天使がなくしたもの   作:かず21

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幻聴

 それはもう返せない告白の返事だったのかもしれない。

 それだけにユウはようやく黙った。

 長い沈黙が続く。

 ユウは自分と赤奈を交互に見た。明らかに迷っている。それに憤りを感じた。

 なぜこれだけ言ってもわかってくれないのか。赤奈には理解できなかった。

 記憶より命の方が確かに重いかもしれない。でも、その命がもう風前の灯だったら、それに価値はあるんだろうか?

 赤奈は小さく首を振る。明確な答えはわからない。だが、少なくとも非常に軽くなるはずだ。

 だから、誰かの役に立つのなら、ましてや大事な人に差し出すのならそれが一番のはずだ。

 なのに

「嫌です」

 長い沈黙の後、雄勁な物言いで赤奈の考えを否定した。

「赤奈さん。それでも私はあなたに生きることを諦めて欲しくないです」

 先ほどの意気消沈とした姿を全く感じさせない足取りで赤奈の元に寄る。

 その気迫とも言えるプレッシャーに赤奈はひどく焦った。身じろぎ一つすら取れない。

 一体どうしたというのだ。なぜ、彼女は人が変わったように毅然とした態度を取り戻してしまったのか。結論が出ないままユウとの距離はつま先にも満たなくなった。

「どうして? と思ってますよね」

「………………」

「理由は簡単です」

 ユウは優しく言うとゆっくりと腕を赤奈の細い背に回した。密着した体から伝わる命の鼓動が交わる音が聞こえた。

「私が一番大事だってそう言ってくれたからですよ」

 そうだ。自分はそう言った。だからどうしたというのだ?

「鈍いですね。だから、赤奈さんなんです」

 意味のわからない文句に頭を捻る。

 「あ、だめだ」とでも言いたげなユウが目に見えて落胆した。

 相変わらず心音がうるさい。

「私のことを大事だと言ってくれて、余計に手放せなくなってしまいました。だってそうでしょう? 好きな人に大事だって言われたら余計に好きになってしまいます」

「どうして……分かってくれないんだよ。僕のことなんかドナーとでも考えてよ。僕の命で君の大事な思い出が還ってくるんだよ?」

「でも、赤奈さんはまだ死んでませんよ? それじゃドナーにはなりえませんよ。それに何度も言ってますが私は記憶よりもあなたが大事なんですから」

 もっともだ。ここで事前登録などを引き出すのも考えたが、苦しい言い訳にしかならない。

「だから、ね? 一緒に帰ろうよ」

 一緒に帰る。ユウと、一緒に。

 一体どこに帰るというのだ。

 しかし、素の彼女が発した言葉は魅力的に聞こえた。もし今日のような毎日を送ることができたらそれはきっとすばらしいことなんだろう。

 だが、自分の命には制限時間が設けられている。それは時限爆弾のようにカウントダウンを刻み、解除方法も分からぬままいつしか爆発する。そんな明日をも知れぬ命でなければ一もなく受け入れていたのに。――え?

 ようやくここで赤奈は自分の本当の気持ちを知った。

 自分はもっと生きたいと考えている。例え今この瞬間に死んでしまっても彼女と最後まで一緒にいたい。そんな気持ちが胸の奥から沸き溢れてくる。きっと宙ぶらりんになった手を彼女の腰に回せば自分はすべての苦悩から解放されるに違いない。

 困る。やめろ。考え直せ。

 利己的な自分が叫んでいる。だが、その声はやけに小さかった。

 ――こうなれば強行手段しかない。

 なけなしのエゴの欠片を集め、自分を震い立たせる。

 赤奈は暇をしていた左手でユウを突き飛ばす。

 神器を所持している赤奈の力にユウはいとも簡単に尻餅をついてしまう。

 赤奈はすぐさま逆手に持った銀鱗を自分の腹部に突き立てる。体と刀の差は一ミリもない。

 布越しからも伝わる鋭利な感触。武器特有の冷たい冷気が脂汗を誘う。

「わ、分かってくれないならもういい。勝手に死なせてもらう。それで万事解決だ」

 ユウは一瞬息を飲んだが、すぐに緊張を解き、穏やかな表情で赤奈を見つめた。

 何もかも見透かしたような声で

「出来ませんよ。土台無理な話だったんですよ。赤奈さんが自殺するなんて、天地がひっくり返ってもありえないです」

 そう言い切った。

 そんなはずはない。自分は一度決めたら必ずやり通す。妹との約束を今まで守ってきたのが何よりの証左ではないか。

 ――本当にそうなの? 今、お兄ちゃんは私との約束を破ろうとしているよ。

 死んだ妹の声が聞こえた。幻聴だ。どうやら相当追い詰められているらしい。

 そうわかっているのに噛み付くように言い返す。

 ――違う。これは仕方ないんだ。こうでもしないと彼女を救えない。

 ――あのね、お兄ちゃんは馬鹿だから教えてあげる。自分のために死なれたら辛いよ。でしょ? お兄ちゃんは自分が味わったことをあの子にも背負わせるの?

