蜘蛛の男の自由気ままな物語   作:黒豆博士

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第二十一話 顕現する紅紫色の龍

 暗闇の中、シルバが動いた。

 爆発のような踏み込み。派手に地面が弾けると同時、姿が掻き消えた。直後、十数メートルの間隙をたったの一歩で瞬時に踏破し、男の目の前に音もなく現れる。

 流れるような動作で右拳が放たれた。

 寸分の狂い無く、銃弾よりも速い拳が唸りを上げて男の顔面に迫る。並の使い手ならば掠っただけで致命傷になりかねないほど重く疾い一撃。文句なしの初撃。だが、侵入者の男は首を傾け紙一重で躱した。

 空を切る右腕が瞬時に引き抜かれ、タイムラグ無しで左の手刀が男の首筋向かって繰り出される。上半身を反らして躱された。

 虚空を薙ぐ手刀をそのまま振り切り、その慣性力に抗わず、連動して後ろ回し蹴りを放った。バックステップで回避される。体勢を整え、シルバも即座に跳躍した。

 ――男の背後にゼノが現れる。

 瞬間的にオーラを拳に集め、渾身の右ストレートが男の背中目掛けて射出される。不安定な姿勢のまま強引に地面を蹴りつけ、男が再び跳んだ。男の残像を豪腕が撃ち抜く。半円を描くように男の姿が宙を舞った。純黒のコートがたなびく。目測で判断するに、着地地点は戦場の端の大樹の幹だ。素早くシルバが反応した。音もなく大樹を駆け上がり、飛んでくる男目掛けて跳躍する。

 宙を舞う男の真上から、対物ライフルに匹敵する威力を秘めた剛拳が振り抜かれる。男が初めて防御の姿勢を取った。胴体を庇う腕ごと男の体を吹き飛ばす。男の腕がぎしりと軋む感触がした。ズドンッ!! と男が地面に叩きつけられ、地面に幾本もの亀裂が走った。猛烈な勢いで叩きつけられた衝撃で、冗談みたいに地面がへこむ。

 まるで予知していたかのように無駄のない動きでゼノが夜闇の中から現れる。空気を切り裂き凄まじい速度で踵が落とされた。直撃する寸前、男が横に転がって逃れる。

 振り下ろされた右の踵が地面を粉砕した。

 元々の平べったさが嘘みたいに亀裂の侵攻が進む。衝撃で砂塵が舞った。半ばまで地面にめり込んでいる踵にさらに力を加える。常人ならば有りうべからざることに、踵だけに全体重を預け、全身を浮かした。勢いよく宙で体が前転する。

 連動してもう一度右の踵を落とした。

 夜闇に真円が描かれた。夜闇に溶け込む音無き風車となって、ゼノの剛脚が吸い込まれるように男の鳩尾目掛けて疾駆する。仰向けに転がる男が両手で顔の横の地面を掴んだ。その口元が不敵に弧を描くと同時、男の体が猛烈な勢いで跳ね上がる。びゅあっと風が切れる音がした。跳ね上がる肉体と振り下ろされる剛脚が激突する――直前、男が器用に宙で体を捻った。滑るような動きでゼノの剛脚をすり抜ける。正真正銘の紙一重が成立する。男が再び宙を舞った。

 空を切るゼノの踵落としが炸裂し、固い地面にヒビを入れる。砂粒が弾け飛び、爆ぜた地面の欠片がぴしぴしと足首を打った。

 鳥のように軽やかに宙を舞う男目掛けて、空中の闇から姿を現したシルバの右拳が撃ち出される。体の前に回された両手ごと男の体が吹き飛んだ。手応えはない。軽く受け流され、それによって生じた力を利用して距離を取られたのだ。

 男は遠くの大樹の真ん前まで吹っ飛ぶと、気障な動作でくるりと一回転し、枝を蹴って樹上に立った。

 真円の満月を背負い、男が大仰な仕草で両手を広げる。純黒のコートが微風にたなびく。ばさり、と蝙蝠が羽ばたいたような音がした。不敵に不遜にニヤリと笑い、男が悠然と口を開いた。

 

