咲-Saki- The disaster case file   作:所在彰

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第五話 『対局』

「――ツモ、3000・6000です」

 

「く、……ぉぉお! 親っかぶりで三位転落かよっ!」

 

「京太郎なんか、まだいいぞ! 私なんか東パツで倍満上がったのに結局ラス引かされたじぇぇぇ……!」

 

 

 合宿二日目、京太郎の呻きと優希の叫びが部屋に木魂する。

 

 オーラス、手なりに進めていた和の手は順調に跳満へと変化し、10順目に和了りを迎えた。

 南場に入って集中力、注意力が散漫になっていたとはいえ一度はトップに立った優希、ラス親でトップを狙える配牌、点数だった京太郎には痛い和了り。

 

 

「トップは和、次いで宮永さん、須賀くん、優希か」

 

「また二人のワンツーフィニッシュ、流石にやるのぅ」

 

「半荘10回を終えて、トップの回数は原村4回、宮永3回、片岡2回、須賀だけは運よく1回か。トータルのスコアもその順だな」

 

 

 全員が浴衣を着ている中、Tシャツとジーンズとラフな格好を続けている嵐が最後を締め括る。

 

 今回の合宿の主な目的は新一年の強化。

 京太郎を除いた三人は実力的には申し分ないが、まだまだ脇が甘い。

 優希は利点と欠点がハッキリしており、和はネット麻雀と実際の麻雀の差に本来の実力が発揮しきれず、咲は元々の性格ゆえに精神面での弱さが見える。

 

 インターハイには魔物が住む。どんな分野、どんな世界にも例外(てんさい)は存在するものだ。

 ここ数年、女子の部は異常としか思えないほどレベルが上がっていた。中にはプロと比しても遜色ない力を発揮する者もいるほどに。

 

 三人とも純粋な実力、才能という点に関しては“魔物”と呼ばれる少女たちに肩を並べるだろう。

 だが、大会における経験値や精神面では劣っている。目に見えない僅かな差であるが、こと勝負においては明暗を分けるものでもある。

 

 この差は仕方がない。

 雀荘やネット麻雀と大会での対局が違いがあるように、インターミドルとインターハイもまた違う。

 別の大会経験者であっても、また別の大会における初出場というものは背負う重荷が違うもの。

 

 久もその違いを自覚しているからこそ、堅実に実力を上げる方向性を選んだ。

 

 

「――――で、須賀くんも初心者を脱却できて、大会に参加しても、ただただ負けて帰ってくるということはなくなったのはいいとして」

 

「そうですか? なんかあんまり強くなった気がしないんですけど……」

 

「そんなことないよ。京ちゃんが卓に入っても、だんだん和了り難くなってきてるし」

 

「嶺上開花で和了る咲ちゃんが言っても説得力ないじぇ……」

 

「そんなの、ただの偶然です」

 

「偶然かもしれんが、強いは強いからな。この面子じゃ、京太郎も成長は実感し辛いのも仕方ないわ」

 

 

 まこは京太郎の肩を叩きながら、自身の腕を疑う後輩を励ました。

 嵐の指導の結果か、京太郎の実力は格段に向上していた。二ヵ月前まで牌を触ったことなかったとは思えない成長だ。

 まだまだ部内での勝率は低いものの、全員が油断のできる相手ではない。

 自身の調子が悪ければ、あるいは逆に京太郎の調子が良ければ、いつもの立場は逆転しかねない位置に来ている。

 

 もっとも、麻雀はそういう競技だ。

 短いスパンであるのなら、ズブの素人がプロ雀士に勝ることは不可能ではないし、珍しいとは言い切れない。

 

 その点、京太郎は三人の当たり牌を明らかに自覚した上で止めることもあれば、捌きの難しい手を牌効率の面から見ての正答に導くことも多く、決して初心者・素人という域にいなかった。

 

 だが、残りの6人がそれだけで勝てるほど甘い相手であるわけもない。

 京太郎の通った道、これから通ろうとする道の先を行く者たちだ。一時の勢いで追い越せることはあっても、地力はまだまだ劣っている。

 成長など実感できるはずもない。確実に、堅実に足を進めている京太郎には、周囲の人間が高みにいる故に、自分の成長が一足跳びのものであると気づけない。

 

 

「須賀、焦るな。成長を実感できる者など一握りだ」

 

「先輩もですか」

 

