「うぇぇぇん! 私もお母さんと一緒に行くぅ!」
「いいかげん親離れせんか! おぬしももう18であろうが!」
夕食の席、子供のように泣きながら守護者様に抱き付くフィー。
いつも子供っぽいとは思っていたけれど、ここまで感情を露わにする彼女の姿は初めて見る。
「ほら。やっぱり我慢してた」
それを達観した目で見ているのは、フィーにお酒を飲ませた勇者様。
こちらも少しお酒が入っているようで、顔がほんの少し上気している。
そもそもこうなった理由はルプガナに着いたばかりの事。
守護者様が勇者様と一緒にパーティーを抜けると言い出した事が発端だった。
「えええっ! 何で? どうして?」
「だから言うたではないか。魔法が使えぬ魔法使いなど役に立たん。あるじと共に魔力回復に専念すると」
勇者様と離れていたことが原因で魔力を失った守護者様。
平時ならばそれでも問題はないけれど、いつ何時手ごわい魔物と戦うことになるかもしれない今においては確かに心許ない。
でも、世界を救ったことのある経験を持つというだけで私達には大きな心の支えとなっていたのは事実。私達だけで戦い抜くことが出来るだろうかという不安は拭い切れない。
「魔力の無いアリシア様なんてただのロリババアでしかないし役に立たないのは事実だよな」
「誰がロリババアか!」
守護者様がコナン王子を相手に拳を振るうが、いつもは当たる攻撃もひらりひらりとかわす。
もしかすると今まで大人しく殴られていたのはわざとだったのかもしれない。考えすぎかもしれないが。
「ほらほら当ててみなよ。呪文も使えない魔法使いさん」
挑発する少年に業を煮やしたのか、その場で地団太を踏むと「ちょっと待っておれ」と言い残してその場を離れる。
再び戻って来た彼女の手には大量の小石。
「それは卑怯だろ!」
高レベルの魔法使いの腕力は熟練の戦士にも匹敵する。
雨のように降り注ぐ大量の小石が少年を打ちのめす様を見た私達はもう呆れるしかない。
「それだけでじゅうぶん戦える気がしますけど」
アレンの言葉が私達の共通認識であったことは言うまでも無い。
それでも彼女の言葉が翻る事はなかった。
「……しょうがないよね、うん。魔法使いの本分は魔法で仲間を助けることだもんね……」
気落ちしたフィーが自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
彼女にとってはいつも一緒にいた家族。一時的とはいえ離れ離れになる事を歓迎していないのは間違いない。
それでも、守護者様がそう決めたのならば私達には従うより他はない。
「暗くなってても仕方ないだろ。船を見付けるまでは俺達も協力する。とりあえず今日の所は晩飯にしようぜ」
勇者様の提案で夕食の席につき、フィーがお酒を飲まされたことで冒頭に戻る。
「姉さんはすごく寂しがり屋なんだ。いつもは我慢してるけどお酒を飲むと意識が子供の頃に戻るらしくてさ……」
アレンの説明で何となくわかった。今の彼女は初めて出会った頃の彼女、いやおそらくは私達と出会う前の彼女なのだということが。
「フィー。お母さんを困らせるもんじゃない。お前はいい子だからわかるだろ?」
「やーだー! お母さんと離れるなら悪い子でいいもん!」
駄々をこねるフィー。普段が普段だから私達にとってはその姿にもあまり違和感がないが、成人した女性が母親とはいえ幼い少女に抱き付く姿が何も知らない他人の目を惹くことは間違いない。
『フィーってお父さんっ子だと思ってたんですけど、お母さんっ子だったんですね』
「まあ、基本的に叱る役はあるじがしておったし。不本意ではあるがあるじに言わせるとわらわは子供に甘いそうじゃし」
首筋に顔を埋めて嗚咽を漏らす娘の頭を撫でてあやしながら守護者様が答える。
「また、私を置いていくの? もう一人は嫌だよ。寂しいよ」
その言葉を聞いた二人は顔をしかめる。
また、ということは過去にも似たようなことがあったのだろうか?
