Dies irae -Seltsam Gesetzwidrig-   作:ととごん

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ChapterⅢ Ein Zeichen der Transzendenz

 ここに吸血鬼の夜は成った。

 月が紅く反転し、闇より深い夜が顕現する。

 これこそが覇道の創造。

 ベイ自身が無敵で不死の吸血鬼であるという法則を満たす異界を形成する超魔術の秘奥。

 ゆえに、この世界では獲物が逃げ切ることは許されない。

 

「な……!」

 

 高速で離脱を試みていたシュピーネは、突如何もない空間に激突した。

 不可視の壁。異界の断絶点であるそこを突破するためには、純度の高い求道で突破するほかない。あるいは単により強力な覇道で塗り替えるという手段もあるが――検討するだけ無駄だろう。シュピーネは形成位階。だからこそ即時撤退を選択した――少なくともベイにはそう見えただろう。

 

「悪いが鬼ごっこもかくれんぼもさせるつもりはねえ。おら構えなシュピーネ。どうにかしたきゃ、俺を殺してみろよ」

 

 声に振り返れば、すぐそこにベイがいた。

 創造の異界は既にベイの腹の中に等しい。ゆえに出るも消えるも自在ということ。

 そして、既にベイの創造の効果は発動されている。

 

「……ッ」

 

 じわじわと、なぶるように生気が削られていく。この現象の答えをシュピーネは知っていた。

 吸精。すなわち削られた生気は悉くベイの糧になっているということだ。 

 

「さあ、どうするよ。ぼさっとつっ立ってたところで結局死んじまうんだぜ? なら足掻けや。どうせなら、俺をコケにした分俺を楽しませてから死ね」

「……なら折角の機会です。ついでに貴方を、ヴァルハラへとお送りして差し上げましょうか」

「ク、ククク、カハハハハハハッ! やれるもんなら、やってみろやァ――!」

 

 哄笑とともに、暴威が放たれた。

 乱れ迫るその杭の群れを、シュピーネは形成した聖遺物を用いていなしてかわす。

 先の再現に近いが、先とは違う手ごたえの重さにシュピーネは顔をしかめた。僅かではあるが彼が減退し、反比例するようにベイが強化されたゆえ。

 加えてベイが創造位階であるのに対して、シュピーネは形成位階。根本的な基礎能力にすら開きがあるというのに、内包している魂の量でも負けている。現状は不利などという次元を遥か超えている。

 それでもシュピーネはベイの攻撃を捌き続けた。徹底した防御と回避。不意打ちのように迫る背後からの一撃でさえ、彼は凌いでみせた。

 そこでふいに、攻撃が止んだ。一分にも満たない攻撃だったというのに、既に周囲の地形が変わっている。

 

「中々やるじゃねえか。じゃあこいつはどう凌ぐ」

 

 四方より迫る無数の杭。小技でどうにもできない程の物量で押し潰せばいいと、ベイは判断したのだろう。確かに単純だが極めて有効な一手。

 だからシュピーネは、唯一不自然なほどに空いている真上へと飛び出した。

 だが超常の使徒である彼らと言えど、空中で自在に動ける者は皆無に等しい。すなわち死地。無論ベイはその隙を狙っているのだろう。まるで剣山のように顔を出す杭の群れが、シュピーネの下方で今か今かと射出される時を待っている。

 しかしシュピーネは条件付きではあるが、空中でも移動することが可能だ。先程のように、支点にワイヤーを巻きつければ――

 

「――――」

 

 ない。気づけば周囲はベイの攻撃の余波で更地へと変じている。結果的に展望台から離脱したことが仇となった。タワーのすぐそばならばまだ話は違ったのだが。

 今なおタワーは視界に映っているものの、やはり遠い。如何に比較的射程の長いシュピーネの聖遺物といえど流石に届く距離ではない。

 打開策を求めて視線をさまよわせると、ふとベイがにやついている姿が見えた。全ては予定通りだと、彼の表情が物語っている。

 だがそんなベイを見て、シュピーネもまた笑った。見つけたのだ。手頃で頑丈な――丁度いいモノが。

 ワルシャワ・ゲットーが空を走る。数瞬後、見事に彼の聖遺物は『それ』を絡めとった。

 

