私に友達ができないのはどう考えても幻想郷が悪い   作:puripoti

9 / 11
第9話 星蓮ガランドウ

 蛍の少女からお目当てのものを受け取った幽香はその足で魔法の森を抜け、森の裏手にある『再思(さいし)の道』へと進んだ。

 

 秋ともなれば地面を埋め尽くす彼岸花によって、真紅の彩りを帯びるこの小路も今の季節は寂しいものだ。なによりこの辺は幻想郷の端の端とでもいうべき場所なので、人も妖怪も滅多にうろつかない。それがより一層の寂寥感(せきりょうかん)として来る者を抱きすくめるが故に、この小さな道を尚更に近寄り難いものにするのだ。

 

 自身の立てる足音以外は、何も聞こえぬ再思の道を通り抜けた幽香がたどり着いたのは、木々に囲まれた小さな空間であった。

 現世から切り離された常世のごとき静けさでもって、幽香を招じ入れる“ここ”は幻想郷の“行き止まり”のようなところである。

 

 その名を『無縁塚(むえんづか)』。

 

 無縁塚は幻想郷の中でも、とりわけ人間妖怪一切問わずに危険な場所として知られている。

 というのもここは元々、縁者身寄りの無い者の墓地───故に『無縁塚』───だったのだが、閉じた世界である幻想郷において、縁者親戚がいないものといえば《外の世界》からやってきた者達が大半を占める。それがため、ここの比率が段々と《外の世界》に偏りはじめ、ここらの結界が緩んでしまったのである。

 

 更にはまずい事というのは重なるものなのか、墓地ということもあり冥界とも接点が出来ているので、下手に足を踏み入れれば何が起こるか知れたものではない(結界の、いわば現実と非現実の交錯地点であるので、自身の存在を維持するのが困難になる)。そういえば、魔法の森の入り口で店を構えている雑貨屋の店主は、彼岸の時期ともなればここを訪れて無縁仏の供養をしているのだと聞く。自分の身を(かえり)みず死者の魂を慰めるとは、まこと(とく)(あつ)き人物であると言わざるをえない。その死後は極楽に行けること請け合いであろう。

 

 今日日(きょうび)珍しいくらい清廉篤実(せいれんとくじつ)なる店主のことはさておいて、そんな無縁塚の近くに一軒の小屋が建っている。

 

 小屋というよりは掘っ立て小屋、掘っ立て小屋というよりむしろボロ小屋、ボロ小屋呼ばわりするくらいならいっそ廃屋とでも言ったほうがしっくりくる、人間たちが原始的な土器を造り始めた時代の住居の方が“まだしも”と思わせるほどの粗末さ加減は、幽香の棲み家にさえ勝るほどである。勝ったところで家主は嬉しくなかろうが。

 

 小屋には扉はなく、出入口のところに煮染(にし)めたような色合いのこれまた粗末な“むしろ”がシェード代わりに架けられているきりである。それを潜った先の小屋の内装は、外見の見窄(みすぼ)らしさに引けをとらないくらい貧相なものであった。

 

「君か。そろそろくると思っていたよ」

 

 壁紙などという洒落たものは当然のようになく、地べたには擦り切れた茣蓙が敷かれただけの仄暗い室内で幽香を迎えたのは、ややクセのある灰色の髪と血色の瞳を持つ少女だった。

 

 少女は茣蓙の上に胡座をかき、幽香を見上げている。幽香を伺う視線といい物腰といい、知的というよりむしろ聡明さと狡猾さが同居する、決して気を許せない小動物のようなイメージの少女。頭にはネズミのそれを思わせる大きな耳と、腰からはやはりネズミのような尻尾が伸びている。風体から察することもできようが妖怪だ。念の為に断っておくが、猫の妖怪ではない。猫が好んで追っかけてる方だ。

 

「食事のお邪魔をしたみたいね」

 

 少女が手にしている獣のものとも鳥のそれともつかぬ、得体の知れない肉の丸焼きを“ちら”と見て、幽香は言った。

 

「なあに、構わんよ。お客ってのは神様だ。神仏に仕える身としちゃ、神様は敬わんとな」

 

