大体こんなPTSDを持った患者が一人の人間の励ましでどうかなったら精神科医なんぞいらないんです。
今彼に必要なのは、自分を見つめ直すために、ゆっくり考える時間でしょう。
鈍く痛む頭を何とか押さえつけ、ラウラの次に起きた箒は、ラウラと共にその場にいた皆を運んだ。
対拷問訓練を受けた経験のある軍人ならともかく、次に起きたのが代表候補生でもない箒だという事に戸惑ったが、第四世代は余程優秀だったと思って考えないことにした。
むしろラウラは潤以外の事を極力考えたくなかった。
優しく微笑んで罪を許してくれた、どんな相談事も親身になってのってくれた、ラウラは潤を強靭な心と力を兼ねそろえた強い男だと思っていた。
それがまさか、あんなに惨めに泣き叫んで――自殺しようとするなんて。
それとも打たれ弱い部分があったのだろうか……、ラウラは考え事をしつつも生身の人間を運搬している事から速度を出せないのが酷くもどかしく感じた。
「――今度は私が相談に乗ってやろう。 それでこそ友というものだろう。 だから、早く目を覚ませよ」
「ラウラ」
「なんだ? 今私は不機嫌なんだ。 あまり話しかけるな」
一夏やセシリア、鈴を運搬している箒が何かに気付いて一言声をかける。
先ほどから潤の事ばかり考えていたラウラは、その声が酷く鬱陶しく感じた。
「不機嫌なところすまんが、今小栗が何か落とした。 確認できるか?」
「落し物?」
センサーを頼りに潤の下付近を見ると、確かに紙切れの様な代物が宙を舞っている。
一面が白黒で、反対側は何も書かれていない物。
得意のAICで慣性を停止させると、シャルロットと潤に負担を掛けないように接近して掴み取る。
「なんだそれは?」
「白黒写真だな。 ――お兄ちゃん、鈴も映っているが、見たことのない迷彩服だ……『Fanatic Force』? なんだこの物騒な名称は、何処の国だ?」
中央に立つ潤、眼鏡をかけた女性が近くに佇み、抱きつこうとする鈴とそっくりな奴。
大型のマスクとニット帽とサングラスをかけた男に、神経質そうな男と、身の丈二メートル三十を超えそうな大男、後は没個性な男六人と女一人。
何故か全員疲労困憊の表情だ。
至急衛生兵が必要だろう。
しかし、その表情には疲労を覆い隠すほどの達成感が見て取れる。
記憶喪失といっても、生徒手帳などを持っていた情報を知っていたラウラは何の気なしにそれを持ち帰った。
「そもそも何故小栗が居るんだ? 何故気絶している? 何故お前はあそこまで狼狽していたんだ?」
「質問が多いぞ。 ISのセンサーを見るに私達全員が意識を失う状況に置かれたのだろう。 お兄ちゃんがその救助に来た、と考えるのが妥当だろう」
「いや、他の誰でもないお前が一番知っているだろう、小栗は怪我人だぞ?」
「言葉を返すが、どんな状況下だろうが、己の意を通すためなら怪我など厭わない。 そう知っているだろう?」
簪を救助に来た潤を思い出したのか、箒はそれで納得することにした。
ただ、最後の質問にラウラが答えないのは気になったが、答えてくれない以上どうしようもない。
そのまま宿泊施設まで何事もなく運搬は終わり、そんな二人をそわそわして妙な緊張感を持った千冬と、潤が落した写真の連中以上に衛生兵必要なほど顔を真っ青にした真耶が出迎えた。
セシリア、鈴、シャルロットはマインドコントロール下にあっただけで主だった外傷は無く、一夏は生体再生で怪我自体治っている事だろう。
勿論致命領域対応中の潤も完治はするのだろうが、最後の会話と映像、そして自傷行為。
死ななかったからいい、という訳ではなく、死のうとした行為そのものが問題だと思っている。
そして、その原因が、一切わからない。 出撃前から妙に興奮状態だったことを考えれば、今回の鈴そっくりなUTに何かあるのだろうと予測はしている。
