時は少し巻き戻り。
織斑千冬は一人の少女と対峙していた。
木原円周。黒髪を左右のお団子状に結んだ少女。
見た限りでは中学生くらいの普通な女の子にしか見えない。
街中で見かけたとしても何の違和感もなかっただろう。
だが千冬は円周の内に秘める得体の知れない何かを本能的に感じ取っていた。
「アドバイスお願いね、数多おじちゃん」
円周の言葉と共に、首に下げられた携帯端末のモニターが変化していく。
(来るか……)
「えいっ」
軽快な声と共に円周が小さい槍状の武器を千冬に向けて投げ放つ。
円周の小柄な体で投げられた武器。速度的には千冬の刀で迎撃できるが、下手に触れることは危険と判断し回避しようとするが。
(っっ……!?)
千冬に迫る槍が突然不規則に速度を上げていく。
「うん、うん。分かっているよ。数多おじちゃん。宇宙船はただ単に火を吹かして宇宙に上がっていくわけじゃない。幾つかの段階に分けて燃料の切れたロケットを切り離し、また次のロケットに火を入れる。そうやってどんどん加速を繰り返してロケットは宇宙に上っていくんだよね」
千冬は横へと跳び槍の軌道から逃れる。
槍は千冬に当たることなく顔の横を通り抜けて行った。だが……
「なっ……!?」
確かに避けたはずなのに。千冬のほほが深く切り裂かれ、血が流れた。
「うん、うん。分かっているよ。幻生おじちゃん。連続で爆発させて速度を上げた槍は瞬間的に音速に近い速度になってソニックブームを発生させながら飛んでいって、斬線上に存在する空気を根こそぎ喰らって切り裂いていくんだよね」
更に回避した先にも追撃の槍が投げられる。
(くっ!距離を詰めなければどうにもならないか!)
千冬は距離を詰めるべく円周へ向けて駆けようとする。
「私に近づいてきたら後ろの方を狙うよ?」
「っっ!!」
その一言で、千冬の足は止まらざるをえなくなった。
千冬が近づこうとすると、円周は狙いを真耶に変えようとするだろう。
円周は肉弾戦を得意とする千冬を相手に接近戦に持ち込まれることは避けたいようだ。
見た所、円周は特に身体能力が優れているわけではない。武術の達人というわけでもない。
接近戦なら間違いなく千冬に分があるだろう。
だが迂闊に距離を詰めようとすると円周は狙いを真耶に変えてくる。
ひらけた道路のど真ん中では身を隠す場所もない。どうにか真耶を避難させたい所だが、それを目の前の相手は許してくれそうもない。
特殊な遠距離武器は危険だが、初激がわかりやすいので対処できないわけではない。
しかも嫌らしい事に、不規則に速度を上げる槍は銃弾のように真っ直ぐに飛んでくるわけじゃなく、僅かだが軌道がずれている。これでは射線を見切るのが難しい。
それにカマイタチのような真空の刃は見えない分対処が難しい。
(今の所、奴が能力を使う様子はない。能力者ではないのか?それとも戦闘向きの能力ではないのか)
円周の持つ能力は未だ未知数。能力者との戦闘経験がない千冬の一番の不安要素はそこだった。
そのせいもあり今一歩行動に踏み込むことができないでいた。
個人で強力な力を有すると聞くが、情報が少ないせいで実際に能力者という存在がどれほどの力を持っているのかを懸念していた。
(どうするか……)
一方で木原円周も千冬を観察していた。
(……躱された?)
不規則に速度を上げ、瞬間的に音速に達する槍の攻撃を千冬は躱して見せた。
加速するごとに軌道が僅かにずれるが、それは狙いを外す理由にはならない。
金槌レベルの破壊力を顕微鏡サイズで操る『木原数多』の戦術を基にした円周独自の攻撃。
円周に数多のような繊細な操作は無理だが、それでも狙いをコントロールするくらいはできた。
ということは、千冬は音速に対応できる反応速度を持っているということになるのだが。
(普通はありえない。ということは軌道を読まれた?それとも本能で躱したとか?)
