「起きろー! 布仏!」
結局時計は意味をなさず、今日も今日とて潤の大声が1030号室響く。
最近は無理やり起こすのをやめた。
少しでも目を開いて反応したら、両脇を持ち上げて強引に立たせる。
そうしないとこのルームメイト、再び目を閉じて夢の世界の住人に戻る。
「これ制服、下着を替えるなら自分で用意。 さ、着替えてこい」
「ぅぅん、わかったー」
背を押して洗面所に押し込む。
耳を澄まして衣擦れの音を聞き、起きていることを確信して部屋の外へ。
朝から潤の機嫌はすこぶる悪い。
リリムが鈴のようにアグレッシブになって襲いかかってくる夢。
今思い返しても怖気が走る。
薄ら寒いあのちんちくりんめが、吐き気がする。
「小栗くん、おはよ」
「おはよー」
「ああ、おはよう」
扉の前で待っていると、隣室からナギと癒子が出てきた。
「なんか機嫌悪い? 昨日の機嫌の良さは何処に行ったの?」
「ちょっとな。 顔に出てたか?」
「いや、昨日はなんか笑ってたじゃん。 ケータイ見る?」
「ホラホラ、笑って笑って」
癒子が潤の頬を釣り上げて無理やり唇を曲げる。
口だけ笑い、目だけ何時もどおり、そんな潤が完成した。
「あははは、ないわー、これはないわー」
「私も生で見てみたいから、今度は私の前でも笑ってねー」
女子って、朝からあんなに元気で疲れないのだろうか。
軽くため息を付きながら、そんなこんなしている間に制服姿の布仏が扉から出てくる。
「どったの?」
「……いや」
布仏をじっと見てのほほん成分を取得する。
ダウナー常時放出中、一夏曰くのほほんさん。
うん、この位で丁度いい。
「よし、食堂行くか」
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「おう、潤、おはよう」
「相変わらず、よく朝からそんなに食えるな」
「朝だから食べるんだ。 潤みたいに朝から少食なんて健康に悪いぞ」
何時もどおりの朝食。
最もらしい理由を付けていたものの、結局姉の真似で朝食をよく取るようになった一夏に、心の底からシスコン乙と反論する。
朝のメニューを見ていると、とある料理に目が留まった。
普段目もくれないこってりした料理ではあるが、何故か抗いがたい懐かしさに頼んでしまった。
「醤油ラーメン、にんにく抜きで」
湯気の立ち昇る、結構美味しそうなラーメンが盆に乗る。
「朝からラーメンなんて珍しいな」
「――何で、ラーメンなんか頼んだんだ、俺は?」
そこでようやく潤は自分の行動に疑問を抱いた。
普段気にも留めないメニューの、しかも朝からこんな量はいらない。
少しばかりパニックに陥り、周囲を見渡す。
不安に答える者はいなかった。
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「ねぇ、二組に来るっていう転校生の噂、知ってる?」
「……もしかして、中国代表候補生か?」
「おおっ、話が早いね」
「昨日、それらしき奴に会ってな。 はぁ」
朝食を殆ど一夏に押し付けた事もあって、妙な後ろめたさがあったので教室まで一緒についてきた。
癒子が一夏の隣の席なので若干居やすいのも相まって、結構居心地がいい。
「代表候補生であるわたくしを危ぶんでの転入かしら?」
相変わらず妙なポーズを決めて、セシリアが話に割ってはいる。
あのポーズ、妙に安定しているが練習したんだろうか。
「どんな奴なんだ?」
「……っち、俺は何も知らん」
「ちょ、なんだよその答え」
言いよどんでいるか、何かを懐かしんで戦慄するかのようで、だけどはっきりとした嫌悪の感情が潤の顔色からわかった。
一夏の周囲に集まったクラスメイトも若干驚く。
「どうしたんだよ。 転校生と何かあったのか?」
「いや、その、……なんというか、昔の知人に尽く特徴が一致してな。 いや、もう外見、いや趣味以外は完全に同一人物という感じでな」
