機動六課の隊舎が崩壊してからしばらく。もう日も落ちて、辺りが暗くなってからようやく被害の全容が確認できて、地上本部へ持っていくための書類も完成した。
まず、施設の被害。これは施設の真ん中にある柱が一本折れて、爆発の衝撃で崩落した場所以外でも窓ガラスが大量に割れて、モニターも割れた。崩落の余波で電気の配線がアチコチ切れて停電を起こし、自動保存されていなかったデータが壊れた。
次に人の被害。負傷者の人数は全体の割合で言うと二割ほど。崩壊に巻き込まれた者と爆発によって飛散したコンクリや鉄筋の破片で負傷した者。あとは爆発に驚いて階段から落ちたり、転けたりした者が少し。それと、質量兵器運用小隊で撃たれてケガをしたのが少し。死者が三人。
被害総額はそこまで細かく計算していないから正確な値ではないが、復旧に必要な費用は与えられた予算を全て食いつぶしてもまだ足りない。そしてその被害を記した書類をこれから提出しなければならない。
今後のことを考えたら、もう何もかもが嫌になってくる。きっとまた嫌味を言われるだろう。言われるだけで済めばいい、今回の責任を問われれば私は……最悪管理局に居られなくなるかもしれない。いや、もしかするともっと、想像もできないほどひどいことになるかもしれない。失態に次ぐ失態で海からも空からも完全に見放されているだろう、もし投資した分を返せと言われてしまえば、私は返すことができない。嫌なことばかりが頭を過る。
「お客さん、つきましたよ」
思考が一段落したところで、タクシーの運転手から声をかけられる。施設が崩れたときに車も巻き込まれて潰れて車が使えないので、タクシーを呼んで地上本部へ向かっている所だ。もちろん今度はしっかり身元の確認とボディチェック、体のスキャンまでしてあるからあの男が化けているということはない。仮にそうだったとしても護衛にシグナムを連れているので、襲われても叩き潰せる。
「どうも。支払いはカードでええかな」
財布からキャッシュカードを取り出すと、運転手が前から手を伸ばしてそれを受け取る。そしてカードをスキャンして、私に返す。
「はい、ご利用ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
シグナムと共に車を降り、地上本部の施設を見上げる。アインヘリアルが襲撃、破壊されたという話は聞いているが、地上本部までは敵の手は届いていないよう。階段を登り、正面玄関から施設の中に入ると、スカリエッティのアジト攻略のために多くの戦力を派遣しているのが影響しているのか、いつもより警備の人間が少ない。そのおかげで嫌悪を通り越して敵意のこもった視線がいつもよりも少なく、針の筵に石を抱いて座らされるような居心地の悪さが、ただ針の筵に座るだけ位に軽くなっている。それでも居心地が悪いことには変わりないが。
突き刺さる視線を耐えつつ、暴れだしそうなシグナムを制しつつ。窓口に向かう。
「所属とお名前と、身分証を提示してください。それからご用件をどうぞ」
もう何度も顔を合わせて、その度に同じことを聞いてくる窓口の担当。それが彼女の仕事なのだから、私も文句を言わずにいつも通り質問に答え、管理局員である事を示すカードを渡す。
「機動六課の八神です」
「すぐに照合いたします」
彼女は私が渡したカードを機械に通し、その後隣においてあるモニターを見てから一つ頷いてカードを私に返す。
「ご用件をどうぞ、八神二佐」
「被害の報告書を提出しに来ました」
「かしこまりました。中将は今会議で忙しいようなので、代わりにオーリス三佐をお呼びしましょうか」
「……お願いします」
中将も三佐もどちらも苦手だ。中将は私より階級が高いせいで強く出られないし、三佐は階級が低くても中将の娘ということで同じく。おまけに親子揃って人のことを毛嫌いしてくれている。言ってくることがデタラメならまだ歯向かうこともできるけど、責められることのほとんどは私の失敗ということもあって反論するつもりにはならない。特に最近は一つ嫌味を言われる度に、オズワルド准尉のことを持ちだされて、反論する気力が削られていくのだ。
「今お呼びします。しばらくお待ち下さい」
精神的な拷問の時間まで、少しだけ猶予が与えられる。ここで一つ深呼吸をして、心の準備をしておく。それからさっきから黙っている、いや黙らせていると言ったほうが良いシグナムにもう一度釘を差しておく。シグナムのいい所は非常に家族思いなことだが、この場ではそれが逆に仇となる。目の前で私がこっぴどく罵倒されているのを見るのは耐え難いことだろう、それでもし我慢できず暴力を振るったらどうなるか。玉座から一転降下、檻の中へ。ただでさえ犯罪者との境界ギリギリの場所に立っているのにこれ以上はマズイ。
「シグナム、私が何を言われても」
「黙って立っていろ、ですね。わかっています」
「うん。辛いやろけど、我慢してな」
「非難を向けられる主が我慢されるのですから我慢できないはずもありません」
「ありがとな」
