私に友達ができないのはどう考えても幻想郷が悪い   作:puripoti

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第5話 風祝にはセンチメンタルなんて感情はない

 古人曰く───

 

 器物百年を経て化して精霊(しょうろう)を得る。

 付喪神記(つくもがみき)などで知られた一節である。長く年月を経た道具には神霊が宿り、粗略に扱うものに災いを招くであろう云々───噛み砕いていうなら、物を大事にしないともったいないオバケが出るぞ。

 

 ───と、いうことならば。幽香は愛用の日傘を“しげしげ”と眺めた。

 

 この日傘も使い始めてから随分と経つ。というよりも、いつから使いはじめたのか自分でも思い出せないくらい長く使っている。この分なら、ひょっとしたらこの傘も付喪神(つくもがみ)として具現して、その暁には友達になってくれるのではないだろうか。

 まだ時間が足りないなら、もう百年くらい待ってもいい。さんざか永く生きた身だ、そこに百年二百年の歳月をさらに積もうと気になるものか。

 

 むぅ、どうしたものかしら。幽香がかなり真剣に考えこんだそのときである、

 

「うらめしやー!」

 

 彼女の傍らに突如、威勢のよい声とともに何者かが躍り出た。

 

「ねえねえ、驚いた? 驚いた?」

 

 呼ばれもしないのに飛び出てきたのは、自分の体より大きな傘を手にした左右の目の色が違う女の子。近頃この近辺をうろつく“から傘”の妖怪だった。

 いつとも知れぬ、どこかの誰かが放ったらかした忘れ傘。それが付喪神として形をなした存在である彼女は、こうして誰かを驚かせることで己を保っている。驚くような奴がいるのかどうかは知らないけれど。

 

「もしかして、驚きすぎて声も出ない? スゴい、私スゴい! じゃなかった、わちき凄い!」

 

 幽香は目の前で飛び跳ねはしゃぐ、忘れ傘の少女を“じー”と見つめた。自分を見つめる幽香のことなぞ気にもならぬ様子で、少女は「凄いスゴい!」を繰り返し天にも昇らんばかりに喜んでいる。やったね。凄いね。

 

「でも、こんなナスみたいな色した友達は欲しくないわ」

 

 忘れ傘あらためナスの少女は泣きそうな顔をした。

 

   *

 

「無理なんじゃないですか」

 

 幽香の思いつきを素っ気なく否定して、守矢の巫女───本人曰く『風祝(かぜはふり)』とのことらしいが、違いがわからない───は座卓に湯呑みを置いた。

 

 ここは守矢神社、その客間である。

 八畳ほどの、飾りっけのない部屋の真ん中に置かれた座卓の上には、茶以外にも干菓子(ひがし)が載った皿が出されている。

 

 最初からこっちの神社に来ていればよかったかな。幽香は湯呑みを手にした。よく冷えた麦茶だった。一緒に入っていた氷が揺れて、涼やかな音を立てている。それを不思議そうな目で幽香は眺めた。この時期における氷は貴重品もいいところだが、一体どうやって手に入れたのだろう。

 

「ああ、それですか。霧の湖……でしたっけ、あそこを縄張りにしている妖精さんに作ってもらったのを、冷蔵庫───と言っても判らないですよね、小さな氷室みたいなものですけれど、それに入れて保存したんですよ」

 

 なぜか普通の氷より美味しいんですよ、これ。少女の説明を聞いた幽香は妙なところで感心した。その妖精というのは幽香もよく知る氷精の少女のことだろう。あの子、素直に誰かの言うことを聞くような子じゃないと思ってたけれど。なにかコツでもあるのかしら?

 

「ちょっと褒めたりおだてたり持ち上げたり挑発したりすれば、いくらでも作ってくれますよ。弾幕として。ご所望なら、幽香さんも作ってもらったらいかがですか」

 

 なるほど。幽香は“くす”と微笑む。

 

「したたかだこと」

「褒め言葉として、受け取らせていただきます」

 

 静かな微笑みを返す風祝の少女。元々、整った容貌の持ち主だが、こうして落ち着いた表情を見せると歳相応の清潔感も相まって、どこか侵しがたいものを面に現す。それは彼女の、ちょいと変わった出自が故か。

 

