高みを行く者【IS】   作:グリンチ

28 / 71
妹が絡むと会長の様子がおかしくなるのは約束事。


6-2 仲を取り持つもの

「――――」

 

寝すぎて頭が痛いのか、寝られないほど痛いから起きたのか自分でも分からない。

朝日はとうに登っていた。

昨日無理矢理座ったり、車椅子に乗って潮風を浴びたりしたせいで疲労困憊の上に全身痛い。

未だ起きることを拒んでいる意識で病室を見渡す。

そして、左腕付近に水色の物体が乗っているのを発見した。

 

「――――簪?」

 

人肌の温もりが左半身から伝わってくるに、たぶん人の頭部じゃないかと思った。

シーツがはだけていたので、動かしづらい左手でなんとかかけ直す。

相手が起きないように注意しつつ――――違うそうじゃない。

癖毛が外側を向いている髪の毛、簪は内側を向いているし、そもそもこんな事をする奴じゃないし、病室にいること自体変だ。

そうこうしている間に、だいぶ思考回路が正常に戻り、状況のおかしさを理解してきた。

 

「誰だコイツ」

 

屋上にいるはずの、護衛役の黒服が居ない。

手足が動かない、毒でも盛られたかと思ったが、手足が動かないのは当然だと気付くのにも時間がかかった。

 

「やあやあ、随分遅い起床だね少年。 無茶しすぎよ?」

「お前は敵か、味方か。 どっちだ?」

「……動機、過程、そんなことより結果か。 成程、思った以上に優秀な戦士なのね」

 

鉄のように冷たい声色で問い詰める潤に対して、水色髪の女は飄々と答ええて上体を起こした。

背中からワイシャツと、下着だけの姿が写る。

――なにか、記憶に靄がかかって思い出せないが、すごく懐かしいモノを見たきがした。

TPOは何処に消えた。

思いのほか派手な下着をつけた彼女は、朝の清々しい空気を体現するように気さくに挨拶してきた。

 

「今日から私がIS学園から護衛、看病、生活補佐諸共のヘルパーとして派遣されたから、よろしくね。 旦那様」

「……一体なんだという」

 

起き上がって制服を着だした彼女、未だに敵か味方か分からないが取り敢えず視線は外しておく。

もし敵だったとしてもまな板の上の鯉なのでどうしようもないし、護衛と言ったので味方だと思いたい。

IS学園、簪と同じ水色の髪――。

 

「生徒会長か」

「そっ、私がIS学園の生徒会長、更識楯無。 簪ちゃんのお姉ちゃんよ。 たっちゃんって読んでね」

「……拒否します」

 

姉妹で性格が違いすぎる。

願わくは、簪がこんな性格になりませんように。

相変わらず動けない様態だったので、素直に制服姿になった会長の話を聞く。

 

「手術費用とか、入院代金はドイツ軍が支払うことで決着が付いたけど、護衛費はIS学園で出してるのよ。 ここまではいい?」

「つまり資金操りが難しくなったと。 それで身内から護衛を選出したということですか」

「よくできました。 頭のいい子は好きよ」

「何故生徒会長が? 普通教諭の内の誰かがやることでは?」

「生徒会長権限で強引にねじ込んでもらったから大丈夫」

 

何故そこまでの権限を持っているのかは考えないが、どうやら本気らしい。

クラスメイトの誰にも言ってないが、思いのほか様態は悪くて一人でトイレにも行けない関係から尿瓶も使っている。

今更羞恥心がどうのこうのとは言わないが、仮にも生徒会長なら暇だと思えない。

 

「看病の辛さはご存知と思いますが、正気ですか?」

「勿論。 織斑先生から許可も貰ってるよん。 二十四時間付きっきりになる関係で、一年の合宿前には寮に戻ってもらうから、そのつもりで」

「随分無茶しますね」

「無茶するのは君だけどね」

 

手持ちの閉じた扇子で口を閉ざしつつ会長は微笑んだ。

 