「当然だ。前に進んでいるつもりだが、同じ場所で足踏みしているかもしれないという不安と常に戦っている。俺はその場で立ち止まっていることに耐えられない人間だから特にな」

 

 

 とてもそうには見えない。

 常に冷静沈着に物事を判断し、泰然自若とした物腰を崩さない人間に言われても信じられないだろう。

 

 しかし、人の心の内が本人以外も分からないものである以上、上辺だけの言葉と断じるのは、また浅慮であった。

 

 

「まあ、それほど焦ってるつもりはないですよ。負けて悔しいは悔しいですけど、そんなホイホイ勝てるほど皆の努力は甘くないでしょ」

 

「分かっているのならいい。焦ったところで空回るだけだからな」

 

「まー、俺がっつーか、先輩以外が全員思っていることの方が気になりまして」

 

「……ん? なんだ、言いたいことがあるのならハッキリ言ってくれて構わないぞ?」

 

 

 京太郎の言葉は嵐にとって予想していないものだったのか、目を丸くして辺りを見回す。

 他の部員たちは呆れた様子で顔を見合わせ、あるいは大きく溜め息をつくばかり。

 

 

「はーい、皆の気持ちは一緒みたいね。じゃあ、せーの」

 

 

『なんで合宿に来てるのに一回も麻雀打たないの?』

 

 

「えっ」

 

『えっ』

 

 

 久の音頭でハモる六人の言葉。

 しかし、嵐は言葉を受けて静かに驚き、六人は静かに驚いた嵐に驚いた。

 

 

「いや、新一年の強化が目的なんだから、俺が無理に入る必要もないだろう」

 

「あるわよ! メインは確かにそうだけど、私たちだって打たなきゃダメでしょ!」

 

「そうだが、牌譜も取らなねば、あとから見直せないぞ」

 

「それはワシや部長もできるけぇ。少しは任せんさい」

 

「でも、後ろで見てるだけでも俺には勉強に……」

 

「知ってます。後ろで見たり、夜に牌譜研究したり、俺たちにアドバイスくれたりもしてます」

 

「だろう? 必要なことであるし、俺がやりたいからやっているだけだが」

 

「だからって、やり過ぎだじぇ」

 

「そうですよ。そこまでされても私たちは……」

 

「ちょっと……うぅん、かなり後ろめたいです」

 

 

 それは批難というよりも、心配と申し訳なさからの言葉だった。

 

 確かに、嵐のアドバイスは歯に布を着せぬ分、何処にミスがあったのか分かり易く、また的確である。

 そういった意味で、指導者として申し分ない素養がある。効率の観点から見れば、部内での立場は間違っていない。

 だが、それはあくまで指導者の立ち位置だ。一介の部員が立つべき場所ではない。

 

 部員であるのならば、誰しもに大会に対しての意気込みや目的意識があり、自らの目指す場所への努力をすべきであり、そこに先輩後輩の垣根はない。

 

 加えて言えば、彼女らは人は持ちつ持たれつの関係を築くべきと無意識に知っている。

 一方的に頼るだけでは、相手に負担を与えるだけでなく、自分自身の成長を妨げる結果となるものだ。

 何よりも、こうまで見返りを求めぬ献身――例え、本人がそう思っておらずとも――に報いなければ、六人が自分自身を許せない。

 

 

「……そうか、逆に気を使わせていたのか。すまんな、俺としては必要だと思ったんだが」

 

「必要は必要だけど、アンタの場合はやり過ぎなのよ」

 

「成程、この手の加減は、よく分からなくてな。…………普段から須賀に雑用を押し付けているお前たちの言っていい台詞とも思えんが」

 

 

 最後の一言が、グサリと嵐と京太郎以外の心に突き刺さった。

 

 程度の差はあれ、京太郎もまた嵐同様、自身の時間を削り、部に対して貢献している。

 先の嵐に対して向けられた言葉が本物であるのなら、京太郎に対しても同じように労い言葉だけでなく、正当な報酬を与えて然るべきだろう。 

 

 

「……須賀くん、ごめんなさい。今度からは、買い出しの量は減らすわね」

 

「ワシも牌譜の整理を任せっきりじゃったのぅ……」

 

「今度から部活の前に、ちゃんと学食でタコス買ってくるじぇ……」

 

「わ、私も対局が終わった後に牌磨きをしなくては……」

 

「あ、あはは、いつも飲み物いれてくれてるの、京ちゃんだったよね…………ごめんね」

 

