私に友達ができないのはどう考えても幻想郷が悪い   作:puripoti

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第4話 The girls of spirit

 幻想郷───

 

 神が魔物が妖かしが、かつて世界に根を下ろしていながらも時の流れに埋もれて、いまや幻想という名の彼岸に追いやられるばかりとなった輩の辿り着く“かりそめ”の寄る辺。

 

 大袈裟な者は、ここを地上最後の楽園とも呼ぶ。

 

 しかしてこの世のことごとくすべては多面的なものである。物事の見方、そこから通じる真実はいついかなる時でも一つではない。捉え方によっては千差万別千態万状、いかようにも変わるもの。したがって、見るもの聞くもの触れるもの感じ方次第によっては、幻想郷もまた違った側面を見せることになるのは必然と云わねばなるまい。ましてやここは幻想郷、目に映るものだけがすべてではないし音に捉えるものばかりが真実であるはずもない。

 

 前述したところから察することもできようが、要するに幻想郷には移ろい消え行く者達の駆け込み寺という側面もあるにはある、ということである。もっと身も蓋もない言い方をするのなら投げ込み寺でもいいし(うば)()て山でもよろしいが、いずれにせよ同じようなものか。塵溜めを掃き溜めと言い直したところで何の違いがあろう。

 

   *

 

 弾幕ごっこの後、地面に降り立ちしばしの間、風に吹きゆく少女の余韻(よいん)を見送っていた風見幽香であったが、不意に目にも留まらぬ動きでもって背後へと振り返り、まさしく紫電の疾さでもって右の腕を振りぬいた。

 意識しての動きではなかった。軽く目を見開き、自分のしたことに“やんわり”と驚いたような幽香の表情がそれを物語っている。

 

 そして先程の少女の惨劇をなぞるかのように、今度は幽香の腕が弾け飛んだ。二の腕の辺りまで、文字通りの粉微塵である。

 常人なら、ここで大仰に血相を変えるのであろう。しかし風見幽香少しも慌てず、腕の一本二本どうでもいいとばかりに目の前の空間を見据えるのみ。なぜというのなら───

 

 ───彼女の視線、その先に、ちょうど腕が薙いだ空間に《亀裂》のようなものが口を開けていた。

 

 《亀裂》からは女のものと思しき、(みやび)な意匠の扇子を手にした『腕』が生えている。“そいつ”こそが、幽香の腕を吹き飛ばしたものの正体だ。

 

「断っておくけれど……」

 

 『腕』の主のものだろうか。宙に“ぱかり”と口を開けた《亀裂》から、声が聞こえてきた。女の声。瑞々しさを湛えた少女のようであり、あるいは長い時を閲した老婆のようでもある、声。

 

「先に手を出したのは貴女なのだから、謝らないわよ」

 

 切り捨てるように言い放つ声とともに、一人の女が《亀裂》から姿を現した。

 

 絢爛豪華という言葉が形をなしたような女だった。

 

 黄金を引き伸ばしたかのような輝きを放ち腰まで波打つ髪、この世全ての宝石を集め彫琢(ちょうたく)したかのごとき優美な肢体。それらを彩る紫色を基調とした豪奢(ごうしゃ)なドレスと白の長手袋。たおやかな両の手には扇子と日傘。

 なによりも、風見幽香と相対しても引けを取らぬ美貌は、まさしく傾城(けいせい)と呼んで差し支えはあるまい。この女の関心を買うためなれば、城や国の一つや二つ傾けて悔いのない輩は“ごまん”といることだろう。ちなみに幽香も過去に何度か城を傾けたことがある。力づくで。かつて住み着いていた土地の近くに建っていた城や砦を、景観を損ねるあるいは日当たりが悪くなるからという理由で壊してやったのだ。

 

 《亀裂》から女の姿が現れきったのを見計らい、幽香が口を開いた。

 

「こんにちは、妖怪の賢者さん。久しぶりね」

「こんにちは、お花の妖怪さん。久しいわね」

 

