***第38話***
それは、いつかの記憶の、続きの夢だった。
寝室。柔らかい何かが唇に触れて、クラウス・イングヴァルトは薄っすらと目を開ける。寝ている自分に被さるようにしている、焦点が合わない程に近かったその人物の顔がゆっくりと確認出来る距離迄離れる。
『‥‥‥ゆりかごに居る筈!どうやって此処に‥‥‥オリヴィエ!』
寝ている間にキスだけを済ませて退散する予定だったのか、少し頬を染めながらもクラウスが起きた事に戸惑う、目の前のオリヴィエ。
『起きてしまったのですね。‥‥‥ごめんなさい』
『オリヴィエ、僕は‥‥‥!』
上体だけ起こしたクラウスが、目の前のオリヴィエを強く抱き寄せる。
何故か躊躇していたオリヴィエも、やがてクラウスの背中に手を回して、静かに、確りと抱き付く。
『愛しています、クラウス。貴方の事は、決して忘れません。ずっと‥‥‥』
そう囁き、涙を流すオリヴィエの唇に、クラウスの唇が重なる。抱き合って暫くそうしていた二人。やがて唇が離れて、クラウスが語りかける。
『オリヴィエ。もう、何処にも行かないで下さい。愛している。だから‥‥‥』
『駄目、なんです。本当は私だってクラウスと一緒に居たい。けれど、此処には居られない』
ポロポロと涙を流し、『ごめんなさい』と俯くオリヴィエ。と、同時に見たことの無い魔法陣が現れて、彼女は光に包まれ始める。
『オリヴィエ!』
思わず叫んだクラウスに、『ありがとう。私の愛しい人‥‥‥』と言葉を残し、涙に濡れつつも、あの時の同じように笑顔でオリヴィエは消えた。クラウスは唯々、彼女の消えた場所を呆然と眺めていた。
漸く目を覚ましたアインハルト。今まで見た事の無い、クラウスの記憶の夢。
(今のは‥‥‥?初めて見ました)
どうして今になって思い出したのかは良くは分からない。そもそも、『ゆりかご』が健在だった時期にオリヴィエが現れる筈もなく、不可解な記憶。
「アインハルト、起きたの?おはよう」
隣のベッドにその影は既に無く、先に起きて紅茶を口にしているアリシア。アインハルトは先程の夢の内容を思い出し、その顔を真っ紅に染める。
「おっ、おっ、おはようございます」
「どうしたの?顔真っ赤だよ?」
アリシアは顔を近付け、おでこをアインハルトの額に当てる。「熱がある、って訳じゃないみたいだけど。疲れてるのかな?」と心配そうに首を傾げながら覗き込んでくるアリシアに、夢の内容を思い出し、更に真っ赤になる。
「だっ、大丈夫ですからっ!」
慌ててベッドから飛び起き、洗面台へと走る。気持ちを一先ず落ち着かせようと顔を洗う。
(オリヴィエが‥‥‥アリシアさんが‥‥‥キッ、キスして‥‥‥)
思い出して再び紅くなっているアインハルトに、心配して入ってきたアリシアが声をかける。
「アインハルト、本当に大丈夫?」
「アッ、アリシアさん!」
思わず、勢いでアリシアを抱き締めてしまったアインハルト。始めこそ少し驚いたアリシアだったが、慈愛に満ちた笑みでアインハルトを優しく抱き寄せ、その頭を撫でる。
「アリシアさん、私は‥‥‥」
「うん。大丈夫だよ、アインハルト。私は、もう何処へも行かない」
クラウスの辛い記憶でも思い出したのだろうと思ったアリシアは、暫くそのままアインハルトの頭をゆっくりと撫でていた。
「二人共、いいかな?」
雰囲気を察してか、恐る恐る呼び掛けたエイミィ。扉の影からひょこっと顔だけを出し、遠慮がちに呼び掛けている。
「うん、大丈夫」と答え、静かに手を離したアリシアは至って平然としているが、アインハルトはそうはいかない。エイミィに見られて顔は真っ赤。恥ずかしそうに俯いていた。
***
前日にアースラに着いた時は眠っていたアミティエ・フローリアン。体調は万全には遠いものの、今日は起きて彼女に会う事が出来た。アリシアとアインハルトが部屋に入ると、紅いロングヘアーを一つのおさげに纏めた彼女がベッドの上に横たわっていた。
「初めまして。アミティエ・フローリアンと申します。お二人を巻き込んでしまい、すみませんでした」
申し訳無さそうに話す、アミティエ・フローリアン。アインハルトが心配そうに彼女に訊ねる。
「それで、私達は元の時代に帰れるのでしょうか?」
少し俯いて、「私だけでは、難しいです」と答えたアミタは、一度瞳を閉じて、再度開き、顔を上げて続ける。
「私と妹が使ったタイムマシンは、博士が見つけたオーパーツ。今のままでは恐らく、あと一回が限度です。妹と協力出来れば、或いは‥‥‥」
そう答え再び俯くアミタ。彼女だけでは無事に帰れるかどうかは微妙な所らしい。無事に帰るには妹の技術と、それに術式を安定させるだけの大きな力が必要らしい。
