THEIDOLM@STER 同級生のアイドル 作:くろねこ7
リビングに入ると、おじさんが椅子に腰をかけて、新聞を読んでいるのが目に入った。一応断っておくが、今日は週末で休日である。決しておじさんが職がない駄目な大人などと思ってはいけない。これでも某大手の立派なサラリーマンである。週末にはおばさんが一人でやっている花屋を手伝っていたりもするが、今日はたまたまいなかった。
「おかえり凜…お? 惣介くんじゃないか! 久しぶりだね、元気でやっているかい?」
強面の顔に似合わない、相変わらずのハイテンションで出迎えてくれる。人の家というとある程度遠慮があるのが普通だと思うが、おばさんもあんな感じで、加えておじさんのほうもそう厳格な人ではないので気楽に凜の家にはいくことができる。もっとも、おじさんの言った通り、実際に家に上がるのは高校入学以来でおじさんに会うのはだいぶ久しい。
「はい、なんとか高校にも慣れてきた感じです。おじさんもお元気でなによりです」
「そうかそうか。もともと心配はしていなかったがね。それはなによりだ」
おじさんは自分の息子のように俺のことを祝ってくれる。俺と凛が同じ高校を受験して合格できた時も、思わず感極まって泣いていたのを思い出した。それはうちの親父も一緒だが…。
「お父さん、今日は惣介もご飯一緒に食べていくことになったから」
「それはいい! うちの嫁の料理はうまいからな!」
もう結婚して何年もなるのにおじさんの惚気はとどまることを知らない。そしておばさんも口には出さないが惚気オーラを放っていることが多々ある。いろんな面で自分の家族とこの家族は似ているなと頭の中で考えて苦笑する。
「まったく、バカなこと言ってないで。ほらご飯ですよ」
そういってキッチンから運ばれてきた鍋の中には色とりどり、バラエティー豊かな食材が所狭しと敷き詰められていた。そこから漂ってくる香りに嫌でも食欲が刺激されてしまう。これはすき焼きだろうか?
個人個人に皿を渡し終えて、おばさんが席に着いた後、おじさんの合図でいただきますをして食べ始める。
器に卵を割って十分にかき混ぜる。まずは肉からと、鍋からそれを取り出し、溶き卵にサッと溶いてから口の中に放り込む。口に入れた瞬間、溶き卵の冷たさと肉の暖かさが絶妙に混ざり合い、何とも言えないハーモニーを生み出す。なんといっても肉が柔らかい。これならばいくらでもご飯が食べれそうだ。
「いつ食べてもおばさんの料理はおいしいですね!」
思わず上がったテンションそのままの感想を口に出す。おばさんは若干照れた顔でそんなことないと謙遜した。
「最近私もお母さんに料理習ってるんだけど、やっぱりかなわないなぁ」
俺の隣では凜がおいしさに顔を綻ばせるのと同時に、若干悔しそうな、これまた何とも言えない顔でご飯をほおばっていた。そして向かいの席ではなぜかおじさんが誇らしそうな顔でこちらを見ている。
「うふふ、ありがとね。凜は不器用なわけじゃないんだからこれからよ。それにそんな簡単に追いつかれちゃこっちがたまらないわぁ」
「それもそうだ」
思わず同意してしまう。凜はそれでもむぅと顔をしかめたままだが。
「ところで、惣介くんには聞いたが、二人とも学校の感じはどうだ。凜は普段あまりそういう話をしてくれないのでな」
一通り料理の感想を言い終えたところで、おじさんが新しい話題を提供してくる。学校での感じ…といわれてもこれといって特別なことはないのだが…。
それは凜のほうも同じなようで、普通だよと返してはまた鍋を突っつき始めた。
あっ、とそんな凜を見て思い出したことがひとつ。
「そういえば高校でも凜のファンクラブが出来そうでしたね…」
「ごふっ!」
俺の言葉を聞いて一番最初にリアクションを返したのは当の本人自身だった。食べかけていた料理を吹き出しかけ寸前のところでなんとか押しこらえる。こんな凜の姿は初めて見た。しっかりと料理を食べた後おばさんからティッシュを受け取り口の周りをふき取ってから一言。
「なんでそういうことをここでいうかな」