 どこか白々しい挨拶を終えて、妖怪の賢者と呼ばれた女は《亀裂》に腰掛けた。

 

   *

 

 『妖怪の賢者』とは───かつて《龍》とともに、この地に幻想郷を生み出した者共であり、この女こそはその内の一人である。『者共』というからには他にも何人かの“賢者たち”がいるはずなのだが、幽香は知らない。興味もない。

 

 先に幽香が口にした賢者の肩書以外にも様々な二つ名で知られているが、そのすべての名が示すとおり数多の妖怪達の中でも飛び抜けて賢く、それに見合うように力も強い。性格も実に妖怪らしい。人情などというものを持ち合わせず(妖怪なので当たり前だが)、その行動原理は余人の想像が及ぶところではない。

 

 当然のことながら能力も桁というか格が違う。先ほど見せた《亀裂》───『すきま』とかいうらしいがよくはわからない───のせいで空間を操るものと誤解されがちだが、実際のところはそんなものでは済まない。この世全ての事象にまつわる《境界》の操作、すなわち論理的アプローチからの世界の構築ないし創造、破壊および否定という、世界を覆う常識・論理というものを根底から引っくり返すような力を有しているのだ。

 

 どう考えてもタダの妖怪には見合わぬ存在と力。そこから推察するにこの女、おそらくはどこか遠い国もしくは遠い時代における神話、それも造化に連なる神───具体的な例を挙げるなら“陰陽混沌ごちゃ混ぜの世界に《線引き》をして天と地を分かった”などの逸話を持つ連中など───の一柱が宗教改革なり解釈論争にでも巻き込まれたかして国を追われ、その騒動と歳月を経て性質や属が変化し妖怪に転じたものが正体ではないかと幽香は睨んでいる。まあ、だからどうだと問い詰める気もないのだが。正直、どうでもいい。

 

 幽香は女が腰掛ける《亀裂》を覗いた。その《向こう側》いっぱいに、なんだかよくわからない、どう表現したらよいのか検討もつかない《なにか》が“うねうねぐにぐに”と蠕動しているさまが視える。それを見たあるものは無数の目というか『眼』がこっちを睨んでいたと言い、あるものはあの空間いっぱいに『手足』が蠢いていたと話し、またあるものはあの中にひしめいていたのは沢山のガラクタだったと語る。おそらくだが、視る者の《気質》なりで中身が文字通り“十人十色に”変わるのだろう。まあ、これとてどうでもよいが。

 

 ───なんにせよ、あんな気色の悪い空間に片足どころか全身突っ込んで平気でいられるあたり、やっぱりこの女は頭がおかしいのは間違いなさそう。

 

「悪かったわね、おかしくて」

「あら、口に出てたのね。ごめんなさい」

 

 幽香は素直に、しかし微塵も悪びれずに謝った。普通なら激怒してもよさそうなものだが、妖怪の賢者は鷹揚(おうよう)に受け入れる。この程度でいちいち目くじらを立てているようでは、この女とは三日と付き合っていられない。

 

「ところで、今日は一体何のご用かしら?」

「少し貴女に訊きたいことがあってね。しばらくの間、顔を見ていなかったこともあるし」

「そう。よければ家に上がっていく? お茶くらいなら出すわよ」

「お構いなく。それよりも───その腕、いつまで放っておく気? 見ているだけで痛々しいのだけれど」

 

 妖怪の賢者は砕け散ったままの幽香の右腕に視線をやった。

 

「あら」妖怪の賢者の指摘に、今はじめて気がついたとばかりの顔をした幽香は“ちら”と右腕に目をやる。次の瞬間には、怪我を負った事こそが幻であったかのように腕が復元していた。ご丁寧なことに一緒に吹き飛んだはずの袖まで元通りだが、しかし今さら二人共この程度では眉の一つも動かさない。

 

 妖怪の賢者は目元を緩め、からかうように言う。

 

「望みもしない捨て身とはいえ、貴女に一矢報いるなんて───大したものね、あの子」

 

