咲-Saki- The disaster case file   作:所在彰

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過去編 竹井 久の場合

 ――――竹井 久は夢を見る。

 

 意識の深層へ、記憶の深淵へ沈んでいく。

 

 夢は深層心理の具現とも、記憶の編纂とも呼ばれている。

 どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。事実は、この世を作り出した何者か(かみ)以外には分かるまい。

 万物の霊長と自らを称した人間でさえ、未だ解き明かせぬ自らの機能。

 

 ともあれ竹井 久の見ている夢は、どうやら後者のようだった――――

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「ごほっ、んっ、……不覚ね」

 

 

 我が家の自室で、情けない自嘲を漏らす。

 

 本当に不覚としか言いようがない。振り返り甲斐の、研究し甲斐のある良い牌譜を手に入れたからと言って、熱中して夜更かしした挙句に風邪を引くなんて。

 それだけ麻雀に打ち込んでいると言っても、学校の友人には笑われるだろうし、多くの大人たちに言わせれば、自分を律することのできない証拠と説教されるに決まっている。

 

 でも、言い訳だけはさせて欲しい。

 手に入れたその牌譜は、私にとって素晴らしい価値を秘めていたんだから。

 

 それは麻雀部の新入部員――日之輪君と対局した時の牌譜。

 

 はっきり言って、彼の闘牌は私の予想を覆す――――ううん、想像すら超えるものだった。

 

 麻雀にはデジタルと称される効率と数字を優先する打ち方と、オカルトと称されるツキや流れを優先する打ち方がある。

 

 私の打ち方、オカルト寄り。デジタルに徹する時もあるけれど、ここぞという時、対局を左右する分岐路では、確率の悪い方を選ぶ。

 不思議なことに、その方が上がれる。まともに調べたことはないけれど、通常の確率とは比較にならないはずだ。

 

 悪待ちを主軸に、相手を翻弄するスタイル。私は今までそれを武器に、麻雀を制してきた。

 全てが全て通用すると思っていないけれど、少なくともこれまでの大会では通用してきた。

 

 

 ――その私が、負けた。

 

 

 打ったのは半荘三回。先生二人にゲストを頼んでの勝負だった。

 結果だけみれば、彼がトップを二度、二着を一度。私がトップを一度、二着が二度と、それほど気にするものじゃない。

 麻雀の実力者――特にデジタルに傾倒している人なら、何を馬鹿な、と思うだろう。

 麻雀は一度や二度打った程度では、勝敗は決しても、どちらが上であるかは計れない。運が絡む競技である以上、当然の言い分。……確かに、その通りだ。

 

 でも、対局を通じてしか感じ取れないものは確かにある。

 とにかく、私は久しぶりの――――もしかしたら、生まれて初めての決定的な敗北感を味わった。

 

 彼の闘牌は何と言っていいのか。

 一番初めに浮かんだのは、ニュースでみた海外の大嵐(ハリケーン)。人の意思も思惑も意に介さず、全てを吹き飛ばす未曾有の天災(disaster)。 

 卓についた瞬間から、彼はその名の通り、意思を持った“嵐”と化した。

 

 

「…………ふふ」

 

 

 刻み込まれた決定的な敗北感にも拘らず、私は漏れ出す笑みを抑えきれない。

 

 彼の闘牌は凄まじくもあり、同時に素晴らしいものでもあったから。

 端的に言って、私は魅せられた。子供がテレビで見たプロの闘牌を絶対に真似できないと確信していながら、背中を追い求めるように。

 既に自分の打ち筋を確立しているから真似しようとは思わないけど、抗えない魅力に満ちていた。

 

 

「入ってくれて、よかった」

 

 

 今いる麻雀部は幽霊部員ばかりで廃部寸前だった。

 一人で部活を続ける日々。来年まで、下手をすれば再来年まで、こんな日常が続くのかと思うと、諦めようとは思わなかったけれど、辟易はしていた。

 

 そんな時、降って湧いた好機(チャンス)を、この私が逃すわけがない。

 人の頼みを断らない彼のこと、入部も二つ返事でOKを貰えると思っていたが、以外にも返ってきたのはNOという拒絶だった。

 

 勿論、部活に興味がなかったわけではないらしい。ただ自分を連れて行き、私の部内での立場を危ういものにするのでは、と危惧していたとのこと。

 うん、自分が周囲からどのような目で見られているか理解しているのはいい。たまたま面子が足りないのだろう、と部活の人数を勝手に判断するのもいい。

 

 だけど、いくら此方を思っての拒絶とは言え、二週間も理由を喋らないのは如何なものか……!

