おかしい。
あまりにもおかしい。
何故に、ここまで俺の知名度が低いのだろう?
確かに政務はほとんどローラに任せっきりだったし、俺の担当は子育ておよび家事全般だったと言っても過言ではない。
それでも、公式の場に顔を出す事はあったはずだ。
現にシアちゃんとふたりで旅をしていた時は、さんざん勇者様、守護者様ともてはやされていた。
ひょっとして、シアちゃんとセットでなきゃ、認識されないのか?
……いや、そんなはずはない。
そんなはずはない……と思う。
多分……いやきっと。
ローレシアの城からルーラで飛んだ俺は、サマルトリアに到着した。
サマルトリアは、俺とローラとの間に生まれた次男が興した国だ。
現在は、俺の曾孫にあたる娘が王妃をし、いわば入り婿である王が政務を取り仕切っている。
ローレシアでは幼い王子が曾孫であるのに対して、ここでは、子供もいる王妃が曾孫な理由は実に簡単。
次男とローレシアを継いだ末子の間で20才以上年が離れているからだ。
……まあ、色々と苦労があったんだよ。
毎晩のように死ぬか死なないか、ギリギリの所まで搾り取られて……いや、止めておこう。 ここから先はあまり思い出したくない。
とりあえず俺は、街へと入る事にした。
「いらっしゃい、今日は野菜が安いよ!」 「いい魚が入ってますぜ、奥さん!」
商人達の声があちらこちらからこだまする。
夕飯の準備をする主婦達で賑わっている時間帯だ。
もっとも活気にあふれている時間と言っても過言ではないだろう。
道を歩いている俺のすぐ脇を、子供達が大声ではしゃぎながら走り去っていく。
よほど治世が良いのだろうな。
そんな事を考えながら、一軒の酒場兼食堂の前へ行く。
勇者御用達の店とデカデカと看板が立てられているわりには、こじんまりとした店だ。
相変わらず、商売が上手いな。
「いらっしゃい! あれ? あんた、久しぶりだねえ」
顔見知りのおばちゃんが俺を見た途端、そんな言葉を投げ掛けてくる。
実際には俺の方がずいぶん年上なのだが、見た目は気の良いおばちゃんだから問題は無いだろう。
「ああ、1年ぶりくらいかな」
団体用のテーブル席を避け、カウンターの隅に腰掛ける。
「いらっしゃいませ!」
俺に笑顔を向けながら、15、6才ほどの少女が水を置く。
「ごゆっくりどうぞ!」
溌剌とした声で客の間をきびきびと動いている。
「あれ? 新しい娘入れたの?」
カウンターの向こうでグラスを磨くおばちゃんに尋ねる。
「ああ。あたしの姪っ子なんだけどね、どうしてもここで働きたいってね」
「なんでまた、こんな店に?」
「こんな店とは失礼だね」
とがめるような口調で、しかし笑いながら話すおばちゃん。
「勇者様に憧れてるんだとさ」
「俺に?」
聞き返す俺に、おばちゃんは笑いを堪え切れない様子で返す。
「あんたじゃなくて、勇者様にさ」
やっぱり、俺の事じゃないか。
おばちゃんは憮然とする俺の様子を見ると、彼女を呼ぶ。
「ミーナ! こっちの常連さんに挨拶しな」
「初めまして。ひと月前から働いているミーナです!」
ミーナちゃんか……、結構かわいいな。
しかも、俺に憧れている、か。
うんうん、なんか俺にも運が向いてきたなあ。
「ミーナちゃん、勇者に憧れてるんだって?」
俺がそう尋ねると、恥ずかしそうに顔を赤らめながらうなずく。
「……おばさんが言ったんですか? 黙っててくださいって言ったのに……」
おおっ! これは結構脈アリか?
よし、ここは一気に直球勝負!
「俺がその勇者様だって言ったらどうする?」
少女はきょとんとした表情を一瞬見せたかと思うと、俺の背中を叩き始める。
「あはは、お客さん、お上手〜! お客さんが勇者様なわけが無いじゃないですか」
はい? どーゆーこと?
