応接間を重苦しい沈黙が支配していた。あの鳴ですら、腕を組み黙り込んでいる。それだけ、話された過去は重い。
『四神』の罪。――その一つ、朱雀の罪を知った。
大火災によって、地続き――ユーラシア大陸及びアフリカ大陸――となっている全ての国と国民を、朱雀は焼き殺した。
朱雀の傷。
長年抱いてきた決意を、何時如何なる時も支えとなっていた柱を、朱雀の原点ともいえる願いを――――手の付けようがない程に穢された瞬間を知った。
あまりにも…………重い。覚悟はしていたが、それでもズンと圧し掛かってくる。
故の無言。十六夜が、鳴が、レティシアが、レイラが、そして――華蓮が、等しく皆言葉を失っていた。
「――ま、とりあえず休憩な。俺喉乾いちゃったよ。メイドさん、紅茶の御代わり貰えるかい?」
そんな状況を打破したのは、やはり鳴だった。こういう時、鳴のマイペースはやはり頼りになる。――流石に今回は意図してのことだろうけれど。
「あ、ああ……」
レティシアが言葉を発し、それを皮切りに再び時間が動き始める。
十六夜はまずレイラの所へ向かった。自らの手で
「大丈夫……じゃなさそうだな。気分はどうだ?」
「思っていたよりは。……でもちょっと……きついです」
そう告げたレイラの身体は小刻みに震えていた。額には脂汗が滲み、呼吸も荒い。『ちょっと』どころの話ではなかった。
どれだけ無理をしていたのか、一瞬で察しがついた。
「――――ありがとう、レイラ」
だからこそ、十六夜は心の底から感謝の言葉を告げた。目の前で震える女の子が感じた痛みを思うと、その言葉は自然と口から出てきた。――――故に、
「
無駄になった、と告げる時は心が痛んだ。
◇◇◇◇◇
「えっ…………」
「重ねて詫びる。俺は初めから、
レイラの喉がヒクッと痙攣した。
嫌な空気が漂い始める。その場のほとんどが、十六夜達二人の方に注目していた。
レイラが、震える唇から言葉を絞り出す。
「なん……で、……そんなこと」
「何故かと問われれば、俺はこう答えるしかない。――――
――空気が。
十六夜のその一言で、決定的に凍り付いた。
レイラの震えが一段と激しくなる。無駄だったと、――自らトラウマを抉ったことに意味は無かったと告げられ、尚且つそれは十六夜の姦計だったのだ。
レイラの頬を涙が伝う。傷ついた少女は、俯き肩を震わせて泣いていた。
鳴は変わらず黙り込んだままだった。だが、その顔から感情が抜け落ちていた。能面の様な、見ているだけで不安感を掻き立てられる――そんな表情。
そして。
レティシアは、十六夜の傍に歩み寄ると、――その胸ぐらをガッとつかみ上げた。低い声で、問う。
「貴様……自分が何をしたのか理解しているのか……⁉」
「ああ、理解している」
「……故意に黙っていたと言ったな、……当然何か考えがあったのだろうな……⁉」
「……無かったよ。考えもなければ、一欠片の計算すら無かったさ」
ギリッと歯が軋む音が鳴った。発生源はレティシア。激情を抑えるために噛みしめていた歯が、そのあまりの強さに悲鳴を上げ始めたのだ。
――それらを全て抑え込み、レティシアは問う。最も重要で、尚且つ根本的な疑問を。
「…………十六夜。
「…………抵抗はあった」
その答えに、胸ぐらを掴む手の力が若干弱まった。
レティシアの顔に安堵の色が映る。――
「
――しかしそれは幻想に過ぎない。レティシアの希望は、脆くも崩れ去っていく。
「抵抗が有ろうと無かろうと、おそらく俺は黙っていたさ。俺は
……俺が何事においても第一に優先するのは華蓮だ。そのために必要ならば、俺はなんだってする。なんだって利用する。それがたとえ敵であっても――――
話は最後まで続かなかった。
ゴガッッッッ‼‼‼ ――轟音が室内に響き渡った。
レティシアが十六夜を殴り飛ばした音だった。
その拳に籠められていた力は、轟音からも分かる通り尋常では無かった。神格を失えど、レティシアは純血の吸血鬼だ。その腕力は高位の幻獣にすら匹敵する。
通常の人間ならば確実に殺せるだけの一撃だった。レティシアはそれを、容赦なく振るった。
「――……なにが『利用する』だっ! 貴様ッ! それで仲間が――レイラがどれだけ傷つこうとも構わないというのかッッッ――――‼‼‼」
壁に叩きつけられ呻く十六夜に向かって、レティシアが激情のままに吠える。
――その声は震えていた。
「見損なったぞ十六夜ッ‼ 貴様はもっと聡明な男だと、――軽薄であろうとも誠実な男だと、……そう思っていた私が間違っていたッ‼‼‼」
その頬を伝うものがあった。
――レティシアは泣いていた。泣きながら、
「っ…………俺だってな、」
ゴホゴホと咳き込みながら身体を起こす十六夜は、不意にポツリと言葉を漏らした。
言いたい放題言われ、反射的に言い返してしまったのかもしれない。殴られた痛みで混乱してたからかもしれない。もっと単純な話、苛立っただけなのかもしれない。――どうでもいい。
理由なんて、どうでもいい。
重要なのはただ一つ。
この
「俺…………だってな…………、」
そして一度開いた穴は直ぐに埋まらない。
そこを起点とし、罅がはいる。亀裂が走る。
「俺だってこんな事したくなかった…………、したくなかったに、決まってるだろうがッ‼」
――決壊する。
溜まりに溜まった感情が、溢れだす――――
「何処の世界に好き好んで仲間傷つける奴がいるんだッ、馬鹿じゃねぇのか‼ ましてレイラを――俺よりも先に、何百年もの間傷つき続けてきた奴を、どうして更に今! 傷つけねぇといけねぇんだ‼‼‼
「……だけど仕方ねぇんだよ! もうこれ以外に良い方法が思いつかねぇんだから‼ なんならお前ら、何かアイデア出してみろよ!