 そうね。気のないように言いながら、幽香は復元したばかりの手を白桃のごとき頬にあてがった。殺めた少女の名残を求めるように。

 

   *

 

 一矢報いる。

 

 それは先の、氷精の少女を撲殺、もとい弾幕ごっこによって撃破したときのことである。

 信じがたい話だが、その時点で幽香の腕が芯まで凍りついた。妖怪の賢者に腕を吹き飛ばされたのは、その余波とでも云うべきものでしかない。万全の状態であったなら、腕が千切れ飛ぶくらいで済んだはずだ。

 

 ありえない話だ。

 

 幽香とてそんな話を他人から聞けば与太話と切って捨てるであろう。しかし自身がその与太話を文字通りに“身を持って”体験する羽目になったからには、認めざるをえないのだ───吹けば飛ぶほどか弱く儚い妖精が、あの瞬間、風見幽香を右腕一本分、凌駕した。

 

 本当に、ありえぬ話だが。

 

 しかし判らないわね。至極当然の疑問を妖怪の賢者は口にする。それはそうだろう。多少は力が強いとはいえ、なんでたかが妖精ごときにそんな真似ができるのか。

 

「自分のこと、最強だって言ってた」

「妖精でしょ?」

「妖精なのよ」

 

 でもね、幽香は付け加えた。諭すように、あるいは自分に言い聞かせるように。きっと目に見えるだけの力なんて関係ないの。

 

「たとえそれが蟷螂(とうろう)の斧であろうとも、一片一筋の迷いさえ無く、一念もって振りかざしたなら岩でも砕いてのけるかもしれない。あの子は───きっと、そういう子なのよ」

 

 ふむ。妖怪の賢者は開いた扇子を口元にかざしながら幽香の言葉を吟味した。おぼろげながら、彼女の言いたいことを理解したのだ。もし、それが正しいとするのなら……。

 

「面白いわね、実に面白い」

 

 微かに、目を凝らさねば判らぬくらいに小さく妖怪の賢者の美影が震えた。幽香が珍しげな顔をする。

 

「こうでなければいけないわ、私が愛する幻想の郷は───こうでなければ、ね」

 

 妖怪の賢者は静かに笑う。

 

   *

 

 風のうわさに聞いた話によれば、妖怪の賢者が幻想郷を興したのには、消えゆく妖怪達の保護という名目以外にも理由があるらしい。むしろ保護云々はあくまでも建前以上ではなく、本命ともいえる目的のための方便ないし手段であるとかなんとか。

 

 その目的とやらが何であるのか、幽香は知らないし興味もない。しかし暇潰しの材料として考えてみたことはある。

 おそらくだが幻想郷とはこの女なりの意趣返し───復讐なのだ。自分たちを過去の遺物と記憶の墓地へ葬り去り、あまつさえいなかったことにさえして我が世の春を謳歌する外の世界の者達への。

 

 すなわち唯物的視点のみを真理と信じて疑わず、人の半面たる精神を蔑ろにする世界に抗う、なにものにも縛られぬ精神こそが全てに優越する《魂の世界》の構築である。

 《外》とは真逆の世界の在り方を、閉ざされた《内》なる世界で模索して、その果てに辿り着くであろう可能性を(あるいはその一端を)、人が不要と忘れ去り時が無用と置き去りにした者共が掴んでのける、これ以上の皮肉があるものか。その時にこそ、この女の復讐は成就する。幻想郷もそこに呼び込まれる者達も果てはスペルカードルールさえも、そのために用意された舞台装置のようなものなのだろう。

 

 穿(うが)ち過ぎかもしれないが、当たらずともさほど遠からずではないかと思っている。まあ、違っていても別に害があるでもないし。

 

 話が脇道に逸れすぎたが、その意味からすると先の氷精の少女がやってのけたことはこの女にとってさぞや痛快なことであったろう。特別な出自であるわけでもなく、何か選ばれた存在というでもない非力な妖精風情が、馬鹿らしいまでに純粋な一念“だけ”をもって、風見幽香という巨岩を貫いてのけた。それこそは妖怪の賢者が求めてやまぬ理想そのものではないか。