お怒りである。若干顔を赤くしているのは、気恥ずかしさからか、先ほど噴きだしたせいか。知り合ったばかりならわからない程度の変化ではあるが、十数年も付き合っていればさすがにわかるようにはなる。
「いや、だって、学校での様子とか聞かれたから…」
「だからって… そういうプライベートなことは私に言ってからいうべきじゃ…」
「なんということだ…またしても悪い虫どもが凜の周りをうろちょろと…」
「お父さん!」
まさかここまで大騒ぎになるとは。ファンクラブなんて中学の時もいたんだから別に大丈夫だろうと思って言ったのに。凜は怒り、おじさんは考え込み、おばさんはそんな二人の様子をあらあらと頬に手を当てにこにことみている。ってか、アイドルの候補生してるやつがファンクラブごときで驚いているんじゃないよ。
「して、そのファンクラブとは…?」
おじさんが神妙な面持ちで訪ねてくる。それに対してまた凜が騒ぐが、それはあえてスルー。ここからは男と男の対談なのだ。
「いえ、まだ正式に決まったわけではなく、わたくしも風のうわさで聞いただけなのですが…」
わざと重々しい雰囲気を作る。横では説得をあきらめた凜が、もうやだといいながら鍋をものすごい勢いで突っついている。そんな勢いで食べて太っても知らんぞ。…睨まれた、怖い。
「どうやら校内で凜のことが噂になっているらしくてですね…。ファンクラブに似たようなものができるのも、そう遠くはないかと」
「…そうか。だが、仕方のないことかもしれん。なんたって、凜は可愛いからな」
真顔でそういうことを言うこの人は相当な親バカである。別に否定はしないが、すこしは謙遜しろと。この親にしてこの子あり、という言葉はこの親子にだけは当てはまらない気がする。どうしてこんな愉快な両親からこんなクールな子が生まれたのか…。
と、そんなことを考えつつおじさんとの議論も終わりを迎え、再び料理に戻ろうと箸を伸ばす。
しかし具材が見当たらない。あれだけあったはずの具材が。
「まさか――――凜、お前…」
横に目をやると、そこには満足げにティッシュで口を吹き終えている凜の姿が。
「二人がバカな話してるからいけないのよ。ごちそうさま、お母さん」
「きさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
テーブルに崩れ落ちる俺とおじさん。勝ち誇ったかのように席を立ち、食器をシンクへと移す凜。ここに、勝者と敗者の構図が出来上がった。
その様子を、おばさんはにこにこと見守っていた。
食事を終えて、ベランダに出る。凜の家は、表は花屋、そして裏には庭とベランダがあり、この庭がまた落ち着いた雰囲気でとても過ごしやすいのだ。7月といえば日中は暑くなってくるころだが、日が落ちた後はちょうどいい気温になり、薄着で外に出るにはうってつけの季節だ。耳をすませばコオロギが鳴きはじめたりもしていて、風情も感じられる。庭には花屋ということもあり、色彩豊かな花たちが自らの美しさを主張しあっている。それでいて調和がとれているのだから、やはり本業だなぁとしみじみと感じさせられる。
「腹は膨れたかね、惣介くん」
そんなことを考えながら涼んでいると、気づけば隣におじさんが腰を下ろしていた。右手にはビール缶。どうしてご飯の時間に飲んでいないのに今飲むのか、それは気にはなったが突っ込まないでおく。
「はい。とてもおいしかったです。欲を言えば、凜に食べられる前にもうちょっと食べておきたかったですが」
そういってお互いに苦笑する。おじさんは愉快であるがきちっとしていて、それでいてこういうジョークも通じるからとても付き合いやすい。頼れる大人というのはこういう人のことなんだろうなと思う。
「君といるときの凜はとても表情が豊かでね。こちらもうれしくなってくるよ」
おじさんは庭で咲いている花に目を向けながらそういった。その顔はすごく穏やかで、子を想う父親という言葉がまさに当てはまるようだった。
「そうだったら俺もうれしいです。凜といるのは、俺も楽しいですから」
「それはよかった」
