星の距離さえ動かせたなら   作:歌うたい

27 / 40
玖ノ調『Alone Again Snow Polaris』

白い病室、白いカーテン、白い寝具、白い髪、白い肌。

虚ろか、虚実か、曖昧な癖に深く奥底で呑まれそうな紅。

壊れているようで、光を示す紅。

闇に揺れるようで、黒を喰う白。

彼はどちらに居るのだろうか。

彼はどちらに居たのだろうか。

 

何のつもりだと問う紅い瞳に白い闇を感じた。

何がしたいのだと震える薄い唇に失望の哀を抱いた。

 

開けた病室の、穢れを嫌う白いベッドの上で、彼と映し身の様な自分にとって大切な家族である少女に詰め寄られている真っ白な少年。

白い闇で塗り潰した、どこか哀を誘う細身ながらも、鋭く切れ長な瞳は何処までも深い。

 

嫌いだ。

素敵だ。

 

全てが相反。

闇にも光にも属さず、闇にも光にも成れる存在。

息を呑む仕草を気取られないように、我ながら外面の良い虫酸の走る笑顔を貼り付ける事に必死になった。

 

 

『とーま、じゅん、見てみて! あはは、僕とそっくりー』

 

 

『――当、麻?』

 

 

静脈を抑えられている、そんな静けさにテノールが幽かに震えている。

 

脅え、悲哀、動揺、情動、救済、贖罪。

どこか曖昧で朧気なモノが、一瞬だけ、彼の瞳が極彩色の感情を帯びて。

 

どうしてだろう、酷く癪に障った。

どうしてだろう、凄く悦喜が募る。

救って欲しい。

壊してやりたい。

 

 

反吐が出そうな嫌悪感と、縋らせようと急かす好感。

白黒付かない、対岸へ向けるべき感情。

白の願いと黒の衝動を決め兼ねてる心を、道化が酷く醜い狂笑で白黒の珠を弄ぶようなジャグリング。

 

 

『初めまして。私は、葵 冬馬と云う者です』

 

 

『俺は井上 準。好きに呼んでくれや』

 

 

『僕は榊原小雪だよーそっくりさん。ユキって呼んで良いよ』

 

 

声を震わせない様に努めるのがこんなにも苦しいと思ったのは、父の前以外では初めてだった。

自分の中の奥底を握り潰してしまうのでは、と思えてしまう圧倒的で凶悪な白。

今では、自分にとって大切な家族となった少女と出会った時も、こんなに冥い感情に押し潰されなかった。

今でも、自分を支えてくれる掛け替えのない友人に支え合った時でも、こんなに情動を揺さ振られなかった。

 

吐息すら掛かるほどに、彼女にしては有り得ない程に無警戒に距離を詰めた小雪の可憐な顔を、鬱陶しいのだと、手で鷲掴みにしながら。

どこか儚く浮かぶ紅い三日月が、ゆっくりと瞬いて。

 

 

『……フン、一方通行だ――で、初対面のヤツに言うのもなンなンだがよ……その不景気なツラァ、今すぐ剥がせ。虫酸が走る』

 

 

ひた隠しにしようと、奥の奥、ずっと底に閉まって鍵すら掛けた筈の鉄扉は、実に呆気なく。

抗う事すら赦さない白濁の奔流に、塞き止める事すら出来なかった。

 

 

 

 

――

―――――

 

 

 

随分と懐かしい記憶ではあるが、リフレインする彼との、所謂初対面であった頃の、鮮明な光景は今でも褪せること無く美しい。

熟成された箱庭の思い出は、貴腐ワインの苦みを余韻に残すけれど、水銀で出来た破けたアルバムに綴じ込めるには、惜しむべきセピアの写真。

綴じて棄てるのは、濁ったシャンパンと罪の山と、錆びたアルコールに酔う事すら出来ない、道化な自分だけで良い。

 

大事な大事な彼等のような、錆びる事も褪せる事もない、銀で出来たアルバムに大切に保管している、極彩色の写真だけで良かったけれど。

そこにセピアの写真を加えるのも、悪くはない思い付きだと仮定して。

 

 

「――フフッ」

 

 

薄い電飾だけが頼りの、暗い冥い、箱庭。

父が与えてくれた、色もない、物もない、電飾の明かりと小窓に掛けられたシェードの隙間から射し込んだ月光が、味気のない家具達と、散らばった書類の輪郭を浮き彫りにする部屋。

空虚を埋める慰めのつもりなのか、優しく木霊する電光の弾く淡い音。

 

つくづく、毒々しい水銀めいたモノにばかり囲まれている、仕様もない味気無さ。

あの美麗に煌めく白銀とも、無垢に揺らぐ白銀にも、到底敵わない鈍い銀色。

そんなモノに囲まれている自分は何だと言うのかと、自嘲する。

 

 

「……いえ、違いましたね」

 

 

忘れてはならないというのに、毒々しい水銀に埋めるには惜しいモノが、一つある。

自分を慕う小雪と準、2人の家族が買ってくれた、埃一つすら被らせてはいない、白の無地に黒のラインが薄くデザインされたCDコンポ。

 

真四角に角張った、今ではもう形の旧くなってしまった幾億の宝石などよりも尊い、色鮮やかな宝物。

本来ならば、こんな部屋に置いておきたくなかったけれど、たまには音楽でも聴いて肩の力を抜け、と言い放った白い青年の苦笑が、気付けばそのまま習慣になってしまったのだから、仕方ない。

良く一方通行が浮かべる苦笑が記憶から滲み出して、口角が急かされるみたいに吊り上がって。

 

きっと、家族二人のプレゼントもあの不器用な、でも確かに暖かい青年の仕込みなのだろう。

突然の家族からのサプライズに、らしくなく目を丸めた自分に、恥ずかしさをひた隠す様に、押し付ける様に手渡された、複数のCDのアルバムケース。

そこに、どうせ音楽なんて聴かないだろうから適当に選んだ、と如何にもな科白が添えられれば、誰が発案者なんて、考えなくても分かること。

 

 

「……今日は、これにしましょうか」

 

 

 

『藍坊主』と記載されたアーティスト名のアルバムディスクをそっと、傷の一つも付けるまいと女々しく注意を払ってケースから取り出して、コンポにディスクを挿入する。

もう随分と手馴れた手順で再生すると、流れ出す聞き慣れたメロディに小さく息を吐いて、雑誌の散らばったデスクへと着席した。

 

何度も何度も聞いているものだから、すっかり歌詞の一字一句を覚えてしまったようだ。

別のヤツも買えばいいと一方通行に呆られてしまいそうだが、けれど、葵 冬馬はこれ以上を望まない。

 

何故なら一方通行がくれた複数のアルバムは全て、彼のお気に入りのディスクだったから。

三人揃って何度か遊びにいった際に、彼の部屋にひっそりと置いてあったケースの背に記載されていたアーティストとアルバムの名前が、全く一緒だったから。

此だけで良い、此だけでも充分過ぎる。

 

 

「……さて」

 

 

陶酔にかまけていては、作業に支障が出る。

立ち上げた二台のノートパソコンを横に並べて、織り目や皺が何本も刻まれた書類と、画面に浮かび上がるデータを見比べながら、思考を隅々まで澄ませる。

 

あの一方通行に『気取られてはいけない』のだから、作業の難易度は尋常ではない。

つくづく、遥か高く厚い壁の向こうに立ってくれる男だ、と。

気取られてはならない、悟られてはならない、勘付かれてはならない。

針の先を更に鋭く磨いで、より細く、より鋭利に、死角に潜らせて、裏の裏の、幾つもの裏を掻かなくてはならない。

 

彼以外にも、川神、九鬼、そして霧夜の目すらも掻い潜らなくてはならないと云うのだから、骨が折れる所ではない。

全く以て、彼の人脈には白旗を挙げたくなってしまう。

唯一、骨の折れない相手が彼自身の父親だという事実に、極彩色の感情が失笑を誘う。

 

 

 

「――」

 

 

