咲-Saki- The disaster case file   作:所在彰

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第八話 『四校』

 清澄高校麻雀部、記念すべき初公式戦の結果は見事な結果に終わった。

 先鋒、次鋒で他の三校を大きく突き放した挙句、大将戦では50,000近い点数を残していた一校をトバしての勝利。

 これを単なるバカヅキと見るか、それとも実力の程と見るのは人によるとしか言えないが、彼女達の試合を目の当たりにした者の記憶へ焼付けるには充分な試合運びと結果である。

 

 

「では! 1回戦突破を祝してっ!!」

 

 

 会場の二階、ファミレスと大差ない広さと品揃えの喫茶店で細やかな祝勝会と二回戦への先勝を込めた昼食を摂っていた。

 麺類、丼もの、定食、サンドイッチ。それぞれが思い思いの料理を注文し、優希だけタコスがメニューにないことを嘆いていたが、不味くもなければ、とび抜けて美味いわけでもない無難な味に楽しんでいる。

 

 そんな中、嵐と久だけは弁当であった。無論、嵐の手作りである。

 新聞配達のバイトまでしてきたというのだから相当の早起き――――というよりも、夜起きといって差支えない時間に起床しただろうに、ご苦労なことだった。

 

 

「……ていうか、普通はそういうの、立場が逆ですよね」

 

「いいのよ。コイツが勝手にやってくれてるんだから」

 

「そうだな。俺はただ久の偏った食生活が心配なだけだ。感謝の言葉が貰えるなど、始めから期待していない」

 

「カチンとくるわねー。……このっ!」

 

「待て、俺の発言の何処に問題があった。手を上げる前に、言葉で伝えろ」

 

 

 ペシペシと平手で久は隣に座る嵐の頭を(はた)いた。

 さして痛くもない力加減なのだろう。嵐は止める真似をしなかったが、困惑から首を捻っている。

 彼女とて感謝くらいはしている。それを始めから期待していないなどと言われれば、苛立ちの一つも覚えるのが人情である。

 

 

「しかし、コレを持ちながら打つことで、ああも変わるものとはな。理解できん」

 

「そうっスか? 普段からそれを抱えて打っているなら、そっちの方が普段通りに打てるってのは不思議じゃないと思うけどなぁ」

 

「そういうものか。しかし、審判がよく通してくれたものだ」

 

 

 嵐は手に持ったペンギンのぬいぐるみを眺めながら、そんなことを呟いた。当然、嵐のものではなく和の持ち物だ。

 

 和がネット麻雀と実際の麻雀の違いから、本来の実力を発揮しきれない状況を打破するための秘策がそれだった。

 ネット麻雀には存在しない動作、対戦相手の威圧とアバターではない本人の顔。その他様々な要素が和の思考を鈍らせ、打ち方そのものも周囲に流される結果となっていた。

 だが、今から全てを修正するには時間が足りず、かといってインターハイはネット上で行われるものでもない。

 

 そこで久は和がネット麻雀を行っていた環境に近づけることにした。

 

 始めは単なる久の思い付きに過ぎなかった。

 しかし、合宿でぬいぐるみを抱いて対局を続けている間は、目に見えてミスが減っていた。

 久、まこ、嵐の三人が牌譜を見て検討しあった結果だ。単なる偶然とは言い切れない。

 

 ぬいぐるみを抱くこと。それが和にとって、弛緩と緊張が最も良いバランスに保てる最大の要因であるという結論に至った。

 

 

「来年はコレを抱いていなくとも、実力を発揮できるようにならなくてはな」

 

「どうして? これはこれでええと思うが」

 

 

 審判が許可を下した以上、ルール上、何の問題もない。

 

 それにチーム戦という点においても悪くはない。

 

 ぬいぐるみを抱いている。

 麻雀大会で、そんな行為は当然、周囲の目を引くだろう。

 まして和は全中王者。ただでさえ集まりやすい注目が更に集まり、結果として他の四人に対して警戒が薄くなる可能性も高くなる。

 姑息の誹りも免れない行為であるが、卓の外における攻防や策もまた一つの戦略。それを止めるルールもなく、前例がない故にマナー違反とも言い難い。

 

 

「俺は原村の今後について言っているんだ」

 

「私の、ですか……?」

 

 

 そうだ、と静かに嵐は頷いた。

 

 和の打ち筋は極まったデジタルである。

 コンスタントにその実力を発揮し、高いトップ率を保つもの。

 その根幹にあるのは、全くと言っていいほどブレない精神。何一つ迷うことはなく、僅かも揺るがぬ信念が、彼女の麻雀をより高い次元へと引き上げた。

 