「ほぉう……面白ぇ」

 

 己が左手に巻きついたワイヤーを見つめながら、ベイは感心したように吐息を零す。

 その隙にシュピーネは巧みにワイヤーへと力を込めて、斜め下へと速度を乗せて軌道を変える。

 

「だけどよ、俺がそのまま逃がすとでも思ってんのか」

 

 奇しくその言葉と同時にシュピーネは聖遺物が解いた。

 しかし遅い。銀の尾を引く聖遺物は、主の下へと戻ることなくベイの手中に捕らえられた。

 着地したシュピーネが引き戻そうと力を込めるものの、ぴくりとも彼の聖遺物は動かない。

 

「貧弱だなァ。形成位階っての差し引いても、てめえの力はしょぼすぎるぜ。結局、今の曲芸もその場凌ぎにしかならなかったな。おら、一発かましてやるからこっちこいや――!」

「く、きき……!」

 

 引きよせようと腕を引くベイに対して、力を込めて抵抗するシュピーネ。

 だが結果としてそれが仇となった。強烈な負荷がかかった聖遺物が、鈍い悲鳴を上げて千切れたのだ。

 魂を原動力として駆動させる超魔術エイヴィヒカイトは、聖遺物へのダメージがそのまま術者へと反映される。

 もしこれが単一型の聖遺物ならば、半ばから真っ二つなど致命傷となってもおかしくない。しかしシュピーネの聖遺物は郡体がゆえに、そこまで決定的なダメージは受けなかった。それでもやはりダメージは甚大だったのだろう。がくりと膝を落としたシュピーネを、ベイは冷たく見下ろした。

 

「まあ、こんなとこだろ。順当な結果ってやつだ。けどまあ、ちゃんと抗ったところは評価してやる。だから、一思いにヴァルハラへ逝かせてやるよ」

 

 死の宣告と同時にベイは駆け出した。

 十メートルほどの間合いを一足で詰めた彼は、杭の纏った右腕をシュピーネへと突き出す。

 いかにベイが歴戦の戦士とはいえ、とどめの瞬間――それも圧勝ともなれば気の緩みが生じる。その隙を、シュピーネは容赦なく突いた。

 突如機敏な動きを見せたシュピーネは、軽く体をずらすだけでベイの一撃を回避する。

 そのままカウンターの要領でベイの足を引っ掛けると、若干ながら体勢を崩したベイを救い上げるようにワイヤーを回した。全力で一歩、前へと踏み込む。それによってたわんでいたワイヤーが完全に張り詰めた感触を得たシュピーネは、そのまま背後のベイを全霊を込めて放り投げた。

 弾丸のような速度と軌道でベイが吹き飛ぶ。彼はそのまま遥か先のタワーの壁をぶち抜いた。

 シュピーネはタワーへと歩きながら、ベイに向かって声を通す。

 

「黒円卓の団員大体に共通する欠点ですが――油断慢心が過ぎますよ。曲がりなりにも席を同じくする私を相手に、その態度はいささか傲岸に尽きるというものではありませんかね」

 

 朗々と告げるシュピーネにダメージが残っている様子は見えない。

 既に回復したなどということはありえない。聖遺物へのダメージはすなわち魂へのダメージ。外傷とは違い、容易く治るものではない。

 ならば答えは一つ。そもそもシュピーネはダメージなど受けていないということ。

 

「……成る程、確かにちっとばかしてめえを舐めていたみてえだな。しかしてめえのそいつぁ、マレウスのと同じ仕組みか?」

 

 そのからくりを、瓦礫の中から現れたベイは知っていた。

 すなわち聖遺物のダメージを流す術法。魔術に卓越し群体型の聖遺物を用いる者にのみ使える技術ゆえに、ベイはマレウスしか用いていないと思っていたのだろう。事実、六十年前ならば彼女一人だった。

