「大人になって変わったこと?」
ムーンブルクを出てしばらくの道中、ふと気になっていたことを聞いてみる。
幼い頃の数ヶ月間を共に過ごした私達も今はもう成人。
久しぶりに再会してお互いの立場に変化がないか確かめたくなったのだ。
……決してアレンとフィーの関係を邪推しようとしているわけではない。
「んとね。アレンが一緒にお風呂に入ってくれなくなったことかな」
へーお風呂に……はい?
『お風呂ってあの、身体を洗ったりするお風呂ですよね?』
「へっ? お風呂ってそれ以外にもあるの?」
いえ。そういう意味ではなく。
お風呂ってことはお互い裸なわけでして、いえ私もその、ほんの幼い頃には一緒に入った記憶もありますけれども。
『ちなみにいつまで一緒に?』
「3年くらい前までかな?」
3年前と言えばアレン13才、フィー15才。いくら仲が良いとはいってもさすがにそれはダメだろう。
「でも、お父さんやお母さんも一緒に入ってるよ? 家族って一緒にお風呂に入るんじゃないの?」
え? ひょっとして間違ってるのって私?
でもお父様とお母様が一緒にお風呂に入ってる所なんて見たことないし、私も幼い頃ならいざ知らず10才を迎えた頃からは一人で入っている。もちろん呼べばすぐに駆け付けられるように近くに侍女が控えているが同じ浴室に入るという事はまずない。
「普通は入らないだろ。ましてあの母上と一緒に入るメリットがボクにはまったく無い」
良かった。味方がいた。理由が個人的な損得勘定なのが気になるけど。
「視線を少し下に向けて鼻で笑っただけで湯船に沈められるなんて体験はもうしたくない」
普通の人はありません、そんな体験。
でも、その話に食いつく大人が一人。
「俺も昔、たまにはオッサンの背中でも流そうと一緒に入ったことがあったな。いや懐かしい」
オッサンなんて失礼な呼ばれ方をされている人物は当時のラダトーム王、ローラ様の実の父親のこと。勇者様にとっては義理の父親であり、私達にとってもご先祖様である。
「視線を下に向けて鼻で笑いやがったからこれ見よがしに見せつけてやったら突然殴りかかって来やがって……」
お風呂場で命の遣り取りをするのが勇者の血筋なのでしょうか?
もっとも、ラダトーム王が何に激高したのか私にはまったく想像もつきませんが。
「コナンは大人になって何か変わったこととかあるか?」
話を変えようとしたのか、勇者様がコナン王子に振る。
「そうですね。まだ小さい頃は好みの侍女に城内でいきなり抱き付いても『……ママ』と儚げに呟けば許されるどころか同情されて一緒にお風呂や一緒の布団で就寝、なんて事もあったのに、最近は即座に母上の前に突き出されるようになったことくらいかな?」
それは幼い頃からの悪行が祟っただけのようにも思えるのですが。
「犯罪じゃないの、それ?」
「ボクは寂しさに耐えかねて理想の母親像を他の女性たちに重ね合わせただけさ。自分から要求したことなんて一度もないよ」
こういうのが詐欺師って言うんでしょうね。一つ大人になった気分です。
「もっと速く歩かぬか、おぬしら!」
まるで雷が落ちたかのような突然の大音声。期せずして皆が肩をすくめる。
ずいぶんと先をアレンと並ぶようにして歩いている守護者様が後ろを振り返りながら檄を飛ばす。
さらに言い募ろうとする彼女をアレンがなだめているのが遠目でもわかる。
それで気持が治まったのかこちらを一瞥するとまた並んで歩きだす。
「お母さんってホント、アレンの事がお気に入りだよね。娘の事はどうでもいいのかな」
少しふくれたような顔で言う娘を父親が諭す。
「そりゃあ初恋の男にうりふたつで性格は正反対。シアちゃんがお気に入りにするのも仕方ないさ」
「お母さんの初恋の人? それってひょっとして初代の?」
「そ。俺達のご先祖様である勇者ロトその人さ」
幼い頃から勇者になりたいと言っていたアレンの姿に伝説に聞く勇者様の姿が重なる。
真っ青な鎧に身を包み、剣を振るっては魔物をなぎ倒す。幼い頃夢に見ていた勇者様。
私にとってはもう立派な勇者様なのだが、彼には不満らしい。
「アレンの性格の正反対と言うとすごい人間になる気がするなあ」
確かに。何となく聞き逃していたが初代勇者様は一体どんな人物だったのだろう?