 

 最後の方など、わざわざ嘘泣きまでして口説き落としたんだから、彼も相当な頑固者ね。

 …………アレ? 嘘泣き、だったわよね。多分、きっと、メイビー。うん、アレは嘘泣きだった。絶対、何があっても、嘘泣き以外に認めない。

 いや、でも、日之輪君に嘘なんて通用しないし、……アレ? あっれぇ? 私、相当恥ずかしいところを――――

 

 

「止めましょう。…………しっかし、ほんと凄いわね、彼」

 

 

 精神衛生上、これ以上はよろしくないので無理矢理に頭を切り替える。頬が熱いのも、きっと風邪のせい。

 

 ぼんやりと靄のかかったようにハッキリとしない頭を振って、手にしていた牌譜に目を向ける。

 これは彼の書き起こしたものだった。驚くべきことに、自分のついた卓における牌の動きをむこう半年は忘れないと言っていた。

 流石に、ゲスト二人と私の手牌までは記入されていなかったが、四人分の捨て牌と自身の手牌は完璧に記録されていた。 

 

 彼が言うには、子供の頃は同じ三人とばかり打っていたらしい。

 皆それぞれの理由で麻雀を楽しみ、それぞれが強い向上心を持っていた。

 どうすれば勝てるのか、どうすれば腕前が向上するのか。子供ながらに意見をぶつけ、否定し、検討し、最終的に同じ結論に至った。

 

 

『とにかく、牌譜が欲しい。自分の打牌のどこが間違っていたのか分からなくちゃ、上手くなるわけない』

 

 

 で、四人が始めたのは、取り出し順からツモまで全ての牌の動きを記憶すること。

 四人が覚えていれば、記憶違いがあったとしても、それぞれの記憶で完璧な牌譜が完成する。

 

 とんでもない子供たちだ。発想自体は誰でも思いつくようなものだけど、それを実現してしまっている辺りが特に。

 一つだけツッコませて貰えば、アンタ達――――どうして余所からもう一人連れてくる発想ができなかったのよ……!

 

 …………けど、四人の気持ちも分からなくはない。

 その四人で打つ麻雀は、きっと他人など差し挟む余地のない、楽しいものだったに違いない。

 

 

 ――彼らの世界は閉じていた(なんて小さい)

 

 ――――けれど、それは目映いばかりの(なんて幼い)

 

 ――――――たった四人だけの、完成した世界(侵すことの許されない、小さな楽園)

 

 

「いいなぁ、羨ましいなぁ」

 

 

 何時もだったら情けなくなるような声をあげて、ゴロゴロとベッドの上を転がり回った。

 きっと風邪のせいで思考も行動も緩くなっている。

 

 羨ましい。自分よりも、心底から麻雀を楽しんでいただろう彼らが。

 妬ましい。自分の持ちえなかった、深い絆で結ばれた友人を持っていた日之輪君が。

 

 誰にも邪魔されることなく、誰にも学ぶことなく、余計な重荷(ウエイト)を背負うこともなく、ただただ純粋に麻雀を楽しむ日々。

 成長するにつれて、人は色々な(しがらみ)に捕らわれる。勝ちに拘る執念、周囲からの期待、大人からの余計なお世話。

 そんなものに縛られず、四人の才能と努力だけで培われ、補いあった故の実力。それが日之輪君の麻雀を高い領域にまで引き上げた。残りの三人も、きっとそう。

 