今の段階ではまだ判断できない。
円周は次々と槍を放っていく。
だが。
「無駄だ。いくら速くとも、そんな直線的な攻撃では当たらんぞ」
軌道をずらした所で、攻撃を読めれば千冬にとって躱すのは難しくなかった。
躱す千冬に対して円周は次々と槍を放っていくが、千冬は意に介した様子もなく躱していく。
千冬が躱した瞬間のタイミング、位置、どれをとっても完璧なタイミングで放った攻撃のはずだ。
仮に躱された所で、見えない真空の刃が千冬を襲う。
「無駄だといったはずだ。どんな強力な武器だろうと当たらなければ意味がない」
見えない斬撃すらも千冬は全て見切って避けてみせた。
千冬の動きは早い。遅くはない。確かに人間としては凄まじい身体能力だが、決して音速に対応できるような速さではない。
だというのに、未だに槍は千冬を捕えることができないでいる。
衣服は所々裂かれているが、それでも薄皮一枚で全て躱して見せた。
最初の攻撃で受けたほほの傷以外、千冬には傷らしい傷一つついていなかった。
静から動への動きは淀みなく、緩急をつけた動きは流れるように一切の無駄がない。
傍からだと円周が自分から狙いを外しているように見えるだろう。
鍛え抜かれた武術と経験。仮に異能の力を持つ相手であろうと、そこらの奴に遅れをとるような世界最強の『ブリュンヒルデ』ではない。
「……」
それでも円周は淡々と槍を放つ。
本来様々な『木原』の戦術パターンを扱うのが円周の戦闘方法なのだが、特に攻撃パターンを変える様子もなく同じ攻撃を続けている。
(これなら、なんとかなるか?)
単調な攻撃パターンに慣れた千冬。
ふと千冬は違和感に気付いた。追撃に打ち込まれた槍が僅かに火花を散らしているのが見え、千冬の背筋がゾクリと震えた。
「槍によって生まれた空気が無くなった空間には、周りに飛び散った火花を巻き込ながら空気が急速に流れ込み、集まっていく。 燃焼のための空気を大量に与えられた炎は一気に膨張、爆発する現象。その名もー!」
(まずい――――!!)
「バックドラフト現象っていうんだよ」
最早や手遅れ。
次の瞬間。千冬は爆発に飲み込まれた。
燃え上がる炎は火の粉となって空に消え、黒い煙を上げている。
バックドラフト現象は本来なら火災現場のような極限られた密室空間でないと起きえない。
だが野外で起きるはずのないその現象を、円周は平然と起こして見せた。それができてこその『木原』だとでもいうように。
「うーん。失敗しちゃったかな……」
円周は戦闘についてこれず、へたり込んでいる山田真耶を視界の隅に入れつつ煙を上げる炎の中を見やる。
「これじゃあ相手の姿も見えないよね。ごめんなさい、数多おじさん。こんなの『木原』らしくないよね」
自分の攻撃で相手の姿を見失うのは『木原』として失敗だったと円周は反省する。
それでも千冬の姿は見えないが、確実に爆発に巻き込まれたはずだ。
さすがに木端微塵に吹き飛ぶような火力ではないはずだが、早く回収しないと焼け焦げて死体の判別が面倒になってしまうかもしれない。
円周がそう思った直後だった。
「なっ!?」
炎の中から飛び出してきた千冬の姿に、円周は驚きの声を上げた。
五体満足で髪を少し焦がしている以外は大したダメージを負った様子もなかった。
驚きで円周の行動は僅かに遅れてしまった。
次の瞬間。千冬は上着を脱ぎ捨てて下着姿になると、上着を円周に向けて投げ放ち、その上から刀を投げ放った。
「ぐっ……!?」
刀は上着を貫きながら円周の顔の横へと飛んでいき、上着が円周の顔におおいかぶさり視界を封じた。
千冬は上半身下着姿のまま迷うことなく一直線に円周へと駆け抜ける。
円周は視界を塞ぐ上着を取り払うがもう遅い。
千冬は円周の懐に入り込むと、腹に拳を打ち付けた。
「がっ、ぐぅ……がっ……!」
千冬の拳を受けた円周がただ殴られただけとは思えないくらい驚くほど吹き飛んでいく。
「ぐっ……が……」
円周はコンクリートの地面に打ち倒れ、這いつくばった。
「もう終わりだ。命まで取るつもりはない。大人しく投降しろ」