カタカタとキーボードを叩く軽快な音は、ステレオコンポから流れる旋律に彩りを添えるには、余りに華がない。

モニターの淡い光に時折反射する眼鏡越しに、絶え間なく表示されていくデータの海と、デジタルの群体を視線が泳ぐ。

慢心やゲーム感覚を抱いた儘で彼等を相手取れば、あっと合う間に喰われてしまう。

頭脳戦でも人脈面でも、彼我の差は歴然だった。

 

 

「――フフッ」

 

 

けれど、愉快だ。

嗤えてしまう、自分自身の滑稽さに。

なんという思い違い、恥を知るべきだ。

 

あの一方通行が、気付いていない訳がない。

川神を蔓延る大きく広く狡猾なドラッグの影。

ドラッグというワードで、一方通行が自分に、川神有数の大病院である葵紋病院の存在に目を向けていない訳がないだろう。

一方通行の思惑を潜り抜けるなんて、勘違いも甚だしい。

端から観れば、きっと自分の行動は憐れで滑稽な道化にしか映らないだろう。

 

けれど、それでも今の自分には矜持がある。

そんな矜持などお見通しで、泳がされているだけか。

それとも、こんな矜持を理解して尚、救おうとしてくれるのだろうか。

 

――友達として。

 

 

「懐かしい、ですね」

 

 

脳裏に鮮やかに甦る、セピア色の過去。

自分に着いて来てくれる準と共に、一方通行の様に、前を向いて生きると決めたいつかの誓い。

 

こんな自分の愚かな幻想をぶち殺してくれた、あの青臭い、キラキラと煌めく誓い。

 

きっと彼は、今も多くを護ろうと奔走して、疲れた身体に鞭を打ちながら、深い思考を巡らせているに違いない。

 

 

「……深入りは駄目ですよ、直江大和君」

 

 

 

隠し切れない疲労に勘付いて、動こうとしている者も居るのだけれど。

動いた結果が他ならぬ自分への接触だった事は、御笑い草にもならなかったけれど。

 

本来ならば、少なくとも因縁があった筈の、あのグループに願うのは、どうか、自分の友の足枷にだけはならないで欲しい、と。

一方通行の想いを他でもなく裏切る事になるであろう自分が、決して音にしてはならない、煤けた願い。

 

 

「一方通行、英雄、準、ユキ……」

 

 

いつも持て余しては、砂の様に掌から零れ落ちてしまいそうな、大切な人達の名前。

極彩とセピアに抱き留めた、大切な思い出達。

 

 

「すみません――」

 

 

震えて、咽いだアルトの掠れた声。

 

彼らに捧げる、今更過ぎた謝罪の言葉を皮肉にも、彼らからの贈り物から流れる旋律に、掻き消える。

 

謝罪の言葉なんて、聞きたくない謂わんばかりに。

 

 

 

―――

―――――――

 

 

 

傾けた柘榴色の水面に波紋に寄り添う幾つにも千切れ千切れた人工月を覗けば、脳裏に浮かんだ白々しい白昼夢。

どうして今になって思い出すのか、まるで虫の知らせみたいで気に食わない。

 

かつて長い付き合いになる友人達と出会った病室の、苦々しい初めましてを浮かばせたカップに灌がれた紅茶の底を、不機嫌な紅い瞳が睨む。

抱えた懸念を話せというのか、その友人達とも固い絆で結ばれている、金色の覇気と優雅さを綯い交ぜにした仕草で紅茶を味わうこの男に――そう問いた気に細まって。

陽気に揺れる水面を眺めれば、癪に障ったと謂わんばかりに口に付けずに、弓月の曲線を象った持ち手が絢爛なカップを静かに置いた。

 

 

不意に鋭い視線を感じて貌を上げて見せれば、相変わらず気疲れを誘う覇気を放ちながらソファに腰掛ける英雄の斜め後ろで、佇んでいた華やかなメイド服姿の少女の薄いアンバーの瞳と克ち当たる。

どうやら、メイド――忍足あずみの煎れたローズマリーの紅茶を、わざわざ口許に運び掛けて、結局飲まないという行為に苛立っているらしい。

 

確かに些か八つ当たり染みた真似をしたと、思惑は兎も角態度は宜しくないなと思い至って、気拙い面持ちのまま、ローズマリーを唇で弄んだ。

芳ばしい強い香とそっと口に広がった仄かな苦味が、笹くれ立った心をリラックスさせてくれる。

 

どうにも落ち着きがない、余裕が無くなっている己が煩わしい。

昨夜のマルギッテとの語らいに、柄にもなく安堵の揺り籠に諭されてしまった分のツケは、今朝、甘粕真与に先導されながら登校するという、一生拭いきれない恥というレベルで支払う事になったというのに。

眠気が醒めた途端に軽く首を吊ろうと校庭の大木にロープを持って失意の棒立ちを披露した滑稽な自分を、嫉妬の業火に狂っていた筈の井上準が必死に止めるという笑えない寸劇を引き起こしたというのに、全く懲りていない。

 

 

挙げ句クラスメイトのみならず顔も知らない同級生達に、眠り関連で白雪姫という唾棄すべき称号を与えられた時には目の前が真っ暗になった。

そして念願の友人を作れて最近舞い上がり気味な制服姿の不死川 心が、戸惑う十河と、十河の友人兼アドバイザーこと小田原を伴って揶揄ってくるモノだから、半泣きにして四つん這いにさせて背中を踏みながら冷たい視線で見下ろし続けるという非道を行いもしたが、羞恥心に苦しむ一方通行からしたらどうでも良い事である。

 

 

「フハハハ、そういえば、紋に婚約を申し込まれたそうだな、一方通行。婿入りを経て、いよいよ九鬼の傘下に連なりその卓越した頭脳を以て我が覇道を支えるか……うむ、楽しみだ」

 

 

「妄想も大概にしろよ。なンで俺とチビガキが結婚する話が出来上がってンだよボケ」

 

 

「無論、紋がそう我と姉上に宣言したからだ。一方通行を婿として迎えたい、と。今はまだ未熟故、研鑽を積むと言っていたがな。我の妹が本気になれば、貴様とて逃げられんぞ? フハハハハハハ!」

 

 

「うるっせェ、なンだそのテンションの高さは! 第一、あのガキが俺に向けてンのはそォ言う色気のあるもンじゃねェだろ、戯言に過ぎねェよ」

 

 

満足満足と、広々とした客室に反響する高笑いに心底鬱陶しいと云った顰めっ面で、彼の描く仰々しい未来予想図を一蹴する。

相も変わらず自分の主人のみ為らず九鬼揚羽や、総代でもある九鬼帝にすら変わらぬ不遜な態度に、米神に青筋を浮かべてひくつかせるあずみも、主人に似て頑固な嫌いがあった。

 

何より彼女が気に食わないのは、同僚のステイシーを初めとした女性陣、総代ですら一目を置くヒュームやクラウディオ、そして九鬼の今後を担うであろう九鬼一党と、九鬼傘下の約半分近くが彼に対して好意的であるという事である。

彼女とて、主人である英雄の命の恩人である一方通行には少なからず感謝しているし、実力もまた、あずみよりも年下でありながら、尋常ではない。

容姿も恐ろしく整っているから女性陣からも概ね好評であるし、あずみと交友の深い李 静初は多少の警戒の念は抱いているのはともかくとして、ステイシーはちょっと怪しいのではないかと勘繰っていたりと、四面楚歌。

 

しかし、だからと云って九鬼を蔑ろにする節のある一方通行をすんなりと認めるというのは、頷き難い。

というか、ぶっちゃけ九鬼の主要陣に、特に英雄に気に入られ過ぎだろお前、というのが彼女の本音であり、恋する乙女の嫉妬心というモノである。

 

 

「ふむ、確かに紋は貴様に対して兄と接する様に慕っておるな。余り彼奴に構ってやれん我の愚の致す所であるし、貴様にも悪いと思っておる。しかし、その気持ちがいつ男に向ける色に変わるかも分からんぞ。我としては、割と時間を掛けぬと踏んでいるがな、フハハハ」

 

 

「いやオマエ、それ以前の問題だろ。ガキだぞ、年齢は兎も角、外見でアウトだろォが」

 

 