「勇者様っていうのはですね、蒼い鎧に身を包んで、立派な剣を腰に差してて……」
夢見る瞳で理想の勇者様を延々と語り続ける少女に、思わず呆気に取られる。
ふとおばちゃんを見ると、カウンターの向こうで腹を抱えて笑っている。
こうなる事、知ってやがったな。
状況が落ち着くまで、俺は憮然とした顔で、水をすすり続けたのだった。
「で、守護者様は一緒じゃないのかい?」
客足も減りようやく落ち着いた頃、一人ちびちびと食事を続けている俺におばちゃんが話しかけてくる。
ちなみに、ミーナちゃんは昼間だけの担当らしくもう家に帰った。
俺が勇者だといくら言っても最後まで信じようとはしなかったとだけ言っておく。
「ちょっと、色々あってな……」
守護者様ってのは、シアちゃんの事だ。
勇者を護る者、国を護る者、色々意味があるらしいがいつの間にか民衆の間に広まっていた。
言葉を濁す俺に、おばちゃんがさらに詰め寄ってくる。
「また喧嘩したのかい? こういう場合は大抵男の方が悪いんだよ? さっさと謝んな」
事情も聞かずに一方的に決め付けないでくれ。
まあ、確かにその通りなんだが。
「どうせまた浮気でもしたんだろ?」
浮気なんかするわけないだろう。
しかも『また』ってなんだ。
「前にも、通りすがりの女の子に声を掛けたのなんだので喧嘩してたじゃないか」
……してたけど。
「さっきもウチの娘にちょっかい掛けようとしてただろ?」
……その通りでございます。
「確かあの時は『可愛い女の子に声を掛けるのは、男の義務だ』とか言って、燃やされてなかったっけ?」
そこまで言われては、さすがの俺もこう言うより他は無かった。
「ごめんなさい。事情を話しますから、これ以上は勘弁してください」と。
おばちゃんは、俺の事もシアちゃんの事も良く知っている。
かいつまんで何があったのかだけを正直に打ち明ける。
「あんた、本当に馬鹿だね」
言われなくてもわかっている。
が、改めて他人から言われるとへこむ。
「あたしでも、そんな事を旦那に言われたら怒るね」
今考えると、確かにその通りなんだよな。
シアちゃんが俺に隠し事をしてた事が気に障ったのかも知れない。
けれど、彼女にも悪気があったわけじゃない。
「……わかった。すぐに帰って謝るよ。じゃあ、おつりはいらないから」
俺はそう言って、10ゴールド貨幣を2枚、カウンターに置いて立ち上がる。
『おつりはいらないから』
くぅっ、この言葉、一度言ってみたかったんだよなあ。
感動に酔いしれながら、扉に手を掛ける。
「待ちな!」
おばちゃんの鋭い声が俺を呼び止める。
「なんだ?」
振り返る俺に、一言が告げられる。
「5ゴールド足りないよ」
あー、わかってたよ、どうせそんなオチなんだって事はな。
俺が格好良く決められる事なんて無いんだよ、コンチクショー。
「悪いね。最近、物価が上がってんだよ」
前に来た時は、同じメニューで18ゴールドだったからな。
なんでいきなり値段が跳ね上がっているのか、不思議でたまらない。
「市場は賑わってるみたいだったけど?」
そう聞き返す俺に、おばちゃんが理由を話す。
何でも、最近街道にアイアンアントが大量に出没するようになったそうだ。
アイアンアントというのは、中型犬くらいの大きさのアリで、1匹では大した脅威ではない。
ただ、仲間を呼ぶ事があり、その数が脅威的なのだ。
近くに巣が出来たらしいが、どこにあるのかわからないために駆除が進まないらしい。
「それで、護衛を雇う分だけ商品の値段が高くなるって寸法さ」
アリごときの分際で、俺の人生の夢をぶち壊しやがって。
まだ見ぬアイアンアントに怒りをぶつけながら、おばちゃんに別れを告げる。
「まずは銀行に行って、金を預けてから、懐かしい我が家に帰るとしますか」
実際には、家を出てから一日も経ってない。
懐かしいも何もあったもんじゃない。
帰ったらまず土下座して、多分何度か殺されるから、金をどこかに預けとかないとな。
死んだら所持金が半分になるってのはどうにかならんものだろうか。
金で命がどうにかなるって言うのだから、便利な事この上ないが、後のことを考えると頭が痛くなる。
「1000ゴールド単位で受け付けております」
「そこをなんとか!」
渋る受付のお姉さんに、土下座をする。
「そう言われましても、規則ですから……」
仕方ない、あの方法を使うか。
カウンターに置いた財布を懐に仕舞おうとすると、ついうっかり、ロトの印が懐から顔を覗かせる。
ついうっかり、だぞ。
「あ、あの、もしかして、勇者様ですか?」
ビンゴ!
預かり屋も兼ねているから、一目で気付くと確信していた。
「ああ、そうだけど。規則って言うなら仕方ないな」
そう言って立ち去るそぶりを見せる。
「いえ、あの、事情がおありなのでしたら、個人的にお預かりします」
「いや、君に迷惑が掛かるかもしれないから……」
俺がそううそぶくと、彼女は身を乗り出してこう言った。
「ぜひ預からせてください!」と。
勇者の肩書きってのも、たまに使うと効果的なんだよな。
……いつもやってるわけじゃないぞ。
いつもは勇者扱い自体されないんだから、たまにはいいじゃないか、なあ。
誰に言うわけでもなく、ひとりごちながら必死に良心を抑え込む。
「さて、ローレシアに戻るか」
門の外に出て、すっかり暗くなった空を眺めながら呪文を唱える。
「ルーラ!」
サマルトリアの街がみるみる小さくなっていく。
どうやって謝るのがいいんだろうな。
そんな事を考えながら飛んでいたのが悪かったのだろう。
突然、全身に衝撃が走る。
何かにぶつかった?!
そう思ったのも束の間、魔法の力を失い、まっさかさまに落ちていく。
ぶつかった相手は見た事もない魔物だ。
俺のほうを一瞥すると、助けに来る様子も見せずに飛び去っていく。
翼の生えた悪魔のような外見をしていた。
今度、リバストに会ったら叱ってもらおう。
って、今はそんな場合じゃない!
「落ーちーるー!!」
でも大丈夫。
こんな時のための風のマント。
備えは万全さ!
俺は風のマントに手を掛けると、勢いよく翻す。
翻す……アレ?
何か、引っ掛かってる。
落ちながら、懸命に背中を見る。
って、どうして俺は、マントの上にリュックサック背負ってますかーーー?!
無情な現実の前にどうしようもなく、俺は地面に叩きつけられたのであった。