『聞こえるか。返事しろ』
脳内に直接響く声。
契約し主従関係となった二人は、十六夜の右腕を介して遠距離でも意思を疎通できるのだ。
かなり便利なのだが、少々欠点があってあまり使われていない。
というのも――
「聞こえるよ……。ってか急に話しかけないで、五月蠅い」
『そりゃすまなかったな――華蓮。こっちも急いでたもんで』
「……じゃあさっさと話せば?」
契約の三――『
故にあまり使用されない。
「こっちも立て込んでましてね、長電話はご遠慮くださいな」
『はいはい了解。
――さっさと出てこいよ、柊』
「
めんどくさそうに十六夜が言った直後、タイムラグ無しで柊は答えていた。もうそろそろ何かしら言ってくるだろう、と半ば予想出来ていたから。
「用件はギフトゲームのことですね?」
『そうだ。緊急事態だが――もちろん続行するぞ』
「まあそうでしょうね。それで――、おっと」
破砕音と共に砂埃が舞い上がり、会話が断ち切られる。咳き込みながら見てみると、すぐ傍の大地が立ち割られていた。
二度も人間の少女を仕留めそこなった巨人は、本能で異変を感じ取ったのか攻撃してこない。対処としては悪くないが――この場は攻めるべきだった。
だが――ありふれた事故。
そんなものが、『天運』保持者に起こりうるのだろうか。
柊の瞳に、明らかな動揺の色が映った。何故ならば。
(⁉ 眼に、砂埃が……⁉
柊はこの事態を甘く見ない。
天文学的確率の
(……やはりこういった
――動かないと、ダメだ。
柊は身を翻し駆け出した。全身を霊力で満たし――時速六十キロで街を爆走する。
だが歩幅の違いか、追ってくる巨人を引き離すことは出来ない。むしろ、だんだん距離が縮んでいる。
そして最悪な事に、事態に気づいた他の巨人が続々と集結しつつあった。
「これは……かなりマズイ。一体だけでも振り切れないのに、数が増えたらジリ貧ですね……。『天運』の力が十全に働かない以上、いつかは追い詰められ、殺される……」
一応進路を巨大水樹とし救援を狙ってはいるが、『いつか来る』それを
『柊』に与えられた使命――それは、
それ故に。
「
眼を閉じる。華蓮の深層へ――あるゆる情報が積載する領域へ沈んでいく。
必要な
一時的に、仮想の技術をその身に宿す。
――刹那、柊の表情が一変した。
「
眼を開き、素早く周囲を確認する。
現在柊が駆けている通りは、左右を背の高い建物が囲んでいるため直進しかできない――追われる身としては避けたい地形。
しかし。
柊はギフトカードより赤いナイフ――断刀・獄を取り出すと、
「
――直後、柊の姿が掻き消えた。
今度こそ確実に仕留められる、そう考えていた巨人は、標的を急に見失い立ち止まる。
それが致命的な隙となった。
「⁉ ……ガ、……ァ⁉」
突如、喉元に熱を感じた。
ジュアアアアアアアアア――‼ 肉の焼ける音が辺りに響き渡り、思わず後続の巨人たちも足を止めていた。
その音源。
巨人の肩に乗り、喉元にナイフを突き刺す柊の姿があった。
(――記録には、『不安定な足場で跳躍を繰り返す技術』とあります。それを応用し、三角跳びで三十尺の高さまで上ったんですよ。追い詰めたと油断しましたか? 残念でしたね)
全身に巡らせていた霊力を脚部に集め、脚力を突出させる『精密操作・脚部集中』。呪術の才を獲得した柊は、あのとき瞬時にこれを行い、壁に向かって跳んだのだ。そして壁に足裏を合わせ、そのまま首元目掛け跳んだ――死角から不意討ったのだ。
その技術の正式名称は――
かつて天狗に武術を習った源義経が、壇ノ浦で魅せた技。それの再現だった。
柊は。
にへら、とらしくない崩れた笑みを浮かべると、
傷口に更に深くナイフを突き刺し、大きな耳元で呟いた。
「……
刃と接した面から蒸気が吹き出してくる。肌が保有していた水分が蒸発しているのだ。
数秒で肌はカサカサになってしまった。今は剥き出しの肉に灼熱の刃が押し当てられている。苦悶の声が上がった。
「……皮が厚く、刃の通りづらい
柊が。
ぐりぐりと刃先を捻じると、そのたびに激痛が走るのか巨人が吼える。
