蜘蛛の男の自由気ままな物語   作:黒豆博士

23 / 25
第二十三話 イッツ・ザ・ファーストコンタクト

 膨大なオーラを内包する二つの巨大な光球が、内に立つ男ごと氷の城を呑み込んだ。

 暴風が荒れ狂い、地が抉られ、大樹が吹き飛び、森が揺れる。空気が激震した。光球を中心として同心円状に波紋が広がり、景色が歪んで、夜空に浮かぶ満月が水面の木の葉のようにたゆたう。

 ――光球が収縮し消滅したあとに残った、削り取られたようなすり鉢状の地面が、その威力を証明していた。

 竜巻に巻き上げられたかのように大量の砂塵が夜闇を舞い、濃密な土煙が立ち込める。背後のつららの追跡が止まり、立ち止まったゼノが目を細めた。

 爆心地こそ視認できないが、これで死なないまでもかなりのダメージを与えることに成功しただろう。己の城のせいで外に出ること叶わず、龍の爆撃によって動きを封じられた男が、今の光球を回避できたとは到底思えない。男が残りの手札を切る前に、決着は着いたのだ。

 ――油断なく構えるゼノの、そんな刹那の思考が、その後の反応を鈍らせた。

 どひゅん! と。立ち込める土煙を割き、大気の壁をぶち破って、音を置き去りにした氷の鋭槍が一直線に闇の中を突っ走る。

 

「な、――――――――ッ!!」

 

 僅かに目を見開き、ほんの一瞬遅れただけで即座に横に身を投げたゼノの反応速度は賞賛に値すべきものだ。――しかし氷の長槍は、避けきれなかったその右手を易々と貫き、容赦なく分断した。

 男の居場所、その状態を、“円”で探るなりしていれば、この結末を回避することができただろう。実際、普段のゼノならば間髪いれずに円を展開していたはずだ。――ほんの刹那の油断、これで終わったという、自分たちの技に揺るぎない自信を持つ強者だからこその油断が、この結果を招いたのだ。

 

 くるくると回転しながら切断されたゼノの右手が宙を舞う。裂かれた肘から血がどぱっと溢れ出した。放物線を描いて落下した腕が地面に当たってバウンドすると同時、横っ飛びに跳んだゼノが着地する。右手の肘を抑えてすかさず飛び退るゼノの顎から汗が流れ落ち、地面に吸い込まれて消えた。オーラを集めて即座に止血を実行、刹那のうちに流れ出る血を止め、強引に肉体の中で循環させる。

 シルバがゼノに習って爆心地から距離を取ると同時、煙が一気に吹き飛んだ。荒風が暴れ狂う。何秒もかけず、立ち込めていた土煙が完全に晴れる。

 

 

「――知ってたか。死神ってのはさ、死なねぇんだぜ?」

 

 

 そこには無傷の男がいた。笑ったままの男がいた。

 

 クレーターの中から黒衣の男が姿を現し、コートの裾を揺らしながら歩き出した。その顔に不敵で無敵で不遜な笑みを浮かべて。楽しげに愉しげに薄く薄く酷薄な笑みを浮かべて。

 その肉体に、傷はない。

 

「ちっちっち、んな驚いちゃあいけねぇよ。俺が死んでねぇ理由は至極単純、俺が“死神”だからさ。――そう言われれば、納得できるだろう?」

 

 目を閉じて夜の森の空気を深く吸い込み、大仰に両手を広げた男が訳の分からない理論を語る。言ってることの半分も理解することができないが、悪態をつく余裕は最大級の警戒態勢に入ったゼノとシルバにはない。微風が吹き込み、戦場に沈黙がおりた。まったく反応を示さないゼノとシルバに男が目を開けた。――ゼノの断たれた右腕を見ると、決まり悪そうに乱暴に頭を掻く。

 

「…………あー、やっちまったか……。悪いなジイさん、当てるつもりはなかったんだ。まさか腕吹っ飛ばしちまうとは……俺もまだまだ未熟者、ってことか」

 

 本当に申し訳なさそうな男の態度に、ゼノとシルバが僅かに目を見開いて驚愕を露にする。暗殺者として幾十年も腕を磨き仕事をこなし続けてきた二人の猛者だからこそ、男の謝罪に嘘が混じっていないことを直感的に察知していた。言うなればただの勘でしかないその感覚に、疑いを持てなくなるくらいには、男の言葉には誠意が込められすぎていた。

 なおもバツが悪そうに頭を掻く男がしばし考え込むような素振りを見せる。その間でさえその身には一切の隙が見当たらなく、ゼノとシルバは内心で更なる驚愕を覚えていた。――明らかに、先程までとは別人だ。

 数秒して男が顔を上げ、右手を何かを掴んでいるかのような形に変えた。瞬間、男の手の中の空間が歪み、虚空から何か筒のようなものが現れる。――容量五〇〇ミリリットルほどと思われる、何の変哲もない銀色の魔法瓶だった。