「何……? 貴様、紋のあの愛らしい姿に不満でもあるというのか? 従者ですら見惚れるあの容姿が許容出来ぬとでも?姉上ですら可愛くて仕方ないと頬を緩めてばかりの我らが誇りの妹を!」

 

 

「……えェ、なンでそっちなンだよ。違ェだろ、あのチビと俺が一緒にキャッキャウフフしてる場面を想像しろや。完ッ全に事案だろォがァ!」

 

 

繋がれた鎖を振り払う猛獣の如し咆哮を挙げる一方通行の記憶の片隅に甦る、忌まわしい記憶。

自分の護る対象の我が儘に仕方なく付き合わされていれば、やれロリコンだの性犯罪者だのと、同じ顔をした妹達に揶揄され、何時しかアクセロリータなどと憤怒で頭が沸騰しそうな蔑称で呼ばれた際には、本能の儘に暴れ回った。

 

寧ろどちらかと云えば歳上の方が好みではあったのだが、歳上の同居人が二人も居る為に声を大にして言う事も出来ない一方通行を、どこかのウニ頭のヒーローが気の毒そうに慰め、そんな彼に散々愚痴った夜は、理解者の存在にガチで泣きそうになったものだ。

そんな理不尽な経験があれば、彼が忌諱するのも無理はないだろう。

幾ら紋白の年齢が実は一方通行と三つしか変わらないとはいえ、容姿が拙い、白雪姫の次はロリコンの称号など、一方通行にはとても耐えられない。

 

 

「ふむ、確かに紋の外見は幼いが、将来有望ではないか。それに警察の介入など我等がみすみすと許す訳無かろう、障害にもならんぞ。それに、紋は、やると言ったら必ずやる。意志を貫いてこそ九鬼なれば、紋は必ずや研鑽を遂げて、お前に相応しい女と成るだろう」

 

 

「成られても困ンだよクソッタレ……つゥか、オマエは妹の未来設計に現を抜かしてる立場じゃねェだろ。要らねェ世話を焼くより、さっさとあの犬っコロを墜とすなり玉砕なりして来いや。そォなりゃ、俺も胃の痛くなる想いをしなくて済む」

 

 

「一子殿を犬と扱うのは幾ら貴様でも許さんぞ、一方通行。それに、言われんでもアプローチは続けておるわ……ん? 何故貴様の胃と我の恋路が関係してくるのだ?」

 

 

「い、一方通行さん!カップが空いてますね紅茶の御代わりいかがですか欲しいですかそうですか直ぐに注ぎますねぇ!!」

 

 

玉砕して欲しいと云うのは従者としては恥ながらも英雄に想いを寄せるあずみとしては素直に賛同出来るが、今この場においてそれを指巡する様な発言は見過ごせない。

貼り付けた笑顔の裏に殺意を滲ませながら余計な事言うなと一切喜楽の灯らぬ尖った瞳に、何かと視線で突っ掛かって来る分の意趣返しだと開き直って鼻で笑う澄まし顔の薄情さが迎撃する。

何やら穏やかではない雰囲気の従者と友人の様相に首を傾げる辺り、自分の想いには何処までも正直ながら、身近な他人の想いには鈍感な男である。

 

 

一方通行としては、この強引で傲慢で時々馬鹿なこの男の恋路を応援してやりたい気持ちは有るし、川神一子ともそこそこの交流も有る一方通行に時折、英雄が相談を持ち掛ける事もあった。

無論、その席には従者として常に傍らに居るあずみも当然参加するし、親しい者には相変わらず無愛想な態度を取る癖にかなり甘い一方通行の性格も把握しているあずみは、その気になれば自分の恋路を応援してくれているステイシーや李と比べても、遥かに強力なサポートをしてしまいそうで、気が気でない。

純粋に自分の知恵を頼る英雄と、頼むから有効打になりそうな提案はするなと縋る様なあずみとの板挟みに合えば、胃も荒れようと云うものだ。

 

そして何より、不器用で無愛想ながらも常に川神一子を案じ、想い続ける面倒な男を知っているのだ、一方通行は。

真っ直ぐに夢へ勇往邁進と努力し続ける一子の邪魔になっては為らぬからと、ずっと昔から育まれてきた自分の確かな想いにまでそっぽを向いて耐え続ける不器用な男の優しさを、知っている。

 

想い続ける苦しみを知っているから。

想いを絶つ苦しみを知って欲しくはないから。

 

 

「……面倒クセェ」

 

 

「殺すぞ」

 

 

深入りするつもり等無かった筈なのに、気づけば巻き込まれてしまって、雁字搦めの蜘蛛の糸。

引きちぎって見過ごせば楽になるのに、それが出来ないからただひたすらに面倒で。

無意識の内に零れ落ちた煩わしさに、彼にしか聞こえない程に小さな、そしてドスの効いた囁きが、棘を増す視線が添えられて。

いっそ今から告白でもしてくれと謂わんばかりに眉を潜めて、口を付いて出そうな薄情な本音を遮る様に、煎れたての湯気立つ紅茶で、正直者になりそうな唇を塞いだ。

 

 

「ところで、一方通行。話は変わるが、我らの友、冬馬や準には協力を要請せぬ気か? 彼奴らの実力ならば、必ず力になると思うのだが」

 

 

「……駄目だ。九鬼の後ろ楯があるオマエと違うンだぞ、アイツらは。それに、アイツらはアイツらでやる事がある、それは分かってンだろ?」

 

 

「――葵紋病院の事か。成る程、確かに、我が迂闊ではあったな。失言だ、許せ」

 

 

「オマエらは姉弟揃って下げなくても良い頭を下げやがる。王になると豪語してるヤツが、ンな簡単に詫びてンなよ、バカ」

 

 

先刻、九鬼揚羽の助言通りに英雄にも抱えている案件を明かし、彼を巻き込む事を悩みながらも選択した一方通行。

黒幕も分からぬ巨大な闇に憤りを浮かべながらも、寧ろよくぞ頼ってくれたと、予想通り快く承諾した英雄の浮かべた疑問。

自分達の友である冬馬達には協力を頼まないのかと云う疑問も尤もだが、彼らには別に抱えている事があるだろう、と。

そう言われてしまえば、自分には何も言えない、と。

見当違いな謝辞だと、言葉の上では不器用に、けれど優しく揺れる紅い瞳は、目の前で静かに頭を下げるこのバカで優しく友達想いな大器の王を見詰める。

 

 

思い描く軌跡は、過去のこと。

夕暮れに染まる、誰もいない公園での一幕。

 

 

――汚職に塗れた葵紋病院の抱える闇を暴く。

 

故に、既に少なくともその闇に関わってしまっている葵冬馬と井上準は罰を受けるが、それでは何も知らない榊原小雪が独りになってしまうだろう。

だから、一方通行と九鬼英雄に小雪の事を任せたい、と。

 

決意を秘めた眼差しと共に託された一方通行は、けれど、その儚い願いを一蹴した。

 

 

――大切なら自分で救え。救えるように強くなれ。

 

――独りにしたくないのなら、傍に居てやれ。

 

 

どんなに頼まれても、どんなに請われても、どんなに縋られても、一方通行は決して首を縦に振らなかった。

 

まず、自分達で足掻け。

自分達が罰を負わない道を意地でも模索しろ。

例え自分が許せなくても、少女の為にその感情を圧し殺せ。

自分に話した事が誤りだ、その思惑は絶対に阻止してやる。

 

 

きっと、一方通行の言葉は歪んでいるだろう。

ドラッグに関わった罰を受けなくてはならない、その贖罪をしなくてはならない。

それは決して間違っていない感情で綺麗なモノだ、それを否定する自分こそ間違っている。

罰を受けさせてやるのが、本当の友達ではないのだろうか。

 

 

沸き上がる自己否定、自問自答。

けれど、それでも、一方通行には許容出来ない。

例え闇に手を染めたとしても、彼らは一方通行とは違う。

 

自分で選んでない、自分で決めてない、全て、架された罪に過ぎない。

親によって選ばされた道を進まざるを得なかった彼らが、罰を受ける事は許容出来ない。

例えドラッグに歪まされた者やその周囲を前にしても、そう告げる。

そんな自分を軽蔑するならしてくれても良い、歪んでいると唾を吐くなら好きにすれば良い。

けれど、絶望に覆われた光灯らぬ瞳を浮かべて親に命じられてドラッグの選別を、小雪の保護を盾に無理矢理させられている彼らの小さな背中を、罰を受けるべきだとはどうしても許容出来ない。

