リトルプリンセス(ああ、無情。外伝)   作:みあ

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第十話:魔物辞典

 スライムは誰でも知っている、ありふれた魔物である。 

 しかしながら、高い知識を有したものもあり、様々な亜種が確認されている。 

 その肉には毒があるため、生食には適さない。 

 火を通せば毒が消えるが、同時に独特の食感も失われる。 

 よほど困窮していない限り、食べない方がいいだろう。 

 

 ドラキーは集団で現われることが多い。 

 しかしながら力は弱く、呪文も使わないので熟練した冒険者なら苦も無く倒せる。 

 その肉は硬く、それほど味の良い物ではない。 

 けれども毒が含まれている事はまず無いので、保存食が無くなった時には重宝するだろう。 

 

 ダイオウイカは海に現われる魔物の中でも最大と目される種族である。 

 その巨体と幾つもの触手は冒険者達を悩ませることだろう。 

 肉には刺激臭があり、煮ても焼いても食べられない。 

 そこに至るまでの苦労とは裏腹に、実入りの少ない魔物の代表格である。 

 

 鉄のサソリはその名のごとく、全身を鋼鉄のような表皮で覆っている。 

 並みの武器では歯が立たず、熟練者にとっても手強い魔物の一つであろう。 

 されどその反面、魔法に対しては非常に弱く、初級呪文でも容易に表皮を貫く事が出来る。 

 その硬い表皮のため、調理は難しい部類に入るが、非常に良いダシが出る。 

 適当な大きさにしたら、そのまま鍋で煮るといいだろう。 

 

 以上、ローラの魔物辞典より抜粋。 

 

 

「このひとが、ローラ?」 

 

 フィーが、俺達の結婚式を描いた絵を指差す。 

 80年以上前の思い出の一つだ。 

 満面の笑みを浮かべた、俺達三人が描かれている。 

 ローラは純白のドレスに身を包み、優しげに微笑んでいる。 

 

「うん、僕達のひいおばあちゃんなんだよ、お姉ちゃん」 

 

 俺の代わりにアレンが答え、隣ではセリアがうなずいている。 

 ちなみに『お姉ちゃん』というのは、フィーの事だ。 

 前に教えた、年上の女の人の事はお姉ちゃんと呼ぶのが礼儀という言葉を少女なりに忠実に守った結果だ。 

 子供の前で不用意にその場しのぎの嘘をつくものではないという見本でもある。 

 

「ひいおばあちゃんって、おかーさんのおかーさんのおかーさんだよね? でも、おとーさんとおかーさんがいっしょにいるよ?」 

 

 やはり、これは避けては通れない問題だな。 

 フィーが俺の顔を見上げながら、首をかしげる。 

 その様子に耐え切れず、これは話すべき事だと決心する。 

 

「フィー、実はお父さんはな、今年で107才なんだ」 

 

 俺の言葉に衝撃を受けたのか、フィーはしばらく逡巡した後、口を開く。 

 

「おとーさん、107さいっていくつ?」 

 

 ふむ、まさかそうくるとは。 

 こりゃお父さん、一本取られたなあ、あっはっは。 

 

「すごいお爺さんってことだよ」 

 

「おかーさんも、107さい?」 

 

 シアちゃんの方をちらりと見る。 

 案の定、年齢の話になっていささか機嫌が悪いようだ。 

 でも真実を伝えなければならない。 

 

「お母さんはね、今年で400さ……痛っ!」 

 

 途中まで言い掛けた所で、後ろから足を蹴られる。 

 

「399才じゃ!」 

 

 たった一年違うくらいでどうしてそこまで怒るのか。 

 まあ、常に若く見られたいのは女性の心理ではあるな。 

 ここは大人しく従っておこう。 

 

「ということで、399才だそうだ」 

 

 それを聞いたフィーは当然のように一つの疑問を投げ掛けてくる。 

 

「それって、いくつ?」 

 

 ならば、父として正確に答えねば。 

 

「俺に輪を掛けた、すっっっっごいお婆ちゃんって事だよ」 

 

 先程の蹴りを遥かに越えた衝撃が、俺の全身を走り抜けた。 

 

 

 

 俺が目を覚ました時には、話題は既に変わっていた。 

 どうやら、今度はローラがどんな人物だったのかという話らしい。 

 らしいのだが、参加しようにも倒れ伏したまま身体が痺れて全く動かない。 

 一体何をされたのか、意識だけが覚醒した状態のようだ。 

 仕方が無いので、意識を耳に集中する。 

 

「……えっと、あの、勇者様はいいんですか?」 

 

 聞き覚えの無い少女の声。 

 おそらく、セリアの物だろう。 

 かなりの引っ込み思案らしく、自己紹介すらアレンが代わりにしていたほどだから声を聞くのは初めてだ。 

 この度の魔物の襲撃を受けての療養という名目でローレシアに来ていたらしい。 

 ローレシアは最も被害が少なかったからな。 

 

「いつもの事じゃ」 

 

「いつもの事だもん」 

 

「いつもの事だよ」 

 