小栗潤は記憶喪失状態にある。
ニュースで報道され、マスコミがある程度裏付けしており、委員会もそう判断した事柄。
飛行機から回収されたバッグにあったのは、ここ数年の雑誌や新聞。
それらも同様の事実を雄弁に物語っている。
その潤の、過去に関わるかもしれない人物。
「へえ! どんな奴なんだ、その潤の知り合い」
「いい加減、空気を読まない、TPOを守らない、自己中で、人に厄介事ばかり押し付けて、趣味が最悪で、最後の最後で……、いや最後二つは忘れてくれ」
「ふーん、なんか色々嫌な所もあったみたいだけど、仲は良かったんだな」
一夏は妙な表情をしながらも、ちょっとだけ嬉しそうな潤にそう言った。
昨晩のナギしかり、一夏もクラスメイトも潤が笑った顔を見たことは今までなかった。
「……恐ろしいことを言うのはよせ」
「何だよ、その反応。 お前そんなキャラだっけ?」
本気で嬉しそうで、本気で嫌そうで、そんな妙な表情を不思議に思う一夏。
「で、その背格好は?」
「一夏……気になるのか?」
「少しはな」
相変わらず一夏は女心に疎い。
しかし、いくら箒の性格が口より手が早い、といっても流石に一夏の扱いがひどい。
転入生を気にしただけで怒るのはどうなのだろうか。
そんなガツガツしたら男も困るぞ、と潤は若干年寄り臭い事を考えていた。
「織斑くんが勝つとクラスみんなが幸せだよー」
「織斑くん絶対にクラス対抗、勝ってね!」
「お金がっぽがっぽで、懐ほっかほか。 そんな未来が待ってるんだから」
一夏を囲って好き勝手鼓舞していたら、いつの間にかクラスの大半が集合していた。
「そう言われても最近は基礎機動制御で詰まってるしなぁ」
「聞いたところ専用機持ちって後は四組しかいないから余裕だよ!」
誰かがそういった。
その瞬間、クラスに凛とした声が響く。
「その情報、古いよ!」
そう言って現れたのは昨晩潤の前に現れたツインテールだった。
「今日から二組も専用機持ちがクラス代表。 そう簡単には優勝できないから」
「なんだそのカッコ付け、全然似合ってないぞ。 気色悪い、早く正気に戻れ」
「んなっ……! な、なんで昨晩会っただけのアンタにそこまで言われなきゃいけないのよ!」
「……鈴? お前、まさか鈴か!? というか潤の知り合いって鈴とそっくりなのかよ?」
「だー、もう色々台無しじゃない! どーしてくれんのよっ!」
「台無しなのはお前の頭だ。 最初から普通にやればいいだろうに、それと後ろを見ろ」
「うしろ~? ち、千冬さん……」
出席簿を今にも振りおろそうとしていた背後の人物は新兵教官だった。
潤評価「教官」、一夏評価「鬼教官」。
残念そうな顔から察するに、出席簿アタックを楽しんでいるのかもしれない。
「織斑先生と呼べ。 さっさと自分のクラスに戻れ、邪魔だ」
「す、すみません……」
地団駄を踏み、ツインテールを振り乱し帰っていった。
苛立たしげに揺れるリボンを目で追いつつ、潤の眉間の皺が深くなる。
随分とアグレッシブだなリリム、頭痛しかしねぇよ艶やかな性格に戻れ。
「おぐりん、大丈夫?」
「頭が痛い、気持ち悪い」
一瞬サムズアップしながら女と男の子を組み伏せ、事後状態の少女の笑顔が思い浮かんだ。
鈴そっくりの顔でこういうのだ、『女か子供相手だと妊娠の心配をしなくて最高ね』……アグレッシブに戻れ。
「また抱きしめてあげようかー?」
「結構だ」
布仏をじっと見てのほほん成分を取得する。
ダウナー常時放出中、最近癒し成分を出しているのではないかと疑っている。
うん、この感じが丁度いい。
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授業が終わるとセシリアと箒が一夏を囲ってキャンキャン騒ぎ出した。
