◇◇◇◇◇
あの後、担い手に関する話題は一切出てこなかった。柊が口を完全に噤んだことが最大の要因である。
そもそも柊は、絶望的な現状を皆に理解させ、抵抗意欲を奪えれば僥倖――くらいの気持ちで説明していたのだ。ならば全ての情報を開示した時、柊にそれ以上話す理由は無い。
柊は窓の外が暗くなるまでずっと、他愛のない世間話を――相変わらず表情に変化は無かったが――楽しんでいた。話し相手はやはり鳴だった。
「それではこのあたりで失礼させていただきます。
――十六夜、くれぐれも怪我の無いように。身体に気を付けて、大人しく過ごしてくださいね」
そして去り際の言葉がこれ。
柊は油断や隙を一切見せず、ずっと表に出たまま帰路に着いた。
レイラも共に行ったのだが、やはりその表情は優れなかった。柊の策は、傷心中のレイラに抜群の効果を発揮していた。
――二人減って、応接間にいるのは計三人となった。
……因みに、鳴は帰る素振りを一切見せなかった。もうそろそろいい時間帯なのだが、どこまでも自由な人だ。
だが、それ幸いと情報の整理を始めるあたり、十六夜も図太い。
華蓮が正式に担い手を継承したこと。従者に命令を強制させる権限。そして――――
特にこれといった妙案は出てこなかったが、やはり三人だと出てくる意見の幅が広い。
鳴の発想は何処までも自由で、しかしその中にしっかりと軸が通っていた。三人の中で、おそらく最古参故のことだろう。
レティシアの考えは堅実で、十六夜が既に思いついていた案がいくつか出てきた。しかしレティシアは、指摘された部分を瞬時に改善することに長けていた。
意見を交わし続けばいつかは最善の策に至るだろうが、生憎時間が足りない。加えて、十六夜との間にあるぎこちなさが、会話の流れを阻害していた。
――そして、
もう外はとっぷり暗くなっていた。年長組以外の子供達は既に安らかな寝息を立てている、そんな時間帯。
だが鳴はまだ帰っていなかった。
十六夜の方から誘ったとはいえ、まさかまだ帰らないとは。しかもそのことを指摘すると、「まさか十六夜、君はこんな夜道を、女一人で歩かせる鬼畜なのかい?」――と、言う始末。
こんな時だけ性別を前に出してくる辺り、本当に良い性格をしている。そう十六夜は思った。
だがまあ、彼女の言にも一理あるので、共に遅めの夕食をとった後、十六夜の方から「今日、泊まって行けよ」と提案。鳴は二つ返事で承諾し、自身のコミュニティにその旨の連絡をしていた。
今は、リリと共に大浴場だ。どうやら可愛い子がお気に入りらしく、今日一の笑顔を見せていた。
そして十六夜は今、レティシアに頬の手当てをされていた。日の出ている頃の騒動で、重い一撃を貰った場所だ。
出血も無く、痛みも小さかったためスルーしていたが、今になって青黒く腫れてきたのだ。
「レティシア」
「……なんだ、十六夜」
「流石にやりすぎだろう」
「お前がそれを言うか⁉」
「二発目受けた腕も、なんかビリビリすんなー」
「嘘を付け! ちゃっかり義手の方で受けていただろうお前! おかげで今、相当の倦怠感を私は感じているんだぞ⁉」
湿布を張り終わったレティシアが、ぺしっ、とその頬を軽くはたく。相当根が深いのか、それだけで十六夜の身体がビクッと固まった。
「んでも確かに、レイラには悪い事をしたと思ってる。心の底からな」
「……後できちんと謝罪することだな。赦す赦さない以前に、まずはそこからだ」
「レティシアはどうなんだ?」
「…………」
「黙んなよ、正直に言ってくれ」
十六夜はそう言うが、レティシアは背中を向けたまま一言も口にしない。言葉を待つ十六夜も同様に黙り込んでいるため、応接間から完全に音が消えた。
「……赦せる訳ないだろう」
沈黙を破り、レティシアはそう告げた。
「如何なる理由があったとしても、それでレイラが傷ついたことに変わりは無い。十六夜、お前が傷つけた事実は無くならない。……だから私は、お前を赦す訳にはいかない」
「……だろうな。正直、俺も赦されるとは思ってない。そんだけの事をしたからな」
レティシアは無言で救急箱を片付け始める。湿布を張った時に出たごみを捨て、肌に塗った軟膏の小瓶を救急箱に仕舞い、そして本体を元在った戸棚に戻す。
そして片付けを終えたレティシアは、静かに呟いた。
「……まあしかし、今はもう、怒っていないさ」
「そうなのか?」
「ああ、そこまで物分かりが悪い訳では無いからな。お前にも事情があったことは理解したし、本意では無いことも承知した。……ならばもう、怒る理由は無いと思わないか?」
そう言って微笑み、十六夜の頬に手をそっと当てる。椅子に座っている今、二人の身長差はほとんど無い。
