私に友達ができないのはどう考えても幻想郷が悪い   作:puripoti

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第8話 Love so

 風見幽香の朝は相変わらず早い。

 

 いつものように空も白まぬ内から目を覚ました幽香は、いつものように上体を起こしたベッドの上でいつものように身じろぎもせずいつものように“ぼけーっ”としていた。

 

 そこまでは“いつものこと”なのだが、今朝は少しだけ違ったらしい。

 

 幽香はベッドの端っこに遠慮するようにして身を寄せている自分を、焦点の合わない瞳で見渡した。ただでさえ粗末で手狭な(当然のことながら寝心地も悪い)ベッドに、そんな格好で寝ていたら誰だってよく眠れた気分がしない。

 だったら普通に真ん中を使えば良さそうなものだが、そうすることはできないのだから仕方がない。

 

 たまにあることなのだ。

 

 とはいえ、多少“いつも”と違った朝を迎えたところで、“風見幽香”にはいささかの違いもありはしない。しばしの間、“ぼーっ”とした顔でいた後、幽香は「おはよう」とつぶやき、“もぞもぞ”と這いずるようにしてベッドから出た。

 幽香はいつものように、手早く着替えをはじめとした身支度を済ませて台所に足を運び、手を洗い慣れた様子で皿や調理器具を用意していく。

 

 今日の朝ごはんはオムレツがいいなあ。眠気の抜け切らない頭で考えながら、幽香はかまどに火を入れた。

 

   *

 

 結果として今朝の食卓に上ったのは、炊きたての熱いご飯と生卵、茄子と胡瓜の漬物に大根の味噌汁だった。なんでそうなったのかは幽香にも判らないが、そういうものなのだから仕方がない。

 

 たまにあることなのだ。

 

 いただきます。両手を合わせて行儀よく挨拶ひとつ、箸を手に取る。

 テーブルの上には二人分の食事が並べられているが、幽香が箸をつけるのは一人分、自分の前に置かれたものだけである。風見幽香は大食らいでもなければ小食でもない。じゃあ、なんだって二人分用意したのかという話になるが、そういうものなのだから仕方がないのだ。

 

 なにせ、たまにあることなのだから。

 

   *

 

 ゆっくりと時間をかけて朝食を終えた幽香は、食後の茶をこれまたゆっくりと喫してから後片付けにかかった。綺麗に食べつくされた二人分の食器を台所に運び、汚れを拭ってから水に漬けておく。洗うのはしばらく経った後でいい。

 

 後片付けを済ませた後、手持ち無沙汰になった幽香はなにかやることを思いつくまで読書をすることにした。新しく茶を淹れて、大きさだけは立派な本棚から一冊の漫画───表紙には『アップルパラダイス』とある───を取り出した。

 それと選んでいるときに気が付いたのだが、少し前と本の並びが違っていた。しかしこれも、たまにあることなので気にしない。

 

 軋み音を立てる椅子に優雅に足を組んで座り、茶を口にしながらゆったりと読み進める。時折、思い出したように口元を緩め、あるいは“くすくす”と静かに笑うその姿は、まるでページをめくることすらも楽しくてしかたがないように見えた。

 

   *

 

 ───そういえば、洗濯物が溜まってきてたんだっけ

 

 それを思い出したのは3巻目の丁度真ん中あたり、雨の日のエピソードに目を通したときだった。金糸で織られた(しおり)をはさんでページを閉じ、椅子から立ち上がって窓に近寄る。

 

 良い天気だこと。窓の外に広がる景色に、幽香の口元がほころぶ。空を臨んではるかな向こうに蝸牛(かたつむり)のような緩慢さで空を流れる入道雲、ゆるやかな風にたなびく向日葵が陽の光を弾いて黄金色に輝いている。洗濯物や布団を干すのには、まこと絶好の日和と言うべきであろう。

 

 そうと決まれば善は急げ。幽香は早速、洗濯の準備にかかった。

 

   *

 

