咲-Saki- The disaster case file   作:所在彰

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初投稿ですが、よろしくお願いします。
完結目指し頑張るので、感想、指摘等も頂ければ幸いです。

原作キャラの過去を勝手に解釈、改変などもしているのでご注意ください。

※7月26日 誤字・脱字修正しました。


プロローグ

 彼を意識したのはいつだったろう。

 

 

「…………日之輪君? また掃除押し付けられたの?」

 

「竹井か。押し付けられたのではなく、引き受けた、だよ」

 

 

 まともに言葉を交わしたのは、それが初めてだったはず。

 

 夕日の差し込むオレンジ色の教室。

 ちょっとした忘れ物を取りに戻った時、いつものように不真面目なクラスメイトから適当な理由で掃除を押し付けられた彼と鉢合わせた。

 

 彼のクラスメイトからの評価は『嫌な奴』、もしくは『便利屋』。

 いじめられるほど嫌われてはいないけれど、仲良くなれるほど好かれていない男子。それが彼の立ち位置(ステータス)だった。

 

 正直なところ、私も極力話したくない相手だった。少なくとも、その時は。

 何せ、口を開けば正論ばかり。言われたくない所を容赦なく責め立ててくる。笑わない、怒らない、感情らしきものを見せない冷酷無慈悲な鉄面皮。

 そんな人間を好きになれる人がいるのなら、私は惜しみない賞賛を送るだろう。

 

 

「あら、これ麻雀の教本と牌?」

 

「それは俺のだ」

 

「へぇ、日之輪君、麻雀できるんだ。ふ~ん」

 

 

 目に留まったのは何度も読み返したであろう古惚けた教本と何故か一つしかない白の牌。

 

 思い返してみれば、嫌ってこそいなかったけれど、話したくない相手に声をかけたのは、色々と参っていたからだと思う。

 家庭環境、幽霊部員しかいない麻雀部の実情、思い通りにならない私の人生。

 理不尽に対して憤っていた。不条理に対して項垂れていた。

 

 

 だからだろう――――

 

 

「じゃあ、誰か面子を揃えて一局打ってみない? これでもそこそこ打てるのよ、私」

 

 

 ――――そんな提案を口にしたのは。

 

 純粋に彼の実力を知りたかったのか。彼を打ちのめして、少しでも憂さを晴らしたかったのか。単純に久しぶりの麻雀を楽しみたかったのか。

 今でも理由は分からない。今では理由などどうでもいい。

 

 

「了解した。折角の申し出だ、無碍には断れんな」

 

 

 夕日を背に、彼は見たこともない優しげな笑みを浮かべて、提案を受け入れてくれた。多分、私の内心を理解した上で。

 

 私はその時、確かに感じた。

 我ながら似合わないと思うけれど、何とも乙女チックでロマンチックな結論で、とても人には話せない。

 

 ――――確かに私は、その日、運命に出会った。

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 春が終わりを迎え、天地自然が夏へと向けて準備に入った4月のある日。

 長野県の片田舎にある清澄高校で、一つの出会いが生まれようとしていた

 

 

「さて、これで終わりか」

 

 

 清澄高校の校舎は、生徒の数に対して教室の数は僅かばかり少ない。

 その為、文化部などの場所を必要とする部活は、学校の裏手にある旧校舎の一室を部室として使用している。

 麻雀部も、そんな文化部の一つであった。

 

 麻雀部の部室は旧校舎の屋根裏に位置し、窓も多く日当たりも良い当たり部屋であった。

 部屋の中央には全自動卓が一台、部屋の隅には牌譜の管理とネット麻雀での練習を目的としたパソコンが一台。他には何故か保健室で使わなくなったであろうベッドがあった。

 他にもホワイトボード、雑多なジャンルの本が納められた本棚、デザインの良いティーセットの小物なども多くある。

 

 その部室で、一人の少年が箒とちり取りを手にして立っていた。

 

 

「あら、ようやく来たわね、この幽霊部員」

 

