さぁ、私の元へおいでと言わんばかりに手を前に広げ、セリシア達の帰還を喜んでいた聖母マリアンヌ・ベルファストはセリシアの反応に困った表情を浮かべた。
「どうしたのですか、セリシア。そんな風に他人行儀に私の名を口にして。いつもの様にマリアと呼んでくれないのですか?」
「白々しい。私やアレクシア達がもうローウェン教の信者で無い事など疾うに知っているはずでしょうに。そして我々が何故ここに来たのかも」
一見歓迎している様に見えてその実、マリアンヌの穏やかな瞳の中に裏切り者に対して向けられる冷徹な光が潜んでいることを見抜いたセリシアはマリアンヌの一挙手一投足に最大限の警戒をしつつ慇懃無礼な態度で答える。
「えぇ、もちろん。貴女達がナガトという男に洗脳され操り人形にされている事は知っています。そして元の自分に戻るために私の元へやって来たという事も」
「その認識は間違っています。我々はローウェン教という虚構から目覚め、真に仕えるべき存在を得て自らの意思でカズヤ様を崇拝しているのです。そしてここに来たのは貴女を倒しローウェン教を潰し、ローウェン教との因縁を断ち切るため」
セリシア達が行った一連の出来事やこれまでの棄教行為を知らぬはずが無いのに何故か知らぬ振りをし、あくまでもカズヤに操られているという解釈をするマリアンヌに対しセリシアはピシャリと叩き付けるようにそう言ってのけた。
「あぁ……可哀想に。心を操られ神を冒涜する言葉まで口にさせられるなんて。でも安心なさいセリシア。私が穢れを払い元の貴女へと戻して差し上げますからね」
「……いつまでも無駄話をしている暇は我々にはありません」
自らが知る聖母の真の姿――聖地にいる教皇でさえ恐れ他の追随を許さぬ程の狂信者であり、一度ローウェン教を抜けた裏切り者をありとあらゆる手段を用いて地獄へと送ってきたマリアンヌが、改宗した自分達を再び仲間に迎えようとするはずが無いという事を嫌というほど知っているセリシアは元元々マリアンヌの得物であったウィッパーワンドを構えた。
「セリシア、よく聞きなさい。仮に貴女達が本当に気の迷いでローウェン教を捨ててしまっているのだとしても大丈夫、人は間違いを犯すもの。今ならまだ間に合います。主の言葉に耳を傾け、心からの懺悔をし悔い改めれば再び主の――」
「今まで貴女がしてきた行いを知りながら、その戯れ言を信じろと?」
「……愛弟子だからと言って裏を見せすぎましたか。それではもう致し方ありませんね」
一向に臨戦態勢を解こうとしないセリシアやアデル達を見てため息を吐き肩を落とした直後、マリアンヌの纏うオーラが一変する。
その変わり様はまるで善良な老婆が血に飢えた邪悪な魔女へと一瞬で変貌したかのようであった。
「次期聖母として目を掛けてやった恩も忘れ、最後の慈悲さえも無下にし、性根まで異教徒に成り下がった貴方達など最早害悪。せめてもの救いとして私自らの手で終わらせてあげましょう」
聖母という肩書きが霞んでしまうほどの恐ろしい形相を浮かべたマリアンヌが遂に本性を現す。
「来ます!!」
マリアンヌが懐から抜き放った杖を握った手を掲げるとマリアンヌの周囲に4つの魔方陣が金色の光を放ちながら現れ、次いでその魔方陣の中から4体の魔獣が出現した。
「ほぅ……あれが噂に聞いた聖母様ご自慢の四聖獣か。どいつもこいつも前の世界で戦った魔王軍の幹部連中ぐらいの強さじゃないか?」
召喚されマリアンヌの側に侍る聖竜ホワイトドラゴン・炎狼レッドウルフ・蒼槍ユニコーン・涅鎧ブラックライナサラスの4体の魔獣を目の当たりにして口元をひくつかせたアデルが自らを鼓舞するように軽口を叩く。
