二部のターニングポイントだとしても、やりすぎたかな?
第三世代開発に遅れているデュノア社ではあるが、運用技術に限れば欧州全体でも最先端を行く。
勿論、そこで働く技術者たちも一流たちばかりだ。
そんな技術者が、日本のとある寂れた工場に集まっていた。
「……これぞフランス、これぞデュノア社。 完璧な機体だ」
いずれもお迎えが何時来ても可笑しくない老人ばかり、十人程度が出来上がったばかりの機体を囲んで喜びを分かち合う。
彼らはデュノア社がIS事業を立ち上げた際に、デュノア社社長から直接声を掛けられて集められた、同事業の初期メンバーだった。
本来重鎮だったメンバーが、何ゆえ極東の田舎町の、それも寂れた工場に集まっているのか、それは彼ら自身と、世話になった社長の願いゆえに。
「この防心壁……フィンランドの連中は、サイコウォールと言っていたが、本当にあのマインドコントロールを防げるのか?」
「小栗潤が何度もマインドコントロールを封殺しているのは確かなこと。 そして、サイコウォールはそれを可能とする機能はあるはずだ」
「しかし、パトリアの連中は本当に頭が可笑しいんじゃないか? なんだ、このイメージ・インターフェイス周りのシステム構成は?」
「私は、コレがVTシステムに関する国際法に違反してないか不安なんだが」
「あくまで選択肢はパイロットにある。 結果とアプローチが違う以上、違法になるにしても数年は稼げるから大丈夫だろう」
「違法じゃないと断言できないあたり不安だ」
コードを機体に差込み、最終チェックとばかりに投射型ディスプレイとキーボードを展開して調べ上げる。
「しかし、これで我々は完全な犯罪者だな」
「今更怖気づいたのか?」
「まさか! ここで怖気づいたり腰が引けたりするものか。 デュノア社からコア一つ持ち出したのは私だぞ?」
「犯罪者か……。 なんだか、自分が自分で無くなったようで、不思議な感覚だ」
ここ居る面子はそれぞれ重大な犯罪行為を働いている。
デュノア社の資金を用い、勝手にパトリア・グループと秘密裏に交渉を行った財務担当。
コア一つ持ち出して、寂れた工場まで貸切りにした整備責任者。
ようやくデュノア社が進めだした第三世代設計図を上に上げる前に、握りつぶして日本に運んできた企画部部長。
「あの社長婦人がデュノア社の実権を握ってから、全てが変わってしまった」
最早ここに居るメンバーの合言葉となった呟きを漏らす。
一同聞き飽きた台詞に苦笑するが、それを否定しない。
何故ならそれは事実だったからだ。
「我々の出来る、デュノア社への最後の奉公だ。 社長のお嬢様を守る楯、これを届けねば」
「大丈夫です。 この機体ならば、シックザールと対等に戦うことも出来るでしょう」
「……そうとも、やってもらわねば。 私が、社長が、皆が苦心して状況を打破しようとしているのだから」
社長秘書として働いていた男は、今のデュノア社が裏で起こっている一端を知っている。
彼からすれば社長婦人は唾棄すべき存在だった。
しかし、表立って彼女を糾弾することは出来ない。
そういう時勢であるのもそうだが、婦人の背後に、有力な犯罪組織が存在している。
違法な薬物の密輸の手助け、怪しげな研究所の手配、ドイツから遺伝子関連の技術交換……。
ある日、その報告書の一端を見てしまった男は、三ヶ月以上も障碍者の真似してホームレス生活してフランスから逃げ出した。
謎の液体に浸かる……あの物体は間違いなく――
「我々は遅かったのかもしれないが、まだ手遅れではない。 ここで、あんな外道な無法者の連中に屈する訳にはいかない」
「そうですとも。 ここで立ち上がらねば、お嬢様はいずれ奴等の手に落ちる」
「そして我が社も、あの無法者の風下で生きていく以外なくなる」
そこまで言った直後、最終チェックが終了した。
完成したその機体は、血に飢えた狼が低く唸っているような気がした。
---
キャノンボール・ファスト大会当日。
天候は澄み渡るほどの青空。
それを――、むしろ空でない何処かをじっと見据えていた潤は。
なんとなく、あの狂犬のどす黒い、穴の開いたような心が押し迫っているような気がしていた。
