では、どうぞ
赤奈が首だけ飛び跳ね、不満気に口を曲げた。
天使が「ええ、まぁ」と口を濁しながらも追撃をかわすため、話題を変えた。
「そういえば、妹さんと私はどこが似ているんですか? 話を聞く限りあまり共通点が見当たらなかったんですが…………」
露骨な転換だったが、赤奈は咳払い一つで済ませ、腕を組んだ。
「うーん……一番似ているのは顔かな? もし生きていたら君みたいな感じだと思うよ。性格は全く似てないけどね」
「フン。どうせ、私は根暗ですよ」
舌を出す天使は年相応の無邪気さを現していた。クールぶった物言いが幼い容姿にギャップを与えるのでこちらの方が違和感はない。
「でも、本当の君みたいに子供で感情豊かな子だったよ」
「私が感情豊か……? いやいや、それよりも、子供って……私は赤奈さんが思っているよりもずっと大人ですよ」
「子供はみんなそう言うんだよ」
その言葉もまた赤奈に返ってくるのだが、天使は気付かなかった。
「これで僕からの話はおしまい。なんか無駄に長くてごめんね」
気付いたらなんだか軽い雰囲気になってしまった。それも赤奈がわざと明るく振舞っているからだろう。
勿論、天使はそれを見抜いてはいたが、あえて言わないでおく。それよりも気になることがあるからだ。
「……赤奈さん。実は私も言わなくちゃいけないことがあります」
「僕の体についてかな?」
「相変わらず変なところで鋭いですね――そうです。率直に言えば赤奈さんは段々天使になりつつあります」
その言葉を聞いて赤奈は深い嘆息をついた。 しかし、どこか肩の荷が降りたように微笑んだ。
「……そっか。ま、薄々分かっていたけどね。……まさかね」
しかし、少なからぬショックは受けたようだ。視線を落とし、しきりに指を擦っている。
「気を落とすのはまだ早いですよ。段々、と言ったでしょう? 変な言い方ですけど天使の気配を感じるのは赤奈さんの右側だけ――つまり、半分しか感じないんですよ」
天使のフォローに赤奈は顔を上げた。その表情から疑問を訴えかけている。
「私にも分かりません。こんなの前例がありませんから。人間が突然天使に……しかも半分だけだなんて天界のどの書物にも載ってませんよ」
しかし、これで説明がつくことがある。
赤奈が神器を中途半端に扱うことができたのはそもそも彼が中途半端な天使だったからだ。瞳が突然変わるのも天使に移行する過程で起きたことなんだろう。事実、今も赤奈の瞳は黄色に染まっている。
「あれ? じゃ、紅色の時はなんだろ?」
「それは……」
天使は言いにくそうに唇を噛む。赤奈には知る由もないが、最悪の可能性が脳裏をチラつかせている。そして、その可能性を押す証拠が赤奈のもう半分から微量ながら感じるのだ。
だが、そんなはずはない。何かの間違いだ、とそれを無理やり振り払った。
「……それはおいおい考えましょう。今はさして重要なことではないですから」
「そう? 結構、重要だと思うけどな……」
「そ、それよりも重要なことはありますよ! ほら、あれですよあれ」
「あれ? あれって何?」
こういうところはなぜか察しが悪いのが赤奈だ。よーく思い出してほしい。赤奈がなぜ長い昔話をしていたのかを。
「あっ」
どうやら思い出せたみたいだ。天使は怨嗟のこもった視線で赤奈を縮こませる。
「いや、だって、君が僕の体の話しだすからそっちに意識を持って行かれたんだよ!」
「はい嘘です。ほんの少ししか話してないじゃないですか。途中で忘れたんでしょ」
フンと鼻を鳴らし、膨れ面で言い切る。
全くその通りなのが悔しいところだ。
「それにあれくらいで私が赤奈さんを嫌いになるわけないじゃないですか。事故だったんでしょ? 仕方ないですよ」
「……ごめん。僕、君のこと信用しきれてなかったみたいだ。それに気付かせてくれてありがとう」
「いいですよ。気づいてくれれば」
「それでさ、返事なんだけど…………」
いよいよ赤奈の脈が速くなる。柄にもなく緊張しているらしい。
だが、答えは出ている。自分の本心から出た結論だ。あとは臆病な自分の背中を少し押してやればいい。
それなのに