 だからこそ勝ちたい。だって負けたままでは悔しい。

 自分が勝ったからと言って、人を馬鹿にするような彼ではないけれど。だからこそ、見せつけたい。決して、私の麻雀も劣るものじゃないんだと。

 

 そんなことを言っても彼は――

 

 

『…………そうか。前回は運良く勝ちを拾ったが、次回はどうなることか。恐ろしくもあるが、嬉しくもあるな』

 

 

 こんな感じに、嬉しげに微笑むだけだろうけど。

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 その時、家のインターホンが鳴った。

 今日は来客の予定はないと母さんに聞いている。回覧板も先日、お隣さんに回したばかり。

 つまり、この突然の来客は、怪しげーな宗教関係者か、訪問販売員か、新聞の勧誘のお誘いのどれかだ。

 いつもなら、出るだけ出てハッキリNOと告げてお帰り頂くけれど、今日は流石に動く元気すらない。

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 一定間隔で鳴らされるチャイムの音。

 連続で押されない所を見ると、近所の悪ガキの悪戯でもなさそう。こういうのは無視に限る。限るのだけど……

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 流石に、それが10分も続けば不快なわけで。どうしてもイライラが募る。

 何が不快かと言って、こちらが牌譜に集中しようとすると、遮るように鳴らしてくる辺り。

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 あったまきた。

 相手には相手の都合があるのだろうが、こっちだって風邪を引いている。無理な話だけど、少しは気を使ってほしい。

 

 節々の痛む重い身体でベッドから這いずり出て、壁に掛けておいたカーディガンを羽織る。

 流石の私だって、女としての恥じらいは存在する。寝間着姿で出て行くの嫌だ。見た目に少しは気を使ってもいいでしょう。

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 よたよたと覚束ない足取りで、我が家の階段を下っていく。

 それほど熱があるわけじゃないけど、頭痛は酷いし、何よりも全身が鉛のように重い。自室に戻る時を思うと億劫で仕方がない。 

 よし、決めた。もし相手がしつこく食い下がるようなら、即110番してやろう。それも盛大に怖がりながら、泣き声を上げて。 

 

 熱に浮かされた愚かな考えで自分を奮い立たせながら、やっとの思いで玄関にまで辿り着く。

 間違いなく不機嫌な表情をしているであろう顔の筋肉を動かさず、扉を開けた。

 

 

「はい、どちらさ――――」

 

「無事だったか、出るのが遅いから心配したぞ。……まさかとは思うが、眠ってい――――」

 

 

 ガチャ、バタン。

 

 ……………………………………え? 今、何かありえない生物がいたような……?

 

 とりあえず、大きく息を吐いて、吸って深呼吸。心を落ち着け、意を決してもう一度扉を開ける。

 

 

「………………竹井、俺はお前が何をしたいの――――」

 

 

 ガチャ。バタン。

 うん、確かに今し方まで考えていた日之輪君その人だった。私が熱の余りに幻覚でも見ていない限りは。

 

 いや、いやいやいや、確かに日之輪君は見た目や言動に反して気の利く方だ。

 だからって、お見舞いに来てくれるほど、私たちって仲良かったっけ?! まともに話すようになってから一月くらいしか経ってないわよ!?

 しかも今の時間は昼過ぎ、明らかに学校途中で抜けて来てるじゃない! 何年か前の土曜日じゃないんだから!

 

 混乱が極地に達し、くらくらと眩暈を起こしそう。

 と、とにかく、日之輪君を迎えないと。またどんなことを言われるか分からない……!

 

 

「ご、ごめんね。ちょっと予想外だったものだから――――って、あれぇ?!」

 

 

 言い訳を交えつつ、三度目の正直と扉を開けると、そこには、とぼとぼとした足取りで我が家を去ろうとしている彼の後ろ姿。

 いつものピンと伸びた背筋は曲がり、気のせいか両肩もカクンと落ちている。私の気のせいでないのなら、あれは落ち込んでいる。

 

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った!」

 

「ん? ああ、無理をしなくていいぞ。……まさか、部に誘っておきながら俺を嫌っているなど予想外だったが」

 

「ち、違う! 驚いただけ! 驚いただけだから!」

 

「そうだったか。………………それはそれとして、そんなに声を上げて身体は大丈夫なのか?」

 

 

 誰のせいだと思ってるのよ……!!