 

 部室へと足を踏み入れてきた少女はわざとらしい驚きの言葉を投げかけた。

 肩まで伸びた手入れの行き届いた髪。優しさの中に鋭さを秘めた鳶色の瞳。柔和でありながら捉えどころのない表情。女子の平均よりやや高めの身長。

 スタイリッシュ、という言葉がピタリと来る、如何にも有能そうな、それでいて堅苦しい雰囲気を纏っていない。

 麻雀部の部長にして、清澄高校の生徒議会長を務める彼女の名前は、竹井 久。

 

 

「好きで幽霊部員をしているわけではないのだがな」

 

 

 少年は掃除用具をロッカーへしまいながら、肩をすくめて応えた。

 鴉を思わせる黒髪。穏やかでありながら槍のように鋭い淡赤色の瞳。久と同様に捉えどころがないながらも、対照的な無表情。一見すれば運動部と見るであろう体格。

 固く引き結ばれた口元は寡黙な性質を示し、表情のない相貌は感情を窺い知ることはできない。久とは、何から何まで対照的な少年だった。

 麻雀部古参の部員であり、久とも二年の付き合いとなる少年の名前は日之輪 嵐。 

 

 

「ごめんごめん。でも、もう4月も終わりよ? 始業式から一度も部活に顔を出さないなんて、ちょっとねぇ?」

 

「それに関しては申し訳なく思う。だが、こちらもバイトをしなければならない理由がある」

 

「……そんなに忙しいの?」

 

「忙しかった、だな。ようやく新入りが仕事を任せられるようになった」

 

「まこの家にまで顔を出して掛け持ちでやってるけど、こっちの活動に参加できそう?」

 

「ああ。朝だけでなく、放課後も顔を出せそうだ」

 

 

 部活動に参加していないことを気にしていた嵐は元来の誠実さから、朝に一人で部室へと訪れていた。

 やることは部室の掃除と片付け、牌譜の整理、全自動卓の調整。

 自分は参加できないが、せめて他の部員が気持ちよく部活動に勤しめるように、という配慮から、誰に命じられることもなく行動に移していた。

 

 

「そっか……あー、こっちもこっちで大変よ。議会長の仕事も楽じゃないわー」

 

「お前自身の選択だ。色々と重荷もあるのだろうが、それが生きている証だろうよ」

 

「相変わらず、容赦がないっていうか何ていうか……」

 

 

 普段と変わらぬ態度の嵐に、久は僅かながら笑みを浮かべ卓の椅子に腰掛け、ぐっと身体を伸ばす。

 

 その様子に嵐は無言で備え付けられた棚の一つからインスタントコーヒーを取り出し、電動ポットから手早くカップへと注いでいく。

  

 

「今日はコーヒーより紅茶の気分なんだけど」

 

「だろうな。が、これから部活だろう。カフェインと糖分をとって疲れた頭を回転させろ」

 

「もう、だだ甘なくせにスパルタなんだから、アンタは」

 

「そのようなつもりはないんだが……、というよりも、言い分が矛盾しているぞ」

 

「いーえ、矛盾してなんかしてません。アンタはそう表現するしかない人間よ」

 

 

 砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーはもう別のものと化していた飲み物を渡し、彼はまたブラックのままのコーヒーを口にする。

 この2年間で何度となくしてきたやり取りは静かであったが、二人の間に培われてきたものが確かに感じ取れる。

 カップに注がれたコーヒーとコーヒーのようなものがなくなるまで無言の時間が過ぎてゆき、先に口を開いたのは久の方だった。

 

 

「重大発表が一つ、お願いが一つあるわ」

 

「ふむ、なんだ?」

 

「うーん、ちっとも驚かないのね」

 

「何か言いたいことがあるのは、一目見れば分かるだろうよ」

 

 

 第三者からすれば唐突な発言であったが、嵐からすれば彼女の発言は当然のものだったのか、変わらぬ無表情で視線を向ける。

 

