口は災いの元、昔の人は偉大だね、ほんと。
観客の歓声が、まるで地鳴りのように会場を揺らす。
IS学園二年生のレースが始まろうとしている。
焦らされ、燻っていた何かが、爆発寸前まで高まっているのがモニター越しでも分かる。
張り詰める空気。
しかし、緊張度の度合いにおいては、警備室の方が若干上回っていた。
海から敵が来るといった潤の言葉を鵜呑みにし、千冬が海に浮かべておいた『対IS用センサー』が一気に破壊され、緊張がいやが上にも高まっていた。
封鎖された海域にある対IS用のセンサー、船の接触で壊れたとは考えにくい。
警備室では、『くるものがきた』と鋭い命令が飛び交っている。
潤と簪は、地下に隠されているIS用ピットに向かっていた。
「なあ、簪」
「なに?」
「特に緊張してたりしないか? 以前練習していたときとは勝手が違う。 機体も状況も、何もかもだ」
「……大丈夫だよ。 不安なんて……、何もない」
一夏の周囲で妙なことが起こりかけていた事は気になるが、今は目の前のことに集中しなければ。
戦闘に出る前の指揮官は、多かれ少なかれ部下に話をする。
出撃に備えて待機中の簪に軽く声をかけてみた。
大きいものとなるとヘンリー五世の聖クリスピンの祭日の演説、小さくなると部隊長が部下に対して「一番多く敵を討ち取ったものに酒を奢る」などといったものまで。
その形式は映画にまで波及しており、「インデペンデンス・デイ」の大統領の演説などは結構有名であろう。
簪の様子や、普段の態度を鑑みるに、士気高揚は逆効果。
緊張をほぐしてやろうと軽く世間話をふってみることにした。
もっとも、そういった類の話はとても苦手なので、世間話をしてやる程度しか出来ないのだが。
「さて、やっこさん、そろそろ来るんだが、俺には心配なことが一つだけある」
「……なに? 珍しい」
「ああ。 戦場が海の上って事だ」
「水が……嫌だって、こと……?」
「ああ、マジで憂鬱だ。 落ちたら拾ってくれ、そうでないと、一秒で混乱、二秒で過呼吸、三秒で溺れる自信がある」
「そうなったら、……今度は私が潤を助けるよ」
「ああ、本当に頼む」
軍の指揮官だったのならば、自分の弱みを戦闘前に教えるなど愚かなことこの上ないが、今の身分はただの生徒だ。
ちょっとした自分の弱さを曝け出すくらい許して欲しい。
「……ところで、本当に……二人だけで大丈夫なの? 潤の事、……疑っている訳じゃない……けど」
「どっちに転んでも考えてあることだから大丈夫だ」
「どっちに転んでも?」
簪に不敵な笑みを返す潤。
千冬は戦士としては紛れも無い一流だが、どうも指揮官としては有能とはかけ離れたところに居るらしい。
普通の指揮官ならば、今回襲撃があると仮定した場合、その目的を大まかに二つあると考える。
第四世代のデータ収集とコアの強奪を目的とした戦闘と、IS学園側の迎撃戦力撃滅の二つ。
そしてこの二つを天秤に掛けて、より有力な方は迎撃戦力に割り当てられた者達の撃破だ。
楯無にはなんだかんだ気付かれており、簪を安全に撤退させるために真耶を用意する事で沈黙を選択してくれた。 ――不利になったら飛んでくるらしいが。
普通に考えれば皆分かると思うが、連中の目的は第四世代の三機、紅椿、白式、ヒュペリオンの強奪か、シックザールとサイレント・ゼフィルスのデータ収集といったところ。
コレだけなら取り合えずシックザールとサイレント・ゼフィルスで襲撃を掛ければすむ話だが、それには一つ問題がある。
今回の大会が、高機動を競うものだということだ。
もし全戦力を会場に同時投入すれば、となるが。
……果たして潤と、教師たちと、楯無の包囲網を突破できるほどの戦力になるかどうか。