 やや皮肉げなものを面に浮かべ、。少女はまだ半分ほどを残した肉を小屋の片隅に放った。“投げ捨てた”のでは、ない。

 放られた肉が床(といっても地べたに茣蓙を敷いただけのものだが)に落ちるや、どこからともなく湧いて出た『黒い塊』のようなものがそれを覆い尽くし───そこから“かりかりかり”という、硬いもの同士が打ちあうような音が聞こえてきた。

 

 音はしばらくの間、小屋の中を満たし、唐突に止んだ。同じくして、肉に覆い被さっていた塊も“そそくさ”と消え失せる。跡には何も───それこそ肉の一片どころか、骨粉一つ───残されてはいなかった。並の人間ならばその気色の悪さに怖気をふるうなり居心地の悪さを覚えるなりするのであろうが、ここにいるのは両者ともに“並”でもなければ“人間”ですらない。

 

 手についた肉の名残を惜しそうに舐めとる少女へ、バスケットから大きな瓢を取り出しながら幽香は言った。

 

「後片付けが済んだところで、商談といきましょうか───それとこれは差し入れよ」

「やあ、すまないね」

 

 少女は満面の笑顔を浮かべて瓢を受け取った。

 ほう、これは。微かに漂ってくる芳醇な酒の香に可愛らしく小鼻をひくつかせ、ネズミの少女は軽い驚きを口にした。

 

「───《老春(ろうしゅん)》だな」

 

 はるけき過去に《詩仙》《詩聖》の名をもって讃えられた大詩人が愛したと伝えられる酒の銘である。ただしそれがいかなるものであったのか、いかにして造るものであったのか、それらの口伝も今や失われ、ただ《老春》の銘とその造り手の名のみが、彼の詩仙がものした詩にとどめられるばかりであるが。

 

「よくご存知で」

「昔、何度か口にする機会があってね。しかし今の御時世によく手に入ったものだ。一体どうやって、これを手に入れなすったね?」

「造ったの、自分で」

「ほほう?」

 

 思いもかけぬ応えに、興味深げな顔を向けるネズミの少女。濁酒、いわゆる家庭でも造れる“どぶろく”と違い、こと“清酒(すみざけ)”呼ばれるものは造るのにそれなりの手間と人手、そして相応の設備が必要になるはずだが、一体どうやって仕込んだのだろう。それ以前に、どのような伝手でこの酒の作り方を知ったのやら。

 

 まあ、よかろうさ。少女は胸中で鎌首をもたげかけた好奇心を引っ込め蓋をした。

 下手な好奇心は時として、彼女らの不倶戴天の敵をも殺すのだ。この女の私生活に首を突っ込んだところで、ロクな事にならなさそうな気がするし。大した力も持たない少女だが、それだけに危機を察知する嗅覚には並々ならぬものがあるのだ。

 

 少女は取り繕うように瓢を幽香へ掲げてみせた。

 

「商談の前に一献(いっこん)いかがかね? と言っても、元は君のだがよ」

 

 いただきましょう。艶然とした笑みを浮かべ、幽香は誘いを受ける。どうせ両名とも、真昼間から酒を飲むことに抵抗があるわけでなし。

 

 ネズミの少女は小屋の隅っこに置かれている頑丈そうな茶色の紙箱から、ところどころが欠けた粗末な茶碗を取り出した。その数、三つ。ここにはネズミの少女と花の女がいるっきりのはずだが。

 

 一瞬だけネズミの少女は訝しげな顔つきをしたが、黙って茶碗を幽香の前に二つ、自分の前に一つ置き酒を注いだ。

 賢明というべきである。この程度のことをいちいち気にするようでは、幻想郷では三日と保たずにノイローゼとなるのを免れない。

 

 音に聞こえし天下の銘酒を満たした茶碗を手に取って、ネズミの少女は揺らめく酒精の波頭に愛おしげな視線を送った。そして思い切りよく“ぐい”と呷る。

 

