ふと気が付くと、俺はベッドに寝かされていた。
清潔そうな真っ白いシーツ。
窓から差し込む、暖かな陽の光。
あまりのまぶしさに、まともに目を開くことが出来ない。
その時、視界の隅っこに銀色の何かが見えた。
日光を反射して柔らかく輝く銀色の髪を持つ少女。
そっと彼女を抱き寄せ、耳元でささやく。
「ただいま。今、帰ったよ……」
少女は、俺の首元にかじりつき、思いがけない言葉を返す。
「おかえりなさい! おとーさん!」
…………おとーさん?
銀色の髪の少女が、青い瞳に涙をためてこちらを見返す。
青い瞳?
シアちゃんの瞳は紅かったような……。
疑問を浮かべる俺に構わず、少女はもう一度叫ぶ。
「おとーさん、おかえりなさい!」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
俺が目覚めたのは、ルビス様を祀る神殿だった。
あのアイアンアントの女王との激闘の後、気絶していたところをサマルトリアから派遣された騎士団に回収されたらしい。
なんでも、ルビス様のお告げがあったとかで、ここからの要請で騎士団が動いたとの事だ。
やるな、ルビス様。アフターケアは万全という事か……。
いや、そもそもルビス様がしっかりしていれば、俺が戦う必要も無かったんだが。
ベッドにたてかけてある炎の剣を手に取る。
鞘から抜いて調べた感じ、歪みも傷も見当たらない。
さすがは城塞都市メルキドの逸品、あの技を使っても何の影響も無い。
銅の剣じゃ反動に耐えられなかったからな。
あの女王アリすらも一撃で倒した、俺の新必殺技の威力と財布の中身に身震いする。
「なにしてるの? おとーさん」
……さて、現実逃避はこのくらいにして。
俺を父と呼ぶ、傍らの少女に目を遣る。
見た目は5才くらい、銀色の髪に青い瞳、そして尖った耳を持っている。
おそらく、シアちゃんの話の中で聞いた事のある、エルフという種族だろう。
「ん、剣の具合を見てるんだ」
そして、俺はいまさら否定も出来ず、状況に流されていた。
そもそも、何故彼女が俺の事を『おとーさん』などと呼ぶのか、その理由がわからない。
わからないが、その小さな女の子を無碍に突き放す事も出来ない。
だから、状況に流されるより他に術がないのだ。
「ふーん」
さすがにこのままではいけないと考えた俺は、ベッドの傍らに椅子を置いて座る年嵩の女性に目を遣る。
俺が目覚めた時に、状況説明をしてくれた女性だ。
この状況の説明も、彼女なら出来るだろう。
何度か目配せをすると、何とか意を汲んでくれたらしい。
「フィーア。お父様に水を汲んできてあげなさい」
少女に向かって、口を開く。
「うん、わかった……じゃなくて、わかりました、せんせい!」
フィーアと呼ばれた少女は、口調を改めると部屋を飛び出していく。
開けっ放しの扉の向こうには年若い修道女がひかえている。
先生と呼ばれた女性が目配せをすると、若い修道女は扉を閉め、少女を追いかけていった。
「申し訳ありません、勇者様」
年嵩の女性が頭を下げる。
話によると、彼女はここの責任者で神官長を務めているのだそうだ。
見た目は60才くらいの優しげな風貌の女性。
どことなく晩年のローラを思い起こさせる。
……見た目だけは。
あのそこはかとない黒さまで同じだったら、俺は即刻逃げる。
そう心に決めて話し掛ける。
「それで、あの娘は何故俺の事を父親だと?」
神官長の話によると、彼女は旅の戦士である父親が連れていたらしい。
だが、その父親は感染性の強い病に罹り、隔離されているうちに亡くなってしまったのだという。
そして、彼女は父親の死を知らず、自分を置いて旅に出たと思い込んでいるのだそうだ。
「勇者様のお顔を拝見した時は、私共も驚きました」
よりにもよって、その父親と俺がうりふたつだったらしい。
しかも、俺がシアちゃんと間違えて抱き寄せた上に、耳もとで「ただいま」などと言った事が原因で、父親が迎えに来たと喜んでいるのだと言う。
「母親はいないのか?」
まあふたりで旅をしてたんだから、母親はいないに決まってるよな。
そう思いながらも彼女に尋ねてみる。
すると、意外な事に母親はいるのだと言う。
「あの娘の耳、お気付きになりましたか?」
「ああ、エルフの耳の事だろう?」
はい、と顔を俯かせながら話し始める。
彼女の母親は人間、そして父親も人間、なのに間に生まれた娘はエルフ。
俗に言う先祖返りという奴だろう。
どちらかの家系に、エルフの血が混ざっていたと考えるのが自然だ。
だが、そんな知識の無い一般人には奇異な事に映ったはずだ。
しかも、こちらの世界では存在すら確認された事の無いエルフ。
俺もシアちゃんに話を聞くまでは、そんな種族がいることさえ知らなかった。
周囲の風当たりは相当強いものだったに違いない。
「あの娘の父親は、奥様と別れ、子供を引き取って旅をしていたそうです」
安住の地を求めていたのだろう。
そして、旅の途中で命を落としてしまった。
まだ幼い我が子を残して。
「私達は、遺言に残されていた村に行き、母親に引き取ってもらうように交渉しました」
しかし、既に新しい家庭を持っていた母親はエルフの娘を産んだ事を否定した。
今の夫に知られると、離縁される可能性があるからだろうと神官長は話す。
「自分の娘の事だろう? それで引き下がったのか?」
重ねて問い掛けると、神官長も重い口を開く。
「いえ、一目逢えば意見も変わるかもと思い、面会させたのですが……」
正直に言おう。
俺はその話を聞いた時、初めて女性に対して吐き気を催すほどの嫌悪を抱いた。
その時、扉がノックされ、少女と先程の修道女の声がした。
「そろそろよろしいでしょうか?」
遠慮がちな修道女の声。
「はいってもいい?」
そして、元気な少女の声。
「ああ、いいよ。入っておいで」
俺はいつもの声を出せていただろうか?