 

 それぞれ思うところがあったのだろう。

 普段の様子を思い返しているのか、各人が目を逸らしながらも顔を引き攣らせ、冷や汗を掻いていた。

 

 振り返っているのは嫌な顔一つせずに雑用を淡々と熟す京太郎。

 感謝はしている、ありがたくも思っている。だが、やはり最初に浮かぶのは、ごめんなさいという謝罪の言葉。

 

 その動揺ぶりに助け舟を出したのは、他ならぬ京太郎だった。

 

 

「いやほら、俺がやりたくてやって――――あ、ダメだ! この言い訳、今は使えねぇ?!」

 

「だろうな、俺と同じことを言っているぞ。……それに、一番弱いからと雑用を引き受け、今の立場に安堵するお前にも問題がある」

 

(バ、バレてる……!)

 

 

 京太郎にも引け目はあった。

 初心者だから、と実力者の手を煩わせる不甲斐なさ。自分の居場所がなくなるのでは、という不安。

 麻雀を楽しんでいるからこそ、麻雀を続けていたいからこその不安。

 誰にも否定できないものだ。いずれ親しい人間に捨てられる、置いて行かれるなど、想像したくもあるまい。

 

 自身の弱さ、甘さを指摘され、今度は京太郎が肩を落とす番だった。

 

 

「あー、もう! お互い悪かった、態度を改めるってことでいいのよね!」

 

「無論だ。それ以外の理由があるか?」

 

「アンタの物言いはコッチを責めているようにしか聞こえないのよ!」

 

「なに? ……そんなつもりはなかったんだが」

 

 

 部屋の中に漂い始めた暗い雰囲気を払うように、久が声を張り上げる。

 本気で苛立っていると言うよりは、無理に怒って自分を奮い立たせているようだった。

 

 久の偽りの怒りに押されたのではなく、その台詞に驚いた嵐は目を見開いた。彼としては、あくまでも指摘のつもりだったのだろう。

 改めた方がいいとも思ってはいたが、指摘をどう受け取ろうとも当人の選択。余人の口出しすべきものではないとして、それ以上踏み込んでいくつもりもなかった。

 

 相変わらず他人の考えや気持ちは察せても、自身の行動をどう受けとられるのかを分かっていない男だった。

 

 

「まあまあ、嵐さんもそんなに落ち込まんと。それに良い機会じゃろう。このまま打てず仕舞いじゃ、後輩に舐められるけえね」

 

「別段、舐められても構わんが。相手にはそのように映ったというだけの話だ。ましてウチの連中は不敬を働くような人間ではない。だが……」

 

「……だが?」

 

「ここまで言われたにも拘らず辞そうものなら、逆に俺が非礼だな。了解した、入らせて貰おう」

 

「じゃあ、俺が抜けます。負け続けで疲れたし、まずは後ろで見てみたいんで」

 

 

 嵐が僅かながら笑みを浮かべたのを見ると、京太郎は自ら席を立った。

 

 京太郎自身、打ってみたくはあったが、負け続けで疲労を感じていた。

 例え、肉体的な疲労が少なくとも、精神の疲労によって思考の鈍りや身体を重さを感じることもある。

 そんな状態でまともな打牌ができるとは思えなかったし、一応とはいえ師に当たる嵐と腑抜けた対局をしたくはなかった。

 勝つにせよ、負けるにせよ、全力で成長を見せたい。そんな思いから、背後で見ることを選択した。

 

 

「じゃあ、よろしく」

 

『よろしくお願いします!』

 

 

 嵐は僅かに顎を引き、目を伏せた。

 それが対局相手に向ける最大限の敬意であると受け取れる一礼。

 礼儀正しい和、咲はともかく、そういった堅苦しさを嫌う優希すらも釣られる形で頭を下げた。

 

 

「須賀くん、賢明だったわね」

 

「はは、何もできずに負けなくて、って意味ですか?」

 

「まさか。今のワレなら参加もできずに負けるなんてありえんじゃろう」

 

 

 久の言に自虐――ではなく、純然たる事実として考えていた京太郎の答えは、牌譜を取るために紙とペンを握ったまこに否定される。

 