「……私の方こそ謝罪しなければならないな。……思い切り殴ってすまなかった。痛かっただろう?」
「そりゃあ痛かったさ、見ただろあの腫れ。俺の身体があんなになるなんて、お前どんだけ力籠めてたんだよ」
「あ、あの時は少し我を忘れていたんだ。それでつい加減を間違えてしまって……
……相手がお前で助かった。十六夜でなければ、間違いなく殺していた……」
「……信頼してくれてんのはありがたいが、お前今さらっと凄いこと言ったからな⁉ ……ったく、まあ二、三日もすれば腫れも引くだろうし気にすんな。もうほとんど痛まねぇし」
そう言って互いに笑いあう。そこにはもう、ギクシャクとした硬さは無かった。
相手に対する負の感情。そういったものを互いに吐露しあったことで、やっと真っ直ぐ顔を見ることが出来るようになったのだ。
その時、十六夜がハッとそれに気づいた。
「――そういや鳴の奴、リリに変な事してねぇだろうな……」
「おい今なんて言った」
すかさずレティシアが噛みついてきた。
それを手で抑え、十六夜は芝居がかった口調で続ける。
「お前もさっき見ただろ? あいつ、可愛い奴が大のお気に入りなんだよ。特に、リリみたいな小さい子供がドストライクらしい」
「お前、それを知ってて奴とリリを一緒に行かせたのか⁉ 信じられん! 見損なったぞ十六夜‼ 心底失望したッ‼‼‼」
「お前、それ絶対言うタイミングおかしいだろ‼⁉⁇」
そんな十六夜の叫びは無視し、こうしちゃおれんと大浴場へ駆けていくレティシア。
ポツンと一人取り残された十六夜はやれやれと首を振ると、
「確証はねぇけどな」
ボソッと呟き、同じく大浴場へ向かうのだった。
◇◇◇◇◇
吸血鬼の身体能力は並の幻獣の比では無い。
レティシアは今、本拠の廊下を脚力全開で駆けていた。ただ一心に、リリの貞操の無事を祈って。
「リィィィィィィィィィリィィィィィィィィィ――――‼‼‼」
脱衣所の戸を音をたてて開く。そこに人の姿は無い。
(浴室か!)
即座に狙いを変更。数秒と経たずに浴室の戸が開け放たれた。
その大きな音に、湯につかっていたリリが跳び上がる。
「リリ! 無事か⁉」
「うわあっ何事ですか⁉ ……って、レティシア様? どうしたんですか、そんなに慌てて……」
「リリ! 無事の様だな! 待ってろ、今
リリは何事かと問うが、しかしレティシアはこれを無視。危険人物を探し始める。
「くそっ、どこにいるんだ
「えっ、鳴さんならそこに……、あれ? さっきまでそこにいたんですが……」
「なに……?」
その呟きを聞いて、レティシアが嫌な予感を感じるのと――
「ほーれ、
いつの間にか背後に現れた鳴がメイド服を脱がせるのは、ほぼ同時だった。一瞬にして上半身を飾る物が消え、脱げかけのメイド服がギリギリ下半身を隠している程度となる。
鳴は止まらない。流れるような手つきでブラのホックを外し――取っ払う。途端、手のひらに収まるサイズの可愛らしい胸が露わになった。
この間僅か一秒弱。畏怖すら感じるほどのテクニックだった。
あまりの出来事に、自分の身に何が起きたのか理解していない様子のレティシア。
「…………⁉」
「おおぅ、やっぱ金髪幼女は色白だよなー。うっわすべすべ、超気持ちぃー!」
それをいいことにその全身を撫でまわす鳴。絹の様にすべすべした肌を、優しくかつガッツリと堪能する。
色素の薄い肌は、不健康に見えない絶妙のラインを保っており、指で押すとぷにぷにと弾力がある。まるで搗きたての餅の様で、幼い子供特有の質感をしていた。
それすら理解不能だったレティシアだが、その魔手が自身の慎ましやかな胸に迫った瞬間――ハッと我を取り戻した。あっという間にその頬が朱に染まる。
「――――‼⁉⁇」
言葉にならない悲鳴が響く。そして本日三度目の一撃が、油断しまくっていた鳴を吹き飛ばした。
お湯の上を水切りの様に跳ねていく鳴。それを横目に見ながら、レティシアはただただ荒い息を吐いていた。
「あ、危なかった……! 危うく私が食われるところだった……!」
「レ、レティシア様、お気を確かに……‼」
「あ、ありがとうリリ。お前は何もされなかったか? その……変な事を……」
「……? 変な事……ですか? 別に何も……」
ん? そこでレティシアは違和感に気づいた。
何か作為的な力が働いている気がする。まるで、
その予感は的中する。
レティシアが何かを感じ取った直後、脱衣所の方から声がした。
「――うし、まだ上がってないな。……ん? まさか服着たまま突入したのか、アイツ」
そして、声の主にして主謀者――――逆廻十六夜は、なんら気後れすることなく浴室に踏み入ってきた。腰にタオルを巻いているとはいえ、もちろん全裸である。
「十六夜、貴様……謀ったな!」