「一先ず、その妹さんを保護出来れば、何とかはなるのですね?」
アリシアの問いにもアミタは「100%とはいかなくても、70%位は、何とか」と歯切れの悪い答え。力の方は後で何とかするしかないが、取り敢えずアミタの妹、キリエの保護が先決である。
険しい表情のままで部屋を出たアリシアの後ろから、心配そうな表情で歩くアインハルト。彼女はアリシアの左手を後ろからギュッと握り、立ち止まる。
「アリシアさん。自分だけ犠牲に、なんて考えないで下さいね‥‥‥」
振り返ったアリシアは図星だったようで、大きく瞳を見開き固まったまま。
「アインハルト、私は」
「ゆりかごやイクスの時のように、無事で済む保証は何処にも無いんです。お願いです、アリシアさん。私はもう、貴女を失いたく無いんです」
瞳に涙を溜めて精一杯絞り出したアインハルトの言葉。アリシアは数刻止まって悩んだ末、一言「うん」と静かに頷いた。
***
「クロノ君、それってどういう意味?」
なのはは話を飲み込めていないようで、ポカンとしている。まあ、隣に座るはやてには合点がいったようである。
「成る程な。アリシアちゃんはフェイトちゃんのお姉さんやけど、私らの方がお姉さん、ちゅう訳やね」
「え?え?」と更に混迷を深めるなのはに、クロノがアリシアの渡航証明の画像を見せる。
「こういう事だ、なのは。彼女は今10歳だが、それはこれから13年後の未来の話だ。君達はその頃は22、3歳位だろう?」
漸く納得したなのはが「あ~、そっかぁ」と頷いている更にその隣。フェイトだけは悲しそうに下を向いていた。再会出来たリニスも、やっとの事で分かり合えたプレシアも消えてしまった上に、アリシアすらもこの時代の人間ではない。今にも寂しさと切なさに押し潰されそうなフェイトは、先程から動かず、そのまま。
「フェイトちゃん、プレシアさん達の事は辛いかも知れへんけど、アリシアちゃんとはいつか会えるっちゅう事やんか。元気出して、な?」
「そうだよ、フェイトちゃん。フェイトちゃんは、一人じゃないよ。私や、はやてちゃん、アリサちゃんもすずかちゃんも。クロノ君やリンディさんだって居るんだよ?」
「ありがとう、二人とも」
はやてとなのはの気遣いに、微かに笑みを作って答えるフェイト。それでも矢張り、彼女の心は晴れる事はない。
そんなフェイトの元へと、「失礼、します」と言って入ってきたアリシアとアインハルト。浮かない顔をしていたフェイトに笑顔を向けて、アリシアはその対面に座った。
「クロノ提‥‥‥執務官、私達に手伝って欲しい事って?」
「本来なら自分達だけで解決すべき所なんだが、済まないな、アリシア。実は、ある人物を止めるのを手伝って欲しい」
クロノはモニターを開き、説明を始めた。『マテリアル』と呼ばれる、なのは達とそっくりな3人についてと、『砕け得ぬ闇』について。
「マテリアルは理解したけど、システムU-D?小さい時にフェイトにある程度の事は教えてもらったけど、そんな事件聞いた事ない‥‥‥」
アリシアは初めてフェイトと対面した時に、一通りの流れは教えてもらってはいる。しかしながら、闇の欠片事件や、それに関連する事件の事はまるで聞いていない。何処か違和感を覚えながらも、事件の手伝いには同意する。
そこへ、まだ動くのも辛い筈のアミタが入ってくる。慌ててその身体を支えるアリシア。
「恐らく、アリシアさんの時代の皆さんには記憶封鎖が働いているのでしょう。未来になるべく影響が出ないように、関連する記憶を封鎖する。博士が私達に言っていた事です」
アミタの言葉に少しだけ安堵した一同。彼女の言葉が正しいなら、つまりはアリシアの未来ではこの事件をどうにか解決した、という事だ。
「兎に角、先ずはキリエ・フローリアンの保護。それと、マテリアル達に協力してもらう必要もある。そちらは、僕が交渉に行く。フェイトとなのはは、キリエの保護。はやて達は一先ず、闇の欠片の殲滅を頼む」
一同は別れ、其々散って任務へと向かう。
「気を付けて、フェイト」
「うん。姉さんも」
フェイトの頭を撫でて、先にアインハルトと共に飛び立ったアリシア。
その後ろ姿を見ながら、リインフォースは一人密かに考えていた。
(あの一挙手一投足。それにあの魔力。矢張り、あの子は聖王に似ている‥‥‥)
***
「危なっ!なんなんだよ、この世界は」
《私達の偽者も居るし、小さい八神司令達の偽者も沢山‥‥‥。気を付けて、トーマ!》
闇の欠片との戦闘を繰り返しながら逃亡しているトーマとリリィ。二人は一先ず休める場所を探し、海鳴の海上を低空で移動していた。
新たな覇王の記憶。アインハルトの想いは大きくなるばかりです。
次回漸く、トーマ君とリリィさんのターン!