 ガシャン! と、突如、地面から突き出した細長い氷の槍が男の脇に屹立する。一八〇はあるだろう男の背丈とほぼ同じ長さだ。

 男が直立姿勢のまま片腕を振りかぶった。――瞬間、莫大なオーラが男の拳に集中し、夜闇を引き裂いて氷の柱のど真ん中を撃ち抜いた。

 ドグアッッ!! と。まるでコンクリートでも粉砕したかのような、直径十センチに満たない氷の柱を殴った音とはとうてい思えない鈍い破砕音が響く。ぶち折られた氷の棒の半身がくるくると回転しながら宙を舞い、まるで狙ったみたいに突き上げられた男の片手にすとんと収まった。

 

「……“――――――”」

 

 男の唇が何かの音を紡ぐ。おそらくはイメージ固定化のための能力名発声……しかし眼前に立つ男ほどの強者ですらわざわざそんなことをしなければならない能力とは一体どれほどのものなのか、それは想像もつかない。思考がゼノの脳内をよぎったとき、男が頭上で握った氷の棒を魔法瓶目掛けて勢いよく振り下ろした。――蓋が閉じられたままだったはずの魔法瓶にぶち当たると同時、明らかに長さが上回っていた氷槍がその中に飲み込まれた。

 刹那、殺人的なまでのオーラが辺りを満たす。

 まるで肉体にかかる重力が突如として何倍にもなったかのような錯覚。空気中の酸素が残らず消し尽くされてしまったかのような幻覚。並の者ならばその場に立っただけで絶命するであろう空間。熟練の暗殺者二人が警戒を強める。密度を増した不可視の激流が男を中心に渦巻いた。

 ――戦場を覆い尽くしたオーラの塊が男の手に握られている魔法瓶に収束し、泥のようにゼノとシルバにまとわりついていた重圧が霧散した。

 

「吹っ飛んだ腕を傷口に押し当てて、そこにこれをかけな」

 

 男が魔法瓶をシルバに放った。警戒を崩さぬままシルバの片手が閃き、魔法瓶をキャッチする。片手の指だけで器用に蓋を開けた。片目だけを使って中身を確認する。――不気味なほどに透明な、澄んだ液体が満ちていた。

 

「毒なんかじゃねーから安心しな。俺がここでわざわざ毒使ってあんたを殺す理由なんざねーしよ」

 

 片腕を失った代償は重い。

 たとえ歴戦の古兵であろうと、痛みを無視することはできても、戦闘力の低下を免れることはできない。ほんの一瞬の油断が招いた結果とはいえ、片腕を失ったことは事実なのだ。腕が二本のままならば男と渡り合うことも難しいことではなかったはずだ。それどころか命をとることすら不可能ではなかっただろう。男の能力が未知であるとは言え、それは相手も同じなのだから。しかし――未だ無傷であり、その上ゼノとシルバ二人を相手に互角以上に渡り合う男を前に、片腕を失った代償は重すぎた。

 無傷の男を前にして、ゼノとシルバの勝率はぐっと落ちたのだ。

 もしも男が最初に言った『お茶したい』だの『友人作り』だのというふざけた目的を捨てて――というか最初からブラフだと考えるのが妥当なのだが――ゼノとシルバを本気で殺しにかかってきた場合、今の状態で凌ぎきれるとは考えにくい。男の言葉は真実逃れようのない事実なのだ。男にわざわざ毒を使って遠まわしにゼノを殺す理由などない。そうするくらいならば、そのまま殺しにかかってきたほうがはるかに簡単で手っ取り早いのだから。

 応援を要請することはできない。ゼノとシルバが侵入者の迎撃に打って出る前、迎撃に回した執事の尽くが易々と突破されてしまい、そのうえ敵の正確な数を把握できなかっため、他の執事は全員屋敷の防衛に回してしまっている。一応、少数精鋭として出撃したゼノとシルバが指定時間内に戻ってこなかった場合、即座に防衛から迎撃にシフトするようゴトー及びツボネを筆頭とした数名の執事に命じてあるものの、その時間まではまだかなりある。携帯機器によって連絡することは、戦闘開始時と違って全力の警戒態勢に入ってしまったらしい男の前では不可能だろう。よって増援は期待するだけ無駄だ。

 

 ――その事実を再確認した上で、しかしゼノは動かない。男の言葉に従うそぶりなど、欠片も見せない。

 その鷹の如き鋭い眼光は、真っ直ぐに男を射貫いたままだ。

 

「それでも毒である可能性を捨てることができない以上、戦力が回復する『かも』しれない未知の賭けに出るよりは、たとえ低かろうと勝てる可能性のある方を選ぶ………熟練者らしい判断だぜ、ったく。――……仕方ねぇ……」

 