「いい天気だな、潤」
「……本日天気晴朗ナレドモ波高シ」
「は?」
徐々にアリーナに人が集まってくる中、秋晴れの空を照らす日光を手でさえぎりながら、一夏が潤に声を掛ける。
しかし、潤の意味深な返しを聞かされた一夏は、素っ頓狂な声をあげた。
「ふむ……。 亡国企業の連中、今回も台無しにしてくるのか?」
「ん、まあな」
「……。 え、ちょ、まさか潤が今回の大会に参加しない理由って、まさか?」
「外部の圧力もそうだが、どちらかというとメインはそっちだな。 外部云々は、理由作りにちょうど良かっただけだ」
「奴等はまったく連携をしないが、それなりに腕が立つ。 本当に大丈夫か?」
「……大丈夫、今度は私も、戦う……。 この打鉄弐式で……!」
指輪を大事そうに胸に抱えて簪が割り込む。
「打鉄、……弐式? 初めて耳にしますが、更識さんの専用機ですの?」
「うん……」
「量産機でトーナメントに参加した二人が、二人共に専用機、か。 もし、なんて無粋だけど、参加出来たら良かったのに」
簪の専用機、打鉄弐式にセシリアや、シャルロットも興味があるようだ。
特にシャルロットは一年の中で唯一第二世代を使うものとして、少しだけ寂しくなった。
機体を原因にして、自分が主戦力から外れている言い訳にはしたくない。
頭の大部分を覆い始めた思考を、かぶりを振って無理やり打ち消した。
リヴァイブだって、現行ISでもっとも安定した良機体であるのは間違いないのだ。
しかし、トーナメントでは打鉄の防御力を突破できず負け試合の遠因になり、夏の合宿で起こった福音戦では防御担当、学園襲撃では支援攻撃に徹したのに行動不能になった。
その都度、シャルロットは目の前で傷つく友人を尻目に、何も出来ない自分を呪うしかなく、その度に『もし私にも最新機があれば』と思わずにいられなかった。
「……ル……、シャル?」
「あ、ああ、うん!? なに、一夏?」
「潤は、更識さんと一緒に千冬姉の所に詰めるって言うけど、シャルはどうする?」
「えーと、リヴァイブの最終チェックがあるから、格納庫に居るよ。 ウン」
「あ、ああ、そうか」
浮気性な自分に反省。
突然一夏に声を掛けられたせいで頭がこんがらがってしまい、一夏がこの後どうするか聞くこともせずラウラと一緒に行動する事を告げてしまった。
どうせなら一夏と一緒に行動すれば良かったと思い立ったのは、一夏が会場を見に行くと言って移動し始めてからだった。
「もう! まったく、なんでこう一夏って、恋愛方向にだけ無頓着なのかな! 一緒にいくか、くらい言ってくれてもいいのに」
「それは無理だろう。 あれの鈍化ぶりは目に余るレベルだ。 どうしても手を取って欲しかったら、自分から手を差し出すしかないぞ」
「なんか、最近潤みたいな物言いするよね、ラウラって……」
「兄妹が似るのは当然のことだ」
胸を張ってラウラが答える。
ただ、その顔はとても嬉しそうだった。
「ところで、あの二人って付き合おうとか思ってないのかな?」
「潤の立場を考えれば難しいのだろう。 代表候補生と、無国籍だがISを使える男だぞ。 周囲も納得すまい」
「そっか、そうだよね……」
「言っておくがシャルロットも容易にフランスに戻れないのだろう? 他人事ではないぞ」
「う……、確かに」
キャノンボール・ファスト仕様の増設スラスターの話などを軽くしながら格納庫に向かう。
廊下を歩いていく途中、最初に異変に気がついたのはラウラだった。
気付いた後は少しだけ歩く速度が遅くなり、しきりに背後を気にしながら歩き、物を隠せるような場所があるところでは、ワイヤーが隠されているかどうか確認すらしだした。
「ラウラ、どうしたの?」
「なんとも思わんのか? 今日はいったい何の日だ?」
「一夏の誕生日」
「奴だけじゃないぞ……、違う。 今日はキャノンボール・ファスト大会当日だ」
「そうだね」
「先ほどまで人もたくさん入ってきていた」
「それで、どうしてそんなにピリピリしているの?」