「やー、参ったぜ。強ぇ強ぇ、堪らなく強ぇなあんたら。手ェ抜く暇が全然ねーぜ」

 

 飄々と嘯く男を剣呑に睨みつけ、油断なく構えるゼノが即座に反駁した。

 

「嘘こけ、んな余裕綽々に言われても嫌味にしか聞こえんわい。お前さん、殺気はあっても殺す気はねーだろが」

「あ、バレてた? うーん、正直な感想なんだけどなぁ。やっぱ信じてもらえないか。……そっちのあんたにもらった一撃なんて、かなり効いたんだけど? 腕、軋んだし」

 

 正三角の位置を保ちながら目を凝らして男の隙を探るシルバを指差し、男がへらりと笑った。狼のような鋭い双眸を細め、シルバが静かに声を発する。

 

「あれは衝撃を外に逃がしつつ意図的に骨を軋ませ、相手にダメージを与えたと誤認させる防御術のひとつだ。俺たち殺し屋も常用するからすぐにわかった。……俺たちとは違って、大分荒削りだったがな。誰かのを目で盗んで、実践の中で無理矢理に型を覚えたのか」

「御名答。ちぇっ、さすがに本業にゃバレバレか。これまでは結構通用してきたんだけどな」

 

 悔しげな言葉とは裏腹に、男の顔には心底楽しげな笑みが張り付いている。新しい玩具を見つけた童子のような、無邪気で獰猛な笑みだ。

 くつくつと笑う男を視線で射貫き、シルバが吐息とともに付け加えた。

 

「――それに、傷一つないその姿を見れば、効いたかどうかなど一目で判断できるだろう」

 

 男は無傷だった。

 その身にまとう純黒のコートやズボンにこそ汚れがいくつも見当たるものの、男の肉体に傷と呼べるようなものは一つもなく、立ち振る舞いにもそれらしい様子は見受けられない。重心や体幹にも何ら問題はないらしく、堂々と飄々と悠々と立つ男を見るに、男がノーダメージなのは明白だった。

 心底面白そうに男がけらけらと笑う。神経を逆なでするような悪意などは込められていない、純粋にこの状況を楽しんでいる笑い声だ。

 

「それもそうか。……んじゃ、そろそろ俺のターンだぜ」

 

 つぶやくと、男は左手をゼノたちに向けてきた。

 不敵に不遜に獰猛に笑い、男は満月を背負いながら静かな口調で言い放つ。

 

 

「――さて、殺す気全開全力発揮といきますか」

 

 

 直後――ゼノとシルバの足元から、白銀の槍が飛び出した。

 

 

 飛び退ると同時、ゼノとシルバは別方向に駆け出した。

 闇が溶けて後方へ流れていく。切り裂かれる夜風が頬を撫でていく。地を蹴り、この葉を揺らし、樹木の幹に足跡を刻み、円形の戦場の縁をなぞるように駆ける。疾風の如き、まさに人外の走力で。

 二人同時に、ちらと背後を振り返った。跳ね返された満月の光が瞳を刺す。――水晶のような美しさを誇る白銀の氷槍が、二人の後を追いかけてきていた。

 氷柱(つらら)だ。

 直径は五〇センチほどか。先端が恐ろしく鋭利に尖っている。天を衝こうとしているかのごとく、雄々しく地面から突き出ているその氷槍が、無数に連なりながら二人の肉体をまっぷたつに貫かんと追跡してくるのだ。

 一瞬前まで二人が踏んでいた位置から正確に突き出てくる氷槍を背に、疾駆しながらゼノとシルバは思考を巡らせる。

 男の念の詳細自体はすぐに推測できた。

 まず、実体化しているところからほぼ間違いなく具現化系に属する能力だ。ゼノの能力をはじめ、変化系でも物理的な効果を持つまでにオーラを圧縮させるものもあるにはあるが、状況を見る限りその線は限りなく薄い。その場合はオーラを体から完全に離すと形態を保つ力が著しく低下するうえ、威力も比べ物にならないため、肉体と完全に別離していて尚完璧な形を保っているこの能力は具現化系と考えるのが妥当だ。

 そして具現化しているのは見ての通り『氷』。『氷柱』を具現化しているのか『氷のブロック』を具現化し接合して氷柱を作り出しているのかはわからないが、どちらであろうと具現化しているのが氷であることに間違いはない。