 

友達だからこそ彼らの願いの通りに罰を受けさせる。

巫山戯るな、冗談ではない、そんな小綺麗な世間の意志など知ったことか。

誰も護ってやらないなら、自分が護ってやる。

彼らの意志すら押し潰して、傲慢に、自己中心的な我が儘で、救ってやる。

後ろ指しか指されぬ生き方を選ばせてやるものか。

彼らは、初めて出来た友達なのだから。

自分の友達になってしまった不運に嘆きながら、陽の当たる道を生きて貰う。

そう、頑なに決意して。

 

 

「寧ろ謝ンのは俺の方だ。あの時、俺の身勝手な傲慢でオマエが歯痒い想いをさせちまった」

 

 

「馬鹿を言うな、一方通行。確かに貴様の意は万人には受け入れられぬ事であろうよ。しかし、満足に友を救えぬ男が王を名乗るなど許されん。我が、我の心に従ったまでだ。我の身勝手を貴様の身勝手に履き違えるとは、賢知たる貴様らしくもないな」

 

 

「……だが、アイツらを救いてェって云うオマエの気持ちは――」

 

 

「それは、九鬼の力を頼らぬと、冬馬と準が決めた道だろう。友に罪を背負わせたくないなど、戯けた事を抜かしておったが……それでも押し通さず退く事を選んだのは、他ならぬ我である。それに――」

 

 

――自分達だけで、やってみます。

 

 

一方通行の様に、前を向いて生きる。

罪に苛みながらも、傲慢に、卑怯に、生きる。

そうしなければ、何をしてでも自分達を阻止してくれる、無茶苦茶な友達が居るから。

 

仕方なさそうに、けれど初めて見ることが出来た葵冬馬の、心からの本当の笑顔を見せられれば、退かざるを得ない。

きっと、九鬼英雄が初めて意思を譲ったあの日の夕暮れをそっと思い出して。

 

 

「九鬼の力に頼れないと言うのなら『九鬼以外』の力を使えば良いまで。そう考えて、もう既に行動に移しておるのだろう、一方通行?」

 

 

「――ハッ、喰えねェやろォだ」

 

 

「フハハハ、余り我を甘く見るなよ、一方通行。幾ら冬馬と準が自分達だけでやり抜くと決めていても、それを貴様が促した結果である以上、何も策を用意せぬ貴様ではあるまい? 身内には甘い貴様が手段を労さぬと、そんな腑抜けた思い違いをする我ではない」

 

 

どうやら、一方通行が思い描き、既に根回しまで済ませたプランを英雄は見抜いているらしい。

さしずめ、彼の人間関係を調査して、その結果から判断していたのだろうが、派手な外見や非常識な行動が多い癖に、彼は頭も相当切れる。

九鬼を担う者として、このくらいは当然の事だと快笑する英雄だからこそ、もしあずみという従者が居なければ、彼に付き従っても良いと考えている一方通行は、白旗を上げる様に肩を竦めた。

 

 

「失礼致します」

 

 

控えめなノックの後に、清らかな川の流れを連想させる静かな声が扉越しに届いた。

どうやら着いたらしいと、そもそも一方通行が九鬼を訪れた理由が漸く来訪した事を察しながら、声の主に入室を促す。

 

 

「御待たせ致しました、一方通行様。揚羽様の元まで御案内致します」

 

 

短く切り揃えられた漆黒の髪と切れ長の露草色の瞳がどこか鋭利な冷たさを感じさせるメイド服の淑女が、機械的な動作でお辞儀するのを見届けて、一方通行は静かに息を吐く。

李 静初が迎えに来たと云うことは、いよいよ御対面の時が直ぐそこまで訪れているという事である。

どこか、沸き立つ躊躇を無理矢理追い払うかの様に強く席を立った白貌の青年を訝しく思ったのか、李とあずみはピクリと形の良い眉を潜めるが、彼の心の憂いを機敏に読み取った英雄は、うむ、と一つ頷いて。

 

 

「励めよ、一方通行」

 

 

九鬼英雄は、一方通行の過去をあまり知らない。

興味はあるが、必要ではない。

大事なのは、彼は今、九鬼英雄にとっての恩人であり、かけがえのない友人であるということ。

クローンと云う存在に彼が顔を曇らすならば、晴らしてやるのが友であろう、と。

 

 

「――行ってくる」

 

 

擽ったそうな、けれど心地良い、背中押す王の声。

継ぎ接ぎの心に忍び寄る黒雲を、黄金の風が吹き払う。

過去に重なる者達への心理的恐怖で微かに震えていた掌が、制服のポケットの中で、強く、握られた。

 

 

 

 

 

 

――

――――

 

 

 

少し用があるので、その間に親睦を深めていろ。

 

李の案内で訪れた広大な執務室に通されるなり、軽いご機嫌伺いの様な軽口を叩き、何の説明もなく直ぐ様席を外した九鬼揚羽の背中を、心から蹴ってやりたいと思った。

クローンというだけで何時までも抵抗感を覚えている自分も大概だが、せめて簡単な紹介ぐらい済ませてくれても良いだろう、と。

しかし、止める間も無く部屋から出た揚羽に鬱々とした思いを浮かべているのも馬鹿らしい。

諦観の溜め息を零しつつ、執務室の広々としたソファに腰掛けた面々へと気怠げに視線を向ければ、弾かれた様に席を立った少女が、トコトコと彼の前まで歩み寄ると、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。

 

 

「君が噂の一方通行だな、私は源義経。気軽に義経と呼んでくれると、義経は嬉しい」

 

 

清麗と可憐を兼ね備えた整った顔立ちと、藍の色彩を宿す無垢な瞳に、シャンデリアの電光に反射する濡れ烏羽色の長い髪を一方通行と同様に括っている。

 

歴史上の偉人や英雄を復活させるという、武士道プラン。

その結果産み出された、源義経のクローン。

事実だけを並べても素直に信じ難い内容だが、彼女達の事はデータ上で知っていた為、動揺は小さい。

けれど、義経の隙のない立ち姿と彼女のほっそりとした腰に添えられた一振りの刀が、紛れもなく彼女がかの源義経のクローンである事を物語っていた。

 

 

「私は弁慶。にしても……ほんと真っ白だね。目も真っ赤だし、ステイシーさんの言ってたラビットってのもピッタリだな、こりゃ」

 

 

「よ、止さないか弁慶。初対面で外見のことをどうこう言うのは失礼だと義経は思うぞ」

 

 

「んーでも、主もさっきちっちゃな声で白猫って呟いてたじゃん」

 

 

「べ、弁慶……」

 

 

何やらフラフラと覚束ない足取りで義経の隣へと長い錫杖を引き摺りながら歩み寄る長身の女性は、弁慶と名乗った。

軽く癖のあるウェーブの長髪に、夜明けの瑠璃に似た瞳が女らしい曲線美を持つ彼女には相応しいと思える程だが、そんな評価を抱いているより、もっと目についてしまう箇所に、一方通行は着目する。

腰に添えた瓢箪は川神水が入っているらしく、彼女は常に酔った状態でないと身体が震える病気を抱えているというらしい。

更に面倒臭がりな気質らしいので、生徒達の動向、及び守護は期待出来そうにないのだが、大丈夫だろうかと早くも不安で一杯である。

 

 

 

「はいはい、意地悪しないの。えっと、初めまして。私は

葉桜清楚。宜しくね、一方通行君」

 

 

「……どォやら、自己紹介は必要ねェらしいな」

 

 

 

茶と漆をブレンドした指通りの良さそうな長髪に、鳶色の涼し気な瞳の乙女がやんわりと、知っちゃかめっちゃかしている二人のやり取りを仲裁する。

葉桜清楚、そう名乗った少女は、名前の通り清楚然とした立ち振舞いをしているが、その正体はかの西楚の覇王、項羽のクローンだとか。

 