 だがこの六十年、シュピーネとて何もしなかったわけではない。シャンバラの闘争を生き残るためにも、そんな有用な技術を放置する理由はなかった。

 

「ご明察です。私を殺したければ、この身に渾身を叩き込むしかありませんよ。出来るものでしたらね」

「ク、クク、カハハハハッ! いいぞてめえ。その調子だ。思ったよりずっと楽しませてくれるじゃねえか」

「力はいくらあっても困りませんから。最低でも現存団員程度には抗えなくては、このシャンバラでは生き残ることはできないかと」

「ならもっと抗ってみせろ。まさかそんなちゃちな手品一つでこの俺をどうにかできるなんて思ってるわきゃあねえよな。出し惜しみなんざすんじゃねえ。俺をシラけさせんじゃねえぞ。全部見せて、そして死ね」

 

 確かにベイの言うとおり、このままでは決して勝つことはできない。

 彼が今まで披露した小技の数々は全て殺されにくくするためだけのもの。ベイの創造の影響で彼我の能力差が拡大している以上、シュピーネの聖遺物程度では致命傷を与えるなど夢のまた夢というところだろう。

 だが手立てはある。少なくともベイはそう睨んでいるだろう。おそらく彼はこう考えているはずだ。己の弱点を狙ってくるはずだと。

 ベイには黒円卓の中で唯一、創造発動時限定ではあるものの明確な弱点が存在する。十字架、炎、銀――まさしく吸血鬼の弱点が。

 だからかベイは、これより後の戦闘において極力深追いを行わなかった。加えて人器融合型の特性――慢性的な興奮状態によって、ベイは緻密な攻撃を行うことができない。

 それらの要因が重なった結果、シュピーネはその命を永らえさせることとなった。それから十分の間、彼はベイの攻撃を悉く凌ぎきることに成功したのだ。

 本来一つでも位階に差があれば、こうまで決着が長引くことはありえない。例えそれが最初から反撃を放棄した上で、防御と回避に専念していたとしても。

 とはいえたったそれだけ。シュピーネが行っていることは決着を先延ばししているだけに過ぎず、勝負の趨勢は誰の目から見ても明らかだった。

 

「随分とよく粘るじゃねえか。――それで? どうすんだよ。俺の夜に体力を奪われ続けている以上、そのまま耐えたところでどうせ死ぬ」

 

 加えてベイの創造が常にシュピーネを蝕み続けている。その影響はシュピーネの動きにも現れており、既に数発の杭が彼の身体を掠めていた。

 このまま戦闘が推移すれば、傾き始めた天秤はあっという間に落ちるだろう。シュピーネの、敗北という形で。

 

「……さて、それはどうでしょうね」

 

 息絶え絶え。そんなザマでありながら、シュピーネは不敵な態度を崩さない。

 それを受けて、ベイは深くその顔に愉悦を刻む。

 

「いい目だ。微塵も諦観が混じってねえその目。その勝機があるって面――ああ、闘いってのはこうじゃなくちゃならねえ。だからよ。そろそろ、てめえに付き合うのもおしまいだ。てめえが待ってる『何か』を期待してたんだがよ、もう待てねえ。時間切れだ」

「…………」

 

 そう、シュピーネはある何かを待っている。そうでなければ防戦一方でありながら、勝機を伺わせる表情をするはずがないから。

 それが単純に弱点を狙う隙なのか、第三者の介入なのか、あるいは創造の時間切れなのか。

 どれにせよ何にせよ、もはやシュピーネは数分と持たない。ゆえに動きを鈍らせた彼が、ベイの杭に捉われて終わる可能性が非常に高い。

 それよりはあえて一発勝負に出たほうが面白いだろうと、ベイは吼えた。

 

「だから……出し惜しみがあるなら、これが最後のチャンスだ。オラいくぜェ――!」

 

