明らかにどこか浮ついた様子の妹、妹を迎えに行ったノエルの証言、そして極めつけはこの小さな騒動の遠因が自分にあるということ。
月村忍は沈黙の降りた部屋の中、これは一体どこに結果を持っていくべきかと、明晰な頭脳をフル回転させつつ小さく溜息をついた。
昨日妹と共に翠屋に現れた青年の顔だけは、忍も知っていた。
だからまあ、妹との同席については特に気にも留めていなかった。妹の親友達があちこち───アリサのアメリカ行きはましな方で、なのはなどは次元を越えた別世界───に散ってしまい、春休みの昼下がりに暇をしていたのだろうと解釈した。
だが気付いた時には、どこか内気で常に控えめなはずの妹は、あろうことか青年の手を握って楽しそうな表情を浮かべていた。忍の知る限り、すずかとそれなりに会話を保てる男性は、彼女が気を許している士郎、恭也、親友アリサの父デヴィッドぐらいで同年代の少年はほぼ全滅、強いて付け加えるなら時折送り迎えをしてくれるバニングス家のショーファー鮫島氏のみ。それが手を繋いで長時間、しかも楽しげにとなると……あり得ないとしか言い様がない。
数ヶ月前、何とはなしに妹やその友達と同席していた時に見た、恭也の妹なのはの友人から送られてきたビデオレターに映っていた機械修理工の青年は、実直そうに見えたが忍にとってはそれだけの存在である。
三ヶ月ほど前に翠屋まで道案内をした、とは聞いた覚えがあった。だが、やっぱりそれだけだ。
その青年と妹は、テーブルの上でしっかりと手を繋いだまま───それも指輪を握り込んで───笑ったり驚いたり見つめ合ったり、楽しげな恋人同士のじゃれ合いから音だけを抜いたような、少しばかり不可思議な雰囲気を漂わせていた。
それを自分は半ば面白く思わず、いらぬ方向にからかってしまったのがいけなかったのだろうか。
ところが妹はからかわれていた最中でさえ、その青年の手を離さなかった。
だが、その表情には少しだけ心当たりがあった。
忍は。
恭也と付き合う前、彼を見ていた自分を思い浮かべてしまったのだ……。
「忍お嬢さま、そろそろお時間です」
「はあ……。
とりあえず行って来るわ。
今日のところは、あなたとファリンに任せるから」
「畏まりました」
「士郎さんや桃子さんに聞けば、少しは彼の情報も手に入るだろうし……」
「はい」
幸せそうな顔で何やら思い浮かべている妹に視線を向けると、忍は装いを調えて───なにせアルバイトとは言え恋人に会いに行く日なのだ───複雑な内心を抱えながら家を後にした。
▽▽▽
喫茶翠屋に到着しても、忍のもやもやは静まらない。
「恭也」
「ん、忍」
ロッカールームでエプロンを身に着け、手早く店に出る支度を整えて厨房に向かうと、恭也が皿を洗っていた。
こちらを見つけて、ふむと頷く。
「……なんだかよくわからんが」
「え?」
「内にため込むのはよくないぞ」
それはそうだが、気持ちの整理がつかないのである。
恋人だからお見通し……というわけではなく、表情に出過ぎていたのだろう。
「すずかちゃんのことか?」
「……どちらかって言うと、アーベル君のことね」
……何故あの青年だったのかは、忍にも分からない。情報が少なすぎる。
だが最初から切り捨てるという選択肢は、既になかった。
あのすずかの表情を見てしまった自分に、それは出来ない。
「恭也から見て、どう?」
再びふむと頷いて、恭也は皿を洗っていた手を止めた。
「普通、だな。
根は善良、こちらの世界に戸惑いはあっても、含むところはないだろう。
魔法使いだとは聞いたが、戦人のにおいはない」
「それも問題だったわね……」
青年は文字通り住む世界の違う人間───異世界人だった。
……実る恋もあれば、実らぬ恋もある。
それが単なる小さな恋ならば忍はすずかをからかうにとどめ、成り行きに任せていただろう。少々歳は離れているが、異世界人でも……まあ、究極的には構わなかった。遠縁の親族には狼男だっている。
しかし忍は、本能的に嗅ぎ分けた。
この恋は遠くない将来、愛になる。
自分にとっての恭也のように、すずかにとって彼がそうなり得るのか否か。
大事な妹の気持ちは尊重するべきだったが、ただでさえ月村の一族は背景が複雑なのだ。
愛を為したその先の闇に踏み込んでも、しっかりと立っていられる心の持ち主ならいい。
だが青年が闇を拒否し、あるいは闇に飲まれた時。
すずかはどうなってしまうだろう。
愛があるから大丈夫とは、言えない。
愛を覆してしまうほどの秘密が、月村にはあった。
普通の愛では足りない。
だが……。
……だんだんと、自分が何をしたいのかわからなくなってきた忍である。
「丁度いい。
聞いてみたらどうだ?」
「へ?」
「クロノ君はアーベル君の親友だと聞いている。
そうだな……見合い前の素行調査とでもつければ、理由は立つんじゃないか?」
恭也の指差す先には異世界人クロノ・ハラオウン───アーベルの友人が、カウンターで静かにコーヒーカップを傾けていた。
▽▽▽
士郎と桃子に事情を話して───流石に未来の義娘の真面目な願いはすぐに受け入れられた───許可を取ると、エプロンを外した忍は紅茶を片手にクロノの隣に座った。
「こんにちは、クロノ君。
ちょっといいかしら?」
「こんにちは、忍さん」
椅子に腰掛けた時には、既に士郎まで手を空けてカウンターの正面に位置している。忍のフォローに恭也達が送り出してくれたのだろう。このような事態に於いて高町家の連携は恐ろしく手際がよく、同時に隙がない。
「なんでしょうか?」
「昨日ここに来たアーベル君のことなんだけど……」
「……もしかして、指輪の件ですか?