データに記された彼女のクローンのオリジナルの名前を見て、一方通行は珍しく呆気に取られてしまったモノで、こうして清らかに微笑む立ち姿により一層、データの真偽を疑ってしまう。

しかし、ポーカーフェイスも昔に比べれば板に付いたモノで、内心の動揺を何とか表に出さない事が出来たらしい。

 

 

「……で、オマエは?」

 

 

「俺の名前が聞きたいのか、闇を背負う男よ。良いだろう、俺は――」

 

 

「あ、やっぱいい、オマエ喋ンな。那須与一で合ってンな。よし、自己紹介終わり」

 

 

「ちょっ、えっ!?」

 

 

灰色のミドルカットと薄紫の瞳に精悍な顔付きは兎も角、彼の名を尋ねて於いてバッサリ切って捨てた一方通行の直感が告げている、こいつ絶対面倒臭い、と。

データ上で名前も知っているし、思春期特有の病気持ちと記されていたので、他のクローンにでも惚れているのかと思っていたのだが、そんな可愛い病気ではなく、もっと厄介で面倒臭いモノであるらしい。

若干その病気を他人事に受け入れられなかった一方通行は、分かり易く顔を顰めながら視線を彼から外す。

いきなり名乗りと遮られては流石に動揺したのか、与一は精悍な顔付きを途端に慌てふためかせた。

 

 

「い、一方通行……出来れば、与一とも仲良くしてくれると、義経は嬉しいのだが」

 

 

「えェ……コイツと関わると絶対ェ面倒臭い予感すンだよ。なンかガイアがどォこォ言い出しそォじゃン」

 

 

「が、ガイアだと……まさか、やはり俺の睨んだ通りお前も機関に――」

 

 

「喋ンな、囀ずンな、静かにしてろ。妙な事を口走ンな、そォしたら相手してやる」

 

 

「う、ぐ……」

 

 

ギラッとした効果音が吹き出しに添えられてそうな鋭く尖る紅い瞳と、ドスの効いた声に背筋に冷たい悪寒を走らせた与一は、苦し気に呻き声を挙げる。

中二病と呼ばれる思春期特有の病気を高校生になってまで引き摺っている与一にやけに辛辣な態度を取る一方通行に、弁慶を除いたクローン組はひたすら困惑するしかない。

一方で弁慶は初対面の相手に黙らされる与一に日頃の手間の溜飲が下がったのか、指をさして爆笑していた。

 

 

「ところで、一方通行君は私の正体を知っていたりする?

私としては清少納言辺りだと思うんだけど……」

 

 

「さァ、知らねェな。教えて貰ってねェのか?」

 

 

「うん、私が25歳ぐらいに教えて貰えるらしいんだけど……」

 

 

「なら、直に教えて貰えンだろ。のんびり待ってりゃ良い」

 

 

「……そうね、そうする」

 

 

清楚の正体を知っているものの、オリジナルについては一応口止めされている一方通行は、さして気に掛けるでもなく肩を竦める。

最悪清楚に正体について話してくれても良いが、何が起きても知らないから、責任は取るようにと忠告を受けている以上、面倒臭がりな彼がわざわざ藪を突つく酔狂な真似を

する訳もない。

 

 

「ところで、一方通行のそれはアルビノってやつか?」

 

 

「まァ、そンなとこだ。別に日光には弱くねェがな」

 

 

バッサリ切られた事に堪えたのか、なるべくそれっぽい言い回しは避けながら窺う与一に、生憎に濁して答える。

白銀の髪に紅い瞳、染みもない白い肌ともなれば大体の人間は一方通行に対してそんな疑問を抱き、中には尋ねて来る者も多い。

素直に実験の影響がどうの等と説明する訳にも行かないので、取り敢えずアルビノに近い現象だと定型文の様な単調さで説明した。

 

 

どうやら彼の、シャンデリアの灯りにキラキラと反射する繊細で指通りの良さそうな髪が気になるのか、チョロチョロと落ち着きなく義経がやたら煌めかせた瞳で彼の尻尾髪を追い掛ける。

触りたいけどそれは無遠慮だし、初対面早々に髪に触れても良いかなどと聞けば、変なヤツだと思われるのも宜しくないだろう、と。

 

 

「……なンだ」

 

 

「え、あ、いや、何でもない」

 

 

しかし、一方通行の髪を触りたいと思わない者など殆ど居なかったので、義経の無垢な願望など彼からしたら非常に明け透けで分かり易いモノである。

さしずめ胸の大きな女性が男の分かり易い視線に辟易とする感覚と似たようなモノだが、実は彼は、素直に頼まれれば髪を触るぐらいは別に拒否したりしない。

 

余りベタベタとされないぐらいであるのなら日頃、板垣辰子に散々触られているので、男だろうが女だろうが加減を弁えてさえいれば構わないのだ、寧ろ触りたい触りたいと物欲しそうな視線を向けられ続ける方が余程鬱陶しい。

尤も、誰彼構わないという訳ではなく、ある程度気心の知れた仲でない限りは、一方通行とて拒否するだろうが。

 

 

「……」

 

 

煩わしい視線と、事前に予防線を散々張っていても、かつてのトラウマに乱されているのか、つい苛立って険の含む視線で射抜いてしまった所為か、誤魔化しながらも分かり易く気落ちした義経を一瞥して、溜め息。

正直に言えば、例えオリジナルと性別も違って普通の人間とほぼ同様に育たれて来たとはいえ、彼女達に対する抵抗感は消えてくれない。

けれど、彼女達は違う、自分が積み上げて来た罪と、彼女達を重ねる事などどちらに対しても迷惑極まりないし、薄情な行為だろう。

自分の中で折り合いを付けれなくとも、せめてその感情を表に出さない様にしなくては、自分と共に償うとまで言ってくれた女に顔向けも出来やしないから。

 

 

「あンまベタベタと触ンなよ」

 

 

「へ?」

 

 

仲良くしたいと思っていた手前、早々に一方通行の気に障る真似をしてしまった事に後悔しつつしょんぼりと顔を俯かせていた義経に、背中越しに少しだけ顔を向かせた白貌が呆れを含んだテノールを紡ぐ。

どうやって機嫌を取ろうと考え込んでいたのか、鳩が豆鉄砲を食らった様な幼い表情で、涼し気な紅い瞳を見上げる義経には、きっと彼の真意を理解出来ていない。

 

突発的な一方通行の物言いにきょとんとしながらも義経より遥かに早く彼の発言の意味に気付いたのか、弁慶は愉快気に頬を緩めると、カラカラとした笑い声を挙げる。

成る程、気紛れな所は兎と云うより猫みたいだと、一方通行を見てそう呟いた義経の彼に対する第一印象は間違っていなかったと、酔いに揺れる思考の中で澄んだ感想を響かせながら。

 

 

「あはは、主、思う存分触っていいってさ」

 

 

「酔い醒ましが必要ならそォ言え、派手なのを一つくれてやる」

 

 

「え、えっと……ほ、本当に触って良いのか、一方通行?」

 

 

「加減を弁えるンならな」

 

 

「も、勿論だ! で、では失礼する……」

 

 

弁慶の揶揄う様な言葉で漸く真意に気付けたらしい義経が真偽を問えば、立ちっ放しで疲れたのか黒革の高級感のあるソファにそっと腰掛けた一方通行が、どこか投げ遣りに答えた。

のんびりとソファに背を預けて羽根を伸ばす大きな白猫の尻尾に、藍の瞳を輝かせながらどこか緊張気味に恐る恐ると、刀を持つには小さな掌を伸ばす。

 

 

「ふ、お……おおぉぉ……」

 

 

手に持って撫で付けて見れば、柔らかくシルクを触っているかの様な手触りは、とても髪を触っているとは思えない程であろう。

極上の毛並みを持つ猫に触れているみたく、爛々と瞳が輝いてしまい感嘆の声を挙げるのも、無理はない。

あのドイツの猟犬と呼ばれる紅い麗人ですら柄にもない心からの感銘の声を抑えずには居られなかった程の手触りである。

指で梳けばスルスルと白い銀河が掌の中で煌めいて、一本一本が枝毛すらない繊細さ。

夢中になって無垢な子供が綾取りをするかの如く髪を弄る義経の様子には、他のクローン達も気取られてしまう。

 