 洗い物を詰め込んだ二抱えほどの大きさのラタンの籠と、同じくらいに大きな洗濯桶、それとこれだけは並のサイズの洗濯板を手に幽香は家を出た。

 

 籠にせよ桶にせよ、余程の力自慢でも難儀しそうなサイズだが、幽香にとっては何ほどのこともない。軽々と担いで向かう先は少し離れたところを流れる小川。普段の洗濯なら家の横に置かれている井戸を使うのだが、せっかく天気が良いのだからということで、お散歩がてらにわざわざ遠出したのだ。

 

 しばらくして、目的の川に到着した。

 

 幽香は木桶を川に突っ込んで水を汲み、洗い物を洗濯板を使って清めていく。布地を傷めぬよう優しく、それでいてわずかな汚れも残さぬように、丁寧に洗う。どうせ元から塵の一つだって付着していないのだけれど。

 なぜか洗濯カゴの中に普段から着用しているブラウスやスカート、ハンカチなどと一緒に、見覚えのないどころか購入した憶えもましてや袖を通したことさえない、リボンやフリルをふんだんにあしらった服(しかもサイズも合わない)がいくつも混じっていたが、気にせずそれも一緒に洗う。

 

 照りつけるお天道様と、どこからか聞こえてくる蝉の鳴き声、それに混じる“ざぶざぶ”という水の音、手に伝わる水の涼やかさが心地よい。

 

 いつしか、幽香の秀麗な唇から歌声がこぼれてきた。

 

 ───今日の仕事も大変だけど、まどろすさんは流れ者ー

 

 軽妙かつ脳天気な、それ以上に珍妙にして奇天烈なフレーズの歌であった。何処で憶えた歌なのか幽香自身も知らない。ひょっとしたら今、彼女が勝手に作った歌なのかもしれない。

 

 楽しげに歌いながら幽香が川で洗濯をしていると、川上からなにかが“どんぶらこどんぶらこ”と流れてきた。

 あら、なにかしら。手を休め、幽香はそれに目を向けた。

 

 流れてきたのは女の子だった。水の色をした髪を両サイドでアップに括り、大きなリュックを背負った少女。それが失神でもしているのか、水面にうつ伏せ力が抜けきったような格好で流されているのだ。

 

 ───なんだ、河童(かっぱ)

 

 一瞥(いちべつ)してその正体を見て取った幽香は途端に興味を失った。歌と洗濯を再開する。

 

 ───はたらくはたらくはたらく少女ー

 

 歌う幽香の目の前を、河童の少女が流れゆく。

 

 河童というのは《妖怪の山》、その麓にある『玄武の沢』を主な“ねぐら”にしている、読んで字の如くに河の妖怪だ(なので河を離れて暮らすようになると『山童(ヤマワロ)』と名前が変わる)。

 

 そういえばいつだったか忘れたが、長年に渡り悪さをしてた仙人をひっ捕まえるために地獄の大物が地上に出張って来たことがあったのだが、その時とばっちりをくらって玄武の沢を追ん出された大量の河童連中が山童に転向したとかなんとか。そんな簡単になれるもんなのだろうか。

 

 手先が非常に器用なことで知られ、その技術を活かして生活の役に立つ道具を作ったり、何の役にも立たない道具を作ったり、誰の足しにもならない道具を作ったり、どうやって使うのか自分達でもわからない道具を作ったりしている。例えば、人間の里に天気予測機能付き『龍神の石像』というものが置かれているのだが、それを造ったのが実はこいつらだったりする。それ以外にも、ときたま《外の世界》から流れてくる道具を修繕したり見よう見まねでコピーしたりするあたり、器用なんてレベルを超えているような気もしないでもない。

 

 また妖怪の中では珍しく、人間に対して友好的な態度で接することでも知られ、『古来よりの人間達の盟友』を“自称”したりもする。先の、『龍神の石像』を造ったのがその表れである。

 

