18
ベヒモスは15年ぶりに取り戻した力に酔いしれていた。
ひどく迂遠で手間のかかる計画は想像通りの成果を発揮し、彼の思惑通りに進んだまではよかった。だが、1つミスをした。
この高揚感をぶつける相手がいないことだ。
本来ならば天使で発散する予定だったが、友人が彼女を欲しがり却下となった。
コンクリートと錆びたフェンスしかない屋上では満足できそうにもない。
ここで妙案が思い浮かんだ。
赤奈ならばどうだろう? 動かぬ相手ではいたぶることもできないが、物よりはマシだ。
それに、死体蹴りをすることで更に天使のマイナス感情を取り込むことができるかもしれない。
いい案いい案、と上機嫌な足取りで天使と遺体に近づく。
目のハイライトが消えた天使はただぼんやりと黒い巨躯を眺めていた。距離が縮まるにつれ「ようやく、ようやく」と呪詛めいた言葉が何度も繰り返し聞こえる。
哀れなものだと見下しながら、足を振り上げた。
そして、それを一気に赤奈に振り下ろす。
遅まきながらベヒモスの真意に気づいた結希が掠れ声と共に手を伸ばすが一寸ほど届かなかった。
丸太のように太い足が腹部を圧殺した。グチャリと腐った果実がつぶれたような音が結希の耳に響いた。
「あっ……あ……ああああ」
足をどけると同時に錯乱気味な結希がつぶれた腹部に覆いかぶさった。傷の手当をしようと手をかざすが効果は出ない。
「なんで、なんで、力が発動しないの!?」
なぜ死者を守ろうとするのか? 遺体の修復してなんになるか? そもそもなぜ力が発動しないのか?
聞きたいことは山程あったがすぐにどうでもよくなった。いまはめちゃくちゃにしたい。人形遊びのように無邪気に自分を解放したい。
「邪魔や。どけ」
「きゃっ!」
振るわれた豪腕でいとも簡単に吹き飛ばされ、結希はフェンスへと背中を強打した。
それでもなお、彼女は声ならぬ声で叫んだ。地面を這うように必死に手を伸ばす。届かないと知りながら懸命に赤奈を求めた。
背中がゾクゾクと震える。
彼女から新たに供給されるマイナスエネルギーのせいだけではない。
愉悦なのだ。知らずに兄に恋した妹がいまだに彼を求め続ける浅ましさと愚かさが、自分をひどく高ぶらせる。
「これが悦に浸る。……もうずっと忘れとったわ。非常にいい。これは最高や!」
情欲がそそられるような衝動のまま、生え揃った鋭い爪を構えた。
狙いは――――――首だ。
このまま鋭い爪で首と胴体をおさらばしよう。それから赤奈の頭部でリフティングをしよう。きっと何回も続くはずだ。
「やめ――――――――」
空を裂く手刀が赤奈の首にめがけて振り下ろされた。
肉を斬る音と共に鮮血を撒き散らしながら首が夜空に舞った。
「いやああああああ」
くたびれた屋上に結希の絶叫が響く。
失意の底に沈んでいた心は皮肉にも赤奈の遺体が弄ばれたことによって僅かながら浮上した。
そんな彼女の目の前に肉片が音を立てて落ちた。目を背ける暇もなく、肉塊が視界を釘付けにする。
だが、それは結希の想像するものから大きく外れていた。
大きくごつごつしたおり、僅かながら黒い毛皮が生えている。何よりそれは鋭い爪を生やしている手だった。
――これは、ベヒモスの、手?
同時に獣の叫声が上がった。
見れば、ベヒモスが銃を取りこぼし、右手を押さえている。いや、手は無くなっている。切断されてたのだ。――――誰に?
「人ががんばって、説得している間に内蔵つぶすなんて、相変わらず卑怯な手を使うな……」
ありえない声が聞こえた。ありえない姿が見えた。
死んだはずの赤奈が腹部を庇いながら立ち上がった。手には赤い血を滴る〈銀鱗〉がある。あれでベヒモスの腕を斬ったのだ。
あまりの出来事に言葉が出ない。すぐ近くに赤奈がいるのに遠くに感じてしまう。
「どうしてだぁぁ。なんで、生きてるんやぁぁ!」
ベヒモスの問い掛けには答えず、赤奈は迷いのない足取りで結希へと歩んだ。
腰を下ろし、目線を合わせるといつもの気弱な笑みを浮かべる。
「ただいま。心配かけたね」
「…………本当に……本当の本物ですか?」
「うん、本当に本物の日和 赤奈だよ。泣いてるユウを放って置けなくて帰ってきちゃった」
「~~~~っ!」
予備動作もなしに両手を広げジャンプ、そのままドスン! と赤奈の胸に飛び込んだ。
「グフっ!」
けして大袈裟ではない悲鳴を上げ、ユウと一緒に倒れこんだ。至近距離で二人の青の瞳が交差する。
「生きてますよね? 本当に、本当によかった…………神様……」
「し、死ぬ。冗談でもなんでもなくマジで死ぬ」
「し、失礼ですね! 私はそんなに重くないですよ!」
「そうじゃなくて、僕内蔵やられてるんだけど…………」
そこまで言われてユウは慌てて離れた。すぐさま回復しようとするが力を失っていることに気付く。
「ごめんなさい。今、力が使えなくて……」
「ああ、そのことなら解決したよ」
「え? どういう――――――」
ことですか、と続けることができなかった。
ごく自然に赤奈が唇を塞いだ。無論、唇で。
完全に不意打ちだったため、目を閉じることすらできなかった。
今日で何回目だろキス、と場違いな思考が非現実へと誘う。
数秒間の幸せを堪能し、赤奈が離れる。どこかいたずらっ子ぽい笑みを滲ませ、ユウの頭に手を置いた。
「ありがとう。相変わらず抜群の回復力だね。おかげで傷も癒えたよ」
視線を落とすと不自然にへこんでいた腹部が元に戻っている。それだけではない。ユウが負った擦り傷なども治っていた。
「どうして? だって、私は……」
「まあ、これが僕の呪印術だよ。勝手に発動していたみたい。今はコントロールできるから君の傷を治してから返したんだよ」
ことなげなく告げる赤奈に乾いた笑いを返すことしかできない。相変わらずむちゃくちゃな人だ。天使でありながら悪魔の力を使うなど常識なんて通用しない。
「少し行ってくるよ。待ってて。すぐ終わらせて見せるから」
最後にもう一度弱く笑い、ユウから鞘を借り受けた。そして、銀の鱗の名を冠する刀を鞘に収め立ち上がった。
赤奈は迷いもなく、強く歩き出す。
その背中が遠のくにつれ、ひどく不安が膨らんだ。物理的だけでなく、心の距離も離れていくような予感めいたものがずっと頭から離れなかった。
また一周間あいてしまった。もう、いっそのこと開き直って2週間に一度にしようかな?
まあ、冗談ですけど。
唐突ですが、お知らせがあります。
上の言葉は本当に冗談なのですが今週は投稿できそうにありません。
なぜかというと中間テストがあるんです。というわけで今週はおそらく投稿できません。すみません。
それでは、これで。
感想や誤字脱字の指摘お待ちしております。