 見た目からは想像もつかぬ呑みっぷりに、幽香の唇がわずかにほころんだようだった。幽香が手にするのはやはり、少女のそれと同じく粗末極まる欠け茶碗だが、この女の手にあるとそれさえも天下の大名物のようにさえ見える。当人も意図せぬ“華”とでもいうべきものがそう見せるのだ。

 

 口元を手で拭い、少女は腹の底から絞り出したような歎声を発した。

 

「……ああ、堪らんね。辛い浮き世にゃ、これがないとやってられん」

 

 実はネズミの少女がこんな辺鄙(へんぴ)な場所に住み暮らしている理由の一つがこれであったりする。彼女の主人やお仲間連中が暮らしているところは、生臭物が厳禁なうえに酒もご法度の場所なので、向こうから用事なり呼び出しでもかからない限り、彼女はここで一人、気ままに過ごしているのだ。

 

 新たな一杯を注いだ茶碗を掲げつつ、上機嫌の態でネズミの少女が詩を吟じた。

 

 両人対酌山花開(両人(りょうにん)対酌(たいしゃく)山花開(さんかひら)く)

 一杯一杯復一杯(一杯(いっぱい)一杯(いっぱい)復一杯(またいっぱい))───

 

 その一杯を“ぐい”と呷り、詩が途切れる。その続きは幽香が紡ぐ。

 

 我酔欲眠卿且去(我酔(われよ)うて(ねむ)らんと(ほっ)(きみ)(しばら)()れ)

 明朝有意抱琴来(明朝(みょうちょう)意有(いあ)らば琴抱(こといだ)いて()たれ)

 

 詩の終わりとともに、幽香も酒盃を空けた。

 こちらは口を拭いもしない。手にする茶碗も、注がれたものなど元から無かったかのように乾ききっている。満たされていた酒精は、一滴も余さず“うっすら”と紅を引いたような朱唇の中へ我先に飛び込んでいったのだろうと、ネズミの少女は自然に思った。

 

 空になった茶碗にまた一杯を手酌で注ぎつつ、ネズミの少女が話題を振った。

 

「琴といえばこの間、ここいらで琴を持った妖怪を見かけたな。琵琶(びわ)を担いだ奴とのペアで」

「へえ、ずいぶんと風流な妖怪がいたものねえ。私の周りにはナスを担いだ妖怪しかいないっていうのに」

「なんだね、そのトンチキな妖怪は」

「パッと見、ナスっぽい妖怪だったの。それとも本当にナスの妖怪だったのかしら。夏のお野菜だし」

「わかったようなわからんような……なんにせよそいつら、タダの妖怪にしては妙な気配を撒き散らしてはいたがね」

 

 というよりもありゃあ、付喪神の類だろう。それも、なにがしかの要因で強制的に具現させられた。少女の推測に「へぇ」と、感心したような声を幽香は向けた。

 

「そういうのって判るものなのかしら」

「判らいでか。こう見えても《賢将》の二つ名を戴く身さ……と言いたいところだが、半分くらいは勘だな」

 

 最近、拾ったお宝が勝手に動いたりどこかに消えたりしているのと関係があるのかもしれんよ。ネズミの少女は肩をすくめた。

 

「また異変が起こるのかしら?」

 

 いやねえ。心持ち眉をしかめる幽香。花とともに静かに、のんきに生きていたい幽香としては騒動や異変というのは煩わしさが増えるだけでしかない。

 

「わからん。あるいはとっくに起きているのかもしれんが……まあ、そうなったところで問題はなかろうがよ」

「どうして?」

「ここには異変となれば、呼ばれもしないのに自ら進んで首を突っ込むような奴らがいるだろう? なら、そいつらに任せておいたがよかろうさ」

 

 あの連中、頭の中身や性格はともかく腕は確かだからな。ネズミの少女の口調がやや苦々しげに聞こえるのは、はたして気のせいであったろうか。

 

「そういえば貴女も、最近“そいつら”に痛い目に遭わされた内の一匹だものね」

「さて、どうだったかなあ。それはむしろ、君にこそ思い当たるフシがあるんじゃないのか」

 

 さて、どうだったかしら。ゆるやかな微笑みを浮かべ、幽香は韜晦(とうかい)した。

 

