巨体が宙を舞い、地面に叩き付けられると観客から感嘆の声が漏れる。
もっとも格闘技の試合などを見ているわけではなく、訓練の最中なので観客であった訓練兵たちも格闘訓練をしているふりをしながらそちらを見ていた。
地面に転がったガッチリとした体格の少年が強く打った腰をさすりながら上体を起こすと、投げた本人であるエレンが手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
「いてててて。もっと加減をしてくれエレン。いくら俺でも体が持たん」
「全力でやってくれていいんだって。俺もその方が訓練になるし」
「十分本気だよ俺は」
少年を立たせたエレンは周りで訓練をしている他の兵士たちを見て僅かにため息を吐く。
それに気が付いた少年も周りを見回してみると確かにエレンがため息を吐く気持ちが分かった。
人類が目下最大の敵である巨人と戦うにはそれぞれの兵士たちに支給された立体起動装置を使った白兵戦が一番効果があるとされている。
ゆえに訓練の中でも特に立体起動術の配点が高いのは明白であり、こうした格闘訓練ははっきりと言ってしまえば頑張ったところでもらえる点数は比べものにならないくらいに低い。
よって成績優秀者がなることができる憲兵を目指す者たちのほとんどが格闘訓練を日頃のハードな訓練の休みと思っていて、目に見えて手を抜いている者が多すぎて目を覆いたくなるほどのありさまだったのだ。
「こうした格闘訓練が憲兵には一番必要だと思うんだけどな」
「同感だ。犯罪者を取り締まるのに立体起動術なんざせいぜい地上を逃げる奴を追いかけるぐらいしか出来ねえしな」
「まぁ俺は調査兵団にしか興味ねえし、あんな奴らは関係ねえ。どうせほとんどが憲兵か無理なら駐屯兵団だろっと」
エレンは手の上で遊んでいた木を削って造られたナイフの模型を逆手に掴むと躊躇なく少年に向けて振るう。
少年も警戒していたのか模型を持った方の手首を掴んでひねり上げようとするが、途中で模型を手放したエレンの手はそのまま少年の襟首を掴んで引きづり倒した。
少年が上に乗ったエレンを除けようと力を込めるがすでに少年の首には模型の先が突き付けられていた。
「参った。俺じゃあエレンにゃ勝てん」
「突然仕掛けて悪かったなライナー。こうでもすりゃお前も本気出してくれるかと思ったんだ。結局また出さなかったけどな」
エレンにジト目を向けられライナーと呼ばれた少年は慌てて視線をそらし、ふといいことを思いついたかのようにニヤリと笑う。
「エレン。俺じゃあお前には勝てんが、アイツはどうだ?」
「ん・・・・?あれは、アニだったか?」
ライナーが指す方には訓練をしている兵士たちの中に隠れて教官の目をやり過ごしている金髪の小柄な少女がいた。
「アイツはああやってサボってるがメチャクチャ強いぜ。俺なんか一度吹っかけて見事に蹴り飛ばされたからな」
「あ~。そういえばそうだったな」
初めての格闘訓練で同じようにサボっていた少女にライナーが絡んで盛大に宙を舞ったことを思い出してエレンは頷く。
「暇そうだし誘ってみたらどうだ?俺はすまんが少し休ませてもらいたい」
「分かった。そうだ、アルミンに格闘術を教えてくれよ。ミカサじゃ感覚すぎてアルミンが分からないらしいんだ」
エレンの言うとおり、アルミンと組んでいるミカサが熱心に教えているがアルミンにはいまいちよく理解できないらしく首を傾げていたのが見えた。
ライナーが頷き教えに向かってくれた後、エレンはちょうどこちらにやってきた少女に声を掛ける。
「よぉアニ」
「アンタは・・・・・・。ああ、調査兵団に入りたいとか言ってた奴か」
「アンタ強いんだってな。ちょっと訓練手伝ってくれよ」
「嫌だ。どう頑張ったってこの訓練は点数にならないし、私はこんなことで疲れたくないんだ」
「そこを頼む」
「嫌。あの怪物にでもたのんでれば?」
「ミカサじゃいつも訓練後にやってるから面白くねえんだ」