女たらしが勇者の共通点だと守護者様は言っていたが冗談であったと信じたい。
「アレンと言えば、度が過ぎるくらい真面目で、どんな人間にも優しくて、愛する女性にはただただ一途で。その反対なんだから……」
「俺も詳しくは知らないがシアちゃんいわく、不真面目で怠惰、基本的に女性にだけは年齢不問に優しく、街ごとに複数の愛人がいたらしい。その余りの行状の悪さに本名が歴史から消されたくらいで、話を聞いたローラは夜の勇者って呼んでたな」
それは行状が悪いとかそんなレベルではなく、人間としてどこか間違っているような。
「そうそう。18才以下の女性は全て俺の妹だ、18才以上は全て俺の物だ、が口癖だったらしいぞ?」
「何それ。お父さんよりタチ悪い」
あの、フィー? その言い方はちょっと。
あ、ちょっとヘコんでる。
「ということは、アレンを勇者にするにはそのレベルにまで引き上げないと……」
「そうだな。あの手の真面目タイプは女を知れば少しは変わぶべら!」
何かひそひそと、まあ聞こえてますけど、耳打ちしていたコナン王子に答えていた勇者様が奇声を上げて倒れる。
見るとその傍らには赤く染まった拳大の石。
「だから、もっと速く歩けと言っておろうが!」
魔法が使えないからと言って石を投げるのはさすがにどうかと思うんです、守護者様。
目の前に流れるのは大きな川。
水深は深く流れは緩やかではあるがとても歩いて渡れるような川ではない。
ではどうやって渡るのか?
その答えになるのかはわからないが目の前にはその川を挟むように一対の塔が建っていた。
「うわぁ、風強いね」
フィーが短いスカートを押さえながら言う。
ずっと前から言おうと思っていたけれど、どうして彼女は未だにウェイトレス姿なのだろう?
「別におぬしのパンツなんぞ見たところでどうにかなる者はここにはおるまい。気にせずともよい」
そういう守護者様も私の視線から見ると下着どころか胸まで見えそうになっているのは口にしない方が良いのだろうか?
「うわっひどっ! そんな言い方ないじゃない」
確かにひどい言い分ではあるが守護者様の言う通りだとも思う。
ここにいる男性と言えば彼女の父親である勇者様と弟同然のアレン、そして唯一の他人とも言えるコナン王子の三人だけ。
そのコナン王子はというと。
「絶対面白いって。一度行けば世界が変わるよ」
「そうだな。お前はもう少し世間ってもんを知るべきだと思うぞ」
「いや、僕はそういうのには興味無いから」
何やら勇者様と一緒になってアレンを誘っている。
どんな話をしているのか気になって近づいてみた。
「アレン。ボクは父上に世界を見て来いと言って送り出されたんだ。だからこの旅は城の中では見れなかった物を見る義務があるんだよ」
「俺は昔言ったよな。勇者になるには色々な勉強をしなきゃいけないって。これもその一環だ」
いつになく真面目な表情で語る二人。
いつもは不真面目に見えるけれど、やはり彼らもアレンの事を真剣に考えてくれてるんだ。
そう思うと嬉しくなる。
「で、でも、僕はその、ぱふぱふとかちょっと……そのセリアもいますし」
アレンの言葉に一瞬思考が止まる。
「男ならたまには冒険しろって」
「そうそう。俺なんか浮気がバレて燃やされたのなんて一度や二度じゃないぞ?」
とりあえず、守護者様に報告したら石が二つ飛びました。
「昔はここに吊り橋があったんだよな」
「そういえば100年ほど前に架けた記憶があるのう」
塔の頂上に上ると川の方向には壁が無く、向こう側の塔も同じように開けている。
その間にはもちろん橋など無く、ただ何もない空間が広がっている。
「何でまた塔のてっぺんに吊り橋なんか」
フィーの言う通り。この高さから落ちたら例え下が川でも死んでしまうだろうことは間違いない。
「ある物は使わねばもったいないではないか」
「ローラがその方が面白いって言うから」
面白いかどうかでこんな所に橋を造らなくても。
当然のことながらこの橋が使われることはほとんど無く、危ないからという理由で撤去されたらしい。さもありなん。