 脳裏にフラッシュバックせれるのは、〈あの日の事故〉

 結希が自分を庇い死んでしまった、忘れたくても忘れることができない永遠の十字架。自分はあの子に同じ想いをさせるのか?

 ――だったら、どうしたらいいんだよ。それなら早いか遅いかの違いだろ! 結局僕は死ぬ。だったら、どうあっても彼女は悲しむじゃないか!

 荒れた嵐のような叫び。

 だが、返事はなかった。当然だ。なんせ幻聴なのだから。

 それでも、狂ったように叫び続ける。

「どうしたらいいか教えてよ。答えてよ。答えてくれよ! 結希!」

「いいですよ。教えましょう」

 今度は返事があった。 見れば、すぐ傍までユウが立っていた。

 自分は声を出してしまったらしい。赤面ものだ。

 ユウはゆっくりと、落ち着かせるように語りかける。

「赤奈さんが私の記憶の為に死んでしまうのは、正直言えば、嬉しいと思います。私の為に命までかけてくれるんだって。でもね、赤奈さん。一つ大事なことを忘れてませんか?」

「大事な、こと?」

 ユウは鷹揚に頷いて

「私の為に死なれると重いんですよ。悲しみの比重がとても重くなる。赤奈さんならわかりますよね?」

 赤奈にはその問いがよくわかった。

 なんせ経験者だ。結希が自分の代わりに死んでしまってから赤奈は幾度となく自己嫌悪に陥り、絶望し、挙句の果てに何度も自殺を繰り返した。

 つまるところ重圧に押しつぶされそうになる。覚えてないだけで悪夢も見ているはずだ。

 そんな辛さをユウにも味あわせるつもりか?

「でも、結局、僕は死ぬ。余命はあと半年くらいしかないんだ。そしたら君はきっと悲しむよ。それだったら僕の命を君の失った記憶にするのは間違ってるのかな?」

「間違ってますよ」

 今度もはっきりと言い切られた。

 もう自分はユウには勝てない。そして漠然と、もはや彼女を説得する手段はなくなったのだと悟る。

「仮に赤奈さんが自殺したら、私も死にますよ。だって、赤奈さんが死んだら生きてる意味がありませんから。それに私のせいで死ぬなんて我慢できません。絶対にあとを追います」

「そ、そんな。やめてよ。そんなこと言わないでよ」

「どうします? それでも死にたいですか? ……いい加減自覚してください。赤奈さんの命はもうアナタだけのものじゃないんです」

 ここまでいくともはや脅しである。

 赤奈は目の前が真っ暗になっていく気がした。

「だったら、僕が病気で死んだら君も死んじゃうの? それなら、僕の命はなんだったんだよ………………」

 途方もない絶望を背負い、赤奈は膝をついた。手から刀を取りこぼしても気付かない。

「赤奈さんが病気で死んだら、きっと、私は壊れちゃうと思います。生きる気力をなくして、ただ彷徨うだけの存在になるかもしれません」

 悲しいことに赤奈にはその光景が易々と浮かべられた。

「だから、赤奈さん。私を強くしてください」

 しゃがんで目線を合わせ、ユウはそう言った。

 言葉の意図がわからず、困惑を表す。

 ユウは幼子を言い聞かせるように、あるいは雨の日に捨てられた子犬に語りかけるように言った。

「私に思い出をください。過去ではなく未来の思い出を。そしたら、きっと、前を向いて生きていけると思うから」

 それからユウの固くも強くもない柔らかな抱擁に全身の力が抜けた。密着した体から伝わる火傷しそうな温かさと羽毛に包まれた如くの安堵。

 自由になった両手はユウを求めていた。彼女と同じように両腕を回せばきっと自分は楽になれる。

 なら、甘えてしまおう。それがきっと正しい答えだ。

「ごめん。ありがとう。もう大丈夫」

 ようやく赤奈はユウの想いに応えた。

 彼女を求める衝動のまま、強く抱きしめる。今まで以上に熱を分け合った。

「もう死ぬなんて言いませんね?」

「うん」

「私と一緒に生きてくれます?」

「うん」

「大好きです」

「うん」

 耳元で鼻をすする音が聞こえた。

 赤奈はからかうように囁く。

「キングオブ泣き虫ちゃんだね」

「…………誰かさんが甲斐性なしだからですよ」

 そう言って泣き笑いを見せてくれた。

 この笑顔は生きていなければ見ることができなかった。やはり、この選択は正しかった。今ならはっきりとそう思える。

 なのに、どうしたというのだろう? この言い知れぬ不安は。まるで、見えない縄にじわじわと首を絞められていくような……




おつかれさまでした。

なんだか切るところが見当たらず3500文字越えになってしまいましたが、どうでしょうか?

個人的には中々赤面な内容だったのですが、よく考えればこの作品ではよくあることだな、と一人で納得してしまいましたw

夏休みがあと2週間もあるので一気にラストスパートをかけたらなー、と思ってます。

感想や誤字脱字の指摘お待ちしております

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