 さらに氷槍の連撃の精度、異常なまでの正確性と、突き出る速さから見て、この氷柱は“円”で敵を感知した瞬間にその位置に突き出されているようだった。

 確認してみた限り、具現化系によくある麻痺毒などは仕込まれていない。しかし、厄介な付加効果がないのは幸いだが、だからと言ってこの能力自体が厄介でないということではない。敵の感知可能領域にいる限りこの氷槍はいつまでも繰り出されるだろうし、硬度も洒落にならないほど高い。投げた暗器は跳ね返され、放った念弾は当たった瞬間傷一つ与えることすら叶わず四散した。

 連撃の餌食とならないためには、超速で逃げ回るか、敵の円から離れるしかないだろう。

 ――そこまで思考したところで、ゼノとシルバが戦場を一周し、顔を突き合わせた。互いの背後を追ってくる白銀の槍を確認し、両者とも鋭角に走る軌道を変える。シルバが暗い森の中へ、ゼノが悠々と立つ敵の方向へ。

 人の身でありながら己が肉体を大型トラックの如き威容に見せるほどのプレッシャーを放ち、凄まじい速さで駆けるゼノを前に、男が気負いのない動作で両手を広げる。一秒が何十何百にも分割されたその空間の中で、そのゆっくりとした動作はやけに目についた。

 くいっ、と。手首から先が、最小限の動作で跳ね上げられる。その小さな動きに反応し――

 

 ――瞬時に即座に唐突に、変化は男の周囲に現れた。

 

 男を正方形に囲み、五メートルほど離れた位置から恐ろしい速さで何十本もの氷槍がせり上がる。杭打ち機から打ち出される杭のごとく、一斉に遥か上方まで突き出した。森の大樹に迫るその巨大さたるや、ゼノとシルバを追尾していたものとは比べ物にならない。

 神殿の柱のように並び立つ巨大な氷槍の出現と同時、既に男の半径十メートル以内まで侵入していたゼノが横に大きく跳んだ。巨大なる氷製の格子の間隙は五〇センチもなく、到底駆け抜けることが可能なほどの広さではない。

 片足で地面を踏みしめ、今度は背後に跳躍する。すかさず走り出した。巨大な氷槍の周囲を旋回しながら、だんだんと距離をとっていく。氷槍に変化はない。神々しき無数の白銀の柱は沈黙して佇んでいるままだ。――だというのに放たれる強烈な存在感が、ゼノに無理やり踏み込むという選択を躊躇させた。

 ……両手を広げた姿勢で、俯き気味の顔に薄ら笑いを張り付けている男が、周囲を囲む氷の柱と同様に黙したまま動きを見せないのもまた、一つの要因ではあるだろう。

 ぐるぐると回るゼノを追いかけ続ける小さなつららの列が地表で大きく渦を巻く。薔薇のような模様が地面に描かれると同時、疾走するゼノが両手を動かした。前に突き出した右手の手のひらを下に向け、その真下で構える左手の手のひらを上に向ける。

 巨大で強大な(あぎと)が象られる。

 突如、駆けるゼノの全身から、暴力的なまでのオーラが溢れ出した。砂塵を吹き飛ばし、木の葉をざわめかせ、景色を歪ませるほどのオーラが荒れ狂い、吹きすさぶ風となって地を舐める。肉体から流れ出す、ただでさえ濃密なその力の奔流を、無理やりに体の中で押し固めていく。圧縮していく。圧縮、圧縮、圧縮圧縮圧縮圧縮圧縮圧縮圧縮――――――――ッ!!

 

 風を切り、地を蹴り飛ばし、木の幹に足跡を刻んで駆けるゼノの肉体を包み、押し固められた膨大なオーラの凝縮体が激しく体をくねらせる。長い首をもたげ、鋭い牙を剥き出しにし、溶けていく背景とともに流れていく風にヒゲを揺らした。濃紫の光と薄白い月光が絡み合い、暗く深い夜の闇を淡く照らす。

 満月の夜、氷の薔薇が咲いた円形の戦場に、紅紫色の龍が顕現した。


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