結果から言えば、サキエルはリツコの誘いを固辞した。彼としては地下都市に興味がないことも無かったのだが、それよりも『リスクが高すぎる』との判断をしたためだ。
流石にホイホイと他人の懐に飛び込んでいくほど彼はアホではないのである。
『しかし、碇司令というのは何というか、怪しいというか……確か、こういう場合は胡散臭いと言うのだったか』
そんな思考をしている彼はエヴァとの二度目の戦闘から一夜開けた現在、水中に沈んでいる。と、言っても海水ではない。ミサトからの提案で、芦ノ湖の水中に潜伏しているのだ。
襲撃の意志もなく、かといって倒せるわけでもないというサキエルの微妙な立ち位置を考えた上で、その巨体を隠すべくミサトが考案したのが『近くの芦ノ湖に取り敢えず隠れる』という対症療法だった。
またの名を、問題の先送りという。
『だがまぁ、淡水も悪くないな』
その気になれば宇宙でも生きていられるサキエルだが、やはり水中は浮力の関係で良い感じに体が軽いのが素晴らしい。まぁ、流石に海水よりは浮力は小さいものの、それでもかなり楽である。
『さて、それよりも』
そう思考に区切りを付けて、サキエルは重要な思考へとシフトする。
『此処までの観察結果から最強に至る方法を考えよう』
まず、第一に彼がヒントとしたのは『人間』である。その特徴は『猿の一種にしては、走るのが速い』ことと、『ある程度器用な手先』だろうか。
『ならば、私に足りないのは……指の数か?』
現状でサキエルの指は三本。これだけでも充分に使えないことはないが、昨日受けた『パンチ』などの攻撃は握り拳が作れ無いサキエルには不可能だ。ならば、可能な攻撃手段は増やしておくに限る。
そう判断した彼は、手の形状を変化させ、人間に近いモノへと変化させる。
この風景を人間が見れば、その出鱈目さに舌を巻くこと必至であろう。そんな急激な変化を可能とする秘密は、使徒の肉体の構造にある。
あらゆる生物の肉体は生命のスープであるLCLを自己認識の壁であるATフィールドで物質として留めて置くことで構成されている。この状態は言うなればペットボトルに入った飲み物だ。LCLが飲み物で、ATフィールドがペットボトルである。
通常、生物は各々が決められたペットボトルに飲み物を入れているわけだ。
此処で、使徒との差違が発生する。使徒は知っての通り、ATフィールドを『自由自在に展開』出来る。サキエルの光の槍や光の矢もATフィールドが変形したモノなのだ。
つまり、使徒はペットボトルの形を好きに変えられるのである。
それが、素早い変身に繋がっているのだ。
『肉体的な改変は今の所この程度に留めておくか。……ともなれば、次はやはり方針の決定だろう。今まで得た情報から、何か考える事は出来ないだろうか?』
そんな考えのもと、サキエルは今までの記憶を漁り始める。
彼が学習したのは、第一にミサイルなどの遠隔兵器。これは、既に光の矢として応用している。
第二に、人間の言語。これもまた、擬似声帯と会話能力として反映済みだ。
第三に、人間の肉体。これは、先程反映した手である。
第四に、どうやら『使徒』という種族名と『サキエル』という個体名がある以上、どうやらサキエルの同類である『使徒』が複数存在するらしい事。これが、ヒントになりそうである。
『……私の同類ということはつまり、私に危害を加えられる連中ということになるな。……排除するのは確定だが、どうせなら何かに使えないだろうか?』
そう考えるサキエル。水中で胡座をかきつつ腕を組み、ウンウンと頭を捻る様はどこか微笑ましい。そうしてしばらく考えていた彼は、煮詰まった思考をいったん整理するべく、身体の緊張を解いて意識を内から外へと向ける。
その眼前でフナの稚魚がブラックバスに喰われるのをボーっと眺めていた彼は、はたと閃いた。
『そうだ、喰えば良い。S2機関は多くあって困るモノでもないし、上手く行けば喰った相手の能力等も取り込めるはずだ。……我ながら、なかなか良い案じゃないか?』
人間が聞けば共食いがどうこうとか言いそうだが、生憎サキエルは他の使徒を同類とは考えても、同種とは認識していない。何しろ先程も述べたように使徒はその姿を自由自在に変化させる。故に、むしろサキエルと同型の使徒が現れる確率の方が低いのだ。
西洋人と東洋人程度の差違ならば誤差の範囲だが、人間とチンパンジーともなれば完全に別種だ。にもかかわらず、使徒の個体差といえば鉱物と生物の差よりもなお広いのだから同種と認識できないのも仕方がないだろう。
コアは全ての使徒に共通ではないか、という者が居るかも知れない。だがそれは『人間には水分が七割含まれている。故に、水分を含んだものは人間である』という証明と同程度の暴論なのだ。
『ふむ、捕食するとなれば、タイミングが重要だな。それに、口も作らなければ』
サキエルは必要に応じて更に身体を変形させる。とは言え外見的には変化は少ない。ただ、仮面の裏側に口を作り出し、それに繋がるように胃袋と腸の機能を合わせたような吸収機関をつけただけである。
その口は水中で生きる生き物を参考にした結果、ヤゴに似た構造になっている。必要に応じて素早く伸ばし、一口齧って素早く引っ込める訳だ。使徒の一部を生きたままサンプリングする事が狙いである。
それを二、三回シャコシャコと出したり引っ込めたりして具合を確かめたサキエルは、ようやく満足したのか今後に関する思考を終了し、陸上から死角になるような水草の中に寝転がる。その状態から指先をにょきっと水面まで伸ばした彼は、飛び交うラジオ波を受信して日課となったラジオ視聴に勤しむことにした。
『今日は落語な気分だな。落語のチャンネルは……』
彼ののんびりとした午後はそうしてゆったりと過ぎ去っていくのであった。