千冬と潤が踏みぞろいとなって前線に出てきてしまう。
マドカと会長で戦力は拮抗、潤と狂犬で拮抗、リヴァイブ四機と教師達で拮抗。
つまり、代表候補生は総じてフリーハンドになる。
その結果がどうなるかは、あまり考えなくても分かるだろう。
生徒が高機動に特化しているので戦闘は不利になるのは間違いないが、敵が足自慢に囲まれて撤退ができなくなるのも間違いない。
あの二機を纏めて会場ないし囮として使うということは、敗北に繋がる、むしろ一直線レベルの選択なのだ。
別の場所に別個に用意する、そう思わせることで千冬か潤のどちらかを会場に縛り付けねばならない。
ではリヴァイブ四機を沖合いに出して、潤を引き剥がしてから二機を投入した場合はどうなるだろうか
潤という人間は、会場の人間を見捨てることが出来る。
正しくは会長や千冬がいるので、丸投げに出来ると考えている。
多少の死者は……、戦略的勝利のための、仕方の無い犠牲だ。
リヴァイブ四機に囲まれて逃げられないとでも嘘をつき、必ず何人かを捕虜とする。
拷問は得意だ。
しかし、それを本能的に察する狂犬が、それをするだろうか。 いやしないだろう。
では潤を引き寄せ、サイレント・ゼフィルスかシックザールでその場に潤を釘付けにしたらどうなるか。
サイレント・ゼフィルスの場合は深く考えなくてよい。
何故なら、割と簡単に勝ち得る相手だからだ。
シックザールの場合は……、次の全戦力同時投入の結果と同じになる。
全戦力を、潤撃破のために使うパターン。
『パワーがてめえならスピードはオレだ! 一生かかっても追いつけんぞ!』
冗談はさておいて、先のリヴァイブから一人を狙い打う。
その際、行動不能になるギリギリに追い込むのだ。
そして囮戦力が過剰になったタイミングでそいつを簪に回収させ撤退させる。
この場合、アルミューレ・リュミエールで撤退を援護するためにフィン・ファンネルを五機残すこと、攻者三倍の状況で残る潤は相当危険であることを除けば、悪くない選択肢だ。
次の襲撃で、最も障害になる潤、楯無、千冬の三人のうち、一人だけを狙うのが戦略的に正しい。
ならば自ら出向いて囮となって、逆手にとって捕虜を得よう。
「大丈夫。 会長は会場の保険、織斑先生は司令部。 表が出れば(こちらに全て来れば)俺の勝ち、裏が出れば(会場に戦力を投入すれば)奴等の負けだ」
「……なにそれ?」
何処の誰が言ったか知らないが、これこそ『ジャイアンの五十円玉作戦』。
潤が圧倒できない戦力は狂犬だけだが、シックザールは一対多に、ヒュペリオンは多対一に向いているので、シックザールを避けて戦うのは不可能ではない。
シックザールが多側にまわれば上手く機能しなくなる。
マッドマックスの様に味方ごと皆殺しにするならば問題ないが、狂犬は仲間がたいそう大事らしい。
そう、一人、一人だけでもいいから行動不能寸前にするのが第一段階。
第二段階、狂犬とマドカの救援。
そこから行動不能にした奴を、打鉄弐式に回収させ撤退させる。
簪が帰還後、会長か千冬が援軍に来るまで耐え切れば俺の勝ち。
魂魄の能力は貧弱になっているが、相手の精神状態次第でやりようはある。
さて、二年生のレースが、そろそろ始まる。
選手紹介などを行っているアナウンサー、会場と選手を代わる代わる写すカメラ。
IS学園の二年生と、整備の手伝いをしている一年生も写っている。
ISスーツを着た生徒を、胸とか、腰とか、スタイルがいい人ばかりを。
「なに凝視してるの?」
画面に映る二年生を凝視していたら、簪に肘打ちされた。
今度は簪をじっと見る。
すると今度はもじもじし始めた。
何コレかわいい。
「常々思っていたんだが……」