「まあ、私も苦労するのは知ってるわ。 それにこれはお礼なのよ」

「会長と顔合わせしたのは初めてですが」

「私じゃなくて、妹のよ」

 

会長が扇子を広げると、そこには「恩返し」と書いてあった。

しかし、病院的にこれはありなのだろうか。

昨日見た水色髪の女性が会長だったとしたら、昨日の夜から一緒だったわけで。

患者でもない会長が、潤が休んでいる個室で、しかもベッド内で夜を過ごすのは拙いだろうに。

特に他の患者とかの精神が。

それに見舞いに来るのが殆ど女性で、しかも全員容姿端麗ときている。

世界各国からエリートを集めているので優秀なのは知っているし、代表候補生がモデルの様な仕事をしているのも知っている。

しかし、生徒全員がほぼ容姿まで優れているのは何故だろう。

入試基準に容姿が関係しているのだろうか。

 

「しかし、暇ねぇ」

「そうですね」

 

会長は挨拶の為に一旦院長室に向かった後に私服に着替えてベッドに横になっていた。

随分とラフな格好で、とてもボディーガードの類には見えない。

それが狙いかとも考えたが、どうやら素の様だ。

 

「ふんふーん♪」

 

会長がぱらぱらめくっている雑誌を、傍から覗き込む。

際どい水着が所狭しと並んでいた。

モデルはどう見ても日本人ではない。

 

「何? お姉さんが着る水着に興味あるの? 着た姿を見せてもいいわよ、ポロリもあるかも」

「いらない」

「そこはお世辞でも見たいという所でしょうに。 ところでどれが似合うと思う?」

 

時折り始まる無意味に感じるトークが辛い。

何が辛いって、この芸風どこかで見たような気が、ってレベルではなく、数年パートナーだった奴にとてもよく似ているんですが。

対処方法が身に染みているので付き合いは楽だけど既視感がヤバイ。

 

「肌が白くて綺麗なので濃い色で際立たせるのがいいかと。 クリムゾンレッドの水着なんてどうです」

「意見はありがたいけど地味ねぇ。 こっちなんてどう?」

 

扇子で口を隠しつつむふふと声を漏らして、雑誌を突きつけてくる。

金色のブラジル水着、何も隠せてないというただの紐である。

この手の性格の相手をする場合、決して相手から目をそらしてはならない。

真正面に向い立ち、臆する事無く事実だけを言ってのけ、表情も軽薄な笑みを浮かべてはならない。

変に意識すると好きなだけつけあがるのは身を持って知っている。

 

「扇情的なのが好みならば此方の白をお勧めします。 水に濡れれば先ほどの水着よりも効果的と思います」

「チラリズム的な効果?」

「見えそうで見えない方といったじれったい状況が、日本人には喜ばれるケースが多いと感じるので」

「ふーん」

 

興味なさげに再び雑誌を捲りだす会長。

最後まで見終わった後に別の雑誌……よりによって下着が並んでいる雑誌を広げだした。

動揺なんてしない。

胸が大きくならないから揉んで頂戴とか、男性の白い液体を女性の子供が出来る部位に貯めておくと、魔力に還元してパワーアップ出来るからと言って襲ってくる奴に比べれば児戯の類である。

下着くらいで狼狽えると思ったら大違いだと教えてやろう。

 

「この下着なんだけど、本音ちゃんに似合うと思わない? バストサイズもぴったり」

「…………何故本音に飛び火するんです」

「あら」

「つっ! いきなり何を」

 

ベッドを揺らされ苦悶が漏れる。

直接肩を触られるより幾分痛かった。

狙ってやったのならたいしたものだ。

 

「お姉さんの誘惑に見向きもしないのに、こういう時に他の女に反応するなんて良くないわ」

「培った信用と信頼、共に過ごした時間の長さゆえの正常な反応です。 大体、こういう時って何を指しているんですか」

「年頃の男女の逢瀬」

「はいはい、面白いですね」

「癪に障る言い方ね。 よろしい、そうくるならそれらしい事でもやってみようかしら」

 