 しかしその割には普通に人間の尻子玉を引っこ抜いたり(引っこ抜かれると死ぬ)、水遊びと称して人間を川で溺れさせたり(溺れると死ぬ)するらしいので、人間の側からどう見られているのかまでは不明なのだが。水と油は交われない。

 

 それはさておき件の河童の少女だが、傍目にはどう見ても土左衛門(どざえもん)のごとき格好である。川上で何かあったのだろうか。そういえばこれはどうでもいい話だが、幽香はかつて本物の、土左衛門の語源になった相撲取りを見たことがあるのだが、水死体に喩えられるほど酷いご面相ではなかったような気がする。本当に、どうでもよろしいが。

 

 しかれども、そんな河童の少女の有り様も幽香の気を引くにはいたらない。そもそも『河童の川流れ』は幻想郷における季節の風物詩のようなもので、大騒ぎするほどのものではないのだ。まあ、春だろうと夏になろうと秋が来ようと冬を迎えようとお構いなしに流れてきたりするのだけれど。

 

 どうせなら桃が流れてくればよかったのに。まこと残念な気分で幽香は洗濯を続ける。桃だったら割ると中から友達が出てきてくれるらしいと昔、本で読んだことがあるのだが河童ではどうしようもない。割っても精々がとこ、臓物が飛び散るだけであろう。風見幽香は血なまぐさいのはあまり好きではない。

 

 幽香の心中も知らず、河童の少女は“どんぶらこどんぶらこ”と流れていった。

 

   *

 

 一般には花の大妖・風見幽香によって護られていると云われ、迂闊に立ち入るものは死をもって償わされるなどとまで伝わる『太陽の畑』だが、実のところ彼女自身はこの向日葵畑に関してはノータッチである。誰が入ってこようが何をしでかそうが、彼女の知ったことではないし興味もない。というのも───

 

 たまたま夏の時期に、一番花の咲いてる場所が“ここ”だったから住んでいるだけで、他にも良い場所があるならそこに住むだけ。

 

 ───なのだそうな。

 そもそもこの女、四季折々にその季節ごとの花を求めてうろつき回る遊牧民(ずいぶんと物騒だが)のようなやつなので、特定の場所や物に対して執着するということがない(というかできない。それ以前に理解の範疇外なのだ)。

 

 空を泳ぐ雲の闊達(かったつ)さと、世界を巡る風の自由───風見幽香と人が呼ぶ、花の女のポケットにはそれだけがあれば満ち足りる。“しがらみ”のない、といえば聞こえは良いが、結局のところなにもかもが“どうでもいい”ということである。知ったことではなく興味もないとはそういうことだ。

 

 したがって、例えばこの畑の花が目の前で枯れようが風に吹き散らされようが誰ぞに踏み荒らされようがつぐみの名を冠するロケットが堕ちてこようが、特に思うことも感じることもないのだ。気が向けば、水をやったり種を蒔いたり害虫を取ってやったりといった世話を焼いたりはするのだが、大体の場合はほったらかしである。彼女に言わせれば『咲くも一生、枯れるも一生』ということらしい。

 

 とはいえ、目についた者がなにか気に障るようなことをしたなら、何も言わずに殴り飛ばす手足を千切るくらいはする女なので、やはり下手に近づくような真似はしないのが賢明なのだけれど。君子賢者を名乗るための第一歩は、危ないものには近寄らないことである。

 

   *

 

 洗濯物を庭の物干しに吊るし終えた幽香は、少し休んだ後に再度、家を後にした。

 

 さっきと違い、今回の外出ではおとぎ話のヒロインよろしく、ラタンで編まれたバスケットを手にしている。中身はケーキとブドウ酒の瓶ならぬ、弁当と酒の入った(ふくべ)だ。洗濯のときと同じく、せっかくだから外出ついでに軽いピクニックとでも洒落込もうというわけだ。たまには書を捨て町へ出るのも悪くない。里はあっても町はない場所だが。

 