 実際にトップ率、スコアという点において京太郎は部内で最下位である。だが反面、放銃率やラス率は優希の方が高い。

 それは性格の違いのみならず、勢いを武器にした優希の打牌と嵐に教えられた自身で考え抜く力を伸ばした京太郎の打牌の差であろう。

 優希のように派手に勝ち、派手に負けることに目を引かれる人間も存在すれば、京太郎のように勝ち星は少なくとも、少しでもスコアや結果を良くしようとする立ち回りに脅威を感じる人間もいる。

 一概にどちらが優れ、どちらが劣っているかなど語れるわけもない。

 

 ましてや麻雀はその場限りの運ですら、勝敗の決めてと成り得る競技。

 そういう競技と知っているからこそ、二人は京太郎の考えを否定した。

 

 

「なら、なんでですか……?」

 

「いいから、とにかく見てれば分かるから」

 

 

 いつものように意地悪げな笑みを浮かべ、久は京太郎に視線を絡ませる。

 その時、いつものと違うところを一つだけ見つけた。

 

 その瞳から発せられる光が楽しげなものではなく、嬉しげだったこと。

 

 付き合いがたかだか二ヵ月程度の付き合いであっても、久という人物を多少は把握していた。

 悪戯好き。悪巧みの手管に長けている。考えなしのように見えて、実際は人よりも多くのものを考え、多くを把握している。自分で動くよりも、人を動かす方が得意。

 

 ――そして何よりも、常に楽しそうに生きていること。 

 

 竹井 久という人間は人生を楽しんでいる。

 持てる全てを費やし、扱い、しかして努力を怠らず、最高の楽しみと最大限の利益を上げて、青春を全力で謳歌している。

 

 それが京太郎の久に対する人物評であり、所感だった。

 

 だからこそ不思議でならない。

 目の前の展開を楽しむのならば分かるが、喜ぶとはどういう意味が込められているのか。

 

 それはつまり――――――

 

 

「部長は嵐さんに惚れてるけぇ、しゃあないわ」

 

「…………へ?」

 

 

 眼鏡を光らせ、ニヤリとシニカルに笑うまこ。

 京太郎は予想だにしなかった答えに目を丸くした。

 

 言うまでもなく慌てたのは久だ。 

 

 

「ふぇっ?! な、なにをいってるのよ、まこぉ!」

 

「え? ワシは闘牌に惚れこんどる、っちゅう意味で言ったんじゃがな?」

 

「……ぐ、っく、覚えときなさいよ」

 

「おー、こわ。いつものお返しのつもりが、高くついたかのぅ」

 

 

 図星を突かれたのか、それとも単に恥ずかしかったのか。

 京太郎に胸中まで察することはできなかったし、考えることも止めた。

 耳まで真っ赤になった久を見れば、いつもからかわれている側だったとしても情けをかけたくなるのが人情だろう。

 

 

「須賀くんも勘違いしないようにね。絶対に。断じて。何があっても」

 

「ハイ、ワカリマシタ」

 

「なによ、その酷い棒読み?!」

 

 

 こういったやり取りは二人の仲の良さ故と理解し、被害が飛び火してくるのを回避するために京太郎はそれ以上の追及を避けた。

 

 

(取り敢えず、部長はからかうのは得意でも、からかわれるのは苦手。あと可愛い――――いや、重要なのはそこじゃないな。対局に集中集中っと)

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 四人の対局は優希の起家から始まり、続き、咲、和、嵐の順で親が回っていく形となった。

 

 優希は東場での速攻は言うまでもないが、起家率も極めて高い。

 起家になる確率は、たったの1/4。長く対局を続ければ、起家率が2割5分に近い数字となるのが普通だ。

 

 しかし、入部から2ヵ月余りで熟した200局以上の対局において、彼女の起家率は8割を超えていた。

 

 ただの偏りと割り切るのは容易い。もっと長いスパンで見れば、いずれ平らになるはずだ。それが何時になるのかさえ、除きさえすれば。

 数千局では手は届くまい。数万局でもまだ突出しているだろう。数億局に至って、ようやく平らになるかどうか。

 

 そのような数の対局を人間が果たせるわけもない。   

 人間の想像を超える者。神の定めた常識(かくりつ)を崩壊させる者――――優希もまたインターハイにおいて“魔物”と呼ばれるに相応しい存在である。

 

 そして彼女が起家を務める対局は――――

 

 

「ツモ! 8000オールの親倍だじぇ!」

 

 

 優希・手牌

 

 {二二三三四四②③④⑧⑧23} {4}(ツモ)

 

 

 ――――彼女の和了りから始まる場合が殆どだった。

 