「教官!」
「篠ノ之、ボーデヴィッヒ、意識のない連中をストレッチャーで運べ。 それと、ボーデヴィッヒ……、篠ノ之はさっさと行け!」
「は、はい!」
「……ボーデヴィッヒ、潤は、念のために舌を噛まないようにさせた上で、手を縛っておけ。 潤の……自殺未遂は他言無用だ。 それと、学校では教官ではなく先生と呼べ」
「……は、はい」
ストレッチャーに潤を乗せて、ISスーツのまま箒とラウラは真耶と協力して運搬を始めていく。
潤も気にかかるが救助に成功した、福音のパイロット、ナターシャ・ファイルスを放っておく訳にもいかず、一旦旅館を後にして米軍との合流を目指す。
生徒たちの無断出撃に加え、UTモードの発動、潤の出撃、そして自殺未遂。
面倒事は多いが、目下最大の心配事である今の潤には、あらゆる刺激が裏目に出かねないので、暫くはそっとしておこうと心の中で決める。
その潤は個室に運搬され自殺防止用の措置が取られた後、真耶が傍に付くことになった。
残る専用機持ちは、運搬中に一夏が目覚めた事を皮切りに、ベッドに運搬後にはシャルロットとセシリアが目をさまし、遅れて鈴が意識を取り戻して、全員が回復した。
「寝ている間に全て終わっているだなんて、変な感じですわね」
「話には聞いていたけどUTモードの精神的束縛って本当だったんだね。 僕なんて真っ先に意識が途切れちゃった」
その後は、怪我のチェックなどでニ時間程もかけて再びベッドに逆戻り、暇を持て余したので自由になった傍から機密を有する者同士話を始めた。
銀の福音戦は早々語り終え、主題はその後のUTモードへ。
目の前で装甲が泥の様に変化した瞬間、箒が真っ先に反応して撤退を告げた。
しかし、以前ならば形が完成した後に使われた精神の呪縛は、その変化が終わる前に発生して全員が意識不明となった。
あの時の、考えるより先に恐怖心が満たされるあの違和感は、何時までも残り続ける事だろう。
「うぇあああ、うぉあうぉぉおお……」
「鈴、どうしたんだ? 変な声でてるぞ」
「――いや、ちょっとすさまじい夢を見て、さ。 なんか、首がいたひ……」
「夢? あの精神を呪縛された状態で夢など見られるのか?」
「いや、俺も夢っぽいのは見たんだけど……。 やっぱり変かな?」
首をぐるぐる回して奇声を発する鈴に、気味悪がって箒が訪ねる。
その答えに疑問をもって、セシリアとシャルロットを見るが、二人で顔を見合わせた後、首をかしげた。
興味を持ったのか一夏が鈴のベッド付近に移動して、聞き出そうと試みる。
その一夏も、確かに夢らしきものを見たような気がした。
「どんな夢だったんだ? もしかしたらUTモードと関係があるかも知れないし、教えてくれよ」
「私がこんなに苦しんでいるのに何で一夏はそんなに元気なのよ……まったく。 えーとね、古い洋館で潤の手を持って一緒に歩いていて―――、そう、急に周囲が暗くなって、何故か部屋に移動していたのよ」
「支離滅裂だな……」
「一夏、話の腰を折るな。 夢っていうのはそういうものだろう。 続きは?」
「潤に金髪の女の子が抱き着いて、すごく仲好さそうでいい雰囲気だったんだけど、何故か潤がその女の子の首を剣らしきもので斬ったのよ」
支離滅裂にも限度がある。
ほがらかな内容一片、その光景を想像していた面々の体が固まった。
「その後問い詰めようとした私を刺して、私の首を絞めて、殺されちゃった。」
どうやら骨を折られたみたいで首の違和感が~、と言って再び首をぐるぐる回す。
「なんか、バイオレンスな夢ですわね……。 しかし、そう言われると薄ぼんやりと、わたくしも似たようなものを見た気がするのですが……」
「確かに、改めて聞くと、――なんとなく僕も、誰かが誰かを斬ったところを見たような気がする。 あれ、潤、なのかな?」
