「まったく。おぬしはわかっておるか? 顔の良い男なぞ世の中にはいくらでも居る。じゃが大事なのはいつ見ても飽きぬ事じゃ。あるじは確かに見掛けは普通すぎるほどに普通じゃが一時も飽きる事は無い。呆れる事はあっても飽きる事は無い。これがどれほどの希少価値かおぬしにわかるか? そもそも伴侶と言う物は……」
夕食の時間、私は何故か説教と言う名の惚気を延々と聞かされている。
話し続ける守護者様の顔は耳まで真っ赤に染まり、明らかに酔いが回っているようだ。
何故こうなったのか? それは夕食前のフィーの素朴な疑問が原因だった。
「ねえねえ、お母さんにお酒飲ませたらどうなるのかな?」
「お前、焼け野原のど真ん中で高笑いするシアちゃんを見たいのか?」
娘の疑問に間髪入れずに答える父親。
守護者様に酒乱の気があるのなら脳裏に浮かんだその光景は現実の物となるだろうということは付き合いの短い私にも容易に想像ができる。
ましてや長い時間を共に過ごした娘ならば私の想像を超える鮮明さで見えたことだろう。
それでもまだ食い下がるようだ。
「今ならほら、魔法も使えないし」
「でもなあ。今までいくら勧めても飲もうとすらしなかったしヤバそうな気がするんだよな」
あの、そこでどうして私を見るんでしょうか、おふたりとも?
揃ってこちらを向くとおもむろに口を開く。
「セリアはお酒飲んだことある?」
「食前酒程度なら口にしたことはありますが……」
「アレンはどうだ?」
「いえ、僕はまだ。成人の儀が終わってませんし」
この国の成人年齢は18才。16才のアレンにはいささか早すぎるだろう。
……彼より年下なはずのコナンが飲んでいたような気がするけれど。
「じゃあ、セリアのお酒デビューって名目で」
「セリアが勧めれば、さすがにシアちゃんも断れないだろう」
実は乗り気なんじゃないでしょうか、勇者様?
「それじゃ確実とは言えないよ」
そこに口を出すコナン。
その手には何か透明な液体の入った小さな瓶を持っている。
「それは?」
問い掛ける私に手を差し出すように言うと雫を一滴垂らす。
匂いの無いまったくの無色透明な液体を言われるがままにひと舐めすると喉の奥がひりつくように熱くなった。
「……これ、お酒ですか?」
「うん。これなら果汁とかに混ぜて飲ませられると思うよ」
確かにこれなら守護者様に飲んでもらうことは可能だろう。
「ねえ、どうしてそんなの持ってるの?」
「ノーコメント。男には女には分からない秘密があるものさ。ね、師匠」
「お、おう! ……あとでちょっと分けろよ、それ」
フィーの訝しげな声にコナンと勇者様は不自然なまでに爽やかな笑みで答える。
「まあ、いいけど。私達のには混ぜないでよね」
そして夕食の時間となり、個室を借り、乾杯をして杯を傾けたところから悲劇という名の喜劇が始まった。
「ほれ、あるじはそこに座れ。わらわはここじゃ」
そう言って、椅子に座った勇者様の膝の上に座りながら再び杯を空にする守護者様。
こちらが止める間も無く、次々と酒瓶が空になっていく。
「なんじゃ? おぬしらもここが良いのか? ならんぞ。ここはわらわの指定席じゃからな」
見つめている私達の視線に気付いたのか、頬を膨らませる守護者様。
言いながら勇者様の懐に潜り込み、自分のお腹を抱きかかえさせるように腕を回させる。
「ふふ……あるじも好き者よのう? そちらの味見は夕食の後でゆっくりとするがよい……無論、ふたりきりでな」
上気させた顔にドキリとするような妖艶な笑みを浮かべて意味の分からない言葉を投げかける少女。
同時に勇者様の姿勢が前かがみとなり、腰が引けていく。
「うわ、サキュバスだ。サキュバスが降臨した」
呟く友人の言葉に合わせて首を傾げる。
サキュバスって何だろう? そういえば前にも同じ事を言ってたような?
アレンに聞けば教えてくれるだろうか?
「ちょ、何、この可愛い生き物? 酒飲むとこんなんなるの? もっと前から飲ませとくんだった……」
「ふん……ローラの奴が酒を飲むなと散々喚くのでな。死者との約束を破るわけにはいかん」
あの、そうすると、お酒を飲んだのはローラ様に逆らうことになるのでは?