「人聞きが悪いな。お前が勝手に勘違いしたんだろうが。……あ、そういや鳴、お前俺に裸見られても平気か?」
赤面し、胸元を腕で隠しながら叫ぶレティシア。それをスルーし、十六夜は鳴に向かって言葉をかける。
あまりにも今更な問いだが、一応しておく必要がある。なんせ鳴は既婚者なのだから。
もしかしたら、『旦那以外の男に肌は見せない』と貞淑な妻の一面を見せるかもしれないのだから――――
「ああ、全然おっけ」
鳴に限ってそんな訳なかった。即答だった。
「別に見られて困る身体してねぇっての。むしろお前が心配だぜ、十六夜。俺の身体見て、身体の一部分が元気になっても知らねぇからな?」
「うっせぇ、別に平気だっての。……でもまあ、確かにいい身体だな」
「だろ?」
その賛美を聞き、満足そうに鼻を鳴らしながら湯船につかる鳴。その肉体は、同性のレティシアからしても目を奪われるものだった。
すらりと伸びた四肢。細身ながらもほど良く鍛えられた体は、その長い脚とも相まって抜群のスタイルを形成していた。
腰は綺麗な曲線を描いており、――着物を着ていて気付かなかったが――意外と『ある』それと均整がとれている。
――正に、大人の女性として完成されたプロポーションだった。
「「…………」」
「こらこら、
「――! こ、これは失礼した!」
「あわわっ、じゃ、じゃあ私はここで失礼します!」
見惚れていた二人が、鳴の言葉でハッとする。レティシアは一層赤面し、リリは慌てて脱衣所の方へ駆けて行ってしまった。
「お前も脱いで来いよ。いつまでも服着たまんまじゃ、逆に失礼ってもんだろ?」
「あ、ああ……そうだな。……って、なんで一緒に入ることが前提なんだ⁉」
「偶にはいいじゃねぇか。――それに、
いつになく――少なくとも今日一――真剣な表情の十六夜に、渋々従うレティシア。その背中に、「リボンは取んなくていいからなー」と鳴が声をかけていた。
そしてレティシアが脱衣所に消えて数分後、彼女は一糸纏わぬ姿――しかし鳴の希望通り、リボンは依然として付けている。故に、その姿は少女のまま――で戻ってきた。恥ずかしがる様子は無かったが、しっかりタオルで前を隠していた。
「その姿もまた良し。恥じらいがあればさらに良し」
「金髪が月光で光ってすげぇ綺麗だな。……そういや黒ウサギが絶賛してたっけか」
「お前らという奴は……」
呆れた様子のレティシアは、小さな桶に湯を汲み、かけ湯をする。途端、濡れたタオルが肌に張り付き、身体のラインを浮かび上がらせた。
「俺はロリコンじゃねぇ、可愛いものが好きなだけだ」
「そのタオル、意味有るか? あ、それとタオルは湯につけんなよ」
「……分かってるとも」
そう言ってレティシアは湯につかった。適温の心地よい湯に、思わず、はふぅと息が漏れる。
しかし次の瞬間には気を引き締め直し、
「それで十六夜、話というのは?」
「ああ、それなんだが――」
「その前に一ついいか」
十六夜の言葉を遮る鳴。そしてニヤニヤと笑いながら、まるで糾弾するかのように告げた。
「
言葉が消える。鳴の言葉に、二人は何も反論できなかった。
言葉が出ず、何も言い返せない。――図星だった。
「
「…………悪いかよ」
「……正直、今も理解が追いついてない。――いや、半ば拒否しているのかもしれないな。……それくらい、絶望的だ」
鳴の指摘に、一転して表情を曇らせる二人。その姿を見て、鳴はあっけらかんとこう言った。
「――でも、諦めないんだろう?」
「「当たり前だ」」
二人そろって即答する。
この結果に、鳴はいつもとは違う笑みを浮かべた。
「俺好みの答えだ。――いいぜ、十六夜。
「まあな」
十六夜はそう言って、鳴の正面に移動した。ジッと、真剣な顔で見つめる。
「おおっ、なんだなんだ。おねーさん、年甲斐もなく熱くなっちゃ――」
「鳴」
混じりっ気のない、ただただ真剣な声音。それを聞き、鳴の表情も一変した。口元に浮かべていた笑みが消え、場の空気に相応しい凛々しい表情となる。
それを確認し、十六夜は口を開いた。
「鳴、華蓮を救うために知恵を貸してくれ」
「……ん? それなら明るい内に済ませたろ? 何にも決まらなかったじゃん」
「違う。お前の知識と経験なら、あれ以上のものが出せたはずだ。――それが出てこなかったのは、単にあれが、『相談』だったからに過ぎない」
崩れかけた鳴の表情が元に戻る。だが口元には、若干の笑みが浮かんでいた。彼女が抱いている感情、それは――『期待』だった。
そして十六夜は、鳴の期待に十分応える答えを示した。
「『取引』だ、鳴。
お前の望みを叶える。その代わりに、――――その知識を揮ってくれ」
――その瞬間。
鳴の口が、横に
「弁えてんじゃねぇか」