 腰まで流れる緑の黒髪と活力に満ちた瞳が、目にした者の印象に強く残る彼女はかの博麗の巫女と同年代で(ひとつふたつは年上かもしれないが)、今から少しばかり前に諸事情により居られなくなった《外の世界》から、半ば逃げ出すようなかたちでこの幻想の郷にやってきた。そのときの『お引越し』(夜逃げでもよろしい)が少しばかり奇抜というか奇妙というか奇怪というか奇天烈というか、幻想郷でもあまり例を見ないスケールのものであったため、ちょっとした騒動になったのはいまだに記憶に新しい。

 

 彼女の纏う装束は、赤と白が基調となる博麗の巫女のそれと異なり白地に青の縁取りがなされているのが大きな特徴だ。そういえば袴(むしろスカート?)の配色も青が主体だが、ひょっとしたら祀られている神様にあやかって風や空をイメージしたからこの色なのだろうか。

 

 幽香は湯呑みを傾けた。

 

「おいしい」

 

 思わず正直な感想が出る。この季節、これほどに冷えた飲み物がなによりの甘露であるのは言を俟たない。それを受けて、少女の笑みが嬉しそうに深まった。

 

「ご満足いただけたところで、先ほどの話の続きをしましょうか」

「お願いするわ。どうして無理なのかしら」

「そのためにまず、付喪神が発生するメカニズムというかプロセスの“おさらい”をいたしましょう」

 

 風祝の少女は信者を前にしての説法のごとく、滔々と語った。

 

「周知のように《付喪神》というのはある程度の年季の入った物品に神霊が宿り、それがなにがしかの要因───例えば使用者の魔力・妖力───によって活性化したことによって顕れたものです」

 

 より正確には、この世界(この場合は幻想郷ですか)には『条件を満たすことによって付喪神が発生する』というミームが存在しており、それをクリアすることではじめて付喪神という存在はこの世に根を下ろすことが叶うのです。これは神様や妖怪が発生するプロセスとも大体において一致しますが。

 

 その通り。風祝の説明に、幽香は頷きを返す。

 

「そしてこの傘はとっくにその条件とやらを満たしている。もしそれが足らずとも、きっかけとなる魔力なり妖力なりを注いでやれば強制的に付喪神として具現させることとて可能なはず」

「ええ、幽香さんならそれも難しくはないでしょう。しかし今回のケースにおいては、それはできない相談なのです」

 

 なぜならここに、その条件を阻むものがいるから。少女は意味ありげに言葉を切った。

 

「その『条件を阻むもの』がなんであるか、幽香さんはお解りですか?」

「さっぱり」

「では答えを───それは幽香さん自身です」

「私」

「ええ、灯台もと暗しとはよくいったものです」

 

 少女の説明は続く。

 

 所詮ミームはより強いミームに上書きされてしまうもの。こと幻想郷の中において『風見幽香』というネームバリューが保有する情報の重みはかなりのものです(それが良いか悪いかは別として)。当然ながら、それは幽香さんの周りに存在するものにさえ適用される。

 

「したがってこの場合、《付喪神が宿る為の条件》としてのミームよりも、《大妖怪・風見幽香が百年使った傘》にまつわるミームの方が内包する情報の質・量ともに前者をはるかに上回るので、結果としてその日傘には後者としての曰く因縁が優先的に括られてしまうというわけですね」

 

 喩えていうならロールプレイングゲームでよくある、《伝説の勇者が使った聖剣》みたいなものでしょうか。どこか適当な場所に突っ立てておけば、お参りなさる方も出てくるかもしれませんね。冗談とも本気ともつかないことを風祝の少女は言った。

 

「とはいえその方が、幻想郷にとっては幸いなことでしょうけれど。歴史を積み重ねた道具が“風見幽香”の力に影響されて顕れた付喪神───考えるだけで恐ろしいですから」

 

 風祝の少女はそう締めくくり、喉を潤すために麦茶を呷る。

 ろーるぷれいなんちゃらに関してはさっぱり分からないが、どう転んでも幽香の思うようにはならないことだけは判った。ままならぬものだ。

 

「いい考えだと思ったのに、ざーんねん」

 

 さして惜しそうな素振りも見せず、幽香も湯呑みを傾けた。

 

   *

 

「しかしまた、なんだってウチの神社に?」

 

 湯呑みを置いて、風祝の少女は訊ねた。

 

「何か事をなす前に、まずは神頼みからというのは基本かなって」

「なるほど、ファンタジーが当然のものとして存在する世界としては妥当な話ですね」

 

 納得した様子で頷いた風祝の少女だったが、すぐにその表情が苦笑いに取って代わられた。

 