 まるでゼノの心中を見透かしたかのように、手負いの暗殺者が動かない理由を即座に見抜いた男は、感服したようにため息をつき、降参といった風に両手を上げた。

 しかし男はすぐさまばっと顔を上げ、ゼノとシルバを爛々と光る瞳で見据え、ニカッと笑い――その名を呼んだ。

 

「―――マチ!」

 

 

 音もなく、その女は夜闇に覆われた戦場に降り立った。

 闇よりも黒い男の右隣、背後から淡い満月の光を浴びて、濡れたように艶やかな桜色の髪が幻想的に揺れる。

 身長は傍らの男よりも二〇センチほど低いだろうか。忍者のような短めの和服に身を包んでいる。すっと通った鼻梁にネコ科めいた大きな瞳と絶世の美女であるが、華奢な印象を与えるすらりとした体躯のせいか美少女といったほうがしっくりくる。美貌を引き立てる桃色の髪をポニーテールにしており、勝気そうな雰囲気に拍車をかけていた。左手の甲に付けられている針刺しがやけに目についた。

 熟練の暗殺者たちは即座に見抜いた。――身のこなしからして、明らかに只者ではない。

 凛とした、隣に立つことに慣れている雰囲気……長年連れ添った仕事仲間、といったところか。全幅の信頼を置き合っているかのような立ち位置……おそらくは大分連携に長けている。一年二年ではきかない年数を過ごしているだろう。五年か、十年か、あるいはそれ以上か。

 そして何より戦慄すべきは、ゼノとシルバをもってしても、これまでその存在を察知することができなかったということ。

 それは紛れもない強者の証。化け物である証明。

 

「さて、見ての通り俺らは戦力増強したわけだが……これで、あんたらの勝ち目はどうなったかな?」

 

 皆無に等しい。

 意地の悪い質問じゃの、とゼノは内心で毒づいた。どう見ても勝率は0%だ。かたや手負いを抱え、かたやノーダメージな上に手の内は完全に未知の領域。いかにゼノとシルバが化け物であろうと、敵もまた同じ化け物である以上、勝てる確率は無いと言っていいだろう。

 

「……フン」

 

 苛立たしげにゼノが鼻を鳴らし、投げられた魔法瓶を受け取った。飛び退って吹き飛ばされた腕を拾い、傷口へ押し当て――魔法瓶の中身を躊躇いなくぶちまける。

 

 その現象は、まさに奇跡としか言い様がなかった。

 そして同時に、まったくもって異常で異質で異様で異端だった。

 

 五百ミリリットルの謎の液体が、ゼノの剥き出しの肉に付着した途端吸い込まれて消える。直後、ぼこっと肉が盛り上がった。隆起した肉が触手のように蠢いてその長さを伸ばしていき、ただの肉の塊と化していたはずの腕と接合する。中心でなんと骨すらも伸長した。セットされる装機のごとく、ガシャンという擬音がつきそうな動きで骨と骨がくっつく。筋肉がその周りを覆い、さらにその周りを最初に接合された肉の柱がカーテンを広げたみたいに覆い尽くす。浮かび上がるかのように肌も出来た。――たった十秒足らずで、なんの変哲もない液体をただかけただけで、分断された腕が修復されたのだ。

 そこに切断跡は見当たらない。完璧に修繕されている。試しに曲げたり伸ばしたり捻ったり振ったりしてみた。何ら問題ない。――背筋に寒気が走るほど、衝撃的な現実だった。

 あまりの衝撃に目を見開くゼノとシルバを前に、奇跡を創り出した男は平然としながら言った。

 

「治ったな……ふぅ、疲れたぜ。――で、どうかな? 俺の話、聞く気になったか? 聞く気になるまで、また戦ってもいいけど」

 

 それでは繰り返しになるだけだ。

 この状況を覆せるかと問われれば否とゼノとシルバは答えるだろう。男一人だったならば戦闘の続行という選択をしていたかもしれないが、手の内をある程度知られてしまった未知なる敵を相手にして、話を聞くか戦闘をするかの選択を迫られればどちらを取ればいいのか。

 話を聞く、という選択肢の方が、はるかにリスクが低いのが事実だった。

 

「……目的を言え、侵入者」

「あんたらに、俺と友人になってもらいたい。今だけの話じゃねぇ、互いに家に招いて招かれるような、長い付き合いを前提にした関係だ。――そのためにも、一度お話してーな」

 

 最初と違い、シルバの問いに男は明確に答えた。

 ゼノとシルバは数瞬考える。リターンとリスクを。男の性質を。これまでの男の言動・行動から導き出される全てを考慮し―――彼らは答えた。

 

「いいだろう。日を改め、正式な入り方をした上で、俺たちの屋敷を訪ねて来い。俺たちはお前を最大級の罠と攻撃で出迎えてやる」

「―――――オーケー、交渉成立だ」

 

 

 

 これが男――ニードとゾルディック家の最初の邂逅。初めての出会い。

 男と暗殺者たちはその後親交を深め合い、密接に関わり合う間柄となっていく。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。