IS学園職員室。
職員室内はまたしても静寂に包まれていた。
ただ前回とは空気が大分違う。
前は重苦しい沈黙。IS学園内に侵入者が現れ、その対応に教師たちが苦悩していた。
それに対して、今回は肌に突き刺さるような冷たい静寂だった。
今日もまた、教師たちはあまりの事態に苦悩していたが、それとは別に静かな殺気を放つ人物から離れ、居心地悪そうにしている。
「・・・・・やってくれたな、あの大馬鹿は」
織斑千冬が静かに唸った。
静かに、しかし確実に千冬はキレている。
周りの教師たちは恐々と距離をとっている。
煮えたぎるマグマのように沸々と、大爆発するのを恐れるかのように千冬に様子を伺った。
千冬は感情を決死の意志力で押さえつけると、状況確認をする。
「・・・・山田先生。もう一度状況の確認を。IS学園からいなくなっていたのは何名ですか?」
「はっ、はい!ええと、織斑一夏君と、篠ノ之箒さんと、セシリア・オルコットさん、あと凰鈴音さんと、シャルロット・デュノアさんにラウラ・ボーデヴィッヒさん。六人の生徒が学園内より行方不明となっております!」
つまりいつもの一夏グループ全員が学園内からいなくなっていた。
真耶が動揺しながらも、質問に答えていく。
「それと、一夏君の部屋からこんな書置きが見つかりました」
真耶が震える手で紙を千冬に手渡した。
千冬姉へ
俺はやらなくてはならないことが出来たから、しばらく学校を休みます。
出来るだけ早く帰るから心配しないでくれ。
一夏
「・・・・・・」
千冬の手紙を持つ手が震えている。
その冷たい眼差しには恐ろしい激怒が宿っていた。
「ひぃっ!!」
真耶は怯えて千冬から離れた。
一夏としては千冬を心配させないように残した手紙だったが完全に逆効果だった。
単に千冬の怒りを増加させただけだ。
「それで、他に手がかりは?」
「はっ、はいぃぃ!!先ほど学園都市から連絡がありました!」
学園都市からの連絡。
それは千冬の推測が当たっていたことを示している。
この状況で一夏達がいなくなったのは、まず間違いなく更識簪を救うためだろう。
一夏だけならまだしも、まさか他の連中まで一緒になってついて行くとは思わなかった。
だとすれば行先はロシアか、学園都市だ。
どっちに行ったとしてもそれぞれ別の意味で最悪の事態だが、さすがに彼等だけで遠く離れたロシアの戦場に行くほど馬鹿ではないだろうから学園都市だろうとは思っていた。
思っていたが、当たって欲しくはなかった・・・
「あっ、あの、すぐに織斑先生に繋げようとしたんですけど、一夏君たちが学園都市に侵入してきたって一方的に報告だけされて、切られてしまいました・・・・」
真耶は涙ぐんで千冬に告げる。
目の前の千冬の怒りで怯えているのもあったが、それ以上に真耶も一夏達の事をとても心配していた。
千冬も一夏たちのことは心配だが、それとは別にあまりの事態に頭を抱える。
「あの。簪さんみたいに一夏君たちも学園都市に攫われたという可能性は・・・・」
「それはない。この筆跡は間違いなく一夏のものだ。まあ学園都市なら全く同じ筆跡を真似る技術くらいあるのかもしれんが、いくら学園都市でも誰にも気付かれずにIS学園から六人もの人間を誘拐するのは難しいだろうしリスクが高いだろう。しかも六人とも専用機持ちだ。そう簡単に誘拐されるとも思えん」
つまり最悪の事態だ。
戦争中の学園都市に不許可で侵入者が現れれば、殺されてしまっても文句は言えない。
そして何より問題なのはISを持って学園都市に侵入してしまったことだ。
学園都市はISを所持していない。
得体の知れない技術力を持つ学園都市にISが渡ってしまったらどうなるか。
世界のパワーバランスが大きく崩れてしまう。
ISが普及した女尊男卑の世界となった現代では、各国の重鎮はISの力ならば学園都市の軍事力を上回ると考えている。
実際どうかはともかく、今まで学園都市の力を恐れていた者たちはISの力で気を大きくし、学園都市と戦争をしてその技術を根こそぎ奪ってしまおうと考える連中まで出始めたくらいだ。
だがISという強大な力が抑止力にもなっていたのは事実だ。