ちょっと頭を上げられると、すぐさま枕を抜き取られて、代わりに会長の足が入ってきた。

抵抗する間もなく後頭部が柔らかいものに受け止められる。

動こうにも体はいう事を聞かず、額を手で押さえつけられただけで身動きが取れなくなってしまった。

 

「どう? 私の膝枕?」

「――何がしたいんだ、貴女は」

「何と言われても。 逢瀬らしくしているだけよ」

「貴女と逢瀬を重ねるほど親しくありません」

 

頭をなでながら優しく語りかけてくる会長。

何故か居心地が悪くなり、それなりの敵意を持って問いかけるも柳に風といった有様で効果がない。

そのまま優しい手つきで撫でられて、どうも自分だけ警戒しているのが馬鹿らしくなってきてしまった。

そうなると、痛みから火照った体に会長の手が少しだけ冷い手が心地いい。

 

「眠いの? いいわよ、寝て。 私も暫くこのままこうしてるから」

「――――食えない女だ」

 

起きているだけで体力を奪う状態。

暫く膝枕のまま休んでいると、本格的に眠気が襲ってきてそのまま眠ってしまった。

楯無は自分の膝上で寝息を立てる男子生徒を労わるように撫で続けた。

今回の件は、妹の恩返しという意味合いもあるが、本人に直接会って確かめたい事も多大にあった。

 

「怖そうだけど優しい。 何でもない風でいて、臆病。 本音ちゃんの報告通りかしらね」

 

昔何があったのか知らないが腹芸が上手い。

感情を表現できず、少しでも潤の心に踏み込もうものなら拒絶する。

入学当初、まともな話し相手は本音と、谷本癒子、鏡ナギの三人だけ。

その行動は、露骨に近寄ろうとする同性の一夏まで煙たがるなど徹底している。

 

「本当に、今までどうやって暮らしていたのやら」

 

これは楯無の個人的な直感だが、潤から同業者の様な、言うなれば血の気配を感じるのだ。

それゆえ妹との同室を遮ったり、洞察力の高い本音を送り込んだりしたが、今のところ妖しげな所は出さない。

今では、そこまで用心していないが。

 

「しかし、簪ちゃんがねぇ」

 

用心していないのは、トーナメントが行われていた一週間に起因する。

姉だからこそ分かった、妹の感情の揺れ。

あれはきっと嬉しがっていたのだろう。

それに、UTモードの相手から簪が救出された場面、あれを思い返すたびに口が吊り上る。

やられたと思っていた相方が、絶体絶命のピンチに颯爽と現れ、お姫様抱っこで救出。

そして、鎮圧のための教師部隊が手を拱く相手を新型のISで瞬殺――――恋愛少女マンガの恋人役だってここまで露骨ではない。

いざ目の前、しかも当事者が主人公の女の子側で事が起こってしまえば王子様に見えてしまうとは、女はつくづく勝手な生き物だと思ってしまう。

 

「せいぜい見極めさせてもらいましょ。 簪ちゃんの為にも、ついでに私の為にも」

 

妹が少しでも変わってくれることを信じて彼の回復に期待する。

そして、もうすぐ夏だったので異性との思い出が欲しいという、割と俗っぽい願いを満たしてくれる相手を期待して。

何にも縛られない自由な時間は、ゆっくりと過ぎていった。

 

 

 

何度も寝起きするせいで、夢か現か分からなくなる事がある。

以前異世界で似たようなことを考えたことがある。

平和な平成日本は特殊部隊の潤が見た夢なのか、平成日本で発売されたVRRPGの登場人物に憑依しただけなのか真剣に悩んだ。

胡蝶の夢というもので、夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話である。

尤もこの夢を言葉として残した荘子は、「夢が現実か、現実が夢なのか? しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と言っている。

どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。

しかし、実体験として身の上で起こってしまうと、ついつい過去に思いを馳せてしまうのだが。

 

「――んぅ」

「起き上がっちゃ駄目よ。 寝てないと」

 