 普段から飄々とした久も、これには流石に苦笑いを刻む。

 彼女は自らの感情とは別の表情を浮かべることのできる本来の意味でのポーカーフェイスである。

 だが、それが嵐に通用したことは一度たりともない。

 まして、それが2年間の積み重ねによって見抜かれているのではなく、出会った頃からこの調子。苦笑の一つもこぼしてしまうのは当然だろう。

 

 

「まあ、いいわ。重大発表の方はね、…………なんと部員が増えました!」

 

「ほう、それは喜ばしいな。もっとも実績のない麻雀部に入部するなど、余程の自信家か馬鹿者か、大会に興味のない者の三択だろうが」

 

「…………実績に関しては事実だけど、そう言われるとちょっとショックね」

 

「事実なのだから受け入れるしかないな。それで、何人だ?」

 

 

 嵐の問いに、久は右手の指を三本立ててみせた。

 

 

「…………全員、女子か?」

 

「残念ながら一人は男子。あ、でも凄くいい子よ?」

 

「それは喜ばしいが、お前にとって重要ではないだろう」

 

 

 清澄高校麻雀部は実績のない部活である。

 事実、嵐と久が入部してからインターハイや公式戦において優秀な成績を納めていない所か、そもそも大会に参加さえしていない。

 だが、それは二人やもう一人いる部員の実力が他校に劣っていたが故に先送りしていたわけではない。

 麻雀は運の絡む競技であるが故に絶対は存在しないが、それを差し引いたとしても三人が三人とも全国を目指せる実力と可能性を秘めていた。

 

 それでもなお大会に参加しなかったのは、竹井 久という少女が個人戦に興味を持てなかったから。

 彼女にとって団体戦のこそが公式戦であり、入学当初からの変わらない夢でもあったのだ。

 

 インターハイは個人戦と団体戦の二種類がある。

 個人戦は毎年細かなルール変更は見られるものの、多くの競技大会に近しいものとなっている。

 団体戦は個人戦のルールを元に、各校の代表5人一組が先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の順に半荘一回から二回を戦い、10万点の持ち点を奪い合う。

 麻雀競技人口が一億人を突破したこの世界において、県予選突破という門は狭く細く、全国の頂きに至るまでの戦いは熾烈を極める。

 

 しかし、それも5人が揃わねば挑むことすらできぬ夢。

 現状、清澄高校麻雀部の女子生徒の数は一年を含めて4人。つまり、夢に挑むにはあと一人、あと一歩が足りていない。

 

 

「どうするつもりだ?」

 

「待つわ」

 

 

 嵐の問いに、僅かな間も置かない答えが返ってくる。

 

 

「二年も待ったんだもの、あと数ヵ月待つなんて、どうってことないわよ」

 

「まだ諦めていない、と。…………それもいいだろう。夢が叶うのも一つの結果だが、夢に挑むことなく破れるのも結果であることに変わりはない」

 

「相変わらず、酷いこと言うわねぇ」

 

「当然だ。去年、オレは何度となく新入部員の勧誘に力を入れろと言った。その上で、お前はそれをしなかった。自業自得だな。大一番で分の悪い方にかけるのは分かっていたが、ここまでとは」

 

「う、ぐ…………だって、麻雀に興味のない人間を無理やり入部させたって戦力にならないわよ」

 

「だとしても、入部させれば麻雀に興味を持たせることも、戦力とすることも可能だったろうに。まこが入った時点で喜んで、それ以上何もしなかったお前の責任だ。今年もそんなところだったのだろう?」

 

「ぐぬぬ」

 

 

 嵐の正論を前に、久は悔しそうに顔を歪めることしかできなかった。

 人に嫌われる効率の良い方法は、正論しか言わないこと。人が感情を持つ生き物である以上、割りきれぬ感情は多々あるのだから当然だ。

 感情を抜きにした正論で諭されれば、自分の気持ちを理解してくれないと嘆くのも、冷静ではないと馬鹿にされていると受け止めるのも、また人として無理からぬ有り様だろう。

 