 

「す、凄い……サラサラしてて、フワフワしてて……義経は凄く楽しいぞ、一方通行!」

 

 

「ソイツはどォも」

 

 

「ねぇ、私も触ってみていい?なんか義経ちゃんすっごく楽しそうだし」

 

 

「あ、じゃー私も」

 

 

「お、俺もいいか?」

 

 

「葉桜は構わねェが、与一は変な発言しねェってンなら許す。酔っ払いは却下」

 

 

「えっ、なんで私だけ?」

 

 

「酒臭ェのが移ンだろォが」

 

 

「いや酒飲んでないから臭い移んないって、酔ってるけど」

 

 

「酔ってンなら駄目だな、オマエ馬鹿力なンだろ、引き抜かれそォで怖ェし」

 

 

「す、すげぇ、流石は九鬼から一目置かれてる一方通行……既に姉御の能力を見抜いてんのか」

 

 

「いや、流石に力加減分かってるって……与一、後で覚悟しときなよ」

 

 

「……引っ張ったりしたら即愉快なオブジェにすっからなァ……義経、手ェ離せ」

 

 

「え、あ、分かった」

 

 

機嫌を損ねられていじけられるのも面倒だと仕方無く折れた一方通行は、夢中になって指を通していた義経にストップをかけて、括っていた黒い紐に細長い指を掛けた。

シュルリと白銀河を流麗に滑り落ちる黒いリングが毛先まで通り抜けてふわりと華の香りと共に広がる白銀の大河はとても男のモノとは言い難い程に美しい。

 

鼻の抜けた溜め息が、扇情的に広がる雪原を目にして口々から零れる。

酔いで常に気怠げな弁慶でさえ、圧倒的な白美を前に纏う酒気を清風に晴らされたかの様に茫然と見惚れる程で。

広がる反動で微風を紡いで舞い落ちる白の奔流に手を伸ばせば、義経が夢中になるのも頷けると納得出来るほどの感触が掌から伝わった。

 

 

「おぉ、すげぇ……これホントに男の髪かよ」

 

 

「柔らかくて気持ちいい……髪の手入れはしてるから、ある程度自信あったけど……これに勝てる気は、しないかなぁ」

 

 

「うわ、凄いねコレ、シルクか何かで出来てたりしないの?髪にしとくには勿体無い……あぁ、枕にして眠りたい」

 

 

「おいコラ酔っ払い、頬擦りすンな気持ち悪ィ」

 

 

「べ、弁慶……それは流石に無遠慮だと義経は思う」

 

 

「はーい……一方通行、髪切る時は言って。私が引き取って枕にするから」

 

 

「絶対ェオマエには教えねェよ、本気で怖ェわ」

 

 

紫外線や有害な要素を悉く介入させなかった彼の髪は、下手をすれば世界一美しい髪と言えるのかも知れない。

最早髪の形をした極上のシルクに近い何かとさえ扱う面々は、彼の長い髪をそれぞれ一房に取り分けて、思い思いに楽しむ光景はなかなかにシュールであり、何処か儀式染みている。

心地良い睡眠と怠惰を愛する弁慶としては掌から伝わる感触に癒しすら覚えたのか、頬擦りして枕にしたいとまで宣う始末。

男の髪を枕にしたいなど、冷静に考えれば変態染みた発言だが、そこまで言わせる一方通行の髪が凄いのか、快適な睡眠を追究する弁慶の熱意が凄いのかは定かではない。

しかし、いつまでもこのままという訳にも行かないので溜め息一つ零しながら、ぼんやりと紅い眼差しを呑気に宙に浮いたシャンデリアに定めながら、本題へと舵を切り出した。

 

 

「来月……つゥか、もォ来週か。川神学園に編入する手筈となってンだが、オマエら準備とか出来てンのか」

 

 

「義経は済ませたぞ。いつでも問題ない」

 

 

「私も問題ないかな」

 

 

「同じく」

 

 

「俺も昨日終わらせた、というかサボってたら義経に無理矢理終わらせた」

 

 

「サボるなどと、余り義経を困らせるような事を言わないで欲しい。ちゃんとしなくては周りに迷惑が掛かる」

 

 

「面倒だってんなら、また私が矯正する羽目になるね」

 

 

「……俺はやはり、自由という翼をもがれた憐れな罪人に成り下がるしかないのか」

 

 

「よォォォいちくゥゥゥン? 上の口を縫い付けて欲しいってンならそォしてやろォかァ、ン?」

 

 

「く、くそ……なんで俺だけ……」

 

 

手に持っていた一束の髪を慌てて落としそうになりながらも、誰から聞いたかは知らないがかの武神すら凌ぐとされる一方通行には刃向かう意思を既に無くしているらしい。

渋々といった様子で口を尖らす与一だったが、どうやら一方通行の言うことは素直に聞くらしいので、困った時は彼に頼めば与一の反抗期も何とかなりそうだと義経はどこか御満悦である。

 

与一と弁慶とは生まれてからずっと主従関係であるらしく、自分達を取り巻く環境が影響しているから、ある程度致し方ないとはいえ、思春期特有の中二病と反抗期という厄介な性格に歪んでしまった彼に色々と手を焼いて来た彼女としては、漸く舞い込んだ与一修正の好機に期待せざるを得ない。

 

 

「ンで、Sクラス……葉桜は三年のSクラスに編入って話らしいが、学力に問題はねェンだな?葉桜と義経はまァ余裕そォだが」

 

 

「私はまぁ、何とかなるとは思うよ。勉強嫌いだけど」

 

 

「……勉強なんてかったるいだろ。寧ろ遊びたい」

 

 

「はン、遊びてェか。なら、遊べば良い」

 

 

「い、一方通行、それはいけない。私達は英雄として人々の規範にならなくては……」

 

 

どこか忌々しそうに、暗に勉学に囚われず自由に学園生活を満喫したい事を与一に仄めかされて、一方通行は愉快気に口角を上げて、不敵な笑みを浮かべる。

しかし、そのまま紡がれた好きにしろといった肯定のニュアンスは、自分達は英雄のクローンとして人々の規範とならねばならないと考えている義経としては許容出来ない。

寧ろ、彼が与一の意見に賛同する様な人物とは思ってなかっただけに、鈴を鳴らした様なソプラノが動揺に曇っていた。

 

 

「英雄だとか、ンなモンは俺の知った事じゃねェよ。勉強するなり遊び呆けるなり好きにすれば良いだろ」

 

 

「そ、それは駄目だ!」

 

 

手に握っていた髪を離して、情動の儘に一方通行の正面へと慌てて回り込み、設問するが如く食い気味に、真夜中の月を想わせる静冷で鋭利な眼差しを覗き込む義経の瞳は、ひたすらに無垢で、澄んでいて。

けれど、一方通行は決して主張を曲げない。

それは、初めて彼が己を見つめ直す切欠となったあの運命の夜、英雄だと掲げ続けた幻想殺しの少年が見せた眼差しと、どこか重なっていた。

 

 

「別に、オマエがそォ生きてェのは勝手だ、オマエが選ンだンなら、その決意にまでケチを付けねェよ。だが、少なくとも与一は違ェンだろ?」

 

 

「……でも九鬼の方々は、義経達が英雄として、九鬼の名に恥じない様に、生徒達の手本になれって」

 

 

「あァ。だが、ンなモン嫌なら嫌で良いじゃねェか。英雄として生きたいなら英雄として生きりゃァ良い。只の人間として生きたいなら生きれば良い。自由が欲しいなら求めれば良い。自分で選んで決めンのに英雄もクローンもねェだろォが」

 

 

「やはり……やはり一方通行は俺と同じ特異て……じゃなくてだな、俺の理解者だな。俺は九鬼に強いられた生き方なんてゴメンだ」

 

 

「与一……」

 

 

酷く悲しそうに与一の名前を呼ぶ義経と、賛同を得られた事が、ずっと心の内に燻っていた不満の火を煽られてか、嬉しそうに不敵な笑みを浮かべる与一。

良くない雰囲気になっていると、下手をすれば主従関係に亀裂が入りそうな流れを忌諱してか、仲裁に入ろうとする清楚の細い腕を、そっと弁慶が掴む。

 

