蜘蛛の男の自由気ままな物語   作:黒豆博士

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第二十話 侵入者は満月を背負って

 ――その男は、満月を背負って現れた。

 

 

「目的を言え、侵入者」

 

 闇の深い夜だった。

 森の中である事を差っ引いても、普段よりずっと暗い夜だった。木々の隙間から射し込む淡い月光が、闇に呑み込まれながらも儚い輝きで辺りを照らしている。

 侵入者を迎えるにゃ、ちと幻想的すぎる光景だな、とゼノはひとりごちた。

 

「目的、って言われてもなぁ……、友人作り?」

 

 いつもより深い夜の闇以上に、闇を纏った男だった。

 身の丈は一八〇センチほどか。真っ黒なコートを着込んでいる。少し長めの黒髪に中性的な顔立ち、鴉羽色の瞳が背後からの月明かりと共に妖しく煌めいていた。

 

「何故ここへ来た」

 

 再度問うたのは、巌のような男だった。波打つ金の髪に頑健なる肉体、狼の如き双眸が鋭く男を睨んでいる。シルバ=ゾルディック――ゾルディック家現当主の男が、直接侵入者を迎えていた。

 単刀直入なシルバの問いに、男は飄々と肩をすくめる。

 

「いやぁ、何故って言われても答えは一つしかねぇよ。友人を作りに、さ」

「ふざけるな。言え、目的は何だ」

「うーん、ホントなんだけどな……どうしたら説明できるかな」

 

 男は困ったような声を出しながら本当に面白そうな顔をして笑った。

 この状況を、心底楽しんでいる笑みだった。

 

「まず一つ、俺の目的は友人作りだ。仮に、っつーことでもいいからそうしといてくれ」

「…………」

「侵入手段は至極単純。壁、飛び超えてきた」

「試しの門はどうした。見ればわかる、お前ならそこを通れたはずだ」

「やー、ゼブロさんにはそっから入んのを勧められたんだけどさ、俺、ミケぴょんとも殺りあってみたかったし、何よりわかりやすく侵入したほうがあんたら来んのは早いかな、と考えたからよ」

 

 並の者なら前に立っただけで気絶するであろうプレッシャーを放つシルバを前にして、問いを受けながらも男は微塵も動じない。

 油断しているように見えてまるで隙のない立ち振舞いに加え、それだけで男が相当な実力者だと判断できた。

 

「ミケをどうした」

「躾がなってなかったんでね。ちょこぉーっとだけ、めっ、てしてきた」

「……それで、このあとはどうするつもりだ」

「まだ何も考えてねぇ。とりあえずあんたらとお茶したいかなぁ、なんて」

 

 そう冗談めかし、男は声に出してけらけらと笑った。

 庭内に“侵入”したからには、番犬であるミケと遭遇しているはずだ。ミケはゾルディック家に“侵入者”と断定された者を排除する機械として育て上げられた、意思持たぬ猟犬である。それを無傷で下してくるなど、「めっ」とかの仕置のレベルを超えている。コートの端すら食いちぎられていないどころか、男には汚れ一つついていなかった。そこまでやって侵入しといて、これからどうするか決めてないだの特に理由なく侵入してみただのということは有り得ない。完全に意味をなさない嘘だった。

 掴めねぇ野郎だな、とゼノは思った。

 

「お帰り願おうか」

「えー、なんでさ」

「生憎、侵入者を自宅に招き入れるほど考えなしではないんでな。連れ込んでも安心できるという確信ができなければ、お前の要望に応えることはできない」

「でもさぁ――」

「もう一度言う、お帰り願おう。もしこれ以上応じないのであれば、こちらも武力を行使させてもらう」

「ヘェ、今すぐじゃねーでいいのか?」

「代々、仕事の標的以外は極力殺さないようにしている」

「へー、意外と穏健な性格なのね。やっぱ想像と現実は違うなぁ」

 

 ひゅう、と男は口笛を浮いた。茶化すような物言いとは違い、目は確かに真剣に驚いていた。

 しかしすぐにニタリとした笑みという名のポーカーフェイスを取り戻すと、男は頭の後ろで手を組みながら、

 

「でも、退く気はねぇよ?」

「そうか。では力尽くで追い出させてもらうとしよう」

「そらどーも」

「俺と親父の二人で掛かる。二対一だ、これがどういうことを意味するか、わからんわけではないだろう」

 

 そのシルバの言葉に、くくくっ、と男が笑い声を上げた。嘲笑ではなく、心底楽しそうな声音だ。

 男の笑いを皮切りに、三人の姿が掻き消えた。

 木の葉がざあっとざわめき、三人が木の上へと降り立った。一面に広がる暗緑色の海が、少し強めの風によって美しく波打ち、淡く月明かりを反射している。

 男がほうとため息をついた。

 

「……おいおい、びっくりするぐらい綺麗じゃねーか。秘境に広がる草原みてーだぜ」

 

 飄々とした印象を与える切れ長の目を細め、男は眩しいものを見るかのような顔つきでそう洩らした。ゼノもまた、目を細めてその男の姿を見る。

 触れれば溶けて消えてしまいそうな、儚く淡い表情だった。

 

(ほォ……)

 

 ここまで印象が変わるものか、とゼノは思う。

 男には、どこか危うい美しさがあった。――常軌を逸した思想を持つ美女のような、狂った美を描いた名画のような、そんな歪んだ美しさがあった。

 

「……っとと……見とれてる場合じゃねーな。話、早めに着けさせてもらわねーと」

 