「まったく、手のかかるご主人様を持っちまうと色々苦労が絶えない。その御蔭であんなのとかち合うハメになるんだ」

「そんな面倒な主人なんて見限って、勝手気ままに生きればいいのに」

 

 それとも、わざわざ自分から苦労を背負い込みたがるタイプなのかしら。妖怪のくせに。(いら)う幽香を小馬鹿にするように、少女は鼻を鳴らした。

 

「ふふん、知らんのか。多少くらいなら手のかかる主人、あるいは適度にバカな上役や同僚ほど可愛いもんだというのに」

 

 要はお世話好きなのね。幽香は愉快げに微笑む。

 

「馬鹿な連中の(もう)(ひら)くのも、我が崇高なるお努めなのさ」

 

 “にやり”と笑い、ネズミの少女は茶碗を呷る。

 

 それからしばらくの間、会話を肴に二人は酒盃を酌み交わした。話題に上がる事柄は様々だ───最近の幻想郷について、勃発する事件・事変・異変、新たに持ち上がった諸問題、それらへの各勢力の動向、人里で新たにオープンした店、流行りの遊び、廃れた娯楽・・・両者ともに聞きたいこと、話したいことは山のようにあった。ひょっとしたら、誰かとの会話に飢えていたのかもしれない。

 

 幾杯目かの杯を空けたところで、ネズミの少女が話題を変えた。

 

「───さて、そろそろ商売の話をするべきかな」

 

 前置いて少女は茶碗を地面に置き、先ほどの紙箱から『商品』を取り出して茣蓙の上に並べていった。

 

「これが今日の分だ」

 

 ところ狭しと並べられた『商品』、それは何冊もの書籍であった。

 形状、仕様は“まちまち”で、ポケットサイズの文庫から新書、分厚いハードカバーや革張りのものまである。当然とでもいうべきか、そのジャンルに統一感はまったく無い。小説随筆辞典教養書料理本、およそ『書籍』と呼ばれるものならほとんどを網羅している。共通点はたったの一つ、これらが《外の世界》で刊行された《外来本》という稀覯本(きこうぼん)であるということだけである。

 

 ここまできてピンときたかもしれないが、幽香の家に置かれている書籍、その出処の一つがこの少女であったりする。

 というのもこの少女、『探しものを探し当てる程度の能力』というものを身につけており、こんなおかしな場所に居を構えている大元の理由というのが、ここら一帯に眠るお宝(大体は《外の世界》からの流入品)を自身の能力を用いて手に入れる為なのである。

 

 少女の能力とその目的についての噂をどこからか聞きつけた幽香が、彼女と接触を試み取引を持ちかけたのは今から少しばかり前、ちょうど『空飛ぶ宝船』の異変に前後してのことである。

 

 ───《外の世界》から流れ着いた本の幾つかを融通してもらえない? 

 

 少女にとってもそれはもっけの幸いというべきであった。なにせこの女ときたら、取るに足らない本一冊に目の玉が飛び出るほどの対価を払ってくれるのだ。彼女にも関わりの深い《宝船》の一件において、少なからずの赤字を出していた少女としては、目の前に座る女は妖怪どころか福の神といってもいいくらいだった。どうせ、大した違いなぞないし。

 

 幽香は“ずらり”並んだ本の中、小説をメインに物色した。

 江崎まりあん・著『海底人ビスケー湾上陸』、同著者による『地下室の井戸の怪物』『殺人雪だるま対武器商人』……等々。それらに混じって30年くらい前の花輪和一みたいな妙に妖しい挿絵のついた小説もあったが、そちらはどうでもよろしい。

 

 少しして、幽香は一冊の小説を選んで手に取った。タイトルは『河童』。芥川(あくたがわ)なんとか(かすれていて読めなかった)という作家が書いたらしいその本の端に、わずかに付着した“それ”を指差す。

 

「血が付いてる」

「おっと、済まんね。そいつは“元の持ち主”のものだ」

「その持ち主さんは?」

 

 死んだ。ネズミの少女は素っ気なく言った。

 

