――『アンダーウッドの大樹』水式エレベーター前。
十六夜とジンの二人組は、互いに無言のままエレベーターが下りてくるのを待っていた。
◆◆◆◆◆
先刻の一件の後、ジンは「さて」と暗い雰囲気を断ち切ると、十六夜の前まで移動してこう言った。
「……まあ、個人的な話は後ほどするとして、十六夜さん、収穫祭に参加するなら、やはり一度
その言葉――態度に面食らう十六夜。数秒前のジンは激情の籠った荒々しい言葉遣いをしていたのに、一転して今は落ち着いた口調となっている。
……いや、これも当然の事なのかもしれない。
つまりは成長という奴だ。リーダーたるもの、公私を混同してはならない。切り替えが大事――常に大局を見る必要がある。であれば、この変化にも納得がいくというものだ。
知らない内に成長していたジンを前に思わず呆ける十六夜だったが、はっと我に返ると、
「そう、だな。案内頼むぜ、――御チビ」
「そうですね。黒ウサギ達は先に宿舎に戻っていてください。僕は十六夜さんを紹介した後合流しますので」
反論は無かった。
個々人の気持ちはともかくとして、三人が三人ともジンの指示に従っていた。
「……」
無言。
十六夜はその光景に、何を思うのか。複雑そうな、何とも言えない表情を浮かべた。
「……さあ、行きましょう十六夜さん」
言って、ジンは店を出ていく。
十六夜は、一人置いていくことになる柊のことを考えた。しかしこの状況で我儘など言えないだろう。
幸いゲームルールに途中失格の条文は無かった。
柊ならば察してくれるだろうと、信頼とは似て非なる思いを抱いて、十六夜はその背を追うのだった。
◆◆◆◆◆
エレベーターの到着を知らせるベルの音で、十六夜の意識は現実に引き戻された。
ジンを先頭に箱の中に這入る。扉が閉まり、ゆっくりと箱は上昇を始めた。
全時代的な技術を使用しているエレベーターの箱は完全に閉じておらず、開放感があった。箱より籠の方が近い。
二人の他に誰も乗っていない籠――しかし、会話はない。
「……」
「……」
伝えなければいけないことがあるのは互いに判っている。だが先刻の一件もあり、『一言目』が重い意味を孕んでいることも解っている。故の無言なのだ。
とは言え、時間に余裕は一切ない。前時代的とはいえそれなりの速度が出るエレベーターだ。到着まで数分と言ったところか。
「――教えてください」
口火を切ったのはジンだった。
「十六夜さんは一体、何と戦っているのですか?」
「あー……それは教えられないな、御チビ」
ジンの問い掛けは、しかし軽く流されてしまう。十六夜も出来ることなら教えたいのだが、質問が悪かった――その問いでは、最悪全てをくみ取られる可能性がある。成長著しいジンならばなおさらだ。
「誤魔化さないんですね。……そんなに僕は、口が軽く見えますか?」
「
「……」
そう手放しで褒められてしまうと、何も言えなくなる。だがその直後、ジンは違和感に気づいた。
――十六夜らしくない。
あの自信家で人を食った性格の十六夜が、何の皮肉もなしに他人を称賛するとは思えないのだ。
ジンの胸中に湧き上がる不安。何かがおかしいと、そう直感する。
「――ジン」
『らしくない』――普段ならばまずあり得ない『名前呼び』をされたジンの肩がビクッと跳ね上がる。
その異常事態に慄くのもつかの間、続けて告げられた言葉に、ジンは冷水を浴びせられた様な錯覚を覚えた。
「お前だけに――《ノーネーム》のリーダーだけに伝えとく。
俺は今、かなり分の悪い賭けに出てる。敗ければまず命は無い、勝ったとしても綱渡りが続く――いっそ笑える程クソみてぇな状況に陥ってる」
「は……、……なんですって……⁉」
「もちろん死ぬつもりなんかサラサラねぇよ。だがな、相手はかなり手ごわい。形振り構ってちゃあ勝てねぇんだ。……だからあらかじめ宣言しておく。俺は今後もかなりの無茶をする。もしかしたら数日単位で行方が分からなくなることがあるかもしれねぇ。身に覚えのない喧嘩を吹っ掛けられるかもしれねぇ。
まあ、あんまり迷惑が掛からないように俺の方でも努力するが――、もし手に負えねぇと悟ったら――」
「……」
「お前の判断でいい、俺を除名してくれ」
「――‼」
ジンは思わず掴みかかっていた。
思考が沸騰し目の前がグニャリと歪む。それは数十分前の怒りとは比べ物にならない熱量を持って彼の意識を焼き焦がしていた。
十六夜の胸ぐらを掴み、グッと引き寄せ低い声を吐く。
「ふざけてんですか……⁉ そんなこと、僕が聞き入れるとでも⁉」
「まあ
「っ――それは……!」
言葉を詰まらせ、反論できず黙り込むジン。
こんな卑怯な言い方は十六夜の趣味では無かったが、意外と頑固なリーダーを説得するためには仕方なかった。
果たして数秒の沈黙の後、ジンは掴んでいた手を離し項垂れた。
「……解りました。気は進みませんが、最悪の場合には備えておきましょう」
「悪いな――」
チリン、と到着を知らせるベルが鳴った。それと同時、ジンは暗い顔から一転し真顔へ成る。
その変わりようを横目で見つつ、十六夜は心の中で先の発言を補足した。