「ですが」と間に挟み、柊は一層低い声で囁いた。
「太い血管――そこに流れる血液を温めることが出来れば、そして温め続ければ、脳は数分で茹で上がります。――このナイフの性能を鑑みれば、さらに時間は短縮されるでしょうね。……ほうら、だんだん意識が朦朧としてきたでしょう?」
「――ッ⁉」
意味を理解する余裕など無い巨人だったが、聞こえてきた『音』が孕む
霧散していく意識を今一度かき集め、命の限り絶叫した。
「ゴアアアアアアアァァァアアァァァァァァァァアアアアアアア――――‼‼‼」
「っ――!」
その衝撃は大気を揺らすほどに強力だった。至近距離にいた柊が受けたダメージは計り知れない。
空いた手で耳を押さえる。しかし、ぐらり、と少女の身体が傾く。すると若干、首に刺さるナイフの入りが浅くなった。そしてその分、走る痛みが緩和された……気がした。
その二度と無い好機を、巨人は狙っていた。
ビクビクと不自然に痙攣する己を全身全霊で抑え込み、もうすでに感覚の薄い右腕を――思いっきり首筋に突き込んだ。
直後。
ヅグチュッッッ‼ と。
……なにか、水っぽく粘質な音が響いた。
◇◇◇◇◇
「…………危なかった」
地べたに仰向けで寝そべったまま、柊はぽつりと呟いた。その表情は、再びガラリと変わっていた。情報を獲得する直前までの――いつもの柊の顔に。
ゆっくりと起き上がる。ただそれだけの動作で背中に痛みが走った。
綺麗な着地では無かった。脳が揺さぶられ意識が混濁したあの瞬間、柊は咄嗟に不要な感覚を切り離したのだ。身体異常はそのままに、ただ冷酷に身体を動かし躱すために。――そのおかげで回避できたが、受け身に失敗し背中を強打してしまったという訳だ。
「――……さて」
柊は、先ほどまで自分がいた場所を見上げた。即ち、巨人の首元を。
「……ガ……ガ……」
そこには凄惨な光景が広がっていた。
巨人が放った最期の一撃は、勢いそのままに自身の首に突き刺さっていた。
比喩では無い。貫手の形に整えられた手は、熱し溶かされた肉を易々と突き破ると、頸椎・頸動脈を砕き破った。
ブシャア‼ と吹き出す血液によって街が赤く染まっていく。この様子ではもう助からないだろう。
「……自滅? ――いいや違う」
血の雨を一身に受けながら柊は、物言わぬ死体からある事実を悟る。
「――
……先ほどまで獲得していた
崩れ落ちる巨体を横目に、柊は十六夜との回線を復旧した。十六夜側の反応を待たず、開口一番にこう告げる。
「どうせこの混乱に乗じて利益を出そうと企んでるんでしょうけど、
言うだけ言うと、柊は赤く染まったメイド服の袖で顔を拭う。奇跡的に生き残っていた白が、これで完全に消滅する。
そんな隙だらけの彼女だったが、しかし巨人たちは攻めてこなかった。どうやら先ほどの惨状が、楔か鎖の様に身体を縛っているらしい。
(例の
異常な殺し・思想――狂気を孕む思考回路。これら全てが、あの技術を獲得した瞬間に叩き込まれた。人格が汚染されかけたそれは、『呪い』と言って過言では無い。
その技術とは、即ち――『人型の生物を殺傷する技術』。
殺人術に長けた者の記憶。
(該当記憶No.69……、念のため、
自動的に排出され保留状態となっていた『殺人術』を、元在った場所へ送り返す。
十六夜からの着信があったのは、丁度その時だった。
明らかに不機嫌そうな声で、第一声。
『リザインは、しないほうがいいぞ』
「怒ってるんですか? まあ当然でしょうけど、それを声に出すのはどうかと思いますよ。この状況は貴方の力不足が原因ですし、旗色の悪いゲームを降りるのは戦略的に間違ってないでしょう」
『だな、お前が正しい。――しかし、同時に間違ってもいる』
「?」
『あの嫌味くらいで腹を立てる程、俺は狭量じゃねぇんだよ』
虚空に契約書類が出現した。血で染まった手で掴む――シミにならないことが、とてもありがたい。
柊はそのまま、流れる様に目を通そうとして――ハッと気づいた。
(何故ここにきて、急に契約書類を持ち出してきた? 一、二ゲーム目の時は、口約で全て済ませていたのに――……誤解を、生まないため――?)