「私たちは格納庫に向かっている。 そこは最も警備を厚くしなければならない場所ではないのか? 何故私たちは誰ともすれ違わない? 各IS産業関係者だって、この時間になれば既にうろついて
いる筈だ」
「そういえば……」
会場にはぞくぞくと人が集まってきている。
しかし、本当ならば多くの人間が集まるはずの格納庫に向かっているのに誰ともすれ違わない。
後ろを見る。
誰も格納庫に続く通路を歩いていない。
どうやら、意図的に人払いした誰かが居るようだ。
「どうする、ラウラ?」
「観客に紛れてならばともかく、教官の目を掻い潜って亡国企業の連中が格納庫に侵入したとは思えん。 正体は不明だが私たちにはISがある。 扉も直ぐだし、折角だ、人払いした奴らの顔を拝みに行こうじゃないか」
「わかった。 後ろはよろしく」
「了解」
気付く、気付かないで多少の遅れはあれど、並程度の訓練ならばクリアしている代表候補生二人。
しかも、ISを何時でも展開できるようにしてある。
少しして、手にかかる重みが数倍にも感じられる扉に手をかけ、一気に蹴破った。
「お待ちしておりました。 お嬢様」
果たして、そこにいたのは、いかにもパリジャンと思われるような、立派な老紳士だった。
背後にはリヴァイブに似たISが一機。
ラウラは瀟洒に一礼する老紳士を、一瞬でも逃すまいと不審人物と決め付けて睨みつけていたが、シャルロットはその男に見覚えがあることに気付いた。
「……あ、父さん……の」
「覚えていただき光栄に存じます」
「シャルロット?」
目の前の男は、女であった自分を男としてIS学園に押し込もうと、強引に推し進めた張本人だった。
その期間前に、何かのせいで気が触れたと、妙に具体的でインパクトのある噂を耳にしたので覚えていた。
本当に良く覚えている。
気が触れた、そんな噂があったのに、その瞳は鋭利な光を湛えていたのだから。
よもや自分をフランスに強制的に連れて帰る気かと思うものの、頭も身体も満足に動かない。
その燦爛と輝く瞳が、決意に満ちた悲壮な雰囲気が、ラウラでさえもそうさせていた。
しかし、最初に口を開いたのはそのラウラだった。
「デュノア社の人間か……。 こんなところで何をしている? シャルロットを連れて帰るというのなら、私も相手になるぞ?」
「ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒ、ですね?」
「そうだ」
「お嬢様に命を掛けていただけるほど仲の良いご学友が出来たことを神に感謝しましょう」
「御託はいい。 何が目的だ」
「お嬢様に託したいものがございます」
ラウラと老紳士が話しているのを、何処か他人事のように聞いていたシャルロットは、いきなり自分の名前が出てきて驚いて身を振るわせた。
本当なら自分が話さなければならないのに、名前が出てきても口を開く気にならない。
IS学園で出来た友達、大切な思い出、思い人の一夏、失いたくない……、失いたくない! そればかりが脳を支配している。
「ほ……――、ほっといてください!」
ようやく喉から出た言葉は、普段なら笑いすら誘いそうなほど、引きつったものだった。
「今更出てきてなんだって言うんです! 僕を男としてIS学園に押し込んだ人が何を? 僕は女だって勝手に暴露して会社と手を切った、あなたたちからすれば僕は裏切り者だ! 今更フランスにだって簡単に帰れない! そんな私に『託したいものがある』!? 素直に私を連れて帰るって言えばいいじゃないですか!?」
「IS学園入学に関しては――申し開きもありません。 謝罪の証に私の命が居るというのならば、差し出す覚悟です。 しかし、あの時はああするしかなかったのです」
「シャルロットを男として入学させること、それが必要だった?」
「お嬢様は、デュノア社に迎えられ、生体データを取られたあの日、いえ、それ以前からデュノア社は大きな謀の中心にいました。 闇側から身を守るためには、光側の鎖が必要だったのです」
興奮状態のシャルロットを何とか宥めつつ、代わりにラウラは考える。
以前潤も考えていたことだが、この世界の暗部がどう動くかわからない以上、表側の束縛は強くなればなる程いい。