「塵も残さず片付けなさい」
「そう簡単にはいきませんよ」
四聖獣をけしかけて来たマリアンヌにそう言いつつセリシアは腰にぶら下げていた魔導書を開きながらウィッパーワンドを掲げ、長々とした不気味な文言を交えた呪文を高速で唱えつつ4つの魔方陣を展開。
そしてアレクシア達が大鎌から対戦車ライフル用弾薬の14.5×114mm弾を放ち、ほんの僅かな時間を稼いでいる間に詠唱を終えると掲げいたウィッパーワンドをバシンッ!!と床に叩き付けた。
と次の瞬間、魔方陣から4体の魔獣が召喚され、今にもセリシア達に牙を剥こうとしていた四聖獣とぶつかり合う。
「これはまさか!?四凶獣!!あぁ、やはり私の目に狂いは無かった……ますますここで殺してしまうのが惜しくなって来ました」
「ハァ、ハァ……」
「なんと!?」
「セリシア!!大丈夫か!?」
セリシアが育て上げ四凶獣と呼ばれる次元にまで至ったバジリスク・ロック鳥・ヒトクイウツボカズラ(モンスターイーター)、バキュームスライムの4体の魔獣を召喚した事にアレクシアは目を見開いて驚き、マリアンヌは歓喜の声を上げた。
その一方で四凶獣を召喚した途端に息も絶え絶えで膝を床に付いたセリシアを心配してアデルが駆け寄る。
「え、えぇ、何とか。魔力を一気に使った反動が来ただけです。しかし、これで戦力を奴に集中する事が出来ます。私とアデル、そして7聖女の9人で掛かればいかに奴とはいえ勝機はありません」
後に怪獣大戦争と兵士達の間で揶揄され語り継がれる戦いが大聖堂の壁を突き破り、外へ飛び出して行った8体の魔獣によって繰り広げられているのを尻目にセリシアは立ち上がり、再びマリアンヌと対峙する。
「全くもって……本当に残念です。才のある貴方をここで始末せねばならないなんて」
「フン。切り札を使ってしまった状態で私達に勝てるとでも?」
切り札の四聖獣を使ってしまったのにも関わらず、未だに余裕を見せるマリアンヌに対し、セリシアが不敵な笑みを浮かべる。
「フフフッ、弟子の魔獣が師匠の魔獣に勝てる訳がないでしょう。あの子達はすぐに帰って来ますよ。しかし、その間は人数的に不利なのは否めませんね。では、こうしましょうか」
そんなセリシアを鼻で笑いつつマリアンヌが踵を返して聖餐台の端にあった燭台を手前に引くとゴゴゴッと礼拝堂の床が揺れ始め聖餐台の近くの7枚の石畳が地下へと沈んで行く
「ッ!?」
「これで人数的な問題も解決です」
そして、沈んだ石畳が再び現れるとそこには7つの人影があった。
「おいおいおい……これは……まさか……」
「……えぇ、そのまさかです。伝え聞く容姿や武具からしてあの者達は歴代の7聖女。しかも全員が過去に名を馳せた序列第1位の聖女ばかりの様ですね。……これは予想外です」
生気が無く薄く濁った虚ろな瞳で武器を手に立ち尽くす人形の如き元聖女達を前にセリシア達は冷や汗を流す。
「死してなお争いの道具として保存されていたのか、哀れな。それにしてもこの状況はマズイぞ」
「……いえ、打つ手が無い訳でも無いです」
「どういう事だ?」
「奴等に勝てるよう、力を底上げすればいいんです。――貴女達、準備はいいですか?」
「「「「「「「ハッ!!」」」」」」」
セリシアの問い掛けに7聖女達は懐のホルスターから銃のような形をした注射器を出しながら答える。
「……あれは?」
「見ていればわかりますよ」
注射器の容器に充填された怪しげな色の液体を目の当たりにし、嫌な予感を感じ取ったアデルが引き吊った顔でセリシアに声を掛ける。