 三者一致で言葉が返る。 

 頼むから、一人くらいは心配してくれ。 

 

「……そうなんですか」 

 

 セリアの言葉の中に呆れのような響きがあるのは気のせいだろうか。 

 そんな俺の思いなんて誰も気にも留めないまま、話が進んでいく。 

 

「……ローラ様の事、本で読んだんです」 

 

 セリアの好きな話題なのだろうか、今までに無いくらい積極的に話し始める。 

 普段無口な人間ほど、自分の好きな話題になると止まらなくなるという奴だろう。 

 ローラの表の顔を誉めそやす言葉が並べられる。 

 例えば、清楚であるとか、自らの信念を通したとか、文武両道を兼ね備えていたなど。 

 だが、それはあくまでも『ローラの日記 昼の部』に描かれている表の顔にしか過ぎない。 

 当然、一生を共にした俺達は裏の顔を知っている。 

 そして、シアちゃんがそれを子供達に伝えるだろう事も容易に想像がつく。 

 くっ、身体が動けば、止められるというのに。 

 

「おぬしら、ローラの魔物辞典を知っておるか?」 

 

 やっぱり、その話題を選ぶのか! 

 予想通りの展開に思わず頭を抱えたくなる。 

 ……いや、身体は動かないんだが。 

 

 少女二人は知らないようだ。  

 まあ、『日記』に比べると用途が限られる分、発行部数も少ないからな。 

 

「それって、あのふしぎ料理辞典の事?」 

 

 さすが、アレン! 三才にしてあの本を読んでいるとは、ひいおじいちゃんは鼻が高いぞ。 

 つーか、聡明すぎだ。一体、誰に似たんだか。 

 

「うむ、知っておるなら話は早い」 

 

 本棚から本を抜き取る音がする。 

 一応、この家にはローラの発行した本が全て揃っている。 

 ローラの日記昼の部及び夜の部、そして魔物辞典の三冊だ。 

 夜の部はシアちゃんが隠してしまったらしく、読むことは出来ないが。 

 

 物思いにふけっている間に、いくつか抜粋して聞かせたらしい。 

 少女達が困惑している様子がその場の雰囲気から読み取れる。 

 

「あの女はな、あるじを実験台にしてその本を書いたのじゃ」 

 

 ええ、明らかに食べられそうも無い物以外、全て食べさせられました。 

 何度死の淵を彷徨った事か。 

 死ぬか死なないかのギリギリの所を見極めるのが上手いというか、症例もつけておかないと役に立たないとか言ってたな。 

 思い出すだけで、口の中に嫌な感触がよみがえってくる。 

 

「しかも、バブルスライムを野菜ジュースと偽って、わらわに飲ませようと……」 

 

 ……その話は知らないな。 

 そういえば、一時期異様な緊張状態にあったが、それが原因か? 

 あの時は、ローラの出産が重なって、いつの間にか仲直りしていた事も思い出す。 

  

 確かに不味い物も多かったが、たまに当たりがあるんだよ。 

 例えば、鉄のサソリだとかしびれくらげだとか。 

 そういや、朝から何も食ってないな。 

 そう頭に浮かんだ途端に、身体が空腹を訴え始める。 

 

「シアちゃん、腹が減った」 

 

 どことなくげんなりとした空気が漂う中、いつのまにか回復していた俺は、起き上がりながらそう言った。 

 そして、シアちゃんに突っ込まれた。「空気を読め」と。 

 

 

 腹が減っては戦は出来ぬ、どこかで聞いたような言葉だ。 

 実際、俺の腹は限界だった。 

 新鮮な空気を吸ったほうがいい、と皆を連れて川へ向かう。 

  

「そろそろ昼飯時だし、魚を獲って食べよう」 

 

 その俺の提案に、子供達が目を輝かせる。 

 城の中にいたって、こんな経験は出来ないから当然の事だろうと思う。 

 俺もこの歳になっても、冒険の旅をしていた時の気分に戻って、どこかわくわくしてくる。 

 

「フィー、あの真ん中の石に向かってイオを撃つんだ」 

 

 娘の目線になって、その場所を指さして教える。 

 戸惑いの色を隠せない娘を後押しするようにうなずいてみせる。 

 やがて決心がついたのか、俺達に下がるように言い、詠唱を始めた。 

 両手を空に掲げ、たどたどしく呪文を紡いでいく。 

 この呪文、実は集中を助けるためのもので、中身は何でもいいらしい。 

 『もけけけけけけ』とか『ぺっぽろりんのちゅー』でも集中さえ出来れば問題はないそうだ。 

 さすがに、こんな呪文を唱える魔法使いには人間的に何か問題があるようにしか見えないが。 

 

 小さな両手の間に、光が凝集していく。 

 呪文を唱え終わったフィーは、その光球を投げるように、両手を振り下ろす。 

 光球は先程指差した石に吸い込まれるように着弾する。 

 途端に舞い上がる水しぶきと爆発音。 

 それが収まった頃、水面には十数匹の魚が白い腹を上にして浮かんでいた。 

 

「すごいぞ、フィー。アレン手伝え、川に入って魚を岸にあげるぞ」 

 