「ただ残念なことにウチで祀っている神様、“どちらも”縁結びは専門外なのです」

「ああ、そういえばここの神社の神様って……」

「片や山坂と湖の権化を名乗ってこそいるものの元は風雨を司る戦神、片や名前さえも忘れられたド田舎の神様です。御利益なんて期待できると思いますか」

 

 私達が《外の世界》を捨てるはめになったのも、元をただせばそれですから。風祝の少女はやや力なく、困ったように笑う。

 

「戦いの神様なら、いざ鎌倉というときには本気でお参りする人だっていそうだけれど」

「神様に本気で祈らなきゃ、やってられない戦いのことを負け戦っていうんです。まあ、これは勝負事全般に云えることですが」

 

 実に身も蓋もないことを言うこの風祝。

 

「それに《外の世界》───少なくとも私の周り───はそれなりに平和でして。それこそ“撃ちてしやまん”の精神でお参りに来る方なんていなかったのです」

「それじゃあ、廃れるわよね」

「しかも困ったことに、もう一方の神様にいたっては土着神の頂点などといえば聞こえはいいですが、要は祟り神の大元締めですから」

「でも祟り神の看板を掲げている割に、ずいぶんと可愛らしい神様だって聞いたわよ」

「そりゃあそうでしょう。誰だって“むさくるしい”神様よりは、愛らしい神様の方がいいに決まってます」

 

 土着神なんぞという連中は、元をただせば人の力ではどうにもならない地震雷火事親爺台風大雨かかあのおかんむり、諸々の天変地異に人の形を纏わせることで、人智の及ぶレベルに落とし込もうとする意図が生み出したものだ。

 『人の形をしているからには、コイツらも人間の声に耳を傾けることができる』という括りをつけ、『大事に祀らねばへそを曲げて祟りが起こる。贄を寄越して崇め奉れば機嫌を損ねない、暴れない』というルールで縛るというわけだ。

 ついでとばかりに、そこに切ない願望が混じるのは至極当然である。もし祟りが起こったとしても、ワセリンでテカり輝くマッチョな舎弟を引き連れて漢のビームをまき散らす神様がやらかしたものよりは、ちっこくて可愛くて「あーうー」言うような神様が起こしなすったそれの方がまだ許せそうなものだろう。

 

「そういえば、その神様方はどちらにいらっしゃるのかしら。せっかくだし、拝顔(はいがん)くらいはさせてもらおうと思ったのだけれど?」

「残念ながら、お二方ともお出かけです。丁度、入れ違いになってしまいまして」

 

 本当はついさっき、幽香が神社に姿を現す少し前までは“もう一方の神様”が、少女と一緒に留守番をしていたのだが、気が付いたらどこかに消えていたそうな。

 留守番に飽きて、どこかへ遊びに行っちゃったんですかね。少女は申し訳ないと頭を下げた。

 

 ふうん、なるほどね。それを聞いて、あることが幽香の腑に落ちた。

 

 実はこの神社に足を踏み入れた時から、彼女の周りにおかしな気配───というにはずいぶんと希薄な、よほど気を付けないことにはその存在を忘れそうなほどに、静かで、冷ややかな、“視線”のようなものを感じていたのだ。おそらくは、姿を消した件の神が目を光らせているのだろう。万一、幽香がこの少女に害意の一片でも抱いたのなら、すぐさまその首を刈るために。

 

 そしてもう一柱の、出かけた風の神様の向かい先は天狗のところであるらしい。なんでも、人間の里から守矢神社へ通じる参道を造るための交渉をしに行ったのだとか。

 

「そういえば新聞にも載っていたわね、その話。まだ解決してなかったのね」

 

 言いながら、幽香は干菓子に手を伸ばした。

 

   *

 

 守矢神社の“現在の”所在というのは『妖怪の山』、その山頂という、こと人間にとっては凄まじく近寄り難いところにある。

 

 『妖怪の山』というのは幻想郷の北寄りに位置する、読んで字のごとく妖怪たちが跳梁跋扈する山だ。人間の里の妖怪版といえば判りやすいか。ここに棲む妖怪達は里や、麓の妖怪とは別の社会を築いており、古来より幻想郷におけるパワーバランスの一角を担っている。

 

 妖怪にとっての『里』のようなものとはいったが、大人しくさえしていれば妖怪でも気軽に入れる人間達のそれと違い、こちらはとかく排他的というか余所者(よそもの)に対する風当たりが強く、侵入者はたとえ誰であろうと追い返されてしまう。