「人の尊厳を踏みにじる貴様なんぞに負けてたまるか!!」
「敵を打ち砕く事こそが我らの至福!!」
「滅私奉公!!」
「敵を滅せよ!!正義は我らにあり!!」
「生に殉じ死に殉じ、主の未来に光を!!」
「この身朽ち果てるまであの方の剣なり!!」
「全てはあの御方の為に!!」
思い思いの言葉を叫んだ直後、7聖女達は自らの首筋に注射器を押し当て、狂気と狂喜に染まった表情で引き金を躊躇う事なく引いた。
それと同時に柔肌を引き裂き体内に侵入した注射針を通って充填されていた圧縮空気でプシュッと押し出された薬液が7聖女の体内へと流れ込む。
「「「「「「「ッツ!!アアアアァァァァッッ!!」」」」」」」
その直後、7人の手から注射器が溢れ落ちると彼女達は一様に全身を仰け反らしながら絹を切り裂くような絶叫を上げる。
また絶叫の最中、彼女達の体内では何かが蠢いているかのようにボコボコと蠢き、更には身体中の血管が浮き上がる。
そして、数秒もしない内にそれらの異常が収まり唐突にガクンと体を弛緩させると彼女達はゆっくりと面をあげ真っ赤に変色した瞳で過去の英雄である聖女の面々を睨む。
外見上の特異的な変化こそ無いものの彼女達の瞳からは正気の光が消え、狂気に満ちた暗い炎だけが灯っており先程までのアレクシア達の面影が消え去り、彼女達はまるで別人になっていた。
「即席で作り上げた人体の強化薬です」
「……大丈夫なのかあれ」
「大丈夫ですよ。……多分」
「多分って……」
「それに彼女達だけに犠牲を払わせるつもりはありません」
「――ッ!?待てセリシア!!」
その言葉と共にセリシアは自らの懐から7聖女達が打った薬液よりも数段ヤバそうな液体が充填された注射器を取り出し、アデルが止める間も無く自らの首筋に打ち込んだ。
「グッ……ガッ、ギッ!!」
「セ、セリシア!?」
途端に7聖女達と同じ様に目を見開き戦慄くと弓なりに背筋をそらせてで身をよじり苦しみ出すセリシア。
しかし、7聖女達とは違い足が人外のモノとなり、頭部から生えて突き出た獣耳が被っていたローブを落とし、セリシアの髪を露にする。
「セリシア、その姿は一体……」
「ハァ……ハァ……き、希少種族である銀狼族のDNAを元に作った獣人化薬です」
「獣人化薬?またとんでもないモノを。体に問題はないんだろうな」
「えぇ、大丈夫(多少後遺症が残るぐらい)です」
「……戦いが終わったらすぐにカズヤの所に連れていくからな」
「う!?そ、その必要はありませんよ、アデル!!」
言葉の裏を読み取ったアデルにそう言われ、アワアワと慌てるセリシアであった。
「おぞましいおぞましいおぞましいおぞましいおぞましいおぞましいぃいい!!主の御前に穢らわしい下等生物が!!セリシア!!貴女はなんたる不忠、なんたる無礼を!!貴女の価値など最早ありません!!すぐに排除します!!」
そんなやり取りを交わすセリシア達を前にマリアンヌは突然怒声を上げ怒り狂っていた。
「何であいつはあんなにヒステリックになっているんだ?」
「えー。それは神話の戦争においてローウェンに唯一傷を負わせたのが銀狼族だからです。故にローウェン教で銀狼族は最も不浄な者達とされていますからあの反応は当然でしょう。ま、とにかく。これで戦力差はおおよそ五分と五分」
「よし!!それじゃあ、一暴れしますか」
「えぇ、我が忠誠を世に知らしめるためにも。そしてカズヤ様のために!!」
そうして自らの信じるモノのために狂った者達同士の戦いが始まった。