強すぎれば問題だが、犬を飼うくらいの束縛は守ってくれる鎖になる。
この男は、『ISを動かせる第三の男』という名の鎖にしたのだろうか。
確かにインパクトは絶大だった。
「なぜそこまでして……」
「全てはあの女。 シャルロット様のお父上、その社長夫人が経営陣を牛耳ってから始まりました」
社長婦人、彼女は元々家柄が良いだけの、悪く言えば無能だった。
しかし、そんな彼女が女尊男卑の波に飲まれたデュノア社によって担ぎ上げられてしまう。
やり手の男社長の対抗馬としての御輿、それが彼女の役割だった。
最初は尊い家柄と、確かな育ちのよさを持った貴婦人として、誰もが最高の飾りとして彼女を賞賛し、無能者には身に余る権力を集中させていった。
だが、そんな彼女の経営センスはゼロ。
社長婦人が経営関係に根を深く下ろした頃になって、コイツは駄目だ、と誰かが気が付いた。
持ち上げられて、気を良くした所で地の底まで叩き落される……、そんな地獄を味わった彼女は、叶う筈もない夢を見た。
『もう一度権力の座へ』
傾きだした会社を維持し、再び元に戻しかねない偉大な社長である夫を目にし、つい自分も、と乗り気になってしまった。
しかし、そんな彼女が相手にするのは、世界でも有数の天才たちばかりであり、いいように手玉に取られ、誘導され富を毟り取られ、彼女が働けば働くほどデュノア社は傾いていく。
世界中で女性たちが活躍する一方、彼女は泥にまみれ、無能の烙印を押されて塞ぎ込んだ。
そんな時だった、悪魔の囁きが耳に届いてしまったのは。
「亡国企業……、そんな、デュノア社に……、じゃあ、もしかして、IS学園を襲ったリヴァイブは……」
「申し訳ありません、お嬢様」
友人を、一夏を襲ったのは、自分の会社が運用しているリヴァイブ。
それを知った途端、シャルロットは思わず床に座り込んでしまった。
「……シャルロットをIS学園に入れたのは、避難のためか?」
「そうです。 極東はいいですな。 距離的に離れていればそれだけでやり辛くなります。 連中はデュノア社の人脈を使い、法律など紙切れ同然の人体実験までしています。 そのターゲットに、お嬢様の名前が載ってしまった時、社長は動き出しました」
「シャルロットを男と偽ってIS学園に押し込み世界中の目を集める。 よく考えたものだ」
「とぅ、父さん、は何で……」
「どんな形であろうとも娘は娘だ。 そして、私は娘を道具として使い潰す父ではない、そうお父様は仰っておられました。 どのような因果であれ、娘であることには間違いないと」
足を引張るための材料を集めていた妻が、自分の隠し子を見つけてしまったのは父としての失態だった。
そして、その隠し子を人体実験の材料の一部にしてしまう妻をみて、父は妻を妻と見れなくなってしまった。
不意のカミングアウトに、更に混乱してしまう。
俯き、床に足を着き、尚も身体がよろめくのを感じる。
身体を支えてくれるラウラの存在が無ければ、倒れていただろう。
「それが……、それがいったいなんだって言うんです!? だったら、もう、ほおっておいて……」
「私めも重々承知です。 しかし、状況が変わってしまったのです。 連中の、人体実験が実を結びました」
「人体実験の成果?」
「詳しくは分かりません。 デュノア社に残った私の部下は、その完成報告ともう一件を報告して以降、行方不明です。 最後の一件はターゲットは、小栗潤とお嬢様、と」
僕が何をしたというのだろうか、シャルロットは幾度と無く自分に問いかけた。
危険な実験の果てに生まれた何か、亡国企業の狙いはISでなく自分と潤、その事実がシャルロットを蝕んでいく。
「その機体は……、僕を守るために……?」
「人払いは、この話を伝えるため、か」
「闇から身を守るための剣。 社長から秘密裏に言い渡され、パトリア・グループと共同で立ち上げられた『K.R.R.F.』。 正しくは『カレワラ・ラファール・リヴァイヴ・フュズィオン』です」
「カレワラ、リヴァイブ、……フュズィオン(融合)?」
リヴァイブと酷似したフォルムのIS。
しかし、何処と無く全体にフランスらしからぬ設計が読み取れる。