 しかし、久は悔しがってこそいたが、嫌ってはいない。

 彼女の性格故か、別の理由があるのか。それは彼女の心にのみ答えがあり、余人には知りえないことだった。

 

 

「忌憚のない意見、情け容赦のない正論、ありがとう」

 

「どういたしまして。以後、気をつけるがいい」

 

 

 にこやかな笑みと共に誰が耳にしても嫌味としか取れない言葉を、平然と受け止める。というよりも、嫌味に気づいてすらいないようだ。

 嵐の表情に不快感も怒りも見て取れない。事実として、彼は何ら負の感情も抱いていなかった。

 これも付き合いの長さからくる軽口叩き合い、相互理解を完了している故の歯に布着せぬ物言いというわけでなく、日之輪 嵐という人間の心の在り方によるものなのだろう。

 

 

「それで、お願いとは?」

 

「うん、その男子――名前は須賀 京太郎君ね。彼の教育をお願いしようかと思って」

 

「ふむ。教育など向いているとは思えんが、経験だけで言えば初心者へ教えられるのは俺だけか」

 

「そうなのよねぇ。女子の方は経験者だから、まだ指導の仕方も何となくは見えているんだけど」

 

 

 基礎が出来ている者に、そこから指導することと基礎も何もない完全な初心者に指導することは全くの別物だ。

 前者は基礎を骨組みとし、被指導者にとって有利かつ有意義な肉付けをしていく行為。

 後者は不要な先入観や他者の打ち筋と癖を排し、無理なく骨組みを組み立てさせる行為。

 前者は雀士としての腕があればあるほど向いており、後者は雀士としてよりも指導者としての腕が求められるもの。

 

 久自身、己の指導者としての腕がどの程度のものなのか把握していない。そもそも完全な初心者に指導した経験がない。

 対し、嵐は学生の身でありながら、そういった経験は充分に熟していた。

 

 

「いいだろう。どこまで出来るか分からないが、乞われた以上は全力を尽くそう」

 

「出たわね、アンタの悪い癖」

 

「なに……?」

 

「頼まれたのなら“断らない”」

 

「断れない、よりは遥かにマシだと思うが。それに悪癖と言われるのは心外だ。俺が動くのは道理が通っている時だけだ」

 

「アンタは度が過ぎてるのよ。長所も行き過ぎれば短所になるわ」

 

「成程、一理あるな。貴重な忠告だ、善処しよう」

 

 

 嵐は鹿爪らしく頷く。

 しかし、真摯さすら感じさせる所作にも関わらず、久はほんの少し肩を落とした。

 二年という歳月は人生において短い時間であるが、人となりを知るには充分すぎる時間だった。

 

 道理さえ通っていれば他人の頼みを断らない。

 嵐のそれは“情けは人の為ならず”という教訓や格言を守ろうとしているではなく、むしろ在り方に近い。

 その在り方がいつか彼の人生に破滅を呼ぶのではないか、と久は過去の一件から一抹の不安を覚えていた。

 

 

「それで、今年も公式戦に出ないの?」

 

「言った筈だ。お前が公式戦に出ないのなら、俺もまた出る訳にはいかない」

 

「でも、プロになるのが夢だって言ったじゃない。だったら……」

 

「くどいぞ。確かにそれは俺の夢だ。だが、果たすべき義理とは別の問題だろう」

 

 

 久には、一つの負い目があった。

 それは自分の我が儘に、嵐を付き合わせてしまったこと。

 

 

『部長のお前が出ないのなら、部員である俺が一人で大会に出る訳にはいかない。部員は部長の顔を立てるものだ』

 

 

 そんな理屈と一言で、彼は自分の夢が遠のく道を選択した。

 