 リーチ一発ツモ、平和、断ヤオ、一盃口に三色付き。更には雀頭の{⑧}がドラの化け物手。

 裏ドラが乗らず、三倍満には一翻届かなかったものの、そんな化け物手を手なりで進めた上、僅か7順目の出来事。

 並みの雀士ではやっていられない。止める暇さえない、バカヅキとしか言えない和了。

 

 

「これは痛ぇ……」

 

「あら、須賀くんなら諦めちゃう?」

 

「いや、どうですかね。諦めはしないでしょうけど、混乱して普段通りの打ち方ができるかどうか……」

 

「高い和了りは精神へのダメージも多いけぇ。立て直せないことも多いが、見てみんさい」

 

 

 四人の対局を邪魔しないような小声での会話だった。

 

 まこが顎で指し示したのは和と咲の表情と嵐の背中。

 

 和と咲の表情は、優希に和了られたにも拘らず、無表情ながらも固さのない柔らかなものだった。

 焦りや苛立ちは一切ない。しかし、同時に油断もなく、優希に対する賞賛の色が読み取れる。

 

 京太郎たちの位置から嵐の表情は見えなかったが、ピンと伸びた背中は不動であり、誰の目から見ても動揺は見られないだろう。

 

 

「相手がバカヅキしてりゃあ、こういうことも間々あるもんじゃ」

 

「そういう時、平常心が大事、と」

 

「その通り。まともに考えれば東風戦じゃ、ほぼ優希の逃げ切り確定でしょうけど、これは東南戦。つまりは半荘。チャンスはいくらでもあるわ」

 

「あの三人なら、東風戦でも油断はできんがの」

 

 

 優希の点数はこれで49,000点。対し、三人は17,000点。差にすれば32,000点。

 直撃を前提として、満貫ならば二度、跳満ならば一度と少し、倍満ならば一度で並ぶ点差。

 終局まで最低でもあと八局。ましてや三人とも親番を二度も残している。厳しく細い道ではあるが、決して歩いていけぬ道ではない。

 

 

「それもそうなんですけど、日之輪先輩の手牌は……」

 

 

 京太郎の気を引いたのは、嵐の手牌だった。

 

 

 嵐・手牌

 

 {一一四六③④赤⑤⑥⑦⑧⑧東東}

 

 

 6順目、優希の{五}切りリーチに対し、嵐はドラの{⑧}を掴んだ時点で即座に出来面子から{五}を抜き打った。つまり、その時点で聴牌はしていたのだ。

 更に不可解だったのは3順目に和の{東}切りで鳴かなかったこと。{東}対子は配牌の時点で嵐の手にあった。

 鳴けばその時点で東赤イチの2000点確定、ドラ{⑧}が顔を出すか、ツモれば3900点から4000点の――

 

 

 {一一四五六②③④赤⑤⑥⑦} {横東東東}

 

 {一一四五六③④赤⑤⑥⑦⑧} {横東東東}

 

 

 ――こんな形の和了りも十分に可能だったはずだ。

 

 東発の出だしとしては好調な点数と和了。その上、親を蹴れるのであれば多少は無理してもよさそうなものだろう。

 

 

「こう考えるのは、俺が素人だから、……じゃないですよね?」

 

「そうじゃな。最近のスピードに重きを置いた麻雀じゃ、可笑しかないわ」

 

「私なら威嚇の意味も込めて鳴いてたわね。相手が鳴きをテンパイ気配と感じて受けに回ってくれれば、それだけツモる回数も和了りの可能性も増えるし、決して悪手と言えないわ」

 

 

 昭和の時代、手役を重視した打ち回しこそが主流であり、鳴きを軽視する傾向にあった。  

 しかし、嵐は近年の麻雀はスピードも重要と常々語っていた。鳴いて捌くのも、一つの手段と認めている証。

 ならば、鳴きを嫌う面前重視の雀士、ということもないだろう。

 

 

「嵐さんは鳴きと面前のバランスがいいけぇ。どちらに寄るっちゅうことはない」

 

「……て、ことは、三人の打ち筋を見るために和了りを捨てたのか」

 

「そうね。嵐は敢えて和了りを放棄して一局か、二局くらい見に回る場合が多い。酷い時なんて東場丸々捨てることもあるわね」

 

「…………はぁ?!」

 

「流石に、そこまでいくのは稀だけどね」

 

 