起き上がろうとすると、思いのほか重たい体にびっくりする。

上体が起き上がろうとする前に、扇子で額を押されて枕っぽい柔らかい物に後頭部が収まる。

 

「――ィア、いやリリムか……? 何をしている、――俺はどうなっている?」

「リリム? 女性に付ける名称じゃないわね。 寝ぼけているの?」

「俺は怪我しているのか? だったら損傷箇所をパージして……――。 ……あー、会長でしたっけ?」

 

水色髪の女生徒が見下ろしている。

ふくよかな双丘と扇子が邪魔でよく見えなかったが、少しだけ怪訝な表情をしているようだ。

ちょっと失礼、そう言って会長は潤の頭から足を引き抜くと、ベッド脇に戻っていった。

 

「ずっとそうしてたんですか?」

「まさか。 点滴とか尿瓶の交換とかあるから、時々動いてたわよ。 それより、調べたいことが出来たから、少し失礼するわ」

 

会長が姿を消す。

何を調べるのか今の潤にはわからなかったが、ガードが護衛対象から離れるのはどうなんだとそちらのほうが気になっていた。

会長が調べたがっていた人物はリリム。

神話における悪魔の一種の名前で、リリスとアダムとの間に生まれたとされる子供。

新生児を襲ったり、睡眠中の男性を誘惑し夢精させる性質から、サキュバスと関連付けられる事も多い。

潤は公の場や、不特定多数の人間がいる場で女性を淫魔呼ばわりするのが嫌だったので、リリィと愛称で呼ぶこともあった。

 

「なんだってんだ。 ――ん?」

 

一人になってから数分もせずに扉が開いた。

もう調べ物に区切りが着いたのかと思ったら、病室に入ってきたのは簪だった。

ぱあっと表情を明るくすると、両手に持ったPDAを抱くように持って早足で近寄って潤から見て左側の椅子に腰をかけた。

 

「昨日は、ごめん。 その……」

「いいよ、気にしてないさ。 相方が自分を庇って大怪我した挙句ミイラ男だからな。 俺が浅慮だった」

 

ナギに指摘されるまで気づかなかったが、いくら教育されようが生で見る機会なんてそうない。

戦場でISが用いられる状況がない以上仕方がない事なのだろう。

となれば、もし実戦で使う時が来れば、IS学園の生徒たちは人を自分の手で殺せるのか、おそらく無理だろう。

 

「それで、あの、これなんだけど――」

「PDA? えーとこれは?」

「入院中暇だろうから、病院の医療機器に対して一切の問題がない、電磁波や電波を無効化させた電子書籍用端末」

「へー、そんなものがあるのか。 ……って、まさか、自作か?」

 

恐る恐るといった表情で簪が頷く。

潤もあまりに暇なので色々探し回ったが、こんな形状の電子書籍用端末は見たことがない。

それどころか会社の刻印もない端末を見て、もしやと思って聞けばビンゴだった。

 

「相変わらず器用だな」

「書籍のダウンロードは学園じゃないと出来ないけど……」

「いいよ、そんな些細な事は。 ありがとう、入院生活が暇だったから嬉しいよ」

 

割と自由になっている左手の人差し指で端末を操作する。

色んなジャンルから十作品ほどインストールされていた。

少しばかり緊張していた様子から、咲きたての花のように破顔させる。

 

椅子から立ち上がって潤のすぐ傍まで寄ると、実際に操作して説明しだした。

 

「しかし、俺は簪の方が楽でいいなぁ……」

「何が……?」

「昨夜から恐らく専用ISを持った護衛を付けられたんだけど、どうも性格が合わなくてな。 どうにも落ち着かないんだ。 悪い人ではないと思うんだが」

 

リリムと行動パターンが似ているので面倒で仕方ない。

慣れているから楽とも言えるが、なんというか行動が理解できないのだ。

恐らく会長は独自の美学や価値観に限りなく沿って行動する、パトリア・グループ社開発者と同様の人間。

個々の美学など、戦いに生きた潤には理解が難しく、魂魄の能力が使用できない今はひたすら振り回されるしかない。

 