 出かける幽香を見送るように、洗濯物が風に揺れた。今日は日差しが強くそこそこ風も出ているので、これなら帰ってくる頃にはちょうどいい具合に乾いているだろう。

 

 太陽の畑を出て、そこから山を迂回してその脇を流れる川伝いに歩いていく。途中、見かけた綺麗な鳥や蝶々を追いかけて何度か“ふらふら”と道を逸れたり、川を泳ぐ小魚の姿や路端に咲いている花を眺めたりと、道草をしながら気ままに歩いていく。

 それからしばらくの後、『魔法の森』と呼ばれる原生林の少し手前にある野っ原で幽香は足を止めた。家を出てからもう半刻ほど経っている。どれだけのんびり歩いても、その四半分程度の時間も必要としないはずの道程に、これだけかかった理由は言うまでもない。

 

 到着した野原では一人の少女が“つくねん”と立っていた。

 

 夏の草木にも負けぬほど、鮮やかな緑の髪を思い切りよくショートカットにした小柄な少女。真っ白なブラウスと古めかしいデザインのキュロットという、レトロな組み合わせの服が、ボーイッシュな顔立ちも相まって中性的な印象を植え付けている。しかし真夏の最中だというのにインバネスとマントの中間のような黒い外套を羽織るのはどうかと幽香は思う。見ている分には暑苦しくて仕方がない。少女の頭頂部からは虫の触覚のようなものが生えているので、目端の利くものならそこから妖怪の類であるのが見て取れるだろう。ちなみに蛍の妖怪である。

 

 幽香は穏やかな挨拶をその少女へと向けた。

 

「こんにちは」

 

 春や夏に咲く花を集め、顔の形に飾ったかのように華やかな笑顔を向けられても少女は無反応だった。というよりも無視を決め込んでいると言ったほうが正しいのか。

 無礼と言ってもいいその態度を気にも留めず、幽香はポケットからガラスでできた少し大きめの空き瓶を取り出して用向きを伝えた。

 

「要件はいつもの通り。蜂蜜をわけてほしいの」

 

 少女は黙って瓶を受け取り、草むらの奥に溶けこむように消えていった。

 

 相変わらず、無愛想な子だ。少女の姿を見送り、幽香はやや残念そうな顔で思った。さもありなん。本来ならば快活な表情こそが似合いそうな少女だけに、あのような憮然とした顔をしているのは勿体ないと、誰も彼もが彼女に同意したことであろう。

 

 しかしそれも致し方がないことではあるのだが。

 

 実は当の本人である幽香は忘れているのだが、彼女と少女の間にはちょいとした、そして面倒な関わり合いがあった。

 

 あれは一体どれだけ前の夏のことだっただろうか。例年のごとく季節の移り変わりとともに太陽の畑に居を移したばかりの幽香の元へ、かの蛍の少女が姿を見せたのは。

 

 例によって“ぼんやり”と、状況が掴めないかのように風変わりな客を出迎えた風見幽香へ、少女は傲然と言い放ったものである───この花畑を明け渡せ。

 

 やだ。幽香は短くそれを拒絶した。とはいっても別に───

 

『下賎な蟲妖怪風情が、この天下に名高き大妖・風見幽香に楯突くとは増長慢(ぞうちょうまん)ここに極まれり。己が矮小なる身の程を知るがよい』

 

 ───なんぞという格好の良い理由からでは、ない。

 

 丁度その頃、日課としていたアサガオの観察日記をつけるのに忙しくてそれどころではなかったのだ。少女が意気揚々とやってきたその日も、幽香は真新しい日記帳を手に、育てているアサガオのところへと向かうところであった。

 

 なので、それ以上は何も言わずに少女を殴り飛ばし手足を引き千切った。

 

 無論、少女とて無抵抗主義を奉じているわけでもなければ非暴力主義への殉教者を気取っているわけでもなかったので抵抗はした。まったくの無駄に終わったが。全身を一分の隙なく少女の喚び出した毒虫害虫魔蟲妖蟲に、たかられ覆われ纏わりつかれ裂かれ溶かされ囓られ貪られ喰いちぎられてなお、幽香はまったく気にも怯みもしないで少女の手足をもぎ取ったものである。