こちらでも頭を抱えているところなんです」
「あらま」
「ふむ……」
あちらでも問題になっているらしい。……もっとも、クロノが複雑な表情を見せた理由が、アーベルの犯した管理外世界への魔導技術拡散条項の違反を恐れてのものだとは気付くはずもなく、忍は単に結婚の約束を早まった親友に頭を痛めているのかと解釈した。
「実はこちらもなんだ。
うちの恭也と忍ちゃんが付き合っていることは知っているだろうが、卒業後に結婚も決まっている。
そしてすずかちゃんは忍ちゃんの妹だ。
……お見合い前の調査的な意味で、アーベル君の情報を出来うる限り教えて貰えないだろうか?」
「見合い!?」
一瞬ぽかんとしたクロノは、ぽんと手を打って深く頷いた。
違反ばかりを気にして目を背けていたが、指輪を渡した───フェイトから聞いたが赤面するような告白付きで───とは、つまりはそう言うことであり、家族間のやり取りも必要と気付いたらしい。無論士郎や忍には、少しばかり恋愛に疎い朴念仁な少年に映った。
「遠からず、そうなる可能性が高いのよね……。
もちろん、当事者二人に無理強いはしないし、気持ちの問題が先よ。
ただ、そうなったときの準備はしておきたい……というところなの」
「すずかちゃんはなのはの親友でもあるし、アーベル君は真面目な好青年だとは思うが……そちらの世界の人間では調べようもない。
出来ればリンディさんやエイミィちゃんからも話を聞かせて貰って、多角的に彼の人物像を浮き上がらせたいと思っている」
「そう言うことでしたら、喜んで」
真っ正面切って問われたわけだが、その内容は次元世界の事情や管理局の機密とは無関係で、クロノを安心させた。納得の出来る理由である。……ついでに言えば応援する気にもなっているし、いつもエイミィとの仲をからかわれている意趣返しも無いわけではない。
聞き上手な喫茶店のマスターは、あれよあれよと言う間にアーベルの情報を揃えていった。
「16歳、かあ……。
年下だとは思わなかったわ」
「その歳にしては、随分しっかりとしているね」
実家は伝統ある工房を経営していて、地域ではそこそこ影響力のある旧家であること。
デバイスマイスター───魔法の杖の製造や修理を手がける職人───として既に十分な能力を持ち、管理局に招聘されて課を任されるほどの逸材であること。
性格は温厚で面倒見もいいが、時に周囲を驚かせる選択肢を躊躇無く選んでみせること。
女性に関しては淡泊……というより仕事一筋でその余裕がなく、名家のお嬢さまや同僚とも関係は良好ながらそちら方面には今ひとつであること。
「先日起きた事件の事後処理を決定する会議で彼に課を任せると提案したとき、高官から概ね反対が出なかったぐらいには実績や背景を持っています」
話を聞く限りでは人柄も悪くないし、エリートコースを歩む優良物件と聞こえなくもない。
異世界は事情が異なる様子で、目の前のクロノなど14歳で大勢の部下を従えて警察官のような仕事をしていると言うから、アーベルの状況も似たようなものなのだろう。
月村の裏事情───人外の力を持ち、人の血を吸う呪われた存在『夜の一族』のこと───を勘案しなければ、それこそ話をまとめに掛かってもいいほどだ。
だからこそ、忍の心中では複雑さが増した。
▽▽▽
アルバイト後、忍はわざとゆっくり歩きながら、集まった情報をあれこれ思案していた。
だが結局は堂々巡りで、すずかとアーベルの気持ちが固まってから、アーベルに全てを受け入れる気があるのどうかを確かめ、判断を下すしかないのだと気付く。
最悪破局でも相手は異世界人、町中でばったりと会って気まずくなることもないだろう。ある意味気楽だ。
どちらにしてもアーベル・マイバッハは当面忙しいらしいし、こちらも一族のごたごたにケリがついたとも言い難い。
それにすずかはまだ9歳、この四月に小学四年生となったばかりだ。
いざとなったら年齢を盾にして時間を稼げばいい。
次に状況が動くまでは静観すると決めた忍は、ようやく普段の表情を取り戻した。
しかし帰宅後。
あまりにも表情がふやけたまま戻らない妹に、こちらで状況を動かすべきか否か、いらぬ悩みを抱えることになった忍だった。