「まさかとは思うけど、貴女が?」

「失礼なことを言わんでもらいたい。仮にも仏門に帰依(きえ)する者が、不殺生戒(ふせっしょうかい)すら守らんでなんとする」

「お肉、食べてたくせに」

「それくらいは大目に見られるべき。他者を喰らい、己が血肉とし、命を繋ぐ。生きとし生けるものすべてが、生きていくその限り背負い続ける罪───仏の教えでいうところの《業》というやつだ」

「お酒、飲んでるくせに」

「飲みようによっては百薬の長ともなるという。故に賢く付き合うべきだろう───例えば私のように」

 

 ネズミの少女は微塵も悪びれない。

 彼女の言によれば、お宝求めていつものように無縁塚を漁っていたら、件の“持ち主”とやらがぶっ倒れていたのだそうな。

 

「どこぞやの妖怪の『食料』だったものが逃げ出してきたのだろうね」

 

 “なんてことない”ように言うネズミの少女。幽香もさして気にしないが、これは当たり前だ。彼女らにとっては───なかんずく幻想郷にあっては文字通りの“日常事”であり“茶飯事”なのだから。食事や呼吸の度に、驚き目を剥き仰け反るような奴はいない。

 

「助けてあげればよかったのに」

「生憎だが、誰ぞを癒やす術の心得はなくてね」

 

 見つけた時には身体のいたるところに手傷を負ったそれはひどい有様(あちこちが“無かったり”してたらしい)だったとかで、どの道、手の施しようもなかったらしい。

 

「宗教は人を癒やすものでしょう」

「神仏の教えは救いをもたらせども癒やしはせんよ。それを間違えてはいけない」

 

 救いはあくまでも己で見出し、癒やしは誰かに『恵んでもらう』ものである。そして宗教とはあくまでも前者である。そうで“あらねばならない”。神も仏も───そして人も───救える者とは、自らを助くる者だけだから。往々にしてそれを履き違えるもの曲解するものが宗教を歪め、あるいは形骸化し、救いをもたらす以上の迷惑を生む。

 

「いやはや、“楽に”してやろうにも戒律で禁じられてるからなあ。死に水を取ってやるくらいしかできなんだ」

 

 なるほど。幽香は“ひっそり”と、気付かれないくらいの緩やかさで口の端をほころばせた。息を引き取るまで、ずっとそばに居てやったということだろう。優しさをわかりにくい形で表すやつがここにもいた。

 

「その手間賃として、身ぐるみはじめとした持ち物をいただいたというわけさ。獣や蟲に食わせたり、土に還すにゃもったいない物ばかりだったからね」

「仮にも仏様の御遣いともあろうものが(かばね)(あさ)りとは───世も末とはこのことね」

 

 わざとらしく嘆いてみせる幽香だったが、その程度では少女の面の皮にかすり傷さえ付けられない。ネズミの少女は気を悪くするどころか、馬鹿にしたように鼻を鳴らすばかりである。

 

「所詮は《外の世界》、それも神仏の存在さえも信じぬ不心得者(ふこころえもの)さね。それに───」

 

 君だって知ってるだろう。“ここ”に呼び込まれるのが一体、どんな連中なのかってことくらい。ネズミの少女は厭味っぽく口の端を歪めた。

 

 前にどこかで述べた気もするが、幻想郷にやってくる者達、とりわけ妖怪の“食料”として招かれる輩とは《外の世界》においての存在意義を自ら喪失した連中、要は“死ぬ価値さえない”連中なのだ。

 

 生はともかく死ぬことに意味があるのかというのは“生きる”という、言葉と行為の本質を見誤った考えである。《死》とは、ありとあらゆることごとくすべからくの生きとし生けるものの終着地、あるいは総決算とでも言うべきものだ。終わり良ければすべて良し。立派な死に方をするものとは、立派な生き方をしたものだけ。すなわち、その死を誰かが悲しみその死を誰かが惜しむということである。生きていようが誰も彼もが気にも留めない、死んだところで誰も彼もが惜しまない。それが『死ぬ価値すらない』ということだ。

 

