「……成程。シンジ君の予想も分からんではないが……」
休日の芦ノ湖。その畔に居るのはシンジとレイの二人だけ。今日は、トウジは妹の買い物に付き合っており、ケンスケは近くの基地に配備された新型戦車を見に行くとか何とかで遠出をしている。
そんな中で、月曜日の顛末をシンジとレイから聞いたサキエルは若干の苦笑と共にシンジに質問する。
「……シンジ君、レイ君。君達はエヴァの正体を知らないのかね?」
「……エヴァの正体?」
「そうだ。……アレは、倫理に反した、『怪物』と言って差し支えない存在なのだよ。……我々、『使徒』と同じくね。……そして、その真実は、君達の心に傷を負わせる事請け合いだ」
「……そんなに?」
「ああ。だが、同時に、君達には知る権利がある。これは、君達の問題だからね。私が偶々知ったこととはいえ、自己に関する真実を知る権利というのは、あらゆる知的生命に保証されている」
そんな風に言うサキエルの瞳は、骨の仮面に空いた虚ろな穴だ。だが、その奥でぼんやりと輝く光が、サキエルの真剣さをシンジとレイに伝えていた。
バーナード・ショーが「すべての偉大なる真理は、最初は冒涜の言葉として出発する」と語った通り、真実とは劇薬に他ならない。今まで築き上げた価値観、常識、そして世界を叩き壊す悪魔の薬。生まれたばかりの赤子が飲みたくないと泣き喚き、老人が忘却という名の天国に逃げ込む原因であるその薬は、思春期の少年少女にとってはかの有名な『カンタレラ』にも匹敵する毒であると言えよう。
だがしかし、哲学で持って『死』を超越したソクラテスの様に、毒杯を仰いでこそ得られるものもある。
薬も過ぎれば毒となり、毒も微量ならば薬となる。
表裏一体の効能に悩んだ果てに、シンジとレイが下した結論は、ただ一つ。
「……教えて、サキエル」
「……その蛮勇は嫌いではないよ。だが、出来るだけ君達が受け入れられるように話すとなれば、長い話になる。取り敢えず座りたまえ」
その言葉を聞くと同時に、音を遮断するためのATフィールドを展開したサキエル。促されるままに砂浜に腰を下ろした二人を前に、彼は、穏やかに語りかける。
「ではまず、生物について語ろうか。……生物とは、三つの要素に寄って成り立っている。すなわち、魂、血、そしてATフィールドだ」
「……ATフィールドって、使徒とエヴァしか使えないんじゃないの?」
「いや、アレは生きとし生けるもの全てに許された『自我の境界』だ。だが、君達人間や動物、植物は同じ種族の仲間がいるだろう? その仲間の存在が、『自分は一人では無い』と感じさせる。その結果、ATフィールドを構築する『他者との境界』が我々『使徒』より弱い。……私達は『一人ぼっちの種族』だからね」
サキエルの言葉に、二人はおぼろげにその事実を理解する。確かに、人間の中でも所謂『孤高』の域に達した物は他者との間に『見えない壁』を構築する事がままある。オーラ、カリスマと呼ばれるそれがATフィールドなのだとしたら、生まれながらにして『孤高』である事が定められた使徒が強力なATフィールドを展開するのは至極当然だろう。
「さて、生物の大雑把な構造だが、『血』を『ATフィールド』で物質として固定し、其処に『魂』を入れてやれば生物は作れる。そのどれかが欠ければ、出来そこないだな。血が無ければ身体を生み出せず、ATフィールドが無ければ血だまりと化し、魂が無ければ単なるお人形だ。……此処までは良いかね?」
「……何とか。綾波さんは?」
「……私は大丈夫。サッキー、続けて」
「心得た。では、次に『人造人間』の作り方についてだ。……先程の話から、何か思いつかないかね?」
「……血をATフィールドで固めて、魂を入れるんだよね?」
「その通りだ。……此処で、一つ問題がある。血とATフィールドは、人間でもどうにか調達できる。だが、魂を新たに生み出すことは人間のみならず、アダムとリリスですら不可能だ。…………ならば、人造『人間』の魂は、どうやって手に入れる?」
静かに、しかし、重々しく問いかけるサキエルの言葉は、シンジとレイをある結論へと導く。此処まで丁寧に説明されれば気付かない訳が無いその答えは、シンジとレイに『憤り』の感情を生み出すに十分な物だった。
「人間を……生きてる人間を、エヴァにしたっていうの?」
「……そうなるね」
「……父さんが?」
「……そうだろうね。……そして、話はそれだけでは無いのだよ」
むしろ、これまでの話は前置きだと語るサキエル。シンジとレイが落ち着くまで十分程の休憩をはさんでから、彼はより慎重に言葉を投げていく。
「……さて、エヴァに人間の魂が使われているのは理解して貰えたかな?」
「……信じたくないけど」
「……私も」
「そうか。……では、最後の真実の話だ。エヴァに入れられた魂と君達がシンクロできるのは、君達とエヴァの魂が共鳴している、つまり、似通っている事が原因だ。……では、シンジ君、君が最近『似ている』と気になっていたのは、何かな?」
「綾波さんのこと?」
「そうだ。二人は姉弟かもしれないと思える程に、似ている。……では、君達二人が兄弟であるとすれば、その原因は何だろう。……レイ君はどう思う?」
「……碇司令の不倫?」
「それも可能性の一つだね。だが、君達は忘れている事が一つある。……この世の中には、卵子提供、遺伝子提供などのシステムがあるのだよ。よって、父親が同じ、という可能性の他に、母親が同じであるという可能性も考えるべきだ」
サキエルが指摘したシステム。それは、セカンドインパクトによって人類が半減した現在ではそれなりにポピュラーな子供の作り方。ついつい『子供は実の親から生まれる』と考えてしまったシンジだが、実の親と生みの親が異なる場合もあるのだと、今更ながらに気が付いた。
その様子に、下準備の完成を確認したサキエルは、最後の問いを投げる。
「シンジ君、レイ君。……君達が兄弟だとすれば、二人の魂と共鳴する程に似ている魂を持ち、なおかつ女性である人物は、もう、察しがつくのではないかね?」
投げかける問いは一閃の刃の如く思い込みを斬り裂き、混沌とした順序を解体し、そして、一つの答えをもたらした。
あえて、もう一度繰り返そう。――真実とは、即ち、劇薬である。
それは、脳髄の奥底で劇的な反応を起こし、感情を爆発させ、鼓動を加速し、発汗を促し、そして、麻薬から覚めた後の様な脱力を引き起こす。
がくりと身体の芯が砕けたように砂浜に倒れ伏すシンジ。
その口から語られるのは、最後の確認。
「母さんが、エヴァなんだね、サキエル」
その問いに、サキエルは彼が持ち得る全ての誠意を持って回答する。
「ああ、エヴァ初号機は、碇シンジ、綾波レイ、両名の『母親』だよ」
確定した真実を前に、シンジにできるのは、ただ、赤子のように泣きじゃくる事だけ。
そのシンジを優しく抱きしめるレイと、二人を見守るサキエル。
隔離されたATフィールドの中で、シンジは14年分の涙を流し続けた。