 もちろん幽香にだってそれに当てはまるのだが、彼女に関しては山の連中は黙認している。これは別に彼女が、自分達と同じ妖怪だから大目に見てやってもよかろう、などという理由からではない。単に、なにを言っても聞く耳を持つような女ではないし、下手に行く手を阻もうものならこちらにどんな被害をもたらすか知れたものではないからだ。前にも述べたがこの女、邪魔をする者邪魔な物邪魔だと思ったものを排除するのに、ほんの僅かな躊躇もしない。後先さえも考えない。

 

 幽香のことはさておき、神社にしてみれば人間の参拝者が訪れないのは死活問題に関わる。

 神社、なかんずく神様というのは信仰があってこその存在だ。人々の信心が神様に力を与え、その力で神様は衆生(しゅじょう)に奇跡を振るまい、起こされた奇跡を享受して人々はまた神様に感謝と信仰(これが形になったのが、いわゆるお賽銭)を捧げる……のだが、どうやらこの神社ではその一歩目から躓いているらしい。

 

「一応、里の方に分社を設けてはいるのですけれどね」

 

 しかしそれでは根本的な解決にはならないし、最悪、分社のほうが本社と勘違いされて、そっちの方にばかり信仰が流れこむという本末転倒な事態だって起こりうる(更に始末が悪いと、そこから新たな神が産声を上げてしまう場合だってある)。なので、守矢神社としては一刻も早く人間が通るための参道の敷設許可と、立ち入りの制限に関する限定的ながらの解除(信仰の“書き入れ時”である年末・年始など)を求めたいところなのだがこれが中々、難しいのだそうな。

 

 まったく、天狗さん達の頑固さにも困ったものです。風祝の少女はやるせなさそうに頭を振る。

 

「それは仕方がないわね」

 

 幽香は、彼女にしては珍しく労るような表情を見せた。

 

「彼らは怖いのよ、“あなたたち”が。誰だって嫌いな人、怖い人には近づいてほしくないものでしょう」

「私達が、ですか」

「貴女“も”含めて」

 

 何気ないヒントに、風祝の少女は苦い薬を飲み込んだような顔をした。そして悟る。さっきの彼女の労りは、自分だけに向けられたものではなかったらしい。

 

「そんなに怖いものですか、人間が」

 

 答えず、幽香は菓子をかじった。

 

   *

 

 妖怪達が幅を利かせる幻想郷において、人間とは実に弱いものであるという認識が一般的であり、しかもそれが間違っていなかったりする。その地に根を下ろす命としても立場的にも、だ。

 

 さて、それはどうかしらね。幽香はそうは思わない。

 

 確かに人間は弱い。

 ちょいと妖怪が小突いただけであっさりと死ぬ、高いところから落ちただけでぽっくりと死ぬ、つまづいただけでころりと死ぬ、酷いのになると鳥やらコウモリのフンがあたっただけで死ぬ奴までいるくらいだ。

 妖怪達はそんな人間達を見下し、人間達はいつでも妖怪や彼らの起こす異変の脅威にさらされ、日々を怯えながら過ごしている。

 

 それでも幽香は思う。さて、それはどうかしらね。

 

 なるほど確かに、幻想郷において人と妖かしとは一方的な食って喰われるだけの関係だろう。ところがそこに、手酷い罠がある。

 巡ることもなければ相互に行き交うことさえない一方通行な結びつき。それは表現を変えるなら、妖怪達が人間という存在に依存しきっているとも言える。そもそもの話として、今までにもさんざか述べてきたが人間がいなくなれば妖怪は困るどころか滅ぶしかない。しかし妖怪が消えたところで人間にとってはなんの痛痒(つうよう)も感じないだろう(むしろ清々とすることだろうが)。

 

 極端なことを言ってしまえば結局のところ妖怪とは、もはやどこまでいっても人間という種の寄生虫以外の何物でもない、ということである。あるいはずっとそんな関係だったのを無視していただけなのかもしれない。

 

 なんとも滑稽な話しよね。幽香は笑いを堪えきれない。

 驚天の力を振るう者達、動地の智を誇る者共、古今の神々東西の魔物ら、そのことごとくが膝を屈したのは、こともあろうに彼らが侮り歯牙にもかけなかった脆くか弱く愚かな人間だったとさ。

 