「で、実際問題としてどうやって渡るんですか?」
同じ高さの塔の間を跳び越えるには間が広すぎる。
空を飛ぶ呪文があれば、と思ったが口を噤む。私はまたあんな目に遭うつもりはない。
「え? そりゃこうやって。ルーラ!」
勇者様が移動呪文を唱えると、真っ直ぐ空間を飛び越えて向こう側の塔へ着地する。
犬の姿では音が出ないのは知っているが思わず拍手してしまう。
「ルーラ!」
再び唱えると勇者様がこちらに向かって飛んでくる。
無事に目の前に着地すると朗らかに笑う。
「さあ行こうか!」
『私は遠慮しておきます』「お父さんを信じてないわけじゃないけどねえ?」
私が拒否の言葉を口にするとフィーも同じように拒む。
「普通に渡る方法は無いんですかね?」「船があればいいんだろうけど」
アレンとコナン王子は口々に別の方法を模索している。
「何で? 一番簡単な方法だろ? コナンもルーラ使えるんだし分かれてすればいいじゃないか」
「そんな器用な応用が出来るのはおぬしだけじゃ」
ルーラという呪文は本来街から街へと移動をするための物。
こんな短距離を飛ぶような代物ではない。
そもそも私をローレシアへと飛ばしたバシルーラという呪文も本来なら相手を遠くに弾き飛ばすだけで、場所の指定が出来るわけではない。
やはり勇者という名は伊達ではないらしい。
「じゃあ、とりあえずシアちゃんだけでも向こう側に」
そう言って有無を言わさず抱き上げると再び呪文を唱える。
真っ直ぐ向こう側へと飛んでいく勇者様。そこへ突然の風。
勇者様のマントが一瞬大きく膨らんだかと思うと急上昇する。
「お母さん!」
娘の叫び声が聞こえたか、小さな影が勇者様から離れて跳び上がると向こう側へと着地する。
「ちょっ…! 俺を踏み台に…!?」
あわれ勇者様はと言うとバランスを崩したのか、そのまま下へと落ちていく。
そして次の瞬間、再び風に煽られて急上昇。マントが鳥の翼のように大きく広がっている。
何事も無かったかのように向こう側に着地すると守護者様と何か話しているようだ。
二言三言交わすと、意を決したように呪文を唱えることなく塔から飛び降りる。
真っ直ぐというわけでも無かったが、鳥のように空を飛びながらこちらに着地する。
「ということで、どうもこいつで空が飛べるらしい」
勇者様の話によると、このマントは正式名称を風のマントと呼ぶらしい。
空を飛べるという触れ込みだったがいざ手に入れてみると高空からの滑空にしか使えなかったらしく。それでも事故率の高かった勇者様のルーラの生存確率を上げるのには大いに役立ったのだそうだ。
「さっき試した限りじゃ一度に二、三人行けるっぽかったから頑張れアレン」
一方的に話し、マントを外して手渡すとさっさとルーラで向こう側へ。
「って、えっ? 僕が着けるんですか?!」
「当然。頑張れ未来の勇者様!」
「私の弟なんだから、びしっと決めてくれないと!」
迷うアレンを二人がかりで煽る。本当にこういう時は仲が良いですよね。
「わ、わかったよ。じゃあ、行きます!」
互いに手をつなぎ、そしてアレンの足が地面を離れる。
「わーっ! 空を飛ぶってこんな気分なんだっ!」
「このまま旅が出来たら楽なのにね」
気楽に歓声を上げる二人。アレンは必死な顔で身体を捩じらせるようにして操作している。
しかし、なぜ手をつないだだけで他の二人も飛べるのだろう? アレンの懐の中で不思議に思う。
「ちょ、ちょっと! 二人とも暴れないで! わっわっセリアが落ちる!」
一瞬の浮遊感。そして落下。
焦るアレンの顔が見える。そして驚いたようにこちらを見つめるフィーとコナン王子の顔。
全てが小さくなっていく。そしてそのまま気を失った。
気が付いたら向こう側の塔の根元で青い顔をしたアレンに抱かれていて。目の前の川にはどこかで見た事のある二本の棒状の何かが生えていたことだけ覚えている。
何故か勇者様の姿だけが見えなかったが、妙に疲れていた私はいつものことだと思い、そのまま眠りにつくことにした。