 だからこそ、今の原村 和の状態は決して望ましい状態ではないと断ずる。

 

 何かに頼る。何かに偏る。それは、それだけで精神そのものが傾き、揺らいでいることを示している。

 誇張や偽りの多いネット上ではあるが、伝説とまで呼ばれたプレイヤーは、今年度インターハイで遺憾なく実力を発揮するだろう。

 

 だが、今の状態ではそこまで止まり。そこから先への成長が望めない。

 もし、更なる成長の機会があるのなら、何に頼ることなく、何に寄ることもなく、本当の意味で自分だけの力で自らの身体を支えた時だろう。

 

 

「人間、楽な方に流れれば弱くなるものだ。自他共に厳しく接するのがお前という人間、と少なくとも俺はそう思っている。このぬいぐるみを置くことは、次の段階へ進むために必要なプロセスだろう」

 

「まあ、言わんとしてることは分かるけどねぇ……」

 

「今からすぐにやれと言っているわけじゃない。インターハイ後の課題だ」

 

「そう、ですね。いつまでもこのままでは、流石にちょっと恥ずかしいです」

 

「えー、そうかな。これはこれで可愛いと思うけど」

 

 

 嵐からぬいぐるみを返されると、和は胸の前でぎゅっと抱き締めた。それだけで、彼女がどれほど、このぬいぐるみを大事にしているか理解できる。

 

 理知的かつ勝気な和であるが、こういった子供っぽいところも残っている。

 普段の姿を知るからこそ、咲も可愛いという言葉を漏らしたのだろうが、受けた側としてはどのような顔をすればいいのか分からないらしく、困惑したように皆の顔を見回した。

 

 

「……う、ぉぅ」

 

「須賀、鼻の下が伸びているぞ」

 

「ふぉぅ?! あ、いや、これは、あはは。…………ところで、試合の最中、先輩は何処にいたんすか?」

 

 

 ぬいぐるみを抱き締めたことで潰れた和の豊満な胸に視線を注いでいた京太郎は、嵐の小さな指摘の声で我に返ると苦笑いを浮かべる。

 嵐の向けた視線は何とも生暖かいもので、気持ちは分からないでもないが自重しろ、と言葉にするまでもなく語っていた。

 

 その生暖かい視線に耐えられず、咄嗟に出てきた話題はそれだった。

 

 麻雀という競技の性質上、周囲にギャラリーを集めることはできない。

 観客の中に競技を行っているプレイヤー側の人間と結託して『通し』を行う可能性を否定できない。

 また観客の表情や歓声の沸きようで、誰かの手牌を読むことも可能となり、著しく公平性を欠いてしまう。

 

 故に競技麻雀はプレイヤーの対局を行う対戦室と観戦を目的とした観戦室は別となる。

 ここ長野競技場においても同様であり、観戦室の広さは優に百人以上を収容可能な程に広い。

 部屋の奥にある巨大なスクリーンに対局が映し出され、階段状に設置された無数の観戦席は小さな映画館を彷彿とさせる造りとなっていた。

 

 一回戦の最中、嵐は観戦室に姿を見せなかった。

 久だけは行方を知っていたのか、ほら見たことかと言わんばかに呆れ顔を見せた。

 

 

「ああ、男子の方の団体戦を見ていた。あと、コレもな」

 

 

 嵐がテーブルの上に置いたのは、クリップで止められた紙束。  

 一年たちが困惑と共にページを捲っていくと、男子団体戦において有力とされる高校生の牌譜だった。言うまでもなく全て手書きだ。

 個人戦にも参加するだろう有力選手の牌譜だけではなく、気づいた癖や打ち筋の傾向も記されている。

 複数の対局を同時に見ることができない以上、それぞれの高校の先鋒から大将まで全てを網羅することはできていなかったが、牌譜は前年度活躍した者を中心としており、嵐と京太郎には十二分な価値があった。

 

 

「普段なら、こんなことはしないがな。情報は共有していた方がいいだろう」

 

「あぁ、つまり、俺のため、ですか……」

 

「それもあるが……頭の中で処理するだけではなく、こうして書き起こしてみるのも悪くない。確認作業を挟んだ方が、より詳細に見えてくるところもあるものだな」

 

 

 彼女達は知りえぬところではあるが、嵐の麻雀は、まず読み取ることから始まっている。

 故に、牌譜や対局を見て得られる情報は他人とは比較にならないほど膨大であり、また情報は時に対局相手の運を凌駕してしまうほど、凶悪な刃と成り得ることも知っていた。

 