多分、心配はいらないと思うよ。

そんな、どこか静かな水面を彷彿させる彼女の瞳に、清楚は他でもない彼女がそういうならと、弁慶の意思に任せて

静観に務める。

一体どういうつもりで、一方通行はあんな挑発めいた言葉を並べているんだろう。

言葉にしなくとも紡げそうな視線に、怪訝そうな感情を乗せて。

 

 

「何勘違いしてやがる、俺はオマエの事なンて理解してねェよ。選ンで決めたンなら、その責任は取らなきゃならねェンだ。学校も、服も、食事も、金も、総て自分で賄え。九鬼が嫌なら抗え、刃向かえ、その分にも責任は出るが、自分で決めて選ンだなら、行動に移せ」

 

 

「なっ、む、無理に決まってんだろそんなの!」

 

 

「今は無理だってンなら計画立てるなり自分で別途の働き口見付けるなり手段を模索しろ。自由になりたいなら、自由になる為の責任を果たせ。反抗心持つだけ持って何もしねェで喚くなンざ餓鬼のやる事だろ」

 

 

「手段の模索……」

 

 

「出来ねェなら諦めて、九鬼に従え。嫌なら抗え、シンプルだろ」

 

 

「成る程な……分かった。今は無理だが……いつか、俺は翼のもがれた罪人から、不死鳥の如く自由を謳歌してやる!」

 

 

「よ、与一……な、何故だ、一方通行。君はどうしてこんな事を言うんだ。お蔭で義経は困っている」

 

 

色々と納得しない事はありながらも、何とか一方通行の言葉を噛み砕いて、自分の中で折り合いをつけた与一とは対照的に、義経はただひたすらに困惑していた。

彼は九鬼の主要陣からも頼られる存在でありながら、そして九鬼から自分達の面倒を見るよう、協力を要請されている立場の筈。

それが何故九鬼に反旗を促す事を平然と宣うのか、理解出来ない。

 

英雄であれと望まれた自分は、英雄である振る舞いをするのが当然と、さして疑問を抱かず生きてきた。

彼の言葉はどこか、それを間違っていると、自分の生き方を否定する様にも聞こえて。

 

 

「オマエは、英雄のクローンとして生きてェのか、只の人間として生きてェのか、どっちなンだよ」

 

 

「義経は……英雄として生きる。そうして生きてきたのだから、今さら迷う事なんかない」

 

 

「なら、それで良い。だが、与一は英雄のクローンなンて望ンでねェ。九鬼の命令なンて関係なく生きたい、それだけの事だろォが」

 

 

「だが、与一は義経達とずっと一緒だったんだ。それが欠けるのは、義経には耐えられない。それに、いずれ九鬼に反旗を翻すなら、義経は与一と闘わなくてはならなくなってしまう……」

 

 

「まァ場合によってはそォなるかも知れねェな。だが、それならそれで今度は只の那須与一として、九鬼からお呼びが掛かるだけだと思うがな」

 

 

「なっ……そんな筈がない!九鬼が掲げる覇道は刃向かう者、立ち塞がる壁を悉く薙ぎ倒して進むモノ。許される訳がない」

 

 

「分かってねェな、義経。九鬼ってのは割とバカなヤツらの集まりだぞ。九鬼が与えた英雄のクローンって枠で収まる優等生より、その枠組みを越えようともがく馬鹿の方が好きなンだよ。常識って殻を破ってデカく強くなった九鬼が、ンな器の小せェ事を抜かすかよ」

 

 

例え異常と言われようとも、例え邪道だと思われようとも、自分達こそ王道を征く者と信じて邁進する、それが九鬼だと。

そういう愛すべき馬鹿達だからこそ、こんなにも人の心を集めている。

 

だから、武士道プランなんて掲げてはいるが、単なる英雄のクローンで終わって貰っては、他ならぬ九鬼が一番困るだろう。

彼らが望んでいるのはきっと、クローンの枠を自ら打ち壊し、彼らが本当の英雄に成る事なのでは、と。

それだけではないし、別の思惑があるのかも知れない。

 

けれど、少なくとも九鬼揚羽はそう願ってはいるだろう。

だからこそ、とっくに所用とやらを終えて扉の向こう側で聞き耳を立てるなんて真似をしているのだ。

一方通行ならば自分の意志を汲み取って、クローン達を導いてくれる、と。

だからわざわざクローン達と自分を引き合わせる様な真似をしたのだ。

そして、彼らは必ず一方通行の力となるだろうと信じて。

 

身勝手でありがた迷惑で、らしくもない役回りをさせてくれると、白い貌が面倒臭そうに心中で毒づいた。

だが、協力を要請した以上、最低限の思惑ぐらいは叶えてやっても良いだろう。

 

 

「源義経。ゆっくりで良い。自分で考えて、自分で決めろ。九鬼の言う、人々の規範となる英雄のクローンとして生きンのか。一個の人間として英雄を目指すのか」

 

 

「……」

 

 

卑怯な言い方だろう、これならば誰だって後者に憧れる。

けれど、少しずつ、歩くような速度でも良いから、考えて、悩んで、迷って、そして答えを出して欲しい。

例え英雄のクローンとして生まれても、クローンとしての生き方を強いられても、それ以外を望むのはいつだって自分の意志であること。

 

 

――彼女は源義経のクローンであっても、源義経になる必要はないのだと。

 

 

――きっと、それは他の誰かに言いたかった筈の言葉なのだけれど。

 

 

 

考え抜いたその先で生き方を決めたのなら、少しくらいは手を貸してやっても良いし、知恵ぐらいなら出して良い。

それが彼らを導くと決めた一方通行の責任だから。

 

 

「――」

 

 

迷っているのだろう、悩んでいるのだろう。

好きに決めろ、自由にしろだなんて、きっと殆ど言われた事もない筈の彼女は、顔を俯かせてひたすら思巡している。

自分の中で常に自問自答をしていた与一と違って、義経は初めて自分としての生き方を見つめ直しているのだから、時間は掛かるのが当たり前だ。

 

だからこそ、無理に急かしてやる必要はない。

形の良い、けれど凝り固まってしまった頭を骨張った細長い掌の指でそっと撫でてやれば、道に迷って困惑顔の迷子の顔がゆっくりと、道標を探して紅い月を見上げる。

残念ながら、答えを与えてやる事は出来ない。

道に迷ったなら知っている人に聞くか、自分で見付けなくてはならないものだ。

月はいつでも退屈そうに傾くだけ。

けれど、方角をそれとなく促す事だけはしておいても良いだろう、と。

 

 

「一方通行は……義経はどうしたら良いと思う?初めてなんだ、こんな気持ちは」

 

 

「英雄になるって決めたンじゃねェのか?」

 

 

「その筈だった……けど、本当にそれで良いのか、義経は分からなくなってる。一方通行の言葉で、義経は分からなくなってしまった」

 

 

「……そォか。だが、俺は急いで決めろなンて言ってなかっただろ」

 

 

「で、でも不安なんだ。自分の気持ちが分からなくなるなんて……義経は、怖い」

 

 

泣き出しそうな幼子をあやすのと、そう変わらない、壊れ物を扱う様に撫で付ける優しい掌に目を細めてしまいそうになる。

静かに暗闇を照らし明かす月を宿した瞳が、少しずつ、自分で自分が分からなくなる恐怖を和らげていく。

 

きっと、自分が行くべき道を知っているのに、少しでも早くこの不安から開放して欲しいのに。

答えを教えずヒントだけを与えるほんの少しの意地悪な月に、何故だか、心が落ち着いていくという、矛盾。

その矛盾が恐いのに、どうしてこんなにも、まるで父親の腕に抱かれたような安堵に包まれているか。

答えを見付けるには、彼女はあまりに未熟で、あまりに世界を知らなさ過ぎた。

 

 

「分からねェなら、掻き集めてきゃ良い。公式の一つも知らねェ癖に方程式なンざ、早々解けねェよ」

 

 

