THEIDOLM@STER 同級生のアイドル 作:くろねこ7
父さんと母さんがフランスへと公演に行った翌日の朝。いつもより1時間ほど早くセットした目覚ましを止めた後、カーテンを開けて一つ大きく伸びをした。いつもなら学校がある日は、時間ギリギリまで寝てるのだが、両親が居ないときはいつもより早く起きて散歩することにしている。未だに覚めきらない頭のまま足を動かし玄関のドアをくぐる。しっかりと鍵がかかるのを確認した後、まだ気温が上がりきらない外へゆっくりと歩きだした。
家がある住宅街から少し離れると大きな川に出る。この河川敷はいい感じに見晴らしもいいので、早朝に通ると、高校生やら年配の人たちがよくランニングしたりウォーキングをしている。川の方を見ると早朝には良く釣れるのか、ちらほらと釣りをしている人も目に入った。朝日は既に顔を出しており、何にも遮られることのない優しい太陽が朝の訪れを告げていた。
段々と寝ぼけていた頭もはっきりとしてきたので、徐々に歩く速度を速めてジョギング程度の速さに切り替える。7月の頭と言うこともあり、頬を撫でる風は心地よくそれだけで朝早く起きて得した気分になる。
そのまま走っていると途中で土手に腰をかけている見覚えのある顔を見つけた。休憩がてら話をしようとその人の隣に行き声をかける。
「おはようございます善澤さん。今朝も早いですね」
その人は俺に気付いていなかったらしく、すこし驚いた様子でこちらに顔を向けた。しかし、すぐに声をかけた人物が自分の知り合いだと認識すると、笑顔で俺に挨拶を返してくれる。
「おぉ、おはよう惣介君。今はランニングの最中かな?」
その問いかけに、休憩中です、と笑って答えると、善澤さんに了解を得て隣に座らせてもらう。それから二人で他愛もない世間話などをかわした。
善澤さんはこの近くに住んでいるらしい40代前後の男性である。よくこういう早朝の時間に顔を合わせているうちに次第に会話をする程度にはお互いに知り合う仲になった。なんでも朝の空気は顔を覚ますのには最適だとかなんとかいって、ほぼ毎朝この辺を散歩しているらしい。
話す仲といっても俺は善澤さんのことはほとんど知らない。どこに住んでいるのかも知らないし、ましてやどんな仕事をして生活をしているのかも全く知らない。ただこうやって朝に顔を合わせて少し会話をするだけ。特になんでもないことだが、何故だか俺はこの時間は嫌いじゃなかった。
「そろそろ暖かくなってきましたね」
「そうだな。これからは暑くなってきて、大変な時期だ」
お互いに苦笑いをしながらそんなとりとめのない会話を交わす。
時間が過ぎるにつれて段々と人も増えていく様子が目に入った。ここは高校の通学路でもあり、オフィス街へと続く道でもあるため、スーツを着た人や、制服を着た高校生たちが楽しそうに会話をしながら俺たちの横を通り抜けていく。その際に挨拶をする子供もいるのが、この街の良いところでもあり、無防備である、という面では少々悪いところでもあるのかもしれない。
そういえば、とふと思いついたことを口にする。
「こんなことを聞くのは失礼かもしれないんですが、善澤さんはどんなお仕事をなさっているんですか?」
自分でもどうしてこんなことを聞いたのかよくわからないが、なぜか疑問に思ったのだ。もしかしたら、凛がアイドルという職業についたのが原因かもしれない。自分の周りにいる人間一人で自分の思考が変わっていく気がして、なんとなく可笑しくなる。
俺のその唐突な疑問に、善澤さんは少し驚いたような顔をした。
「そういえば、そんなことも話していなかったんだな」
こうして考えると私たちは本当に不思議な関係だ、と善澤さんは苦笑する。確かに、そうかもしれない。何の接点もなく、年も決して近くなく、趣味が合うのかも定かではない二人が、こうして土手に座って会話をしている。今まではなんの疑問にも思ってこなかったが、言われてみれば、と自分の中で納得をする。
「大した仕事じゃないよ。しがないライターさ。仕事上のことはあまり詳しく話すことはできないが、まぁ芸能関係のことを主にやらせてもらっているかな」
芸能関係。その言葉に俺はピクリと反応を示す。
「芸能関係というと、今はアイドルとか、ですか?」
「そうなるね。なにしろ今はアイドル戦国時代とか言われているから。いろんな子たちが自分の能力と仲間を信じ、競い合って輝こうとしている。そこには、まぁ成功だけじゃなく、挫折や苦悩など本人にしか分からない苦しみもあるかもしれないが、それを乗り越えて栄光をつかみ取る。そんな過程を見るのが私は好きでね。丁度知り合いの伝手で、今はそれを世間に伝える仕事をしているといったところだ」
そう語る善澤さんの顔は、とても生き生きとしていたように思えた。この人は本当にそのことが好きなんだろうと、そして自分の仕事に誇りを持って接しているといったことが垣間見えた気がした。
「しかしどうしたんだ急に。今までこんな話をする気配もなかったじゃないか」
少し笑いながら俺の方を一瞥すると善澤さんは視線を流れている川へと投げた。俺もつられて街の中へと流れていく大きな川に目を向ける。もうすっかり昇った太陽の光を水面が反射して、キラキラと点滅するように輝いていた。
善澤さんの問いに答えるべきか、少し迷ったが、自分なりに思いついた言葉を、少しずつ紡いでいく。
「いや、それこそ大したことじゃないですよ。ただ、俺の周りにちょっと変化があったものですから。それに、俺ももう高校生だから、そろそろ将来とかも見ていかなきゃいけないのかな、と思いまして」
そう言う俺の言葉を聞くと、善澤さんはまた少し驚いたような表情を見せた後、どこかおかしいところがあったのか盛大に笑い始めた。思えば、この人のこんな風に笑った姿も初めて見た気がする。今日は、善澤さんの色々な面が見られるなと、心の中で苦笑する。
「はっはっは! そうか、将来か! 君は随分と大人びたことを言うな! 私が君みたいな年の頃は、まだ何も考えず遊んでいた気がしたよ。確かに将来のビジョンを持つのはいいことだな!」
一通り笑った後、しかしな、と彼は続ける。
「あまり将来を見つめすぎて、追いつめられてはいけない。君にそんな心配はいらないとは思うが、そんな重く考えず、気軽に考えた方がいい。君はまだ若く、道はどんな場所にも開かれているのだから。親からの自立は確かに大切だが、それと同時に頼ること、そして人に感謝することを忘れてはいかんよ」
善澤さんの言葉はなぜか自分の胸にすっと溶け込むかのように沁み渡った。それは物書きを職業としている善澤さんの力なのか、それともただ単に自分に思い当たる節があるせいなのかはわからない。
善澤さんの言葉にはい、と頷くと、本格的に周囲が活気づいてきたのに気付いた。見ると、先ほどよりも多くの学生たちが道を横切っていく。小学生もちらほらと見え始め、子供特有の大きい声が、この街に元気を運んでくるかのように思える。
「さて、少々説教臭くなってしまったな。まぁじじいの小言だとでも思ってくれ。それでは、また会おう」
「はい、有り難いお話ありがとうございました。ではまた」
そういって歩きだす善澤さんの背中を目で追う。今まで特に思うことのなかったその姿は、どこか力強く、そして大きく感じられた。