(――俺の『形振り構わない』は、お前の想像を軽く超えるぞ)
既に夕刻。
沈む夕日を確認しおおよその時刻を把握した十六夜は、その銀の右腕に力を籠める。
(――――時間だ)
◇◇◇◇◇
突如、アンダーウッドを地鳴りが襲った。
それと同時に轟く咆哮。地平線に見える影は巨躯。その正体は――巨人。
彼らは
誰の目にも明らかな緊急事態。
『魔王の残党』が今、このアンダーウッドを強襲している。
◇◇◇◇◇
開戦の報せは柊達にも届いていた。
血相を変えて部屋に跳びこんできた黒ウサギの話を聞き終わった柊は、深刻そうな表情と声音を作り出し応対する。
「了解。私も《
「で、でも華蓮さんの
「
「……ええ、華蓮さんもお気をつけて!」
黒ウサギは演技に気づくことなく部屋を後にした。如何にウサ耳が高性能であっても、内面の変化までは悟れない。
しかし《サウザンドアイズ》の面々は別だ。特別な眼を持つ者達が相手では気づかれる恐れがある。故に、柊は彼女が出ていくのを見届けると、念のため身体の所有権を華蓮に返した。もちろん、記憶を都合よく改竄し定着させた上で。
「……『魔王の残党』の襲撃とかさ……本当あり得ない。これじゃあ、
どうやら改竄された記憶では、自分の意思で収穫祭に参加したことになっているようだ。この方が、後のお叱りの際都合がいいのだろう。
華蓮が違和感に気づくことは不可能だった。
無断で参加したことが明るみになる――彼女は憂鬱そうに、何の疑いも無く『彼女自身』の記憶に従い白夜叉に電話をかけた。
数コールで繋がった――その瞬間。
『華蓮か⁉ 華蓮だな‼ ――お主今、どこで油売っておるかッッッ‼‼‼』
耳元で炸薬が破裂した。
鼓膜が破れるんじゃないかという程の一撃で、一時的に耳がバカになってしまう。音を拾わない右耳を押さえ、受話器を左に押し当てる華蓮。
なんとか言葉を返す。
「ごめんなさい白夜叉様――今私、南側にいます」
『…………は?』
「無断で収穫祭に参加してました」
『…………なんじゃと?』
「そんで今、現在進行形で『魔王の残党』の襲撃を受けているんですが」
『……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』
受話器の向こうが静かになってしまった。――いや、バタバタと動き回る音と怒鳴り声が遠く聞こえる。呆れて黙り込んでいる訳ではなさそうだ。
数分後、心なし疲れた様な声が耳元で響いた。
『……こちらにも報せが届いたよ。どうやら敵は巨人族のようだな』
「ええ、――そこで白夜叉様、私に戦闘の許可を頂けませんか。もちろん封印は解きませんし、無理もしませんから」
『…………本来ならここで、ダメだ、と突っぱねるべきなんじゃろうな……』
「ということは、」
『はあ……。今回ばかりは特例じゃ。ついでに、無断で参加したことも……許そう』
特例、と白夜叉は言った。何かが向こう側で起きたということか――願っても無い好待遇が、少し不気味に思えてくる。
しかしそれについて尋ねている時間は無い。
「――っ!」
いつの間に接近したのか、窓の外――すぐ傍に巨人が立っていた。
身の丈三十尺に達する存在を目にし、華蓮の意識に空白が生まれる。そいつは手に持った大剣を大きく振りかぶると、躊躇いなく――
「ちっ……!」
思わず手をかざしてしまって――舌打ちする。そうだ、今はギフトゲームの真っ最中。ギフトの使用に制限が設けられている。エネルギー分離は『
なんて、運の悪い――。華蓮は喉が震えるのを感じた。
大剣が振り下ろされる。回避不可の一撃に、華蓮は思わず目を閉じていた。
今の彼女は眼前の脅威を瞬時に排除する力を持たない。出来るのは、そんなちっぽけなことくらい。
(死ん――――)
だけど。
(――――死なせない)
カッ! と彼女の目が見開かれた瞬間、天井を崩し迫っていた大剣が――ビタッと、
倒壊した宿舎に佇む少女は告げる。
「原因は大剣の切れ味。柱の材質・強度。刃の入射角。その他色々。……ああ、
「運が良い」と締めくくり、柊は再び引っ込んだ。
改竄された記憶。
『華蓮! 何があった華蓮! 無事か、返事をしろッ!』
「無事ですよ白夜叉様。心配性ですね、まったく」
『当たり前だろう! 電話越しでも分かる破壊の音――華蓮、本当に無事か?』
「……まあ、死ぬかも、とは思いましたね。なんか生きてましたけど。
――
それでは失礼しますよ。生憎こちらは余裕ないんで――」
そこで通話はブチッと途切れてしまう。
華蓮が切ったのではない。柱から剣を抜いた巨人が激情のまま瓦礫の山を踏み抜いたため、備え付けられていた電話線が遂に切れてしまったのだ。
ギョロリ、と目玉が華蓮の方を向く。ドロリと濁った眼から察するに、まだまだお怒りの様だ。
「私の所為じゃないってのにね。……でもこれは、」
ちょっとマズイな……、そう華蓮が冷や汗を流した時だった。
不意に、十六夜の声が脳内に響いた。
形振り構わない十六夜。
その眼に映すのは――『華蓮の救済』
必ず救うと、己に誓ったのだ。
だから――――