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 すったもんだの後、何とか日之輪君を家に上がらせた。

 流石に、出会ったばかりの男子を自室まで上げるのは乙女として如何なものかと思ったが、身体を横にしたかったので羞恥心を感謝の心で押し切った。

 

 日之輪君が持ってきたのはスポーツドリンクにクラッシュゼリー、風邪薬と冷却シート、果物少々と学校の配付物と授業ノート。

 完璧といえば完璧な見舞いの品々。風邪薬と冷却シートは使い掛けみたいだけど。

 

 

「ああ、それに関しては家にあったものでな。こちらもそれほど金に余裕はない。すまないが、それで勘弁してくれ」

 

「それじゃ悪いわよ。ちゃんとお金を払うから」

 

 

 そりゃ、こっちだって金持ちなわけじゃないけれど、最低限のプライドはある。

 清澄に通うことになったのだって、私立にいけるだけのお金がなかったからだ。

 不満があったわけじゃない。お母さんだって、私のために必死に働いているのは知っているし、感謝もしている。本音を言えば、麻雀の名門、風越に通いたかったけれど。

 今は清澄に通って正解だったと思う。こちらの思惑と想像を易々と超えてくる雀士に出会えたのだから。

 

 

「余計な気遣いだ。病人は黙って、全快に努めろ。全て俺が必要と判断したから金を使っただけだからな。それに、至らぬ部長を支えるのも、また部員の役目だ」

 

「ぐっ……!」

 

 

 本当にコイツはぁ……!

 

 なけなしのお金でプライドを守ろうとしたコッチの思惑を見透かした上で、正論によって論破する。

 反論することも許されず、フラストレーションは貯まる一方。

 何が一番酷いって、ここで私が怒りを爆発させようものなら、自分自身の品性を貶める結果になってしまうこと。

 

 彼は善意――いえ、多分、そんな単純なものじゃないだろうけど――で行動している。

 それを一時の怒りに任せて否定するなんて、人間としてどうなのか、という話。

 

 この一月で気づいたことがある。

 日之輪君は冷酷無慈悲な無表情、自己主張も少ない、物事にも積極的に関わろうともしない上、情け容赦のない言葉から全てを嫌っているように見える。

 でも、喜びの笑みを浮かべるし、行動で自らの主張を示しているし、人の頼みは断らないし、言葉の端々には相手を気遣う優しさも滲んでいる。

 

 実際、先生方には受けがいい。それがまた同年代に嫌われる要因になっているのだけど。

 彼と付き合う上で重要なのは、精神(こころ)の強さにおいて他ならない。

 既に完成した価値観と自身を正しく見据える強さを持った大人には、自分の短所を突く言葉など“そうか、なら改善しないと”という気にさせる助言にしかならないのだから。

 

 

「……そ、そう。なら、お言葉に甘えるわね」

 

「そうしてくれると、俺も嬉しい」

 

 

 そう言って、分かる人だけには分かる朴訥な笑みを浮かべる。

 ……ぐ、不覚にもキュンときた。病気で心も身体も弱っているところに付け入るとは、卑怯者め……!

 

 そうやって、相手に責任を求める自分の卑怯さを心の中で棚上げし、バッと布団を被って赤くなった頬を隠す。

 

 

「…………? 何をしている?」

 

「放っといてちょうだい」

 

「…………そうか」

 

 

 自室に招いておいて、相手にしないのはどうかと思うけど、流石に今の顔を見られるのは情けない。

 

 早鐘のように脈打つ鼓動と布団の中で格闘すること数分。何か、ペラペラと捲っている音が聞こえている。

 そっと目だけを布団から出して様子を伺うと、ベッドのすぐ横の床に腰を下ろした日之輪君は、初めて会話をした時、目に留まった麻雀教本を読んでいた。

 

 

「それ、そんなに面白い?」

 