「いくら策を考えても、最後に
「今回もそうだ‼ レイラを傷つけることになろうとも、それが可能性なら潰すしかない! 失敗する未来が見えていたとしてもな‼‼‼」
立ち上がる。両の拳を血が出る程強く握りしめ、その身体を屈辱に震わせながら。
「結局俺の力だけじゃ、華蓮を救うことは出来ねぇんだ……! 俺の力不足のせいで、意味も無くレイラを傷つけたんだッ……‼」
そこまで話して、フッと十六夜の拳から力が抜けた。思いのたけを全て吐き出して気が楽になったのか、それとも我を取り戻したのか。どちらにしろ、十六夜の深奥は既に顔を出している。隠しだても取り繕うことも出来はしない。
手遅れぎみに仮面を被りながら、十六夜は、血の滴る拳を今一度握り込んだ。
「…………俺は手段を択ばない。華蓮を
そう言って。
十六夜は、腰を折り深く頭を下げた。そして、この場にいる皆に告げる。
「頼む。俺に力を、――――
ありったけの自虐と自嘲を内包した、悲痛なまでの姿だった。だがその姿勢には確かな誠意があった。声にだって、隠しきれない必死さが籠っていた。
「都合がいい事も、勝手だという事も理解している。――それでも俺には、もうこの道しかない。俺だけでは救えないんだ、頼む……!」
数秒程の沈黙。
普段の十六夜――ノーネーム所属として、数々のギフトゲームに参加する姿――を知るレティシアにとって、それは目を疑うような光景だった。――いや、実際レティシアは、なにか幻覚でも見させられているのではないかとすら思っていた。
しかし、幻覚ではない。目の前のそれは現実だった。――あのプライドの高い十六夜が、己以外の力に頼ろうとしている。
いや別にレティシアは、十六夜のことを孤高の存在だとは思っていない。実際、これまでにも何度か他者を頼る姿は見ている。しかしそれは決まってギフトゲームなどで人数を欲する時だ。今回の様に、必要に迫られていない状況での要請は初めてなのである。
「――――くはっ、」
レティシアが固まっていると、今まで黙っていた鳴が急に吹き出した。そのまま豪快に笑い声を上げ始める。
そしてそれが終わった時、鳴は目元に涙すら浮かべた状態のまま話し始めた。
「いやすまない。我慢しようと思ってたんだが、結局笑っちまったぜ。まさかお前が頭を下げるとは思わなかったんでよ。そんなに必死になるとは、――そんなにひーちゃんが大切かい?」
片頬を吊り上げ、ニヤッとからかう様な顔をする鳴。十六夜は特に構うことなく、落ち着いた調子で答えた。
「……大切っちゃあ大切だが、それは仲間としての大切だ。アイツだけ特別ってわけじゃねぇ。――俺が必死になってるのは、結局のところ
「自分のため……ねぇ?」
「ああ、自分のためだ。裏無く言葉通りにな」
『自分のため』、という言葉をからかっていた鳴だったが、どうも十六夜の反応が悪い。冗談に乗ってこないどころか、その顔は真剣そのものだ。
こうなると鳴も黙り込む。黙り込んで、考察を始めてしまう。
十六夜の言葉――自分のため、が言葉通りの意味だとするなら、それはいったいどのような状況なのだろう、と。
というわけで。
期せずして沈黙が生まれてしまった。鳴は黙り込んでしまったし、十六夜は十六夜で何か考えている様であったし、レティシアとレイラは展開に着いてこれていない様子だった。
しかし、先ほどの様な重い空気は無かった。十六夜とレティシア、レイラの三人の間にギクシャクしたものがあるのは仕方ないとして、しかし応接間の空気は確実に弛緩し始めていた。
「――――…………ふぁぁぁあああ…………、あ、話終わった?」
大きな欠伸と気の抜けた声。
場の空気を何一つ読んでいないそれによって、平和に近づいていた場が再び凍り付く。
――そして事態は、混沌の極みへと達する。