ISが学園都市の手に渡っては、世界の均衡は揺らいでしまう。
だからこそ世界各国が学園都市にISを渡さないように必死に努力している。
これは関係が険悪な国同士でも協力して行われる最重要事項だ。
もしISを秘密裏に学園都市に売り渡そうとするものが現れたら、そいつは全世界を敵に回すことになる。
実際、学園都市の庇護を対価にISを学園都市に売り払おうと考える者が現れたが、すぐに各国の暗部が処理しているという噂もある。
だというのに一夏達はISを持って学園都市に乗り込んでしまった。
それはIS学園の生徒が自ら学園都市にISを渡しに来たようなものだ。
世界中の重鎮たちが学園都市の手にISが渡らないように手を尽くしているというのに、それを無駄にする暴挙を犯している。
早くどうにかしなければ世界規模で大問題に発展してしまう。
そして、この事態の全責任は織斑千冬が請け負うことになるだろう。
楯無の場合と状況は全く違う。
彼女はロシアの代表IS操縦者としての立場でロシアの戦場に向かった。
それがどのような事態になったとしても、それは彼女の問題であり、彼女の責任だ。
だが一夏達は違う。IS学園の一生徒が暴走して学園都市に侵入してしまった。
IS学園に置いて『予想外事態の対処における実質的な指揮』は全て織斑千冬に一任されている。
さらに今回の首謀者は千冬の弟である一夏である可能性が高い。というか、まず間違いなく一夏だろう。
教育不届きとかの問題じゃない。
各国から責任問題諸々千冬に追及されるだろう。
世界最強の『ブリュンヒルデ』であっても、さすがに問題が大きすぎる。
そこまで考えた千冬は、一瞬、何もかも投げ出して行方不明になっている束と一緒に逃亡生活をするのも悪くないかな。とか考えてしまった。
数秒して現実逃避から立ち返る。
千冬は家族や同僚を見捨てて責任放棄をするわけにはいかない。
本当に何事もなく終わってくれと神頼みしたところで事態が好転するわけもない。
心労で倒れそうな身体を奮い立たせ、これからの事を考える。
状況は絶望的だが、動かなければ始まらない。
そういう行動力の面では姉弟よく似通っているのかもしれない。ただし、千冬は自分が動く責任と周りへの影響力や迷惑などをよく考えているし、千冬は自分の力をわきまえている。
ブリュンヒルデなどと言われていても、彼女だって一人の人間だ。時々人間から逸脱しているように見られるが、自分が出来る事、やるべきことを考える。
「あっ、あの!先にIS学園に侵入して生徒を誘拐したのは学園都市の方なんですから!」
真耶も必死に打開策を探そうと思考を働かせている。
「そうだが証拠はどこにもない。記録もご丁寧に全て消されているしな。各国に証明する手段がない。学園都市に襲撃されましたと言っても、向こうは知らん顔を決め込むだろう。むしろ場合によっては今回の事態で学園都市から損害賠償をふんだくられるかもしれん」
その言葉に真耶の顔が真っ青になる。
「一夏君たちは無事に帰ってこられるんでしょうか?」
「・・・・・」
その言葉に千冬は即座に帰すことが出来なかった。
「当たり前だろう。すぐに帰ってくるさ」
正直。千冬自信も、その言葉をどれくらい信じているのか分からなかった。そう言っていなければやっていられない。
「まずは学園都市に連絡をつける。それから対応を決める」
千冬は自分の中で、誘拐された一夏を助け出すために全てを投げ出してでも助け出そうとした日の事を思い出した。
織斑千冬はIS学園の責任を背負っている。勝手な真似は許されない。
それでも、彼女はたった一人の家族を見捨てることはできない。
真耶に答えたときは迷いがあったが、改めて自分に誓う。
絶対に一夏たちを助けてみせると。
学園都市第三学区。
そこにあるマンションの一室に、高校の制服を着た女性がソファーに座っていた。
正確言えばこのマンションは彼女の物ではない。
一二人いる学園都市統括理事会の一人、貝積継敏(かいづみつぐとし)の保有する隠れ家の一つだ。今はその場所を女性に提供している。