「ん? そうだな。色々と酷いが、読み物としては面白いんじゃないか?」

 

「ふふ、なにそれ」

 

「見てみるか、そりゃあ酷いぞ」

 

 

 読み物としては面白いということは、教本として向いてないと言っているようなものだ。

 まあ、基礎しか載っていない教本なんて、私や日之輪君くらいになると読み物としての意味しか成さないものかもしれないけど。

 

 すっと目の前に差し出されたボロボロの教本を受け取る。

 出版は何時頃のものだろう。少なくとも十年は経過しているように見える。

 その上、何か飲み物を溢したのか、著者の名前が滲んで読めなくなっていた。物を大事にする彼には考えられない失態だ。

 

 

「……ああ、それか。お世話になった人のお孫さんを預かった時、粗相をされてね。滲んでしまった」

 

「大事なものだったんでしょ? やっぱり怒った?」

 

「まさか。子供は失敗するのが仕事だ。中は読めるんだ、目くじらを立てるほどのことでもないさ」

 

 

 いや、日之輪君は中が読めなくなっても怒らないでしょうに。

 

 人間出木杉君の言葉は放っておいて、教本に目を通してみる。

 

 ……………………………………………………………………うん。うん、これは酷い。

 

 教本の始めにある、初心者へのルール説明などに関しては一般的な教本と大差はない。

 十年以上前はオカルトが全盛期だった時代。その時代に手役に拘らず、牌効率に深く注目している点は評価できる。

 けれど、その上で流れやツキも否定せず、自分の実戦譜や主観によった主張が多々見られた。

 

 これは確かに教本としてはダメだ。何というか半端すぎる。

 デジタルに徹しきれないオカルト雀士か、逆にオカルトを否定しきれないデジタル雀士が書いたような、中途半端で客観性の乏しいデキの悪い教本。

 きっとプロの方が書いたんでしょうけど、これは売れなかったと確信できる。

 

 ただ、文章には引き込まれるものがある。

 上手く説明できないけれど、著者の文には、麻雀への確かな愛を感じ取れた。 

 

 

「これは酷いわ」

 

「だろう?」

 

「でも、嫌いじゃない、かな」

 

「俺もだ」

 

 

 教本としてはいざ知らず、読み物としては面白い。

 彼が、この本にどんな思いを抱いているのかは分からない。もしかしたら、これも彼の麻雀を支える一つの要因なのか。

 聞けば答えてくれるだろうけど、やっぱり少し躊躇われる。どうせ聞くなら、もっと仲が良くなってから聞くとしよう。

 

 

「ところで、この前の幼馴染の話だけど」

 

「ああ、奴等か。東京に置いてきてしまったが……」

 

「そういえば、こっちに引っ越してき――」

 

「そうだ。まあ、仕方の――」

 

「そっか。残念――」

 

「でもない――」

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「んあ……?」

 

 

 気が付けば、眠っていたみたい。

 窓から夕日が差し込み、もう少し薄暗い。時間的に4、5時間は寝ていたらしい。

 

 寝汗は余りかいていないけど、体調はよくなっているのか、倦怠感は殆んどないし、思考もクリア――――って

 

 

「――日之輪君!」

 

 

 ガバっと身体を起こし、部屋を見回すけれど当然のように誰もいない。私の声が空しく響くだけだった。

 私が寝たタイミングを見計らって帰っただろうか。しまった、色々と話しているうちに寝てしまってお礼の一つもしていない。

 

 

「次にあったら、ちゃんと謝らなきゃ。いえ、お礼よね、この場合」

 

 

 多分、この様子なら明日か、明後日には学校に行ける。その時に、きちんと頭を下げてお礼を言う。

 そう、心に誓うと―――ガチャリと部屋のドアが開く。

 

 

「む、目が覚めたか。ちょうどいい、お粥ができたぞ」

 

「………………えぇ~」

 

「なんだ。そんな不満か、お粥。消化にいい万能の病人食だぞ、お粥」

 

 