男尊女卑は恋慕の情にまで関係しているかもしれない。
ところで――、何時の間にセシリアは、一夏に好意を抱くようになったのか、潤にとっても不思議でしょうがない。
後から気付いたが、当の潤も何時の間にか良い感情を向けられているのも気にかかる。
少し前までは、軽蔑の感情を向けられていた気がするのだが。
「小栗くん、一緒に食堂行こ!」
「携帯の栄養スナック棒食品とゼリー状の栄養ドリンクと栄養剤だけの昼食なんて体に悪いよ、絶対」
「食事とは栄養の補給が目的であり、その目標が達成できるなら何も問題ない。 不測の事態に備えるのにはアレらがいいんだ、量的な意味で軽い」
「ほほぅ、そんな事をおっしゃいますか? それなら、断りにくいようにして差し上げましょう、そうしましょう!」
「ナギと二人で作りました! はい、お弁当。 しっかり食べてね」
何時も潤はカバンから三つの栄養補強の食べ物を取り出し、さっさと食べてしまう。
今日は珍しいことに、癒子、ナギは四人分の昼食を作ってきてくれたらしい。
早起きのできない布仏にはできない芸当である。
「それは……、お言葉に甘えてありがたく頂こうかな」
ピンク色、ほのかに暖かい弁当箱を受け取る。
携帯食を好むが、暖かい手作り料理が嫌いなわけじゃなく、勿論好きである。
どんな味でも変わらない。
かつて部隊の副長に、あんこ入りクラムチャウダーを作られても完食したことさえある。
そして、二人共料理が下手そうには見えない。
箒とセシリアの包囲網から、雨に晒されている子犬のような表情で、助けを求める一夏が居たが、気づかないフリをして逃げた。
「…………何故、ここに居る。 ツインテール」
「ご飯食べに」
「ああ、そう……。 一夏なら、もうすぐ来ると思うぞ」
食堂に入ったとたん、急降下していく機嫌。
何故かそれに倣うように、不穏な気配を醸し出すツインテール。
そんな状態だったのが原因か、なるべく鈴から視線を外して、穏便に席に付こうとする潤の制服を掴んだ。
「なんだ?」
「いや、今日の朝の借りを返しておこうと思って、ね!」
中段回し蹴り。
なんとなく来そうだな~、と思っていた潤は、いきなりの展開に驚くナギや癒子の予想と裏腹に、あっさり避けた。
ついでに軸足を引っ掛け、バランスを崩すと同時に鈴の身体を半回転させる。
おまけとばかりに鈴の手を取ると、サブミッション・ホールドの体勢に入る。
「あたしの間接極めようなんて無駄……って、あ、あれ? い、いたっ? あだ、あだだだだ!?」
「もしやと思ったけど、間接のつくりまで一緒かよ。 ほんとに別人なのかコイツ? まさか……いや、やめよう」
「小栗くん、なんか、鳳さん、滅茶苦茶痛がってるよ?」
「ん、コイツがこの程度で――ああ、別人だったもんな。 そりゃそうだ。 そーら、いってこーい。 ボール(ツインテール)を相手のゴール(一夏)にシュート!」
癒子に言われるまで、目の前のツインテールが嘗ての同僚と錯覚していた。
死線をさ迷った軍人と、訓練しているただの少女、耐久力にはやはり差がある。
後が怖かったので、ようやく食堂にたどり着いた一夏にパスした。
抱きとめるようにして受け止めた一夏、潤に怒ろうとするも一夏に背中から抱きとめられて顔を紅く染める鈴、何故か殴られる一夏、更に喧しくなる箒とセシリア。
カオスな食堂だった。
あれ以来、顕著に不機嫌なセシリアと箒を加え、六人で席を囲む。
コロッケ、豚肉入り野菜炒め、卵焼き、ご飯。
『いただきます』とさっそく口に放り込む。
ひじき入りコロッケ、和風しそソース脂っこくない。
「冷めても美味しい」
「油を多く使うと出来立ては美味しいけど、冷めると味が変わるからね」
「卵は?」
「おっ、しょっぱいやつだ」
「甘いほうがよかった?」
「ハムを挟むのならしょっぱい方で正解。 実際よく合ってる、美味しいよ」