「どうせ、あの小僧の入れ知恵であろう? まあよい、騙されたとはいえ飲むと決めたのはわらわじゃからな。あやつが何故に禁じたかは分からぬが、特に問題はないであろう。のう、あるじ?」
片手で勇者様の頭を引き寄せ、耳たぶを啄みながら囁く。
「イエス、マム!」
なすがままになっている様子を見ながら思う。
ローラ様はこれを危惧していたのでは無いだろうか、と。
「これ、見てても大丈夫かな?」
耳許で聞こえた親友の声に思わず耳を塞ぐ。
「えっ? 何、その反応? そっちの趣味は無いよ?」
「ご、ごめんなさい! そういうつもりじゃなかったんですけど!」
その、見ているとつい。
私たちの様子も全く気に留めるつもりもないらしく、イチャイチャする二人は止まらない。
「そこのバカップルは放っといて、船を手に入れたことに乾杯!」
コナンが杯を掲げて音頭を取る。
お酒を飲まないと言っていたアレンが付き合っている所から見て中身は果汁か何かのようだ。
「乾杯!」
意味が分かって言ってるのかどうか、守護者様も杯を掲げて再び中身を飲み干す。
「まさか昨日の今日でもう船を手に入れてくるとはな……」
勇者様が感慨深そうに呟く。
そこにはなぜかいくばくかの寂寥感。
「うむ。さすがはわらわの娘じゃ。あやつはあるじに似て頑固じゃから説得に時間が掛かるかと思っておったのじゃがのう」
「あの、手に入れたのはコナンの活躍があってこそで……って、あのお爺さんのことをご存知なんですか?」
守護者様の言を聞く限りでは前々からの知り合いだったような口振り。
私の言葉に不思議そうに首を傾げる守護者様。
「言わなんだか? 息子じゃぞ、あれ」
「そういえば教えてなかったっけ?」
夫婦の言葉に声を失くしたのは言うまでもない。
傍らの娘に至っては頭を抱えて俯いてしまっている。
「えー……あれも私のお兄さんなんだ……誰かまともな人はいないの……?」
私のお祖父様はまともだったじゃないですか。
その、えーと、女性問題とかはありましたけど。
「何ぞ問題でもあったのかの?」
訝しげな守護者様に訪問時の遣り取りを伝える。
深い溜息を吐くと呆れたように言い捨てた。
「まあ、あるじの息子じゃからの」
そんな妻の様子に思う所があったのだろう。
勇者様が真剣な表情で告げた。
「愛してるよ、シアちゃん」
「突然、何じゃ? また浮気でもしておるのか?」
また?
「男が唐突に『愛してる』などと言う時は疚しいことがある時と相場が決まっておる。おぬしも覚えておくと良いぞ?」
はあ……勉強になります。
まあ、アレンならそんなことはないと信じてますから活用する機会はないかと。
ちらりとそちらを見やるとコナンに何やら耳打ちされている婚約者の姿。
また何か怪しいことを吹き込んでいるようだ。
「む……年寄りの戯言と思うて馬鹿にしておるな」
阻止しようと立ち上がった私の腕を守護者様が掴んで引き寄せる。
無理矢理に椅子に座らされた所で冒頭の大演説に繋がるのだった。
「……絡み酒だな」「……絡み酒だねー」
父娘で頷き合ってないで助けていただきたい。
ひたすらに演説する守護者様に、我関せずと料理に手を付ける勇者様。
フィーに至っては拘束するように私の背中側から抱き着いて時々料理を口元に運んでくる。
席から動こうとすると守護者様に睨まれるので仕方がないのだが。
「次は何が食べたいー?」
「いいかげん、動けるようにして下さい」
「よっし了解、了解っ」
軽い口調で受け応えながら、彼女の両手が私の身体の前に回される。
抱き着くようにして私の胸の下に手を入れて持ち上げる。
「ほーら、お母さん。こんな所に大きなお肉が! 何これスゴイ! 分けろ!」
「無理ですってば!」
しかし、私達のそんな遣り取りも守護者様は一笑に付す。
「ふっ……そのようなものはリィネで十分見慣れておるわ」
リィネさんといえば、何でも私達の遠いご先祖様らしい。
勇者ロトの伴侶であったと守護者様は言う。
「では、見せてやるとしよう。圧倒的な戦力というものをな……モシャス!」
どこかから立ち込めた白い煙が守護者様の小さな身体を覆い尽くす。
「うわっ! 何だこの煙!」
当然のことながら巻き込まれる勇者様はさておいて。
煙が晴れていくと、先程までの少女とは違う別の姿。
長い銀髪は青色の長髪へ、服装はローブから丈の短い真っ白いワンピースのような服へ。
何よりも顕著なのはわざと強調されているかというように露出されたその胸元と滑らかなふともも。
「お……おおおっ! 何だこの、圧倒的なまでのボリュームは! セリア以上の戦闘力だと!」
興奮したコナンが叫ぶ。
というか、戦闘力って何?