「パトリア・グループとデュノア社の頭脳を結集して作られ、お嬢様が戸惑わぬよう、リヴァイブを生かしたままカレワラの利点を全く落とすことなく、遥かな高みで融合させた、……内部的にはヒュペリオンの『子』とも言える、第三世代型ISです」
そっと、労わるように新たなリヴァイブの情報を開示していくシャルロット。
駆動音と共にOSが立ち上がり、続いて生体識別プログラムが走ってシャルロットを主として登録していく。
フュズィオンのセンサーも立ち上がり、機体にインストールされている武装と、機体のスペックに順次目を通していく。
男が言ったように、今までシャルロットが用いてきた武装が全てインストールされている。
パイルバンカー内蔵型の腕部シールド、高い技量を生かすために汎用性を捨て、腰部スラスターベース六機の拡張コネクタには四機の高出力マルチウィングスラスターと二機の小型推進翼も健在だ。
ラピット・スイッチに対応するために高速化された大容量バススロット、特殊軽量化された衝撃吸収性サード・グリッド装甲、マルチウェポンラック、全て以前のリヴァイブのまま。
キャノンボール・ファストのことも考えてあるのか、増設ブースターまでインストールされている。
その機体は一見何も変わっていない様にも見えてしまえるほど、以前のリヴァイブと酷似している。
しかし、実際スペックを見ているシャルロットには、リヴァイブとフュズィオンの違いがはっきりと分かっている。
リヴァイブと比べて倍近いパワーゲインがある。
それゆえ基礎的な能力は格段に変わり、しかし操作性は以前と全く変わっていないのだ。
間違いなく、第三世代で最も優秀であり、最も安定した最高傑作だろう。
それに、『ヒュペリオンの子』と言ったからには、この機体にはヒュペリオンから生み出された『何か』が施されてさえいるはずだ。
新しく買ってもらった玩具を、子供のように見ていたシャルロットだが、ふいに気付いて男を見た。
「大丈夫、ですか?」
コア一つと、第三世代型IS、巨額の資金を投じ、優秀な人材を集めねばならない最新型。
パトリア・グループに多大な貸しを作ってまでこの機体を託すことが、どれ程危険な行いか、分からないほどシャルロットは間抜けではない。
「承知の上です。 ですが、今までお嬢様が用いていたコアを私どもの手に出来るというのであれば、最悪の事態は防げるでしょう」
「では、コレを……」
手に渡っていく、嘗ての相棒。
しかし、その相棒は打算と欲望にまみれた物で、受け取るときも出来れば投げつけて手放したかった。
だけど、今は違う。
今度は――
「あの……!」
役目を終えた男が、そっと帰っていくのを、寸での所で呼び止める。
「あの、父さんに、――ありがとうって」
「はい! 必ずお伝えします!」
お礼の言葉と共に受け取れるのだから。
何時か父と本当の親子として話してみたくなった。
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シャルロットが新型機を受け取り、父との溝を少し埋めた頃、一夏達はアリーナのコースを見学していた。
勿論その周りにはシャルロット以外の何時ものメンバーが揃っている。
「セシリア、体調はどうなんだ?」
「問題ありませんわ。 潤さんが可変装甲を開いても、もう大丈夫でしてよ」
潤の脳波コントロールシステムを使用した後、セシリアはずっと頭痛に苛まれていた。
ちょっと辛い生理痛くらいなので平気な顔で授業を受けていたのだが、二、三日前にあまりの頭痛に、丸一日授業を欠席するに至った。
該当の授業はISの実技授業、ラウラとシャルロットペアと潤一人で模擬戦中に、ヒュペリオンの可変装甲が開いた瞬間、絶叫をあげて倒れこんだのだ。
保健室で意識が戻ったセシリアに曰く、『身体の中の何かが、ヒュペリオンに吸い込まれるようだった』とのこと。
話を聞いた潤は、一夏がお姫様抱っこでセシリアを保健室に運び込んだことでプリプリ怒る鈴と箒をたしなめつつ、その何かが『魂』である事を察した。
その日以来、千冬の警告もあって潤はヒュペリオンを用いていない。