「……?」
「IS学園の入学条件に容姿が関係しているのだろうか? 顔面偏差値が凄いことになっているような気がする」
一組の面々と、陸上部の面々を思い浮かべて、思ったとおりの内容を口に出す。
生徒会のメンバーも全員器量がいい。
間接的に美人だと言われた簪は、ほんのちょっと嬉しそうだった。
相変わらず画面を凝視していた潤だったが、ふと、何も無い空間をひと睨みすると、千冬に対して回線を開いた。
「山田先生、織斑先生、迎撃シークエンスを開始してください」
突然開かれた回線、あまりにも唐突な発進準備、出撃宣言。
あまりに唐突な行動だったので、真耶はどうしていいのか分からず、同じく呼びかけられた千冬に目をやった。
「小栗、勘か?」
「ええ、ご存知の通りの『勘』です」
「――シックザールか?」
「いや、何と言いますか、奴ではないですね。 もっと不安定で、もっと歪です。 ですけど、悪意の感覚が急に強くなりました。 来ると思います」
悪意の感覚が強くなった、か。 相変わらず不思議な事を言うなぁ、と状況から置いて行かれている真耶は他人事のように潤の報告を聞いていた。
「いいだろう。 山田くん、迎撃シークエンスを開始してくれ。 各職員に通達。 生徒会長にも連絡しておいてくれ」
「いいんですか? 戦闘が絡むんでいる小栗くんは、その、能力はともかくあまり信用できないんですけど?」
真耶の脳裏を占める潤の戦闘中の行動……。
大怪我をしているのに、ラウラを助けるために独断で戦闘参加、通信切断。
全治一年以上と知っているのに合宿所まで無理を押してやってくる。
やっぱり信用できない気がする。
「私は信じている。 なに、あいつなら問題ないさ」
「……あの、前もお聞きしましたけど、どうして織斑先生は盲目的に小栗くんの言葉を信じるんですか?」
「――私も良く分からんが、……なんというか、凄い頼りになるというか、頼っても大丈夫な人間だと感じないか?」
「能力はともかく、私は結構あやういと感じますが」
画面に映る潤と簪。
千冬が潤を、心の底から信じられる理由は、実は誰も知らない。
「……ふむ。 優秀になった一夏…………? いや、兄がいれば、みたいな感じなのか?」
「小栗くんの評価ですか? ボーデヴィッヒさんは妹を自称していますね」
「技術的には後期が――――すまん、聞かなかったことにしてくれ。 こんな事を考える自分をぶん殴りたくなった。 小栗には絶対言わないでくれ」
「大丈夫です。 言いませんよ、そんな残酷なこと」
試験管から生まれたラウラ、体中を強化されたことがある潤。
技術的に考えれば、潤はラウラを生み出した技術の発展をさせたものとも考えられるが、どう考えても残酷で人道に反する考え方だった。
「小栗にとって、家族とは特別なものだからな。 本人に聞こえないようにしていたのは幸いだった」
「ボーデヴィッヒさんは別としても、二度と会えないというのは、辛いことなんでしょうね……」
「それもそうだが……」
束博士も指摘していたが、潤は思い出や、過去に縛られて生きている。
その自分自身の能力ゆえに。
「あ、織斑先生……コレは! 海上距離一万五千にIS、――四機の存在を確認! ……ですが、接近はしてきません。 一定の距離を維持しつつ周囲を旋回……。 誘っているようです」
「小栗の予定通り囮の連中だな。 小栗と更識を出せ」
既にヒュペリオンを展開済みだった潤は、打鉄弐式を展開し終えた簪に目配せしてカタパルトに向かわせた。
「敵の撃滅が目的じゃない。 行動能力を奪うだけでもいいんだ」
「……大丈夫。 目標補足、通常タイプと思われるものが二、高機動砲戦タイプ一、最後方にいる恐らく支援砲撃一、何で前回の襲撃と一緒なの?」