「投降……?私が……?」
円周はゆっくりと立ち上がるが、足が壊れた玩具のように震えている。
「私が、負ける?私の木原が足りないから……」
「木原云々は知らんが。所詮お前のやっていることは様はモノマネだろう?他人の流儀にどうこういう義理はないが、お前はただ『木原』ってものに依存しているだけじゃないのか?」
「それの、何が悪いの?」
「別に悪いとは言わんが、ただ他人の力をあてにしているだけの奴に負ける気は全くしないな」
千冬の言葉を振り払い、円周の首元の携帯端末の画面が瞬き、何度も切り替わっていく。
「数多おじさん、乱数おじさん、幻生おじいさん、病理おばさん、那由多ちゃん、唯一おねえちゃん、蒸留お兄ちゃん、混晶おねえちゃん、直流くん、導体おじさん、加群おじさん、分離お兄ちゃん、相殺ちゃん、顕微おばさん、分子おにいちゃん、テレスティーナおばさん、公転おねえちゃん」
円周は両手を広げ、唇を動かし宣言する。
自分は木原らしくなければならない。木原は木原だからこんな奴に負けたりはしない。
もはや理論すら破綻しているが、円周は気にもとめていない。
「確かに私は『木原』が足りないかもしれないけれど、私は5000人の木原の戦闘パターンが私の力を支えている!」
新たな戦闘パターンが入力され、『木原』という怪物が動き出す。
「なるほど。だがお前に5000人分の木原の力があるわけじゃない。その力を使うのがお前一人である以上はそこが限界だ」
千冬は動じない。追撃をかける様子もなく、腕を組んだまま円周を見据えたまま動かない。
何故なら……
「言ったはずだぞ。終わりだと」
「がっっ!!?」
円周が突然崩れ落ちた。
何が起こったかわからない内に、円周の意識は落ちていった。
「私に気をとられすぎて視野を狭めたな」
「お、織斑せんせぃ~」
気の抜けるようなか細い声が響く。
円周の後ろから、真耶が後頭部を殴りつけ気絶させたのだった。
「ご苦労様です山田先生」
山田真耶が泣きながら千冬に駆け寄る。
「ほら泣くな。せっかく最後に決めたのにみっともない」
「うぅ、すみません。って織斑先生こそ早く服着てください!」
真耶が真っ赤な顔で千冬を凝視した後目を逸らす。
上半身裸に黒い下着の千冬は凄まじく扇情的な姿になっていた。
「そういえば先生。どうしてあの爆発に巻き込まれて無事だったんですか?」
「ああ。あれはな、居合の応用で刀を抜刀して真空を作りだすことで爆炎を防いだんだ」
「……」
確かに真空状態をつくりだせば炎は遮断できるかもしれない。
「流石に衝撃そのものは防げなかったが、耐えられないほどでもなかったからな」
「む、無茶苦茶ですね……」
爆炎を防いだとはいえ、この程度のダメージですんでいるあたり千冬もどこかおかしい気がする。
とにかく今は円周を拘束して、色々と問いただす必要がある。
「あらー?あらあら。これは一体どういう状況でしょうか?」
その瞬間。千冬の背筋にゾクリと冷たいものが走った気がした。
第三者の声が響いた。
そこには車椅子に座った女性がいた。
いつからそこにいたのか。いや、これだけの騒ぎを起こして誰も来ない方が不自然なのだが。
場違いなほど落ち着いた様子。だが違う。一見ただ迷い込んでしまった病弱そうな女性だが、違うと断言できる。
千冬の感じた悪寒。
円周に感じたものと同じだが、それよりもっと深い何かを感じる。
上手く言葉に出来ないが、おそらくこいつも『木原』なのだろう。
「学園都市の人間。『木原』とかいう奴だな」
「あら?いきなり断言されちゃいましたね。それもブラフではなく確信されたご様子で」
女性は動揺した様子もなかった。
「私は円周ちゃんを回収しに来ただけで貴方たちと戦うつもりはありませんよ?そもそも車椅子の私には戦いなんて無理ですし」
「……」
「あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね」
失礼しましたと、頭を下げて女性は告げる。
「木原病理と申します。よろしくお願いしますね」