「私には関係ない。じゃあね」
「一度だけでいいからさ。頼むって。ライナーを蹴り飛ばせる奴なんざ他にいねえんだって」
「ちっ・・・・・・」
そう言い捨てて去ろうとした少女にエレンが食い下がるので嫌気がさしたのか少女は数歩エレンから離れて構えを取る。
「一度だけだよ」
「ああ」
エレンが構えたと同時、早めに終わらせようと少女が勢いよく飛び出すと下から掌底でエレンの顎を狙う。
「うおっ!?」
「ふっ!!」
何とか仰け反ることで躱したエレンに少女は鋭いローキックでバランスを崩すと腕とエレンの顎を押さえた。
少女が足をしならせてエレンに足払いを掛ける寸前、エレンの片手が顎を押さえていた少女の手を払って逆に少女の顎と腕を捉えようとエレンの手が伸びる。
「くっ!?」
体格差で不利を悟ったのか少女は慌てて抜け出すとエレンから距離を取りエレンの顔を怪訝そうに見つめる。
「あんた。なんで同じ技を私に掛けようとしたんだい?」
「いや、なんとなく、気が付いたら体が動いてた。それよりどうだった今の?」
「あれじゃあ今みたいに簡単に逃げられるよ」
「そうか・・・・・・。なぁ俺にお前の格闘術教えてくれよ」
キラキラと目を輝かせるエレンの顔に教えてくれと書いてあるようにも思えた少女は呆れたようにエレンを見る。
「まったく・・・・・・・。しょうがないね。気が向いたら」
諦めた少女が全てを言い切る前に、エレンと少女の間に割り込むように何か大きな物が落ちてきた。
「なんだ・・・・?ってライナー!?どうしたんだよ」
エレンの驚きの声にライナーは最後の力を振り絞って震える先である方を指差した。
「エレン。なんで私以外の女と一緒に訓練してるの?」
そこには視覚化できそうなほどドス黒いオーラを纏いながらミカサがこちらに歩いてきていた。
「ミカサ。なんでライナーをこっちに投げんだよ。危ないだろ」
「エレン。いいから答えて」
「そうだよエレン。ライナーと訓練するって言ってたから私も諦めてたのに。なんでアニと訓練してるの?」
いつの間にかやってきたクリスタも一緒になってエレンに詰め寄る中、アルミンは近くにいた長身の男の子や坊主の子、人相が悪い少年に助けを求めてぐったりと動かないライナーを安全な場所に非難させた。
「俺が誰と訓練してもいいだろ」 「ライナー、死ぬんじゃないぞっ」
「ダメ。エレンに教えるのは私がやる」 「おいアルミン。ライナーの心臓の音が聞こえねえぞ?」
「お前じゃ俺が上達しねえんだって」 「コニー。心臓は左側だからね」
「そういうことらしいからさっさと戻りな」「おい。だんだんライナーの血の気が無くなってるぞ」
「私が教える。こんな奴に頼らなくてもいい」「大変だ。早くライナーを医務室に運ぼうっ」
「エレン。私も教えて。代わりに馬術の時に手伝うから」
「いいぞ」
一足先に約束したクリスタにミカサが悔しそうに呻く。
「クリスタ。それはズルいと思う」
「ミカサ。お前は俺のことに構ってないで自分のことをやれって」
「なぜ?」
意味が分からないと言った感じで首を傾けるミカサにエレンはニッと笑う。
「お前は目標なんだからこんな事で勝っても面白くないんだ」
「分かった。じゃあ私も頑張る」
エレンがそう言うと、先ほどとはうって変ってやる気にあふれるミカサは獲物を探す肉食獣の様に目を光らせて、先ほどライナーを運んで行った団体を見つけ猛然と走り去っていった。
「じゃあ頼むぜアニ」
「それよりあれを止めなくていいのかい?」
「ちょ、待てってミカッぐふぉあっ!?」
「ちょ、ジャンっ!?ミカサ、なんでジャンをっ!?」
「ジャンの次はコニー、その次はベルトルト。そしたらまたジャン。私は強くならなければならない。エレンのために」
ミカサの進撃は留まるところを知らず、復活したライナーをも巻き込んで訓練が終わるころには医務室に包帯でグルグル巻きにされたミイラが4つ並んでいたという。