「……どんな人?」

「誰って、簪もよく知っている人だけど――」

「HEY、おぐちゃん、お待た――あら、簪ちゃん?」

 

左に座っていた簪が喫驚し、潤の左腕にしがみついた。

会長はゆっくり歩いて潤の右側のベッド脇に、二人に背を向けるように座る。

一挙手一投足に恐々としながら姉の行動を見守った簪だったが、すぐ近くに座ったのを見るや否や、姉に倣う様に潤に背を向けてしまった。

しばらく病室は静寂だけが支配していた。

病院に近寄ってくる救急車の音が時折り鳴り響き、落ちてきた夕日が焼けに眩しく病室を彩っている。

簪が肩を揺らすほど怯え、ばつが悪そうに俯いている。

姉と妹の間に、妙なすれ違いがあること等、魂魄の能力から促されていたが、これ程とは。

しかし、簪にも会長にも世話になった事を思えば、無視して放っておくのも憚られる。

 

「簪」

 

潤が普通に声をかけてだけだというのに簪は大きく体を揺らして驚いた。

人のことを言えるような生き方ではないが、言いたいことを言えずに過ごせば、後悔するのは身にしみて知っている。

それがどれくらい難しいかも知っているから言いにくいのだが。

両手を抱え込んで震える簪の、その両手を目指して左手を向ける。

手を包むように触れると、若干涙目でいて、縋るような視線を投げかけてくる。

 

「逃げちゃ駄目だ。 傷ついたら好きなだけ頼ってくれていい、一人で行動するのが怖いなら一緒にいてやる。 だけど、逃げて目を逸らしたって何も変わりはしない、傷は隠しても膿んでいくだけなんだ。 どんな単純なことでもいい。 少しでも触れ合ってみなければ何も解決しない。 何時までも自分の姉とこんな関係で良いのか?」

 

二人に比べれば潤の人生失敗談は多い。

言いながら自分の行動を馬鹿にしているようなので嫌な気分だが、だからこそ言える台詞でもある。

実際自分で考えて行動した期間は十九年程度だが、それでも異世界での実年齢は二十八。

IS学園教師陣の中でさえ、割かし年を重ねている方なのである。

簪は過去の体験談、そしてトーナメントでの恐怖の呪縛からか、姉から逃げ出したくなるきらいがある。

しかし、それは強く姉へ憧れていたからこその裏返しでもある。

そして、姉も姉で、妹が心配でテスト用アリーナまで潤を監視するほど妹のことを思っている。

大切だからこそ、自分に怯えている簪に対してどう接すれば良いか分からないという気持ちが強く、楯無会長は中々行動に移せないのだろう。

 

それでも簪は喋らなかった。

 

初夏特有の長い夕暮れも終わり近づき、面会時間も刻一刻と終わりに近づいている。

時間が終わるまで、三人とも喋らず黙り込んでいた。

簪は気難しく考えているような深い顔をしていた。

会長の顔色は伺えない。

そのまま終ぞ一言も喋らず面会時間終了を知らせるチャイムが病院内に木霊する。

立ち上がって帰ろうとする簪には、潤の言葉をどう思ったのかは分からない。

しかし、病室に残る二人の耳に届いた、その言葉は確かに二人の耳に届いたのである。

 

「……お姉ちゃん、また……明日」

「――――! …………うん、またおいで」

 

答えを聞く前にドアは閉まっていたので、楯無の言葉は届いたのか分からない。

しかし、姉妹の会話は、本当に久しぶりの事だった。

 

「ねぇ聞いた! 簪ちゃんが『また』だって!」

「痛ってええぇぇぇ! 右側から抱きつくんじゃねぇ馬鹿野郎!」

 

姉の歓喜の抱擁に、潤が絶叫を上げる。

喜びを爆発させた姉の顔は、嘘偽りのない嬉しそうな表情だった。




次の更新は日曜か月曜の19:00

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。