 在りし日には世界の半分を我が物顔で闊歩していた夜闇の住人、あまねく人々の心にごく当たり前に根付いていた八百万とんでいくつかの神々。それが今や、こんな狭い島国の、さらに狭い幻想郷でしか存在を許されないという有り様だ。かつては自分達を畏れおののき、あるいは崇め奉っていたくせに、少し時を経たくらいで飽きたオモチャに興味を失くした子供のように、その存在を“なかったこと”にさえしてしまう人間の精神性は彼らにとっては理解不能である以前におぞましいとさえ感じるのであろう。

 

 なにより妖怪達が危惧するのは、幻想を忘れて放り捨てた《外の世界》の者達のように、この幻想郷の人間達もいざとなれば自分達を見捨てて“なかったことに”にてしまうのではなかろうか、というそのことだ。実際、打ち捨てられた幻想が辿り着くこの地にあってさえ、存在を否定される妖怪というのもいるにはいる(例を挙げると山彦(やまびこ)。この幻想郷においてでさえ迷信扱いされる不憫な連中だ)。明日は我が身でないと、誰が言い切れる。

 

 だから皆、腹の底では人間が怖いのだ。彼らが人間達へと居丈高に振る舞おうとするのは、その反動でしかないのだろう。

 

 こちらから擦り寄るなど矜持が許さない、しかれども忘れられる訳にはいかない。だから河童は培った技術をひけらかして自分を特別なのだと言い張って、鬼は自分達こそが人間を見限ったのだと姿を隠し、そして天狗は高いお山に陣取って人を見下し寄せ付けず我らはいや(たか)き者なるぞと己が威勢を見せつける。

 

 しかし、それではまるで───

 

 憐れみというより、むしろ呆れさえ浮かべて風祝の少女は呟いた。

 

「構ってもらいたくて、駄々をこねて気を引く子供のよう」

 

 そうねえ。幽香はいい加減な相槌を打ちながら、ふたたび湯呑みを手にする。空だった。あら残念、もう少し欲しかったのに。

 

「ところで、そんな幽香さんには無いんですか。怖いもの」

 

 それは少女ならずとも、幻想郷に住まうものなら誰しもが知りたいことであったろう。少し考えた後、幽香は湯呑みを差し出した。

 

「あえて言うなら───ここらでもう一杯、お茶が怖いわ」

 

 おあとがよろしいようですね。“くすくす”笑って風祝の少女は傍らに置いてあった、丸くなくて縦に長い奇妙な形の薬缶(やかん)───魔法瓶とかいうらしい。名前の通り魔法の道具なのか?───を手に取った。

 

   *

 

「前から気になっていたのだけれど」

 

 新しく用意された茶をすすりながら、幽香は訊ねた。

 

「貴女は帰りたいとは思わないのかしら、《外の世界》───貴女が本来いた場所に」

「ありませんね」

 

 少女のいっそ切り捨てるかのような口調に、幽香は興味をひかれた。

 

「厭な思い出でもあったのかしら?」

「まさか。《あちら》では両親はじめとした皆さんに、よくしていただきましたよ」

「なら、どうして? 《外》からやってきた人間達で、ここに骨を埋めたがる人なんてほとんどいないのに」

 

 いたとしても、それは妖怪によって“骨”にされた連中くらいなもんである。まあその場合、大体においては骨も残らないが。

 

「それに聞いた話じゃ《外の世界》は《こちら》とちがってずいぶんと暮らしやすいところみたいじゃない」

「ええ、それは否定しませんよ」

 

 しかしそれでも、戻りたいとはまったく思えませんね。少女は微塵の未練も見せずに言い切った。

 

「なんせ《向こう》での私というのは、言ってしまえば腫れ物に触るようなあつかいだったので」

 

 ふうん。呟きながら、幽香は少女へと手を伸ばす。己が身にまとわりつく“視線”が剣呑なものへと変わるが、幽香はそれを気にもせず白薔薇の花弁を思わせる手で少女の水蜜桃(すいみつとう)の頬に優しく触れた。

 

「こんなに綺麗な腫れ物なら───手を爛れさせてでも触れたがる人は多かったでしょうに」

「私も、幽香さんくらい素敵な花なら───高嶺から身を投げる羽目になっても手を伸ばしたいと思いますよ」

 

 お返しとばかりに、少女も幽香のそれへと(うやうや)しい手つきで触れた。

 あらお上手ね。幽香は嬉しそうに笑う。花に喩えてくれるあたり、世辞というものをよくわかっている。

 

「これくらいのリップサービスも出来ないようじゃ、信者なんて増えませんから」

 