「フィー。離れてたって俺達は家族だろ? ほんの少しの間だけだよ」
「……嘘つき。ずっと一緒にいてくれるって約束したのに」
「フィー!」
珍しく声を荒げる勇者様。
恐怖で肩をすくめた彼女を守護者様は両手で抱き締める。
怒っているわけではない。どちらもやり切れない悔しさを顔に滲ませている。
『ここは私に任せて下さいませんか?』
思わず口を出してしまう。何か事情があるのは分かるが感情的になっては解決するものも解決しない。
幼い頃の彼女が果たして私を認識してくれるかどうかは定かではないが出来る事はするべきだろう。
『フィー? 私の声がわかりますか?』
アレンの膝の上からテーブルへと上る。マナーとしては許されない行為ではあるがこの際それは気にしない。
声をかけられた少女は埋めていた顔を少しだけ上げてこちらを見やる。
「……セリア?」
良かった。私が誰か認識はしてくれているようだ。
犬の声でも人間の頃の私の声と同じように聞こえているのか、はたまた幼少時から私を犬と認識していたのか。後者だと悲しくなるから前者だと考えよう。
とにかく、感情面は子供だが記憶や思考はおそらく現在の彼女。当然、私の今の境遇も知っているはず。
わざわざそれを告げるまでもないだろう。彼女の私を見つめる瞳には新たに涙が浮かんでいる。
『フィー。お父さんとお母さんとどっちが好きですか?』
私の突然の質問に目を見開く彼女。おそらく詰られるとでも思っていたのだろう。
「お母さん……ひっく。お父さんも好きだけどお母さんはもっと好き」
所々嗚咽が混じっているが感情が治まって来たようだ。
素直に答えてくれる。
『どうして?』
「可愛いから」
可愛いって、母親を評する言葉じゃないと思いますけど。
その言葉を聞いた守護者様も憮然とした表情を見せる。でも、彼女の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「可愛くて、強くて、かっこよくて、私の一番なりたい人。だから、一番大好き」
それを聞いた守護者様は驚いたように目を見開き、やがて何かを思案するように眼を瞑る。
『フィー。お母さんは強いんだよね? でも、フィーのためにもっと強くなろうとしてるんだよ。もっと強いお母さんを見たいよね?』
「……うん、見たい」
『そのためにはちょっとだけ修行しなきゃいけない。お母さんもフィーと離れるのは寂しいけど我慢するの。フィーもお母さんみたいに我慢できるよね?』
「我慢すれば、お母さんみたいに……なれるのかな?」
『はい。思い続けて努力すれば絶対になれます』
正直言って根拠なんてまるでない。けれど私は思い続けている。
必ずお父様やお母様、お城にいた人達を取り戻して見せると。
「うんわかった、我慢する。ありがとうセリア」
涙に濡れた顔に笑顔が浮かぶ。
フィーは私を抱き上げると……えっ? あの? 何をするつもりですか?
顔が近づいてくるんですけど。ちょっ、ちょっと待っ……!
「セリア大好き。ちゅー」
く、唇を奪われてしまいました。
これって、フィーにとってはファーストキスに当たるんじゃないでしょうか。
あれだけキスはしたことがないと言っていたのに。
アレンの方を見ると何故か和やかに笑っている。
「仕方ない。リバストの所までは付き合ってやるとしよう。あるじもそれでよいな?」
「はいはい。うちの奥さんは本当に娘には甘いんだから。セリアもありがとな」
勇者様が私の頭を乱暴に撫でまわす。
珍しく照れ隠しのつもりのようだ。今日は色々な人の意外な一面によく出会う。
「ホント? わーい! お母さんだーい好き! ちゅー」
「こ、こらやめんか! むぐ……ぐぐ、ぷはっ」
娘が甘えるように母親にキスをする。幼い頃なら微笑ましい光景だったかもしれないが成人した娘が幼い身なりの母親に、という現実を見るとどこか目眩がする。
『あの、ひょっとしていつも?』
言葉は通じないが、前足でそちらを指差して振り向くと意味が通じたのかアレンが教えてくれる。
「機嫌が直るといつもこうだよ。お酒が抜けると忘れちゃうんだけど」
次は勇者様の番らしい。父親の前に行くと顔を俯かせてもじもじしている。
「あのね、お父さん。さっきは嘘つきとか言ってごめんね」
「いいんだよ。嘘つきなのは事実だ。少しの間だけど頑張れるよな?」
頭を撫でる父親に娘は笑顔でうなずく。
「うん! お父さんも大好き!」
抱き付いてほっぺたに唇を付ける。
すぐに離れると今度はアレンの隣へ。
「……何で俺には唇じゃないんだ」
気落ちした勇者様が見えるが誰も気にしない。
やっぱりアレンにもキスをするのだろうか? 婚約者としては気が気ではない。
「アレンは、その、ちょっと恥ずかしいかなあって。だから、その、えへへ」
何かその態度は普通にキスされるよりも気になるんですけど。
今のフィーは我慢していたものをすべて表に吐き出した状態。家族に対しての親愛の表れがキスという手段だとしたら、アレンに対するこの態度は何を意味しているのだろう?