 誰とも関わらず誰にも必要とされず、意味も、理由も、目的も“なんにもない”、考えることさえ放棄した息するだけの(あし)

 誰かと繋がる絆を無くして何かを繋げる心は亡くして自身は偽りだらけのガランドウ───

 

「そんな奴原を、毘沙門天直々の配下たる私が用立ててやろうというのだから、これもひとつの功徳というべきだろうさ」

 

 違うかね? ネズミの少女が浮かべた笑みは皮肉というにはやや“どぎつい”。

 だが、それを見て幽香はつくづく思った。様々な意味合いで、ここは《楽園》に違いない。どのような形であれ皆、生きることに必死だ。そうでなければ生きていけない。

 

 それを承知しているのからこそ、幻想郷の住人も“招かれる連中”には一定の隔意をもって接する。請われれば手を差し伸べるくらいはするのであろうが、積極的に関わろうとはしない。念の為に断っておくが、これは自分さえ良ければそれで良し、などという明快なエゴからきているのではなく、もっと根本的な部分による理由からだ。何度も述べているが、“ここ”にやってくる者、物、モノというのは《外の世界》での存在意義を“自ら手放した”連中ばかりなのだ。そんな輩を身を呈して助けようとするのは高潔にして至誠篤実なる人格者とは言わない。最大限に譲歩してお人好し、妥当なところならただの阿呆である。

 

 もっと身も蓋もない結論を述べるなら、家畜小屋の牛や豚へ同情の視線を向けるのは個々人の自由だから好きにすればいいが、そのシステムまでを非難してもいいことはないということだ。『偽善』などという方向性を間違えたような問題ではなく、誰も得をしないからという至極単純な話である。

 

 そもそも、妖怪の餌にされることに文句があるなら妖怪に目をつけられるような生き方をしなければよいだけの話である。それさえ出来ないような輩がどのような死に様をしたところで、気に病む奴はいない。少なくとも、《幻想郷》では。無論、忸怩たるものがないではないのだろうが、火の粉が降りかかるのは他ならぬ自分である。ましてや《外の世界》では『死』とは生命を失うというだけで済むが、幻想郷では生命以外のものだって“喪い”かねないのだ。それを思えば誰だって二の足を踏む。

 

「それに死体だってちゃんと即席のものではあるが、作法に則りきちんと弔ってやったんだ。それも、タダで。ここまでさせておいて、駄賃の一つもなしは無かろうが」

「あら、ここいらに火葬場なんてあったかしら」

「名にしおう花の化生ともあろうものが、馬鹿を言ってはいけない」

「それじゃ土葬? そのまま埋めるのは流行り病を撒き散らすわ」

 

 うんにゃ。ネズミの少女は小さく頭を振り、小屋の隅へと意味ありげな視線を送った。つられて幽香もその視線を追う。

 

「ウチの仔たちは肉食、ことに人間のそれが大の好物でね」

 

 どうやら鳥葬ならぬ獣葬ときたらしい。小屋の“そこここ”にわだかまる《塊》が灯す鬼火のごとき赤光こそは、人喰らいの証であった。

 

 まともな神経の持ち主なら、いたたまれぬどころか泡を食って逃げ出しそうな状況だが、風見幽香は顔色一つ変えない。それどころか得心いったような面持ちで小屋を見渡し、

 

「むしろチュー葬とでもいうべきかしら。ネズミだけに」

 

 上手いこと言ったつもりかね。ネズミの少女は呆れたような面持ちをこしらえた。

 

「空を行き交う鳥どもに地を駆け巡る畜生ばら、その中でもとりわけ一番手に入りやすい肉が人間のそれときた……どこに行ってもいつの時代でも、これだけは変わらない。その意味では人の世はいつでも“末”なわけだがよ」

 

 だがお陰さまとでも言うべきか、ウチの仔らが腹を空かせることだけはなかったのは有り難いやな。ネズミの少女の声にどこかやりきれないような、あるいは疲れたような響きが混じったのは気のせいだったろうか。

 