 違う、そうじゃない。

 彼はどうしてこう、間が悪いというか、こちらに肩透かしを食らわせてくれるのか。

 夕飯まで作ってくれたのはありがたい。でも、こちらが心に誓ったことを二秒で台無しにしなくても。

 

 まあ、どうでもいいか。確かに、午前中にはなかった食欲が鎌首をもたげてくる。

 

 

「何でもないわよ、気にしないで。でも意外ね、いつも礼儀正しい日之輪君が、人の家の台所を勝手に使うなんて」

 

 

 我ながら、性格の悪いこと。

 夕飯まで作ってくれて嬉しいとか、起きた時にいなくてちょっと寂しかったとか、色々と言いたいことを押し隠して、照れ隠しで嫌味を言ってしまう。

 

 だけど、当の本人は嫌味を真面目に受け取って、さぞ申し訳なさそうな――――――あれ? なにそのキョトン顔。

 

 

「許可なら貰ったが」

 

「え? やだ、私、寝る前に許可したの? それとも寝言?」

 

「違う。竹井の母親にだが」

 

 

 ……………………………………………………んん? 何か今、とんでもないセリフを言わなかった?

 

 

「いや、実はな」

 

 

 彼が言うには、私が寝息を立て始めてすぐにウチに電話がかかってきたそうだ。

 緊急を要する連絡だった時、困るのは私だから、と勝手で申し訳ないが電話に出たらしい。

 うんうん。問題ないわね。私も同じ立場ならそうするわね。

 

 

『はい、ひの――じゃない、竹井です』

 

『え? ……え?! ちょ、だ、誰なのよアンタ!』

 

『あ、失礼しました。久さんのご家族の方ですか? 俺は久さんと同じ麻雀部員の日之輪 嵐です。見舞いに来て、家に上がらせて貰っています』

 

『………………あ、ああ、びっくりしたー』

 

『申し訳ありません。今し方、久さんは眠ったばかりで。緊急の用かと、勝手ながら電話に出させて頂きました』

 

『ああ、いいのよいいのよ。こっちもタイミングが悪かったみたいだし。………………へー。そっかー、君がー。ふーん』

 

『……はあ? 何かよく分かりませんが。とりあえず、何か伝えておくことがあるんじゃ?』

 

『そうだったそうだった。今日はどうしても仕事が遅くなりそうでね。悪いんだけど、食欲があるようなら店屋物で済ませるように伝えて貰える?』

 

『ふむ。……もし許可を頂けるようでしたら、俺が簡単なものでも作りますが。店屋物では消化も悪いですし』

 

『あら、そう? じゃあ、お願いしようかしら。家庭系男子はポイント高いわよぉ~』

 

『……? 何のポイントが高いかよく分かりませんが、任されました』

 

『うん、あの娘を気遣ってくれてありがとうね。じゃあね~』

 

 

 なんてやり取りがあったのだとか。

 

 ……ああ。もう、あの、なんていうか、その、あああああぁぁぁぁぁぁぁッ!

 

 さいあく! さいあくよ!

 だって日之輪君のこと、お母さんに話しちゃってるし! それも結構、嬉しい感じで!

 やだやだやだ、絶対からかわれるし! だって私の母親よ?! 私よりも輪にかけて性悪に決まってるじゃない!!

 もう絶対にあることないこと言われる。根掘り葉掘り今日のこと聞かれる。やだよぉ、ニヤニヤ笑ってる母親(あくま)にからかわれるぅ。

 

 

「青くなったり、赤くなったり忙しいことだ。…………ところで、あの、お粥」

 

 

 誰のせいよ! 食べるわよ! お腹空いてるし! もう自棄よ!