 でも、まったくの世辞だけってわけでもないんですよ? 茶目っ気たっぷりにウィンクをひとつ、少女は手を離す。同じく、幽香の手も少女から離れていく。

 

「やっぱり判るものなんですかね、私に流れる血が自分達とは『違う』ということに。もしくは遠い過去に自分達を恐怖で縛り付けたものがなんであったかを、その血肉が教えるのか」

「順当に考えるなら後者でしょうね。人の、個人の《記憶》は頭の中に、しかれども種の《記録》───魂は身体にこそ宿るもの」

「故に私の居場所は《向こう側》には無く、そんな者達が流れ着く場所はただひとつ」

 

 それが《幻想郷》───来るものは拒まず全てを受け入れる、それはそれは残酷な、それでいてほんのわずかに優しい楽園。

 でも、事はそう上手く運ばないものよ。幽香は肝心な部分を指摘した。

 

「実際のところ、神代の時代に名を馳せたほどの神様を支え続けるだけの信仰が、このちっぽけな世界の少ない人妖だけで賄いきれるのかは甚だ疑問だわ」

 

 かもしれませんね。少女はその面に少しだけ寂しそうなものを浮かべて微笑んだ。それでも、私は構いませんよ。

 

「なぜ。神様に消えてほしくなかったからこそ、貴女は《こちら側》に来たのではなかったのかしら?」

「だって、私はただ───」

 

 一旦言葉を切った少女は深く息を吸い込んだ。

 

「───ただ、私のことを大事に思ってくださった神様たちが、少なくとも私の生きているうちだけでも幸せでいてくださればいいんですもの」

 

 それから後のことなんて知りませんね。断ち切るようにさえ聞こえる少女の声であった。

 

「冷めているのね」

「奇跡を振るまうのは神様の役目、それに熱狂するのは信者の役目、聖職者はそれ“ら”をコントロールして信仰につなげるのが役目。なので誰よりも冷ややかに神に接する必要があるのです」

 

 無情といってもよさそうなセリフだが、幽香は不快に思うどころかむしろ感心するような面持ちを見せた。甘くするだけが優しさではなく、あえて冷たく突き放すように接する思いやりだってある。

 

 とは言いましても、まだまだ慣れない幻想郷暮らし。やっぱり不便なところがあるのは否めませんね。先ほどまでの、(おごそ)かとさえいえる雰囲気はどこへやら。風祝の少女は冗談めかした口調で言った。

 

「特に、海が由来の食べ物が口にできないのは結構寂しいですから」

 

 例えば、あんみつとか。学校帰りの甘い物屋さんで食べるのが好きだったんですよ。少女の瞳に一抹の寂寥ないし郷愁めいたものがちらついたのは、きっと見間違いだ。

 

「あんみつなら、『里』の甘味処で食べられるわよ。里に出向くことがあったなら、お品書きを覗いてご覧なさい」

「あれ、そうなんですか?」

「ええ。ついでに言っておくけれど、海産物も普通に売られているわ───干物ではなく鮮魚として。当然のことながら塩やお砂糖もね」

「塩はまあ、近場に岩塩の鉱脈でもあると仮定するとして……ここらにサトウキビ畑なんてありましたっけ?」

 

 ないわねえ。幽香は肩をすくめた。甘葛(あまかずら)なら自生しているところを知ってはいるが、巷に流通している量を考えると“つじつま”が合わないことはなはだしい(そもそもあれはシロップみたいなもんだし)。

 もちろんというか、それらを商っている店がどこで品物を仕入れているのかは誰も知らない。ひょっとしたら、店の人々も知らないのかもしれない。

 

「ここの人達は、それをヘンだとか思わないんですかね?」

「疑問に思うのは勝手。人妖神魔草花畜生、心だけはいつでも自由であるべきだから」

 

 でも口には出さない、それをルールと呼ぶ。

 

「気にしたって誰も得をしない、害があるでもないのなら放っておいてもいいのでしょうね」

「神経が太くできている、いや、肝が座っているといったところですか」

「幻想郷の住人は、きっと私や貴女が思っているよりもずっと“したたか”で逞しいんだわ」

 

   *

 

「ところで、こちらからも質問をよろしいですか」

「どうぞ」

「では不躾ながら───その小指、一体どうなされたんですか?」

 

 風祝の少女は怪訝な面持ちで訊ねた。幽香さんほどの方なら、すぐに治すことも出来るでしょうに。

 