潤の警告を承知でセシリアが危険を顧みず使用したので、誰かがお咎めを受ける事はなくヒュペリオンの使用を自粛する必要性はなかったのだが、クラスメイトに絶叫をあげさせてまで戦う気も無かった。
「だったらいいんだけど……、でもやっぱり、潤の使っている脳波コントロールシステム、あれは危険すぎるような気がするんだよな」
「確かに……。 それに、ヒュペリオンのシステムには謎が多い。 その危険すぎるシステムが自分の姉の息がかかっていると思うと肩身が狭いが」
「潤も気にしていたけど、ナノマシンが時たま通常の赤色と変わるのも謎って言っていたわね~。 合宿時なんて青くなってたし」
「セカンドシフト後は特に顕著ですけど、ヒュペリオンは潤さんの感情を吸い取ってのですよね? 吸い取られた感情は、何処にいっているのかしら」
ここに居ない潤の専用機、ヒペリオンの話が進む。
結局は潤すら何も知らないので、解決しないままになるが、あれほどあらゆる部分に謎が存在する機体も珍しい。
それもその筈、セシリアたちは何度やっても勝てない潤を倒すため、何度も対策会議を立てている。
その都度話題になるのが、『あの欠陥機、普通の人間が乗れないほど酷い』になるのだから。
あれはとことん潤専用機で、特定の人間が乗ると最大限の力を発揮するが、特定外の人間は乗れない。
酷い機械だ。
欠陥機ではあるが乗れているのに違いは無い。
となると理解の及ばない何処かに、あの欠陥機をまともに操れる秘密があるのだが、結局脳波コントロールに行き着く。
セシリアが絶叫をあげて倒れるようなあれに命を託している。
何時もの通り、無茶ばかり押し通して道理を蹴り散らかしている友人を心配していると、一夏の耳に、風と共に何かが響いた。
――n――――……、――。
「……なんだ? 誰か、呼んでいる……、のか?」
「いた!? なに、コレ。 頭に直接……」
一夏と鈴が同時に声を上げる。
突然の頭痛に苦しみだした鈴を余所に、一夏は導かれるように歩き出した。
箒やセシリアは不思議そうな顔をし、鈴は謎の頭痛を隠すのに精一杯だった。
「一夏さん、どこを目指していらっしゃいますの?」
「そうだぞ、一夏。 こんなところを見たってしょうがないだろう」
「いや、わかんない。 分からないけど……、誰かが俺を呼んでいるんだ」
一夏は不思議な事を言いながら、アリーナの外に出て、どんどん人気の無い場所を目指している。
鈴は一夏に付いて行ってはいるが、一夏が進めば進むほど気分が悪くなっている。
今となっては一夏が手を握って強引に連れて行っているかのようだ。
何時もなら鈴の体調を気遣うはずの一夏が、不調の鈴を全く気にしていないのも気にかかる。
その位、今の一夏は怖いくらいどんどん突き進んでいた。
「なんだ、なんなんだこの曲? ――これは、『廃墟からの復活』か?」
声、いや、歌が聞こえる。
不快には感じない。
もっと、もっと、と引き込まれるような感じだった。
「何を仰っていますの? 歌なんて聞こえませんが」
「私も聞こえないが……」
「何で、あんたら、聞こえて、無いのよ……。 ああ、もう。 煩すぎて頭が割れそう」
鈴は聞こえているらしい。
しかも、その歌が頭痛の原因らしかった。
セシリアと箒は、そんな二人を見て、何故か全身から鳥肌が立った。
自分たちは、向かってはいけない場所に向かっているのではないか、と。
そんな悪寒を余所に一夏は突き進み、鈴が痛みのあまり癇癪を起こしそうな時になって、急に景色が開けた。
空が異様に青い。
大気の汚れが一切無いような錯覚に陥る。
花壇に花、都会にありがちな植木程度のアリーナ外周部なのに、まるで渓流沿いの森林浴をしているかのような、大自然の息吹を感じる。
そんな溢れでる自然を感じる花壇の前に、まるで溶け込むように座り込む女の子は、何処か神々しく感じられた。
女の子が振り向く。
綺麗な金色と少々癖のある髪に、病的なほど真っ白い肌、触れるもの皆傷つけるような鋭い眼光、アメジスト色の瞳。
宝石のようなアメジスト色の瞳だけが、四人を捉えていた。
あなたは、だれ?