「これがおぬしらの先祖であるリィネの姿じゃ。本来ならば能力も模倣するのじゃが魔力が足りんのでの。姿だけでも別に問題はなかろう」
声もいつものような少女の声とは違い、どこかしっとりとした女性の声になっている。
台座になっている勇者様はというと、何故か拳を握りしめ全身を震わせていた。
「変身呪文も使えただと……?! これで夜のバリエーションも増える!」
……放っておこう。
よく意味は分からないが何かろくでもないことだけは分かる。
「リィネの口調はどんなじゃったかのう?」
コホン、と咳をひとつ。
「あなたの名前は何かしら?」
唐突なまでに明るく、後ろの勇者様に話しかけるリィネさん姿の守護者様。
「え……ああ、俺は――」「待って!」
面食らいながらも名乗ろうとする勇者様をすかさず止める。
「そう、確かあなたの名前は、アレ……アレ……あれ? ここまで出掛かってんだけどなー?」
「いや、だから、俺の名前は――」
「うん、思い出せないから『アレな人』でいいよね!」
「いや、いやいや、ダメだからそれ」
「あっごめんねー。『アレな人』とか失礼だよね? じゃあ、『アレな感じの人』で!」
「悪化したー?!」
「えー、これもいけないの?! 面倒くさいなー、もう『アレ』でいいよね、『アレ』!」
またひとつ咳払いをすると、声はそのままで守護者様の口調に戻る。
「とまあ、こんなもんじゃな。しかも、こやつの場合は初めて出会った場所で記憶するのでな。場合によっては『台所のアレ』などと呼ばれる可能性も――」
「風評被害も甚だしいわ!」
賢者というものに疑念を抱きつつあるのは間違いなくこの人のせいだろう。
しばらくするとまた煙に包まれ、元の姿に戻った。
「次はローラで! ローラでお願いします、先生!」
勇者様がはしゃいだように声を上げる。
記憶にある姿が再現できるというなら、憧れの人の姿を私もぜひ見てみたい。
「先生? まあ、良いか。では見ておれ。モシャス!」
再び立ち込めた煙が晴れると、そこにいたのはサマルトリアの王妃様?
でも少し雰囲気が違う。
長い黒髪を結い上げて落ち着いたドレス姿の女性はいつか見た肖像画と同じく見える。
「見よ。これがローラの姿じゃ」
「サマルトリアの王妃様にそっくりだね」
「ああ。アレの人当たりの良さを1.5倍増しにしてえげつなさを100倍増しにすればローラだ」
親子のやりとりを見ながら思う。
ローラ様は一体どんな人物であったのだろうか、と。
「あーあー……ゴホン。勇者様、私も貴方の旅にお供しとうございます」
「ん? ああ、えーと……危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」
突然始まった寸劇に目を奪われる。
これはローラの日記に描かれている新大陸へと旅立つ勇者様とのやり取り。
幼い頃から読み耽った物語の一幕に実際の人物でまみえようとは。
「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」
「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」
「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」
「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」
「そんな、ひどい……。連れてってくださいますわね?」
「危険な旅になります。貴女を連れて行くわけには参りません」
同じセリフの応酬を繰り返すこと数回。
ローラの日記では二度目の拒否の後、自分の喉にナイフを押し付けて『では、私は勇者様の腕の中で死のうと思います』との懇願に負けて勇者様が連れ出すという展開だったはず。
「連れてってくださいますわね?」
ローラ様の手の中に光るのはナイフならぬフォーク。
それを勇者様の首元に押し付けながら悲しげな声色で懇願する。
「調子に乗ってすんませんでしたー!」
まさか、これが真実だとでも言うのだろうか?