「はなから会場に行くつもりは無いんだろう。 時間が稼げるよう自分が最も使いやすい武装をチョイスした結果だと思えばおかしくは無い」
「更識さん、山田先生が控え室に移動したので、以降のオペレーターは榊原菜月が担当します。 進路クリアです。 何時でも発進できます」
「戦場でも俺がいる。 一人じゃないってことを忘れるな」
「うん。 ――更識簪、打鉄弐式、いきます」
カタパルトから火花が奔り、立ち入り禁止の海岸線、散らばる大岩に偽装された出入り口から打鉄弐式が射出された。
続いてヒュペリオンがカタパルトに足を固定した。
簪が落下事故を起こしたとき世話になった榊原から発進命令が下り、潤もまた海面スレスレからヒュペリオンが戦場に飛び立った。
そして、狙い済ましたかのように長距離から狙撃が行われた。
予め想定していた潤は、シールドにもなっているアンロック・ユニットでそれを防ぐ。
「潤、大丈夫?」
「角待ちと、芋砂と、出待ちは戦場の風物詩だものな……」
既に敵が展開している場合、迎撃に出る戦力は狙撃されやすい。
一人目はともかく、二人目からは結構な割合で狙われる。
済んでしまったことはおいて置いて、ヒュペリオンが補足した敵機を分析する。
一人まっすぐ突っ込んできている、もう一人は明後日の方向を見てゆったり先行した奴の後ろをジグザグに移動、もう一人は停止したまま。
「連中連携する気がないのか?」
「みたい、だね――」
「なる程、やはりそうか。 俺は突っ込んでくる奴等二人をフィン・ファンネルで叩く。 ファンネルに全力を注ぐため足を止めるから、簪は俺の護衛。 その後、山嵐で後列の二機目を狙ってくれ。 相手が数で上回る以上、機動防御は徹底して行う。 連携が命綱だ。 行くぞ!」
行け、ファンネル!
心の中で叫ぶと、ヒュペリオンのアンロック・ユニットから、直接操作されていると見違えるほど有機的な動きでファンネルが射出されていく。
五機を残して。
戦場では概ね鉄則となっているが、必ずしも撃墜する必要はない。
この鉄則は、なぜ対人地雷が非人道的か調べれば分かることだ。
確かに最終的に倒したり、殺したりするのは必要だろう。
しかし、それは簡単なことじゃない。
嘗ての自分や、その自分が足止め程度にしか役に立たない連中ならば、数減らしのためにとっとと殺ってしまうのが常だが、思ったよりも熟練した技能が要る。
だが、今回の目的は、戦闘不能と判断されて撤退されること無く、最低一機の機動能力を削り落とすこと。
つまり何も完膚なきまでに敵機を破壊する必要はない。
バックパック、武装、メインスラスター、パイロットにダメージを与える、手段は多い。
メインスラスター、サブスラスター、姿勢制御スラスター……。
メインスラスター、サブスラスター、姿勢制御スラスター……。
メイン、サブ、制御、メイン、サブ、制御、メイン、サブ、制御、メイン、サブ、制御、メイン、サブ、制御、メイン、サブ、制御。
射撃元を考えればマイクロミリ単位の微調整。
苦しくないはずが無い。
珍しくファンネルに集中するといって、目まで瞑って集中している潤。
命中させるのであれば、センサーに写る敵機を見なくていいのか、と思うものの――
石像か何かのように動かなくなった身体。
表情は歪み、額には血管が浮かび、顔色はどんどん悪くなっていっている。
簪は大丈夫かどうか声を掛けようと悩んだが、目に見えない戦いをしている潤の邪魔になると思って、狙撃してきた相手に集中することにした。
潤が戦場での微調整を全て終え、その目を『カッ』と見開いた時、状況が全て動き出した。
それでは来年もまたご贔屓に
よいお年を