 肩で息をする娘にねぎらいの言葉を掛け、アレンと二人で魚を岸に投げる。 

 シアちゃんがそれを拾って、一ヶ所に集めていく。 

 五人で食べるには充分な量だ。 

  

「炎よ!」 

  

 炎の剣を鞘から抜き、少量の魔力を込め、地面に突き刺す。 

 そして、塩を振った川魚を串に刺したものを剣の周りに立てる。 

 しばらく待つと、香ばしい匂いと共に魚がこんがりと焼けていく。 

  

「おとーさん、すごーい」 

 

「その使い方はさすがにどうかと思うのじゃが……」 

 

 娘からは称賛の声が、妻からは呆れたような声が掛けられる。 

 

「道具ってのは、使ってこそ。こうすれば薪の節約にもなるし、火を起こさなくても済む」 

 

 まさに一石二鳥。 

 実は風呂を焚く時にも使っているのだが、さすがに怒られそうなのでこれは黙っておこう。 

 

「おいしい!」 

 

 娘の喜ぶ顔に幸せを感じる。 

 

「うん、こんなおいしい魚は初めて食べた!」 

 

 アレンも満足しているようだ。 

 

「……」 

 

 無言ではむはむと小動物のように食べているのがセリア。 

 一応、満足はしているらしい。 

 何故かというと、既に二匹目に突入しているからだ。 

 シアちゃんもなんだかんだと文句を言いながらも、焼き魚を口に運ぶ。 

 そんな様子に見とれていたせいか、串をつかもうとした手がうっかりと剣に触れてしまう。 

 

「あちっ!」 

 

 俺があげた声に気付いたのか、妻と娘が様子を見ようと覗き込んでくる。 

 

「だいじょうぶ?」 

 

「ほれ、見せてみよ。ふむ、……大したことはないな、薬草でもかじっておけ」 

 

 火傷の具合を検分したシアちゃんは、そう言って手を放す。 

 少し赤くなっている程度で大事には至ってないようだ。 

 言われた通り、薬草を少し口に含めば治りそうな傷だ。 

 道具袋に手を突っ込み、中を探る。 

 

「あれ? 薬草が無い」 

 

 そういえば、サマルトリアでの戦いで使い果たしていたのを忘れていた。 

 そう言う俺に、シアちゃんは冷たく言い放つ。 

 

「なら、2、3日も放っておけば勝手に治ろう」 

 

 まだサマルトリアでの事やローラと間違えた事に対する怒りが残っているのだろうか。 

 実にそっけない。 

 散々謝り倒したのだが、まだ根に持っているようだ。 

 

「仕方ない、治るまで待つとするか」 

 

 本来ならその治し方が正しいのだ。 

 薬草でむりやり治すのは不自然極まりない。 

 いくら死んでも生き返る、俺の言う事では無いような気もするが。 

 

「おまじないしてあげる」 

 

 フィーが俺の手をとり、そんな事を言い出す。 

 断る理由も無いので了承してみせると、左手で俺の手を支えて右手を火傷の上にかざす。 

 

「いたいのいたいのとんでけー」 

 

 あー、やっぱり子供だな。 

 これで治るはずもないが、痛みが退いていくような気がする。 

 

「あるじっ!」 

 

 突然、シアちゃんが驚きの声を上げる。 

 何事かと目の前を見つめると、フィーの右手がほのかに白く輝いている。 

 これは、回復呪文の光だ。 

 赤くなっていた火傷の跡が見る見るうちに消えていく。 

 

「ほら、いたくなくなったでしょ?」 

 

 小さな娘が満面の笑みを浮かべる。 

 俺達はただそれを見つめるしかなかった。 

 

 

「イオとホイミに適性を持つとは、実に変わった娘じゃな」 

 

 シアちゃんが日が暮れた外の風景を眺めながら、呟く。 

 子供達はずいぶんと仲良くなってしまったようで、皆でローレシアの城に泊まるのだそうだ。 

 ローレシア城の人間にも紹介しなきゃいけなかったから、手間が省けた。 

 

「賢者の血筋って事かな?」 

 

 俺の疑問にシアちゃんは反論する。 

 

「いや、何とも言えん。勇者の血やも知れんし、エルフの血やも知れん」 

 

 この間の魔物の襲撃の事もある。 

 ひょっとしたら、新たな勇者が誕生する可能性もある。 

 誰が勇者になるのかは判らないが、ロトの血筋から選ばれるのは確実だ。 

 アレンかも知れないし、セリアかも知れない。 

 フィーの可能性だってあるのだ。 

 そう思うと、彼女達には幸せな未来を歩んで欲しいと願ってしまう。 

 

「まあ、何にしても、あの娘は俺達の子供だ。それに変わりは無いよ」 

 

「うむ、そうじゃな。その時が来るまでにわらわの全てを教えておくとしよう」 

 

 シアちゃんの瞳が決意に揺れる。 

 俺は、その時のシアちゃんの言葉の中に別の感情が潜んでいる事に全く気付いてはいなかった。 

 


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