 一局、二局ならばまだしも、半荘の東場を捨てることさえあるという。それは東場に全く和了れないこととは別次元の問題だ。

 見は無意味な行為ではない。明らかな当たり牌、切り辛い危険牌を掴んだ時点で和了りを諦め、相手の癖や打ち筋を見極めれば、次局の和了りへと繋げる布石となる。

 だが、状況から仕方なく見に意向するのではなく、自らの意思で見に徹するのは、スピードを重視する近年の麻雀ではリスキーどころか自殺行為にも等しい行い。

 

 嵐が見に徹する相手に例外はない。

 一度戦った相手であろうとも。明らかな格下であろうとも。見に回るだけで危険な強敵であろうとも。

 しかも、見に徹する回数も様々。油断のならない相手に対しての一局だけで済ませる場合もあれば、ズブの素人に数局を費やす場合もある。

 

 例外は相手ではなく場況。

 配牌一向聴。最終形の想定が高い時。ツモから自らの好調を読み取った時だけだ。

 

 

「嵐さんのことじゃ、癖や打ち筋くらいだったら一局もあれば見切っても可笑しかない。もっと深いところまで見通してそうじゃな」

 

「一度戦った相手に見に回る必要はないしね。相手の本質とかもそうだけど、成長の度合いとか、対局中の成長の伸びまで推し量っているかも……」

 

「……………………」

 

 

 京太郎も、相手が何処の馬の骨とも知れない人間であるのなら、二人の会話を一笑に付しただろう。

 しかし、隠し事や、直接見ていない場面の出来事を、人の表情や雰囲気から見抜く嵐であれば、話は別だ。

 

 二人の言葉を、半ばまで信じてしまっている自分が既に心の中にいることを自覚し始めていた。

 

 

 東1局1本場 親・優希 ドラ{9}

 

 嵐・手牌

 {三四五六七③③④⑤77中中}

 

 

(まだ高速配牌が続くのか。悪くない、悪くはないけど……)

 

 

 優希・手牌

 {678999①③一二三南西} {南}(ツモ) {西}()

 

 

「よし、ダブルリーチっ!」

 

(なんちゅー勢いだよ、おい! 嵌{②}で待ちは悪いけど、ドラ暗刻のダブリー。こんな手が入るもんなのか?!)

 

 

 前局の勢いをそのまま引き継いだのか、最低12,000点の親満を配牌から手に入れていた優希。

 待ちを良くし、相手に少しでも隙を当たるのは緩手と判断した上でのダブルリーチ。

 

 もうこうなれば、咲にせよ、和にせよ、よほど配牌がよろしくなければ頭を低くして耐えるしかない。

 

 

 咲・手牌

 {1234578七九③⑤⑧北} {八}(ツモ) {北}()

 

 和・手牌

 {①赤⑤⑥⑦⑦一二三四23中発} {4}(ツモ) {中}()

 

 

 二人とも、暗刻でしか面子が作れず、単騎かシャボでしか待てない、当たる可能性の低い字牌からの切り出し。

 ともにツモった時点で二向聴。攻めて行くには心許なく、これ以後のツモで押し引きを見極める様子見の一打。

 

 

「ポン」

 

 

 1/2の確率で和の手牌から押し出された{中}を嵐が何の迷いもなく鳴いた。

 

 

 嵐・手牌

 {三四五六七③③④⑤77} {横中中中} {③}()

 

 

「通るか……?」

 

「ぐ、通るじぇ」

 

 

 当たり牌の隣、{③}を切られ、僅かながらに優希の表情が歪む。

 三人がダブルリーチで手が縮こまるレベルの手合いなどと夢にも思っていなかったが、押してくる以上、相当の手が入っていると予想したのだ。

 無理もない。嵐の手牌を知らぬ優希には、三面張とはいえ、たった一翻の手でダブルリーチに押してくるなど考えられなかった。

 

 

(すっげぇクソ度胸。顔色一つ変えずに、ダブリーに無筋を押せるのかよ)

 

 

 京太郎の疑念を余所に、次順――

 

 

「ツモ、中のみ。一本場は4本6本」

 

 

 嵐・手牌

 {三四五六七③④⑤77} {横中中中} {二}(ツモ)

 

 

「じぇぇぇ、いくら三面張だからって、こんな手で私の親満がぁ!!」

 

「麻雀じゃ、よくあること、だろう?」

 

 

 東家・優希 474,00(-1,600)

 南家・咲  166,00(-400)