「ちょっと悪いことをしちゃって───そのお詫びと“けじめ”への約束の証として、切り落としたの」

「読んで字のごとく“指切り”というわけですか。ずいぶんと剣呑(けんのん)というか物騒なものですが、本来の指切りもそんなもんだったと聞きますから、それはそれで正しいのかもしれませんね」

「“ゆびきり”?」

 

 風祝の少女の感慨深げなつぶやきに、幽香は聞きなれぬ言葉を耳にしたような顔で食いついた。

 

「なあに、それ?」

「あら、こちらでは知られてないんですかね。《外》での約束を守るためのおまじないです。それに願掛けを足して二で割ったようなものです」

 

 風祝の少女は左右の指を絡ませて“指切り”の実演をしてみせた。それを興味深そうに、幽香は見つめる。

 

 指きりげんまん、嘘ついたら針千本、飲ーまーす。

 

 遠くから聞こえる蝉の声と真夏の空気に、少女の透き通るような声が静かに混じる。

 

「───で、『指切った』で指を離して、おまじないがかかるわけです」

「へえ、面白いわね。機会があったら試してみようかしら」

「一応言っておきますが、本当に指を切り落としたりはしないですからね」

「そうなの?」

「そうですよ」

 

   *

 

「ずいぶんと話が脱線してしまいましたね。そろそろ本題に移りましょうか」

 

 風祝の少女がそう切り出したのは、幽香達が何杯目かの麦茶を飲み干したときのことである。幽香に麦茶を注いでやりながら、少女は言った。

 

「手っ取り早くいくのなら、私が幽香さんのお友達になるというのが問題解決への一番の近道なのですが……」

「でも、出来ないのよねえ」

「はい。ぬか喜びさせてしまって、まことにあいすみません」

 

 やや惜しそうに幽香はぼやいた。風祝の少女も申し訳なさと惜しげな表情を半々にする。

 

 風祝の少女、というより守矢神社としても幽香との友誼(ゆうぎ)(というのは大袈裟か。精々がとこ顔見知り)を結ぶというのはかなりのメリットがある。なにせ彼女ほど名の知れた妖怪が参拝に通うというのは大した宣伝にもなるし、山の妖怪、とりわけ天狗連中への睨みとしてもこれ以上のものはそうはあるまい。

 

 ただし、同時に抱えるデメリットも結構なものになるのだろうが。

 

 具体的には守矢神社の商売敵(?)たる、博麗の神社。ここも参拝客が滅多に訪れないことで知られるが、これは立地の悪さによる交通の不便さもさることながら、それ以上に神社自体の“物騒さ加減”にも原因がある。なにせあの神社、巫女と神社の後見人たる妖怪の賢者をはじめとして、結構な数の(しかも強力な)妖怪が頻繁に出入りしており、ある意味においては妖怪の山以上の魔窟と評されても文句の言えない有り様になっているのだ。そりゃあわざわざ足を運ぼうなんて物好きはおるまい。

 

 博麗神社との差別化を図りたい守矢の神社にしてみれば、仮にここで幽香との付き合いを結べたとしても、それによって自分達が博麗神社の二の舞いの扱いを受けるようになっては元も子もない。彼女達は、いまだ幻想郷にとっての新参者なのだ。それでなくともでかい博打を打ったすぐ後で、また賭け事に手を出すべきではない。ここはまだ積極性よりも、謙虚さをアピールしておくのが手でであろう。

 

 だからこそ風祝の巫女は、今回ばかりは幽香に「ごめんなさい」をするしかないのだ。

 

 それらの説明を少女の口から聞き終えた幽香は、あらためて惜しいなあと感じた。説明をするにあたって、少女は歯に衣どころか糸の一本も着せずに、余さず包み隠さず思うところと自身の置かれた状況とを述べた。空気を読まずにそうしたのではなく、すべての事情をさらけ出すことによって信頼を得ようとするために。そういう計算ができるタイプを幽香が好むことも計算に入れた上で。

 

 頭の回転は悪くなく、必要とあらば言いたいこともハッキリと言うこの娘は幽香としても好ましい。それだけに残念さも“ひとしお”だ。自分でも驚くほどの未練を感じながら、幽香は口を開いた。

 

「そうなってしまうと、私がここにいるのだって結構マズい事になるのじゃないかしら?」

 

 客間の天井───より正確にはその先、遥か上の空───へと幽香は視線を送った。その先には、お山に入り込んだ時からこっち、彼女を監視するために遣わされた天狗がいるのだ。