「一夏。 名前は、織斑、一夏、って皆そう呼ぶ。 それが俺の名前」
頭に直接響く声に、自分でもびっくりするほど、すんなり自己紹介できた。
他の三人は足が棒のようになって動けないのに。
しかし、一夏もまだ、目の前の少女に飲まれていた。
交差する瞳を通して、自分の中身を見られているような、そんなファンタジーのような考えから、出てきた声は上ずっていた。
しかし、そんなファンタジーな出来事が確かに起こっていたのではないかと錯覚する。
少女が口を開くことで、絡みつくような視線の侵攻か煙の様に消えたのだから。
「君は?」
「ドリー、チャイルド。 皆は、私の事を『ディー』って呼ぶよ」
---
一方潤と簪は、詰めているアリーナ警備指令室で千冬と最後の確認を取っており、実に物々しい雰囲気が支配していた。
未だ開会式すら行われておらず、入場者もようやくアリーナの半分埋まる程度ながら、頻繁にIS学園の教師たちが出入りし、状況の緊迫振りを表していた。
「まあ、かかる、かかる。 今のところ産業スパイのようだが、まるで誘蛾灯に集まる虫のようだ」
「いや~、小栗くん手馴れていますね。 凄いです。 ところで、織斑先生、全部小栗くん任せでいいんですか?」
「優秀な人間を、その才覚を遺憾なく発揮できる場に配置してやるのも指揮官の仕事だ」
「……怠けたいだけじゃ」
「何かいったか、更識」
「いえ、何も」
本当だったら千冬が指揮を執るところだが、書類や情報を裁いているのは潤だった。
渡された書類に目を通し、各監視カメラを見て無線機で指示を出す。
「どいつもこいつも三流だ……、所詮は産業スパイか。 軍務経験者は流石と言えるが、せめて洗脳ぐらい施してから送り込んでこい。 α1、こちら司令部。 第二選手控え室に不審者発見、髪はブロンズ、身長百六十前後、推定二十五~三十の痩せ型の女だ。 控え室に入ったら突入しろ。 合図はこちらで出す」
「了解」
潤の指示を受けて、教師の一人が素早く移動し、付近を警戒中の私服警備員が包囲するように展開する。
簪は口を挟む気がない、千冬は専門家に任せた方がいいと思っている、真耶だけが異論を挟んでもどうにもならない状態である。
実際こっちの方が効率がいいのもある。
びっくりするくらい潤の手際がいい。
まるで今まで本当に、こういう場面で指揮を執っていたかのようだ。
――n――――……、――。
「何だ……? 誰だ?」
潤の耳に歌声のようなものが届いたのは、そんな確認が終わり、精力的に働いていたときだった。
無意識を刺激される感覚。
自分の頭に直接響き渡る旋律。
どこかの馬鹿が、何も考えずに魔力を周囲にばら撒き、魂魄の力の一部を垂れ流しているようだ。
そんな暴挙を行うばかりか、歌声はどんどん大きくなっていく。
「ええい……喧しいぞ、シャルロット。 馬鹿な、シャルロットだと!?」
潤が突然関係ない事をブツブツ呟きだして、不審に思った簪が近寄ってきていたが、突然の大声にびくっと震える。
しかし、自分の口から出てきた内容に一番驚いたのは、当の潤だった。
その穏やかな感触から、狂犬のものとは思っていなかったが、何故シャルロットになるのか。
千冬はそんな潤を、真耶が怯えるほど鋭い瞳で見ていた。
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赤トンボを追いかけてあっちをフラフラ、こっちをフラフラ、看板に思いっきり突っ込んで頭を抱えて蹲り、再び立ち上がった後はクルクル回って日向ぼっこに移行する。
そんな、十歳くらいの不思議系か天然系の女の子。
不思議な自己紹介を済ませた彼らは、見た目小学生の彼女を心配し、親御さんの居所を尋ねたのだが、行動の通り完全な不思議ちゃんワールドに振り回されている。
とりあえず迷子と仮定して、付近に子供を捜していそうな親を探しているのだが――
「おかしいな。 子供を捜している人なんて、何処にも居ないぞ?」
「そうですわねー」
「う、うむ、確かに」
「大体、今アリーナに入れるのは選手ぐらいなんだし、居る訳ないよねー」
「……なんで真剣に探してないんだよ、みんな」
一夏以外誰も真剣に探していない。