 もし、自分が個人戦にも興味が持てていれば。もし、言葉で彼を説得できていれば。そんな意味のない過程が久の脳裏を過る。

 そもそも彼女の夢に付き合ったのは嵐の意思である以上、何ら負い目を感じる必要などない。

 だが、時に人は背負う必要のない重荷を背負ってしまうもの。彼女が嵐に対して感じているものも、そういったものの一つだった。

 

 それでも彼女は表情も態度も変えない。

 仮に、胸の内を吐露しても、嵐の誠実さ、献身を否定するだけ。それだけはしてはならない、と久は自身に戒めていた。

 

 

「…………そう。うん、でも、ありがとう。私よりも先に、アンタが一人で夢に近づいちゃうのは、ちょっと妬んじゃいそうだしね」

 

「そうか? お前はそのような人間ではないだろう。それは別として、いい性格とも言えないが」

 

「……はぁ、どうしてそうなのかしら、アンタって。歯に布着せぬっていうか、容赦がないっていうか、ほんとにもう」

 

「む、すまない。俺は見たまま、ありのままを口にしているだけのつもりなんだが」

 

「いいわよ。嵐がそう言うのは相手を本気で心配してだものね」

 

 

 大きく溜息をつきながら、久は片手で顔を覆った。

 

 嵐の優れた――というよりも優れすぎた洞察眼は一目で他人の本質を見抜く。弁明、欺瞞は意味がなく、騙されることはない。

 取り繕った態度も、隠しておきたい本心も、率直な性格から淡々と語ってしまう。

 彼の正論は本質を見抜いた上で、それでいいのか、それで大丈夫なのか、と相手を気遣い、問いかけているに過ぎない。

 しかし、誰とて自らの短所を語られるのは嫌なもの。嵐の心の内が伝わる前に誰もが彼から離れて行ってしまう上、嵐もそれを止めようとしない。

 おおよそ多くの人間が彼を嫌う理由は、そんな所だった。

 

 せめて率直な性格か、優れすぎた洞察力のどちらか一方だけなら嫌われることも少なかったでしょうに、と久は嘆息する。

 率直だけならば、その程度の人間はこの世に多く溢れかえってる。

 優れすぎた洞察力だけならば、口数の少ない彼のこと、全てを見透かしても胸の内に閉まっておくだろう。 

 だが、何の因果か、嵐は人に嫌われやすい性質を合わせ持っていた。

 

 

(それでも私は嫌いじゃないけど)

 

 

 辛辣で容赦のない言葉から落ち込んだことも少なくはない。

 だが、時間を置き、冷静に思い返してみれば、言葉の端々から相手を気遣う思いやりのようなものを感じ取れた。

 加えて、自らの夢が遠のくと知りながらも、相手の夢に付き合う義理堅い人間を、彼女は嫌いにはなれなかったのだ。

 

 その胸中を知ってか知らずか、当の嵐は首を捻るばかり。

 

 

「おつかれさまでー……すぅ?」

 

「部長と……誰だじぇ、この人?」

 

 

 久と嵐の会話が途切れると、タイミング良く部室のドアが開かれ、四人の男女が入ってくる。

 長身に金髪でありながら柔和で人当りの良さそうな少年と天真爛漫を形にしたかのような少女は、嵐の姿を目に止めると首を傾げた。

 仲の良い兄妹のような反応に、くすりと久は笑みを漏らした。 

 

 

「失礼ですよ、優希。ほら、例の……」

 

「おー、嵐さんも来ちょったか、重畳重畳」

 

 

 続けて入ってきたのは柔和な表情で友人を諭す桜色の髪をした少女、穏やかさと剽軽さを合わせた笑みを浮かべた眼鏡の少女。 

 

 

「みんな来たわね。じゃあ紹介するけど、彼が前に話した……」

 

「幽霊部員と紹介されていたであろう日之輪 嵐だ」

 

 

 久は言葉を遮り、嵐は椅子から立ち上がって自ら名乗り上げる。

 その様に久は顔を引きつらせ、まこは苦笑いを浮かべ、残りの三人は目を丸くする。

 五人が嵐の言葉で思い出したのは一年組が入部したばかりの頃――――

 