 

「珍しいわね、貴女がそんな笑い方をするなんて」

「そうかしら───そうかもね」

「そうよ。いつもはプロポーズを持ちかける結婚詐欺師みたいな笑い方しか見たことないもの」

「……言われたことへの仕返しは後でするとして、確かにこんなにも愉快な気分にさせられたのは───久しぶりね」

 

 でしょうね。幽香は花の種を運ぶ風のように“ふわり”とした笑みを見せた。

 

「だって私のお気に入りだもの、あの子」

「その“お気に入り”をずいぶんあっさりと手にかけるのね。それとも、それが貴女なりの愛情?」

 

 先の微笑みはどこへやら、皮肉というにはきつい視線を寄越す妖怪の賢者。それをまったく気にせず幽香は言い捨てた。

 

「いいじゃない。どうせ殺しても死なないのだし」

 

 無情というにもほどのある言いぐさだが、これは本当のことである。妖精は死と無縁の存在だ。より正確には、存在の“根っこ”ともいうべき部分が自然そのものに括られているので、一般的な《死》の概念が適用されないのだ。したがって五体をバラバラにされてもすぐに元通りだし、死んだところで少しすれば同じ姿で復活する。ついさっき惨殺された氷精の少女にしても、しばらくすれば“ピンピン”した姿を見せることだろう。

 

「それにあの子、ああでもしないことにはすぐに復活して喧嘩を売ってくるのよ」

 

 なにせ記憶力の無さには定評のある妖精だ。しかも困ったことに、かの氷精の少女はその中でも特におつむの具合がよろしくないようで、殴っても蹴っても折っても極めても割っても刻んでも千切っても捻っても裂いても砕いても()っても潰しても、少し経っただけで痛い目に遭ったことなぞ忘却の彼方に追いやって、懲りずに勝負を挑んでくるのだ。

 

 幽香も最初の内こそ喧嘩を売られる度、律儀に相手をしていたのだが、今ではすっかり面倒くさくなり先ほどのようにさっさと始末をつけてしまうようになった。さすがに殺してしまえば、しばらくは復活しない。あくまでも、“しばらく”程度の時間稼ぎでしかないが。

 

「適当にあしらうこともできるでしょうに、理解できないわね」

「そんな厭な顔をしないで。どうせこの関係は、それほど長続きするわけではないのだから」

「貴女を“やっつける”前に、あの子が飽きるとでも? そんなに諦めのよい子とも思えないけれど」

 

 違うわ。幽香は風にたなびく山百合のように静かに首を振る。

 

「長続きする前に殺されてしまうもの、私が」

「あの子に?」

 

 そうよ。幽香は道端を彩る(スミレ)のように儚く笑う。

 

「あんなに可愛らしくて、誰よりも真っ直ぐに自分を見てくれる子が私の死を運んでくる───それは、きっと、他のどんな死に方よりも素敵なことに違いないわね」

 

 夢見るように詠うように、幽香は言う。

 妖怪の賢者はなにかを言いたげではあったが、口に出しては「そう」と呟くのみであった。

 

 ───貴方は少しおかしくなっているのかもしれない。

 

 言わずもがなの台詞を口にするほど、妖怪の賢者は無粋ではない。

 

   *

 

「ところで話を戻すけれど、今日は一体何の御用で顔を見せてくれたの?」

 

 その問いかけに、妖怪の賢者の表情がやや引き締まったようだった。

 

「そういえば忘れそうになってたわね」

 

 前置いて、妖怪の賢者は切り出した。

 

「貴女、昨日の夕方に『里』で騒ぎを起こしたらしいじゃない。その詳細について訊きたくて、ね」

 

 ああ、あれね。幽香は目の前の女の用向きを察した。

 

 幻想郷において『里』といえば、それは十中八九『人間の里』のことだ。頭に『人間の』と付いてはいるが、妖怪も結構入り浸っている。そこではどのような形であれ、妖怪達が騒ぎを起こすのを厳に禁じられている(人間同士の諍いに関しては、あくまでも人間が解決すべきなので不干渉らしいが)。