「鳥でも獣でも魚でも人でも、お腹に入れちゃえば同じお肉だものね」

「他人事のように言うなあ。君だって同じようなものだろうに?」

「食べるのはずっと前からやめてるわ」

「ずっと前、ね。どれだけ昔のことやら」

「ずぅーっと、昔よ。考えてみればパンやご飯ほど美味しくもないし。精々がとこ日課としていじめたりしてたくらいかしら」

「日課ときた。そんなもんでいびられてたら、被害者連中の立つ瀬がないな」

「だって仕方ないじゃない。私、妖怪なんだもん」

 

 幽香は秀麗な唇を尖らせた。

 

 誤解のないように述べておくが、別に幽香は楽しみのために誰ぞを痛めつけたりしたことなど、ただの一度もない。ただし、明確な理由目的意味事情があってしたこともまたないのだが。

 

 というよりも、憎悪憤怒怨恨享楽愉悦───そのどれでもよろしいが、“感情”を理由ないし原動力として他者を傷付けられるのは『人並みの』感情を持てる者の特権である。風見幽香と呼ばれた女には縁がない代物だ。そしておそらくは、これからも縁を持つことはないのだろうけれど。

 

 では何故そんな女が、かつて大した理由もなく様々な連中へと───それこそ人間であろうと妖怪であろうと幽霊であろうと妖精であろうと───片端から攻撃を仕掛けるような真似をしでかしていたのかといえば、それは偏に“妖怪は恐れられ怖がられ嫌われ憎まれ疎まれてナンボ”という存在理由に基づいての『日課』としていただけのことである。

 

 日課というのは楽しくなかろうが面倒くさかろうがやらねばならないもの。だから、やる。

 

 そんな寺子屋に通う子供とさして変わらない理由から、この女は“あちらこちら”から恨みを買うようなことをやらかしてきた。例えばここに来る前に立ち寄った先で会った蛍の少女、その手足を無残にもいだときでさえ幽香は何の感情も感傷も感慨も感心も感動も抱けなかったくらいだったから。ただ、面倒くさいなあと思ったのだけが唯一の感想である。

 

 ネズミの少女は“付き合いきれない”とばかりにため息を吐いた。

 

「ある意味においては、質の悪いサド公の方がまだしもかもな。一切合切の感情さえをも無視して暴れまわるあたり、君はどこまでも純粋に“ひとでなし”というわけだ」

 

 まったくもっておっしゃる通り───妖怪だけに。幽香は肩をすくめた。洒脱なその仕草には悪気もなければ悪意もないが、罪悪感さえもありはしない。ネズミの少女はそんな幽香の有り様を非難もせず、白けたような態で茶碗に口をつけている。馬より聞く耳を持たない妖怪に、念仏経典説教説法を語って聞かせる不毛さを少女はよくわきまえていた。そういえば、かのお釈迦様の説法デビューは鹿をリスナーとしたものであったと聞くが、馬ならぬ鹿の耳なら念仏も届くのだろうか。

 

「でも、それだって昔の話。最近はやらないの。面倒くさいし、花でも眺めてたり本を読んでたりする方が楽しい」

「まことに結構。他の妖怪連中も君のようであったのなら、ウチの寺の住職殿も少しは気が休まるものだろうさ」

 

 言い捨て少女は、新たな酒を復一杯。

 

「住職さんてあれよね、少し前に幻想郷のあちこちで妖怪とか巫女さんとかと一緒に“ぶったりけったり”してた人。お友達が多そうだから羨ましいわ」

「一応断っとくが、あの寺にいるのは友達じゃなくて彼女のシンパかさもなきゃ寺の信者だからな」

「同じようなものでしょ。いいなあ」

 

 幽香は心底、羨ましそうに言った。私もあやかるために入信でもしようかな。

 

「そいつはやめてもらいたいね。お前さんみたいな物騒な輩にうろつかれたら、せっかく集めた寺の信者が逃げちまう」

「あ、でもお寺に入門するためには頭を丸めなきゃいけないんだっけ。それはちょっと嫌かなあ。今の髪型って結構、気に入ってるんだ」

「人の話を聞きたまえよ。ついでに言っとくが、ウチの寺にゃ剃髪(ていはつ)の義務なんぞは無いからな」

 