「あ、赤奈さん。そのことなんですけど、やっぱり今夜、私の記憶が戻ってからにしませんか?」
先程まで饒舌だった天使が一転、口ごもりながら尋ねた。
突然の申し出に動揺する。やはり、妹を殺した自分は受け入れてもらえないのか。
それが顔に出ていたのか、天使は慌てて、尚且怒ったような顔で否定した。
「ち、違いますよ。赤奈さん鈍すぎます! 乙女心を理解してません!」
「お、乙女心ぉ!?」
なんのことだか解らないが、謝っておくのが吉とだけは解った。
ただ、鈍いやら乙女心など少々飛躍しすぎではないだろうか? そう思っても口には出さないが。
天使は「いいですか」と教師然とした口調で説く。
「私は初めてこ、告白をしたんです。ほとんど勢いだけで。なので、シチュエーションもへったくれもなかったんですよ。だから、その、返事だけでも、雰囲気のある場所がいいな…………と」
恥ずかしいのか段々しぼんでいく声にようやく得心した。
天使の言うことには一理ある。確かにエレーベーターでは女の子の憧れには程遠いだろう。思い出には残るのは間違いないが。
「うん。君が望むならそれでいいよ。僕はこの答えを変えるつもりはないし。いくらでも待つよ」
「そんなに待たせませんよ。長引くと私の心が持ちませんし」
そう言って天使は穏やか微笑んだ。赤奈も釣られて笑う。ようやく二人の心に余裕が戻ってきた。
しばらく二人は他愛もない話をしていたが、すぐに問題が発生した。
「えっと……」
「……はい」
会話が続かなくなったのだ。
それはある意味必然だったと言える。片や病弱コミュ障。片や記憶喪失の天使。話題が尽きるのは当たり前のことだ。
ここは男である自分がリードすべき、と前時代的な思考でなんとかしようとしたが、乏しい人生経験が壁を分厚くする。
なんだか気分が暗くなってきた。それに薄明かりの電灯が弱くなってきた気もする。せっかく慣れてきた夜目も向かいの天使が見えなくては意味がない。
「あ、あの、赤奈さん! そこにいますよね?」
唐突に天使が悲鳴じみた声を上げる。
赤奈はもちろん、と返し、続けて「どうしたの?」と尋ねた。
「何でもないです何でも……ハハ、ハハハ」
やけに不自然な笑い声だ。まさか、とあるひとつの可能性に思い至った。
「もしかしてさ、怖いの? 暗い所」
「ち、違いますよ! ただ、赤奈さんがどこかへ行ってないのか確かめただけですよ!」
「いや、行けないから。ここ密室だから」
これはもう黒だ。しかし、つつかないのが優しさというものだろう。
「あ、赤奈さん。これはある人の持論なんですけど、人の信頼関係は実際の距離に出るらしいんですよ」
「藪から棒にどうしたの? ま、確かに言われてみればそうかもね。知らない人の隣に座る時、間隔一つ開けて座るもんだし」
赤奈にもそういう覚えはある。だがそれが一体どうしたというのだろう。
暗闇の中、天使のそわそわした様子が伝わってくる。
「で、ですから友達である私たちはもう少し距離を近づけるべきだと思うんですよ。物理的に。だから、赤奈さんの横に、行ってもいいですか?」
つまり、不安なので傍に寄りたい、ということだ。やはり、自分の予想通り、時たま幼さを見せるのが素の天使なのだろう。
赤奈は照れを横に押しやり、自分から天使の傍に寄った。
流石に肩が触れ合うほどの距離ならば、相手の顔ははっきり見える。
「……自分で言っときながらですけど、近いですね」
「ハハ、実は本の少し緊張してたりして」
こんな傍まで異性の存在を許した経験なんてあるのか? と考えるが、昨日、揉み合ったことを思い出す。
今更か、と自分に言い聞かせるが、どうも心臓の音は収まってくれそうにない。
ごまかしも兼ねて以前から気になっていたことを尋ねる。
「ものすごく今更だけど、君の名前聞いてなかったね。僕、君に二人称しか使ってなかったし」
「そういえば、そうですね。……私もしっかり自己紹介しとくべきでした」
天使は崩した足を整え、顔だけ赤奈に向けて、ややこそばったそうに言った。
「ユウです。苗字はありません。改めてこれから宜しくお願いします」