるいは違法となった。
翻って戦闘機人技術は、人造魔導師製造技術などと同じく、人倫を踏みにじっている故に『間違っている』とされた技術だ。
しかし、次元世界の人々を守ることこそが存在意義であるはずの管理局が、裏では手を回してそれを使おうとしていた。
犯罪者検挙率の増加が見込めるだの、次元世界の平和と秩序に寄与するだのと理由をつけたところで、オーリスにも割り切れないものがある。
父はその葛藤を飲み込もうとしているようだが、本局総監部が戦闘機人技術に注目しているという裏側は、グランガイツ一尉にさえ話さなかった。
では両者に等しく使われようとしている戦闘機人技術は、管理局が使えば正しくて、犯罪者が使えば間違いなのか?
……マイバッハ一佐に対する総監部の反応は、意外とそのあたりに起因するのかもしれない。
主導が本局か技術本部かはわからないが、正規の命令によってユニゾン・デバイスの開発が行われていたことは間違いなかった。
ではそれが中止───地上本部どころか教会が一枚噛んだ状態での開発凍結命令───となると大きな理由が必要になってくる。
表向きの説明とされたユニゾン・デバイス配備後20年で訪れるという対犯罪者戦力比の悪化という理由は欺瞞と切って捨てたいところだが、こちらはレジアスの命を受けた地上本部作戦課による内密な検討でも、似たような解答が出ていたのだ。
執務室に上がってきた報告書には、確かに重大案件への対処能力の向上は見込めるものの、双方の戦力増加によって事件一つあたりの被害や鎮圧にかかる予算が増加の傾向に収束し、結果的に管理局の首を絞めかねないと結論されていた。
だがこの報告書に、レジアスらは首を捻らざるを得なかった。
重大案件への対処能力の向上とは即ち本局保有戦力の向上であり、予算への圧力などは、本局以外へと圧力をかければ何とでもなりそうな気もしてしまうのだ。
あの連中が時空管理局全体と本局とを天秤に掛けた時、全体を取るのかとと問われれば、レジアスは真顔で否と答えるだろう。
本局の予測は、確かにある面で正しくある。
しかし本局と地上本部で辿り着いた答えが微妙に違うところは不気味で、ならば別の理由が隠されていそうな気もするのだが……その先となると、お手上げであった。
「十中八九、ユニゾン・デバイスの開発中止命令に絡んだ何某かの口止めかと思われますが、一佐が自ら地雷を踏んだのか、それとも踏まされたのかまでは、何とも……」
「どちらにせよ、こちらは正面から受けざるを得ない、と言うことだな」
「はい」
相手が正道を武器とするならば、こちらも正道をもって受けねばならない。
……これはフェアプレイ精神や騎士道精神、人権人倫に因った価値観の発露ではなく、痛い腹の探り合いをする場合の最も基本的な対抗手段が、たまたまクリーンに見えてしまうだけのことである。
「オーリス、しばらく出向いてくれるか。
これだけ目立つ相手なら、真意を探ろうとしても労力に見あう成果が出るとは思えぬ。
どちらかと言えば、こちらの隙を見せぬ為の防波堤、あるいは今後を見越した協力体制……いや、言葉を飾っても仕方あるまい、援助の確立と言った役割になるが、頼んだぞ」
技本406がまともな成果を上げようと努力するなら、しっかりと乗ってしまえばいい。それは父の目指すミッドの平和に寄与するだろう。
逆に後ろ暗い成果を求めようとするならば、それこそ彼らの失策だ。本局との交渉材料に使えるなら、ありがたいことこの上ない。
どちらに転んでも、地上本部にはうま味がある。
「はい、ご命令とあらば」
査察や短期の出向はこれまでも数をこなしてきたけれど、裏事情を含みながらも与えられた仕事がほぼ書面通りとなるのは初めてかしらと、オーリスは異動後のあれこれを思い描いた。