 

『私が部長で三年の竹井 久よ』

 

『わしが二年の染谷 まこじゃ。あとは……』

 

『そうそう、ここにはいない幽霊部員がいるけど、暫くすれば顔を見せると思うから、その時に紹介するわ』

 

 

 ―――そのようなやり取りが確かにあった。

 その場にいなかった人間が、ズバリ真実を言い当てれば、五人の反応も当然だろう。

 

 何とも言えない雰囲気が部室に漂い始めた時、金髪の少年が口を開く。 

 微妙な雰囲気に耐えられなかった、というよりは、生来の気質から話題を変更した方がいいと判断したようだった。

 

 

「日之輪先輩は三年生なんですか?」

 

「年齢的にはそうなるが、実際は二年だ。つまり留年している」

 

「……へ? ………………あ、い、いやその、す、すみませんでしたー!」

 

「これだから犬はダメダメだじぇ」

 

 

 話題を変更した先が見事に地雷だった。 

 どのような理由があれ、留年に関して触れるのも、触れられるのも嫌なものだ。

 

 金髪の少年は慌てて頭を下げ、その様子を眺めていた小柄な少女は呆れたように溜息を漏らす。

 

 

「あー、京太郎、気にせんでええぞ。嵐さんも直截すぎるわ」

 

「む、単に事実を言ったまでなんだがな」

 

「相手はそれを気にすることもあるんだから、ストレートすぎるのも考えものよ?」

 

「そう、なのか。……なら、そちらも気にする必要はないぞ。何にせよ、俺自身の不徳が招いた事態だからな」

 

「は、はぁ、そういって貰えると助かります」

 

 

 やっちゃったなー、という顔をしつつも、少年は安堵の吐息を吐き出した。

 

 

「じゃあ、一年組は自己紹介してもらえる? 名前は教えておいたけど顔とは一致しないでしょうし」

 

「分かったじぇ! 一番、片岡 優希! 好きなものはタコス!」

 

「二番、須賀 京太郎! えっと、麻雀初心者ですけど、頑張ります!」

 

「わ、私もやるんですか!? …………さ、三番、原村 和です。よ、よろしくお願いします」

 

 

 恐ろしく纏まりのない自己紹介ではあったものの、嵐は気にも留めずに顔と名前を一致させているのか、それぞれの顔を見て頷いていた。

 

 

「了解した。どれほどの付き合いになるか分からんが、よろしく頼む。ところで……」

 

「なに? 言いたいことでもあるの?」

 

「いや、俺も好きなものだの答えておいた方がいいのか?」 

 

 

(あ、この人、顔つき怖いのに真面目で天然だ)

 

(こんな大きいのに天然だじぇ)

 

(天然……というやつでしょうか?)

 

 

 助けを求めるように久とまこに視線を向けた嵐に、一年組の第一印象は決定した。

 

 

「とりあえず一局打ってみたらどうじゃ? 嵐さんも三人がどの程度の腕か見ておいた方がええじゃろ」

 

「――――すまないが、今日は顔を出すだけのつもりでな。この後、私用だが用事があるんだ」

 

 

 まこは新入部員との仲を取り持とうとしたらしく対局を進めたが、嵐はキッパリ断り、陳謝した。

 部活動といえど、個人の自由を縛ることはできない。例え、それが個人的な私用であったとしても。ましてや、その“私用”に心当たりのある久とまこであれば尚更であった。

 生まれついての生真面目さから和は何かを言おうとしたが、嵐の態度に問題があった訳でもない上、静かな誠実さに何も言うことはできない。

 残りの京太郎と優希も、そういう日もあるだろうと受け入れる。今日まで部活に顔を出せなかった先輩のこと、心に僅かな猜疑心もなかった。

 