ひょっとすると……いえ、彼女に確かめたわけでもない。勝手な推測はしたくない。
「よし。仲直りした記念に乾杯だ」
「おー!」
勇者様が音頭をとりフィーが声を上げ、皆で一斉に盃を傾ける。
次の瞬間、前のめりに崩れ落ちる勇者様とフィー。一体、何が起きたのかわからない。
「……飲みすぎじゃ」
テーブルに覆いかぶさって寝息を立てる父娘。よく似た姿が微笑ましい。
二人とも元々あまりお酒に強い方ではなく、許容量を超えると寝落ちするそうだ。しかも飲み始めてからの記憶もほとんど残らないらしい。
『今までのやり取りの意味がないじゃないですか』
「約束事はよく覚えておってな。言う事を聞かん時は大抵酒を飲ませて……ゴホン。まあそれはそれでよいであろう? 今回は助かった。礼を言うぞ、セリア」
お礼の言葉で誤魔化されそうになりましたが、今何か不穏な子育て法を口にした気が。
「わらわが居らん間はフィーの事を頼むぞ。もう大丈夫かと思っておったが、わらわ達では踏み込めぬ領域もあろう。友という物は良いものじゃな」
表情に寂しさを漂わせながら汗で張り付いた娘の前髪を後ろに撫でつける。
「もうそろそろ寝る時間であろう? いつまでもテーブルを占拠しておくわけにもいくまい」
周りを見渡すと夕食時も終わり、仕事帰りの労働者たちがお酒を囲んで騒いでいる。
私達のテーブルは隅に追いやられてどこか肩身が狭い。
「ほれ、部屋に戻るぞ?」
声を掛けられた勇者様は夢うつつの状態で立ち上がるとふらふらと歩き始める。
意識は無くても言う事は聞くようだ。
「あ、こら先に行くでない」
引き止めようとする守護者様が娘の方を振り返る。
「姉さんは僕が連れて行きますよ」
アレンがフィーを抱き上げて階段に足を掛ける。
俗に言うお姫様抱っこだが私がフィーのおなかの上に座っているおかげでそんな雰囲気は無い。というかさせない。
「頼むぞアレン。……だから先に行くなと言うておろうが!……あ、しまった」
業を煮やしたのか実力行使に出た守護者様だったが、後頭部から倒れた勇者様の身体が徐々に透き通り始める。
巻き起こる喧噪を後に残して私達は今夜の宿部屋へと向かった。
「じゃあ姉さんの事はよろしく頼むよ、セリア。お休み」
『はい。お休みなさい』
ドアに鍵を掛ける音を確認して、ベッドに向かう。
安らかな寝息を立てる少女の脇に潜り込むとそこが今夜の私の寝床。
私と同い年の彼女、出会う前の彼女の事は何も知らない。今日の出来事もおそらくはそこに原因があったのだろう。いつか今夜の事を笑い合う日が来ることを夢見て私は眠りに就く。
「うにゅう……むぅー」
猫のような寝言を漏らす彼女は一体どんな夢を見ているのだろう。
大切な友人がいつも笑っていられる世界、私はそれ現実にすることを願う。
窓の外を流れる夜空の星に向って。