傍らの神官長に目を遣ると、彼女はこちらの考えていた事がわかったのか、小さく頷く。
やがて、扉がゆっくりと開き始める。
少女が小さな両手で、水がたっぷりと入ったグラスを抱えるように持っている。
見ていてハラハラする足運びだ。
皆が少女の動きに注目し、部屋の中に微妙な緊張が張り詰める。
「はい、おとーさん」
無事に水が手渡された時、張り詰めていた空気が一気に緩んだのも仕方ないだろう。
グラスを口に運ぶ。
冷たい水が喉を通り、昂ぶった俺の心を静めていく。
「おいしい?」
小さく首を傾げ、そう尋ねてくる少女に愛しさを覚える。
この少女は今までどんな人生を歩んできたのだろう?
まだ5年程の人生の中で、父を亡くし、母に拒絶され、そして俺に出会った。
これは運命の導きだと呼ぶべきだろうか。
「ああ、おいしいよ。ありがとう、フィー」
父親は、少女の事をフィーと呼んでいたそうだ。
ならば、俺もそれに倣うべきだろう。
……彼女の父親になるためには。
「えへへ、よかった」
数々の辛い目にあってなお、笑顔を見せる少女を胸に抱き寄せる。
「フィー。お父さんの娘になる気はあるかい?」
「ん? わたし、はじめからおとーさんのむすめだよ?」
いじらしい娘だ。
今更この娘を突き放す事なんて俺には出来ない。
ましてや、あの話を聞いた以上、これ以外の選択肢は考えられない。
「勇者様?」
こちらを窺うような様子を見せる神官長に力強く頷き、
「この子を家に連れて帰る」
そう告げた。
「おかーさんってどんな人?」
旅の支度を始める俺に、フィーが無邪気に尋ねてくる。
本当の母親の事は、怖い女の人という認識しかしてないらしい。
それはそうだろう。
母娘らしい交流も無く、目を合わせた瞬間、化け物呼ばわりされたという話だ。
こんな可愛い娘を化け物だなんて、二度と言わせない。
そう心に決める。
「ねえ!」
娘の強い口調に、現実に引き戻される。
質問に答えなかったので、少し拗ねてしまったようだ。
「ああ、ごめんごめん。お母さんの事だったね?」
シアちゃんの姿を心に思い浮かべる。
幼い容姿に、銀色の髪、そしてフィーの青い瞳とは対照的な紅い瞳。
でも、聞きたいのは容姿の事ではないだろう。
性格といえば、負けず嫌いの甘えん坊でちょっと泣き虫。
わがままとはちょっと違うが、自分の思い通りにならないとすぐに拗ねるし、怒りっぽい。
口より先に手が出るよりも先に炎が出る。
……なんか、良い所無いんじゃないか?
でも、はっきりと言える事がある。
「お母さんはね、とても可愛くて優しい人だよ」
俺のその答えに満足したのか、笑顔を見せてくれる。
「おかーさんのこと、すき?」
俺はフィーを抱き上げ、頬にキスをする。
「ああ、もちろん。お父さんは、お母さんの事もフィーの事も大好きだよ」
少女を床に立たせ、リュックサックを背負う。
もちろん、マントの下にだ。
もう二度と、あんな惨めな死に方はしたくない。
しかも、今度は一人では身を護る事も出来ない少女を連れ歩くのだ。
思えば、今まで旅をしてきた仲間達は皆、俺より強かった。
だから俺が死んでも、ほとんど問題は無かった。
だけど今回は死ぬわけには行かない。
慎重に旅を進める必要がある。
旅の支度を済ませた俺達は、神殿の人々に見送られながら、旅立った。
シアちゃんに、どうやって話そうかと考えながら。
やっぱり、プレゼントとか買っといた方が心証も良くなるかもしれないな。
そう思いながら、傍らの娘を見遣る。
不安と期待を表情に滲ませる少女の姿に、心が奮い立たせられる。
「どうしたの、おとーさん?」
小さく首を傾げる。
どうも、この仕草は疑問をぶつける時の彼女の癖のようだ。
「何でもないよ」
そう答えながら、ふと思い付いた事があった。
あの時の翼の生えた悪魔のような姿の魔物について、リバストに聞いておこう。
俺はフィーを抱きかかえると、口を開く。
「ちょっと、お父さんの友達の所に用があるんだ。お母さんの所はその後でね」
フィーにしっかりつかまっているように言うと、呪文を唱える。
「ルーラ!」
こうして俺の旅に道連れが増え、ふたりで旅をする事になった。
この先に何が待ち受けているのか、俺達が出会った事にどんな意味があるのか。
それはまだ、誰にもわからない事だった。