 五者五様の反応を眺めつつ、自身の行いに問題はないと判断したのか、ではな、と短く告げ、嵐は部室を後にしようと自らの鞄を手に取った。

 が、何かを思い出したかのように虚空を見つめ、思案するように顎に手を当てる。

 暫くすると部屋の隅に配置された本棚の前に移動し、一冊の麻雀教本を取り出した。

 

 

「須賀、これに目を通しておけ。初心者なんだろう?」

 

「そうですけど、部長とか先輩とかに教えて貰うってのは……」

 

「それも構わんのだが……、何だ。本を読むのは苦手か?」

 

「はは、正直ちょっと……」

 

 

 手渡されたのは往年のスタープレイヤー、現シニアリーグ所属のプロ・大沼秋一郎著作の一冊。

 嵐がそれを選んだ理由は簡単。その一冊は著者の経験から初心者が理解しにくい部分に挿絵を入れられており、どの年齢層であっても受け入れやすいものとなっているからだった。

 

 

「まあ、自分のペースで構わんよ。どのように麻雀を楽しむのかは、お前次第だからな」

 

「いや、でも、和と優希は大会に出るつもりみたいなんですけど」

 

「大会で勝利し、自らの優位と性能を証明することも重要だが、遊びの一環として楽しみたいというのも一つの道だ」

 

「はあ、それでいいんですかね?」

 

「部活動の主題は大会で成績を残すことではなく学生生活をより良いものにするためのものだからな、好きに選べ。俺はそれに則した教え方をするまでだ」

 

 

 麻雀の楽しみ方は自分自身で決めること。

 大会に出る、というのは、あくまでも和と優希の決めたことであって、それにお前が付き合う必要は何処にもない。

 淡々とした口調ではあったが、嵐ははっきりそう言った。

 

 どのような選択であれ、個人の意思であれば尊重し、受け入れる。それが彼のスタンスらしい。

 一見すれば実に寛大な行為。実際、他人を批判、否定することの少ない彼のこと、器が大きいとも言える。

 だが、逆に言えば、それが当人の決めた事柄であるのならば、諭しもするし注意もするが、決して糾しはしないということ。

 

 人は間違いを犯す生き物。時に正しく間違う必要もあり、誰かに導かれる必要もあるだろう。

 彼はそれをしない。個人の意思を尊重しているが故に、少なくとも自ら手を出すような真似はしない。

 久が“だだ甘なのにスパルタ”と称するのも無理からぬことだろう。

 

 

「これから俺が、お前に基礎を教えることになる。男同士だ、お前も何かと聞きやすいだろう?」

 

「あー、まあ、確かにそうですね」

 

「分からないこと、厳しいものがあったのなら言ってくれ。どうにも、そういうのには疎くてな」

 

「はあ……、先輩の言っていることはよく分かんないですけど、頼りにさせて貰います!」

 

「そうか、わりと的確な自己評価だと思っているのだが……とは言え、頼りにされた以上は全力で臨むとしよう」

 

 

 それだけ言うと、嵐は今度こそ別れの挨拶と共に部屋を後にした。

 一年組の表情に変化はない。その様子に久とまこはお互いにしか分からぬよう、ほっと胸を撫で下ろす。

 嵐は初対面の人間に対してすら、歯に布着せぬ鋭い言動を放つことも間々あった。それが付き合いの浅い彼女らの間に、軋轢を生むのでは、と危惧していた。

 

 

「あの、部長。日之輪先輩は、やっぱり家庭の事情で……?」

 

 

 普段から穏やかながらハキハキとした口調で喋る和にしては珍しく、戸惑ったような口調。

 一ヶ月近く部活に顔を出さなかった幽霊部員であったが、彼の立ち居振る舞い、言動から不真面目さは感じ取れなかった。

 だからこそ、部活に顔を出さなかった理由を知っておきたかったのだろう。品行方正にして優等生と呼ばれている和らしい疑問。

 

 

「んー…………本人いわく単なる我が儘だけど」

 

「どう考えても真っ当な理由じゃな。家庭の事情と言えば家庭の事情じゃろう」

 