 しかし男は直ぐにその表情を奥底へ仕舞い込み、目を爛々と輝かせてにんまりと笑った。――やはり、この不利であるはずの状況を、心底楽しんでいる表情だった。

 こいつはどこかがおかしいな、とゼノは悟った。――狂人か。

 大仰な仕草で手を広げ、満月の光を背負って、男が口を開く。影と闇の黒色に包まれ、輪郭すら朧な中、唯一その瞳だけが、妖しい光を宿してこちらを射貫いていた。

 

 

「――さてさてさて、楽しい楽しい殺し合い(オハナシ)タ~イムの……はじまりだ」

 

 

 瞬間――三人の姿が、闇に呑み込まれた。

 

 

 しゅたん! しゅたん! しゅたん! と連続で木々を蹴る鋭い音が空気を叩く。暗い森の風景が溶けて後ろへ流れていく。ガサッ! と木の葉の間に穴が空き、いくつもの葉が舞い落ちた。

 ぎゅぅううう! と。疾風が如き速度に引き裂かれる夜の空気が悲鳴を上げ、爆発のような踏み込みによって地が捲り上げられるように荒らされていく。

 ――化物に数えられる三人の男が、広大な森を縦横無尽に駆け回っていた。

 バチン、バチン、バチンッ! と空気が弾け、空間に数え切れないほどの波紋が広がる。景色が歪むほどの衝撃が幾度も連続し、ずずん……っ! と何本もの大樹が薙ぎ倒された。

 拳と拳の激突、蹴りと蹴りの衝突――つまるところは徒手空拳の男たちによる唯の殴り合い、それだけでこの有様である。

 

「――ったく、ワシらの庭を荒らしおって!」

 

 ずばばばばば! と人外の速度で拳撃を繰り出すゼノが愚痴った。拳の一つ一つが空気を引き裂き闇をぶち抜き侵入者の命目掛けて的確に疾駆しているが、その顔には汗一滴見当たらず、呼吸一つ乱れていなかった。あまりの疾さに自身の残像すら切り裂いて挙動する腕以外は至って普段通りの表情だが、剣呑に細められた目が全神経を集めて集中しなければならないレベルの戦闘が行われていることを如実に告げている。

 後方に溶けて流れていく闇の中、猫科を思わせる侵入者の瞳が、満月の光を反射しながらゼノを見た。

 

「いやぁ、俺としてもこんな綺麗なとこはできるだけ壊したくないんだけどさ! あんたらがお茶会に応じてくんねぇから仕方ないんだなー、これが!」

 

 まるでワシらが悪いような言い方をしよる、とゼノが口をへの字に曲げる。男は言外に告げていた、庭を荒らしてほしくないのなら、俺の要求を飲めばすぐにやめるぞ、と。

 当然、そんなことを飲むくらいならば多少庭を荒らされるぐらいどうでもいい。というか、山一つとその麓一帯が私有地なのでこの程度ならば交渉材料にすらなり得ない。先ほどのゼノの愚痴はもちろん本気ではないし、それは男も承知してるのか、やたら冗談めかした言い方だった。

 つまるところ、ただの戯れ言だ。男にかなり余裕があることを再確認し、ゼノはひとつ舌打ちする。

 一瞬で男の発言についての思考を終え、絶え間なく攻撃を続けながら、かちりと意識を切り替える。――このままじゃ埒があかねぇな、とゼノは心中でこぼした。

 風よりも早く夜の森を駆ける男の正面以外、左右背後上方下方から徒手空拳と手持ちの暗器その他で出来得るあらゆる攻撃を仕掛けてはいるものの、ほとんど受け流されるか回避されている。まともにぶつかり合っているように見えて、唯の殴り合いではほとんどダメージを与えられていなかった。確かに戦闘中ゆえか先の男の語調は若干強めだったが、化物筆頭であるゼノとシルバをほぼ徒手空拳とはいえ二人同時に相手して喋れるだけで色々おかしいレベルで男は強い。

 戦闘開始と共に背を向けて疾駆し始め、数十秒が経過した現在でもゼノとシルバを相手取ってノーダメージである。このままでは延々と鬼ごっこが続くだけだ。

 しかし、ゼノのそんな思考を読み取ったのか、ズガガガガガッ!! と周りに衝撃波を撒き散らしながら駆ける男が不意に呟いた。

 

「――あそこにするか」

 

 びゅおっ! と。男が突然鋭角に軌道を変える。目前の木の幹を蹴って急ブレーキをかけ、ゼノとシルバも男の進行方向へ進む。――木々がかなり拓けた場所の中央で、男が立ち止まって二人を待ち受けていた。

 

「ここなら存分に殺りあえるだろ?」

 

 にんまりと笑って男が問いかけてくる。

 木々の間隔が広く、一部先程の追走劇の余波によって薙ぎ倒されていることもあって、ここは円形に拓けた場所になっていた。直径は三十メートルほどもあろうか。円の内側の所々に樹木はあるが、確かにここなら存分に腰を据えて戦うことができた。

 

「いいのか? ワシら二人をまともに相手取ることになるぜ。さっきよりも厳しいぞ」

「初めて言葉を交わせたな、ジイさん。あんたこそ大丈夫か? わかってると思うが、俺は強いぜ。二人でもあぶねぇんじゃねーの?」

「アホたれ、老いぼれ扱いすんな。まだまだ現役だっつーの」

 

 軽口の応酬。戦闘の前戯。シルバは黙したまま、ゆっくりと円の縁をなぞるように歩き、男の背後へと少しずつ近づいていく。

 三人が正三角の位置につき、戦闘の準備が整った。殺気が場を満たしてゆく。剣呑な眼光を宿したそれぞれの瞳が、対峙する敵をナイフのように鋭く射貫く。

 

 ――化け物同士の本当の戦闘が、静かに、しかし確かに幕を上げた。


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