 放たれるは無数の杭。四方八方から襲うそれは、今度こそ逃げ場が存在しない。

 いや、正確には一箇所だけ空隙がある。正面。シュピーネとベイを結ぶ直線上。だがそこからはベイ自身が、シュピーネへと風をまいて迫ってきている。

 

「さあ出しな。例えてめえの隠し玉がなんだろうと、しっかりきっちり粉々に打ち砕いてやるからよォッ!」

 

 そんなものはありませんよ、とシュピーネは内心で笑う。否、確かにある。ただ彼にはそれを使うつもりがないというだけ。

 だがベイの推測は正しい。シュピーネは確かに待っていた。

 この瞬間を。

 ――己に不可避の絶死が迫る、この時をこそ。

 

「キ、カカ……、ヒ……ッ!」

 

 だがまだ早い。間に合う。間に合ってしまう。打開の手札は今なお切るタイミングを失っていない。

 ゆえに不動。迫り来る死を前に、あえて何もしないという愚挙をシュピーネは選択した。

 極度の緊張と恐怖が、彼の体感時間を果てしなく引き延ばしていく。

 怖い。怖い。怖い。死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 それでもなお、シュピーネは歯を食いしばって動きたくなる衝動を押さえ込んだ。時が揺らぐことなく刻まれていき、打開の是非の天秤があっという間に非の方へと傾いていく。

 

「何だなんもねえのかよ。――じゃあ死ねや」

 

 そしてついに、シュピーネは己の死を幻視した。コマ送りで迫る杭。それが届くまで、時間にしてコンマ一秒もないだろう。

 その刹那。シュピーネを蝕み続けていた恐怖が、ふいに疑念へと変化した。

 己を縛る理外の法へと。己を襲う無数の暴威へと。

 一つ問う。

 何故、己の邪魔をするのかと。

 

 その疑問は次第に彼の過去へと回帰していく。

 あの時も。あの時も。あの時も。あの時も。

 何故、何故己は自由を許されないのか。

 生を謳歌することはそんなにも難しいことなのか。

 それほどまでに傲慢な願いを己は抱いているのだろうか。

 

 そんなはずはない。許せるはずもない。あっていいはずがない。

 その身を焦がすほどに燃え盛る怒りは、彼の思考にある不純物を一つずつ灰に変えていく。

 打算も想定も策略も、目前に迫る死の具現も、己がそれを待ち続けた理由も。

 そしてある一つの念を除いて、残る全てが彼の内で燃え尽きた。

 あるのは唯一つ、渇望のみ。もはやその狂おしいほどの一念を阻むものは何一つ存在せず、瞬く間に彼の全てを満たしていく。

 同時に、ある一つの事象がシュピーネを媒体に顕現されようとしていた。

 それこそがすなわち――

 

「――遍く全て、私に関わるな」

 同時に、ベイの渾身がシュピーネへと直撃した。

 

 

「……何だと?」

 ベイの攻撃は全て命中した。数多の飛杭がシュピーネの全身を。ベイの右腕から伸びた杭が彼の右胸を。

 だがそれだけ。その全てが、シュピーネに触れただけで止まっている。薄皮一枚貫いていることはなく、吸精の効果もまた発動していない。

 さらに手応えも奇妙だった。もしシュピーネが超高硬度と化しているのなら、攻撃のエネルギーは全てベイに跳ね返ってくるはずだ。だがベイの腕には何も伝わってこない。反動も、感触すらも。まるで、全ての運動エネルギーがそこで消失したかのような。

 想定外の状況に思考が白く染まったベイだが、彼の戦士としての経験がその身を後方へと飛び退かせた。シュピーネの様子を注意深く伺う。

「…………」

 その間、シュピーネは微動だにせず直立していた。伏せ気味の顔は前髪で隠されており、表情を伺うこともできない。

 だがふいに、彼は右手で顔を覆った。

「く、キキ」

 シュピーネの口から小さな吐息が零れだす。

 それは徐々に大きくなっていき、明確な笑い声へと変わっていった。

 そして彼はいつしか大きく両手を広げ――

 