彼女たちの頭にあるのは、『一夏との間に子供が出来たらこんな感じかな?』という妄想だけだった。
一昔前の小説にありがちな、迷子の子供と一緒に歩いて、その子供を将来の家族に重ねてというありがちなネタ。
ふらふらするドリーに業を煮やし、一夏は彼女を肩車して歩き出した。
そんな一夏を見て、箒たちはますます嬉しそうにするだけだった。
平和なのはいいことである。
「一夏は、空が好き?」
「ん? 空? ……そうだな、俺は好きだな、空」
容姿を見る限り、シャルロットと千冬を足して二で割ったような特徴を持つ彼女は、少しだけ近くなった空を見てそんなことを一夏に聞いた。
「ドリーは、空が好きなのか?」
「私はね、私の中の私じゃない私が騒ぎ出すと、いつも私じゃない私と一緒になって空に行きたくなるから空は好きだよ。 だけど、……寂しくなるかな」
言っている意味は分からないが、言葉とは裏腹にあまり好きではなさそうだ。
「寂しい?」
「空はこんなに無限に広がっているのに、人は自分を狭めてまで、空に向かおうと空で戦おうとする。 だから、空にいる人の意志を感じようとすると何時だって悲しくなるんだよ」
「だけど、ドリーは空が好きだよね?」
「うん。 だって、こんなに綺麗なんだから」
不思議なくらい誰も二人の間に割ることも無く、気味が悪いほどセシリアと鈴、箒までニコニコしている。
それを一夏は不思議に思わなかった。
もしも、潤か、千冬が居たら、不審に思っただろうが。
「でも、あの人が知っている空より、ここの空は濁っているかな」
「そう、かもな。 日本は随分開発が進んでいるから……。 IS学園や、このアリーナも、人工化された自然も、きっとISもそうなんだよな。 それが正しいかどうかなんて知ることも無いまま、便利だから、望まれているから、そうしてきたんだ」
「私の、もう一人のお父さんが正しさかなんて、ただの文字に当てはめた指標だって、そう言っていた」
「もう一人のお父さん?」
「『正しくなくとも、正しくないモノを信ずる者も居る。 事の善悪など見る立場にやって流動的に変わるものだ』、あの人はそう言った。 私もそうだと思う。 だから、私も私の信じる道を行く」
言うな否や、ドリーと名乗った少女は一夏の肩から飛び降りた。
その挙動は、まるで鈴のようで、とても小学生くらいの女の子に出来るような行動ではなかった。
「白式のパイロットがどんなのか知りたかったから呼んじゃった。 今日は、ありがとう」
「えっ……、君は、一体――」
「お礼に、本当の空に連れて行ってあげるね」
いきなり、だった。
ドリーは一夏の胸倉を掴むと、大人の腕力顔負けの怪力で自分に引き寄せ――唇を奪った。
そこで、一夏は、本当の空を見た。
もの悲しいほど明るく、ガラスのように透明で、形のない物が幾つも宙を漂い、空は水色というよりは、太陽の光を反射した煌く火の粉の渦みたいで。
星が一つ二つ消えそうにほの白くちらちらと青磁の空に瞬く。
生まれてからずっと見続けてきた空が、今はとても温かく感じた。
地面には無限に続く彼岸花の花畑、とにかく暖かくて、いい香りがする所で、美しくも激しく流れる河には泳いでいる人がたくさんいる。
とにかく、ドリーが見ている空のイメージはとても美しかった。
ドリーが、無限の成層圏まで連れて行ってくれた。
一夏のほかには誰も知らない、悠久の空、無限の蒼、それは酷く悲しい気もする。
そんな感動を無機質な電子音が邪魔をした。
「……ああ、潤か。 ――もしもし、なんだよ、いいところだったのに」
「そこを離れろ! 逃げるんだ!」
「逃げる?」
「いいからそこはヤバイ! ……!? ――いや、大丈夫になった、のか?」
「自己解決しないでくれよ」
電話で話している最中、一夏は周囲を見ていなかったので気付かなかったが、そこは普通のアリーナに戻っていた。
気持ち悪いほどの笑みを浮かべていた三人は、いきなり意識が戻って困惑している。
そんな四人を見て、ドリーは振り返ることなく走り出し、一夏が呼び止める前に人ごみに紛れ、何処かに消えてしまった。
次の日曜日(1/3)はお休みいたします。
出来れば次は10日にでも。
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