 元々、京太郎の為だけにわざわざ文字として残したのではなく、あくまでも個人戦に向けて自己の勝率を上げる“ついで”だった。

 

 感謝されこそすれ、責められる謂れのない行為。

 

 だが、京太郎の胸中には一体どんな感情が渦巻いていたのか。

 悔やむような、悩むような表情で、紙束に視線を落としていた。

 

 普段とは違う京太郎の様子に気づいたのは、幼馴染の咲と師弟に近い関係を持つ嵐だけだった。

 

 

「お前たちも気を付けろ。俺と同じ行為をしている奴も居るだろうからな」

 

「そう簡単に読み切られるほど、私たちも甘くはないわよ?」

 

「…………それもそうだな。その発言を気の緩みと断じることは容易いが、お前たち自身の戦いだ。口を挟む方が無粋だな」

 

 

 暗に気を引き締めろと忠告しているようにも取れるが、本気でそれ以上世話を焼く気はないのか、口を閉ざした。

 そして、テキパキと弁当箱を片付けると椅子から立ち上がる。

 

 

「では、俺はそろそろ行くぞ。午後は男子の方も混むだろうからな」

 

「あら、応援してくれないんだ?」

 

「俺の声援がなければ負けると? 応援自体を否定するつもりはないが、ふざけた勘違いだぞ。お前たちの勝利に必要なのは、お前たち自身の運と努力、そして気構えだけだ」

 

「まあ、分かってはおるが、相変わらず厳しいのぅ」

 

 

 これから戦いに挑む者たちに、激励の言葉すらない。

 どんな期待も、どんな応援も、結果を変えるほどのものではなく、最終的に物を言うのは、あくまでも自身の力と断じる。

 

 勝利は己自身の手で掴み取るもの。

 一聞しただけでは冷たく突き放すような言葉も、裏を返せば嵐の勝ちに対する拘りと信念が伝わってくる。

 だからこそ、他の者たちも、それ以上の追及や糾弾の声を上げることはない。

 

 加えて言えば、嵐は彼女たちが勝ったとしても、負けたとしても態度を変えるつもりはない。

 勝ったのならば奮戦を認め、負けたのならば何処が悪かったのかを指摘するだけ。

 対局の最中は一心不乱に勝ちを目指しこそするものの、対局が終われば、勝利も敗北も等しく価値のあるものと認めているからこその振る舞いである。

 

 

「あの、先輩、俺も行っていいっすか?」

 

「構わないが――」

 

 

 今まで俯いて黙っていた京太郎は、縋るような目で嵐に問う。

 

 別段、嵐としても拒絶する必要も意味もなかったが一旦言葉を区切り、これからの対局を控えた5人を見た。 

 

 

「午前は応援していたんだろう? しなくてもいいのか?」

 

 

 発せられたのは、京太郎と彼女たちを慮った言葉。

 己自身は応援はしないが、行為そのものを否定するつもりは毛頭ない。

 

 応援が力になる。

 嵐には到底理解できないが、己の考えが真理ではなく、個人の考え方の一つに過ぎないと理解している。

 

 だからこそ京太郎に問い返した。お前は本当にそれでいいのか、と。

 

 

「あ、いや、それはその……」

 

「むむ、生意気な犬だ! 私たちを応援しないとは!」

 

「こら、優希。須賀くんだって、大会に参加しますから、対局するかもしれない相手を見ておくのは無駄ではありませんよ」

 

 

 自分でも何を言っているか分からないのか、京太郎はしどろもどろになって取り乱す。

 彼自身、自分が何を思って口にしたか分かっていないらしく、次の言葉を出てこないようだった。

 

 優希も本心からの言葉ではなかっただろう。

 ある意味、咲以上に京太郎と仲の良い彼女のこと。生意気という言葉も、応援してほしい気持ちの裏返しに過ぎない。

 子供――というよりかは乙女心の現れ。素直になれない性分も、こうなっては足枷だ。

 

 

「……行って来なよ、京ちゃん。応援がなくても、私たちは頑張れるから」

 

「じゃな。ワシらも個人戦は互いに応援できん。ワレはワレで、やろうと思ったことをやればええ」

 

「咲、染谷先輩……」

 

 

 背中を押したのは咲とまこの二人だった。

 咲は幼馴染として、まこは先輩として、迷える京太郎の背中を押してやりたかった。

 

 それに見合うだけの働きと努力を重ねている。

 久も和も何も言わない。優希ですら不満は漏らしても、止める言葉は出てこないのが、何よりの証拠。

 認め、感謝しているからこそ、京太郎の細やかな、意味がないかもしれない努力をも認めてやりたい。

 照れ臭く、言葉にこそしなかったものの、皆の気持ちは一つだった。

 