二人の口元には笑みが浮かんでいる。
「まあ、最初っから置いてくつもりは無かったしさ。こんなやり取り自体無いよ」
「うむ。あの王女がここまでしおらしいわけが無かろう? 完全な創作じゃ」
この旅に出てからというもの、私の憧れがどんどん削れていく。
本当のローラ様は一体どんな人物だったのだろうか?
「手段のためには目的を選ばないっていうか」
「自分が楽しければそれで良くて、たまたまそれが世間一般の正義に当てはまっておっただけであろうな」
聞けば聞くほど最低の人間である。
再び煙に包まれて、守護者様の姿に戻る。
そういえば、アレンはどうしてるのだろう?
これまでのやり取りには全く絡んでこなかったのだが。
「あ、あの、セリア? 今晩、この後、僕の部屋に来てくれないかな?」
唐突な言葉に少し面食らう。
けれど、私もアレンと2人で話したいことはたくさんある。
「はあ、構いませんけれども?」
私の言葉を聞いたアレンは振り向きざまにコナンと手を叩き合い、何やら喜んでいるようだ。
話をするだけなのに、一体どういうわけなのか。
「むー……」
何やらフィーも機嫌が悪い様子。
一緒にアレンの部屋に行こうと誘おうかと思っていたのだが、止めた方がいいのかも?
「ふむ……酒も無うなったことじゃし、そろそろお開きとしようかの」
「一応、この個室は朝まで借りてるから飲んでてもいいぞ?」
さすがに勇者様の言葉に従う者は居らず、それぞれ自分の部屋に戻ることとなった。
勇者様と守護者様は当然のように二人部屋、後は男女に分かれての合計三部屋。
フィーは頬を膨らませて無言のままベッドに寝転んでいる。
夜着に着替えるのも何だしこのままアレンの部屋に行っても大丈夫だろう。
「フィーも一緒に行きませんか?」
一応、声を掛けてみると慌てたように声を上擦らせる。
「は、初めてで3P?! ちょっとさすがにレベル高すぎるっていうか、やっぱり最初は二人きりがいいっていうか……」
「……? あの、何の話ですか? 話をしてくるだけなんですけど?」
首を傾げていると、深い溜息を吐いて手をひらひらさせて早く出て行けという仕草を見せた。
「うん、どうも私の杞憂だったみたい。あ、さっさと寝ちゃうから鍵は忘れずにね」
鍵を手渡されると背中を押すようにして部屋の外に放り出される。
振り向いた先で「おやすみー」という声とともにドアが閉められ、鍵を掛ける小さな音が聞こえた。
「何なんですかね、一体?」
よく分からないなりに歩いて行くと廊下の先に人だかりが出来ていた。
あの辺りは確か勇者様の部屋だったはず。
何かあったのだろうか?
「どうしたんですか?」
その中の一人に声をかけると迷惑そうな声が返ってきた。
「あんた、この部屋の関係者?」
『はい、そうです』と答えそうになった矢先に部屋の中から声が聞こえてきた。
「何じゃ、あるじ? そんなにわらわの足が気に入ったか? ならば『私は幼女に踏まれるのが好きな変態さんですぅ~』と言ってみよ」
「言えぬのか? ならばおあずけじゃのぅ?」
「ふむ、やれば出来るではないか。ではご褒美じゃ、存分に楽しむが良いぞ」
ドアの向こうでは一体、何が起こっているというのか。
聞こえてくるのは守護者様の声ばかり。
勇者様の声が聞こえないのが怖くて仕方がない。
だから、これは仕方のない選択肢だっただろう。
「いえ、全く知りません」
謁見の間でいつも浮かべていた満面の笑みで答える。
尋ねた人がわずかに身動ぎをし、道を開けてくれた。
それが呼び水となったのか、集まっていた人々が散っていく。
「これ、くすぐったいわ。いい加減にせぬか」
相変わらず、部屋の中からは謎の言語が聞こえてくるが私には無関係だと言い聞かせることにした。
アレンの部屋へと続く通路に月の光が射し込んでくる。
真っ白な光に誘われて近付いた窓の外に人影が見えた。
背の高い、華奢な女性の姿が目に写る。
その姿は先ほど別れた友人の姿に瓜二つだった。
「フィー……?」
思わず声を掛けた私に、その女性は噛み付かんばかりに声を挙げた。
「娘を知っているの!?」と
それが長い夜の始まりを告げる言葉だった。