基本的に善人の貝積だが、学園都市統括理事会のメンバーというだけで彼の命を狙う連中はいるものだ。そのため貝積もいくつかの隠れ家を用意してある。
「さて、そろそろ始めさせてもらうけど」
この部屋にいるのは彼女だけだ。他に人はいない。
『・・・何をだ?』
返答があったのは部屋の壁に設置されている大型のモニター、そこには一人に老人の男が映っていた。
彼こそ学園都市統括理事会メンバー、貝積継敏だ。
「不穏な話。どうやら学園都市に侵入者が現れたみたいだけど」
学園都市の運営に携わるトップメンバーの一人を相手に、女性は敬語も使わずに適当な調子で答えた。
彼女こそが貝積のブレインを務める者、雲川芹亜(くもかわせりあ)。
芹亜と貝積は雇うというよりも対等であると言える。
『・・・・相変わらず耳が早いことだな。侵入者が現れてからまだそうたっていないぞ。私の所にもついさっき報告が来たばかりだというのに。どうやらIS学園の生徒が学園都市に乗り込んできたらしい』
「目的は更識簪の奪還か。勇ましい事だが、勇気と無謀の違いくらい分かって欲しいものだけど。やってることは自殺とほとんど変わらないと思うのだけど」
『・・・・やはり学園都市がIS学園の女生徒を誘拐したのは事実なのだな』
「すでに分かりきっていることを私に問うなよ。否定して欲しかったわけでもあるまい」
ぞんざいな口調だが、芹亜も学園都市のやったことを嫌悪しているようだ。
『いったい誰が何のためにこんなことをしたのだ?学園都市にIS学園を狙う理由などないはずだ。ましてや今は戦時中だ。それなのにIS学園にちょっかいをだし、生徒を誘拐するなど正気とは思えん』
更識簪個人に、学園都市が誘拐してまで手に入れるような価値があるとは思えない。
希少能力者の候補というわけでもないようでだし、
暗部組織『更識』の家系の人間の様だが、それだけだ。
「だから分かりきったことを私に問うなよ。学園都市トップメンバーであるお前にもほとんど情報が開示されず、得体の知れない目的のために暗部を動かす奴なんて一人しか思い浮かばないけど」
他の統括メンバーも秘密裏に暗部を動かすことがあるが、それでも建前や表向きの理由くらい開示されるはずだ。
それすらもなかったという事は。
「学園都市統括理事長様がまた何か企んでいるのだろうけど」
学園都市統括理事長アレイスター・クロウリー。得体の知れないあの『人間』が関わっているのは明白だ。
暗部が独断で動いた可能性もあるが、その可能性は低いだろう。
「それに今回は武力による無理やりの侵入やオカルトを名乗る者たちの力ではなく、誰かの手引きで学園都市に侵入してきたそうだけど」
今までも何度か侵入者が来たことはあったが、最近は力技の侵入が多かった。
イギリス清教のように正規の手続きをしたわけでもなく、内部の人間からの手引き。
これは学園都市への裏切りというよりも。
『学園都市が差し向けたエサというわけか』
「確実にな」
あっさりと肯定されて貝積の眉間にさらに深いしわができる。
IS学園の生徒が自らの意思で学園都市に侵入してきたのなら仕方がないが、学園都市の人間に誑かされているだけの可能性もある。
学園都市の陰謀のために捨て駒のように利用されているのかもしれないのだ。
「仮に利用されているだけだとしても、あっさり乗っかって学園都市に侵入してくる奴もどうかと思うのだけど」
その言葉に貝積は白けた目を向けてくる。
あまりその力を行使することはないが、雲川芹亜がその気になれば単純な話術だけで、もはや催眠術の域に達していると言われており、ただの一言で相手の心を縛り、心の奥を開閉させる。
頼もしくも恐ろしいブレインだ。
『ついさっき学園都市の連絡係がIS学園と連絡しているそうだ。学園都市にIS学園の生徒と思われる者たちが侵入した。できるだけ丁重に保護するが、抵抗するようなら相応の手段を行使せざるをえないと。IS学園としては生徒達を安全第一に保護して欲しいと言っているらしいが』
織斑千冬といえば世界最強のIS操縦者として世界的に有名な人物だ。
その発言力は世界にもある程度影響力を持っているかもしれない。