 お気になさらず。少女はそれを見もせずに言う。幽香の視線の先に、何がいるのかくらいは先刻承知だ。彼女は八坂と湖の権化に仕える巫女。いかに姿を隠そうと、空の高みに身を置こうとも、神のおわします場所では彼女から逃れられない。

 

 ふむ。少し考えた後、少女が言った。

 

「今日のことに関してはそうですね……幽香さんがお散歩ついでにウチにお参りをしに来た、ということにでもしておきましょうか。お手数ですが、あとで拝殿の方へお越しいただけますか」

「構わないわ。こちらも迷惑をかけたのだから、それくらいはしないとね」

 

 微笑む幽香。そういえば、自分がお参りのために神社を訪れるだなんて初めてのことかもしれない。そう思えば、少しは楽しくなってくる。

 

   *

 

 せっかくだからということで、簡略なものではあるが参拝の作法も学んでいくことにした。

 

 本来入るべき一の鳥居はとっくに潜ってしまったし、いまさら入り直すのも何だということで、本殿よりの鳥居で一揖(いちゆう)を終え、その端を通り抜け手水舎(ちょうずや)にて身を清める。

 普段やらないことをするのは中々に新鮮な気分をもたらすもので、堅苦しさよりもむしろ愉快な心持ちで幽香は見よう見まねの作法をこなしていく。

 

 手早く禊を終えた幽香は拝殿の前に立った。

 

「そういえば、お賽銭はなんでもいいのかしら?」

「ええ。必要なのは金銭の量や価値ではなく、込められた『信心』ですので」

 

 とはいえ漫画の原始人が使うような石のお金とか放り込まれても困りますが。風祝の少女はやんわりと釘を刺す。

 

 それなら『これ』は大丈夫かしら。幽香は懐に手を入れ、やや大きめのコインを一枚、取り出した。少女の瞳がそれとわからぬ程度に細められた。

 

「……それ、ちょっと手に取らせていただいてもよろしいですか」

 

 風祝の少女は、断りを入れてコインを受け取った。表面には、彼女が《外の世界》で通っていた学校の、世界史の授業で何度かお目にかかった人物の横顔が彫られている。重さからして素材は間違いなく金無垢だろう。一体、どこで手に入れたのやら。

 

 ……《外》だったら、この一枚で一財産になったでしょうに。なんともつかない顔でコインを手の中で玩ぶ少女へ声がかけられた。

 

「あら、もしかして足りなかったかしら。まだあるから、もう何十枚か入れたほうがいい?」

「ゲームセンターの連コインじゃないですから、そこまでなさらなくとも神様に祈りは通じますよ」

 

 一枚入魂こそは少女達にとって基本の心構えである。

 

 鈴を鳴らして賽銭箱にコインを投入。祝詞(のりと)の代わりに「なむなむ」と呟き柏手、お辞儀。これにて参拝は終了。省略するにも程があるが、いみじくも少女が口にした通り必要なのは誠心と真心、そして信心である。息をするように嘘を吐く女にそんなものがあるのかどうかは知らないが。

 

   *

 

 風祝の少女に見送られ、幽香は守矢の神社を後にする。

 

「今日は楽しかったわ。貴女さえよければ、またお邪魔してもいいかしら?」

「もちろんですよ。“参拝”の方はいつでも歓迎いたしますから。またお越しください」

「本当にいいの?」

「本当ですよ」

 

 ふと思いついた風祝の少女は、ここで悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。

 

「なんでしたら、指切りでもしますか?」

 

 少女は右手を───差し出そうとしてすぐに思い直し、左の手を小指だけ立てて幽香に向けた。幽香の右の小指はとっくに“切れて”いる。

 

「うん」

 

 それに合わせて幽香も左の小指を差し出す。とても嬉しそうなその顔は、そんなに試してみたかったのだろうか。風祝の少女の口から、思わず“ふふ”と笑いがこぼれる。

 

   *

 

 じゃあ、いきますね。少女の合図、触れ合う影ふたつ。

 

「指きりげんまん」

 

 絡まる小指と小指。

 

「嘘ついたら針千本」

 

 重なる声と声。

 

「のーまーす」

 

 離れゆく影ふたつ。

 

 

 ───ゆびきった。




登場人物

風見幽香

備考───ナスみたいな友達は欲しくない

風祝の少女

備考───フルーツ(笑)とんでもねえ、こいつぁ冷徹な現人神だよ

ナスの妖怪

備考───傘之小路茄子右衛門とかいう名前なんだろう

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