 精々がとこ、禿頭(とくとう)の時代親父が一匹(一人ではなく)いるくらいである。そもそも寺の顔ともいうべき人物にしてからが、紫やライトブラウン、果ては金色のグラデーションのかかったウェービーヘアという奇天烈にもほどのある髪型だったりするわけであるし。

 

「ところで、そんな貴女自身はその住職さんのことをどう思っているのかしらね」

「話を聞けと言っとろうが、まったく……。それによくもまあ、聞いてほしくないことを尋ねるなあ」

 

 少女は露骨にいやな顔をした。

 

 現在、ネズミの少女が(便宜上)属しているコミュニティは、今彼女が口にした『住職殿』を慕う者達によって構成されたものである。しかしてこの少女に関しては、あくまでも主人に付き従っている(厳密にはお目付け役のようなものであって、単純な上司部下の関係とは程遠いらしいが)だけなので、件の住職殿に対して敬意も義理も持ちあわせてはいないとかなんとか。

 

 その彼女の目から、件の人物とそれを取り巻く面々がどのように映っているのか───それはひどく幽香の興味をくすぐった。悪趣味ともいえるが。

 

「いいじゃない、どうせここには私達しか居ないのだし。たまには言いたいことを吐き出さないと心に悪いわよ」

「そして口外無用の王様の耳についてぶち撒けた、マヌケな床屋の二の舞いになるのか。泣けてくるね」

「それは心配無用。ここにいるのはおしゃべりで無粋な葦ではなく、寡黙かつ見目麗しい花の妖怪だもの」

 

 自分で言うかね。何の衒いも臆面もなく言ってのける厚かましさに、ネズミの少女は失笑したようだった。毒気を抜かれたとも云うが。

 新たな酒で唇を湿らせ一息つきつき、少女は自分の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと口を開いた。

 

「知っとるかもしれんが“あれ”は元々、純粋でもなけりゃ無垢とも程遠かった」

 

 我欲の赴くままに禁忌とされる力に手を染め、挙句、人と相容れぬ妖かしの輩に近づき傀儡とさえなし、保身を計った背教の徒───人の身で八苦を滅したとさえ噂される女の、それが正体であった。

 

「それでいながら、“あれ”は無垢に戻った」

 

 永きに渡る歳月を経て、己が浅ましき身と心根を恥じる心が生まれたか、はたまた交わった朱の色に自らも知らぬ内に染まりきっただけなのか……どちらなのかは知らんし知ったことではないがね。

 

 道に惑ったその果てに、泥に堕ちて汚濁にまみれ、傷つき朽ち果て擦り切れて、それでも咲いた蓮の花。

 穢れに身をやつしてなお純白に咲き誇るその花に、もはや何人たりとも瑕疵をつけることも穢すこともできはすまい。また、彼女を深く知る者達がそれを許すまい。

 

 ネズミの少女はどこか遠いところを見るような目をした。

 

「私ゃ滅多に誰かを褒めたりはせんが、そこを認めることには吝かではないよ」

 

 ───大した女だ

 

 短く締めくくり、少女は茶碗を呷る。幽香はほんの少しだけ優しく、そのくせ意地の悪さも張り付かせた表情を少女に向けて言った。

 

「でもそれ、当の本人にも言ってあげたりしないのかしら」

 

 悪い冗談はよしたまえよ。ネズミの少女は頭の上で厭そうに手を振ってみせた。

 

「こんなこっ恥ずかしいこと、今際の際くらいでしか言えやせん」

「でしょうね」

 

 幽香は三分咲きの桜のように淡い微笑みを浮かべて瓢を手に取り、話を聞かせてくれた礼とばかりに少女へ酌をしてやった。

 

 その後も雑談を交わしつつ少女達の酒盛りは続き、瓢の中身が尽きたところで幽香は5冊の本を購入して少女の棲み家を辞去した。




 登場人物

風見幽香

備考───わりと困ったちゃん

ネズミの少女

備考───薄い本がネズミ講ばりに増えますように

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。