「だったら……義経は集めていけば良いのか。そうすれば、いつか分かる様になるのか」

 

 

「さァな。それはオマエが判断する事だ」

 

 

「うぅ、一方通行は意地悪だ。義経を迷わせる事ばかり言って」

 

 

「はン、考えて来なかったオマエが悪い……と言いてェとこだが、どっかの盗み聞きしてるバカ共並みに意地が悪いと思われンのも癪だから、ヒントくれェはくれてやるよ」

 

 

盗み聞きと彼が強調した様に言い放った途端に執務室に繋がる扉が何やら騒がしくなって、クローン達は一斉にキョトンとした間の抜けた表情を浮かべた。

やがて、弁慶と清楚はクスリと微笑を携え、与一はまさかの九鬼に対する反逆発言を聞かれてしまったのではないかと顔を青くする。

けれど、義経だけは未だに一方通行の白く整った美麗の貌から目を放さず、彼のヒントを待ち惚けている儘で。

そして、月は紡ぎだす、迷い人への道標を。

 

 

「聞けよ、オマエのツレに。相談して、自分で噛み砕いて、答えを作ってけよ。酔っ払い辺りは案外まともな事言うだろォよ、酔ってなけりゃァな」

 

 

「えっ、私?」

 

 

「オマエ、コイツの面倒良く見てンだろ。だったら、コイツの事を一番見てンはオマエの筈だ」

 

 

「…………」

 

 

さっきまでちょくちょく邪険に扱ってきた癖に、急に持ち上がる事を言われては落ち着かない。

何だか妙に照れくさいなと後ろ髪を掻きながらも、内心では彼の洞察力に目を剥いていた。

事実、この純真な主人の事をいつも気にかけてきたし、自分の境遇に一つの疑問さえ覚えずに育ってきた彼女を、密かに心配してきたのは間違いではない。

だからこそ与一が度々義経を困らせる度に、与一には悪いと思いながらも彼を叱って来ていたのだ。

 

どうすれば互いに上手い落とし所を与えられるかと、そして、いつも飄々としながらも奥底でずっと、このままで良いのだろうかと幽かに思っていた疑念すらも掬い上げて。

 

 

「……酒、足りねェか?」

 

 

体質もあるけれど、その感情を誤魔化すように酔いに委ねて、怠惰に身を寄せていた自分の隠したい所まで明け透けにする紅い瞳の静けさ。

成る程、九鬼が喉から手が出るほど欲しいと思う訳だ、と弁慶は小さく微笑みを浮かべる。

 

鋭い観察眼と第六感を駆使して人の奥底を見抜く能力と、人間離れした叡智と圧倒的な容姿。

そして、そんな隅々まで見通されても、不思議と恐いとは思わせない静かさ。

全てを明るみに晒す太陽ではなく、静かにそっと暗い闇でも変わらず寄り添ってくれるような、白銀の月。

一方通行の方がよっぽど何かの英雄のクローンなのではないかと疑ってしまいそうになるほどで。

 

 

「大丈夫、ちゃんと酔ってるって」

 

 

「ハッ、そォかい」

 

 

月の魔性に気を付けないと、案外ころっとイカされそうだと、薄く笑って。

それはそれで面白そうだが、このナチュラルに人の心に入り込んでくる男は、そうなったら一際面倒臭そうだから勘弁願いたいなと、不思議な心地でそう思った。

 

 

「……分かった。弁慶に聞けば分かるかもしれないんだな!」

 

 

「ったく、落ち着けや。ンなモン分かる訳ねェだろ。飽くまで決めンのはオマエだ。酔っ払いには酔っ払いなりの答えがあって、オマエの答えはオマエが決めて作ンだよ」

 

 

何度も何度も、同じ事を繰り返して、一つ一つ噛み砕いて考えを纏めるまで待って、二度も言わせるなとは、悪態をつかない。

まるで幼子に対する保育者のような立ち振舞いはやけに様になっていて、だからこそ心の若い義経を安心させる。

それは、他ならぬ彼が辿って今もまだ答えを作り出せていない、けれど確かな経験則。

ひょっとしたら答えなんか見付からないのかも知れないけれど、その過程の迷い、戸惑いの意味を見詰める事こそ人生だと、そう教えてくれた人が居た。

語尾がじゃんじゃん煩くて、なんだかとても分かり難かったが、言いたい事だけは理解出来ていたから。

 

 

「……やっぱり、難しいな」

 

 

「そンなモンだ。与一のアホだって、まだ選ンで決めただけだ。そっから先の答え探しはまだ先なンだろォよ」

 

 

「そうか。なら、義経にはもっと時間が掛かりそうだな」

 

 

「人間だからな、仕方ねェよ」

 

 

「――そうか、そうだな。仕方ない」

 

 

何故だろうか、少しだけ分かった気がする。

一方通行が言いたかった事、一方通行が教えようとしてくれる事。

剥き出しの心がそっと輪郭を帯びて、自分を作っていく、夕焼けを歩けば濃い影が出る、そんな当たり前のこと。

そんな心ごと抱き締める様に、胸の上で手を重ねて、義経は漸く表情に笑顔の華を咲かせた。

けれど、まだささやかな風ですら花弁を散らしてしまいそうだから。

 

 

「一方通行は、どっちの義経が良いと思う?」

 

 

もう一度、強く、根付く様にと。

重ねた掌が、祈る様に指を絡ませ合う。

頭を撫でていた暖かさが、すっと居なくなってしまって。

 

けれど。

 

 

「あァ?ンな事、俺の知った事かよ」

 

 

「駄目だ、答えて欲しい。答えてくれないと義経は困る」

 

 

「子供かよ」

 

 

「子供だ、義経は子供より子供だ、今はまだ」

 

 

「チッ…………まァ、強いて言うなら――」

 

 

月が、また一つ傾く。

退屈そうに、面倒そうに、相変わらず見下ろしている。

それはどこか、見守っているかの様で。

 

 

――クローンで人間で英雄な義経。

 

 

風も吹いてない室内なのに、ふわりと舞い上がったような、流れる白銀。

薄く笑みを象る最後まで意地の悪い唇と、父性と幼稚さを兼ね合わせた不思議な、けれど深い深い紅い紅い瞳。

時を奪われた様に見惚れていた義経が、少し頬を染めながら、彼に対して初めて溜め息をついた。

 

 

「それなら、仕方ないな」

 

 

 

 

――――

――――――――――

 

 

 

「……姉上。我は、少し不安になりました」

 

 

「不安、か。遠ざかったか、紋よ。彼奴の背中が。この程度で臆するなら、彼奴の嫁として肩を並べるなど到底夢事にしかならぬぞ」

 

 

「……いや、揚羽様。私も正直、ラビットが分かんねぇですよ。成人もしてねぇガキが、どうやったらあんな言葉吐けるんですか……何を見て来たら、あんな」

 

 

「フハハハ、顔が赤いぞステイシー……まぁ、我も一方通行の過去を詳しくは知らん。だが、彼奴が辿って来た道はきっと尋常ではないだろうな」

 

 

「……我も、あそこまで行けるでしょうか」

 

 

「行きたいのならば、決めるが良い。自分で選び、自分で決める。手垢のついた言葉だとしても、そこに染み付いた真理はきっと変わらんよ」

 

 

「はいっ、姉上」

 

 

「さて、我らも入るとするか。そろそろクラウディオが食事の用意が出来たと告げに来るであろうし、一方通行も帰宅するまでの時間は学園での内容も詰めなくてはならん」

 

 

「よし、参ろうか、姉上、ステイシー」

 

 

「はーい、っと……ちっくしょう……ラビットの奴、生意気なんだよ、ファック」

 

 

クローン達と、その導き手と揚羽が定めた青年との会話の後半を聞き届けた彼女達は、どこか朗らかに、どこか苦しそうにしながらも執務室に続く扉を開く。

彼の言葉を反芻しているのか、扉の軋む音に掻き消されたからか、定かではないが、この時彼女達は聞き逃してしまった。

 

鼓動の様な、少女の幽かな、消え入りそうな呟きを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――范増……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『Alone Again Snow Polaris』__end.












今回賛否両論あるだろうなこれ

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。