 

「須賀、どうする……?」

 

「…………折角なんで、行きます」

 

「そうか。…………ならば行くとしようか」

 

「京太郎、しっかり見てくるんだぞ! 私たちの応援しないんだから、時間を無駄にするのは許さないじぇ!」

 

「わーってるよ! …………ありがとな」

 

「じゃあ、須賀くんも、嵐も、悔いの残らないようにやれるだけのことをやってきなさい」

 

「ああ。其方も、悔いは残さないようにな」

 

 

 対照的な二つの激励を受け、二人は椅子から立ち上がり男子団体戦が中継される観戦室へと向かっていった。

 

 

(俺も、恵まれてるよな。皆に応援されて、先輩にも助けられて……)

 

 

 先を歩く嵐の背中を追いながら、一人そんなことを考える。

 

 須賀京太郎は恵まれている。

 背中を押し合い、あるいは身体を支え合う、同じ道を歩む仲間たちが居る。

 己の道行きを示されてこそいないが、己が進もうとしている道を照らしてくれる先輩も居る。

 

 その道行きが何処まで続いているかは京太郎自身も分からない。

 高校生の時分だけか。大学生の時分までか。それとも、プロの高みへまで羽ばたいていくのか。(いま)だに明確な目標を定められずにいる。

 

 それでも、周囲の仲間は掛け替えのない存在である。 

 

 

(分かってる。そんなことは誰に言われなくても分かってる。なら、どうして――)

 

 

 小さいながらも、黒々とした感情が湧きあがってくるのか。

 

 真っ白な服に染みついた黒い汚点を見つけたかのような不快感。

 合宿の折、咲に感じた不安とは全く別種でありがなら、京太郎自身も説明できない謎の感情。

 

 悪意ではない。そんなものを抱けるほど、須賀 京太郎という人間は捻じ曲がっていない。

 

 無理矢理にでも“それ”を説明するならば、“痛み”に近かっただろう。

 心の何処かをチクチクと針で刺されるかのように、仲間の姿を見る度に痛みが奔るのである。

 

 

 

 須賀京太郎が恵まれている。

 ――だが、恵まれていることと幸福であることは、また別の話。

 

 彼の最大の不幸は、彼自身にも説明できない“痛み”を、共有できる仲間がいなかったことだろう。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 多くの人間の様々な思惑を余所に、大会は滞りなく、淀みなく進んでいく。

 

 二回戦を終え、決勝戦へと駒を進める四校は出揃った。

 シード枠を獲得していた前年度本選出場校・龍門渕、強豪・風越は当然のように勝ち残り、残りの二校は完全な無名校。

 

 一校は竹井 久率いる清澄高校。

 全中王者を擁する高校ではあったものの、原村 和のワンマンチームという大方の予想を裏切り、見事決勝への参加権を獲得した。

 誰もが快進撃も次で終わりと思いつつも、まさかと期待せずにはいられない実力と華を秘めたチームである。

 

 そして、もう一校は鶴賀学園。

 三校が勢いと輝きに満ちた一等星とするならば、鶴賀は誰も目を向けない六等星だった。

 誰が見ても、どうして決勝まで勝ち残れたのか分からない。個々人の実力も、副将は目覚ましいものはあったが、それ以外はパっとしない成績。

 個人としても、団体としても、他の三校には劣ったチーム。それが、多くの観戦者たちの結論だった。

 

 ……酷い誤認もあったものである。

 

 如何に県予選と言えど、運だけ勝ち残れるほど甘くはない。

 鶴賀学園が勝ち残る。そこには他の三校とは違った強さを秘めており、必ず何らかの理由があることを示している。  

 

 確かに一等星と六等星では、目に映る華々しさも、輝かしさも桁が違う。

 されど、その実体はどうか。一等星よりも大きく、目を焼くほどの輝きを放つ六等星など珍しくもない。

 

 清澄・龍門渕は、それぞれの実力と特色を最大限にまで高めたチーム。 

 風越は堅実で地道でありながら、弛まぬ努力によって極めて高くコンスタントに実力を発揮できるチーム。

 

 ――であるならば、鶴賀はただ一つの智慧を武器に、緻密な戦術戦略を以て是に挑むチームである。

 

 

 決勝に進んだ四校はいずれ劣らぬ強者たち。

 強者たちが喰らい合う決勝は、さながら蠱毒の壺の如き様相を呈するだろう。 

 

 その結末を予測する者はいても、明確な結果を知る者は――――――まだ誰もいない。

 

 


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