「ヒ、ハハ。ハハハハ! ア――ハハハハハハ――ッ!」

 響き渡る大哄笑。

 愉快でたまらないとその表情を愉悦で染めて、シュピーネはつんざくような笑い声を放ち続けた。

「なあオイ、シュピーネ。まさかとは思うがよ……」

 対してベイはどう感情を現せばいいのか、持て余したかのように言葉を零す。

 一度血に酔った彼がこのような態度を見せるのはかなり珍しい。

 だが、珍事というならば今起こった現象こそがまさしくそうだろう。

「ええ、ご明察ですよ。私は今――創造位階に達しました」

 黒円卓に所属するほぼ全てのメンバーが至っている創造位階。その段階に、今ようやくシュピーネは足をかけることができたと語った。

 

「ク、クク。カハッ! ハハハハハハハ――ッ! なんだそりゃあご都合主義にも程があるだろ! てめえはお伽話の英雄様かァ!? んな面じゃねえだろてめえはよ!」

「まあ、まさしくこれこそエイヴィヒカイトの神髄ということでしょう。魂を、意志を力に変える超魔術ゆえ起こった――必然ですよ」

 致命の危機に新たな力に覚醒するというのは、物語では割とポピュラーなパターンだろう。しかしそれでも、そこは必ず理由がある。

 もしシュピーネがただの魔術師だったならば、間違いなく先の場面で絶命していた。

 しかし魂を原動力とする超魔術、エイヴィヒカイトはただの魔術とは一線を画している。その位階が、術者の強烈な意志の発露によって上昇するパターンが極めて多いのだ。無論根本的な器や力量は前提として必要だが。

 そしてあの瞬間、シュピーネは全ての条件を満たしていた。

 ならばいかにそれが都合のいいタイミングに見えようと、起こりうるモノだったと言えるだろう。

「必然! ほざくじゃねえかシュピーネ。だが今のてめえにゃあそれを言う資格がある。よく至った。見たところ、求道か。俺の攻撃を防ぎ――この夜の効果まで無効にするとはな。面白ェ創造だ」

 

 その指摘に、シュピーネは肩をすくめて肯定した。

 

「おや、ばれていましたか」

「気づかねえわきゃねえだろうが。さっきから全く力が流れてこねえんだからよ」

 

 ベイの創造は効果範囲内の対象から例外無しに力を吸収する。

 だというのに、先程まで吸えていたシュピーネの力がぱったりと流れてこなくなったのだ。

 

「……しかしてめえはてっきり弱点を狙っていると思っていたんだがな。予想外もいいとこだぜ」

「余り私を舐めないで頂きたいものですね。私とて超人たる自負と誇り程度は持ち合わせていますとも」

「カハッ! やっぱ今夜のてめえは最高だな。闘り合い甲斐がある。……っつーことで、だ。いい加減再開しようや。こうやってぐだまいてるのもそれはそれで楽しいんだがよ、疼いて疼いてしょうがねえんだ」

「ああ、それなんですがね――」

 興奮して喉を鳴らすベイに、シュピーネは冷たく切り返す。

「もう、終わりですよ」

「あ? そりゃ一体どういう意味――なァ!?」

 不愉快そうに一歩踏み出したベイの動きが、突如止まった。

 彼の動きを阻んだのは、虚空より伸びる数多の鋼糸――ワルシャワ・ゲットー。

 

「んだ、こりゃあ……!」

 ベイは不意をとられたことに驚愕したのではない。

 シュピーネの聖遺物が虚空から現れるはずがないと、彼は目を剥いているのだ。

 何故ならシュピーネの聖遺物の発現形態はベイと同じく人器融合型。聖遺物との親和性が高い反面、基本的に己の肉体を通すことでしか形成できない。

 例外は創造が覇道であること。その場合は覇道の威力範囲において任意形成することができる。

 しかしベイの見たところシュピーネの創造は求道。

 ならば――

 