 そして『里』を保護し、人間たちの安全を(里の中のみとはいえ)保証しているのが他ならぬ妖怪の賢者だったりする。なので、そこで妖怪が騒ぎを起こすというのは取りも直さず妖怪の賢者の顔に泥を塗るのと同義でもある。それでなくとも、前にも述べたが人間がいなくなれば結果として困るのは妖怪ばかりなのだから、多少はデリケートになるのも致し方がない。

 

 これが他の、例えば取るに足らない思慮も頭も足らない木っ端妖怪なら、妖怪の賢者なりその意を受けた者なりあるいは博麗の巫女が有無をいわさず『始末をつける』のだが(まあ、博麗の巫女は異変解決以外の仕事をしたがらないことでも知られているので、汗を流すのはもっぱら賢者が遣っている式になるのだろうが)、今回騒ぎを起こしたのはかくあろう風見幽香である。対外的な配慮等もあって、わざわざ妖怪の賢者自らが出張って事の真相についての釈明と、ついでに“けじめ”なりをつけに来たのだ。

 

 迂闊だったわねえ。目先の目的に浮かれた報いがこれである。なんともはや、これではあの氷精の少女を笑えないではないか。

 

「それで───弁解なり釈明なり、言いたいことがあるなら聞くわよ」

「つまらない言い訳はしないわ。したくもないし」

「ずいぶんと素直に非を認めるのね。私としては別に貴女に罰を与えたいのじゃない。とりあえず事の真相さえ聞ければそれでよいのだけれど?」

 

 ひょっとしたら、なにか裏があるとでも思われているのかしら。幽香は小首を傾げる。

 

「そんなにカリカリしないで。私にしても貴女の顔を潰す気は“さらさら”ないわ。間借り人としては、大家さんの機嫌を損ねたくはないものね」

「だとよろしいのですけれど」

「本当に、本当よ」

 

 ───と言っても、そうは簡単には信じられないわよね。自嘲というよりは苦笑いに近い笑みで幽香は呟いた。空気は読めずとも、自分がどのように思われているかくらいは見当がつく。それを承知のうえで相手の神経を逆撫でるからこそ、空気が読めないと言われるわけだが。

 

 なら、こうしましょうか。幽香は一人納得するように言って、左の手で右の小指を“きゅっ”と握った。

 

「知ってる? 外の人間達はね、悪いことをすると指を切り落として詫びの証を立てるんだって」

 

 言うや、思い切りよく小指を“捻りとる”。子供騙しの一発芸で似たようなものがあるが、こっちは“本当に指を切り落として”いる。

 しかし妖怪の賢者はさして感慨を受けた風もない。さもありなん。幽香にとってはたかが手指の一つや二つ、失ったところでかすり傷ともいえない。それが一体、なんだというのか。

 

 訝しげな顔をこしらえる妖怪の賢者へと、幽香はもぎ取ったばかりの小指を差し出した。傷口からは、それが当たり前かのように一滴の血さえ出ていない。

 

「はい、これ」

「……ますます判りませんわね。それをどうせよと仰る?」

「預かってて。期限は……そうね、里への出入り禁止が解かれるまで、というのではどうかしら───それまでこの指は“決して元には戻さない”わ」

 

 ふむ。幽香の意図を察し、妖怪の賢者は考えを巡らせる。確かにそれは、けじめをつけるという意味では妥当なように思えた。

 

 実際のところ、今回の一件では人間達にはかすり傷の一つも被害が出ているわけではなかったのだ。あまり重い懲罰を課していたのでは妖怪達が萎縮するし、そこから人間達が妖怪に対して増長するおそれだってある。しかし、だからといって一切を不問に付していたのでは、里の安全を保証する妖怪の賢者の公平性に些かとはいえ傷が付く(そう思われるのがむしろ拙い)。

 