「おいしいねー」
料理を食べながら喋っている間も、セシリアと箒は一夏の一挙手一投足に注目して表情をコロコロ変えている。
自分の持ち札で相手を魅了するのも恋愛の形だが、相手の気持ちを考えないといけないと思うのだが。
恋愛とは相手がいる。
相手が振り向いてくれなければどんな魅力も無いに等しい。
異世界で恋愛ごととは無縁だった潤も、この程度はわかる。
あの朴念仁が相手では、この二人は卒業までこのままだろう。
弁当箱は洗って返そうと申し出たが、『明日も作ってあげるね』と言われて持ち帰られた。
ちょっと、明日の昼食が楽しみになった。
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昼休みギリギリまで食堂でだらだら過ごし、授業少し前に教室に戻った。
するとどうだろうか。
先に食堂から戻っていたナギが、ツインテールになっていた。
「似合う? ツインテール」
「な、なんで?」
「ほら、二組の転校生といきなり仲がいいじゃない。 それで小栗くんってツインテールが好きなのかなって」
うんうん、と周囲の生徒が頷く。
何故か一夏も一緒に頷いている。
「何でお前が頷いているんだよ」
「イテテ、何で蹴るんだよ。 ちょっと、マジで痛いんだけど」
「俺とあれを見て、何で仲良しに見える? ん~?」
「いや、仲良いだろお前ら。 鈴に、どうやったら潤と仲良くなれるか聞いたけど、今の反応も、今の返答も、全部一緒だぞ!?」
ぴたりと停止する潤。
核心を深める一夏。
何故か一夏の腹部を殴る潤。
確かに食堂の鈴と、今の潤の行動は、かなり似ていた。
「……それより、ツインテール、随分二つの横位置がずれてるな」
「えっ、う、嘘!? やっぱり慣れてないからかな~、あ、あはは……」
「座ってろ、今直すから」
「え?」
「癒子、櫛を貸してくれ。 ありがとう。 すまんが、少しの間じっとしていてくれ。 やりづらいから」
「あ、はい」
鈴と仲が良い、そんな誤解をしている一夏は無視して、ナギのツインテールを、何時ものセミロングに戻す。
何故かとんでもなく周囲が驚愕しているが、全く気にせずナギの髪を梳かす潤。
「髪……」
「なんでしょうか!?」
「髪の毛が、よく手入れされている。 手触りが良い」
「あ、ありがとうございます?」
「かがみん、借りてきた猫みたい~」
「いや、だって、コレは……ちょっと、恥ずかしい、かな」
髪の毛を梳かし終えた後、一気呵成にツインテールを作り出す。
左右にポニーテルを作る要領で髪を纏めていく。
すべては手早く、そして、一切髪の毛や頭皮にダメージを与えることなく行われ、ツインテールの作り方に慣れているのがわかった。
何故、やや短めの髪の毛の、それも男の潤がこれほど巧くツインテールが作れるのか。
それは――『お~い、根暗~、髪の毛整えて~』と、朝四時に起きなければならない、特殊部隊の士官学校でリリムに作らされていたからだった。
相方の惰性、その片鱗に巻き込まれた結果だが、こればっかりは頼みごとを断らない潤が悪い。
「うん、完璧だ」
鈴ヘア In 鏡ナギ。
潤会心の出来、リリム&鈴ヘアスタイル。
「私、今日からツインテールにする!」
「私も!」
「小栗くん、私もツインテールにするから、お願いしていいですか!?」
「今からツインテール解くから、作り直して! お願いします!」
「え? あ、ちょっと、皆して、何を――」
「授業始めるぞ。 席に着け……。 何でクラスの半分近くがツインテールになっている? 流行っているのか?」
千冬がクラスにやってきて目にしたのは、彼女の言葉通りクラスの過半数がツインテールになっている光景だった。
ちなみに潤はやっていないが、何故か一夏はなっていた。
千冬は、そんな一夏を見て、即座に出席簿を頭に叩き付けた。