だが
「原因や理由はともあれ、戦争中の学園都市に侵入して無傷で返せなどと言う要求を学園都市が飲むかな?」
芹亜の言う学園都市とはどこまでを指しているのか。
学園都市上層部、統括理事会、そのさらに上か。
「全ては奴の目的次第か、それは平和的に、賠償や対価を払えば解決するような簡単な問題とは思えないのだけど」
『・・・・それは今考えていても仕方なかろう。それより今の学園都市の戦力で侵入者を安全に保護できるのか?』
「確実にではなく安全にか、お前はそういう所で甘い奴だけど」
貝積は利用されているかもしれないIS学園の子供たちの身も心配しているのだろう。
「確かに今の学園都市はLEVEL5が4人もいなくなってしまっている。第一位、第三位、第四位はロシアへ。第二位は戦闘不能で生きているのかも分からん。第三位の超電磁砲(レールガン)がいれば安全に、確実に保護することもできたわけだけど」
LEVEL5は一人でも兵器以上の力を誇る大戦力だ。だが今の学園都市の中には三人しかいない。
『第五位の力を借りれば安全に保護できないか?』
それを聞いた芹亜は顔をしかめる。
「それはないな。あのムカつく第五位が素直に私達のいう事を聞くとは思えないし、他を経由しての仕事だとしても、自分から面倒な事には関わりたがらないあの女の事だ。侵入者に変な悪戯でもしかねないと思うのだけど」
『また妹達とやらの力を借りることは出来んのか?』
「これ以上自分の患者を働かせるなとあの医者はお怒りのようだけど。退院した身とはいえ、急激に成長したクローンを働き詰めにさせるのは危険の様だ。つい最近も危険な仕事をして重傷を負った話だし、一万人もいるんだから少しくらいいいじゃない、なんて話はあの医者を怒らせるだけだし私もそんなまねはしたくないな。彼女たちも私達の守るべき子供たちだろう?」
そう言われ、貝積は自分の発言を恥じる。
統括理事会という地位についておきながら、自分は安全地帯で高みの見物をし、強い力を持っているという理由だけで本来守るべき子供たちを戦場に駆り出すなど貝積が嫌悪していた者そのものだ。
「
警備員や風紀委員では、たった六機のISでも少し厳しいかもしれない。
「まあ、警備員も風紀委員も表向きの戦力でしかないわけだけど。たしかに今の学園都市はLEVEL5の大半がいない状態だけど、だからと言って学園都市の防衛力が下がるなんて程単純な問題でもないと思うのだけど」
まして今は戦争中。学園都市も防衛手段に力をいれているはずだ。
実際、前方のヴェントと名乗る侵入者が学園都市の警備員七割を無力化したことがあったが、それでも学園都市はおちなかった。
それは上条当麻の活躍と、ヒューズ=カザキリという学園都市の切り札の一つらしきもののおかげなわけだが。
学園都市も多大な被害を受けたが、それでも侵入者の一番の目的である上条当麻の抹殺さえもできなかった。
そのあたりの事情は芹亜も完全に把握しているわけではないが、学園都市の隠し玉は、芹亜達も知らない所でまだある事が分かった。
「とりあえず、警備員はIS相手の戦力としては無理だな、戦闘が起こった場合を想定して避難誘導に回した方がいいと思うのだけど」
芹亜がそう言った所で、画面の隅に人影が映った。
『今連絡が入った。IS学園から教師が二人学園都市に来ることになったそうだ。今回の事態の責任者ということだろう』
そこ謝罪や交渉、引き取りなどが行われるのか、それとも逆に学園都市を糾弾するのか。
話がどのように進むか今はまだ分からない。
「まずは侵入者の確保が先か、さて、誰が動くかな?」
芹亜は目を閉じ、荒れ始める世界を憂いた。
友達を助けるために来たIS学園の侵入者。
生徒を守るために来るIS学園の教師たち。
そして迎え撃とうとする学園都市の暗部。
治安を守るために戦う
独自に動き出す
それぞれに様々な思惑や事情があった。
それでも世界は無情で時間は平等だ。
世界最強の兵器インフィニット・ストラトスを操るIS学園。
対するのは学園都市の能力者たち。
『学園都市戦入編』の幕が上がった。