そういって少しの沈黙が流れる。リビングを抜けたキッチンでは、凜とおばさんが楽しそうに会話をしながら食器を洗っている音が聞こえてきた。俺も手伝おうとしたが、おばさんの一言で却下されてしまったのだ。
こういう時のおばさんは得も言われぬ迫力を醸し出すから侮れない。
「そういえば、知っているかね。凜がアイドルを始めたそうだ」
視線は依然、庭へと投げたまま。しかし表情は先ほどの穏やかなものから、すこしだけ厳しいものに変わっているように思えた。
きっと、親としては子供が芸能界に入ることには反対なのだろう。それはそうだ。俺のような一般人が想像できる限りでも、芸能界というのはテレビに出ている華やかな世界だけではないことはわかる。ましておじさんのような一人前に社会に出ているような人間なら尚更だろう。
そして、今は吉澤さんからも聞いた通り、アイドル戦国時代だ。『アイドル』という職業は、間違いなく熾烈な争いを避けられない。
それでも俺は…
「…はい。あいつから聞きました。…でもおじさん、あいつは――――」
「わかっている。凜は本気だ。…最初は驚いたよ。会社から帰ってくれば、どこか神妙な面持ちで話があると。そして言われたんだ、アイドルになりたいと。もちろん最初は反対した。私は芸能界のことなど何も知らないが、厳しい世界であるということだけはわかる。そこに生まれてからずっと愛情を注いできた愛娘が飛び込もうというのだ。反対するに決まっている」
お酒のせいか、おじさんは少し早口になりながら、俺に思いのたけを話していった。不安でしょうがないと。自分の最愛の子が傷つけられはしないかと。そのことを聞きながら、俺も親になったらこういう思いを持つのだろうかと、頭のどこかで考えていた。
「だがね。私を説得する凜の眼を見て、止めることなどできないなと感じてしまった。惣介くんも知っていると思うが、あれは変なところで頑固な時があるからね」
「はい、知っています。時折その頑固さには苦労させられますよ」
そうしてまた笑いあう。不思議とそこには年の差など関係のないように感じた。一人の少女を想う、二人の絆みたいなものがそこにはあった。
「あそこまで真剣な子供を目の前にして、その願いを無下にできる親などいないだろう。すべてを納得してはいないがね。私は精一杯、あの子の夢を応援してやるつもりだ」
そう言い切ったおじさんの表情は、また先ほどのように穏やかな表情に戻っていた。
凜は幸せ者だ、と素直にそう思った。ここまで真剣に考えてくれる親に育てられて、そして自分の夢を全身全霊で応援してくれる親に育てられたのだから。
そう思って、不意に自分の両親のことが頭に浮かんだ。そうすると、不思議なことに自分もそういう環境にいたなと、一人思い苦笑する。
「だからね、惣介くん。君も凜のことを支えてやってほしい。これは凜の親であり、そして一人の男としての願いだ。よろしく頼む」
そういっておじさんは姿勢をただし、俺に頭を下げてきた。かといって、下げられた側としては困惑せざるを得ない。
「えっ、そんな、当然じゃないですか。幼稚園からの付き合いなんですから。…いや、そんなことは関係なく、俺は今まで通り、凜に接しようと思っています。それが俺にできる唯一のことだと思ってるので」
…しまった、すこし恰好をつけすぎた。自分で言っておいてなんだが、数秒前のことを思い出すと顔が熱い。まさかこんな気恥ずかしいことを言うとは思いもしなかった。
俺が一人、頭の中で悶絶しているなか、その言葉を聞いたおじさんは顔を上げてそれから急に笑い出した。
「…はっはっは! 凜は幸せ者だ! こんなことを言える幼馴染がいるのだから!」
「勘弁してください…数秒前の自分を殴ってやりたいくらいです」
「そう言うな、若いうちはそれくらいのほうがちょうどいい」
そういいながら、おじさんはまだ笑い続けていた。それを見ているとなぜかこっちまでおかしくなって、つられて笑ってしまう。それからずっとベランダで二人で笑い続けてきた。
「どうしたのあの二人。なんかずっと笑ってるけど…」
「さぁねぇ…お酒でも飲んで頭おかしくなっちゃったのかしら…」
「お酒って…! 惣介まだ未成年! …こらー!」
「あらあら」