「いえ……今のこの状況は、私の責任もありますから」
まあ、それもある。とりあえず冷たいコーヒーを自販機で買い、手近なベンチに座って口につける。昼から何も口にしていないせいで、喉が渇いたし疲れのせいで眠気もする。そのためにコーヒーを選んだ。
「シグナムも飲むか?」
「いえ、私はかまいません」
「そうか」
紙コップに氷と一緒に入っているコーヒーを飲み干した後、氷をボリボリと噛み砕いて、飲み込む。冷たい飲み物はいい、頭も冷える。
コップの中の氷もなくなり、コップをゴミとして捨ててすぐ。またベンチに座ったたところで、エレベータから降りてきたオーリス・ゲイズ三佐と目が合った。彼女はこちらを見るとまっすぐ歩いてきて、すぐ前で立ち止まった。自然、見下ろされる形になる。
「こんばんは、八神二佐。ずいぶんと手酷くやられたらしいですね」
「ははは……否定はできませんよ。事実ですから」
開口一番の皮肉を笑って受け流す。この程度はもう慣れたもので、ボクシングで言うところのジャブくらいなものでしかない。一体次はどんな皮肉が飛び出すのか。ストレートか、ボディか、それともアッパーか。心の準備さえできていればかえって楽しめるようになる……のだが。
「それで、被害の報告書は」
意外なことに、彼女の口から出てきたのは皮肉ではなく報告書の要求。口調は平静を装ってはいるものの、どこか焦っているようにも感じる。スカリエッティのアジト攻略が進んでいないのだろうか。だから私の失態も強く責められず、ジャブ程度で済ませるのか。私も罵倒されて喜ぶような特殊な趣味は持っていないので、それはありがたい。さっさとクリアファイルに入った報告書を手渡す。
「これです」
「……」
私の手から報告書を受け取ると、眼鏡の向こう側の、ただでさえ鋭い目がさらに細く鋭くなり、眼球が動いて文面をざっと眺め始める。
「確かに受け取りました。ではこれは中将に渡しておきます。もう帰ってくださって構いません」
五秒ほどで軽く目を通したようで、紙をファイルにしまったが、皮肉の一つもない。
「帰る前に一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「ジェイル・スカリエッティの拠点攻略はどうなっているのでしょうか。かなりの数の部隊を出したと聞いていますが」
「……」
答えたくないとばかりに目をそらされた。よほど上手くいっていないらしい。まあ、それも仕方がない。高ランク魔導師ですら戦闘機人が複数に大量のガジェット。さらに不利な状況での戦いに慣れきっている危険人物。これで苦戦しないほうがおかしい。
「ここで言うべきことではないですね。それにあなたには関係のないことでしょう? 早く帰って、正確な被害総額を計算してたらどうですか」
「……ええ、そうさせてもらいます。元々ここには書類を持ってきただけですから」
ベンチから立ち上がる。
「スカリエッティのアジト攻略、うまくいくといいですね」
「どうも。そちらも、これ以上死者が増えなければいいですね」
お互いに嫌味を言い合ったところで、互いに背中を向けて離れる。そして入ってきた玄関へ差し掛かったところで、けたたましいブザーと共に赤い回転灯が点灯したので、一度足を止める。
『施設内に戦闘機人らしき侵入者発見! 武装隊員は直ちに配置に付け!』
「……主」
隣から聞こえる声は、まるで獲物を目の前にお預けを食らっている獣の呻き声のよう。首輪に繋がる紐を握っているとわかっていても、怖い。
「勝手に暴れちゃあかんで。ちゃんと許可もらわんとな……まあ、戦闘機人相手ならそう待たんでも出番はあると思うけど」
わざと周りに聞こえるよう、声を潜めずに話す。ここに大した戦力が残っていないのはわかっている。戦闘機人一人でもかなりの脅威となるはず。そこに都合よく強力な魔導師が二人。全滅する前に応援要請が出るだろう。しあkし、それを待っていては獣が紐を食いちぎって暴れだしかねない。まつよりも、自分から動く。エレベーターを待つオーリス三佐の後ろまでゆっくりと歩いていき、そのまま声をかける。
「オーリス・ゲイズ三佐」
「……言いたいことはわかります。私はあなた方の手など借りたくもありませんが、状況が状況です。特別に! 戦闘に加わることを許可します。中将は私が説得しておきますので、行くなら早く行ってください」
「ありがとうございます。シグナム、行くで」
一旦外に出て、夜天の書を起動。そのまま空へと飛び上がり、保管庫へ向かって飛ぶ。施設内の通路を走って行くよりも外から飛んで行く方が早い。ある程度の高さまで上昇したら、そのまま今はまだ誰も到着していない倉庫の前まで降りていく。
「ほんじゃ、名誉回復のお時間といこか」
「ええ。今度こそ我らの敵を打ち倒し、捕らえてみせます」
これほど早く、今までの失態を払拭するまではいかないものの、信用をわずかにでも取り戻せるような事態が起きるとは思ってもいなかった。この上なく好都合だ。しかしそれだけに失敗はできない。