 

 最初に首を引っこ抜いておけば手間がかからずに済んだのかな。

 幽香がそれに気が付いたのは、蛍あらため“芋虫”となった少女を道端に蹴り転がしたところであったが、あらためて少女を手にかける気にはなれなかった。せめてもの仏心からでもなんでもなく、それより日記をつけるほうが大事だったのと、あと単に面倒くさかったからである。風見幽香は暇人もとい暇妖怪だが、それでも踏めば潰れる羽虫のために時間を浪費したいとまでは思わない。

 

 なお、これら一連の行動をやり過ぎと罵るものがいるとするのなら、そいつは妖怪というものをあまりにも知らなさすぎる。手足をなくしたら“それっきり”の人間と違い、妖怪というのは死にさえしなければ多少の怪我を追ったところで、しばらくすれば元通りなのだ。

 

 観察日記を付け終わって帰ってくる頃には少女の姿はどこかへと消えており、その時点で幽香もその存在を忘れていた。この女、馬鹿ではないがあまり頭を使わない生き方をしてきたせいか、物覚えはさほどよろしくない。

 

 なんとも無残な形で切れたはずの少女と幽香の縁の糸が再び交わったのは、それからいくつかの、両手両足の指の数を足したくらいの季節が巡った後のことだった。虫を操る力を持った妖怪がいるとの噂をどこからか聞いた幽香は、その能力を使って新鮮な蜂蜜を集めてもらおうと思い立ち、幻想郷の津々浦々を探しまわった末に蛍の少女と再会を果たしたのである。

 

 蛍の少女にしてみればたまったもんではなかったろう。半ば自業自得とはいえ、かつて自分に地獄を見せた女がその時のことなぞ“けろり”と忘れて頼み事をしに来たのだ。幽香にその気がなくとも、傍からすれば脅迫されているようにしか感じられまい。

 

 なによりもあれほどの目に遭わされた自分の存在とは、この女にしてみればほんの僅かな記憶にもとどめられぬ、文字通り“虫ケラにさえ劣る”ものでしかないという事実は、少女のちっぽけな矜持をこの上ない形で踏みにじったのだ。これで仏頂面以外の顔を浮かべることが出来る奴は、それこそ金城鉄壁(きんじょうてっぺき)のごとき精神の持ち主か、はたまた余程の聖人君子(せいじんくんし)のどちらかくらいなもんである。蛍の少女はそのどちらでもなかった。

 

 そんな過去の出来事もいざ知らず(知っていてもどうでもよかったろうが)、幽香の頭の中は少女が持ってくるであろう蜂蜜のことでいっぱいである。彼女らの関係は、少なくとも幽香にとっては有意義なものであるらしかった。

 

 さして待つほどのこともなく、少女は戻ってきた。

 採れたての蜂蜜が一杯に詰められた瓶を受け取り、幽香は艶やかな笑みを浮かべて礼を言う。向日葵の女王のごときあえかな笑みの向かい先にいる少女は、やはり黙りこくったままだったが。

 

「じゃあ、またね」

 

 小さな会釈をひとつ、幽香は軽快な足取りで歩み去る。

 

 その背中を蛍の少女は睨みつけた。煮えたぎるほどの憎しみと凍りつくほどの恐怖がない混ぜになった瞳で───花の妖怪がここに来てから、ずっとそうだったように。

 

 立ち去ってからしばらくしても、それは変わらずにいた。

 

 時が凍りついたかのように身動ぎもせず、少女は立ち尽くしていた。




 登場人物

風見幽香

備考───てきぱきはたらきもの

河童の少女

備考───モブ河童の中でも頻繁に出てくるボブヘアーの子、あれって河童とおかっぱ、もしくはモブ河童とボブカットをかけたシャレなんかね

蛍の少女

備考───芋虫にトランスフォーム可能

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