「なんだ、皆同じ夢を見てたのかよ。 俺も潤を夢で見てた気がするよ。 変な事に、あいつはずっと泣いていたけど」
泣いている潤と聞いて、それまで黙っていたラウラが興味を持った。
赤子の様に丸まって、無様に泣いていた潤。
その夢らしきものを見たのは、一夏、セシリア、シャルロット、鈴、ここまで揃えば偶然ではないだろう。
はっきり見たのは鈴と一夏、ぼんやりとシャルロットとセシリア、個人差こそあれど、同じ光景を目にしている。
そしてラウラ自身、ぼんやりとしているが、潤の背中を見ていた気がする。
もしかしたら、その夢は――――。
「その金髪の女、詳しく聞かせろ」
「ラウラは見てないんだ。 うーんと、ラウラの体系のまま身長を伸ばして、セシリアみたいな金髪にして、山田先生みたいな優しげな表情にした感じ」
「そうじゃない、二人の関係についてだ」
「たぶん、――――いや、言っていて私も変だと思うけど恋人だと思う」
聞いた途端全員が固まった。
最もラウラが固まった理由と、それ以外の専用機持ちたちが固まった理由は違ったが。
「恋人、だと? 仲は良さげだったか?」
「そりゃあ勿論」
「恋人、恋人か。 でも、いくら潤でも大切な人を殺めるなんて変だよ。 僕も男装して最初にあった時は色々あったけど、ああ見えて潤は結構優しいんだよ?」
「でも抱き合って髪を撫でる相手と、それを許容できる間柄よ? 普通の男女間の友達関係でそれは無いでしょ」
「それに、以前聞いた話ですと死別していらっしゃるんですし。 深く考える必要はないでしょう」
いくらか変に思ったものの、結局は夢の事でそれほど議論も活発にならずに終わる。
一夏は恋人が死んだと聞いて幾分ショックだったらしいが、皆と同様夢の事と思って聞き流した。
その一方でその背筋を、戦慄で凍らせたラウラが居た。
自分は軍人だ、そうなる可能性も考慮している――してはいるが、捕虜の身から逃れる為に恋人を殺さざる得ない状況になったら……、そう考えるといたたまれなくなってくる。
あの夢らしき代物は、UTが発した精神呪縛が関係している可能性が高い。
そして、その夢から覚める為に、お兄ちゃんと呼んで親しんだ男は恋人を殺した。
しかも、死別され、二度と会えぬ恋人を、自分の手で。
そういえばと、あの眼鏡をかけた女性ではないかと、白黒の写真を思い出した。
「その金髪の女だが、……こいつか?」
「白黒写真? たぶん、というより間違いなくって、私が映ってる!?」
ラウラの差し出した写真を見て確認するが、言い終わるより先に自分と瓜二つの容姿を持つ人物に驚愕する。
興味をそそられたのか、部屋にいた全員が、鈴の寝るベッド周りに集まった。
「これは……似ているとかそういう次元じゃないね。 僕見分けがつかないよ」
「『Fanatic Force』? すさまじい部隊名ですわね」
「しかし、この迷彩服、それに携帯している銃も見たことがない。 しかも、見る限りこれはマスケット銃じゃないか、古いにも程がある」
「あ~、そういえば鈴が転校してくる前に言っていたか、趣味以外は完全に鈴と同一人物の、悪友にして親友が。 それ、この人なんじゃないか?」
「――親友だと……!?」
ラウラを眩暈の様な感覚が襲う。
叫びそうな喉を黙らせ、事態を改めて見直してみる。
潤はこの病室にいる専用機持ちを助ける為に怪我をおして出撃した、そして精神の呪縛を逃れる為に、とんでもない選択をした。
全てを終わらせラウラの目の前で顔をくしゃっと歪ませて、目には涙を湛え、獣の様な咆哮をあげてむせび泣く潤を思い出す。
――夢は、お兄ちゃんが精神の呪縛を振り払った光景か……。
PTSD、確かに自殺したくもなる。
潤のみに降りかかった不幸に、そっと祈りをささげていると、扉が開いて真耶が姿を現した。