 そこで指一本だ。これは罰としては中々に気が利いている。茨木童子よろしく腕一本では重すぎるし、なにより目立ちすぎる。しかし小指ひとつくらいなら彼女ほどの妖怪にとってはさしたる痛痒でもなく、悪目立ちもすまい。なにより彼女からの“担保”もしっかりと手に入る。落としどころとしては上々だろう。

 

 わかりましたわ。小さく頷き、妖怪の賢者は小指を受け取り、腰掛けた《亀裂》から取り出した───羅紗(らしゃ)だろうか───紫の小さな布に包む。

 

「証文代わりとして、確かにお預かりいたします。いつかお返しするその日まで、この指は大事に保管しておきましょうほどに」

 

 そうしておいて頂戴。幽香も頷く。

 

「その指もそれなりに愛着があるから、無くされると少し困るものね」

 

 ジョークというにはやや笑える部分が少ない軽口を聞きながら、妖怪の賢者は《亀裂》へと《指》を仕舞った。

 

 この風見幽香、隠し事もすれば韜晦(とうかい)もするし嘘さえ息をするように吐く女だが、一度約定を口にしたからにはその行動には一欠片の虚偽も裏切りも混じらないという特徴を持っている(ただしその言の葉はすべてを語るわけではないし、真実からも程遠いことさえ“まま”あるので、美点というわけではなかったりするのだが)。

 『これ』が自分の手の内にある間は、このいまいち行動の予測がつかない妖怪も大人しくしていることだろう。精々、大事にとっておくことにしよう。

 

「さて、お互いが納得できるけじめをつけたところで、昨日は一体何があったかの説明をしましょうか」

 

 できれば手短にお願いね。妖怪の賢者は日傘を開きながら幽香の説明に耳を傾けた。妖怪にとってお天道様のご威光は目に眩すぎる。

 

   *

 

「友達がほしい、ねえ……」

 

 幽香からおおよその話を聴き終わった妖怪の賢者は、なんともつかない、強いて言うなら塩と砂糖を間違えた料理を口にしたような顔をしていた。

 

「貴女も博麗神社の巫女さんみたいな顔をするのね。そんなにおかしな事かしら?」

「おかしいというかとなんというか……まあ、変だわね」

「失礼しちゃうわ。私だってお友達の一人や二人、欲しいと思ってもいいじゃない」

 

 むくれる幽香だが、しかしそれも致し方がない。この幻想郷で一体誰が、風見幽香の口から『友達』なんぞという単語が飛び出てくるなどと思うだろうか。

 

「だって、仕方ないじゃない。欲しくなったのだもの」

「まあ、悪いことではないと思うわよ」

 

 そこから騒ぎを起こしさえしなければ。

 

「貴女も“賢者”なんて御大層な肩書があるのだから、どうしたら友達ができるのか考えていただけないかしら」

 

 そんなこと言われても。聡明なことで知られる妖怪の賢者は、彼女にしては珍しく困ったように眉根を寄せた。

 

 無理なんじゃないの、と正直なところを口にするのは憚られた。別にこの女の機嫌を損ねるのを恐れたりはしないが、それでも面倒なことは避けたい。それに、友達とやらが出来たなら、この女も少しは丸くなるかもしれない。

 

「そうね───さっきの小指の件、その釣り銭代わりというわけではないけれど……私がなってあげましょうか、貴女の『お友達』に?」

 

 いかが? と妖怪の賢者は意味ありげというより、含むところがあるような流し目を幽香にくれた。男ならば、否、たとえ女であろうと容易く精神を蕩けさせるであろうほどに凄艶な一瞥と声。このうるわしい申し出を拒める者などいるだろうか。

 

「?」

 

 しかし幽香は何を言われたのか解らないとばかりに首を傾げた。

 

「私にだって、選ぶ権利はあると思わない?」

 

 二人の間を熱を孕んだ風が駆け抜けた。




 登場人物とかそんなん

風見幽香

備考───傾城の美女(物理)嘘は吐かないが正直とも程遠い

妖怪の賢者

備考───ゆかりんさんじゅうななさい

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