「何だったら、直接聞いてみればいいじゃない」

 

 

 意地の悪い笑みを浮かべながら、そんなことを言う久に、それはちょっと、と和は言いよどむ。

 初対面の人間が他人の家庭の事情に首を突っ込むなど、する側からすれば好意であっても、される側からすれば気持ちのいいものではない。

 それを弁えているからこそ、こうして第三者に聞いているのだ。久もそれを分かっていながら、自分で聞けと返しているのだから、些か以上に根性が悪い。

 

 

「これ、部員をイジめるな」

 

「あはは、ごめんごめん。でも、聞くんならそれなりに覚悟した方がいいわよ。さっきの須賀君みたいになるから」

 

「あー、やっぱりマズかったですかね、俺」

 

「まったく気の利かない犬だ。これからは私が調教してやるじょ!」

 

「い・ら・ねー! 仕方ねぇだろ! こっちだって悪気はなかったんだよ……」

 

 

 それがいつもの調子らしく、元気のいい漫才のようなやり取りを見せる京太郎と優希。

 だが、徐々に京太郎の声のトーンが落ちていく。いかにも最近の若者といった風の体に反して、根は真面目で純粋なようだ。

 

 

「いえ、アイツの場合、本当に気にしてないわね。覚悟しなさいっていうのは、こっちの予想を超えて何でも話しされちゃうからよ。中には腹を括らないと受け止めきれないくらいの重い話もね」

 

「まあ、嵐さんにとっちゃあ、別段、隠すほどのものでもないんよ。ただ聞かれたから答えただけなんじゃ」

 

「はあ……じゃあ、怒ってもいないし、不愉快にも……?」

 

「「ないない」」

 

 

 何とも言えない笑みを浮かべながらも、揃って手を振りながら、あっさり否定する。

 久もまこも似たような体験をし、それを経た人間だ。しどろもどろになってる京太郎の気持ちは痛いほどよく分かるのだろう。

 

 

「いいのよ。滅多なことじゃ怒らないから」

 

「普通の人間なら怒るところも、そがぁなこともあるじゃろう、と受け入れてしまう人じゃ」

 

「人間出木杉君だからね、アイツは」

 

「うーん、ちょっと信じられない話だじぇ……」

 

 

 優希の呟きに、確かになぁと独り言のように京太郎が答え、和も反応こそしなかったが表情には微妙な色が見える。

 少なくとも三人の同年代には、そのような人間はいなかったのだろう。

 

 決して三人の人生は長いとは言えないが、教育の過程は社会の疑似体験でもある。

 歪ながらも社会の縮図ともいえる学校生活は、僅かばかりであるものの、人がどのような生き物であるかを学ぶには充分だった。

 

 怒らない人間などいない。どんな人間でも踏み込まれたくない部分が存在し、不用意にその領域に踏み込めば攻撃的になるものだ。

 自分の意見を語れない、自分の気持ちを伝えられない人間はいるが、決して怒っていないのではなく、耐えているだけなのだから。 

 

 

「はいはい、アイツの話はここまでよー。部活なんだから、麻雀しましょう」

 

「そうですね。須賀君は、どうしますか……?」

 

「犬、のどちゃんもこう言ってくれている! お前も入れ!」

 

「あー、……いや、今は止めとく。せっかく薦めて貰ったから、コレ読んどくわ」

 

「チッ……、京太郎が入れば、須賀銀行開店御礼だったのに……」

 

「やっぱりそういう理由かよ! あと銀行は無意味に金くれたりしねーっつの!」

 

 

 その言葉を皮切りに、京太郎と優希は互いに互いの頬を引っ張りながら睨み合う。

 仲の良い者同士のじゃれ合いは、見ている者の笑みも誘い、少し騒がしくも穏やかな時間を約束する。

 

 麻雀部に置ける一つの出会いは、これにてお終い。

 さらに季節の進んだ初夏。また別の出会いが、麻雀部の行く末を決定することとなるが、それはまた、別の話。 

 


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