 西家・和  166,00(-400)

 北家・嵐  194,00(+2,400)

 

 

 実質、ただ一度の鳴きとツモでの和了り。優希のリーチ棒を含めた2,400のプラス。

 配牌と和の{中}切りと幸運が重なった結果とはいえ、まさに電光石火としかいいような仕掛けだった。

 

 裏も乗れば、勝負の天秤が大きく傾くリーチを蹴られ、優希は当然の如く悔しがっていたが、和了った嵐の態度は涼しいもので宥めるだけの余裕があった。

 

 京太郎は早業に舌を巻き、ふと咲を見れば、最後に掴んだらしい牌に視線を落としていた。

 じっと見つめていたのは{②}。今し方まで、優希の当たり牌であった。

 

 

(あのツモは元々優希のツモなわけだから、先輩の鳴きでズレた。……いや、ズラした?!)

 

 

 単なる結果論、単なる偶然。たったそれだけのこと、たったそれだけのはず。

 

 だが京太郎には否定できなかった。

 理由は定かではない。僅かな順目で最短の和了りを拾ったからか。無意識の内に、嵐の実力を読み取っていたのか。

 

 

「あら、不思議なことでもあったの、須賀くん?」

 

「あ、いや、先輩の鳴きがなければ優希の一発ツモだったもんで。…………偶然、ですよね?」

 

「うーん、どうかしら? アイツは、そういうことがあっても運が良かった以上のことは言わないから。…………ところで、感覚打ちって分かる?」

 

「ええ。優希とか咲みたいなタイプですよね。部長が言うにはリアルの情報を読み取っている、って感じの」

 

 

 感覚打ちとは、その時の運や調子、あるいは直感を優先し、具体的な数字や確率を度外視した打ち筋だ。

 そんな打ち方では素人同然であるが、だからこそ強い人間を京太郎は誰よりも身近で体験している。

 

 宮永 咲。片岡 優希。

 どちらも京太郎がもっともよく対局する相手であると同時に大きな壁であり、またいつかは超えたいと願う相手でもある。

 

 

「特に宮永さんなんかはズバ抜けてるわ」

 

「普通の人には見えてないものまで見えてる、でしたっけ。牌が全部透けて見えてるわけじゃないでしょうけど」

 

「流石にそこまではね。でも、ある程度なら、見えてるかも」

 

 

 そうでもなければ毎局±0などという離れ業ができる筈もなく、嶺上開花という役満以上に珍しい役を連発できるはずもない。

 そう感じさせるだけの条件は整っている、とも言える。 少なくとも、そう感じさせるだけの“何か”を咲は持っていた。

 

 相手の当たり牌を掴んだ時、捨てた時、何がしかの予感が電流として全身に奔るように。

 京太郎もまた、咲の持つ“何か”を、対局の度に感じていたのは確かだった。

 

 

「それに嵐の凄さは後ろで見てないと分からないのよ」

 

「もし、今のを狙ってやったっていうなら、確かに……。賢明って、そういうことですか」

 

 

 対局前に久が発した賢明の意味を、ようやく京太郎は理解した。

 対局していれば、嵐の運が良かったで済ませていた可能性が高く、何をされたのかも理解できなかっただろう。

 

 何よりも、たった一度の和了りで京太郎は魅了されてしまった。これが部長が惚れ込んでいる闘牌なのか、と。

 偶然にせよ、蓋然にせよ、当然にせよ、凄まじいことに変わりはない。

 

 咲や和、優希とは、また一味違った打ち筋。それはまるで―――

 

 

「嵐の闘牌はまるで災害。巻き込まれた人間は何が起きているのか、何をされているのか、終わってみなければ理解できない」

 

 

 ――意思を持った嵐のよう。

 

 さながら、四人の座る卓は突如出現した台風の目――嵐の中心に穿たれた空洞か。

 風は穏やかで、雨もほとんど降らず、普段と変わらぬ青空が覗ける(うろ)

 しかし、その洞から一歩でも外に出れば、最も激しい風雨に曝される、一時の安全だけが約束された危険地帯。

 

 “嵐”は静かに、穏やかに―――だが、確実なる猛威を振るうため、進路を決めつつあった。

 




五話目にして、ようやく主人公が真の実力を発揮です。
思ったよりも長くなったので中途半端なところで申し訳ありませんが、次回をお待ちください。

では、ご指摘、ご感想、お待ちしております。

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