「まさか……てめえずっと三味線引いてやがったのか」

「ええ、その通りです。私の発現形態は――事象展開型ですよ」

 

 事象展開型。形成物単体の強度や威力が低い代わりに、様々な応用が効くタイプ。

 だがここで驚くべきは、六十年前からこの事実を偽装していたことだろう。

 それはすなわち、彼は当時から黒円卓の面々と事を構えるつもりがあったということなのだから。

「……成る程よーくわかったぜ。完全にしてやられたと言ってやってもいい。だがな、事象展開型ァ? 道理でひ弱な力しか感じねえわけだ。この程度じゃ俺を寸断するどころか、縛り続ける力すらありゃしねえよ」

 

 それは虚勢ではなく純然たる事実。

 シュピーネば創造位階に達したことで確かに基礎能力は上昇した。だがそれでもベイとは圧倒的に地力が違う。

 ましてベイの得意分野たる力比べでは、比較にならない開きが存在している。

 それでも、シュピーネの表情は崩れない。

 

「ですから、終わりと申し上げましたよ」

 

 冷ややか宣言と同時に、シュピーネは鋭く右手を振った。その指先から伸びる銀光は容易くベイを絡め取る。直後、彼の表情が一変した。

「な、ア――こいつは……!?」

 まるでベイの肉体がバターにでも化したかのように、至極あっさりとその糸は彼の体に食い込んだ。既に肉を裂き、その銀を血で赤く染めている。

 だが魂の脈動も、魔術の匂いもその糸からは感じない。

 つまり――

「銀、だと……!?」

「何をそんなに驚いているのですか、ベイ。先程貴方も仰っていたではありませんか。私が、貴方の弱点を狙っていると」

 然り。確かにベイはそれを警戒していた。形成位階の諜報員如きが勝機を見出すならばそれしかないと――先程までは。

 しかしシュピーネが創造に達して状況が変わった。シュピーネの能力と相性次第では、互角以上も十分にありえるのだ。加えてさっきのセリフに、この展開。それはあまりにもベイの好みに適合しすぎていた。

 思う存分闘り合えると。ようやく満足することができると。その誘惑が甘美に過ぎたのだ。ゆえに彼はその警戒を捨て去ってしまった。

 自身の宿業は、こういうときにこそ訪れるとわかっていたのに。

「全く、この私に超人としての誇りなどあるわけないでしょう。度し難いほどの愚かさです。もっとも、私はそれに助けられたわけですがね」

「こ、の……ッ!」

 激昂を糧に、縛糸を千切らんと力を込める。ぎしぎしと悲鳴を上げるワイヤー。もし仮にあと数瞬の猶予さえあれば、その全てを断ち払うことができただろう。

 だがその数瞬こそ、シュピーネが六十年にわたる仕込みによって求めたもの。ゆえに、決してベイの手はシュピーネへと届くことはなかった。

 

Auf wiedersehen(ではさようなら)、ベイ。貴方は私にとって――最高の踏み台でしたよ」

「て、めえ……ッ。シュピーネェェェェェェッ!」

 

 あらんばかりの赫怒と憎悪を乗せた叫び。シュピーネは、その咆哮に右腕を引くことで応じる。

 連動する形で、銀の糸がより深くベイの身を切り裂いていき――あっさりと、彼の肉体は四散した。如何に超人とはいえ、十以上のパーツに分解されては生きていられない。

 闇夜が晴れ、眩い月明かりが周囲を淡く照らす。同時に、タワーのスワスチカが開かれた。

 それを確認したシュピーネは聖遺物を解除して、ベイが消滅した場所へと言葉を残す。

 

「むしろ、感謝して頂きたいものなのですがね。これから貴方は、誰よりも恋焦がれていた場所へと逝けるのですから――」

 

 

            Der L∴D∴O in shamballa ―― 9/13

                 Swastika ―― 4/8

 

        【ChapterⅢ Ein Zeichen der Transzendenz ―― END ――】


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