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「―――――い。……きろ。そろそろ、……だ。起きろ、久」

 

「んあ……?」

 

「おい、一年が来るぞ。みっともない姿を見せるな」

 

「んー……うるさいわねぇ。いいのよ、どうせ三人とも私の寝ぼけてる姿、見てるし」

 

「…………酷い後が首から上に残っているが、それでも構わないのか?」

 

「えっ?! 嘘ぉ!?」

 

 

 寝ぼけていた脳髄に、静かだがよく通る声が叩き込まれる。

 慌てて身体を起こし、ゴシゴシと口元を擦る。流石に涎を垂らして眠るのは乙女として如何なものか。

 

 が、涎の後らしきものも、目脂(めやに)もついていない。

 

 

「…………ちょっと」

 

「いや、俺が言ったのは寝癖のことだったんだがな」

 

 

 睨みつける私の視線を素知らぬ顔で受け流す。

 当然だ。嵐は本当のことしか言っていない。間違っていたのは私の方で、正しかったのは嵐の方。

 

 親しき仲にも礼儀あり。

 相手が私のだらしない所を知っているからと言って、私がだらしない姿を見せていい理由にはならない。

 須賀君や和、まこ辺りならまだしも、優希は割と心が弱いところがある。私の姿を見て、自分を律する必要はないと思われても困る。

 

 相変わらず、非のない正論だ。本当に、腹立たしいほど。

 ただ、同時に感謝もしている。嵐が居なくても夢を諦めていたとは思わないけど、随分と心は軽くなった。

 

 

「なんだ、急にニヤついて」

 

「うぅん、何でもないわよ。…………いつも、ありがとうね」

 

「……………………………………………………」

 

 

 なんなのかしら、そのポカン顔は。

 でもまあ、気持ちは分からないでもない。こんなストレートな感謝の気持ち、私には寝起きで鈍った頭でもなければ出てこない。

 それとも夢のせいかしら。ちょっと恥ずかしい記憶だったけど、それ以上に楽しく、大切な記憶だった。

 

 暫くすると、フッと普段の無表情が信じられないくらいの爽やかな笑みを浮かべる。そして向けられる生温かい視線。

 

 

「まさか、お前から素直に礼を言われるとは。この二年、重ねてきた苦言も無駄ではなかったらしい」

 

「あー、はいはい。どーせ、アンタには迷惑かけっぱなしよ。ご迷惑おかけします」

 

「否定はしないが、好きでやってきたことだ。お前には感謝しているとも」

 

 

 …………? それは、どういう意味なのか。

 

 確かに、麻雀部に誘ったのは私だったけど、当時の惨状を思えば、どう考えても苦労の方が大きい。

 何よりインターハイには部活に入っていなくても出場できる。そういう意味では、私は嵐にとって大きい足枷でしかないはずで――――

 

 

「いや、俺は御覧の通りの粗忽者だ。だからか、同年代に部活に誘われたことなどなくてな」

 

「へ……? 幼馴染とか、居たんでしょ?」

 

「それは俺の方から声をかけた。切欠(きっかけ)は大抵が自分だった」

 

 

 誰かに誘われるのは初めての経験で、何よりも得難いものだった。

 だからこそ、この経験は、インターハイに出場し、優秀な成績を残すよりも自分にとって価値あるもの、と謳うように。

 

 

「…………………………――――――~~~~~~~ッ!」

 

 

 気が付けば、枕を掴んで嵐の顔面に思いっきりぶん投げていた。

 

 

「おい、俺に当たるのは構わんが、部室の備品をだな――――」

 

「うるさい! あー、……この、このこのぉ、……この、堅物クソ真面目!」

 

 

 自分にも私にも誰に対しても(ばかじゃないの)何一つ恥じることもなく(ばかじゃないの)この足枷こそが何よりの宝だと(ばかじゃないの)

 

 そんなことを言われたら(ばかじゃないの)負い目よりも喜びの方が勝ってしまうわけで(ばかじゃないの)緩んでしまう頬が恥ずかしくてしょうがない(ばかじゃないの!)

 

 

 あー、もう! コイツといると、ほんと調子狂うわねぇ!

 

 




とゆう感じで部長の過去編でした

原作じゃ確定してませんが、ここではとりあえず金銭の問題から片親という風に。
明確な理由は描写はしませんでしたが、重要は重要ですが、原作でもさほど気にした様子はないのでボカしたままにしておきました。

では、ご指摘、ご感想、お待ちしております!


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