『何度も読んで、誤解無く全てを理解しろ。無理やりにでも、本気になってもらうからな』
その含みのある言葉に焦燥感を覚えた柊は、まさか、と手元の契約書類に目を落とした。『ゲーム名』『参加者』『勝利条件』――ここまでは問題なし。
柊の眼が見開かれたのは、その直後だった。
そこには、こう記されていた。
――――――――――
リトルゲーム『 』
『主催者』
・逆廻十六夜
『参加者』
・柊華蓮
『参加者側勝利条件』
①:主催者が指定した時刻における生存確認。
②:指定時刻までに『戦果』を主催者より多く挙げること。
『主催者側勝利条件』
・参加者側勝利条件の未達成。
『補足』
・『戦果』を挙げると非公開のポイントが加算されていく。
・『戦果』のジャンルは問わない。だが、加算されるポイントに差が生じる。
・本リトルゲームの勝者は、ギフトゲーム『Three fifths』のリザルトを
宣誓:本リトルゲームは、ギフトゲーム『Three fifths』のルールに従い開催されたものです。このリトルゲームの勝敗を含む結果は全て、元となったギフトゲームの成績に反映されると御考えください。
――――――――――
「…………リザルトを、入れ替える……?」
その権利を得る。
なんだそれは、無茶苦茶ではないか。柊は反射的に十六夜に噛みついていた。
「こんなルール、適応される訳が無い」
『かもな、俺も知らん。――だが、契約書類には記述出来ている』
「全くの、無意味です」
『否定しきれるのかよ。万が一にでも適応されれば――お前は終わりだぜ』
――…………。
沈黙。
しかしいくら悩もうとも、柊に選択肢は存在しなかった。
「……受けましょう。そのゲーム、そのルールで」
『――――ゲーム開始だ』
十六夜の言葉と同時、突如として眼前の大地が爆発した。
チッ、と一つ舌打ち。まったく余計な事をしてくれたな、と何処かで此方を見ているであろう十六夜に恨み言を飛ばす。というのも今の衝撃で、『畏怖の鎖』で縛られていた巨人たちが我に返ってしまったのだ。
「……」
「ゴガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼」
「…………チッ」
激昂。怒りに燃える巨人の咆哮が、単純な衝撃となって柊を襲う。
再び全身を霊力で満たし身体強化。その場に踏み止まる柊は、ヒートアップする巨人たちとは正反対に――酷く冷静になっていく。
……そして。不機嫌そうな声音で呟いた。
「該当記憶No.54――『天狗の兵法』
該当記憶No.1――『霊力操作』を再獲得」
ブン、と全身が揺らぎ、再び仮想の経験を獲得する。
薄く眼を開き、躊躇なく一歩を踏み出す。その威に、相対する巨人たちはジリッと後ずさった。
ヒタリヒタリ、カチリ。
持ち手のスイッチが押され、シュウ……、と刃が熱を帯びる。
「貴方たちを恨むのは筋違いなんだろう……だが、襲撃者に掛ける情けを、生憎私は持ち合わせていない。覚悟はいいですか。私事私怨で申し訳ない――問答無用で断ち切らせてもらいます」
右手に赤いナイフを携えた死神は、そう冷酷に告げた。
十六夜の「柊なら大丈夫だろ」という謎の信頼感。