「ボーデヴィッヒさん……小栗くんが目を覚ましたんですけど。 ……その、一緒に来てくれませんか? 私には、荷が重くて」
「分かりました。 それよりお兄ちゃんは一人で?」
「いえ、流石にあの状態で一人にするのは……。 いえ、逆の意味で一人でも大丈夫そうですけど。 ……織斑先生が一緒です」
「…………何があったんですか?」
憔悴しきった様子の真耶を不思議に思って一夏が問いかける。
そう、彼女は憔悴しきっていた。
トラウマとなったUTモードの出現、怪我人である潤の出撃要請、専用機持ち全員がダウン、そして潤が復活したと思ったら今度は自殺騒ぎ。
目を覚ましたと思ったら、第一声に『死にそびれたか』とだけ言って押し黙っている。
うら若き二十歳中頃の彼女にはとても辛い出来事の連続で、生来の天然ボケとドジな部分から、ついついとんでもないことを口走ってしまった。
「小栗くんが、自殺、ング!」
ラウラが凍てつくような鬼気迫る形相で真耶の口を押えるも、時既に遅く、部屋にいた専用機持ち達は驚愕の表情を浮かべた。
「「「「「自殺!?」」」」」
「っち、遅かったか……」
ラウラと真耶の懺悔は、その後の喧騒に掻き消えた。
先を争うように隣室の個室へ向かおうとする一夏の前に、ラウラは一歩も引かぬと言わんばかりに立ちふさがった。
「どけよ、ラウラ!」
「ただ止める訳じゃない。 それと自殺未遂だ。 死んでいないのは箒も知っているだろう。 帰りの私や教官の混乱は、そういうことだ。 注意点が幾つかあるから聞いて行け」
「早くしてくれ」
「鬱病の患者に『頑張れ!』が厳禁の様に、言ってはいけない禁句があるかもしれん。 今、グダグダ喋るな」
「――そうか、ありがとう。 今は、ただ傍にいてやることにするよ」
そう笑って、隣室へと急ぐ一夏を見送ろうとしたが、一緒になって通ろうとした鈴が居たので全力で押しとめた。
殺した親友と、瓜二つの人間が接触なんてしたら錯乱するにきまっている。
別の理由はあるものの、同じ様にシャルロットとセシリアも静止した。
「説明はまだ終わってないから、今からする。 全員落ち着け、今度は自殺の動機の予測だ」
いきり立つ一夏を宥めて、知人の行動に動揺を隠せない一同を嗜める。
ラウラが考える理由はUTモードの夢に起因する、等を少しずつなぞっていった。
呪縛に囚われたメンバーの内、箒以外全員が同じ物を見た以上、その光景は精神の呪縛に関係すると考えて間違いない。
夢の内容が動機と考えて場合、鈴との接触は絶対に避けねばならない。
次点で金髪の二人、少々気を使い過ぎという感じもするが、僅かな刺激でも今の潤には劇薬になりかねない。
「二度と会えない親友……」
「死別した恋人……」
「わたくし達を救う為に、殺めてしまった……。 間違いであってほしいですわね」
「そして、その小栗くん相手に、私は『よくやりましたね』、『おめでとうございます』と褒めたわけですか。 そうですか……、全部本当なら引き金を引いたのは私じゃないですかぁ……」
動機を聞いて一夏は箒を伴って部屋を出て、部屋に居残ったシャルロットとセシリア、鈴と真耶は心に刻むように反芻した。
とりわけ地獄の底に向かって背を押した真耶は、今にも泣きだしそうな表情だった。
「……ちょっと風に当たってきますね」
「そうした方がいい。 患者と触れ合う人まで塞ぎ込んだら尚更悪化する。 お前ら三人は最低でも相手から接触があるまでお兄ちゃんにかまけるな」
「わかったよ、ラウラ。 それが一番潤の為になるなら、それで」
「わかりましたわ」
「……そういうことだ、鈴」
遣る瀬無さそうに俯く鈴の肩を叩き、ラウラも潤の部屋に移動する。
部屋には、シーツにくるまって膝を抱え、虚ろな表情で三角座りをした潤と、どうしたものか悩む一夏と千冬、箒の姿があった。